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2010年9月19日 (日)

土門拳賞 「写真界の直木賞」らしく、くだらない権威主義まっしぐら?

100919

 一回、変化球を投げます。手が離れた瞬間から明らかにボールだとわかるクソ球です。見逃してください。

 土門拳賞。写真界の直木賞、だそうです。ワタクシは文壇の魔界に足をとらわれて、もがくだけで精一杯です。写真界のことはほとんど知りません。でも、「直木賞」の文字に、つい飛びついちゃいました。

【土門拳賞受賞作・候補作一覧】

 じつは、問いつめてやりたいのです。ほんとに土門賞、あなた、「直木賞」にたとえられて満足なのですかと。直木賞がたどってきた愚かしくも可哀そうな歴史を、あなた自身、受け入れられますかと。ワタクシがもし賞だったら、直木賞にはなりたくないものなあ。

 いや。土門賞自身は、別に直木賞になどなりたくないのかもしれませんね。そう導きたいのは、まわりの人間たちですもんね。

 写真家・土門拳さんは昭和54年/1979年9月、脳血栓で倒れます。以来、ずっと意識不明でしたから、自分の名を冠した賞ができようができまいが、おそらく何の感情も持てない状況だったでしょう。その間に、毎日新聞社が賞をつくりました。昭和57年/1982年のことでした。

 と、ここで気になります。創設された段階で、土門賞は「写真界の直木賞」と言われ始めていたのかどうか。

 ほんとうは、その発生源をたどりたいところではあります。ただ、直木賞オタクとしては、いまいち意欲が沸いてこないんですよね。なぜなら、そのときすでに、木村伊兵衛写真賞が存在していたからです。

 つまり、アレです。直木賞は直木賞だけ単独で、世間に浸透することなどできないのだ……っていう、さんざん見せつけられてきた悪夢のような現実を、ここでまた、念押しされるだけじゃないのかと。

 木村賞は「写真界の芥川賞」と呼ばれている。じゃあ、それに対して土門賞は「直木賞」だよね。みたいな展開。

 「写真界の直木賞」とか言いながら、その言葉のウラで存在感を放っているのは、じつは直木賞じゃなくて、芥川賞のほうだと。……ほんともう。ゲンナリします。

 何なんだ、この二番手感。

 誰が言ったか「写真界の直木賞」。でも、このネーミングが今も言い継がれつづけているんですから、確かに、そのように表現すると理解しやすい何かが土門賞にはあるんでしょう。たとえば、

  • ポッと出の新人に贈られるものではない。長い写真家活動を送ってきた中堅・ベテランどころに贈られる。

  • 授賞は、対象作品だけでなく、活動全般を視野に入れた上で行われる。

  • ライバルとなる賞がある。

  • 人の名前が冠されている。

 つうところですか。

 「大衆性」って面はどうなんでしょう。どなたかに教えていただきたい。なにせ直木賞は、上に挙げた4つの特徴を持ってはいますが、どれもこれも、些末な特徴でしかないですもんね。些末と言うと語弊がありますけど。この4点をもって「これこそ直木賞だ」と自信ありげに宣言されると、ワタクシは悲しいのです。

 直木賞の、いちばんの特徴は何なんでしょう。「大衆文芸を対象にする」って点じゃないんですか。

 大衆性をもったありとあらゆる文芸作品。……何だか訳わかりませんよね。この分類不能なところからくる、自由さ、垣根のなさ、あいまいさ、あるいはどっちつかずの雑食性。これこそ直木賞だ、とワタクシは思います。

 大衆的で、通俗的。字が読めてものがたりが追える人間なら、だれだって楽しむことができる。直木賞が対象にしているのは、たいていそういう作品です。文学の本道と扱われることはありません。芥川賞の二次的な役割に甘んじて、ン十年。芥川賞が華やかなスポットライトを浴びるようになったおかげで、たまたま注目されるようになっただけの賞。

 土門賞が、そんな点でも、もし直木賞と似た歩みを経てきたのだとしたら、がぜんワタクシは興味を向けたくなります。どうかご教示ください。

          ○

 賞、ってさ。何やかんや言っても、優れた人や作品を表彰しているんでしょ。人間の好意が感じられる、温かい行為だよね。……と考えている分には、心は平和です。でも現実、そうじゃない。そうじゃないから、面白さが何十倍にもなります。

 土門賞のことじゃないんですが。以下、木村賞のエピソードです。

「実は、その前年(引用者注:昭和50年/1975年)から朝日新聞の社賞として木村伊兵衛賞が創設され、第一回の受賞者に「村へ」の北井一夫が選ばれていたが、その受賞展はミノルタ系のギャラリーで催されていた。これが三木淳に言わせれば、「とんでもない非礼で約束違反」になるのだった。日本写真家協会(JPS)の会長だった木村伊兵衛は、非常に親しかったニコン社長の長岡正男のあとをうけてニッコールクラブの会長を務めるなど、ニコンとの関係は切っても切れない。木村賞の創設のとき、ニコン側でも創設の動きがあったが、朝日が賞をつくるなら、それにこしたことはないと譲ったいきさつもある。(引用者中略)朝日側から木村伊兵衛賞を運営したい意向を示されると、ニコン側は快諾せざるを得なかったのだ。だが、それには、希望の条件があった。それが、受賞作のニコンサロン展示であった。(引用者中略)

 ニッコールクラブの会長室を訪れた私と永田デスクを、三木淳は満面に笑みをうかべて迎えた。だが、ひとしきり挨拶のやりとりがすむと、きっと眼鏡の奥の眼眸が鋭く光り、

「いやまったく困ったことですよ。岡井さんは事情をご存知ないでしょうが、木村賞の受賞展をニコンでやらないなんてことが許されてたまるもんですか」

 と、身を乗り出した。」(平成20年/2008年7月・平凡社/平凡社新書 岡井耀毅・著『肉声の昭和写真家』「海越える視野の先駆性 三木淳」より)

 なかなかゾクゾクするいがみ合いですね。でっかい賞だもの。こういう思惑、プライド、あるいはカネにからんだ争いが、当然あってしかるべきです。

 要は、木村賞っつうのは、全国紙が本腰いれて企画したものでした。そうなると多くの人の目も集まり、またお金もガバッと動く存在だった、と考えるのが自然でしょう。

 岡井耀毅さん(当時『アサヒカメラ』編集長)に言わせれば、第2回目のときに、木村賞と「芥川賞」を結びつける発想を持ち込んだそうです。さすが。ジャーナリズムに生きる人は、喩えをじゅうぶんに活用するもんですな。

 それで土門賞です。なるほど。ここで土門賞=直木賞の関連性が出てくるんですか。

 昭和50年代。朝日新聞社が木村伊兵衛賞をつくって、写真賞界でブイブイ言わせている。写真界の芥川賞、とか言って気取っている。そりゃあなた、この展開で、毎日新聞社が歯ぎしりしないわけないでしょう。

 しかも毎日といえば、思い起こせば何十年も前に、大事な大事な事業が、大衆文芸に救われた過去があります。『サンデー毎日』です。いきおいよく創刊したのはいいものの、しばらくジリ貧状態が続いていました。ようやく売れ出したのは、大衆文芸を載せたおかげだったと。

(引用者注:大正13年/1924年)5月25日号から同じ白井喬二による「新撰組」がスタートしたのだった。幸いにこの長編はたいへん好評を博し、人気を呼んだので、一年以上も続き、五十六回という未曾有の連載となった。ここに『サンデー毎日』の行き方がある程度決定づけられ、ようやく安定した一つの型が形成されたとみてよかろう。(引用者中略)

(引用者注:白井喬二語る)「週刊もので巻頭に小説を出したのは、あれが初めてなんです。それが評判になってね、石割君(引用者注:石割松太郎)が喜んで『部数が倍加した』というんですよ。まあ、さいわいにして売れたんだが、あの頃、週刊誌の危機だったんですよ。

 あとで聞いたんですが、『週刊朝日』も『サンデー毎日』もそうだったようです。それで『日本では週刊ものはうまくいかないんじゃないか』という話しになりかけていた。そこへ小説を巻頭に載せたら、ひじょうに受けちゃったんですね。そこで『小説をうまくやれば週刊もいける』という結論になったんです」(引用者中略)

 この『サンデー毎日』の転換に刺激されて『週刊朝日』もようやく読物化し、大衆化の傾向を進むようになった。」(昭和48年/1973年2月・毎日新聞社刊 野村尚吾・著『週刊誌五十年』「画期的な転換」より)

 そう。『サンデー毎日』=毎日新聞社は、大衆文芸の生みの親。というか、育ての親。その試みが成功し、さらに育成に励んでくれたおかげで、直木三十五が思いっきり活躍できたわけですし、直木賞なんてものが誕生することができたわけです。

 その毎日新聞ですもん。朝日に対抗して土門拳賞をつくった、しかも朝日のほうのやつは「写真界の芥川賞」と呼ばれている。となれば、土門賞が「直木賞」と言われるようになるのは、当然の流れかもしれませんね。

 いや。こうなると、「写真界の直木賞」を入れる器は、毎日新聞こそがふさわしい、と思えるのですから不思議です。大衆文芸、直木賞、それに毎日。けっしてトップではない。傍流。傍流ゆえに冒険、あるいはムチャクチャが許される(?)土壌があるっていう。

「最も伝統的な総合雑誌として、『アサヒカメラ』、『カメラ毎日』、『日本カメラ』の三誌をあげることができる。三誌とも初心者から高度技術者(ルビ:プロカメラマン)までの広い層に対応するため、ともすれば保守的で月並みな編集になりがちなのは否定できない。しかし他の二誌に押されて、部数がのびなやんでいると言われる『カメラ毎日』が、企画を重視して評論ページを増やすなど、やぶれかぶれの攻勢に出ているのが注目される。」(平成5年/1993年12月・未来社刊 飯沢耕太郎・著『写真の現在クロニクル1983-1992』「シャ・シーヌ国訪問記 あるいはかの地における雑誌類について」より ―初出『美術手帖』昭和58年/1983年6月号)

 ただ、直木賞も今ほど注目を浴びる前は、いくらでも冒険ができたのに、ちょっとチヤホヤされ出すと、急激に縮こまってしまう病気に罹っています。やーね。

 土門拳賞が、写真界や写真界ファンにどんな扱われ方をされてきたのか。知らないんですが、神棚に奉られてふんぞり返っている、なんて状況になっていないことを祈るばかりです。

          ○

 土門拳賞の受賞作・候補作リストをつくっていて、改めて思いました。ワタクシは写真界のことは知りません。リストに登場する写真家の名前を見ても、ほぼピンと来ません。でも、リストづくりは無性に楽しい。

 受賞や落選の背後に、いったいどんな人間の思いが走っていたのか。それを想像するだけで、妙にワクワクします。

 土門賞は、選考にあたって、写真家、作家、評論家など100人弱に、推薦アンケートをとっています。そのうち何通ぐらい回答があったのかなど、詳細を知りたいところです。でも近ごろは、『毎日新聞』上では明らかにされていないみたいで。ただ、第4回(昭和59年/1984年度)、第5回(昭和60年/1985年度)ごろには、けっこう詳しく公表されていました。

 94人に推薦依頼をして、回答37人。翌年は約100人中、回答21人。

 ほほう。たったこれだけの回答数から、賞を決めちゃうのか。なかなか小規模なんだな、とか。

 でも、このくらい正直にオモテに出すほうが、見ている側は楽しい。ああ。無責任ってのは、イイなあ。世の中、面白いことだらけだ。

 で、当時(第4回)、毎日新聞社側から送り込まれていた選考委員は、西井一夫さん(当時の『カメラ毎日』編集長)でした。西井さんって方、ワタクシはまったく存じ上げなかったんですけど、ええと、切れ味するどい個性的な方だったんですって?

 既成の賞を唾棄して、それに反旗をひるがえした方らしくて。こういう文章を読むと、ますます寄り添いたくなってきますなあ。

「写真の多くの賞が毎年発表されるたびに思うのは、どこか違う、ズレている、という不思議な違和感だったのですが、それが、近年増幅してきたように思えます。数人の友人と話す機会のなかで、大なり小なり同じような違和感を持っていることがわかったのです。で、権威などなくてよい、既成の写真賞が見ようとしない、未完でも存在を感じさせてくれる写真に(僭越ながら)勝手に賞を差し上げ、ともに励まし合える「場」をつくりたいということになったのです。」(平成9年/1997年3月・青弓社刊 西井一夫・著『写真的記憶』所収「「写真の会」発足の「呼びかけ」」より ―末尾に「'88年夏」とあり)

 ううむ。「土門賞」一つのことを指しているわけじゃないでしょうけども。直木賞を気に喰わないと感じる勢力が、いろんなライバル賞をつくっていく現象と、似たようなものが、写真界にもあるのですね。エキサイティングだ。ドロ沼の様相だ。もっとやれ。

 西井さんが関わった土門賞のうち、第4回で受賞されたのが、江成常夫さんです。のち平成4年/1992年度からは、同賞の選考委員も務められています。

 『写真的記憶』を読みますと、既成の写真賞をそのまま人間にしたようなのが、その江成さんだ、っていうことでクソミソに攻撃されています。

「江成常夫という元毎日新聞社の写真家がこの夏、『記憶の光景・十人のヒロシマ』という本を出し、『まぼろし国・満州』という写真集も出した。(引用者中略)満州もヒロシマもこんな程度の浅薄な視線は、文字分野なら、とっくの昔になんの評価もされないよ。満州といえば「侵略」しか頭に出てこない、浅薄なジャーナリスティックなお「仕事」には付き合わない。と言いつつ、これだけ字を使ってしまった。アホらしい。」(前掲『写真的記憶』所収「江成常夫の仕事」より ―末尾に「'95・9・16」とあり)

 といったようなことを、西井さんが「写真の会」会報に書きました。それに腹を立てた江成さんが、会報の編集責任のところに怒鳴り込み、それだけじゃ済まず、西井さんの毎日新聞の上司にまで抗議をしたんだとか。それを受けての西井さんの注釈。

「江成本人に個人的恨みがあるのか、と聞いていたそうだから、ついでに教えておこう。個人的には、あなたのことなどなんとも思っていない。評論するに値しない、と思う。あなたのような権威主義的な人は、せいぜいごりっぱな賞をいくつももらって、お偉いところから、仰ぎ見る下々の写真愛好家にご託宣を垂れているのがお似合いだ。(引用者中略)こんな姑息なことを平気でする人が、次々に写真賞をもらうというような、そんな賞のあり方に愛想を尽かせて、私たちは写真の会賞をつくったのだ。」(前掲「江成常夫の仕事」注釈より)

 ははは。笑うトコじゃないかもしれないけど、気持ちよすぎて、つい声を立てて笑ってしまいました。

 ほんと、賞って、候補者たちを勇気づけたり励ましたり、それだけの機能しかないのだとしたら、すごく清らかな事業なんですけどねえ。権威化していっちゃうんですよねえ。そして権威あるところ、かならず濁った人間関係、縛られた人間関係(ヒエラルキーってやつですか)が発生しちゃうんですよねえ。

 くだらない。バッカみたい。……でも、これってやっぱ、最高のショーだよなあ。

 土門拳賞よ。永遠なれ。

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コメント

こんにちは、
私は写真ファンですが、面白い記事ですね。
写真関係の賞は業界内での話題にこそなれ、大きな社会的影響力はありません。たとへば自費出版で数百部かせいぜい二千部出した写真集が受賞しても、それで一気に売切れてしまふわけでもない。
「写真好き」の殆どは、他人の本に金は使はない(カメラには使ふ)
ちなみに、西井一夫の「写真の会賞」も人間関係で賞を出してゐます。西井が自分でさう書いてゐる(以下参照)

http://d.hatena.ne.jp/katouk/20080829/1220020962

『写真的記憶』を御覧になれば、西井の「友達」が誰かすぐ分りますね。友達のこととなると、甘つたるいことを言ひ出します。わかりやすい。既に死んでしまひましたが愉快な人です。

投稿: 加藤 | 2010年9月27日 (月) 19時56分

加藤さん

写真界に詳しい人にとってはトンチンカンなエントリーになってしまったな、と思っているところに、
ご丁寧にもコメントを頂戴して、ありがたく思います。

西井一夫さんの「写真の会賞」、そんなこともあったのですか。
おもしろいハナシですね。
いや、賞にまつわるハナシはたいていおもしろいですけど、
西井さんという方も、相当おもしろい方だったみたいで。

投稿: P.L.B. | 2010年9月28日 (火) 01時00分

土門賞って、どうなんだべなぁ。田舎のジジィが顔赤くして頑張っても、なんもダメだなぁ~す。色々とゴジップも、あるども土門先生は墓で何も分からないな~す。
あぎ彼岸だもん20回もの賞わさぁ、立派なものにしんべ~い。みんな頑張っへぃし。何のしがらみも何もねぇ、公平なものに育ってべ~しなぁ。では、見でるぞぉ~。

投稿: | 2013年9月22日 (日) 09時09分

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