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2010年10月の5件の記事

2010年10月31日 (日)

柴田錬三郎賞 注。柴田錬三郎とはとくに関係がありません。

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 まさかとは思うんですが、この世に、「あまり世間の注目を浴びたくない」というコンセプトの文学賞が、あり得るんでしょうか。

 と疑いたくなります。ワタクシたちの目の前に、柴田錬三郎賞があるからです。

 創設は昭和63年/1988年。山周賞・三島賞と同じ時期でした。以来22年、公募新人賞の「すばる文学賞」「小説すばる新人賞」と並んで、集英社三賞の一角を担っています。

 どうですか。このひっそり感。凡百の文学賞の仲間にまじって、存在感を消している感じ。ほんとは柴錬賞ってもっと特異な賞のはずなのに。もう少し注視してあげてもいいのじゃないか、と余計なお節介ゴコロが膨らんできます。

【柴田錬三郎賞受賞作一覧】

 柴錬賞とは何か。……対象はエンタメ小説です。文学文学しているやつは視野に入れません。そりゃそうです。柴田錬三郎さんの名前を借りているんですもの。純文学に対しては恨みがあります。嫌悪感があります。

 新人賞じゃありません。プロ作家として活躍中の中堅どころに与えられます。創設当時、主催者が抱いていたイメージは、このように表現されています。

「傑作「眠狂四郎無頼控」はじめ、不羈の想像力を駆使した数々の作品で、ひろく読者大衆の心をうち、ロマンの新しい地平を切り拓いた故柴田錬三郎氏の名を冠した賞を設け、現代小説、時代小説を問わず、真に広汎な読者を魅了し得る作家と作品を顕彰して、このジャンルの発展を期する。」(『小説すばる』昭和63年/1988年夏季号[6月] 「「柴田錬三郎賞」創設のお知らせ」より)

 うむ。何だかよくわかりませんよね。

 『読売新聞』の記事のほうは、もうちょっとわかりやすく噛み砕いてくれています。

「作品のジャンルは、時代、歴史小説に限らず、広く求める。賞の性格としては、すでにある年功序列を考えた功労賞的なものでなく、新人賞でもなく、現在活躍している作家に与えられる。」(『読売新聞』夕刊 昭和63年/1988年3月31日「柴田錬三郎賞を集英社が創設」より)

 ははは。「すでにある年功序列を考えた功労賞的なもの」って、何を指しているんだ。吉川英治文学賞か。そうか、さすがシバレンの名を借りただけあって、いさぎよいぞな。年功序列なぞクソくらえだ。

 と言ってスタートしたはずの柴錬賞が、20年ぐらいたつと、メッタ斬り!の二人にはこう評されます。

豊崎(引用者注:豊崎由美) 柴錬賞は、橋本治(18回『蝶のゆくえ』)に授賞してますね。面白い賞だなあ。桐野夏生さんに『残虐記』(17回)で授賞したりと、一貫性がない。今回は小池真理子の恋愛小説『虹の彼方』(19回)だし。何でもありな感じの賞ですね。

大森(引用者注:大森望) すでに直木賞をとっている働き盛りのエンターテインメント作家のための賞。小説のジャンルはまったく問わない。」(平成19年/2007年5月・パルコ出版刊 大森望・豊崎由美・著『文学賞メッタ斬り!2007年版 受賞作はありません編』「ROUND5 最新版・文学賞マップ」より)

 現在活躍中のエンタメ作家全般が対象、ってことですからね。一貫性なぞあるわけがないんです。ほんとは。

 でも、大森さんがボソッとつぶやいているように、直木賞作家のために存在する賞、みたいな感じが、たしかに染み込みはじめています。この流れが続いていったとしたら……そんな未来を想像すると、やや身震いしてきませんか。「日本のエンタメ小説界は直木賞をとった人たちだけで出来上がっている」などと勘違いしたまま一生を終える不幸な文壇人をわっさわっさ生み出すんじゃないかと思われてきて、ちと可哀そうな気がするのです。

 柴錬賞って、一般読者層の意向など無視されたところで運営されているわけですし。出版社&編集者&作家たちのことしか念頭にない、ハイパー内向きな賞なわけですし。よほど運営者側が気張らないと、どんどん世間とズレていくでしょうから。

 ほら。選考委員みずからが、こういう思い込みを抱きはじめちゃっている。危ない危ない。

「夜は高輪のホテルの庭園のなかにある一軒家の料亭で、柴田錬三郎賞の選考会。

直木賞をとって10年目ぐらいの作家に与えられる大きな文学賞です。」(ブログ「林真理子 あれもこれも日記」平成21年/2009年10月02日10:40エントリー「柴田錬三郎賞」より)

 「直木賞をとって10年目ぐらいの作家」とかいう基準。怪しげだよなあ。世の中には、直木賞をとっていない作家のほうが多いんですよ、ご存じでしたか。そういう中にも、シバレンの賞にふさわしい、真に広汎な読者に受け入れられる作品や作家はいるでしょうに。

 あ。真理子ねえさん自身の体験が、その思い込みを支えているのか。

「直木賞以来、十年ぶりに大きな賞をいただけることになった。本当に嬉しく、この喜びは日いちにちと大きくなっていくようである。

 私なりに一生懸命仕事をし、何とか大人の作家として認められようと、試行錯誤を繰り返してきた。そのことを見ていてくださった方々がいたと思うと、心から有難い。」(『小説すばる』平成7年/1995年12月号「第8回柴田錬三郎賞決定発表」 林真理子「受賞にあたって」より)

 直木賞・芥川賞みたいな賞から無視されて、それでも腐らずに一生懸命仕事をしている方にも、真理子ねえさん、目を向けてあげてくださいね。

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2010年10月24日 (日)

山田風太郎賞 旧来型を踏襲して埋没するか。新たな文学賞のかたちを提示して巻き返すか。

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 今週金曜日、10月29日に、新しい文学賞の最初の受賞結果が判明します。

 山田風太郎賞。略して「山風賞」が、すでにいま、どのくらい盛り上がっているのかはわかりません。少なくとも、三島賞・山周賞ができた当時に比べたら、そうとう静かなものです。

【山田風太郎賞候補作一覧】

 新潮社が二つの賞をつくったあの頃、昭和63年/1988年には「文学賞ウォーズ」などと言って、一部でワイワイ盛り上がりました。芥川賞 vs. 三島賞、直木賞 vs. 山周賞、文藝春秋 vs. 新潮社、だとか何とか。でも、文藝春秋 vs. 新潮社 vs. 講談社 vs. 角川書店、つうのは、あんま面白くないんでしょうか。

 山風賞に先行して角川書店には、一度、文学賞を始めてつぶした経験があります。「角川三賞」です。以前とりあげましたね。以来24年。いよいよ第二幕です。

 先日、候補作が発表されました。かなりの部分で、「角川版直木賞」の様相を呈しています。うちのブログにとっては格好の材料です。温かい目で、その船出を見守って差し上げたいと思います。

 ……にしても、この賞はスタート前から、相当ハードルが高いです。文学賞マニアの間では、かなり期待値が高まっていると言いますか。

 なにせ、山田風太郎っつう名前の魅惑的なこと。しかも「ミステリー、時代、SFなどジャンルを問わず」と、わざわざ宣言しちゃっている。既存の文学賞ですくい取れない小説も視野に入れますぞ、と言っているかのような構えです。

 さて、どんな小説、どんな作家にとらせる腹積もりなのか。運営を担当する角川書店編集局が、どのような候補作を並べてくるか注目が集まっていました。

 第1回候補、綾辻行人、有川浩、海道龍一朗、貴志祐介、森見登美彦。……ははあ、他の文学賞をとっている人でも、除外されないのだな。少なくとも、山本周五郎賞を受賞しても、まだ山風賞の対象で取り上げよう、って寸法らしいです。

 山周賞は、まあいいでしょう。ワタクシの興味のひとつは、直木賞や芥川賞の受賞者でも、山風賞候補になり得るか、って点にありました。要は、山周賞・吉川新人賞・大藪賞、そういった方面に行くのか。それとも泉鏡花文学賞ぐらい振り切るのか。……第1回については、前者の道が選択された、ということのようです。

 期待が高かっただけに、この点はガックリ。こういう「直木賞ライン」を引いた文学賞の構造は、作家や出版社やその界隈の人たちには、何か恩恵があるのか知らないですけど、観客からしたら、大して面白みがないからです。

 ただ、海道龍一朗さんを候補に選んでいてくれて、ホッとひといき。危うく、角川っ子オンパレードの、角川グループの在庫本を売ろうぜキャンペーンを、大々的に見せつけられるところでした。さすがに、往年の角川小説賞を繰り返す気はないんでしょう、そうでしょう。と見たいところです。

 角川小説賞に比べて、良心的だと思えることを、もうひとつ挙げますと。風太郎さんの旧作を、「山田風太郎ベストコレクション」と銘打って、順次、新刊として手にとりやすくしていってくれていることでしょう。

「今年(二〇一〇年)、新たな文学賞、山田風太郎賞が創設されたのを記念して、角川文庫から山田風太郎の作品が、まとまって刊行されることになった。山田風太郎に興味を持った若い読者のための入門篇となるシリーズにしたいという版元の意向を受けて、選りすぐった代表作を取り揃えたのが、この〈山田風太郎ベストコレクション〉シリーズである。」(平成22年/2010年7月・角川書店/角川文庫 山田風太郎・著『虚像淫楽』 日下三蔵「編者解題」より)

 ええと、若い読者のための入門篇ですか。にしても、新しく書き下ろされた文庫解説はひとつもなく、すべての解説が、昔だれかが書いたものの再録でしかない、ってのは、いくら何でも若い読者を舐めすぎているぞ。と思わないでもないですが、まあ、若い(?)読者がピピッとくるような作家たちに、帯の推薦文を依頼しているその戦略で、許しちゃいましょう。

  • 『甲賀忍法帖』(平成22年/2010年7月刊)帯…冲方丁「なぜ今なお、/これほどまでに新しいのか!?」

  • 『虚像淫楽』(平成22年/2010年7月刊)帯…綾辻行人「今なお――否、現代(ルビ:いま)ゆえにこそ、/いっそう香り立つ/妖しき探偵小説(ルビ:ミステリ)の華々。」

  • 『警視庁草紙』上(平成22年/2010年8月刊)帯…森村誠一「元江戸南町奉行と警視庁の対決を借りて/これほど見事に日本近代化の/陣痛を描出した作品はない。」

  • 『警視庁草紙』下(平成22年/2010年8月刊)帯…作家推薦文なし

  • 『天狗岬殺人事件』(平成22年/2010年9月刊)帯…有栖川有栖「山田風太郎を読めば、/人生がより楽しく豊かになります。/もうご存じでしたか?」

  • 『太陽黒点』(平成22年/2010年9月刊)帯…道尾秀介「肉声よりも肉声に近い叫びを/聞いてみたい人たちへ。」

  • 『伊賀忍法帖』(平成22年/2010年10月刊)帯…有川浩「「小説にルールなんざねえ!」/と墓の下から怒鳴られた。」

  • 『戦中派不戦日記』(平成22年/2010年10月刊)帯…石田衣良「風太郎青年の目から見る戦時は、/そのまま現代ニッポンの姿だ。」

 ※以上、「/」は改行

 で、このうち二人の作家が、山風賞候補に選ばれていて、これまた角川っ子の特権なのか、と勘ぐらせるような仕掛けが効いています。角川グループも、イキなことをやりよるよのう。

 イキなことといえば。そもそも、山田風太郎さんを賞の冠にしようって発想が、イキです。「反骨の作家」。ってことで、この文学賞の色彩を決めようとしているようです。

 反骨の作家イメージを、そのまま文学賞に。直木賞に対抗しようってときには、これほど適切なイメージはありませんよね。そんな面では、やや山本周五郎さん+山周賞とカブっているところもあります。

 周五郎さんは、さまざまな文学賞を拒否った作家の代表格。そして風太郎さんもまた、数いる「文学賞辞退作家」のひとり、ですもの。

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2010年10月17日 (日)

新風賞 人智をこえて売れちゃって、別世界にイッちゃったモンスターに贈る。

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 文学賞をとった本は売れる。……っていうのは、文章として不正確です。言えるのは、「文学賞をとったことで売れた本がある」、ぐらいのことでしょう。

 いや。過ぎ去った時間に「もしも」は通用しないんですが、もしも、ある本が文学賞をとっていなかった場合と、とった場合の売上を比較できたら。まあ、とったほうが少しは部数が上がるのかもしれません。売上を伸ばすことを主たる目的にした文学賞もあるくらいです。本屋大賞とか

 で、今日は文学賞と本の売れ行きのハナシで、一本いきたいと思います。

 参考として取り上げるのは、新風賞です。

 ん? 何じゃね新風賞って。受賞作一覧を見ていただければ、おのずと見当がつくと思います。まずはリンク先をどうぞ。

【新風賞受賞作一覧】

 昭和42年/1967年以降の、各年のベストセラーリストと、ほぼ酷似した並びですよね。それもそのはず、新風賞とは、一年間でよく売れた本の、版元や編集者や著者に、何かお礼をしなきゃなあ人の道に外れるぜ、ってことで、書店企業による親睦団体「書店新風会」が設けている賞だからです。

 書店新風会。単なる一読者の身には、ぴんとこないことでしょう。ワタクシも知りません。

 ことの起こりは昭和33年/1958年。昔むかしです。全国各地でそれぞれ独自に苦労して商売していた本屋さんたち。小売企業というよりは、まだまだ家族経営のこじんまりした段階のところが多かったんでしょう。同じ立場同士が集まって、勉強会をやりながら交流をはかりながら、流通機構の一端として成長していこうと。まあ、そんなことで結成されたらしいです。

 ちなみに、昭和33年/1958年11月、設立に参加した書店は次の23店でした。

 旭屋書店、岩下書店、鶴林堂書店、晃星堂書店、新興書房、清明堂書店、仙台金港堂、自由書房、たがみ書店、田中書店、多田屋、戸田書店、長崎書店、長野西沢書店、明屋書店、広島積善館、文学堂、平安堂、豊川堂、鳳鳴館、北国書林、マルトモ書店、三浦書店。

 それで業界内の交流活動はもちろんのこと、取次とか版元とか、そっちのほうともパイプをつくっていきます。出版社にとっては書店で頑張って売ってくれるのは有難いですから、仲良くしたい。書店のほうも、売れる本をつくってくれる出版社には感謝の意を表しつつ、友好なお付き合いをしていきたい。……ってことで、かなり業界的な視点から、「賞」なるかたちが発生してきました。

 なあんてことを、創設から参加している高須元治(豊川堂)さんは振り返っています。

高須 新風賞の第一号は平凡社。東山温泉で国民百科辞典(原文ママ)を売ったときに、おれが親睦委員長で、感謝する賞を出したらどうだといって……。

田辺(引用者注:旭屋書店・田辺聰) 新風賞も高須さんの提唱ですか。

高須 言い出したのはおれだと思うけれども……。

小林(引用者注:煥乎堂・小林二郎) 高須企画で企画屋さんだもの。

高須 ただし、そのときが何にも副賞なしで、紙ペラ一枚だったの。そうしたら塩原君(平凡社)が、東山温泉で賞状を受け取ったときに足が震えたというんだよ。紙一枚でそれぐらい感激した。それが一番最初だったんですよ。」(昭和63年/1988年10月・書店新風会刊『書店新風会三十年史』所収 「記念座談会 「新風会」30年を振り返る」より)

 これが、具体的に「新風賞」としてかたちを整え、対外的に発表するようになったのが、昭和42年/1967年からでした。

 いわく、「業界に貢献した出版社に対し感謝する賞」だそうです。

「その選考基準は

①すぐれた出版企画

②有効な販促策

③多大な発行部数の実現

④社会・文化に寄与

⑤読者に感銘を与えた

⑥書店業界に利益をもたらした

 ――となっており、毎年事業委員会が会員各社にアンケート調査を実施、その結果を理事会にかけて決定し、新年懇親会の席上で表彰される。」(前掲『書店新風会三十年史』「業界に誇る「新風賞」」より)

 つまり、売れた結果のあとに、もたらされる性質の賞です。その点で、多くの文学賞だとか、同じく書店発の賞「本屋大賞」とは、真逆のものです。

 常に新しいものを追い求める、気まぐれで自由な読者の立場からしたら、こんな賞に、なんら魅力を感じないかもしれません。いくら文学賞を取り上げるブログだからって、これは種類が違いすぎるぞ。やりすぎだろ。っていう内なる声が、がんがんワタクシの耳もとで鳴っています。

 ただ。こういう考え方はとれないでしょうか。

 本が売れるきっかけの一つに、文学賞があるのだとします。なのに、売れた結果で判断する新風賞のほうに、文学賞受賞作が、まあ少ないことの寂しさよ。さんざん「文学賞なんて話題づくりでしかない」とか悪態をつかれているんだから、もうちょっと、爆発的ヒット作を生み出してみろよ、だらしないな、文学賞。

 新風賞を授けられた作品のなかで、直木賞作は一つもなし。芥川賞がようやく、村上龍『限りなく透明に近いブルー』一作を選んでもらっているのみ、っていうテイタラク。

 え? 売れればいいってもんじゃない、んですか? ああ、てっきり直木賞も芥川賞も、本をより多く売るためにやっているんだと思っていましたよ。

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2010年10月10日 (日)

野間文芸奨励賞 人を誉めることだけに徹した、正真正銘「野間式」の賞。

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 「直木賞のライバル」賞はたくさんあります。そのうちのいくつかは、どこかに「芥川賞のライバル」ふうな性質も兼ね備えています。

 純文学か大衆文学か。そんな観点ですべてを割り切れたら楽なもんです。でも、世の中は複雑です。

 たとえば、戦中の昭和16年/1941年にスタートした野間文芸奨励賞っていう賞があります。時代が時代なだけに、よけいな(?)外的要素、内的要素をごっそり内包していました。いったいこの賞は何だったのか。いま見ると、魔界の様相を呈しています。

【野間文芸奨励賞受賞作一覧】

 6年にわたり、5回の授賞が行われました。候補作は、まったくわかりません。

 しかし、これら受賞者の顔ぶれ。よくよく見ると、ああ、なるほど、講談社らしいよね、と思うことのできる面々ではあります。

 通俗的と言いますか。お子ちゃま向けと言いますか。

 驚くべきことに、野間文芸奨励賞は、いまの野間文芸新人賞の前身、と言われたりします。主催者がそう言っているんでしょう。でも、そのハナシを聞いて、ワタクシはプッと吹き出しちゃいました。講談社、なかなかのギャグセンスです。

 だってねえ。前身? え? ぜんぜん違くないですか。そんなノンキなことほざいていたら、それこそ笙野頼子さんあたりに怒られますよ。

 やっぱり、野間奨励賞は、大衆文学畑と、児童文学畑のための賞、と見ないと寝起きが悪いわけです。笹本寅でしょ。『文学建設』の。それから棟田博、山岡荘八、大林清山手樹一郎でしょ。『大衆文芸』の。完全に直木賞のテリトリーですもの。

 たとえば、当時、大衆文壇で生活していた方の証言をひとつ。『大衆文芸』発行元の親分、島源四郎さんです。彼の目を通すと野間奨励賞とは……直木賞と新人の取り合いをしていた、と見えていました。

「私のところから次々と直木賞候補作品が出るものですから、一体どういうやり方をやっているんだということが取沙汰されましたが、実は、私の所では手持ちの作家をつくっておかないと、月々、原稿が足りないので、若い連中を集めて、懇談会を開いてお互いにみんないいものを書こうじゃないかと励ましあってどんどん書いてもらっていたんです。次々と新しい作家が出てくるものですから、文芸春秋の「オール読物」でも、自分のところも懇談会をやるようになって、ウチの連中も入れて「礫々会」というのができました。講談社でも野間大衆文芸奨励賞(原文ママ)というのを設定して、新人賞を出そうということになりました。

(引用者中略)

村上(引用者注:村上元三さんが直木賞をとってから、野間奨励賞に私のところのグループの山手樹一郎さんだとか大林清さんだとかが、皆んな続けて賞をとってしまうんです。それから直木賞候補に長谷川幸延だとか、神崎武雄さんだとかの名があがるのですけれど、しばらくの間は講談社と文芸春秋と競争のようになりました。(引用者中略)その時分は、野間奨励賞でも一旦賞をもらうと、直木賞候補になっても、あれはあの賞をもらったからということではずされたのです。」(『日本古書通信』昭和60年/1985年4月号 島源四郎「出版小僧思い出話(9)第三次「大衆文芸」のこと」より)

 いまみたいに、何賞をとったら次は何賞、みたいなスゴロク式の受賞がなかった頃のハナシです。新鮮ですね。

 源四郎さんの回想って、細かい事実関係ではハテナマークの付くところがあるもんですから、鵜呑みにはできません。ただ、彼自身、そんな大衆文壇をめぐる出版社間の空気を感じ取っていたのだろうな、と。そこは信じてあげたいところです。

 どこの会社の賞をもらうか。檀一雄さんぐらい突き抜けちゃえば、なあんも関係ないんでしょうけどねえ。そういうことを気にする作家がいたのは、事実みたいです。野間奨励賞をとった大林清さんが、後年、嘆いていますので聞いてあげてください。

「講談社の「講談倶楽部」という雑誌は、私のフランチャイズであった。この雑誌に載った作品も含めた一年間の野間文芸奨励賞というのを貰っている。ところが、この賞は檀一雄あたりを前後にして消えてしまった。

 「講談倶楽部」も「小説現代」と看板を塗り替え、内容も一新した。作家の顔触れも連載途中の一人を残して、全部意図的に変えた。その一人も連載が終った後は一度も登場することがなかった。コマーシャリズムの非情さである。こんなことならもう少しネバって他の社の賞を貰うべきだったと後悔したが、もう遅い。」(平成2年/1990年2月・青蛙房刊 大林清・著『明治っ子雑記帳』所収「軽井沢幻想」より)

 ははは、大林さん。「他の社の賞」ですか。そりゃあ、『オール讀物』永久乗車券がついてくる直木賞しか思い浮かびませんよ。

 不運を呼び込む賞、野間文芸奨励賞、ですか。ですよねえこの賞、スタートした時期、終わった時期からしてアレです。選ばれた面子、その作品内容。選ばれた理由などなど。どこを取っても、のちのち再評価されそうな箇所がまったくないのが、可哀そうなところです。

 軍国主義だあ、負のオーラ出まくりの時代だあ、ですもん。その上さらに、完膚なきまでの敗北だあ、講談社なぞ戦犯のかたまりだあ、と来ちゃったわけですから。

 それと、もうひとつ。受賞者にとって不運だったことがあるとしたら。「絶頂期の講談社」がつくった賞だった、って点かもしれません。

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2010年10月 3日 (日)

日本SF大賞 「マスコミのえじきになる」から「マスコミを活用する」への価値転換。

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 祝30周年。冬だか夏だか知らないけど、艱難辛苦をのりこえて、ついに三十路の域に。いやあ、めでたいなあ。人生これからが楽しいのだよ。

 それで、日本SF大賞とくれば、直木賞とは水と油ですもん。こんなブログで書くより他に、いーっくらでも詳しい方はいます。……と言いますか、この賞を「文学賞」のくくりで語ろうだなんて、peleboよ、お前の頭も固いのう、と笑われちゃいそうです。

【日本SF大賞受賞作・候補作一覧】

 んだんだ。この賞を文学賞と呼んじゃいけないのだ。

 とかく文学賞は、地盤が固まるまでのあいだは、あっちこっちにアンテナを張り巡らせるもの。

 って仮説は、ちょっと無理がありますね。でも、少なくとも直木賞には、「大衆文芸」なるものを、そうとう自由に拡大解釈しようとしてきた歴史があります。純文学系からつまみ喰いしたと思ったら、戯曲にも色目を使い、同人誌グループ全体に授賞させようとしたこともあり、エッセイも、評伝も、ノンフィクションも、あわよくば大衆文芸の仲間だよね、と擦り寄る姿勢。

 日本推理作家協会賞だって、そうです。ある時期、小説だけでなく映像作品(テレビドラマ「七人の刑事」とか、映画「日本列島」とか)も候補にしていた時代がありました。

 ただし、両賞とも時を重ねるにつれて、そんな自由さはなくなってきています。

 そして日本SF大賞。ヤツも、両賞みたいに徐々に普通の文学賞の仲間になっちゃう可能性はじゅうぶんありました。大友克洋『童夢』に賞を贈っただけで終わっていたら。

 転換期は、第16回(平成7年/1995年度)、第17回(平成8年/1996年度)ごろに訪れます。映画『ガメラ』を候補に残し、翌年『ガメラ2』に賞を与えたときです。当時の選考委員、巽孝之さんが選評で指摘しました。

「日本SF大賞は一九八〇年の制定以来十六年間の歴史の大半を小説作品を中心に授賞してきたものの(唯一の例外が第四回授賞に輝いた大友克洋『童夢』である)、じつは構想当初よりその選定基準はマルチメディア的であった。(引用者中略)

 したがって、今回初めて映像作品を選出し、日本SF作家クラブはようやく当初の公約の一部を果たしたにすぎない。それは日本SF大賞自体がようやく「幼年期の終わり」を迎えたことを意味する。「状勢の推移」を反映した改革が行なわれる日も遠くあるまい。」(『問題小説』平成8年/1996年12月号 巽孝之「第十七回日本SF大賞選評」より)

 「「状勢の推移」を反映した改革」? 何なんだ、この意味深な言葉は。……っていうハナシは、後で触れさせてもらうとしまして。

 ちょうど、制定当初の話題が出てきました。日本SF大賞の制定の背景を、いまいちどおさらいしときましょう。

 これについては、SF大賞発足10周年のとき、『SFアドベンチャー』が組んだ「特集・日本SF大賞10年」という非常によくできた記事があります。そのなかで石川喬司さんが、きっちりまとめてくれています。

「日本SF大賞が生まれるまで、SF界にあった賞は、各SF専門誌の新人賞と、ファン連合の星雲賞だけだった(引用者中略)

 日本にもアメリカのヒューゴー賞(引用者注:ネビュラ賞?)のようなものが欲しい、という声は早くからあり、初代『SFマガジン』編集長だった故福島正実の呼び掛けで、1965年に、安部公房、奥野健男、星新一、それに石川、福島の五人が集まり、日本SF賞制定委員会を開き、第一回の候補作に、川端康成の『片腕』を選んだものの、資金集めの段階でつまずき、結局お流れになったことがあった。」(『SFアドベンチャー』平成2年/1990年2月号 石川喬司「日本SF大賞この十年」より)

 昭和40年/1965年、つうのは、直木賞史でいえば小松左京「地には平和を」「お茶漬の味」が候補になって、落ちた直後です。まだまだSFが、推理小説だと認識されていたときです。

 少し長くなりますが、幻のSF賞のおハナシ、福島正実さんの回想録からも引いておきます。

「この頃(引用者注:昭和40年/1965年)、ぼくは、日本SF賞の制定のための組織づくりにも精出していた。そして六月某日、銓衡委員の第一回会合を、有楽町のレストランで開くところまでこぎつけた。

 出席者は、安部公房、石川喬司、奥野健男、星新一それにぼくの五人。

 決定事項は、つぎの通りだった。

 一、日本SF賞は原則として作品賞とする。

 ただしSFの興隆に功労のあった個人、団体におくる場合もある。

 二、賞の対象となるのは、毎年前年の六月一日から当年五月三十一日にいたる一年間に公刊されたものとし、その一年を通じて最優秀と認められた作品一作にたいしておくられる。ただし一作以上の場合もありうる。

 三、他に審査員賞を設け、(1)映画・演劇・テレビ部門(2)評論・科学評論部門(3)翻訳部門(4)美術部門(5)児童部門のそれぞれから一作を選んで賞をおくる。

 四、SF賞の正賞はブロンズ像とし、副賞として賞金をおくる。

 五、SF賞の選定は銓衡委員会が行なう。委員会は五人で構成し、三人を日本SF作家クラブから、二人をクラブ外の作家評論家から選ぶ。委員の任期は暫定的に二年とする。

 ぼくはこの賞を、アメリカにおけるネビュラ賞あるいは国際ファンタジー賞のようなものに育てたいと考えていた。よりポピュラーな賞にはもちろんヒューゴー賞があるが、これは出版社と作家・批評家のほか、アマチュアがかなりの投票権を持っているので、ぼくの構想とはちがっていた。この賞を、他の文学賞に遜色のない権威をもたせることによって、SFを毛嫌いし、最初から除外してかかる大きな文学賞――たとえば芥川賞、直木賞の類――にも、アタックする有利な地歩を獲得すること。もちろん、最終的には、それ自体の権威を高めて、むしろそれらの賞と対立した主張を行なう地盤とすること――それが、ぼくの当初の目的であった。」(昭和52年/1977年4月・早川書房刊 福島正実・著『未踏の時代』「'65」より ―引用原典は平成21年/2009年12月・早川書房/ハヤカワ文庫JA)

 出たー。福島さんのアマチュア嫌い。そして、既存文壇への闘争心。

 直木賞。それは、我々の存在を無視するデッカイ敵である。そんな見立てが、昭和40年/1965年ごろに根づいている風景は、うんうん、そうだよね、と納得して見ることができます。

 それから15年。いよいよ小松左京さんと筒井康隆さんの手によって、日本SF大賞がスタートすることになりました。

 果たして昭和40年/1965年のころと、昭和55年/1980年、直木賞との関係はどうなっていたでしょうか。デッカイ敵であるまま、それどころか悪化の一途をたどっていたんですから、もう喜劇です。悲劇です。直木賞は、筒井康隆にも、半村良のSF小説にも、広瀬正にも、山田正紀にも、頑として賞をあげませんでした。

 15年間。じつにこの、プロのSF作家が決める賞が日本で誕生するまでの15年は、ある種、文学賞にとっても重要な時間だったと見て取れます。

 と言いますのも。福島正実さんの頃にはなかった条項が、15年を経て、付け加えられたからです。「候補作は一切公表しない」という絶対の規約が。

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