山田詠美(第97回 昭和62年/1987年上半期受賞) あれだけ直木賞騒ぎで迷惑な思いをした人が、それでも文学賞を擁護してくれるのですよ。嬉しいなあ。
山田詠美。『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』(昭和62年/1987年5月・角川書店刊)で初候補、そのまま受賞。「ベッドタイムアイズ」でのデビューから2年。28歳。
いまだによく耳にする直木賞・芥川賞の感想をご紹介します。
――最近の直木賞・芥川賞は若い女の子ばっかりにとらせて単なる話題作りのイベントに堕した。
推測ですが、こう語ってしまう人の80%は、第130回芥川賞(平成15年/2003年下半期)のことを強烈に記憶しているのだろうと思います。そういう方には、「直木賞ってほとんど若い女の子は取ってませんよ」と諭してあげるのが効果的です。
ただ、19%の人は、それでは治癒しません。1980年代、林真理子さんや山田詠美さんが受賞した頃の、特異な直木賞の現象を、本気で「最近」と感じてしまっている方だからです。「30年以上も前のことを、“最近”で片づけるのは感心しませんね」と、根気づよく、時の流れというものを説明してみてあげてください。
残りの1%の人は……。誰かの言っている言葉を、ただ繰り返してみたいだけなのでしょうか。「直木賞・芥川賞を貶めるのってカッチョいい!」みたいな価値観に捕われて悦に入っているのかもしれません。相手にしないほうが賢明です。
しかし、ああ。文学賞そのものを馬鹿にする風潮はやむ気配がありませんぜ、ご同輩。悲しいですね。
そんな悲しむワタクシたちを喜ばせてくれる人がいます。
「世間の空気」ってやつに敢然と立ち向かう女。山田詠美さんです。
「選考委員って決して楽な仕事じゃない。最近ようやく選考の醍醐味というかおもしろさもわかってきたけれど、時間もかかるし、割に合わない仕事だと思うことも多いです。読むのは本当に真剣だし、フェアであることを自分に課せられますしね。コネとか画策とか何もなくて、いいものだけをちゃんと選びたくてやってますから。だから、選考委員なんて偉そうだとか、文学賞選考について文句を言う人たちに対して頭にくる。」(平成19年/2007年7月・文藝春秋刊 河野多惠子・山田詠美・著『文学問答』所収「文壇とは何か?」より ―初出『文學界』平成14年/2002年11月号)
いいですねえ。山田さんは、文学賞とそれにまつわる海千山千の経験をいっぱい積んできました。その人が、いま文学賞の側に立って、文学賞をネタにした妄想だらけの遊び方にビシッと喝を入れてくれる、という。
しかも一、二度、さらっと嫌味っぽく言っておしまいではありません。ひんぱんに文学賞の大切さを語ってくれています。まったく稀有な存在です。
たとえば、景山民夫さんと直木賞をからめて、こんなことも書いてくれていました。景山さんが受賞したとき、
「私は確か、お祝いの言葉の代わりにこんなことを言った筈だ。
「私たちが直木賞作家だなんて笑っちゃうと思わない?」
今でも笑っちゃう。ただし、直木賞そのものを、ではない。賞をいただくのは楽しくて素敵なことだと思う。笑ってしまうのは、これを権威と思うある種の人々が大勢存在するということだ。誉めたたえるにしても、揶揄するにしても、だ。権威が小説を書くのに役立ったことはない。私は、直木賞受賞者に、もし特権があるとすれば、そのことを知ることが出来る、それに尽きると思う(もちろん、本が売れる、とか、仕事が選べる、とか物理的に便利なことは、いくつかあるが)。それなのに、それに気付かない奴らが、どれ程いることか。賞は、有効活用すべきであるが、それは創作時においては、まったく無効であるという事実を、実は作家の内でも知ろうとしない人は多い。」(平成11年/1999年8月・新潮社刊 山田詠美・著『エイミー・ショウズ』所収「Did You See That Moon? 景山民夫『普通の生活』」より ―初出『普通の生活』平成6年/1994年6月・朝日文芸文庫)
この文章が書かれたのは20年弱前ですけど、山田さんの指摘は、たぶんいまでも有効です。そしてワタクシは、いつまで経っても続いている、世の文学賞叩きに、笑っちゃっています。
笑っちゃいませんか。いつの時代でも、けっきょく同じような騒ぎになっちゃう面白さ、と言いますか。
ただし、「賞にまつわるお約束の騒動」はおおむね芥川賞が担ってきました。その点、直木賞ファンとしては少し寂しくも思います。
そのなかで、1980年代は特異でした。山田詠美さんと、先輩・林真理子さんが、直木賞の場に騒ぎを持ち込んでくれたのです。ほんとうに感謝せざるを得ません。
文芸記者以外のマスコミ陣を、数多く直木賞のほうに引き連れてきてくれました。ほんと、マスコミの人たちって面白いですからね。『朝日新聞』編集委員の黛哲郎さんは、山田さんの直木賞会見の様子を、「テレビの芸能番組の方がふさわしい扱い」と形容したりしました。
「文学賞がマスコミの脚光を浴びるようになって久しい。とりわけ芥川賞・直木賞はテレビの芸能番組の方がふさわしい扱いで、今回直木賞を受賞した山田詠美さんなどは、タレントなみの騒がれ方。受賞決定の記者会見の席では「これが文学賞だろうか!」といぶかる文芸記者もいた。
いまやそういう時代なのだ、ともいえようが、それで済ましていられるか。」(『朝日新聞』昭和62年/1987年8月16日「わたしの言い分 文学賞の変質と今の文学 安岡章太郎さん」より ―聞き手:黛哲郎編集委員)
嬉しいなあ。何が嬉しいといって、記者会見でいぶかった文芸記者たちに負けず劣らず、黛さん自身が、直木賞と芥川賞を前にして、ムズムズしちゃっているからです。だって「それで済ましていられるか」ですもん。そんな言葉は、文学賞になにがしかの幻想を抱いていないと、まず出てきません。
なぜか直木賞のことを、日本文学の行く末を支配するほどの強力な審判機構だと見なす幻想。楽しいですね。そういう馬鹿バカしい幻想、ワタクシ、嫌いじゃないです。
で、そういう幻想が広がっていきますと、山田さんの直木賞受賞を紹介するに当たって、こういう文章を書いてしまう事態になります。
「直木賞という由緒ある文学賞が山田詠美のような大胆な小説家に授与されたことに対して、もちろん少なからぬ反対者が出てきたのも事実である。例えば、芥川賞受賞者の安岡章太郎は、これを文学界の堕落と商業化と非難した。」(平成19年/2007年3月・鼎書房刊 原善・編『現代女性作家読本9 山田詠美』所収 楊偉「山田詠美の文学世界」より)
え。ほんと?
安岡さんがどんな非難をしたかは知らないですけど(ちなみに先の『朝日新聞』インタビューでは安岡さんはそんな非難はしていません)、山田さんが大胆な作家だからといって、由緒ある直木賞だからといって、その授賞に反対した人なんて本当にいたんですか。少なくとも、当時の新聞紙や週刊誌を見るかぎり、みんな面白がっているように読めますけども。
失礼。「面白がっている」は適切ではなかったかもしれません。言い換えます。「山田詠美という特異なキャラクターを使って、直木賞をもてあそんでいる」人たちが、たくさんいたと思います。
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