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2010年8月29日 (日)

小説新潮賞 直木賞で落ちた作品、うちの候補作にいただきます、の姿勢。

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 文学賞の歴史問題です。「主催者は立派なのに、賞はイマイチぱっとしない、の代表格とは?」……こんな設問があったとして、ワタクシだったら迷わず、こう書いちゃいます。「新潮社の賞」。

 以前、新潮社がようやく、作家名を賞の冠につけることになった「山本周五郎賞」のことを取り上げました。今日は、そっから、ぐいと歴史の軸を巻き戻しましょう。

 山周賞以前の、直木賞ライバル賞。昭和37年/1962年~昭和43年/1968年の、小説新潮賞です。

【小説新潮賞受賞作・候補作一覧】

 『小説新潮』って名前のついた賞は、この賞以来、いくつもできました。それら一群の賞は、はっきり申しまして、新潮社のなかでも、また一段と度を越して「冴えない感」をただよわせていたりします。そのことについて、一読者としては、ただ『小説新潮』誌に声援を送るほかありません。

 ここでは、そういう感情をなるべく排して、過去を振り返ってみます。

 『小説新潮』の賞、屈辱の歴史。たどりたどって昭和29年/1954年にまでさかのぼります。戦後10年弱をへたころです。新潮社は、こと文学賞に関しては戦前に苦い記憶をもっていたわけですが、それをバッサリ払拭せんと、いきおいよく四つの新賞をおっ立てました。

 新潮社文学賞、同人雑誌賞、岸田戯曲賞、そして小説新潮賞です。

 ええ。このころの『小説新潮』は元気がありました。「四大」!の一角をになうに当たって、その誌名を冠されても、たしかに不思議じゃない状況だったと思わされます。

「創刊部数二万部でスタートした「小説新潮」の発行部数は、「日本小説」や「苦楽」や「文藝讀物」が消えたあとの昭和二十五年頃には十万部を越えるようになり、その後も急速な伸長を見せるに至った。昭和二十年代半ば以後の雑誌ジャーナリズムは、「文藝春秋」と「小説新潮」の二誌が大人雑誌の分野を制覇したといってよかった。「文藝春秋」は二十九年一月号で七十三万八千部、「小説新潮」は創刊百号記念を出した二十九年十月号には三十九万部に達した。」(平成10年/1998年12月・筑摩書房刊 大村彦次郎・著『文壇栄華物語』「第十二章」より)

 小説新潮賞は、50枚以内の創作を募集する、いわゆる公募型の賞としてスタートしました。

 第1回の選評(『小説新潮』昭和30年/1955年2月号)で、審査員の丹羽文雄さんは、「これは中間小説のための賞じゃないんだ。きみたち、中間小説を書こうと思って応募してくるな」みたいなことを書きましたが、けっきょく、この雑誌の下で行われる賞ですからね。みーんな、中間小説の賞だと認識していたらしいです。

 そして、それがのちに自分の首を絞めることになるわけですが。ええと。そのハナシに行く前に。

 小説新潮の賞が抱えるどんよりした歴史。それは、はっきり言っちゃうと、「受賞しても、のちに活躍する人が少ない」ってイメージが沁み込んでしまったことです。

 たとえば、第4回の舟橋聖一さんの選評。

「そもそも、この賞の受賞者たちが、その後振わないのが、ぼくには不満である。ずい分達者な人もいるので、二作三作と連続ヒットするかと期待するが、毎年、裏切られてしまう。普通は受賞をモメントにして、自信がつき、ぐんと作品があがる筈であるのに、この賞の受賞作家たちは、えてして下向線を辿るという。」(『小説新潮』昭和33年/1958年2月号より)

 ひきつづき翌第5回の舟橋さん。しつこく、この点を気にしています。

「この賞は、もっと反響があってもいいのだが、受賞作家が一向のびないという非難もあるようだ。席上そんな話も時々出る。(引用者中略)現実に応募される作品は、どうも生ぬるくて、物足りない。それでつい、やめたらどうか、が時々出る。」(『小説新潮』昭和34年/1959年2月号より)

 新潮社は、「育て上手だけど、見つけ下手」と巷間言われているらしくて、たまたまなのか、社風からくるものなのか、まったくわかりませんけど、残念なことに、小説新潮賞は、長く商業誌で活躍しつづける人を生むことができませんでした。

 もちろん、だからダメ、ってことじゃありません。受賞者や、あるいは最終候補に残った方々のなかには、その後、書き続けている方もいます。ただ、一般的に「冴えない賞」と見られる結果になってしまった、新潮社もそう自覚してしまった、っていうのは事実です。

「「小説新潮賞」は新人の中間小説を募集するために設けられたもので、石川達三石坂洋次郎、舟橋聖一、丹羽文雄、尾崎士郎、井上友一郎、広津和郎、獅子文六の諸氏を審査員とし、記念品並びに副賞十万円をおくる文学賞であったが、思わしい結果を見なかったために、第八回から性格を変えて、(引用者後略)(平成17年/2005年11月・新潮社刊『新潮社一〇〇年』 河盛好蔵「新潮社七十年」より)

 新潮社の社史で、「思わしい結果を見なかった」と言われちゃっているんですものねえ。

 それが現実だ。現実なんでしょうけど、当の本人にしてみれば、そう言われたらムッとすることでしょう。ねえ、上坂高生さん。

「女性編集者から、手紙が届いた。

『雑誌の競争が激しくなり、これまでのように、純文学の方の地味な作品は戴けなくなりました』

 競争って何だろう、と私は新たな疑問にぶつかる。駅前の書店に寄ってみた。いままで素通りしていた売場に行く。「小説新潮」と並んで置かれている「オール読物」というのを手に取ってみる。雑誌の厚さ、体裁が、実によく似ている。文芸春秋社発行である。この雑誌は、チャンバラやポルノなど、極めて低級なものと思っていたのが、雰囲気が変わってきている。直木賞の作家を多用し、質をあげてきている。さらに講談社発行の「小説現代」というのを拡げてみる。これまた、そっくりではないか。(引用者中略)

 それにしても、今まで中間小説雑誌といわれるものが、よくも「小説新潮」一誌で来たものだ、と思う。他社がようやくその独占市場に切り込んできた。「小説新潮」は、程度を下げて他社と競い合おうとしている。」(平成16年/2004年9月・武蔵野書房刊 上坂高生・著『賞の通知』所収「清書」より)

 はい。前にもご紹介しました第1回小説新潮賞受賞の、上坂さんの私小説から引用しました。受賞後、何度か同誌から注文を受けていたものの、5~6年後に急に、もう原稿は依頼しませんので、と言われてしまったの図。

 「中間小説」なる、概念のはっきりしない、なんとなくの用語に振りまわされた、あるいはイヤな気持ちにさせられたんだな。上坂さんのような小説新潮賞作家は、ある意味、犠牲者だったのかもしれないな。と思わせられる述懐です。

 そして、第8回(昭和37年/1962年)に小説新潮賞は大きく姿を変えます。しかし、変えたことによって、この「中間小説」って用語と、作家たちの闘いがいっそう加速していってしまったのですから、ははあ、どうにも皮肉なものです。

          ○

 と言いますのも。

 第8回から小説新潮賞は、「その年に発表された中間小説の中から最優秀の作品を選ぶという方針」(石坂洋次郎選評)に変わったんですが、この年の各委員の選評には、それまで以上に、やたらと「中間小説」「中間小説」の用語がひんぱつされることになっちゃったからです。

 一例だけ挙げます。由起しげ子の『沢夫人の貞節』を褒め上げる、尾崎士郎さんの言とか。

「今まで、中間小説という呼び名に随伴する何となく低調な、しかし、それでいて、通俗小説とか大衆小説とかいう明確に立場を堅持することのできない、一種のあやふやな表現の中に、所謂純文学という言葉に対してハッキリ対立的な存在を示すに足るだけの堂々たる態度と心構えをこの作品は持っている。」(『小説新潮』昭和37年/1962年2月号より)

 うーん。わかるような、わからないような。そもそも「大衆小説」と「中間小説」を区別する必要があるのか、そんなもん区別できると本気で信じているのか、よくわかんないんですよね。

 たぶん、みんなわかんなかったんじゃないでしょうか。これ以後、年々、回を追うごとに、審査員たちの口から「優秀な中間小説とは」なるハナシが語られることが減っていくわけです。

「候補作はそれぞれに読みごたえのある作品であったが、読物、中間小説、純文学作品と、いろいろのジャンルに属する作品があって、いかなる作品を当選作とすべきか選考の基準がはっきりしていないのでいろいろの論議が出た。結局、その年度の最もよい作品で、しかも多くの読者の鑑賞に堪えるものといった気持から、私は「夜の鶴」を推した。」(『小説新潮』昭和41年/1966年2月号 井上靖「小説新潮賞選後評」より)

 あらら。優秀な中間小説を選ぶんじゃなかったんでしたっけ、何なんじゃこりゃ、の展開です。

 審査員たちの迷走……っていうより、これは、候補作を選びだす新潮社側の迷走、って側面のほうが強かったものと思います。

 しかも、ですよ。迷走するにしても、多くの人の注目を浴びるなかの迷走ならば、まだ気力も沸くんでしょうが、なにせ衣替えしてからも、小説新潮賞、いっこうに地味なままで注目されない、という悲しさ。

 たとえば、前週ご登場梶山季之さんとか。みずからの『黒の試走車』、『李朝残影』とが2度連続で、小説新潮賞の候補になっていたこと、ご存じだったんでしょうか。直木賞候補になれば、ご本人も周辺の人たちも相当な騒ぎだったらしいですけど、それに比べて……。

 いや。授ける側だって、また受ける側だって、盛大なパーティーをやったり、喜びの受賞コメントを書いたりしています。ワタクシは、この賞がまるまる無意義だったとは言いたくありません。文学賞とは商業出版界の大事な円滑油。あればあるだけ、喜ぶ人も増えますし、なにより見ていて楽しいですし。

 ただ、一つの事業として継続するとなりますと。何と大変なことなのでしょう。

 昭和42年/1967年10月、その年に亡くなった前社長・佐藤義夫さんの遺志により、財団法人新潮文芸振興会が設立されました。まもなく、その事業活動のひとつとして「三大新潮賞」を開始することになるんですが、その三つとは、日本文学大賞、日本芸術大賞、新潮新人賞。

 ……あれ? 中間小説の部門はどこ行っちゃったの? ……ってわけで、ここに中間小説、というか大衆小説というかエンターテインメント小説というか、そっち系の賞は、ながらく新潮社内では冷やメシ食らいの境遇に落とされてしまうのでした。

 ぐう。がんばれ、小説新潮!

          ○

 さてさて。小説新潮賞の動向を追っていくだけで、ちょっと涙がにじんできてしまうんですが、それでもやはり、第8回~第14回の7年間のこの賞は、文学賞史上、はずせない重要さをもっていると思います。

 対象は、すでに雑誌に発表された、あるいは出版された既成作家の小説。しかも、大衆読者ウケする小説のなかから選ぶ。……と聞いて、そりゃあ、ふつうは直木賞のことを連想しますでしょう。しませんか?

 小説新潮賞の受賞者リストを見ると、由起しげ子さんだの芝木好子さんだの、すでに芥川賞を受賞しているために、絶対に直木賞をとることのできない人がいます。こういう人たちに授けられた功労賞的な賞、って側面もなくはありません。

 でも、候補作まで合わせて眺めてみると、どうでしょう。主催者の思いは、ちょっと違って見えてきます。

 来水明子さんに始まり、梶山季之さん、笹沢左保さん、桑原恭子さん、滝口康彦さん、などなど。みんな、この頃に直木賞候補になっている作家で、しかもその直木賞で落ちた候補作を、小説新潮賞のほうでも直後に候補にしているんですよね。

 直木賞をとる前の立原正秋さんや、野坂昭如さんの作品も、しっかりキャッチしているし。

 直木賞(や芥川賞)をとった人であろうが、今まさにとらんとしている人であろうが、関係ないぜ、おれはおれの評価基準で候補作を決めるんだ。という姿勢なのかと思いきや、でも、あえて直木賞候補作を割り込ませることで、直木賞なにするものぞ、のライバル心も明瞭に見えちゃったりしています。

 その結果として、直木賞候補作でもあった作品、野村尚吾『戦雲の座』と、青山光二『修羅の人』、という二つの受賞作を誕生させ得たのでした。バーカめ、直木賞、きみらの評価眼よりこっちのほうが確かなんだぜ、とケンカを売っているようにも思えます。

 あ、思えませんか?……そう見たほうが、文学賞って、ほら面白いと思うもので。

「野村氏の作家的経歴や手腕については、改めて述べるまでもない。今度の「戦雲の座」は、さきに直木賞をもらわなかったのがふしぎなくらいで、近頃、これだけ着想のすばらしさと、正確で渋みのある文章は、むしろ珍しいくらいである。」(『小説新潮』昭和40年/1965年2月号 井上友一郎「小説新潮賞選後評」より)

 これって、直木賞委員はどこ見てんだ、ってことじゃないんですか?

「青山光二氏の「修羅の人」は直木賞の候補作品に挙げられた時、私はこれを推輓した。この作家は小説の書ける人である。巧みに書ける作家であると思ったからである。」(『小説新潮』昭和42年/1967年2月号 今日出海「小説新潮賞選後評」より)

 いいっすねえ、スッキリします。「文学賞の階級がどうたら」とか言い出して、選考会ごとに違う評価をくだしたりしないところが、気持ちいい。

 でも、まあ、このライバル路線をずっと続けてくれていれば面白かったんですけど。第14回にて中止。その後、長い沈黙に入ります。

 20年弱のときを経てふたたび「山本周五郎賞」として浮き上がってきたときには、おっと、「直木賞作家は候補にしない」シバリなる、強固なルールを身にまとっていました。

 一面、それを、文学賞として成熟したのだと見ることもできるでしょう。そこに至る道筋を、反省材料とともに残してくれた、小説新潮賞。おそらく大切な歴史のひとつです。

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