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2010年8月 8日 (日)

角川小説賞・日本ノンフィクション賞・野性時代新人文学賞(角川三賞) 文学賞は売上に結びつかなければ無価値である。

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 そうそう。角川小説賞が「直木賞のライバル」っていうのは、わかるよ。エンターテインメント小説のための賞だから。でも、日本ノンフィクション賞とか、野性時代新人文学賞まで、ライバルって、そりゃおかしいぞ。

 ……と、反射的に思ってしまった方のために、今日のブログを書きます。

 ワタクシも、そう思っていました。直木賞とは大衆文芸=エンタメ小説を対象にした文学賞だ、と信じ込まされていたころは。でも、いつからか、直木賞って全然そんな賞じゃないじゃん、と思うようになり、今でははっきりと言い切ることができます。

 角川三賞…角川小説賞・日本ノンフィクション賞・野性時代新人文学賞は、いずれも立派な、直木賞のライバルですよと。

【角川小説賞受賞作一覧】

【日本ノンフィクション賞受賞作・候補作一覧】

【野性時代新人文学賞受賞作・候補作一覧】

 この三賞が生まれたのは、昭和49年/1974年。角川春樹さんの株が急上昇中(?)していたあのころ、総合文芸誌『野性時代』の創刊に合わせて、でした。

 それから13年後。当時の角川書店にしては、けっこう長く引っ張ったな、と見るべきか。たったそれっぽちで見切りをつけちゃったのか、と見るべきか。すっぱり中止・廃賞してしまいます。

 たいてい文学賞というと、まず建前があります。それは「新しい才能の発掘」であったり、「良質で、でも埋もれた作品に、光を当てること」であったりするもんです。角川三賞の場合も、たぶんそれぞれ、そういうお題目がありました。でも、本音はもちろん、「受賞作、って広告フレーズが付けば、売上げ増が見込まれますでしょ」ってことです。

 その点、角川書店は正直です。もし賞が盛り上がらず、売上に貢献しないとわかったら、さっさとやめます。当然のことです。

角川三賞を廃止 日本ノンフィクション賞、角川小説賞、野性時代新人文学賞の、いわゆる角川三賞は、十三回の今年で廃止と決まった。廃止の理由について角川書店側は「授賞しても本が売れるなどのメリットがなくマンネリ化したためで、将来、状況が変わったら新しい賞を考える」といっている(27日読売夕刊)」(昭和62年/1987年6月・新潮社刊『文藝年鑑 昭和六十二年版』「日誌1986年 一〇月」より)

 てらいナシ。廃賞するにあたって「一定の役割を終えた」だとか、そんな腹の足しにもならない綺麗ゴトはいっさい述べません。角川書店、いいなあ、正直で。

 で、三賞のうち、最も露骨に「授賞=本を売る」の考えを体現化していたのが、角川小説賞である。とは、誰もがうなずいてくれることでしょう。

 一般から応募原稿をつのるわけでもなく、ただただ、『野性時代』に載った作品や、角川から出版された作品のなかから、優秀作を決めるという。「他社の本を、何で角川のカネで表彰しなきゃいけないの?」と言わんばかりでして。これを、いさぎよいと言わずして何と言う。

 残念なことに、この賞は候補作を公表していないので、文学賞の楽しみは半減させられています。でも、受賞者の顔ぶれと、それを選んだ選考委員の方々のメンツ、それを見るだけでも、けっこう面白いですよね。ほら。他の文学賞(ええ、直木賞のことです)で煮え湯を飲まされてきたエンタメ作家に、じゃんじゃか賞を上げちゃって。

 選考委員の一人として、きちんと「角川書店編集部」と明記してあるのも、角川らしさが表れています。だってここまでハッキリ書かれては、版元の人が「司会」とか名乗って、あたかも選考に参加していないふうを装いながら、なにげに議論を誘導したり、版元の意向をちらつかせたりしてるんじゃないの? みたいな邪推も、する余地がありません。

 ああ。赤江瀑さん。河野典生さん。山田正紀さん。谷克二さん。その他、角川小説賞作家たちは、直木賞の場では散々な扱いを受けていたもんなあ。で、角川賞の選考委員の方々は――とくに直木賞委員を務めていないような方は――、そういう作家たちに優しく寛大です。涙が出ます。

「彼(引用者注:山田正紀)に対し「劇画的」という批評の出ることは、当然、予想される。私は劇画の愛好者ではないが、いまや劇画は娯楽媒体として無視できぬ存在である。かつて探偵小説は軽視されていたが、現在、ミステリーの手法へ抵抗感を持つ人はいなくなった。世の中とは、そういうものである。劇画的と押さえつけたら、いきのいい若い作家は出てこない。」(『野性時代』昭和53年/1978年1月号 星新一「虚構の世界を築き上げる才能」より)

 ついでに、厳しい意見を吐いた御大の選評も、ひとつだけご紹介しときましょう。

(引用者注:泡坂妻夫『喜劇悲奇劇』について)この、あまりにも古めかしい感覚に、私は、どうしてもついて行けなかった。

 もう三十年も四十年も前に、何度も読んだ〔謎解き小説〕を読まされたおもいがした。」(『野性時代』昭和58年/1983年1月号 池波正太郎「古めかしさ……」より)

 池波さんも新人・中堅の推理小説は、あんまり認めようとしなかったっぽいよなあ。……と言いますか、よくぞ角川も、池波さんに角川小説賞の選考委員を引き受けさせたなあ。

          ○

 といったところで、ハナシを他の二賞のことに移します。

 仮に、「芥川賞のライバルたち」みたいな企画があったとしまして、そこで野性時代新人文学賞を取り上げることはあるでしょうけど、角川小説賞や、日本ノンフィクション賞を俎上に乗せることは、まずありますまい。

 でも、直木賞は違います。

 どう違うか。といえば、直木賞が目を向けていたのは、角川小説賞に名の挙がる作家ばかりじゃなかった、ってことです。野性時代賞や日本ノンフィク賞の受賞作・候補作までも、おのれの候補として取り上げている、ってことなんです。

 よくぞ言ったり、「直木賞の雑食性」。

 まあ、野性時代賞は、もうこの賞そのものが、純文学・エンタメっていう分類を取っぱらっている態ですからね、「野性時代の雑食性」と言うべきなのかもしれないですけど。

 直木賞×野性時代賞、の組み合わせで言いますと。谷克二さんや片岡義男さんは言うに及びません。野性時代賞最大のヒット「エーゲ海に捧ぐ」を挟んで、つかこうへいさんや、一條諦輔さん(川本旗子)までも、候補になっていたりして。最後の最後に、天童荒太(王出富須雄=栗田教行)さんを生み出して終わっている、っていうオマケつき。

 ああ。心地よい直木賞の風を、感じますなあ。

 いっぽうの日本ノンフィク賞。こちらもまた、微風ですけど、直木賞の風がそよいでいます。

 「ノンフィクションの賞」と言われたら、つい大宅壮一ナニナニとか、講談社チョメチョメとかと比較したくなってくるもんです。なのに、直木賞オタクでも十分に楽しめる受賞作・候補作一覧。嬉しいじゃありませんか。

 岩川隆さん『神を信ぜず』。西木正明さん『オホーツク諜報船』。……と2つの、直木賞との同時候補作があるのが注目どころです。作家名だけで言えば、宮脇俊三さん、小関智弘さん、梁石日さん、とおなじみの顔が並んでいるのも嬉しいところ。

 そもそも「角川三賞」は、それぞれが異なる領域の作品を対象にして(かぶる部分はありながら)、立派に三つが並行して運営されていたわけです。え。その三つのすべてに、がっつり絡み合っていた直木賞って、いったいお前、どんだけ節操がないんだ、と言いますか。

 純文学と大衆文学のボーダーレス、とか何とか言っている場合じゃありませんよ。芥川賞のほうは知らないですけど、直木賞は本来、ボーダーレスの申し子じゃないですか。いやあ、だからワタクシは直木賞が好きなんです。

 候補作を選ぶ文春の方々も、小さく固まらずに、ときどきは、いろんな領域への侵食を試しつづけてほしいな、と思うゆえんです。

          ○

 昭和50年代の角川書店――つまり角川春樹のことを何度となく記事に書いているルポ・ライターに、坂口義弘さんがいます。その坂口さんの好きな表現は「角川春樹は負ける賭けをしない男」というものです。

「角川(引用者注:春樹)の発想は、すべてが勝つか負けるかなのである。ある広告に、角川と森村誠一とが並んで「われわれは勝った」と、叫んでいたが、これなどもその辺を如実に示しており、負ける喧嘩はしないのが角川の流儀なのである。

(引用者中略)

 角川はかつての横溝の根強い人気と、今日の推理小説ブーム、そして日本人のリバイバル好きに着目したのである。高木彬光しかり森村誠一も推理作家として読者が定着、売れっ子である。この三人に共通していることは、人気上々であって無名作家ではないということだ。

 これでおわかりのように、彼は賭けをしない男なのだ。」(『現代の眼』昭和54年/1979年11月号 坂口義弘「角川書店・角川春樹―「成功理論」に“神”を見た」より)

 その伝で行きますと、果たして、角川三賞は、勝ったのか負けたのか。13年で終わったってことは「負けた」とも言えそうですが、逆にさっと引き上げてだらだら続けなかったことで「勝った」とも言えたりして。

 まあ、文学賞の世界で勝つ、と言うのは、直木賞・芥川賞以上の話題を集めて、それ以上の売上をもたらすこと、なんでしょう。でも、春樹さんや当時の角川書店にとって、そんなものは戦うには小物すぎたのかもしれませんよね。文学賞の宣伝効果なんて、さほどのものでもない、と気づいたに違いありません。

 そもそも、春樹体制の初期の仮想敵国は、新潮社だったそうですし。文藝春秋なんてねえ。別に脅威でも何でもなかったのかも。まあ、キミんところは、直木賞・芥川賞でポンポン売れる作家を製造してくれたまえよ、それをうちで書かせて儲けさせてもらうから、って感じでしょうか。

 たしかに角川書店は、角川三賞をやめ、「非公募の文学賞」なる非生産的な事業からは距離を置いたかたちをとりました。そして、出版社第二グループから飛び出して、第一グループの音羽・一ツ橋を標的に、ぐいぐいと前に進みました。

 文学賞? そんなものをありがたがる一派は、古くさいし時代おくれだ、と言わんばかりに。

 ちなみに、その「文学賞」ってシロモノを、角川商法以上にエゲツないものと称した人もいます。昭和54年/1979年当時に、角川春樹についての本を書いた山北真二さんです。

「大手出版社は商業第一主義で本づくりをしているが、これを非難してみても、もはや有効性はないだろう。文庫本合戦をみてもわかる通り、もうどうにも止まらないという感じである。大手に個性を求めることすらできない。企画も製作もオートマチックになっており、売るためにはどんなにエゲツないことだってやる。

 たとえば文学賞。昔と比べたら権威などほとんどない。レコード界の賞がとやかくいわれるが、出版もまったく同じである。角川商法は派手なためにそれだけ批判の的にもなっているが、エゲつないことにかけては大手の出版社の方が一枚も二枚も上手である。」(平成5年9月・東京経済刊 山北真二・著『角川春樹の功罪 出版界・映画界を揺るがせた男』「第1章 角川商法の原点」より ―元版は昭和54年/1979年刊『角川春樹の研究』)

 しかしなあ。山北さんがこれを書いた頃から(いや、たぶんもっと前から)何十年間もずっと「文学賞は昔と比べたら権威などない」と聞かされ続けて、いま、さらに同じことを口にする気も起きませんよね。ふつう。……なのに21世紀にもなって、まだまだ、文学賞のことを権威の有無なるテーマで語ろう、って状況が失せていないのですもの、ほんと不思議です。

 それは、ともかく、です。

 角川三賞のチャレンジと撤退から、はや25年ほどがたちました。春樹さんは(角川書店には)もういません。さあ、ここで新たに、今年から角川書店が始めるエンターテイメント小説を対象にした文学賞、山田風太郎賞あらわる。っていう展開。

 ぞくぞくしますね。もう、こたえられないドラマですよね。

 角川三賞ができた頃とちがって、今や、直木賞の前には山本周五郎賞があり、その前には吉川英治文学新人賞があり、うしろに柴田錬三郎賞があり、中央公論文芸賞があり、……と知らぬ間に、賞に階級めいたものが築かれているようですし。

 角川書店が、どこを攻めてくるのか。いや、どこまで独自路線を貫くのか。……楽しくなってまいりました。

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投稿: 秦です | 2010年8月19日 (木) 22時09分

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