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2011年7月17日 (日)

向田邦子(第83回 昭和55年/1980年上半期受賞) 76年の直木賞の歴史のなかでも奇跡的に異例で特別な受賞者。

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向田邦子。連作「思い出トランプ」のうち「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」(『小説新潮』昭和55年/1980年4月号~6月号)で初候補、そのまま受賞。同誌連作の第一作「りんごの皮」から9か月。50歳。

 直木賞の歴史は70余年におよびます。そのなかで直木賞の威力を感じさせる事柄はいくつもあります。

 「直木賞の威力」。このお題を考えるとき、思い浮かぶ人物はいろいろいるんですが。その筆頭は断然、向田邦子さんだ! と思いきって言っちゃいましょう。

 いったい彼女が小説を書かず、直木賞と無縁なままの人であったなら、こうまで神格化されていたのかどうなのだか、とつい疑いたくもなりますよ。どうですか。研究書・身の上詮索本・ファン本の氾濫ぶり、すさまじすぎませんか。

「作家には、死んだあと急速に読まれなくなる人と、死んだあといよいよ読まれる人とがある、と何かで見たことがある。向田邦子はあとのほうのピカ一である。なにしろ、はたして当人が書いたものそのままなのかどうかもはっきりしないテレビドラマの台本や、さらにはそれを他人が小説風に書きなおしたものまでが当人の著作として売れるのだから。」(平成12年/2000年7月・いそっぷ社刊 高島俊男・著『メルヘン誕生――向田邦子をさがして』「あとがき」より)

 むろん、直木賞の威力だけのせいではないんでしょう。ただ、あのとき、昭和55年/1980年7月に向田さんが直木賞をとれていなかったら、この状況も相当変わっていたと思います。

 じっさい、第83回(昭和55年/1980年・上半期)に、なぜ向田さんが候補になったのか。不明な点がいくつもあります。

 その最大の不明点は、なぜ単行本になるのを待たずに雑誌連載中に候補になったのか、ってことです。

「『小説新潮』に連載中の『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』が、この年の上期の第八十三回直木賞の候補になったと姉(引用者注:向田邦子)からの電話である。

「連載中の作品が対象になるのは珍しいし、そういう例は私も知らないの。候補に選ばれるのも大変なことみたい。小説書き始めたばっかりだし、まあー、もらえないと思うけれど、悪い気はしないわよ。励みになるかな……。お母さんにも話しておいてくれる。大げさでなく……」

 はずんだ声だった。」(平成6年/1994年12月・文藝春秋刊 向田和子・著『かけがえのない贈り物 ままやと姉・向田邦子』「III ままや誕生」より ―引用文は平成9年/1997年11月・文藝春秋/文春文庫)

 連載中の候補、っていうだけで珍しいことでした。そのうえ商業誌への連載になると、前例ははるか昔です。連作のもので似た例を探すなら、戦前の第17回山本周五郎「日本婦道記」くらいまでさかのぼらなきゃいけません。

 「候補になって意外」だと感じたのは、当人だけではありませんでした。友人にして女性初の『小説新潮』編集長、「思い出トランプ」を書かせることに成功したデキる人、川野黎子さんもそう感じていたようです。

「川野も雑誌連載中での受賞は前例がないので、たとえあるとしても一冊にまとまってからだろうという見方だった。」(平成10年/1998年6月・読売新聞社刊 小林竜雄・著『向田邦子 最後の炎』「第四章 〈小説〉への熱き想い」より)

 いやいや。向田応援隊隊長である山口瞳さんですら同様です。まさか連載中に候補になるとは予想外だったことでしょう。

「暮に出た『小説新潮』二月号を売店で買った。向田邦子が小説を書いている。それが『思い出トランプ』という短篇連作の第一回の「りんごの皮」だった。

(引用者中略)

 私は、この連作短篇が完結すれば直木賞の大本命になるなと思った。」(平成6年/1994年6月・新潮社/新潮文庫 山口瞳・著『男性自身 木槿の花』所収「木槿の花(五)」より)

 いまの直木賞なら、まず絶対、単行本にまとまってから候補に挙がったに違いありません。第83回は30数年前の出来事ですが、その当時だって、連作のうち何篇かが単行本になる前に候補になるのは異例でした。異例と言いますか、異状です。

 小林竜雄さんは、こう解釈しています。

(引用者注:直木賞の候補にあげられたのは)この連作を邦子がいくら「小説の練習曲」と思っても、作品としての完成度はとても高かったことを意味していた。」(前掲『向田邦子 最後の炎』より)

 そうかもしれません。ただ、「単行本になる前に候補になった理由」にはなっていません。

 候補作は誰が決めたのでしょうか。日本文学振興会です。もっと言えば、文藝春秋の編集者たちです。

 もちろん、彼らに言わせれば「候補作とするに値する出来だったから」って理由なのでしょう。そりゃそうです。しかしなぜ、単行本になるまで待てなかったのか。……この疑問に答えてくれる文献に、まだワタクシ、めぐりあえていません。

 「雑誌掲載でも候補にしていいんじゃないか」と案を出したのは、当時、文藝春秋で候補作選びにかかわっていた高橋一清さんだそうです。

「直木賞の方は、雑誌・単行本をふくめて対象にしているから、長さの制限はない。(引用者中略)短いものは向田邦子さんの作品である。向田さんは「小説新潮」に短篇小説を書いていた。しかし、いくら完成度が高くても二十二、三枚のものでは候補にしにくい。そこで、ある日の会で、私は提案した。

「いかがでしょう、これまでの三篇をまとめて、予選通過作品としては」

 この案はすんなり受けとめられ、雑誌発表の三つの短篇をまとめて、選考委員のもとに届けられた。そして、満場一致で直木賞受賞作となった。」(平成20年/2008年12月・青志社刊 高橋一清・著『編集者魂』所収「「芥川賞・直木賞」物語」より)

 高橋さんの文章は、重要な部分が、どうも省かれている気がするんだよなあ。なにせ、向田さんの受賞を「満場一致で」と書いちゃっているんですもの。他の方の文章を総合すれば、とてもそうは思えないのに。連載中に候補にする理由の真意は、この文章からははかることができません。

 いまひとり、向田さんの受賞に大きく関わった関係者が、回想文を残してくれています。参考にさせてもらいましょう。直木賞70余年のなかでもトップクラスに位置する策士(これ褒めてるんですよ)、豊田健次さんです。

          ○

 策士、というのは別に悪い意味で表現したわけじゃありません。直木賞、つう道具を運営母体の出版社に勤める編集者として、いかに活用していくかに意識的に取り組んだ、直木賞にとっての恩人でもあります。

井上ひさしさんの「手鎖心中」。私たち編集部(別冊文藝春秋)としては、お披露目というか、この作品で井上ひさしという存在を委員に印象づけ、二作目で直木賞受賞という算段を立てていたのですが、(引用者後略)(平成16年/2004年2月・文藝春秋/文春新書 豊田健次・著『それぞれの芥川賞直木賞』「第二章 山口瞳と向田邦子の優雅な直木賞」より)

 受賞させるかどうかは選考委員たちの合議で決まるので、かならずしも算段どおりいくとはかぎりません。しかし、無自覚のまま候補作を決めているのではなくて、算段があったうえで候補を決める、って姿勢がたしかに見て取れる一文です。

 で、向田邦子さんです。第83回当時、豊田さんは『オール讀物』編集長であり、直木賞選考会の司会を務める立場でした。

 候補選出にどれほどタッチしていたのかはわかりませんが、自分が向田さんに書かせた小説「あ・うん」に、直木賞への期待をかけていたのかもしれないな、とうかがわせる述懐があります。

「最初に向田さんにいただいた小説は「あ・うん」でした。この作品は、もともとオリジナルではなく、NHKのドラマシリーズ「人間模様」の一つとして構想されたものです。(引用者中略)

 「あ・うん」(第一部)は昭和五十五年の「別冊文藝春秋」一五一号(三月号)に掲載されたのです。(引用者中略)

 向田さんの候補作は「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」(初出は「小説新潮」昭和五十五年四月号~六月号。後に単行本『思い出トランプ』として新潮社より刊行)の三篇。なぜ、「あ・うん」ではなかったのかといいますと、この時点ではまだ「あ・うん」は完結していません。発表された作品は第一部に当るものでした。長篇の一部を候補にするわけにはいかない、完結してから、一冊にしたものを候補にするというのが普通のやり方です。」(前掲『それぞれの芥川賞直木賞』より)

 そう。「完結してから、一冊にしたものを候補にするというのが普通のやり方」、ほんと、そうです。

 あるいは、『あ・うん』が完結して文春が単行本化したときに、大本命として直木賞候補にするつもりだったのかもしれない、その前に一度選考会に「お披露目」する意味で、『あ・うん』の露払いとして雑誌連載中の「思い出トランプ」から候補作にした面があるのかもしれない……、とこれはあくまで想像です。

 とはいえ、じゃあ豊田さんが「自分のところの本が出るまでは、絶対、受賞させまい」と知恵を働かせ、司会役の権限を悪用して、『小説新潮』の向田作品が落選するように巧みに選考会をリードした、なんてことはないのですよ、当然のことながら。逆に山口瞳さんに言わせれば、豊田さんの司会のおかげで、向田作品は直木賞受賞にあやうくすべり込んだ、ってことになっています。

「「小味なんだよねえ」

「そうそう。うますぎるんだよ。うまいことは認めるが」

「一回は見送っていいんじゃないか」

「そうかもしれない。そのほうがいいか」

 キレギレにそんな声が聞こえる。収拾がつかないという感じの時が過ぎた。」(前掲 山口瞳・著『男性自身 木槿の花』「戦友」より)

 一回見送れば、自社の、しかも自分にとって愛着のある小説のもとに、直木賞を受賞するチャンスがのちのちめぐってくるかもしれない、って場面。司会をしていた豊田さんは、どう思っていたんでしょう。それでも向田さんが直木賞を得る恰好の機会はいましかない! と思ったのでしょうか、どうなのでしょうか。

「「向田邦子は、もう、五十一歳なんですよ。そんなに長くは生きられないんですよ」

 と、私が言ってしまった。

「えっ? 向田邦子は五十一歳か? 本当に」

「そうですよ」

(引用者中略)私の発言は、カウンター・パンチのような効果があったらしい。(引用者中略)

「じゃあ、二作受賞にしようか」

 と、誰かが言い、豊田健次が、すかさず、一座を見廻して目で確認し、有難うございますと言って頭をさげた。」(前掲「戦友」より)

 豊田さんのこのときの心情はわかりません。

 山口瞳さんの書く経緯を読むと、向田受賞には、いかにも豊田さんの巧妙な司会さばきがあったかようにも読めるんですが、豊田さんいわく、

「山口さんとの長いつき合いで、ときどき感じたことは、お書きになったものと、私の記憶している事実とが、しばしば異なっているということです。

 嘘ではない、嘘というのではない。状況も場面も、そのときの人物関係も、書かれてあるとおりなのですが、私の考える、思っている事実とすこしちがう。そのちょっとのちがい、表現上の創作といったようなものが、山口さんの「芸」、もしくは「性(ルビ:さが)」と言ってよろしいのではないでしょうか。」(前掲『それぞれの芥川賞直木賞』より)

 ただ、これだけは言えます。豊田さんが二作受賞で選考会の終わりを告げたこの瞬間から、向田邦子さんを取り巻く世界に、「直木賞の威力」がひたひたと歩み寄りはじめたのでした。

          ○

 受賞した翌朝6時に、怒りくるった文学亡者から向田邦子宅へ「即刻、受賞を辞退すべきだ」と電話がかかってきた、なあんてのは「直木賞の威力」にしては大したことはないでしょう。

 取材攻勢や、何十誌にもおよぶ大小さまざまな媒体からの原稿依頼。そんなのもまた、通常の直木賞作家の範疇を、たぶん超えません。

 やはり、向田さんに関する「直木賞の威力」として、最もワタクシの心に突き刺さるのは、これです。「直木賞のせいで向田さんは死んだ」と、直木賞が人殺し呼ばわりされてしまう、っていう。

「山口瞳さえいなければ、あるいは山口瞳があの人を直木賞に推したりさえしなかったら、向田さんは死ななくてよかったのに――私は正気でそう思ったのである。」(前掲 山口瞳・著『男性自身 木槿の花』所収 久世光彦「解説――ほんとに咲いてる花よりも」より)

 落選して、それを悲観したことが遠因となって誰かが死んでしまった。というなら、直木賞が責められるのもわかります。でも直木賞をとったせいで人がひとり死んだと言われてしまう、そう感じる人がいた、っていうのは。……現実、直木賞そのものは、別にどうってことはない小さなイベントだと思うんですが。トボけた顔して、そうか直木賞、おまえ殺人鬼だったのか?

 いちおうまじめに直木賞を弁護しておきます。直木賞を受賞してまもなく命を落とした人はほとんどいません。受賞後2年以内に故人となったのは、たったの二人。ひとりは、第16回(昭和17年/1942年下半期)受賞の神崎武雄さん、そして向田邦子さん。

 直木賞受賞後、最も早く他界した受賞者、それが向田さんなのです。特別です。

 向田邦子さんは特別です。

 このエントリーでは何度か「直木賞の威力」といった表現を使ってきました。考えてみたらそれって、「向田邦子の威力」と言い換えなきゃいけないのかもしれませんね。今年8月22日で没後30年。それでもなお、出版界を潤わせつづける(?)向田パワーたるや。

 直木賞にもその力の一端でも分けてあげてほしいもんです。

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