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2011年5月29日 (日)

日本推理作家協会賞 どこを目指しているかはともかく、変革を続けて60ン年。

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 エンタメ小説を対象にする文学賞は、たくさんあります。過去にも、いっぱいありました。

 それらのうち最も長い期間、直木賞と併走してきた賞は、どれでしょう。これですかねえ。日本推理作家協会賞。長い名前なので以下、推理協会賞と略します。

 第1回が昭和23年/1948年ですから、すでに半世紀を優に超えて64年。長すぎます。エピソードも盛りだくさん、直木賞とのバトルだって一度や二度にとどまりません。ここでササッと取り上げて済ませるのは忍びない賞です。

 どなたか、推理協会賞のことをメインにホームページでもつくってくれないかなあ。

【日本推理作家協会賞受賞作・候補作一覧】

 むろん、日本推理作家協会のサイトが、涙が出るほど充実していますから、アレで十分って感じはしますけど。でもほら、たとえば、日本文学振興会の語る直木賞だけじゃ、直木賞の1割2割もカバーできていないわけですから。やっぱり主催者以外の視点は、それだけで意味あるものだと信じます。

 そのハナシはおいときまして。

 推理協会賞です。昭和22年/1947年6月。江戸川乱歩さんを中心に、探偵作家クラブができました。そのときの規約に、すでに賞のハナシが含まれているのですよご同輩。直木賞が中断していた昭和22年/1947年前半、この時期に文学賞を興そうと発想するとはなあ。

 規約の作成に携わった人として知られる4名。保篠龍緒さん、延原謙さん、水谷準さん、江戸川乱歩さん。あなた方の文学賞熱に、ほんと頭が下がります。

「探偵作家クラブ賞については、委員会を作って具体案を練るつもりであるが、これは各年度に於ける最高作品の推薦といふ意味で、十分賞金も出したいし、尚出来ればその作品をクラブの名によって再出版し、クライム・クラブやディテクティヴ・ブック・クラブの例に習ひ、ベストセラーにするといふやうなことも考へてゐないではない。」(『探偵作家クラブ会報』1号[昭和22年/1947年6月] 江戸川乱歩「クラブ成立の経過と今後の事業について」より)

 「各年度に於ける最高作品の推薦」。……言葉にすると、何と短く簡潔なことでしょう。しかし、多くの文学賞はたいてい、最初に決めたこういう簡潔な規定を、実際にどのようなかたちで実現していくのか、ってところに問題を抱えながら生きていく宿命にあります。

 推理協会賞もしかり。前身である探偵作家クラブ賞もまた、その宿命から逃れることはできませんでした。

 創設当初に早くもひとつ、ケチがついてしまいます。いわゆる「短編賞って何を基準に決めるんだ」問題です。

「今度のクラブ賞では短篇の決定が問題であったと思ふ。(引用者中略)“新月”は小説としては立派な作品かも知れないが、凡愚な探偵小説ファンにとっては、もう一つうなづきかねるところがある。」(西田政治「クラブ賞の決定に就て」より)

「短篇賞については、結局旧人の間での盥廻しが予想される意味で、僕は異論があったが、別に新人賞を設けるといふので、一応賛意を表した。併し次回からは、真に受賞の意義に徹した「新しさ、強さ」が認められぬ限り、単なる努力賞的形式主義は、旧人に関しては遠慮さるべきものと思ふ。」(水谷準選評より)

 長篇と短篇とをあえて別枠で選考しよう、っていうのは、文学賞の上ではなかなか新しい試みです。しかし、どうやら長篇ならば作品本位で優劣を決めやすいが、短篇となると、同じ土俵では決め難いらしい。となると、どうしたって昔から書いている先輩格の作家に票が流れやすいのではないか……なんちゅう問題が露呈してしまいました。

 こうなってくると、作品本位なはずの長篇部門のほうも、疑いの目で見始める輩が出てきます。「探偵作家クラブ賞ってさ。つまり、クラブの上層部たちに有利なお手盛りの賞にすぎないんじゃないの?」って指摘です。

 当時、関西探偵作家クラブが『KTSC』誌って会報を出していました。そこで匿名批評子の「魔童子」が、大下宇陀児の第4回クラブ賞受賞(昭和26年/1951年)を「タライ回し」と批判したわけです。

「大坪氏(引用者注:大坪砂男)の文中に示してあるクラブ賞問題(大下宇陀児先生が長篇「石の下の記録」で受賞された、昭和二十六年度の第四回日本探偵作家クラブ賞のことを指す)については、氏が書いている通り、大下先生がKTSCの「賞のタライ廻し」という批判に対して、個人的にかなり感情を害されたことは事実だったらしい。

(引用者中略)

大下 輪番制という見方、去年ぼくはあれで腹を立てたよ。輪番制だなんていわれる賞なら貰わないと、乱歩に言ったんだ。

香住(引用者注:香住春吾。関西探偵作家クラブ書記長) それは、聞いております。しかし、ぼくたちが輪番制と非難したのは、クラブ賞の選考方法に対してであって、作品自体への非難じゃないんです。クラブ賞はもっと権威のあるものであるべきだと、ぼくたちは考えていますから、妥協的な授賞なら、むしろしない方がいい。

(引用者中略)

大下 しかし、なんだね。ああいう批判をするにしても、君たちのやり方は、どうも不真面目すぎると思うんだ。もっと真面目にやれば、論争する気にもなれるがね。真剣味を欠いているようだね。」(昭和48年/1973年10月・双葉社刊 山村正夫・著『推理文壇戦後史』「魔童子論争」より)

 そうですか大下さん。不真面目はいけませんか。

 推察するに、KTSCのメンバーも文学賞を前にして、ついつい冗談めいた態度になってしまったものと思うので許してやってください。何つったって文学賞が内から発する力は絶大ですもん。どんなに真面目で堅苦しい賞でも、自ずと笑いをまぶしてイジりたくなってしまう、という。

 ええ。おそらく、賞をやっている当のご本人たちは、みなまじめでしょう。たとえば、木々高太郎さんとか。別名「疑義高太郎」(延原謙さんによる命名)。探偵クラブ賞についても、事あるごとに疑義を呈し、さまざまな提案をしてくれています。

「クラブ賞などはどうでもいゝと考へてはいけないと思ふ。そうなら、クラブ賞をやめた方がよい。

 私共は、クラブ賞の価値を認め、光輝あらしめたい。そのためには詮考方法が合理的で、慎重でなければならぬ。」

 と筆を起こして、選考手順のさまざまな改革案を提示したあとで、

「最後に、そんなめんどうなことをする価値があるか、といふ人があるかも知れない。クラブ賞に価値を認めず、ほんの政治的のもの、小説や文学を重んじないもの、と考へるなら、それでよいが、そうならない方がよい。

 作品価値を最大目標にしないやうな文学賞は、凡そ文学賞を恥かしめるものである。もっとも、クラブ賞は文学賞ではない、何故なら探偵小説は文学ではあり得ないから――といふにしても、やっぱり同じ慎重さを欲しい。」(『探偵作家クラブ会報』40号[昭和25年/1950年9月] 木々高太郎「クラブ賞の方法」より)

 うわあ出たよ。木々さん。「探偵小説は文学たれ」を持論とする人ならではの、この探偵クラブ賞観。文学賞観。

 「作品価値を最大目標にしないような文学賞」かあ。ううむ、将来職業作家としてやっていけるかどうかが第一義、とか言っている場合じゃないよなあ、どこかの文学賞の選考委員は。

 文学賞には、年々実施していくなかで自然と性格が決まっていく、って側面があります。それは否定できません。ただ、多くの文学賞は、運営者側自身がかなり意識的に運営方法を考え、見直しながら、賞をつくっていっているものだと思います。

 推理協会賞(探偵クラブ賞)も当然その例に洩れません。とくに初期のころは毎年のように選考方針や選考方法が変わっていました。しかも、この賞は他に比べて、その見直しの過程を、わずかばかりでもオープンにしようって心意気があったりします。

 そのオープンにされた過程からワタクシが最も強く感じるのは、実際に運営に携わっている人たちの、賞に対する愛情がハンパない、ってところです。

 同じことを、日本エッセイスト・クラブ賞を紹介したときにも感じました。たかだか文学賞に、これだけ熱い思いで生きていた人たちがわんさかいる、とその様子を見るだけで、ちと感動してきますぜ。

 そのなかで一人だけご紹介しますと。中島河太郎さんって方がいましてね。この方、クラブ賞改革に相当な熱意をおもちだったようです。

 昭和38年/1963年、日本探偵作家クラブは社団法人日本推理作家協会へと改組します。その準備が進んでいたころ、「社団法人に対する御意見・御感想」っていうハガキアンケートがあったのですが、そこで中島さんは即座に(?)こう答えているぐらいです。

「中島河太郎

 協会設立の許可が得られたらできる限り実現して貰いたいことを箇条書にします。(引用者中略)

 一、クラブ賞授賞対象者の再検討」(『日本探偵作家クラブ会報』183号[昭和37年/1962年12月] 「ハガキ随想」より)

 探偵クラブ賞ができて、このとき15年目。すでにいろいろな改革を行ってきていました。そのうえで、さらなる「再検討」を要求する河太郎さんったらもう。……いつでもどんなときでも再検討していく、それが確かに推理協会賞の大きな性格のひとつ、と言ってしまっていいでしょう。

          ○

 乱歩さんは最初に賞のめざすところを掲げました。「年度内の最高作品を選ぶ」。でもそれは、ほとんど理想論です。賞ってのはアレですもんね、狭いグループ内のものでも、あるいは大きく影響を持つようになったものでも、作品評価の場だけでは、どうしたって済みません。

 しかし、「どうしたって済まない」現実を前にして、それでも理想に近づく道筋はいくつもある。あるいは、道筋は時代によっても変化していく。推理協会賞の歴史は、ほとんどその道筋をさがしてきた歴史、と表現しても過言じゃありません。

 いくつか挙げてみます。

●第5回、昭和27年/1952年

 部門賞を廃し、長短篇をいっしょにして授賞。また、同じ作家の再授賞はしない方針を決定する。

 これには決定後、大きな異論も出ました。

「来年度からは同一作家に再授賞しないそうであるが、そうなると作品本位の対象が稀薄になり、作家本位の徴候が強くなる。これまた考うべきではなかろうか。」(『探偵作家クラブ会報』59号[昭和27年/1952年4月] 香住春吾「クラブ賞雑感」より)

●第10回、昭和32年/1957年

 探偵文壇ではなく、いわば「外野」への授賞に踏み切る。

「松本(引用者注:松本清張氏が仲間うちのミステリー畑出身の作家ではなく、「或る〈小倉日記〉伝」で第二十八回芥川賞を受賞した、れっきとした純文学作家だったからだった。いまでこそ笑い話だが、あの頃は純文学作家というと文壇のエリートに見え、まぶしくかがやかしい存在というコンプレックスめいた意識が、私たちにあったからである。いや、私たちばかりでなく、純文学作家の側にも、当時の探偵作家を、一段低く見る風潮がまったくなかったとはいえなかった。探偵作家クラブ賞をそうした作家たちに贈呈しても、鼻であしらわれるのではないかと、私たちは真面目にそう考えていたものだった。」(昭和53年/1978年8月・双葉社刊 山村正夫・著『続・推理文壇戦後史』「巨人松本清張の出現」より)

 ちなみにこれに類したハナシは、当然、第2回の坂口安吾のときからあり、またのちには有馬頼義大岡昇平のときにもあり……。推理協会賞にとっては、もう伝統行事のひとつですね。おそらく今後、だれかミステリー作家以外の人の小説が、長篇部門あたりをとった日には、また同じような光景が見られることでしょう。楽しみです。

●第29回、昭和51年/1976年

 部門が長篇、短篇、評論その他の3つに分かれる。候補作数も自然と増え、選考委員への負担が増える。

「今年の推理作家協会賞も過渡期にきたというのか、曲がり角にさしかかったというのか、それとも将来の発展へ一歩踏み出したというのか、理事会がいろいろ混乱したらしく、事情に疎いこの年老いたる選考委員をだいぶん狼狽させた。最初私は去年同様長篇賞だけだと思い込みわりにノンキに構えこんでいた。そこへ短篇賞の候補作品が舞い込み、評論賞の尨大な作品群がとび込んでくるに及んで、私の心臓はすっかりおかしくなってしまった。」(横溝正史「選考を終えて」より)

●第34回、昭和56年/1981年

 第13回(昭和35年/1960年)以来、毎年受賞者に贈られてきた後藤光行制作のエドガー・アラン・ポー像が、協会の資金難のため、この年をもって廃止。

「数多い文学賞の中で、芥川、直木両賞の時計、新人の推理作家に与えられる乱歩賞のシャーロック・ホームズ像などあるが、推理小説のベテランに贈られるこのポー像も、受賞者には一つの誇りであり、権威でもあった。(引用者中略)協会財源は四百余人の会費から月五百円の会費や講談社や光文社から出ている協会編のアンソロジーの印税でまかなわれているが、推理手帳、会報、事務所費などに費やされ、協会は著作権料を含め制作費が一個二十万円を超す像の費用をひねり出せなくなったもの。」(『読売新聞』夕刊 昭和56年/1981年3月26日「ポー像贈呈最後です 財源難の推理作家協会」より)

 せちがらい世の中よ。でも、お金がなくなったって、賞そのものの運営は継続してくれたのだから偉いものです。

●第36回、昭和58年/1983年

 処女作や他の新人賞受賞作は対象外とする、と規定を変更。

「処女作が受賞している例もあるが、仮にその作家が以後推理小説を書かないような場合、授賞は疑問ではないか、という意見が表明されたかららしい。

 だが、既受賞者を除外した上で、ある程度業績の定まった作家の作品の中から選ぶとなると、一般に受け取られているような、年間の最優秀作品に対して協会が与える賞、というイメージとは、年々歳々ほど遠いものになってゆく危険性を感じずにはおれない。これこそ、推理作家協会賞がかかえる最大の問題点ではあるまいか。」(『朝日新聞』夕刊 昭和58年/1983年4月23日「年間最優秀作選出から離れる推理作家協会賞」より 署名(隅)」)

 もう一歩進んでいえば、「推理協会賞の直木賞化」って感じの変更です。しかし、(隅)さんが言うように、「ああ、推理協会賞っていえばさあ、年間の最優秀作品に対して与えられるんだよね」とスラッと解説できるほどの人間が、当時どれだけいたっていうんだ。そっちこそ、はなはだ疑問です。

●第55回、平成14年/2002年

 あまりに推理協会賞の知名度が低いことを問題視して、世間になじみのある「江戸川乱歩賞」と同じ日に選考、記者発表をしはじめる。

「乱歩賞がマスコミ等で比較的大きく扱われるのに引きかえ、プロのミステリー作家の最高賞ともいうべき推協賞への関心が、今一つのように思われる。かくてはならじと、北方(引用者注:北方謙三前理事長の時代から推協という文芸団体、および推協賞の存在を積極的にアピールするため、いろいろな活動を展開してきた。(引用者中略)

 それでも、推協賞の受賞作はそれにふさわしい栄誉を受けている、とは言いがたい。選考会のあと、できるかぎり受賞者が会場に足を運び、記者会見を行なったりしているが、翌日それがかならずしも報道されるとはかぎらない状況にある。一方、乱歩賞決定の発表はほぼ間違いなく記事になり、場合によっては〈人〉欄に紹介されたりもする。」(平成22年/2010年3月・講談社刊 逢坂剛・著『剛爺コーナー』所収「剛爺、和食と洋食の二度の正餐にありつく!」より)

 ははあ。なかなか欲張りですな。いまの知名度では物足りないと。いっそ「日本推理作家協会賞」っていう固い名前を変えちゃえばいいじゃないの、とすら思います。やっぱり人の名前はインパクトがありますからね。「プロ乱歩賞」とか。「乱歩賞スペリオール」とか。

 ほかに最近で言いますと、第60回(平成19年/2007年)から短篇部門、第61回(平成20年/2008年)から長篇・短篇連作部門で、各出版社からの候補作推薦、っていう制度を採り入れる改革もありました。

 そうこうするうちに、いつの間にやらこの賞は「直木賞ほかそれに類する出版社系の文学賞か、それより作家歴の浅い人」向けにシフトしてきたようです。それが禍いして他の文学賞にまぎれて、地味な印象のまま埋没していかないことを、切に願うものです。

          ○

 最後に、直木賞との関連で、ちょっとだけ。

 逢坂剛さんは、理事長時代、「剛爺コーナー」でしきりに、推理作家協会員の直木賞での活躍について触れていました。

「ミステリーが、直木賞候補の常連として認知されるようになったのは、一九九〇年代にはいってからである。高橋克彦高村薫大沢在昌小池真理子藤原伊織乃南アサ篠田節子宮部みゆき桐野夏生船戸与一といった諸氏が、みごと直木賞の栄冠を射止めた。ミステリーでない作品もあるが、この人たちを広い意味でミステリー作家と呼んでも、ばちは当たらないだろう。評論家諸氏が、この分野の小説にカンフル剤を打ってくれた、という事情も見逃せない。(引用者中略)

 純ミステリーには、まだまだ判断の厳しい直木賞だが、その底辺を支えているのはわれわれだ、という自負がある。」(前掲『剛爺コーナー』「ミステリーが直木賞を席巻する日がくる……かもしれぬ」より)

 直木賞が、もしも一定の基準を保ち、かつ常に何かの上位の位置から動かないようなものであれば、そりゃあ昔にくらべて直木賞にミステリー作家がわんさか選ばれるようになったね、嬉しいね、で終われるんですけども。直木賞ってやつはふらふらしていますからなあ。ふらふらどころか、「直木賞それは凋落の一途という意味だ」なんて見る人もいるぐらいで。

 あたかも、直木賞というと大衆文芸の最高位、だと勘違いさせてしまうのもまた文学賞の魔術のようです。

 いやあ低俗な話題だなあ。卑俗だなあ。この俗っぽさ、ワタクシが文学賞を好きな理由のひとつです。

 低俗卑俗。とか言うと「不真面目だ」と大下宇陀児さんから怒られちゃいそうですけど。

 推理協会賞だって、直木賞だって、運営に携わる人はみな、真剣に真面目に取り組んでいるはずです。だけど、どうしたって文学賞の世界は、時に馬鹿バカしく、時に滑稽で、時に妙なすがたを表すことになってしまいます。

 往年の名雑誌『新青年』が、昭和25年/1950年についに休刊に追い込まれたとき、編集長の高森栄次さんが、苦しい胸の内をさらけ出しました。とともに、文学賞についても言及しました。こんな姿を、ワタクシは「真面目」だと思います。

「私は今、編集者の立場をはなれ、会員(引用者注:探偵作家クラブ員)の一人として率直に申上げる。横溝、木々両氏の長篇の他に、私が読者に対して自信をもって「新青年」に掲げた短篇は一つとしてなかった。いきおい私は時折、非探偵作家と手を結ぶ方向へ逃げた。(引用者中略)もしもこゝに、たった一人、戦後の乱歩さん、正史さん、大下さん、木々さんが出てくれたら、何を苦しんで純文の作家へ走ったろうか。そして、今もなお私は切に望んでいる、戦後中堅の方々の奮起と、たった一人の新鋭の出現を――。つまり、探偵作家クラブ賞以外の賞を獲得する作品を――。」(『探偵作家クラブ会報』38号[昭和25年/1950年7月] 高森栄次「「新青年」休刊に際して」より)

 探偵作家クラブ賞以外の賞、たとえば直木賞とかをとれるようなミステリー作家に出てきてほしい。そんな願いを最後にしちゃっているんです。

 しかも、これが昭和25年/1950年っていう古い時代にしかなかった考え方か、というと、そうでもないことに、ワタクシはうろたえざるを得ません。

 直木賞、そんなに大層なもんですか? ミステリー作家が直木賞をたくさんとるようになった、だからって何なんですか? それよりかぜひ、推理協会賞ふくめミステリーの賞を、えんえんと半永久的に改革していってもらって、いつかは「あの作家、直木賞はとったけど、推理協会賞とってないんだってさ。駄目だな」と言われるぐらいの価値転換を起こしてくれるほうが面白いな、と思います。

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