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2012年4月15日 (日)

中島京子(第143回 平成22年/2010年上半期受賞) 家族たちがかもし出す静かで温かな受賞光景。出版界の馬鹿さわぎがかすんで見えてきます。

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中島京子。『小さいおうち』(平成22年/2010年5月・文藝春秋刊)で初候補、そのまま受賞。『FUTON』での小説家デビューから7年。46歳。

 ついこないだの出来事です。誰の記憶にも、きっと新しいはずです。

 うちのブログはたいがい、古い時代のハナシにばかり目を向けて、ご機嫌をうかがっています。何でまた、2年も経っていない中島京子さんの受賞のことを取り上げるのか。……といえば中島さんが「初候補で受賞した」人だからです。

 初候補での受賞は、第131回(平成16年/2004年上半期)の熊谷達也さん以来、6年ぶりでした。じつは初候補受賞者を手ぐすね引いて待っていた人たちが世のなかにはたくさんいたらしくて、中島さんの受賞が決まるや、いっせいに喜びを爆発させました。

 その一端は直接、中島さんの耳にも届いたそうです。

「初ノミネートでいきなり受賞は珍しいと、いろんな人に言われた。」(『毎日新聞』夕刊 平成22年/2010年7月29日 中島京子「直木賞に選ばれて 「とにかく、書く」ということで」より)

 「喜びを爆発させた」は、ちょっと表現が間違ったかもしれません。

 うちのブログでは昨年6月より毎週、「初ノミネートでいきなり受賞」した作家を紹介しています。今週の中島さんで42人目です。まだあと23人もいます。直木賞史においては、とくに珍しくこととは言えませんよね。中島さんのまわりにいる直木賞に詳しい人たちも、んなことは先刻ご承知でしたでしょう。それでも、「珍しい」などと口走ってしまったのは、6年も待たされた反動から、つい嬉しくなっちゃったからなのだろうな、と推察したわけです。

 いっさい新人賞をとった経験のない作家。デビューして7年、小説13冊目。着実に新作を上梓しつづけているものの、時代小説とかミステリーとかSFとかホラーとかラノベとか、そういうわかりやすいジャンル区分の世界にはいない、基本、初版止まり作家。

 こういう人に、バシッと一発目で賞を授けることができたのです。直木賞にとってこのうえなく理想的で、ある種「直木賞らしい」ともいえる授賞です。……直木賞の好きな人たちが、ついつい喜んでしまったのも、故なしとしません。

 ワタクシにとっても嬉しい出来事でした。そして、あまりの嬉しさに、口が滑らかになってしまった人もいました。選考委員の林真理子さんです。お得意の、記者会見で余計な発言を炸裂させてくれました。よっ! 待ってました、真理子さん。

「こうして今回は芥川賞、直木賞ともに初候補作品が受賞という、珍しい結果に終わった。さらにもう1つ異例といえるのが、林(引用者注:林真理子)選考委員が総括として「今回は、全体として作品が小粒だった。小説が売れない時代に、直木賞は指針を示すものでなければならない」と、小説界全般に対して直木賞が果たすべき役割を言明したことだ。

 文学界の権威の選考によって小説の魅力を位置づける直木賞。だが、最近は「本屋大賞」のような作家以外の人による小説のランク付けに販売力で及ばないなど、影響力の低下がささやかれる。林委員の発言は、こうした危機感の表れといえるだろう。」(『日経エンタテインメント!』平成22年/2010年9月号「選考委員の平均年齢も若返り “売れる”本に言及した直木賞」より ―文:土田みき)

 ははあ、なるほど。そんな意識が、1年後の第145回(平成23年/2011年上半期)で展開された、林さんの『ジェノサイド』推しにつながっているのかな、などと想像させてくれたりもして。

 まあ、林さんは、何に対してそんな使命感を燃やしているのか、とツッコミを入れたくなるほど、直木賞の受賞を過大に考えるきらいのある方ですから。仮想の敵と常に闘う女、マリコ嬢。温かく見守ってあげたいなと思います。

 偉そうなことを言いますけど直木賞がゴールじゃなくて、これからが頑張りどきですよ。気を緩めているとすぐに忘れられてしまいます。(引用者中略)私も書き続けて、後世の語り部にならなきゃいけない使命を帯びているんじゃないかと思うんです。ほんとに中島さんには頑張ってほしいなと思います。私たちって大量に書き続けなきゃいけないわけで。直木賞を獲ったからって安心できないんですよ、活字文化にとってやさしい時代でもないですしね(笑)。」(『オール讀物』平成22年/2010年9月号 林真理子×中島京子「受賞記念対談 戦前日本は、明るく豊かだった」より)

 またそうやって、直木賞をとって寡作を貫いたような、信念の作家を「直木賞受賞者としては傍流」みたいに、決めつけちゃうのですね。林さんの直木賞観はあまりに熱くて濃くて、そして狭すぎて、肩がこりますよ。忘れられるのが、そんなに恐怖ですか?

 直木賞はもっと自由なものだと思います。たかが直木賞です、気楽にいきましょうよ。

 当の中島さんは、直木賞のことをかなり自由な発想でとらえてくれているようで、なんだかホッとしました。

「直木賞は伝統のある文学賞で、懐の深い賞でもある。ベテラン作家に授与されることもあれば、私のようなものが受賞することもある。そうなるときっと、直木賞の意味合いも受賞者によって違うと解釈すべきだろう。(引用者中略)

 これからどんな作家人生が待ち受けるのか想像もつかないが、「とにかく、書く」ということで。後のことは、またまた運に任せるしかない。」(前掲「「とにかく、書く」ということで」より)

 直木賞は懐が深い!との指摘に、思わずうなずいてしまいます。

 まったくです。100人の直木賞受賞者がいれば、100通りの直木賞があるってわけでして。「直木賞とは、どんな賞か」と問われて、最も的確な答えは、「自由な賞である」というものでしょうから。

 受賞傾向も「自由」なら、受賞者の筆歴、作家としての歩みもバラバラ。とったあとの活動だって、当然、書いたっていいし書かなくたっていい。

豊崎(引用者注:豊崎由美) (引用者中略)わたしは中島さんが直木賞を受賞して、ほんとうによかったと思っているんです。大きな賞をとると、より書きたいものが書ける自由を得るという利点がありますから。

中島 そういえば山田詠美さんもすごく喜んでくださって、「実用的な賞だからとっておくといいわよ」とおっしゃっていました。

豊崎 その通り。これまで以上に書きたいものを書いてください。」(『書評王の島』4号[平成22年/2010年12月] 「ロングインタビュー「中島京子」ができるまで」より ―聞き手:豊崎由美、構成:石井千湖)

 そして、書けば書いたで、ワタクシらのような無責任な読者からは「濫作だ」「紙の無駄づかい」とあしざまに言われ、本が出なくなると「低迷」「地味」「忘れられた」と言われる。それもこれも全部含めての直木賞。何と魅惑的で心おどる事象なんでしょう!

          ○

 中島さんの場合、受賞後の記事の多くで、家族の存在が色濃く描かれた、っていうのも特徴のひとつでしょう。

 とくに、やはり姉・中島さおりさんとのハナシを差し挟まないわけにはいきません。直木賞を受賞するまでの道程のなかで、さおりさんとの関係が重要な節目となっているからです。

 人生ではじめて中島さんが触れた本は『あいうえお絵本』だったそうですが、これは、さおりさんがいたから出会えたものです。また小学校時代に、二人で「出版社ごっこ」で遊んでいた、っていうことが、よく知られることとなりました。

 中島さん「人生初の」長篇小説も、これまた最初の読者は姉さおりさんだったんだとか。

「高校時代に、人生初の長編小説を書き始め、大学生のときに完成させた。書き始めたのは高校二年生のときで、うっかりページを広げたままトイレに行くと、戻ってきたときに姉に読まれていたという失策をおかす。

 ところが、思春期三年間ほとんど口を利かなかった姉(当時大学二年生)が、「おもしろいからもっと書いて読ませろ」という。」(『オール讀物』平成22年/2010年9月号 中島京子「いつでもどこでも書いていた」より)

「私としては腹を立ててもいい状況なのに、「面白い」といわれたものだからめちゃくちゃうれしかったんですよね。「でしょ!」みたいな(笑)。

(引用者中略)

姉を通して読者を喜ばせる楽しさを知りましたしね。私、いまだに一人でコツコツ、誰にも見せないで書くのって駄目なんです。」(前掲『書評王の島』「ロングインタビュー」より)

 いつかは小説家になりたいと強く思いつつ、20代はライターやったり編集者やったりで日常の仕事に忙殺されて、小説を書くことから離れます。そこからもう一度、自分のやりたかった「小説を書くこと」に戻るときの場面にも、やっぱり頼れる姉さんが登場するわけです。

さおり なくちゃん(引用者注:京子の愛称)、たった一度だけ、「作家にならないかもしれない」と、こぼしたことがあったね。

京子 あった、あった。編集者生活を送りつつ30歳を超え、自分が自活の道を探って右往左往している間に、気がついたら同世代の女性作家がいっぱいデビューして、活躍してた。もう、私が入り込む余地はない、10年培った編集者としてのキャリアも捨てるのは怖いし、二足のわらじを履けるほど器用じゃない。そう話したら、ぱっちゃん(引用者注:さおりの愛称)別れ際、理解不能の面持ちで、「でも、小説家になってね」と捨て台詞みたいに。(笑)

さおり なんか茫然としちゃってね。私が心の底から「なくちゃんは小説家になって大成する!」と信じ続けてきたのは、一体なんだったの? と。

京子 ぱっちゃんは高校時代から書いてる私を知ってる唯一の人間でしょう。高校生の私に詰め寄られてるみたいな気がした。あのとき、このまま会社に居続けるのは、いちばんやりたかったことを諦めることだと思って、退職し、約1年間ぶらぶらしたの。そうしたら、また書きたくなってきて。楽しみながら仕上げたのが『FUTON』だったのよね。

さおり ようやくデビューしてくれて、そうそう、こうなのよ、こうなるはずだったのよって、嬉しかった。だって、私は20歳そこそこの頃から20年くらい「妹は作家になる」と思い続けてたんだから。」(『婦人公論』平成22年/2010年10月7日号 中島京子×中島さおり「仲良し姉妹対談 9歳の姉、6歳の妹で始めた、「出版社ごっこ」が作家の原点」より)

 何とまあ、鉄壁の信頼感! 思い続けた姉も姉なら、新人賞の応募などの手を頼らず、30代後半で自力で処女作出版への道をこじあけた妹も妹。よくぞデビューしました。涙、涙。

 先日のエントリーでご案内しましたように、山本一力さんの受賞で「よーし、おれも」「わたしも!」とやる気になる人もいるくらいです。きっと中島さんの受賞も、自身の行く先に悩む30代女性に大いなる励ましを与えたことでしょう(……って、知らないんですけど)。

 デビュー作の『FUTON』は、その発想も含めてちょっとした話題になりました。ワタクシが細々やっているサイトでは、直木賞になりそうな(あるいは、とってほしい)作品を投票してもらう「大衆選考会」なる企画があるんですが、当時、この作品を推薦してくださった人もいました。見ている人は、見ているものですなあ。

 その『FUTON』の構想にも、さおりさんが一枚噛んでいたそうで。

阿川(引用者注:阿川佐和子) 田山花袋の『蒲団』をベースにして書くという発想はどこから?

中島 姉がフランスに住んで長いので、日本語の活字に飢えるらしいんです。で、教科書で名前を見たことのある『蒲団』を読んで、「これ、面白い」って言うんですよ。それで私も読んだらすごく面白くて。」(『週刊文春』「阿川佐和子のこの人に会いたい」より)

 あなたも、子供のころからの夢をあきらめそうになったとき、どうしていっていいか悩んだときには、長年かたわらにいて、信じ続けてくれているお姉さんに、ぜひ相談してみてください。

          ○

 というのは冗談としまして。

 ただ、中島さんは直木賞選考会の当日、編集者たちに囲まれて発表を待つ「待ち会」を、断固ことわり、自宅でひとりで結果を待っていたそうですが、直木賞に接するこの場面でも、彼女のまわりには、姉のさおりさんや、あるいはご両親が存在感をもって描かれています。

 直木賞っつうのは、編集者や記者たちの騒ぎにもみくちゃにされがちです。このあたり、中島さん流の受賞光景といえるのかもしれません。

「文学界では「待ち会」といって、作家が親しい編集者と選考結果を待つ会を設けるのが慣例となっているようだが、それを頑なに「やりません」と固辞して一人で電話を待っていたのだって、期待と諦念の間、秒単位であっちへいったりこっちへいったりする動揺を人に見せたくないからに決まっている。(引用者中略)

「日本文学振興会です」という電話がかかってきてみると、思っていたのと勝手が違った。母親と姉と出張中のボーイフレンドに続けざまに短い電話をしたのだが、(引用者後略)(『読売新聞』平成22年/2010年7月22日 中島京子「直木賞を受賞した日 喜び湧く前 奇妙な時間」より)

 ここに登場するのは、ごく親しい人たちだけです。

 姉の子供2人は、叔母の受賞のために、自分たちなりの祈りを捧げてもくれていました。

「フランスに住んでいる姉一家が、夏休みを過ごしに東京・杉並の実家に来ている。十一歳の姪と八歳の甥は、叔母が直木賞候補になっていると聞いて、なにやら奇妙な祈祷を始めた。正座して、ちょんと拍手めいたものを一つ打った後で両腕を高く上げ、「中島京子様が」と、いきなり身内に「様」づけ。そして、体を折り、頭を床に擦り付けるようにして「ナオキショーをとりますように」と、唱える。

 姪と甥はこの祈祷のおかげで、叔母が歴史ある文学賞を授与されたのだと信じている。」(前掲「「とにかく、書く」ということで」より)

 ナオキショーが何だか知らないのに、それでも目いっぱい祈ってくれる。ありがたい二人です。

 そして、やはりこの方々にも登場していただかなければ場が収まりません。中島さんと姉に幼いときから、文章を読む環境、文章を書く厳しさを与え、教えてくれた両親です。

 直木賞候補となることが決まってから、マスコミに発表される前に、中島さんがそのことを伝えたのも、両親二人でした。

 いや、正確には母親に伝えただけです。しかし、認知記憶障害にある父親にも、伝わるように。

「直木賞候補になったとき、私は、賞を主催する日本文学振興会の方に「マスコミ発表があるまでは誰にも言わないで下さい」と釘を刺された。それでも誰かに言いたくて、実家の母に電話した。

「お母さん、私、直木賞の候補になっちゃった。でもね、これ、あと二週間くらいは内緒にしとかなきゃいけないの。だから、誰かに言いたくなったらさ、お父さんに言って。お父さんなら、すぐ忘れちゃうから」

 わかったと、母は言った。

 夕食時に、どうしても話したくなった母は、私に言われたとおりにこう言った。

「お父さん、京子が直木賞の候補になったの」「ほー。すごいな。ナオキショウって、なんだ」「小説の、立派な賞」「ほー。偉いもんだな」「まだ、誰にも言っちゃいけないんだって」「ほー」「だけど、お父さんにだったら言ってもいいっていうの。ほら、お父さん、すぐ忘れちゃうから」

 それを聞いた父は、何を思ったかうれしそうに胸を張り、言ったそうである。

「ほー。さすがは、お父さんだな!」」(『文藝春秋』平成22年/2010年10月号 中島京子「父のたわごと」より)

 忘れっぽい症状の中島父まで、直木賞を媒介にして、なんだか誇らしげな気分をもってくれたのですね。ああ、直木賞ファンとしては嬉しいの極みです。

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