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2010年12月26日 (日)

新潮社文芸賞第二部 山本周五郎賞の源流。……と言って、「何それ?知らない」と反応されそうなとこが、いかにも新潮社の賞っぽいや。

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 直木賞・芥川賞に対する、ド正面からのライバル賞、といえば何でしょうか。

 いくつか条件を挙げてみます。出版社が主催している。既発表の小説を対象にしている。純文学と大衆文学の二つの部門に分かれている。……

 この形態を採用して、堂々と文藝春秋の二賞に張り合った、いちばん最初の賞は、新潮社文芸賞です。昭和12年/1937年に創設されました。

 このブログでは、三度目の登場となります。新潮社の賞。以前とりあげたのは、山本周五郎賞(昭和63年/1988年~)。小説新潮賞(昭和30年/1955年~昭和43年/1968年)です。しかし、これらの源流にして、最もガチで直木賞とやり合った新潮社文芸賞を取り上げずして、年なんか越せないよな、と気づきました。

【新潮社文芸賞[第二部]受賞作・候補作一覧】

【新潮社文芸賞[第一部]受賞作・候補作一覧】

 まずは、ジャーナリスト・伊賀龍三さんの、正直な感想を紹介します。

「会社の性格にもよるのだろうが、新潮社の賞は、これまで、文藝春秋の芥川・直木両賞に比べると非常に地味で、一般には馴染み薄かった。(引用者中略)こればかりはよく分らぬが、こと文芸賞に関してだけは、新潮社は伝統ある会社にふさわしくなくギクシャクしている。名称だって最初の賞から二転、三転してきた。

 優れた作品に対して新潮社が賞を出すようになったのは、昭和十一年(一九三六年)以来のことである。創立四十周年の記念事業として「新潮社文芸賞」を設立した。芥川・直木賞ができた翌年のことである(引用者注:正確には同賞の創設は昭和12年/1937年で、直木賞・芥川賞ができてから2年後のこと)

(引用者中略)

(引用者注:三島由紀夫賞と山本周五郎賞の設立で)二人の大作家の名前を冠しているだけにもう変るはずがないとはわかっているが、長い伝統による堅実路線をつらぬいている新潮社に似つかわしくないな、とひと言いいたかった。」(『創』昭和62年/1987年10月号 伊賀龍三「新潮社“堅実”路線の今後の行方」より)

 いや、真に堅実な路線だったら、そもそも文学賞なんて劇薬には手を出さないんじゃないの。てなツッコミは置いておいて。

 二転三転なら、まだカワユイもんです。新潮社の文学賞は、そんな軽がるしく回想されることを許しません。その変遷を言葉で表現しだしたら一冊の本にもなりえる、つうぐらい魅惑の歴史です。

 ほんとに概略でしかないんですが、図で表わしてみました。

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 何だか社会科の教科書を思い出しますね。自由党と日本民主党がくっついて自民党になった、みたいな。いま、ワタクシたちが目の前に見ている山周賞と三島賞は、どんどん時代をさかのぼっていくと、つまり、新潮社文芸賞に行き着くわけです。

 ここでひとつ、悲しいお知らせがあります。

 新潮社文芸賞は二つの部門賞に分かれていました。文芸賞と大衆文芸賞。もちろん、文春一派が推し進めていた「純文芸」と「大衆文芸」の二本立て戦略を、もろにパクッた分類です。でも新潮社は、芥川だの直木だの、そんな曖昧でわかりづらいネーミングを採用しませんでした。文芸は第一部、大衆文芸は第二部、と数字を使って、どっちが上列か、どっちが大切なほうなのかを、はっきり示しちゃいました。

 第二部、とか言われたほうの身にもなってみろよコノヤロ。

 んなことするから、「新潮社文芸賞」といったら、断りのないかぎり第一部のほうしか指さない、といった事態になってしまうのです。困ったもんです。

「新潮社が創業四十周年を記念して設定した「新潮文藝賞」(原文ママ)は昭和十二年度から一年を通じて発表された創作のうち、最優秀と認められる作品一篇に賞金千円を贈る、ということで始まった。その第一回は和田伝の「沃土」、第二回は伊藤永之介の「鶯」に決まったが、いずれも農村を舞台にした小説であった。」(平成14年/2002年9月・筑摩書房刊 大村彦次郎・著『ある文藝編集者の一生』「第六章」より)

 まあ、『ある文藝編集者の一生』は、『新潮』編集長の楢崎勤のことを書いた本ですからね、あえて第二部のことは省いたのでしょうけど。にしても。第一部だけをもって新潮社文芸賞であるかのような表現は、やっぱ大村さん、悲しいっす。泣けちゃいます。

 涙をふいて、先にすすみます。

 ……新潮社の賞史は、ホントあれですねえ。創設、試行錯誤、行き詰まり、リニューアル、の繰り返しです。今回つくった上の図では、新潮社が自社の顔として打ち出してきた賞しか触れませんでしたけれど、ほかにも新潮社の賞はまだまだあります。『小説新潮』の公募賞とか、高額賞金ブーム期につくった数個の賞とか。さまざまな賞をつくっては壊し、壊してはつくってきました。

 そしてまた、切なさも漂わせています。だって、それらの賞名を世間バナシのなかに差し挟んでも、「え、何その賞? 聞いたこともない」と、おおむねの人から興味なさそうな顔をされてしまうという。悲しいでげすな。

 先述の伊賀龍三さんは「伝統の新潮社には、似つかわしくない」と言っていました。でも、思い直さないといけませんね。手を出しては引っ込め、引っ込めては次のパンチを繰り出す、文学賞界のチョコマカ野郎。それが新潮社でしょう。

 ジャブだジャブ。一発で相手を倒せなくてもいいんだ。手数を出せ。あきらめないで動いていれば、いつか効いてくるさ。

          ○

 直木賞・芥川賞は、日本ではじめて、出版社が創設した、既存作家向けの文学賞。……だとするならば、新潮社文芸賞の出現は、選考委員・対象作家・運営母体の似通った賞どうしが、同時期に開催される日本で(おそらく)はじめての事態を引き起こした、ってことでもあります。

 のちには、「賞のピラミッド」とか「賞の階級」とか、あるいは「賞レース」などなどと揶揄されちゃうわけですけど。文壇を彩るイベントにまで成長する文学賞の原型が、そこにありました。

 あれですねえ。使い古された表現ですけど、ライバル関係って大切ですよねえ。直木賞も芥川賞も、この世にあれしかなかったら、成長が止まっていたかもしれません。

 第一部のことは、誰か純文学ラブの人が分け入ってください。うちのブログでは第二部のことを言います。

 第1回新潮社文芸賞第二部。10名以上の候補者が挙げられました。一般読者からの声と、文壇・報道関係の人たちからの推薦によるものだったんですが、そのメンツがなかなか興味ぶかい。なぜ興味ぶかいかといえば、昭和12年/1937年の段階で、「新潮社文芸賞にふさわしい作家は?」と聞かれた人の頭のなかに、当然、「直木賞」の存在がなかったはずがないからです。

 日本人はこのとき、文壇のなかでの賞と賞の位置づけ、という新たな課題に直面しました。

 一部の人は、あえて直木賞をすでに受賞している鷲尾雨工を推します。でも、おそらく、大勢の考えは違う方向にありました。新潮賞二部は、「直木賞では話題にならないだろうなと思われる作家」、あるいは、「惜しくも直木賞を取り逃している作家」を対象にしたほうがいい、と考えられたふしがあるわけです。

 ねえ。武田麟太郎さんだの、丹羽文雄さんだの、藤沢桓夫さんだの。みんな思っていたはずです。彼らの書くものって、ぶっちゃけ大衆文芸じゃないか、って。でも彼らが、純文芸から離れた、新進向けの直木賞の枠内で取り扱われるか、というと違和感がある。ならば、そういう作家を新潮賞二部がすくい上げられるのではないか。そんな期待感です。

 もうひとつ、「直木賞残念賞」として位置づけたらよいのではないか、との思い。それについては、第1回の選評で数名の選考委員が吐露しました。

「氏(引用者注:濱本浩は大衆小説、或は、髷物に於いて、実はなんどもこの種の誇りをほしいままにすることが出来た人だ。直木賞その他で、何度ものぼっていたこともある。しかし、氏はいつも機会がなく損をした。自とこんど新潮社文芸賞でその損が全うできた訳である。」三上於菟吉 『新潮』昭和13年/1938年4月号より)

「濱本浩君は長き雌伏の後に、ようやく躍飛の時を得たという点で、鷲尾雨工君と好一対である。方面こそ違うが、薀蓄力量略々相敵うように思われる。鷲尾君は去年直木賞を得、濱本君は今度新潮社賞を得た。両君共に何を今更と云い度いところかも知れぬ。」(加藤武雄 同号より)

 要は、濱本浩はいい作家なのに、なかなか直木賞がとれない。だから、新潮賞二部を代わりにあげよう、と。

 そう、濱本浩っていうのは、最近になって一躍、直木賞界で話題になっているあの人です。

 ワタクシはかつて、「直木賞に最も嫌われた男」の称号を長谷川幸延さんに捧げたことがあります。しかしどっこい、濱本浩さんもまた、直木賞史のなかで、いやいや大衆小説史のなかで重要な位置を占める作家であることは、いまさら口からツバ飛ばして力説するまでもありません。ただ、そのくらいの力説をしないと、林真理子さんのほうにばかり光が当てられちゃうので、悲しいんですけど。

          ○

 新潮社文芸賞第二部。装いも内実も、これ、ほとんど山本周五郎賞です。

 しかし、山周賞との絶対的な違いがあります。当時の新潮社および選考委員たちは、この賞に、「直木賞をとるまでの新進作家限定」の枠をハメませんでした。その点には、ぜひ注目しておきたいと思います。

 山周賞はごぞんじのとおり(?)、暗黙の了解事項があるらしく、直木賞をとった作家は、候補から除外されてしまいます。誰が除外しているか。候補作を決める新潮社が、です。

 新潮賞二部では、そんなせせこましい決め事はとくにありません。まあ、せせこましい選考委員(新潮賞では「審査員」と呼ばれる)もいたのかもしれませんが、少なくとも、常に大衆文芸の枠組みからの解放を目指していたあの人は、違いました。

 大佛次郎さんです。ちなみに大佛さんは、直木賞と新潮賞二部、両方ともに選考委員を務めていました。第3回の新潮賞では、力づよく直木賞作家・海音寺潮五郎さんを推しています。

「自分は海音寺君の「柳澤騒動」を推した。海音寺君の仕事は地味だが、現下の大衆文芸の世界で作家の熱情で貫いている吉川君の「宮本武蔵」の成功に照応するものとして海音寺君の史実に誠実な苦闘は、もっと認められていいと思うからである。(引用者中略)作家としての手腕から云っても芥川賞受賞(原文ママ)の時代よりも海音寺君は面目を一変していることで、もう一度世間が見なおすことが必要である。」(大佛次郎 『新潮』昭和15年/1940年4月号より)

 いま、吉川新人賞・山周賞からの直木賞、はあっても、その逆はないんですよね。時間軸の流れからいえば、そういう「ルート」が形成されたことが、文学賞界の成熟のあらわれなのだ、と見て取ることもできるでしょう。

 その伝で言いますと、戦前のこの時期は、未成熟な状況です。賞をとる順番なんかに、まだ意味合いが備わっていなかった時代です。

 時が流れ、出版社どうしの攻防があり、文藝春秋は直木賞・芥川賞の柱を大事に育てる、新潮社は正面から側面から、そいつを倒そうと図りながら失敗しては退却し、それでもメゲずに立ち向かっていく。講談社も中央公論社も集英社も、あとからあとからその争いに加わっていって、徐々に「成熟」が構築されてきました。

 ただ、です。そんな成熟感は誰かが申し合わせてつくり上げてきたものじゃありません。いつだってぶっ壊すことが可能です。

 ほら、新潮社は何つったって。文学賞のスクラップ&ビルドをお家芸としてきた出版社ですものね。山周賞をつくって早20数年。いまの状況に安穏とせずに、新たな文学賞バトルのかたちを見せてくれることを期待しちゃいます。

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