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2011年2月13日 (日)

千葉亀雄賞 人は死んでも功績は死なず。直木三十五と同じくらい、いやそれ以上の功労者、千葉亀雄よ永遠なれ。

110213

 中野重治さんは言っていました。まじめに文学をめざしている人間は、大衆文芸の道なんかにゃ進まないそうです。

ほほう。そうですか。

 そうさ、純文壇の人たちには、大衆文芸なんて何の興味も関心もわかないでしょうよ。ええ、でも、あなたたちと同様に、「大衆文芸を書いて世に出たい!」と強く願う人は、けっこういたのですよ。その受け皿となる雑誌や懸賞が、戦前にも、確実に存在していました。

 最も注目され、また実績をあげていたのが、大阪毎日新聞社の『サンデー毎日』誌です。

 ……となれば、当然ここでは、同誌の名物企画「大衆文芸募集」にスポットを当てなきゃいけません。でも、すみません。今日は少し脇道に逸れます。千葉亀雄賞です。

 【千葉亀雄賞受賞作一覧】

 賞の名に冠された千葉亀雄さん。うちのブログでも、今まで何度も登場してもらいました。もちろんです。なにせ、この人がいてくれなかったら、昭和初期の大衆文芸の様相も、ずいぶん違ったものになっていたでしょう。ひょっとすると、直木賞も生まれていなかったかもしれません。

「大衆文芸が誕生したころ、その文学的使命や社会的意義について、作家自身すら、自覚するところはきわめて薄弱だったのではないかと、思われる。この時、いち早く、ここに新ジャンルの成立を予感した批評家は千葉亀雄氏ただひとりではなかったか。――こうした意味のことを、木村毅も述べている。」(昭和32年/1957年1月・毎日新聞社刊 辻平一・著『文芸記者三十年』所収「千葉亀雄と大衆文芸」より)

 千葉さんは文芸記者であり、文芸評論家でした。親交の厚かった人は、たくさんいるんでしょうが、菊池寛さんもそのひとりです。菊池さんといえば、友・直木三十五が死んだときには、あまりのショックに思わず「直木賞」をつくってしまった人です。千葉亀雄さんの死に当たっては、こんなことを言っています。

「菊池寛は、千葉さんは、むしろ書淫というべき人だったといって、

「直木(三十五)が過激な創作から脳膜炎を起したとすれば、千葉は過激な読書から脳膜炎を起したのかもしれず、直木が討死とすれば、千葉さんも文人らしい悲壮な討死である」

 と、いたんでいる。」(同書より)

 昔むかしの大正15年/1926年。週刊誌『サンデー毎日』が、「大衆文芸募集」と称する懸賞募集を始めました。これが大当たりしまして、以来同誌の看板企画になります。3年目ごろから千葉亀雄さんが一人で、その応募作すべてに目を通して、入選作を決める任に就きます。編集部にいた辻平一さんに言わせると、ほんとうにほぼ一人で、3000~4000篇の応募作から選んでいたそうです。

 7~8年。千葉さんは「大衆文芸」の選者をやり続けました。恐ろしい男です。しかしついに、昭和10年/1935年10月4日斃れます。58歳でした。

 昭和10年/1935年。直木賞という大衆文芸の文学賞が、あっとびっくり、堂々と、純文学の賞と肩をならべて文壇に登場した、ほんのすぐあとでした。

 直木死して直木三十五賞ができたごとく、千葉さんが死んだあとには、千葉亀雄賞ができました。昭和11年/1936年はじめのことです。

「『サンデー毎日』でも、千葉亀雄顕彰の意味から、「千葉賞」を制定して、長編小説募集をこれまでの大衆文芸募集と別個に行なうことになった。

 昭和11年1月5日号に、左のような規定による募集社告がでた。

 創刊十五年の新春を迎えるに当たっての懸賞募集、二十回を重ねんとする恒例「新作大衆文芸」募集を通じ、本誌が大衆文壇に送り出し、また現在送り出しつつある新人作家群の清新溌剌たる筆陣に想到するとき、何人もそれらの上を覆い尽す“大衆文学のゴッド・ファーザー”故千葉亀雄氏の、大いなる投影を忘却することはできない。(引用者後略)(昭和48年/1973年2月・毎日新聞社刊 野村尚吾・著『週刊誌五十年』「編集部の独立」より)

 ああ、まったくだ。

 忘却できない、っていうか、忘却しちゃいけませんよ。この世に直木賞が続くかぎり……もとい、この世に大衆文芸とかエンターテインメント小説とかが続くかぎり、千葉亀雄の名前を忘れちゃったらバチが当たります。

 ほんとは『サンデー毎日』か毎日新聞社が頑張って、いまも「千葉亀雄賞」を残しておいてくれたら、言うことなしだったんですけど。でもまあ、ほら、直木三十五の名前が霞んでも、直木賞を受賞した人たちが活躍してくれることで、直木の名前が日本人の(一部の)脳内に刻まれています。千葉賞もまた、受賞者に恵まれた(?)おかげで、いまでもたまーに目にすることができます。

 井上靖さん。『サンデー毎日』だけじゃなく、直木賞の第1回原稿募集にも作品を投じていたりして、コヤツ、ほんとは大衆文芸に興味があったんじゃないのか? といった匂いを漂わせている井上靖さんです。

「前に「初恋物語」「三原山晴天」の二作が千葉先生の選で誌上に掲載して戴いたことがありますので、一月、今度の募集の発表を見ました時からぜひ、千葉賞は自分がとりたいと思ひました。(引用者中略)兎に角「流転」が自分の願ひどほり入選したといふことは、何だか夢のようです。」(『サンデー毎日』昭和11年/1936年8月2日号「本誌募集・千葉賞制定“長篇大衆文藝”入選者発表」より)

 この第1回では、時代物二席に「田中平六」こと、沙羅双樹も入っています。選外佳作には、大林清木村荘十の名もあるし。選考委員は、菊池寛吉川英治大佛次郎。第2回には大佛さんの代わりに白井喬二久米正雄が加わって。……

 って、この顔ぶれ。戦前の大衆文壇、のなかでもとくに直木賞方面の香りがぷんぷんとする、公募文学賞なのでした。

          ○

 ぷんぷんするも、クソもあるかい。単純に昔は大衆文壇の人員が少なかったから、似たような顔ぶれになっただけじゃないか。……と言われたら、身もフタもありません。

 でもまあ、ほら、当時の『サンデー毎日』と、直木賞陣営(文藝春秋社)といったら、似たもの同士ですもの。

 大衆文芸を、俄然、商売の武器と見なしていた。それだけにとどまらず、両者に共通しているのは、ともかく使える新人を発掘しよう、どんどん一人前に働ける大衆作家に仕立ていこう、っていう心構えと実践があったことです。

 直木賞といえば、ごぞんじ「大衆文芸の新人の登龍門」です。いっぽう、『サンデー毎日』の大衆文芸および千葉亀雄賞は、おのれをこう位置づけていました。

「わが大衆文壇随一の権威ある新人推薦機関たる本誌」(『サンデー毎日』昭和15年/1940年1月7日・14日合併号「本誌募集・第二回千葉賞制定“長篇大衆文芸”入選者発表」より)

 新人推薦機関、としての自負。

 単に純文学の人が小手先で小銭を稼ぐための場、じゃなかったわけです。

 『サンデー毎日』大衆文芸というのは、基本、短篇を応募するものでした。それですら、二度三度入選するうち、職業作家への足がかりになったと言います。入選にいたらず佳作レベルでも、けっこう映画社から声がかかり、一挙に映画原作になることもありました。

 しかも千葉亀雄賞となりますと、長篇募集です。大衆文壇に通ずる道は、よけいに太いものだったかもしれません。

 以下は、「流転」で入選した井上靖さんの例。

「活字化した『流転』は、昭和一二年九月二三日に松竹キネマ社によって映画となった。監督は二川文太郎で、その主題歌は巷間に流行した。」(平成5年/1993年12月・三省堂刊 藤沢全・著『若き日の井上靖研究』「第11章 千葉亀雄賞受賞」より)

「小説『流転』の成功は、その作者を映画製作の世界からジャーナリズムの世界へと転移する契機をなした。もちろん、「千葉亀雄賞をもらった直後二、三の雑誌社から小説の注文があったが(略)時代小説を書く気持ちは全くなかったので断わった」(『青春放浪』)との告白があるように、中央文壇へとわたりがついたのであるが、靖はすぐにプロ作家の道へと踏み出すことはしなかった。」(同書「第12章 毎日新聞社時代」より)

 ええと、「よけいに太い」って表現は間違いでした。訂正します。本人の意思と努力次第、ですよね。けっきょくのところ。

 井上靖さんは、その段階ではまだ筆一本の道は選びませんでした。ただ、戦前に行われた2度の千葉賞、その入選者のなかから、沙羅双樹、南条三郎、と二人の職業作家が生まれています。有名作家かどうかは別としても。

          ○

 さてさて。千葉亀雄賞のハナシはまだ序の口。ユニーク度がグイッと上がってくるのは、もっとあと、戦後になってからです。

 そのまえに。千葉賞のお仲間のことも、少しご紹介しておきます。「内容は、サンデー毎日の大衆文芸募集なんだけど、特別感のある企画」のいくつかです。

 『サンデー毎日』というのは(いや、世の雑誌の多くはそうでしょうか)、とにかく○周年、○年目、○号記念、みたいなものを企画に盛り込むのが大好きです。とくに昭和30年台までは、しきりに「大衆文芸募集」が、その企画の目玉として駆り出されました。

  • 昭和7年/1932年。「創刊十年記念長篇大衆文芸」。……海音寺潮五郎さんが入選して、同僚の教師に嫉妬されたかイヤな顔をされた、って逸話で有名なやつです。

  • 昭和12年/1937年。「創刊十五周年記念長篇」。……第1回千葉賞での原稿の集まりのよさ、質の高さに気をよくしたか、翌年もひきつづき、長篇募集をやっちゃいました。

  • 昭和26年/1951年。「創刊30年記念100万円懸賞小説」。……新田次郎南條範夫永井路子と、のちの直木賞三作家が入選者として揃いぶみした、豪華ラインナップ。残り一人の入選者もまた、松谷文吾(沢寿郎)さん、という芥川賞候補作家。

  • 昭和30年/1955年。「大衆文芸30周年記念100万円懸賞」。……ここでもまた、新田次郎、南條範夫が入選して、両者の「賞金荒らし」ぶり面目躍如。

 これらのあいだに、平常版の「大衆文芸募集」が、戦中戦後数年をのぞいて、年二回ずつ、きっちりと開催されていました。よくぞクジけずに続けたよなあ『サン毎』。……その偉さっぷりは、また後日、あらためて取り上げることもあるかと思います。

 それで千葉賞。『サンデー毎日』にとっては、いわば特別企画みたいな扱いです。戦前には、昭和11年/1936年に1回、昭和14年/1939年に1回。

 それが戦後昭和24年/1949年に復活。そこまではイイんですけど、「ええい、毎年やってやろうじゃないか」という気構えを持って再出発をはかったのですよ。何をトチ狂ったんだ『サン毎』、とつい心配してしまいます。

「昭和二十四年には「サンデー毎日・千葉賞」も復活、岩山六太の「草死なざりき」が当選したが、長編小説の懸賞募集は時期尚早のためか、多くの優秀作を得られなかったので、第3回で中断したままになっている。」(昭和47年/1972年2月・毎日新聞社刊『毎日新聞百年史』「出版・事業編 出版 発展めざす各誌の努力」より)

 いいですねえ、「中断」なる用語。いかにも、いずれ機がくれば再復活もあり得るかのような期待をもたせてくれますもんね。99%あり得ないとわかっていても。

 ともかく、優秀作が集まらなかったそうです。いや、作品そのものが集まらなかった、と見ましょう。戦後復活第2回の「千葉賞」は、応募数100余。井上靖さん入選の第1回は、925篇ってえんですから。9分の1。その盛り下がった感じが十分にうかがえます。

 ちなみに、戦後第2回千葉賞は昭和25年/1950年。翌年には「100万円懸賞小説」(短篇)が企画されまして、こちらは応募総数1,295篇! 長篇募集が時期尚早だったというべきか。カネの魔力はおそろしいというべきか。

 はい。ここで千葉賞の命は終わりました。

 ……ってことにならないのが、ユニークなんです。

 戦後の千葉賞は、なぜか長篇募集とは別に、もうひとつ「短篇千葉賞」なんてものが設けられていました。

 一年間で「大衆文芸募集」に寄せられた作品のうち、入選したもののなかから、とくに優秀なものに、千葉亀雄の名を冠した「短篇千葉賞」を贈っちゃおうぜ、っていう。

 これは、戦後第1回の曽我得二さんから、第6回(昭和29年/1954年度)の小田武雄さんまで、少なくとも6年は続けられたみたいなんですね。千葉賞、不思議な足跡です。いや、千葉亀雄の大衆文芸に向けた執念が、フラフラになった千葉賞をそこまで延命させたのだと思いたいところではあります。

 人の名前を冠した文学賞、ってのは、アレですなあ。何かそのように擬人化したくなる魅力がありますなあ。

 『サンデー毎日』=毎日新聞社と、千葉亀雄。彼らが日本の大衆文芸のために果たした貢献度は、もう尋常じゃありません。もしかしたら、直木賞なる既成作家向けイベントよりも、ずっとずっと偉大な貢献だったと言えるかもしれません。

 千葉賞が中断(中止?)したのが昭和29年/1954年。それから8年後に、毎日新聞はふたたび、人名を冠した公募賞をつくりました。吉川英治賞です。しかしこれは、さしたる光を放つことなく、わずか3年で終わってしまいました。

 ああ毎日新聞社よ。いままでありがとう。さようなら千葉亀雄さん。さようなら千葉亀雄賞。

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