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2011年8月の4件の記事

2011年8月28日 (日)

金城一紀(第123回 平成12年/2000年上半期受賞) カッコよさとカッコ悪さの勝負。どちらに軍配が上がるか。

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金城一紀。『GO』(平成12年/2000年3月・講談社刊)で初候補、そのまま受賞。「レヴォリューションNo.3」でのデビューから2年。31歳。

 「直木賞作家はなぜか自信家でビッグマウス」。っていう川口松太郎以来の伝統を忠実に受け継ぐ男、金城一紀さんです。

 金城さんの直木賞受賞から、まだ10数年しかたっていません。なのでこの先、どのような勝負結果になるかは、まだわかりません。

 ……勝負。そうです。金城一紀 VS. 直木賞、の壮絶な闘いのことです。

 カッコよさとカッコ悪さとの闘い、と言い換えると少しはわかりやすいでしょうか。

 金城さんの小説『GO』は、「カッコいいってのはこういうことだろ?」と、カッコよさの価値観を読者に問いかける物語になっていました。

「世界の、どんな文化圏の人も心を動かされるものはカッコいいし、特定の地域でしか通用しないものはカッコ悪い、そういう基準。

 主人公に求めたカッコよさにしても、そういうことなんです。」(『週刊ポスト』平成12年/2000年9月1日号「POST BOOK WONDER LAND 著者に訊け!」より 構成:橋本紀子)

 カッコいいですね。マジョリティもマイノリティも超越する。純文学も大衆文学も線引きしない。小説も映画も表現方法にこだわらない姿勢。

小熊(引用者注:小熊英二) 貼られたレッテルに逆らうというかたちで、逆にそれに縛られてしまうというのは、もっとつまらないでしょう。僕は金城さんのいろんなインタビューを読んで、「在日じゃない、コリアン・ジャパニーズだ」とか、「純文学じゃなくてエンターテインメントだ」とか言っているのをみて、気持ちはわかるけど、なんか逆にそれに囚われないかなというのが、ちょっと心配だったんだけど。

金城 そう。だからそれがわかっているから、もう「コリアン・ジャパニーズ」もやめようという。」(『中央公論』平成13年/2001年12月号「それで僕は“指定席”を壊すために『GO』を書いた 対談・金城一紀×小熊英二〈在日文学への挑戦〉後篇」より)

 誰かに決められた枠組みのなかで生きるのは、カッコよくないぜと。そう考えると、金城作品の、いや『GO』っていう作品の、いちばんカッコ悪い点は、直木賞を受賞したことなのじゃないか、と思ってしまうわけです。

 だって「特定の地域にしか通用しない」とか言われたらねえ。文学賞なんて、それそのものじゃないですか。文学賞をとった作品と、候補で落ちた作品、候補にすらならなかった作品、といった尺度で小説を語るのは、ほんとダサい。カッコ悪いですよね、peleboさん。

 金城さん自身、「流行語は嫌いです」と言っているぐらいの方です。おそらく、みんなが話題にしている、という理由だけで小説を読んでしまう、多くの直木賞受賞作読者の行動も、きっと嫌いでしょう。カッコ悪く見えるでしょう。

 本来、『GO』の世界にどっぷり親近感をもつような読者は、老齢で偉そうにふんぞり返っている選考委員たちとか、「直木賞受賞」の帯が付いただけで手を伸ばす人が一気に増える世界とか、そういうカビくさい固定化した直木賞を、嫌うものじゃないんでしょうか。権威とか伝統とか猿芝居とか、そういうものを唾棄するものじゃないんでしょうか。

 でも、残念なことに、彼らの好みに反して『GO』は「直木賞受賞作」っていう、重苦しくてカッコ悪い看板を背負ってしまいました。

 みんなの悪役、渡辺淳一さんがイのいちばんに『GO』を激賞して、一票を投じているわけですし。

 直木賞をとってしまったがゆえに、こんな言いがかりを付ける人間まで現われてしまいます。それもこれも「直木賞」っていう穢れた存在があるせいです。

「金城一紀については、受賞作が実質的なデビュー作であるため、断定は控えたいが、大した作家にはなりえまい。前回の芥川賞受賞者の一人が、玄月という在日朝鮮人作家だったのと相即して、直木賞でも在日韓国人作家を入れておこうといった配慮がもたらされた受賞といえよう。(引用者中略)

 いうまでもなく、前回の芥川賞と今回の直木賞に在日コリアンが受賞したことは、日本にもいわゆるクレオール文学、ポストコロニアル文学の波が押し寄せてきた証左ではある(引用者中略)。にもかからわず、それが韓国や台湾の映画や音楽、芝居といったサブカルチャーの水準に遠く及ばないところに、日本の現代文学のレベルの低さが露呈している。」(『VERDAD』平成12年/2000年8月号「タガが外れた「文学」の“延命装置” 大盤振る舞いされた今年度上半期の芥川賞・直木賞」より)

 ワタクシ自身はカッコいいものよりカッコ悪いもののほうが好きです。なので、『GO』よりも、この無署名子の遠吠えふう文章のほうに心を寄せてしまうのですが、まあ、それはそれとして。

 金城さんが、直木賞のカッコ悪さを振り払って、ゆくゆくは著者紹介のどこにも「直木賞受賞」の文字が登場しなくなり、「文学賞基準で作家を語らなくなったのは金城一紀から始まった」とか、「いまの直木賞が続いているのは、むかし金城一紀がとったおかげ」とか、そんなふうに言われる未来は、楽しいでしょうね。

 いますぐは無理です。当分、無理な雰囲気です。直木賞ってやつもなかなか強敵。そのドス黒い力はしぶといですからねえ。

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2011年8月21日 (日)

長部日出雄(第69回 昭和48年/1973年上半期受賞) 受賞はまず無理だと思われていた作家の、きらびやかさとは無縁の受賞。

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長部日出雄。「津軽世去れ節」「津軽じょんから節」(昭和47年/1972年11月・津軽書房刊『津軽世去れ節』所収)で初候補、そのまま受賞。「あゝ断餌鬼」での小説家デビューから3年半。38歳。

 直木賞が決まる前に受賞作を予想する。これ、浅はかな行為です。

 その行為のなかでも、「はじめて候補になった人だから、たぶん受賞しない」と予想すること。さらに浅はかです。

 今、当ブログでは「初候補で受賞した作家」を集中的に取り上げています。なぜか。「ほら直木賞には、はじめて候補になった人が受賞した例はこんなにあるんだぜ」と毎週調べつづけることで、浅はかな自分を嘲笑うためだ、と言っても過言じゃありません。

 長部日出雄さんの『津軽世去れ節』所収の二篇。これもまた、周囲の人からは「たぶんとれないだろう」と思われていた受賞作のひとつです。

「長部日出雄の作品「津軽世去れ節」「津軽じょんがら節」が、直木賞の候補になったと知ったとき、嬉しかった。

 その作品は立派なもので受賞の値打ち十分とおもったが、しかしそれが実現するとは考えていなかった。なぜなら、直木賞の場合、はじめての候補作品が受賞するという例は、あまり無いからだ。競馬でいえば、穴馬というところか、とひそかに期待はしていた。」(昭和57年/1982年9月・潮出版社刊 吉行淳之介・著『甲羅に似せて わが文学生活1971~1973』所収「長部日出雄の乱れ酒」より ―初出『週刊読売』昭和48年/1973年8月4日号)

 いや、事実として「あまり無い」なんてことはありません。なのに、吉行さんほど文壇に精通した人まで「あまり無い」と感じてしまっています。ほとほと直木賞ってのは、小悪魔ですのう。

 なぜ、長部さんの場合、受賞の芽はほとんどないと思われていたのでしょうか。おそらく、だいたい現代の直木賞予想と似たような理由です。一、著者はじめての創作集だから。二、版元が「文春・新潮・講談社」トリオ以外の本だから。

 しかし、そういう浅ーい考えの予想子は吹きとばされました。昭和48年/1973年7月17日、選考会当日。「津軽世去れ節」「津軽じょんから節」は、選考委員たちからほぼ満票を得て受賞してしまうのです。

 長部さんの受賞周辺には、やけに「反・主流」めいた空気が漂っています。無理だと思われていた予想を覆しての受賞、っていうのもそのひとつ。他にも、そもそも長部さんが小説の舞台に津軽を選んだ動機からして、反・主流です。

「弘前へ帰ったのは、すこぶる実利的な理由からである。一昨年の夏からわたしは小説を書き始めた。小説といっても、純文学ではなく読み物(娯楽小説)で、読み物作家には、たとえばエロチシズム、現代風俗、ミステリー、時代物……といったような得意のレパートリーを持つことが必須の条件なのに、こっちは東京に十数年暮らしていても、つき合ったのはやや時代遅れの無器用な男ばかりで、現代の尖端を行く風俗には縁が薄く、ましてエロチシズムともなると、あまりに縁が遠すぎて、まるで雲をつかむようである。

 いちおうユーモア小説という看板を掲げてみたものの、それだけではどうも心もとなくて、そうだ、あの明るい笑いと暗い哀しみ、ジョッパリとエフリコギ、甘えとその反動である僻み、拗ね、ひねくれ……などの複雑な要素が混然となっている津軽の風土を自分のフランチャイズにしよう、と考えたのが帰郷の動機だった。それに、自分のこれまでの雑文稼業を小説一本にしぼろうと思ったことと、いまの娯楽小説の舞台が、都会に集中しすぎているように思ったこともある。」(昭和49年/1974年6月・津軽書房刊 長部日出雄・著『津軽空想旅行』所収「津軽に住んで……」 ―初出『東奥日報』昭和46年/1971年4月)

 70年代に「ユーモア小説」でやっていこう、と思いつくなんて、天然な時代遅れ坊やですよなあ。自分のレパートリーとなるジャンルを探すに、あえて売れている路線を外して津軽に行きついている、という。

 そして、大学時代の先輩、『小説現代』大村彦次郎編集長からの期待を存分に受けて、同誌に精力的に作品を発表。

 長部の津軽モノといえば『小説現代』。ちゅうぐらい書き継いで、さてその作品集を出すにあたって、講談社ではなく津軽書房を選んだ長部さんの感覚たるや。そうです。講談社からの打診を断って、みずから津軽書房を選んでしまうのです。これを、反・主流といわずとして何といいましょう。

「わたしは当時「小説現代」編集長だった大村彦次郎さんに小説を書く場を与えられた人間であるので、最初の創作集は講談社から出すのが筋であるとおもわれ、実際に講談社からもそういう話があったのだが、わたしはもっと自信の持てる作品ができるまで「もう少し先にして下さい」と担当の編集者に待ってもらっていたところだった。

 小説を書くことを職業にしたいとねがっている人間が、最初の創作集を、中央の大出版社と、地方の小出版社の、どちらかから出せる機会があったとしたら、前者のほうを選ぶのが普通ではないだろうか。けれども二年半ほど住んだ弘前から、また東京に戻ってしばらくしたころ、あるとき直感的に、「そうだ、津軽を舞台にして書いたものをまとめて、津軽書房から第一創作集を出して貰おう」とおもいついたのは、一体どういう心理の働きであったのだろう。

(引用者中略)わたしのなかには山を掘り当てるのに、人が大勢集まるところよりも、あまり人のいないところへ行こうとする、あるいは確率の高いものよりも、むしろ低い(したがって的中したときに得られるものの倍率も高い)ほうに賭けてみようとする、津軽人風の反抗的なジョッパリの気分が動いていたのかも知れない。」(昭和54年/1979年8月・津軽書房刊『年輪―津軽書房十五年―』所収 長部日出雄「継続は力なり」より)

 そして、長部さんは言うのです。その直感は、このときばかりは正鵠を射ていたことになった、と。

「文壇に詳しい人たちが、もしも入れば大穴を予想していたのに、その作品集が直木賞を受けることになったのには、津軽書房から出したことも、重要な因子のひとつになっていたのに違いなかったのだから――。」(同「継続は力なり」より)

 重要な因子のひとつ? ほんとうですか。『津軽世去れ節』がもしも講談社から出ていたら、どのくらいの割合で、直木賞候補に残らず終わってしまったんだろう。時間を巻き戻して検証してみたいですよなあ。無理ですけど。

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2011年8月14日 (日)

ねじめ正一(第101回 平成1年/1989年上半期受賞) 暴力的詩人から人情派小説家への転身。計算なのか、はたまた天然なのか。

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ねじめ正一。『高円寺純情商店街』(平成1年/1989年2月・新潮社刊)で初候補、そのまま受賞。同連作「天狗熱」での小説家デビューから3年。41歳。

 「直木賞をとれるかどうかは、“人柄”で決まる」。と名言を吐いたのは石田衣良さんでした。……あれ、ちょっとニュアンス違っていたかな。

 で、人柄といえば、ねじめ正一さんです。……んん?

 ねじめさんが直木賞を受賞した直後に、こんな「ねじめ正一」評が書かれました。それを読んで、つい人柄のハナシが思い浮かんでしまったわけです。

「察するに、ほとんど本を読まず、何事につけ徒手空拳のおももちで応ずる彼は、それこそ長嶋(引用者注:長嶋茂雄)にも似た「動物的なカン」に恵まれており、加えて、彼の人柄のよさのようなものが、その「カン」を存分に生かす方向に働いているのかもしれない。

(引用者中略)

少なくとも、その人品のよさが彼の今日と無縁であるとは断じがたい。この点は、先の〈糸圭〉(引用者注:糸偏に圭の字。以下同)秀実をはじめ、ねじめと接した数多くの者たちが異口同音に認める事実なのだが、(引用者中略)本質的に人に憎まれることのないその人柄は、今回の小説にもたくまずしてよく現われていよう。まことに、「文ハ人ナリ」であって、直木賞の選考委員たちもきっと、この小説の文章に滲みだしている彼の人柄にホロリとさせられてしまったのだろう。」(『中央公論』平成1年/1989年9月号「人物交差点 ねじめ正一」より 署名:(渡))

 ええ、ええ。何つったって、それまでのねじめさんには強烈なイメージが刷り込まれていました。「人柄にホロリ」とは真逆のような執筆活動。ふんどし姿で詩を読んだり、地味な詩壇のなかにあって広く顔を売ってひんしゅくを買ったり。うんこやセックスを連発する目立ちたがり屋。

「じつのところ氏は、“詩の芥川賞”といわれるH氏賞を受賞している、その世界の実力者。“詩壇の古舘伊知郎”として雑誌の対談、ラジオのDJ、テレビの討論会にと、神出鬼没または支離滅裂に、あの顔を出しているのだ。(引用者中略)

友人である作家の高橋源一郎氏が「本人が芸人に憧れていたと言っているように、客へのサービス精神にあふれた詩人です」というとおり、

〈うんこにつるっこつるっこしてころんだデショー……〉(『うんこ差別』より)

 なんていう詩も得意技のひとつ。で、この調子の小説で直木賞かといえば、さにあらず。

 受賞作となった初の小説『高円寺純情商店街』(新潮社刊)は、その名に偽りもない、しみじみほのぼのムードの人情物。」(『週刊文春』平成1年/1989年「新直木賞作家 笹倉明・ねじめ正一 2人のわが詩、わが放浪」より)

 ただでさえ、直木賞は重苦しいもの、地味なもの、心に染み入るもの、あたりが有利な賞です。青島幸男さんもそうでした。ムチャクチャな芸風で知られる人が、そっと人情物なんか書いちゃうと、ギャップゆえにプラスオンの評価に転じてしまったりすることがあります。

 不良っぽいヤツの、なにげない優しい言葉にコロリと参るとか。馬鹿ばっかりやっているヤツの、ふと見せる真面目な態度にキュンとするとか。それと似たようなもんでしょうか。

 じっさい、一説によると、直木賞とは「変化」に対して与えられる賞である、と言われたりします。

 たとえば直木賞は、別の分野で活躍していた人が小説家に転じて実力を発揮した作品に与えられたことがあります。あるいは、作家として何年も歩んできた人がそれまでの作風をガラリと転換して別の顔を見せた局面で与えられたことも多い。そういう例を指して「変化」に対して与えられる、と言われているわけです。ねじめさんの場合も、その一例に数えられるでしょう。

 ねじめさんは、詩から小説への「変化」でした。

 詩、といっても、世の中にはいろんな種類の詩があります。ねじめさんの場合は、

「詩の方は、広告コピー、商品名も織りこんで、日常言語を暴力的、破壊的に駆使する。ロックで詩を読むパフォーマンスでも知られる。」(『朝日新聞』平成1年/1989年7月14日「ひと ねじめ正一さん 第101回直木賞を受賞」より 署名:由里幸子)

 暴力的で破壊的。これがキャッチフレーズです。

 ともかく彼のまわりは、昔から何だかにぎやかでした。たとえば、詩人として俄然名を知られるようになった昭和56年/1981年。H氏賞をとったころですが、この当時のねじめさんは、仲間とのあいだに起きたイザコザの真っ最中で、血の気の多い元気なアンちゃん、の印象が濃くあったようです。

 と言いますのも、昭和53年/1978年に、批評家の高橋敏夫、高野庸一、〈糸圭〉秀実らとともに『現代批評』(創刊時は『現代評論』)を創刊。

「昨年夏、詩のねじめ正一、批評の高野庸一、〈糸圭〉秀美(原文ママ)、それに私、の共同企画編集で、「季刊 現代批評」を創刊した。発行・櫓人出版会、販売・新時代社。櫓人出版会という名称は、ねじめ・高野らのすぐれた詩誌「櫓人」に由来している。(引用者中略)

 創刊号が送りだされるやいなや、「××一派」やら「党派性のかたまり」といった言葉が、何割かの真白な返品とともにかえってきた。修辞と流行風俗を唯一神としてその前にひざまづく者たちの形成する、多様性にみえてそのじつ一枚岩的“党派性”にとって、そういう「××一派」命名は、命名それ自体ですでに否定の身ぶりを意味するらしい。まったく気楽なものだ、といわざるをえない。」(『早稲田文学』昭和54年/1979年3月号 高橋敏夫「ケンカ雑誌事始め」より)

 当時のねじめのお仲間、高橋さん、威勢がいいです。

 ところが昭和55年/1980年にいたって、高野、高橋両人は同人から離れ、岡庭昇と結びついて『同時代批評』を立ち上げ。不穏な匂いがプンプンしますね。

「今日、「同時代批評」を含めた一部の雑誌や書評紙において、岡庭や高野、高橋という署名を持った文章のみならず、匿名コラムをもデッチ上げたりしてなされている、「現代批評」やそれを制作する個人へのデマゴギッシュな攻撃が、彼らが抜き難く抱いている――ニーチェ風に言えば――弱者の光学(俗に言えば、犬の遠吠え)に起因するものであることを指摘するのは手易いことである。(引用者中略)そもそも、ねじめの「同人制解体までのゆくたて」という文章(引用者注:『現代批評』5号に掲載)が多少スキャンダラスであるというので、そうした文章を書いたねじめ自身に対して陰に隠れて眉をひそめてみせる微温的な人々も多いと聞くし、また、旧同人やそのボスたちはねじめの文章を無視して、ガセネタを流すことで自己保身をしておけば事足りると、全く弱者にふさわしく思い込んでいるらしい様子だから、この際ねじめが所持している彼らの卑しさ丸出しの私信(とりわけ卑しいのが岡庭昇の手紙)なども公表して、面白おかしく彼らとの消耗戦をやってみるのも一興ではあろう。」(『詩学』昭和56年/1981年6月号 〈糸圭〉秀実「深夜の強打者あるいは聰明すぎる貴種――贋作ねじめ正一論」より)

 何だかケンカしている模様です。

 基本、ねじめさんにとっての詩の世界とは、ケンカも辞さない舞台であり、つまりはムチャクチャであり、暴力的なものだったんだろうなあ。……と、ちょっと短絡的な見方ですけど。

 むろん、そういう詩の世界こそ、「文学」と言いたければ言ってもいいでしょう。それぞれの文学観を盾に丁丁発止を繰り返す世界。熱いです。わかる人間にしか入り込めない濃さがあります。詩人が小説を書くと、多くは純文学みたくなる、っていうのは、そんなところから来ているのかもしれません。

 ねじめさんが小説を書く。もっと勢いがあって、トゲトゲしくて、暴力的なものが出来上がっていても、おかしくはありませんでした。しかし、彼はそういう方向を目指しませんでした。

「「詩は実験性の強いもの、暴力的じゃないといけないが、小説はみんな気軽に読んでもらえれば」

 と、ねじめ氏。」(『週刊朝日』平成1年/1989年7月28日号「F-P EXPRESS こんどは詩人が直木賞。ねじめ正一さん41歳の純情」より)

 「詩は暴力的じゃないといけない」。この言葉に、ねじめさんの詩観が現われているのでしょうね。そして、小説は違う、と考えるところ(考えてしまえるところ)が、ねじめさんに直木賞を受賞させた大きな要素だった、と言ってしまいましょう。

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2011年8月 7日 (日)

唯川恵(第126回 平成13年/2001年下半期受賞) 並の直木賞作では到達できない、名誉ある称号を与えられた。

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唯川恵。『肩ごしの恋人』(平成13年/2001年9月・マガジンハウス刊)で初候補、そのまま受賞。「海色の午後」でのデビューから17年。46歳。

 直木賞の選考会で『肩ごしの恋人』の評価は割れました。そして受賞が決まったあとも、何人かの人が、この作に名誉ある称号を授けたのだそうです。

 いわく、「近年の直木賞にはない駄作」。

 唯川さんもちょっぴりヘコみました。

「まさかこれで直木賞を頂くとは。“近年にない直木賞の駄作”という評を読んで、なるほどなと思った。いやメゲますよ、やっぱり。でも確かにこれまでだったら受賞するタイプの作品ではないですから。」(『ダ・ヴィンチ』平成14年/2002年7月号 唯川恵「解体全書NEO第39回 唯川恵」より)

 ワタクシは冗談や皮肉を言うつもりはありません。「直木賞史に残る駄作」と言われるほどの、強烈な特異性が『肩ごしの恋人』にはあり、並の直木賞作には到達できない次元に位置する受賞作である、と思っています。

 正直申します。ワタクシは唯川恵さんの作品が苦手です。努力なしには一冊読み通すことができません。ほとんど嘔吐感さえ覚えてしまいます。読み手にこれほどの拒否反応を起こさせるのです。唯川作品の底知れぬパワーを知り、こういう異端の受賞作が誕生したことに、ワタクシは直木賞ファンとして喜びを感じます。

 当時の酷評のひとつ、中条省平さんの「仮性文藝時評」から。

「男を共有する女の親友同士。きわめて不自然な設定だが、本人たちはそれを不自然なこととは感じていない。その不自然さで読者を驚かそうというわけだ。だが、読者の頭のレベルに高を括るこの露悪趣味はいただけない。それなのに、この調子でヒロインたちの内心が延々と描かれるのである。

(引用者中略)

 このラストで読者が感動するとすれば、それは、セックスよりも純愛、専業主婦よりも労働者、キャリアウーマンよりも育児する母親のほうに共感できるという前提があってこそである。どう見ても時代錯誤の価値観の押しつけではないか。

 この本はすでに二十万部近く売れているという。こんな説教くさい話に本当に感動しているとすれば、はっきりいって読者のレベルも低い。」(平成15年/2003年11月・春風社刊 中条省平・著『名刀中条スパパパパン!!!』「時代の危機を回避する純文学の能天気」より ―初出『論座』平成14年/2002年4月号「仮性文藝時評」第53回)

 登場人物やストーリー展開について、ボロクソ言われています。加えて『肩ごしの恋人』のキモといえば、男女や恋愛についてのアフォリズムめいた文言が時おり挿入されている部分でしょう。これがまあ、いかに空想の物語内とはいえ、小刻みに差し挟まれると、小っ恥ずかしい。

 しかしその小っ恥ずかしさこそ、その世界に心地よさを感じる者と、門前できびすを返す者とをふるい分ける唯川作品の武器でしょう。ほんと心憎いかぎりです。

 だれかにとっての「駄作」は、だれかにとっては「傑作」であるかもしれない。以前、石田衣良さんの小説を取り上げたときにも言いました。唯川さんのも、まさに「読者を選ぶ小説」の一級品だと思います。

 ワタクシとは正反対に、唯川作品に一生ついていく読者はたくさん存在します。唯川さんは、そんな彼女ら彼らに喜んでもらうために、小説を書きつづけています。潔いかぎりです。

「私が書いてきた小説は、学園ラブコメの読者がそのまま大人になったら、こういうものを読みたくなるだろうな、という路線です。(引用者中略)

 私は芸術家ではないので、表現欲というより、読んでもらってそこで何かしらの思いを持ってもらうことがうれしくて書いています。だから、常に読者を意識する。」(『婦人公論』2005年/平成17年8月7日号 唯川恵「ジタバタの20代、焦りの30代、波瀾の40代 足りないものを数える日々から卒業して」より 構成:平林理恵)

 素晴らしいですね。職人ですね。

「唯川さんの小説は、「物語作りは巧みだが、一般受けする少女小説風の成長物語の手法が抜けない」「まるでトレンディードラマのよう」と批評されることもある。

 しかし唯川さんは「私は当時の少女から小説の書き方を学び、鍛えられた。だから一生、彼女たちを思い声を聞きながら書きます。時代が忘れてくれてもいい。『あの時、あの本に励まされたよね』と、いつか読者が懐かしんでくれるような作品を書きたい」と言い切る。」
(『朝日新聞』平成14年/2002年2月20日「少女小説は作家の“ゆりかご” 多作で成長、次々に文学賞獲得」より 署名:河合真帆)

 自分が死んだら作品は残らなくてもいい。……ってコレほとんど、直木三十五川口松太郎のセリフですがな。

 そんな唯川さんが、直木賞をとってしまいました。何が起こったでしょうか。

 日ごろ、直木賞のほうは「読者の好みをまるで反映していない死に体だ」とさんざん馬鹿にされています。

 一部読者に圧倒的人気を誇る唯川さんが直木賞をとりました。すると、桐野夏生山本文緒角田光代らといっしょにくくられて、「少女小説の書き手たちが、ぞくぞく文学賞で評価されはじめたぞ。少女小説ってスバラシイ!」と、一気にマスコミがとびついたわけです。

「2年連続で、少女小説出身の作家が直木賞を受賞した。(引用者中略)

 コバルト文庫の田村弥生編集長は、少女小説から多くの才能が輩出することは驚くに足らないと話す。小説を書こうと思う女性にとって最も身近な存在だから、多様な才能が集まる。デビューから数年にわたり唯川さんを担当した集英社の辻村博夫さんは、文壇との没交渉が逆に、名前や受賞経験などにかかわらず、面白いかどうかだけを問われる世界を作っているといい、直木賞の選考委員をつとめる作家の阿刀田高さんも、少女小説の「貢献」を認める。」(『AERA』平成14年/2002年2月4日号「直木賞なら少女小説で 唯川恵も山本文緒も桐野夏生も…」より 署名:片桐圭子)

 むむ。直木賞って、選考委員の老化が激しいだの、かつての輝きは失われただの、悪口の対象だとばっかり思っていましたよ。

 直木賞に、少女小説出身の作家が何人も選ばれた。だから、少女小説はスゴかったんだと言いたいんでしょうか。それとも、読者を喜ばせて金を稼ぐことに徹底する狭窄視野に、直木賞もまた陥っている、と言いたいんでしょうか。……ふふ、どっちも正しいかもしれません。

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