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2012年1月29日 (日)

山本文緒(第124回 平成12年/2000年下半期受賞) 直木賞の候補になりそうにない本は意識的に出さないようにしていたとは。おお。ダークだ。

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山本文緒。『プラナリア』(平成12年/2000年10月・文藝春秋刊)で初候補、そのまま受賞。「プレミアム・プールの日々」でのデビューから13年。38歳。

 ここ数年の直木賞(いや、芥川賞)は、受賞者の記者会見がキーポイント。……だそうでして。11年前、平成13年/2001年1月の第124回のときにも、当然、記者会見は行われていました。

 このときもひとりの記者が、会見の様子に苦言を呈しました。いまではあまり知られていないはずですので、ご紹介しておきます。

「芥川・直木賞の最近の受賞者を見ると、ダブル受賞が相次ぎ、盛況だ。ただし、文芸書の不振を反映してか、受賞者の会見にはいまひとつパワーが感じられない。

(引用者中略)

 直木賞は重松(引用者注:重松清氏と山本(引用者注:山本文緒)氏がおおかたの支持を集めた。二人とも活躍は間違いないだろう。重松氏は、師の中上健次を意識してか、「まいっちゃった。僕の考える作家は、少なくとも僕ではないよ」と座りごこち悪そうに語るし、山本氏も「文壇では私はまだヒヨっ子」と謙そん。二人とも売れっ子なのだから、作家としての自負をもっとみせてほしかった。」(『日本経済新聞』平成13年/2001年1月20日「文化往来 芥川・直木賞の受賞者会見、迫力足らず」より)

 まったくもう。この日経の無署名子は、たかが文学賞の記者会見に何を期待しているのだか……。さらに「記者会見が波乱なく済んだこと」を語るのに、なぜか「文芸書の不振」を持ち出したりして。何の因果関係もないに決まっている二つの事象を、よくもまあ強引に結びつけるよなあ。ほとほと感心します。

 いや、そんなことはどうでもよくて、ですね。

 山本文緒さんです。直木賞を受賞してまで、謙虚だ何だと文句を言われた山本さんです。わずか11年前の出来事でした。しかしそれ以降の短い間にすでに、聞くも涙、語るも涙の、山あり谷ありの作家人生を築いてきているのは、はい、ご承知のとおりです。

 何でしょう。直木賞をとったのだから、一層活躍してくれるかと思えば、小(?)休止。トントントーンとステップアップしていきそうに見えたのですが、一歩、二歩戻ってからの再出発。山本さんに「直木賞」の物差しを当ててみると、前進しているのか止まっているのか、何ともわからない、イライラもじもじする感じが漂ってきて、しかたありません。

 と思っていたら、何だ、山本さんご自身がこう書いてくれているじゃありませんか。

「新連載です。日記エッセイです。うっかりやるって言ってしまったので、こうして書いています。過去の私はだいたいにおいてうっかり者で、現在の私は常にその尻ぬぐい。(平成19年/2007年5月・角川書店刊 山本文緒・著『再婚生活』「人恋しいのか違うのか」より 太字下線は引用者によるもの)

 過去の自分が思ったこと、考えたこと、発言したことを、どんどん忘れて前進していける人もいるんでしょう。でも、山本さんはどうやら、そうではないようです。前の自分を捨てておけない。つい振り返らざるを得ない、そんな歩み。

 ええ、山本さんご自身、「過去を振り返り慣れている」とも言っています。

「作家の仕事というのは「過去を振り返る」という作業が案外多いです。(引用者中略)エッセイの依頼がくれば、やはり過去にあった出来事などを書くことが多いです。そう考えると、なんだか後ろ向きな仕事です。」(平成21年/2009年2月・角川書店/角川文庫 山本文緒・著『かなえられない恋のために』「まずはここからお読みください」より)

 どうしたって山本文緒さんとくれば、「振り返り」が付いてまわるようです。前を見るより、後ろに目を向けてしまう、という。

 そうですか。じゃあ、ここはひとつワタクシも、今日は山本さんと直木賞のことを振り返らせてもらうことにしましょうか。……って、今日にかぎらず、いつも振り返ってばかりいますけど。

 さて。山本さんといえば、「なぜ直木賞を意識するようになったか」問題、っつうのがあります。山本さんにとって直木賞とは、ある日突然天から降ってきた贈り物、などではありませんでした。

「直木賞候補はこの仕事を始めた時の私の夢であり、ここ数年の目標だった。私は何が何でもそれが欲しかった。誰を傷つけようと誰に嫌われようと、直木賞の候補になってみたかった。誤解を恐れずに言うと、欲しかったのは「候補」で「受賞」ではない。いや、もちろん受賞したいから候補になりたいわけだが、受賞は時の運である。でも候補までは努力でいけるかもしれないと希望をもっていた(というか希望をもつしかなかった)。」(平成16年/2004年4月・文藝春秋刊 山本文緒・著『日々是作文』所収「愛憎のイナズマ」より ―初出『オール讀物』平成13年/2001年3月号)

 疑問に思います。なぜ「直木賞」だったのでしょうか。なぜ他の賞は「夢」や「目標」たりえないのでしょうか。そこがワタクシは知りたい。

 直木賞を目標に定めた時期についてならば、山本さんは、こう答えてくれていました。

Q21 「直木賞をとる」と決めたのはいつでしたか?

吉川英治文学新人賞をいただいたら、周りの編集者から「次は直木賞ですね」と言われるようになって。とれば言われずに済むという一心で。」(『ダ・ヴィンチ』平成13年/2001年6月号「今、山本文緒が読まれる理由 山本文緒への31の質問」より)

 ふうむ。山本さんは「次は直木賞ですね」の言葉に、がぜん興奮してくれたからいいんですけど、やっぱり疑問が残ります。どうして吉川新人賞では駄目なのでしょう。まわりの編集者たちに聞いてみたいですよ。……とか問うと、自分に跳ね返ってきそうですけど。

 けっきょくのところ、なぜ直木賞じゃなきゃ駄目だったのかは、よくわかりません。

 わからないんですが、山本さんは直木賞をとるために小説を書く道を選択してしまいました。過去、いろんな人が罹ってきた直木賞病の患者のひとりに、山本文緒さんもその名を刻むこととなったわけです。

山本 直木賞ってホントに化け物か魔物のような賞で、ここ二年ぐらい囚われてしまってたんです。(引用者中略)こういう文学賞とは関係ないところで小説を書いているんだと思っていたけど、一昨年の春に『恋愛中毒』で吉川英治文学新人賞をいただいた瞬間、手の届くところにブドウがあったことが分かって。で、吉川ブドウの上に、もうちょっとおいしそうなブドウがあるなと(笑)。

(引用者中略)

阿川(引用者注:阿川佐和子) 直木賞という目標を決めたことによって、書くことが定まったところはあったんですか。

山本 絶対直木賞の候補にはならないだろうなという本はしばらく出さないでおこうというダークな気持ちが……。ごめんなさい(笑)。」(『週刊文春』平成13年/2001年2月15日号「阿川佐和子のこの人に会いたい 山本文緒 コメカミの血管が切れそうなほど直木賞が欲しかったんです」より)

 ダークなダークな文学賞の世界。

 それまでも、登場人物たちのダークな心理が売り(?)だった山本さんが、ダークな文学賞に惹かれたのだそうです。おお。直木賞そのものが好きな人間からしてみれば、たいへん好ましく、楽しい状況ですよね。文学賞嫌いの、山本文緒ファンからは、石を投げつけられるかもしれませんけど。

          ○

 文学賞みたいなイビツな世界のハナシをしていたら、何だか室内が濁ってきましたね。ちょっと空気を入れ替えましょう。時間を巻き戻します。

 まだ文学賞が山本さんの目の前にチラつき始める前のことです。いち早く、彼女の作品に注目して、背中を押してくれた人がいました。北上次郎さんです。

 山本さんは昭和62年/1987年にコバルト・ノベル大賞の佳作にひっかかりデビュー。順調にコバルト作家として小説を書きつづけていたのですが、3年ほどするうちに、売り上げが下がっていき、次の策を考えなくてはならない場面に陥ります。

「仕事は続けてあるし、収入も安定していた。何も問題はない。このままずっとこの調子でやっていけると何の根拠もなく、漠然と思っていたのだ。

 でも、調子のよさは続かなかった。だんだん本が売れなくなってきたのだ。

 文学少女だったわけでもなく、小説についてちゃんと考えたこともない私は壁にぶつかった。そこでやめてしまうという選択もあった。(引用者中略)でもその時、私は初めて「ちゃんとした作家になりたい」と心の底から思ったのだ。」(平成20年/2008年2月・角川書店/角川文庫 山本文緒・著『そして私は一人になった』「十二月――甘やかすのも私、追い詰めるのも私」より)

 そこで平成4年/1992年に一般文芸に進出。宙出版から『パイナップルの彼方』を刊行しました。まだコバルト界隈でしか名前の知れていなかったこのころ。すでに北上次郎さんは、山本さんの力量を認め、褒め称えたのです。

唯川恵に対してジュニア小説作家という先入観を持っているわけではないことは書いておく。というのは一方に、同じコバルト・ノベル大賞を受賞した山本文緒という作家がいる。最近刊行された『パイナップルの彼方』という初めての〈大人向け小説〉で見せたこの作家の力量には目を見張るものがある。自分の言葉で、既成の概念に寄りかからずに語ろうとしている山本文緒の姿勢は評価しなければならない。」(『海燕』平成4年/1992年3月号 北上次郎「文芸時評 小説を読むということ」より)

 それでも山本さんの小説はなかなか売れなくて、背水の陣で『あなたには帰る家がある』を書きます。これも北上次郎さんはじめ、『本の雑誌』の気に入るところとなり、大プッシュしてくれました。

編A(引用者注:浜本茂) 欠点はありますけど、作者の意欲がひしひしと伝わってくる『あなたには帰る家がある』かな。

編長(引用者注:椎名誠) なんだ、それは?

発人(引用者注:北上次郎=目黒考二) 説明が難しいんだよ。とにかく不思議な才能なんだ。こういう小説はぜひとも評価したいね。」(『本の雑誌』平成7年/1995年1月号「特集 1994年度ベスト10」より)

 ってことで、「本の雑誌が選ぶ1994年度ベスト10」の第3位にランクインします。

「アルバイトをやめ、私は実家に住まわせてもらって『あなたには帰る家がある』という本の執筆に集中した。これが駄目だったら、もうアルバイトではなくちゃんと就職しようと覚悟を決めた。結果として本はそれほど売れなかったが、私にしてみれば天にも上るような評価を受け、出版社からの依頼もぼちぼち増えて、私は就職しないで済んだ。」(前掲『日々是作文』所収「人に言えない職業」より ―初出『小説トリッパー』平成11年/1999年秋季号)

 『あなたには帰る家がある』から、『恋愛中毒』で吉川新人賞をとるまでが3年少し。2~3年のスパンで、山本さんをとりまく出版界の状況、と言いますか評判は、どんどん変わっていったのでした。

 いまさら言ってもしかたのないことですが、ここでワタクシは思うのです。直木賞がもうちょっと機敏で、さくっと動ける若々しさを持っていたなら、もうそのころには、山本さんを候補に挙げるチャンスはあったんですよねえ。

 しかし例によって例のごとく、です。直木賞の腰の重さが、このときも発揮されてしまいました。先に吉川新人賞が手をつけたことで、まわりの編集者たちが真っ赤な顔して「次は直木賞!次は直木賞!」と煽り立ててしまい、その結果、要らぬ直木賞病を、山本さんに体験させてしまうことになりました。

 あたりを見渡して、あとから悠然と表われるこの感じ。小憎たらしいと言いますか。直木賞が嫌われる一つの理由かとも思います。

          ○

 吉川新人賞から直木賞まで2年間。山本さんが直木賞を「目標」にしたダークな2年間は、いったい山本さんに何をもたらしたのでしょう。

 とまどうほどの異常な騒ぎと、虚脱感だったみたいです。

村岡(引用者注:村岡清子) 受賞して、何か心境の変化はありましたか?

山本 いや、なんか第一志望の大学に合格した大学生の五月病のようになってしまって。ほら、恋人とかいない時って、彼氏さえできれば何もかもうまくいくような気がしますよね? ちょうどあんな感じで“直木賞さえとれば何もかもうまくいく”という幻想にとりつかれていたらしい。で、とってみたら、もちろん何も解決しなくてかえって自己嫌悪に(苦笑)」(前掲『ダ・ヴィンチ』「今、山本文緒が読まれる理由 山本文緒作品の魅力 ロングインタビュー」より)

 ははは。笑っちゃいけないでしょうけど。そうなんでしょうねえ。

 そして、山本さんはいつだって悩みます。直木賞騒ぎの渦中においても、やはり山本さんは山本さんでした。それまで以上と言っていいほど深刻に、徐々に静かに悩みを深めていった、と。

「当時、「こめかみの血管が切れそうなほど欲しかった」賞を獲得し、静かだった環境は激変した。

「まず仕事量が増したし、電話とFAXがじゃんじゃん鳴って、その対応だけで1日が終わりました。私は内向的で家にいるのが好きだから書いているのに、急に外交性を求められても荷が重くて……。その部分で『自分の器じゃない』と感じたし、私は文学少女でもなく、物語をつくることはできてもそれが文学的にどうかと問われると自信がない。受賞はうれしさ40%、怖さ60%で、いろんな意味でキャパオーバーでした。」(『クロワッサン』平成23年/2011年3月25日号「わたし きのう きょう あした」より)

 直木賞をとるまでの自分。とったときの自分。とってからの自分。いったんは仕事から遠ざかった山本さんでしたが、数年前からまた、それらを振り返り、書きつづることを始めました。

 エッセイ集の刊行に際して、過去の自分について今の自分が語る、みたいな文章をどうしても加えずにはいられない……。振り返る女・山本文緒の姿は、健在です。

「ここには三十一歳の私がいました。感慨ですよ。感慨。いやはや三十一歳の、離婚したばかりで仕事もお金もほとんどなくて、実家に寄生するしかなかった私に、こっそり教えにいってあげたいですよ。そのうち吉川英治文学新人賞と直木賞をとれるよ。引っ越しの度に部屋が広くなるよ。三十九歳には再婚までしちゃうよ。でも気をつけないと体重が十キロ近く増えちゃうよ。三十四歳のときにイタい失恋をするよ。直木賞とったからって浮かれていると、うつ病で入院することになるよ。言われたところで信じないに違いないが、三十一歳の私。」(前掲『日々是作文』「まえがき」より)

 山本さんは10年後、20年後、30年後、直木賞のころのことをどんなふうに振り返ってくれるのかなあ。直木賞ファンであり、振り返りファンでもある(そんなのあるのか?)ワタクシは、楽しみを胸に抱えながらワクワクしています。できれば、そのときは、むちゃくちゃダークな振り返り、お願いします。

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