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2012年5月 6日 (日)

大沢在昌(第110回 平成5年/1993年下半期受賞) ライバル作家に続いて、遅まきながらいよいよこの人も。文学賞をとって大にぎわい。……ってハナシは3年前に終わってますけど。

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大沢在昌。『新宿鮫 無間人形』(平成5年/1993年10月・読売新聞社刊)で初候補、そのまま受賞。「感傷の街角」でのデビューから14年半。37歳。

 ひとりの直木賞ファンとして、「くやしい」作家ってのがいます。大沢在昌さんはまさに、多くの直木賞ファンをくやしがらせた人、と言っていいでしょうなあ。

 というのも、「大沢在昌ブレイク」の手柄を、みんな他に奪われてしまったからです。

 '91年版の「このミス」(平成3年/1991年1月・JICC出版局刊『このミステリーがすごい!'91年版』)にはじまって、平成3年/1991年春の吉川英治文学新人賞、それから日本推理作家協会賞。

 『新宿鮫』(平成2年/1990年9月刊)の一作は、大沢在昌ここにあり、を世間に知らしめた記念碑的な作品でしたが、まず読者たちから熱い称賛を受けました。永久初版からの脱出を果たしました。そして、平成2年/1990年刊行物を対象とした賞レース。直木賞はボヤボヤして、何もからむことができませんでした。くやしいと言うほかありません。

 元来、文学賞は良さ、利点、うまみといったものも持っています。そのことを先に大沢さんに教えたのは、くやしいかな、吉川新人賞のほうでした。直木賞でなくて。

「今回の受賞(引用者注:吉川英治文学新人賞受賞)で自分は物凄く幸せだと思ったことがあるんです。例えば吉川賞のとき、推理作家協会理事の山村正夫さんが「飲みに出ておいでよ」とおっしゃってくれたし、選考委員の謙ちゃん(引用者注:北方謙三も「大沢、出てこい」って。彼は「大沢に対して強い立場にあったけど、これでもう俺は権力を失った」なんていってましたけど、自分のことのように喜んでくれました。(引用者中略)

 小説家というのは、お互い友だちであると同時にライバルでもあるわけです。だから、誰かが賞を取ると“良かったな”と思う反面、“ちくしょう。どうして俺じゃないんだ”と思う部分がないといえば嘘になる。なのに、みんながみんなと言っていいほど、僕の受賞を凄く喜んでくれました。僕はこの人たちに嫌われてなかった、良かったと、しみじみ思いました。」(『週刊文春』平成3年/1991年4月25日号「行くカネ来るカネ 私の体を通り過ぎたおカネ 大沢在昌」より)

 でしょう、でしょう。自分自身の喜びを超えて、まわりの人たちも喜んでくれる、文学賞の温かさ。それを、大沢さんに実感してもらうチャンスは(『新宿鮫』一作の件でいえば)、先に直木賞のほうにあったのに……。

「この原稿は、吉川英治文学新人賞の授賞式の翌日に書いている。(引用者中略)正直、プレッシャーに怯えていた。これほどにも運に恵まれた作品のシリーズ第二作、手が動かないのではないだろうか、と。

 だが、不思議なことに、至極スムーズに手は動いた。なぜだろう、たぶん、ふたつの賞(引用者注:吉川新人賞と日本推理作家協会賞)の重みが、私の手を動かざるをえないようにしているのだ。つまり、上からの圧力ではなく、中からの圧力として働いて。

 恥ずかしい作品は書けない。が、これも不思議なことだが、恥ずかしい作品にならない予感もある。

 いただいてわかったこと。賞とは、もの書きにとり、すばらしい栄養剤である。」(平成10年/1998年1月・小学館/小学館文庫 大沢在昌・著『かくカク遊ブ、書く遊ぶ』所収「栄養剤二本」より)

 でしょう、でしょう。文学賞ってすばらしいものでしょう。だけど、そのすばらしさを伝え得たのは、直木賞ではなかったわけで……。

 大沢さんは平成3年/1991年、『新宿鮫』がダブル受賞!って話題を受けて、数多くのメディアに登場しました。3年後、平成6年/1994年に第110回直木賞を受賞したときも、同じくさまざまなインタビューを受けました。

 語ることといえば、子ども時代の読書体験、慶應大学で遊び呆けて中退し、父親に怒られたこと、小説推理新人賞をとるまでの経緯、とってからの「売れない」期間の長さ、「永久初版作家」と言われたこと、冒険作家クラブを中心としたライバル作家たちの交流、などなど……。直木賞後に語られるハナシはほとんど、3年前に、吉川新人賞・推理作家協会賞のときに流布したストーリーの繰り返し、といっていいほどだったんです。

 この展開を目の当たりにして、くやしくならない直木賞ファンなどいるのでしょうか。

 大沢さんと賞、っていう世界のなかでは、直木賞なんてのは、同じ味の料理のおかわり、と言いますか。視聴率を集めたドラマの昼間の再放送、と言いますか。それはそれで意味はあるけど、新鮮味に欠けるのはいかんともしがたい。

 大沢さんに言わせますと、直木賞とは、以前の賞に比べて、この程度の違いしかなかったようなのです。

三枝(引用者注:桂三枝) やっぱり直木賞受賞すると、周りの雰囲気とか変わってくるもんですかね。(引用者中略)

大沢 四年前に『新宿鮫』というのを出しまして、それで賞をもらって、本も急に売れるようになったんです。そういう意味では多少、免疫ができていたつもりでいたんですけれども、やはり、ちょっと違う賞かなと。

三枝 ほおぅ。

大沢 例えば、この前、飲んでたら、伊集院静さんに呼び出されまして、何人かお連れの方がいらしたんですが、「こちらが直木賞とった大沢さんだよ」って伊集院さんが言うと、座ってた人たちが一斉に、「あッ」と言って立ち上がるんですね。これが直木賞かいなあ、とねえ(笑)。」(『週刊読売』平成6年/1994年2月20日号「三枝のホンマでっか!」より)

 何だか文学賞を毛嫌いする人たちが、なぜ毛嫌いするのか、その理由がわかるようなエピソードじゃありませんこと? 作品の内容とか、作家としてのこれまでの歩みとか、そういうのを語らずして、単に「何何賞をもらった」というだけで周囲の扱いが変わる気持ち悪さ。

 文学賞のおいしいところは全部、吉川新人賞あたりに持っていかれてしまい、イヤな面、チャカされる面、馬鹿にされる面を直木賞がひっかぶる構図、とでも言いましょうか。まあ、そうですよね、直木賞ってけっこう損な役回りですもんね、と愛おしくなる場面でもあります。

 『新宿鮫』でだって、四作も待たずに、ズバッと一作目で受賞させて、おお直木賞もなかなかヤルじゃん、と拍手されるチャンスはあったのに。いや、それ以前だって、プロフェッショナルなエンタメ作家、でもあまり世間に評価が広がっていない作家、そういう人を世に紹介する、なんちゅう直木賞が威力を発揮する恰好の舞台が、大沢在昌さんのまわりには何年もあったのに。

 直木賞君。かわいそうだけど、あなたの損な役回りは自業自得のようです。

          ○

 大沢さんの作家デビューは昭和54年/1979年。冒険小説「黄金の80年代」前夜でした。

 当時、冒険小説とくくられるような、ハードボイルドっぽいもの、血湧き肉躍る大活劇などは、直木賞からツレなく扱われていました。扱われていたんですが、まったく無視されていたわけではありません。このころから一気に花開く冒険小説群のうち、谷恒生さんの『喜望峰』や『ホーン岬』、山田正紀さんの『火神を盗め』などを代表に、何作品か何作家かは、順次、直木賞の候補に選ばれていきました。

 しかし、それら多くの小説は、「劇画」「映像的」「こんなもの文学じゃない」みたいな、直木賞おなじみの刀でバッサリ斬られちゃいます。こぼれ落ちる諸作家の受け皿となったのが、昭和55年/1980年からはじまった吉川英治文学新人賞だった、っていうのは以前軽く触れたことがありました

 さらに後発の山本周五郎賞も、こういったジャンルの小説には寛容な路線を敷きます。ってことで、80年代の小説界を牽引したこれらの作家が、続々と文学賞をとっていくこととなりました。

大沢 (引用者中略)僕たちがハードボイルドのパイを大きくしたという自負はものすごくある。だって、昔は五千人ぐらいしか読者いなかったんですから。

阿川 僕たちというのは、他にどなたがいらっしゃるんですか。

大沢 北方謙三さんとか、同期で言うと、逢坂剛さん、志水辰夫さん、船戸与一さん、佐々木譲さん、西木正明さん、つまり冒険作家クラブの初期メンバーですよね。」(『週刊文春』平成8年/1996年3月7日号「阿川佐和子のこの人に会いたい」より)

 彼らにとって文学賞とは、冗談を飛ばしたり、酒のサカナにしたりするための、一種の道具であったでしょう。とろうがとるまいが、何か重要で根源的なものではない、けれど作家として自分をふるい立たせ、発奮の材料には十分なり得る、大切なエネルギー源であり、イベントではあったようです。

「作家商売では、仲間は友だちであると同時にライバルだ。口ではおめでとうをいいながらも、心のどこかで「なんで俺でなくお前なんだ」という気持がある。あって当然だ。私だって、過去いくどとなくそういう気分を味わった。

 祝福とはそれらをすべて乗りこえたものだ。互いに見あい、目の奥をのぞきこみながら、

(くそ、先を越されたぜ、でも負けねえぞ)

 と、

(どうだ、くやしかったらこっちへこい)

 で、握手している。私は北方謙三氏や船戸与一氏、逢坂剛氏ら、すばらしい仲間たちと何度となくそういう握手をした。」(平成6年/1994年11月・集英社刊 大沢在昌・著『陽のあたるオヤジ』所収「直木賞」より)

 ちなみに時系列で並べるとこんな感じです。

  • 昭和58年/1983年 北方謙三、第4回吉川英治文学新人賞
  • 昭和60年/1985年 船戸与一、第6回吉川英治文学新人賞
  • 昭和62年/1987年 逢坂剛、第96回直木賞
  • 昭和63年/1988年 西木正明、第99回直木賞
  • 平成2年/1990年 佐々木譲、第3回山本周五郎賞

 そして次に、いよいよ大沢さんの受賞。つうわけですが、平成3年/1991年、第12回吉川英治文学新人賞受賞。これにて、とりあえず彼らの文学賞への登場第一章が終了しちゃいます。前の段でさんざん言ったように、この流れのなかに「大沢在昌、直木賞受賞」のハナシが出る幕はないのでした。しょぼーん。

 ……あ。あれ。志水辰夫さんはと。うーん、大沢さんがなかなかとれなかった日本冒険小説協会大賞を、何度も受賞しているので、まあよしとしましょう(よくはない!)。

          ○

 デビュー後10年あまり、大沢さんは文学賞に縁がありませんでした。しかし、上で見てきたように、周囲の仲良したちの受賞に何度も立ち会い、そのうち自身も受賞するに及んで、文学賞と縁深い人となりました。

 大沢さんなりの文学賞観も、かように形成されていった模様です。

「特に若い世代はそうですけど、妬みとか僻みを作品の糧にしようとはせず、人間らしく生きようと考えているような気がします。だからみんなさっぱりしているし、ストレートなもののいい方をするんです。作家として成功するために人間らしさを捨てちゃうみたいな発想ってあるでしょう。でも、もうそういう時代じゃないと思いますよ。」(前掲「行くカネ来るカネ 私の体を通り過ぎたおカネ」より)

 あ、すみません。文学賞観を語っているわけじゃなかったですね。でもまあ、「妬みとか僻み」のことを持ち出しているので、ある意味、文学賞観に通ずる考えととらえてもいいのじゃないかなと。

 そんな大沢さんが、文学賞を主催する責任者となる日がやってきました。平成13年/2005年、日本推理作家協会の理事長に就任したことで、おのずと、同協会賞の運営に責任者の立場で関わることになったわけです。

 それより前、理事だったころに協会賞を語った文章があります。大沢さんは、この賞をこう紹介しました。

「我が国では数少ない、出版社や自治体などの後押しがない文学賞である。」「選ぶ側も選ばれる側もプロ作家である以上、交流がある。これをお手盛りにせず、厳正に審査していくのは、物理的にも精神的にも大変な作業である。」(前掲『かくカク遊ブ、書く遊ぶ』所収「推理作家協会賞」より)

 文学賞というと、ふつうは「文学」の賞だと思います。「出版社や自治体の後押しのない文学賞」は数少ないでしょうけど、いくつかの同人誌で行われていたりしますし、あるいは文学をこよなく愛する読者たちの手でつくられたりしています。そこに、あまり儲けや採算は考慮されません。「文学」を愛する人にとって、そんなことは屁でもありません。

 しかし、大沢さんは青年の頃から、文学臭のする連中に接して、ほとほと辟易してきた人です。プロフェッショナルな小説家たることを目指し、それに徹してきた人です。小説を書くことのみならず、文学賞もまた、続けていくことが大変なことを、きっと知っています。協会賞を長く続けていけるように、大胆な改革を施しました。

 短編部門(平成19年/2007年から)、長編および連作短編部門(平成20年/2008年から)において、「各出版社からの候補作推薦制度」っていうのを設けました。候補選出のさいの労をなるべく軽減するために、定められた出版社については、版元のほうから作品を推薦してもらう制度です。

 出版社が優秀なものより売りたいものを優先して推薦してくることもあり得るのでは? ほんとうに厳正と言えるの? 「出版社が後押しする文学賞」と同様に営業戦略に組み込まれちゃうんじゃないの? と心配したくもなりますよね。でも、大沢さんは、出版界全体を考えるプロ作家です。協会賞が出版界のなかで長くつづいていくためには、この方法が良策だと信じたのにちがいありません。

 ちなみに、短編部門にこの制度を導入したはじめての年、受賞作が出ませんでした。そのときに大沢さんが洩らした感想がこちら。

「今回から「小説現代」「野性時代」など小説誌の編集部から短編候補の推薦を募った。(引用者中略)「作家と編集者は作品の両輪。賞を励みに編集者が短編に前向きになってくれれば」(大沢さん)と変更を決めた。

 候補にはミステリーらしい短編が並んだが、受賞には至らなかった。お手盛りではない誠実な選考結果だと大沢さんは納得もする。」
(『毎日新聞』平成19年/2007年5月18日「憂楽帳 なぜ出ない!」より ―署名:内藤麻里子)

 ええ、お手盛りではないでしょうけどねえ。……思うのですけど、たとえば直木賞が「不公正だ」と言われる理由の大半は、選考委員がどうのこうのではなく、候補作を決める予選の段階にあるわけなので。協会賞も今後、直木賞みたいにアレコレとケチをつけられなければいいなあ、と祈っています。予選は、あまり人の目に触れず、しかし根気の要る大変な作業だと思いますが、大沢さんが協会賞にこめた思いが伝えられていくといいですね。

 ……あらら。けっきょく今日は最後まで、直木賞受賞者としての大沢さんには、あまり触れられなかったなあ。ぐわあ、くやしいーッ!

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