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2011年3月 6日 (日)

吉川英治文学新人賞 善行を続けているのに世に知られていない。うん、これは吉川英治文化賞を授けたい。

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 吉川英治文学新人賞ってごぞんじですか?

 このブログを読むような方にとっては、常識の範疇だと思います。ただし、世間一般からすると、ごく少数派です。希少種です。いうなれば、この賞を知っている人は、かなりの変わり者です。

 大衆文学(乱暴だけど、「エンタメ小説」って言っちゃいますか)を対象にした文学賞にも、ちょっとした歴史があります。そのなかで直木賞は、知名度と影響力の面で、長らくトップの座に君臨してきました。

 その牙城を崩そうと、新潮社が立ち向かいました。でも惨敗。角川書店も自前のものをこしらえました。でも廃止。だらしないなライバル会社。じゃあ、おいらがやりますか。……と、昭和55年/1980年にようやく重い腰を上げたのが、泣く子も黙るエンタメ小説界の雄、講談社だったわけです。

 【吉川英治文学新人賞受賞作・候補作一覧】

 重い腰を上げた、つう表現は、恣意的すぎましたか。この見立てには、オタクの妄想が多分に含まれています。気にしないでください。

 ただ、吉川英治文学新人賞(略して吉川新人賞)ができるまでの背景は、しっかり抑えておきたいところではあります。

 以前「吉川英治賞」のことをとりあげました。昭和37年/1962年、吉川英治さんがまだ存命中のとき、毎日新聞社がつくった公募型の賞です。

 昭和41年/1966年6月にいたって、この賞は、毎日新聞社から講談社(正式には、財団法人吉川英治国民文化振興会)に譲渡されることになりました。

 ほお。文学賞って、譲渡される類いのものなんですね。勉強になります。

「「吉川英治文学賞」の前進(原文ママ)である「吉川英治賞」は、昭和三十七年に毎日新聞社によって設けられた。(引用者中略)その後、毎日新聞社は、新人育成に発展することなく、薄らぎつつあった。

 そのころ、(引用者注:講談社の)野間省一社長は振興会(引用者注:吉川英治国民文化振興会)設立を志し、その事業の中心として、「吉川英治賞」の譲渡を毎日新聞社・上田常隆社長に申し入れた。

 その交渉は、星野哲次・講談社専務取締役と、狩野毎日新聞社取締役の間で行われ、「吉川英治賞」を大きく発展させるという意義を、毎日新聞社側が認め、昭和四十一年六月五日、両社共同の名儀で社告が出され、名称と基金は、前年設立された振興会(事務局・講談社内)に引き継がれることとなった。」(平成12年/2000年12月・講談社社友会刊『緑なす音羽の杜にIII―講談社と私たちの九十年―』 岩田マサ子「資料(12)財団法人吉川英治国民文化振興会設立の過程」より)

 昭和41年/1966年。おりしも講談社が創業57周年、だっつうのに早くも「創業60周年記念事業」をおっ始めた年でした。そのうちの一つが『吉川英治全集』の刊行。ううむ、さすが英治作品っていうのは、講談社のドル箱です。

 そうですよ。だいたい、講談社の抜きん出た特長、といえば何ですか。岩波文化VS.講談社文化、と言われるように、講談社イコール、やみくもなまでの大衆路線でしょう。乙に澄まして野間文芸賞とかやっている場合じゃありませんよ。野間省一社長の旗ふりで、ようやく吉川英治文学賞を入手。昭和42年/1967年からエンタメ小説部門の文学賞をやりはじめたっていうのは、やや遅かったよな、と思わされます。

 ところが、この新生・吉川賞、なかなかのクセものでした。

 このとき、吉川賞は二つになりました。

 ひとつは「文化賞」。文化の向上に尽くした人々を顕彰する、というものです。しかも、あまり表彰される機会の少ない人たちに光を当てている。おお、吉川英治さんの人柄を偲ばせる貴重な試みだ、偉いなあ。……と、これは文句のつけようがありません。

 しかし、もうひとつの「文学賞」のほうは。その年度の優秀な文学作品に贈る。となりまして、以降ずらりとベテラン作家がとるための賞になってしまいました。

 うん。そりゃあ英治さんには、エンタメ小説界の発展を願っていた、っていう非常にザックリした遺志はあったんでしょうけども。そもそもの吉川賞の発端とは、かなり方向性がズレてしまったような。

「吉川賞は、毎日芸術大賞(賞金百万円)を受賞した故吉川英治氏が、毎日新聞社に寄託された賞金を基金に、文学の新人に道を開きたいという氏の意思にそって、創設されました。」(『毎日新聞』昭和41年/1966年6月5日「吉川英治賞を委譲 吉川英治国民文化振興会に」より 太字下線は引用者)

 文学の新人のために……。この英治さんの切なる思いは封印されてしまったわけです。

 それから年を重ねて14年。

 昭和54年/1979年は、講談社創業70周年。10年前にも増して、いろいろな記念出版、記念事業が企画されました。『愛蔵版 吉川英治全集』なんてのもその一つ。相変わらず英治さん、「周年もの」に名前を借り出されています。人気者です。

 この年の1月1日。各新聞に全面広告で、創業70周年の記念企画がずらーっと発表されました。目玉は『昭和萬葉集』刊行。賞関係でいいますと、「野間アフリカ出版賞」創設なんてなのもありました。

 この段階では発表されていなかったのですが、日がたつにつれ、「ええいこの際、文学賞にも手を入れちゃえ」と、後追いで文学賞の拡張が行われます。昭和54年/1979年10月号の『群像』で、「野間文芸新人賞」の創設を発表。年があけて昭和55年/1980年4月号(2月発売)の『小説現代』では、「吉川英治文学新人賞」の創設も公けになりました。

吉川英治文学新人賞創設について

 財団法人吉川英治国民文化振興会は、日本の典型的な国民文学作家として広く読者に親しまれ尊敬されてきた故吉川英治の偉業を記念して設立されたもので、故人が生前ひそかに希い続けていた遺志をうけて、昭和四十二年以来「吉川英治文学賞」と「吉川英治文化賞」の二つの賞を設定してまいりました。

 このたび講談社創立七十周年にあたり、前記二賞に加えて新たに「吉川英治文学新人賞」を設け、今年度より下記のような内容で実施することになりました。

一、対象作品

 毎年一月一日から十二月三十一日までに新聞、雑誌、単行本等に優秀な小説を発表した人の中から、最も将来性のある新人一人を選びます。

(引用者中略)

財団法人吉川英治国民文化振興会

株式会社講談社」(『小説現代』昭和55年/1980年4月号より)

 吉川英治の死から18年。毎日新聞の「吉川賞」が消えて14年。ようやく、新人のための吉川賞が蘇りました。

          ○

 吉川新人賞の特徴とは何でしょうか。

 講談社から刊行された小説が、圧倒的多数で候補作になる。……これはまあ特徴とは言えないかもしれません。出版社の関わる文学賞は、みなそうです。

 新進作家にいち早く目をつける。……直木賞作家や山本周五郎賞作家は、多くの割合で、この賞で候補になった経験をもっています。逆をいえば、両賞を受賞していない人なら、まだ吉川新人賞をとる可能性がある、ともいえます。今野敏さんみたいなベテランでも。

 文学性よりも、エンターテインメント性を重視する。……と言うと語弊がありそうです。言い換えます。「従来、大衆文壇で文学寄りと思われていた(つまり直木賞っぽい)ものの枠に縛られない」。これもまた吉川新人賞の重大な特徴でしょう。

 第1回の選評から引いてみます。

「この新人賞は第一回だけに、その方向づけまで考えて選考に苦慮した。吉川英治は伝奇ものにはじまり、本格的な歴史もののほかに現代ものや明朗ものもこなした作家であり、その可能性を考えると、一篇を選び出すのが難しかった。」(尾崎秀樹「エンターティンメントのひろがり」より)

「最近、外国のエンターティンメントが、次々と翻訳されている。それらと比較すると、日本の作品が、想像力、構成力において、かなり見劣りすることは認めざるを得ない。

 その意味から、私は今回の選考では、この二つの面を重視したいと考え、田中光二氏『黄金の罠』、伴野朗氏『九頭の龍』の二つを強く推した。両作品とも、冒険小説のジャンルにはいるものである。私自身は、冒険小説は好きではないのだが、このジャンルのものが、日本の読書界に、もっと受け入れられてもいいのではないか、とは日ごろから思っていた。」佐野洋「選後所感」より)

 たとえば、いわゆる冒険小説。直木賞では、ずいぶん長いこと冷や飯を食らわされました。

 吉川新人賞ができた昭和55年/1980年なんてのは、まさにそのジャンル界隈が元気を持ちはじめた頃です。吉川英治の世界もまた冒険小説につながる、というのは、我田引水なのか正しい認識なのかよくわからない論理ですけど、吉川新人賞は間違いなく、このジャンルに対しても温かい存在でした。

 ええ、むろん、そういう温かい選考委員がいたからこそ、なんですけどね。

「伝奇ロマンというタイプの小説は、読むには大変面白いのだが、文学賞の最終選考などで、他のタイプの小説にまじって議論の対象にされると、評価されにくい傾向がある。私は映画の世界におけるスピルバーグの立場が、なんとなくそれに似ていると思っていた。(引用者中略)

 虚構のスケールや嘘の構成力に対する評価法が確立されていないのではないか。私はずっとそう感じて来た。」(第7回 半村良「選評」より)

 半村さんの選評は、どの回も、「癒し」に満ちみちているよなあ。おそらく、いま各賞で読める「宮部みゆき型選評」の先駆をなすものだと思います。

「『秘密』(引用者注:東野圭吾の候補作)は、面白い物語を読者に提供し続けていこうという作者の姿勢を強く感じさせ、心を動かされた。エンターティンメントとして一級の質と完成度を持ち、読後、男女の情愛とはなんなのか、しみじみと考えさせられた。賞に値した、といまでも信じている。」(第20回 北方謙三「異様な迫力」より)

 出ました。北方さん。吉川新人賞で培った「ミステリー出身作家に対する愛情」を、いま直木賞に持ち込んでくれています。

 そんな温かい吉川英治のフロシキのなかで、文学賞の選考を経験した方々……。のちに井上ひさしさんを筆頭に、続々と直木賞の選考委員会へと加わっていきました。いまとなっては、直木賞委員は全部で9名いますが、そのうち吉川新人賞委員を経た人数は、6名に及ぶほどになっています。3分の2。

 このなかには、吉川新人賞の選考にあたってエンターテインメントとしての魅力も加味する、っていう視点をもっていた方たちもいます。ぜひ直木賞でも、その選考態度を堅持していってほしいものです。

 「これは吉川新人賞じゃなくて直木賞の場だから」うんぬんというのは、本来、小説を評する態度じゃないですもんね。文学賞に序列をつけがたる直木賞委員がいないことを(いや、増えないことを)、ただ祈るばかりです。

          ○

 それにしても、どうですか。吉川新人賞、このヒッソリ感。もう今年の授賞発表(第32回)、終わっちゃったんですよ、静かなうちに。

 文学賞の世界に「もしも」はありません(現実世界のどこにも「もしも」なんてありません)。ただ、もしも直木賞が吉川新人賞だったら。……いまみたいに、小説を愛する数多くの人から、やんややんやと物を投げられ、馬鹿にされる悪役になっていたのかなあ。

 注目を浴びない、いや、浴びようとしてこなかった吉川新人賞。かつては、候補作も秘密でしたし、選考日も内緒でした。そのかたちを愛する(?)人代表、椎名誠さんの証言を引用しておきます。

「前の年の秋の同じ頃、吉川英治文学新人賞をいただいたのだが、これも(引用者注:日本SF大賞と同じく)、自分の作品が銓衡の対象になっているということをまったく知らず、とつぜん「授賞ですよ」というわけだった。

 この「いきなり賞をやるかんな」というスタイルはまことにいいものだ。

 同じこの二年間に直木賞と山本周五郎賞にノミネートされ、どちらも落選した。このふたつの賞はノミネートが新聞その他に公表される。したがって銓衡日も知らされるし、あまつさえその日はどこで可否の連絡を待つか、とその居場所も聞かれている。だからそこでイラつきつつ連絡を待たねばならない。(引用者中略)このもどかしい苛立ちの気分はとても高嶺の花と思っていた美しい女が腰をくねらせながらすこしずつ着物を脱いでいくのをそばでじっと見ているのにも似ている。

 そうしてぼくの場合は二回とも「あげよーかなーと思ったけどでもまた今度ね。じゃーねー」といいつつおねーちゃんは隣の部屋へ去っていってしまったのだ。

 このような体験をすると、いきなりやってきて「あんたに賞をやるかんな。もう決まったんだかんな!」というSF大賞や吉川英治賞のきっぱり男らしい姿勢につくづく感動するのだ。」(『SFアドベンチャー』平成3年/1991年1月号 椎名誠「第11回日本SF大賞 受賞のことば うれしいなあ。」より)

 この「ひそやかな」感じ。うちのブログでも、第28回(平成18年/2006年度)のときに褒め称えたことがありました。

 じっさい、運営している講談社や吉川英治国民文化振興会は、それをどう感じているんでしょう。彼らが発表している文章などを見るかぎり、吉川新人賞の静けさを問題視しているふうが、どこにもありません。逆に、吉川三賞の歩みは堅実であり、確実に根ざしてきているのだ、と十分に満足されているとうかがえます。ならば、文句はありません。

 たしかに、「文学賞は、話題になることが価値のすべて」っていう考え方もあります。ただ、それって、直木賞や本屋大賞みたいな、イベント先行(あるいは売上げ直結)の行事に毒された文学賞オタクたちの一方的な思い込みですからね。それを吉川新人賞に押し付けてはいけませんよ。自戒をこめて。

 まあ、それにしても、「エンタメ小説マニア」だけが知っている文学賞、っていう地味な存在にしておくには、もったいない気もします。

 直木賞の選考がいかにダメダメなのかを際立たせる影の存在。そんな妙な地位から、早く脱却させてあげたい。

 たとえば、知人にむかって気軽に「今度の吉川英治文学新人賞はさあ……」と話しかけたいところですけども。「なに、その直木賞のマガイモノみたいな賞」くらいの胡散くさげな目で見られそうで、コワいんですもん。

 若きホラー小説ファンのみなさん。「鈴木光司の初期ホラーを唯一、褒めてくれた文学賞なんだよ」と言って広めてあげてください。若き(?)ミステリーファンのみなさん。「伊坂幸太郎の小説を、どこよりもはやく認めた文学賞なんだよ」と言って拡散してあげてください。

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コメント

吉川英治文学新人賞、大好きです。
最初の出会いは中学3年生のとき(91年)、塾の先生にすすめられて
『国語入試問題必勝法』を読んだことにはじまります。
自身が受験生だったことや、(すでに文庫も発売されていたらしいのですが)
地元の書店を数十件まわってやっと1冊の単行本を手に入れたこと、
はじめて自分のお小遣いから千円以上もする単行本を買ってしまったこと、
すぐに読んで「こんな小説もあるのか!!」と非常に驚いたことを覚えています。

塾でも「貸して、貸して」と大ブームになり
ニセ入試問題をつくるのが生徒の間で流行したりもしました・笑

その単行本の帯には、黒地に白抜きの細い明朝体で
小さく「吉川英治文学新人賞受賞」と書かれていたはずです。
すごく小さい字でしたよ。いま思えば、あんまり受賞を宣伝する気がなさそうだったかも。

でも、それ以来「吉川英治文学新人賞=おもしろい新人に与えられる」
というイメージがあり、欠かさずチェックしています。
そこから吉川英治の本を読むようにもなりました。常識的には、なんか変な感じですけど…。


そんなふうに吉川英治文学新人賞びいきの人間も、
日本に30人程度はいると思います!
頑張れ、吉川英治文学新人賞!!
※新人賞じゃないほうは、あまり読んだことないけど。

投稿: mame | 2011年3月 8日 (火) 22時08分

熱いコメントだ……、mameさん、熱い!

『国語入試問題必勝法』に受賞させるなんて、ほんと、フトコロの深い賞だよなあ。

吉川英治文学新人賞は、今よりもっともっと注目されて、
300人、3000人、3万人ぐらいの固定ファンが付いても十分な、魅力的な賞だと
ワタクシもこころから同意します。
(上記のエントリー記事も、ちょっと表現の稚拙なところがありますが、
 基本的に吉川新人賞を応援したくて、書いていますので)

「直木賞は知ってるくせに吉川新人賞に興味ないなんて、きみ、モグリだね?」運動を
大々的に展開させたいくらいです。

投稿: P.L.B. | 2011年3月 9日 (水) 00時12分

熱いですか? うふふ。

資料を読みこむのが好きなので、
このサイトも大変楽しく拝見しています。
わたしの吉川英治新人文学賞への愛なんて、
このサイトの大きな愛情に比べれば、ふわっとした綿ぼこりレベルですよ!

でも、このひっそりした
「わたしは応援したいけど、みんなはどうかな?」
という作品選びとか、やってないスレスレの宣伝内容とか
P.L.Bさんのブログを読む限り“確信犯では!?”と思わずにいられません。

こいつ、マジで新しい才能を応援しているんじゃ…

読者とか関係なく、ひっそりと僅かばかり(?)の賞金をあげて
「見てるよ、がんばれ」と、そっと作家の方に手をのせるようなスタイル。
それはテクニカルな表現技術より、心意気そのものを応援している気がして。
いや、好きな相手だからこその超ポジティブ解釈ですが!!

ファンとしてはお金が続く限り、いまのテンションで頑張ってほしいです。
直木賞みたいな有名人になったら、もう引き返せないですから。
いつまでもB級アイドル的立ち位置で、ぜひ。

投稿: mame | 2011年3月 9日 (水) 01時56分

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