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2010年7月 4日 (日)

文藝懇話会賞 元祖「直木三十五の賞」。貧乏な作家たちに、お金あげます。

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 出ましたね、第143回(平成22年/2010年・上半期)の直木賞候補作が。でも、今週のエントリーは、それとはほとんど関係がありません。

 注目するのは、古ーい古ーいおハナシ。文藝懇話会賞のことです。

【文藝懇話会賞受賞作・候補作一覧】

 直木賞とは、昭和10年/1935年に菊池寛が亡き友・直木三十五の名を記念して設けた文学賞。……なぞという、半分正解・半分でたらめな、定義があります。直木賞の創設には他にももっと事情があったはずだ!と踏んで、そのころのことをいろいろ調べていくと、どうしても、一つの文学賞のことに行き当たります。

 それが、これ。文藝懇話会賞です。

 懇話会賞が正式にできたのは、昭和10年/1935年の7月です。ただ、その構想は、前年の昭和9年/1934年1月、文藝懇話会なる組織が産声をあげたときに、すでに企画されていました。

「予定通り一月二十九日に会合が開かれ、そのときの様子が翌日の「読売新聞」に伝えられている。(引用者中略)会合は、まず検閲問題について話し合われ、取締当局と文士との間で遠慮の無い意見交換が行われたという。ついで以下のように伝えている。

 (前略)当夜の主題たる国家を主体とする文学奨励運動に関しては出席者一同異議なく賛意を表し将来、美術界における帝展のやうに「帝国文芸院」ともいふべき機関を設け、例へば文芸賞とも称する賞を優秀作品に授与し(中略)国家的立場から文運の伸展及びその功績称揚を図ることに意見の一致をみた、(引用文中の旧漢字は、新漢字に直した。(引用者後略)(『花園大学国文学論究』30号[平成14年/2002年12月] 川畑和成「島木健作「癩」と内務省―第一回文芸懇話会賞の意味―」より)

 この会合に出席していたメンツがメンツなわけでして。そのため、今になってみれば、文学賞史上、きわめて重要な会合であったと言えちゃうのです。

 主な出席者。官僚側からは、かの悪名たかき(?)内務省警保局長・松本学。作家側からは、菊池寛、直木三十五、山本有三吉川英治白井喬二三上於菟吉

 文藝懇話会については、ワタクシみたいな直木賞オタクが口を挟むのをはばかれるほど、まあ、まじめな紹介・言及・検証文がたくさんありますので、多くは語りますまい。

 要は、文士の一部が急進的にファッショ化して、軍部や政府に接近したと。官僚側も、文士どもを抱き込めば文教施策が打ちやすくなると見て、「文藝院」みたいなものをつくろうと思ったと。でも、いきなり、そこまで公式なものをおっ立てることには、文士たちもマスコミも、反対していたと。それで、とりあえずは、政府色を前面に押し出さないで、官僚と文士との意見交換の場、みたいなものを「文藝懇話会」ってかたちで組織したと。

 文士側の先導役が、われらが直木三十五さんだったんですね。

 でまあ、直木といえば、文壇のなかでも傍流も傍流、大衆文芸畑で威勢のいいことばっか言ってる血の気の多いヤカラ。そんなやつが文士の代表ヅラして、「文藝院」設立とか何とかいって、官僚と結びつこうとしたもんですから、まあ、反発もすさまじいものがあったらしいです。

「八日(引用者注:昭和9年/1934年2月)午後二時、笹本寅は、木挽町の文藝春秋社倶楽部に直木を訪ねた。(引用者中略)笹本の顔を見ると待ちかねたように、テーブルの隅から小さな新聞広告の切り抜きを取り出し、「これ、見たかい」と笹本のほうに差し出した。東京日日新聞に掲載された、中里介山居士責任編集「隣人之友」の広告であった。そこには、「金茶金十郎等の文壇の与太者が、厚顔無恥にも『文藝院』を担ぎ出そうとしているが、徹底的に紛糾する」という主旨のことが書かれていた。「金茶金十郎等の文壇の与太者」とは、あきらかに直木や白井喬二らを指していた。」(平成17年/2005年6月・文藝春秋刊 植村鞆音・著『直木三十五伝』「第四部 晩年」より)

 その後、まもなく三十五さんは亡くなってしまい、文藝院構想ついえたか。と思われたのですが、何のことはない、3年後の昭和12年/1937年には帝国芸術院が設立されちゃいまして、ほぼ、「国家による文芸家保護」の基盤ができてしまうわけで。

 三十五さんの夢、かなえられたり、ってところでしょうか。あるいは、その後の、いま我々が知っている歴史の推移を重ね合わせて、戦争に加担した文士どもの愚かな一歩、と見る向きもあります(あります、っていうか、そっちのほうが大半なのかな)。

 それはともかくも。

 文藝懇話会が組織され、そのさいに文藝賞のアイデアが話し合われていたことに、注目したいところです。翌月、直木三十五逝去。そのことを契機として、懇話会の出席者のひとりでもあった菊池寛が、ああ、直木三十五を記念した賞をつくりてえなあ、と『文藝春秋』誌上で言い始める。……っていう流れ。

 ええ。あるいは、菊池寛さんの頭のなかに、文藝懇話会で話し合った賞設立についての記憶が、あったのかもわかりません。

 しかもですよ。文藝懇話会といえば、最初は三十五さんや、その盟友・三上於菟吉さんが張り切って設立までこぎつけたものの、ヤクザな大衆文壇の連中にまかせておけるかと、純文壇の連中がぞくぞくと入り込んできて実権を握り、しだいに懇話会は、純文芸派のねじろとなっていってしまいます。

 いま思えば、そこが文学賞史においては、大きな大きな分かれ目でした。

 「そこ」っていうのは、「直木三十五」の名前を、文藝懇話会に残さずに、菊池寛が文藝春秋のほうに引き取ったところです。

 そして、「直木三十五」って名前にしみついていたはずの、ファッショ作家、右傾、あやしげ、胡散くさげ、といったイメージを振り落として、大衆文芸に対する尽力者であったととらえました。直木三十五賞を「大衆文芸の賞」と規定するとは、なんとまあ画期的なことか。

 そう。言ってみれば、昭和9年・10年当時、直木三十五の賞といえば、文藝懇話会の賞、とイコールで結んでもとくに違和感はなかったはずなんです。いや、そっちのほうが、三十五さんには似合っていたかもしれないんです。

 直木三十五、という作家を、文学全体からとらえたときに、その名を冠した賞が70年も80年も続いていることのほうが、異常です。2~3年で終わって、ああ時代のアダ花だったね、そうだよね、と歴史の裏に埋没していったほうが、なんぼか「直木三十五らしい」ことでしょう。

 まさに、わずか3年で終わった文藝懇話会賞のように。

          ○

 文藝懇話会賞は、つくづく直木三十五っぽい。

 と思わされるのは、なんつったって、賞にまつわる一つのゴシップが、強烈なパンチ力を披露してくれたからです。

 芥川賞の太宰治落選と、それに付随する選考委員への捨て身の懇願、っていうのと十分タメを張るぐらいのゴシップ性。

 いや、文壇人の多くを巻き込んだ点でいえば、第1回懇話会賞(昭和9年/1934年度)のほうが、ランク(?)は上かもしれませんぜ。

「昭和十年(一九三五)八月二十一日の「東京日日新聞」に、葛飾老人の名で「文芸賞を繞る人々(1)」という記事が載った。「三つの賞金」と小題のある中で、次のように述べられている。

 ……問題を起したのは文芸懇話会賞で、受賞者の詮衡問題から委員の一人佐藤春夫は、懇話会を脱退した。その理由は、最初会合の綜合された意見では、受賞者の第一候補横光利一、第二候補島木健作、第三候補室生犀星の順序だつたが、この会の設立者の一人である松本学が、その作品がわが国体に合致しないといふ理由で、島木を除外してしまつたからである。――

 授賞者の決定は、七月十七日の総会においてであった。その日程は六月十七日の例会で決まっていた。繰り上げ授賞が知れて話題が拡がったが、(引用者後略)(『早稲田大学教育学部学術研究―国語・国文学編―』36号[昭和62年/1987年12月] 榎本隆司「いわゆる「島木問題」―文芸懇話会始末のうち―」より)

 候補者のドタバタもそうですけど、やはり文学賞におけるゴシップの華は、選考委員のドタバタでしょう。委員はたいてい、すでに有名人ですからね。その人たちが、何らかの理由で喧嘩したり、迎合したり、あるいは選考委員の椅子を蹴ったり。ゴシップ性十分です。笙野頼子さんを思い出すまでもなく、五木寛之さんが直木賞委員を辞任しただけで、ああだこうだ言われるんですもん。

 それで、第1回懇話会賞の場合、主役は佐藤春夫さん。

 え。また佐藤さんかよ。と言いたくなるほど、このころの佐藤春夫さんは文学賞界隈での騒動に、じつによく顔を出します。太宰治に泣きつかれたり、富澤有為男に選考会の内容を密告したり、そして、島木健作になぜ授賞しないんだ、納得できないぞと言って憤然と懇話会を脱退したり。

 もっと言っちゃえば、そこまでしてカッコよく脱退した会に、翌年には平気な顔して再入会して、その後、松本学と仲良くやっていったらしいし。

 このやろ。面白すぎるぞ、佐藤春夫。もっとやれ。

 ……というのは冗談として、「島木問題」が広がりを見せたのは、けっきょくは文学賞のいかがわしさのゆえ、だったんでしょうね。

 文芸奨励、文芸保護、とか言っておきながらさあ。それって政府のモノサシで良いと認めたものだけ残して、それ以外のものは排除されちゃうわけでしょ。何が、文芸の未来のためだよ、くだらねえ。……と、「文藝院」設立に異議をとなえる連中に、攻撃のネタをみずから贈ってしまったかっこうで。

 島木に授賞しなかった理由ってやつが、次のごとく、左翼思想を信奉する者だから、と言われた日には、ねえ。

「島木健作は、第一回文芸懇話会賞から除外された。その第一の理由は、島木が共産主義者として投獄されたことがあったこと。第二は作品中でハンセン病を扱っていたことである。――内務省の官僚達は、小説「癩」を左翼思想とハンセン病に対する弾圧を伝える作品として認知し、こころよく思っていなかった。その考えが、島木を除外することによって明らかになった、と言える。」(前掲 『花園大学国文学論究』川畑和成の論文より)

 プロレタリアじみた作家たちの怒りは、相当なもんだったらしいです。中野重治さんとか。武田麟太郎さんとか。

          ○

 文学賞がそのからだから発散させるいかがわしさ。そのいくつかが、はっきり懇話会賞には表れています。

 ひとつは、島木問題で露呈したような、主催団体の恣意性。……要は、「その年度の優秀な作品に与える」とか言っておきながら、主催者や選考委員の(もっといえば、たった一人の選考委員の)主義主張、好悪の感情などで、表彰するかしないかを決めているだけじゃんか、意味ねえぞ。っていう性質。

 それと、もうひとつ重要なのが、これ。お金がからんでいるところ、です。

 金の恨みは何とやら、でして、まあ文学賞といえば賞金、賞金のないところに名誉もクソもない、ってわけでして。とくに昭和10年/1935年当時の文学賞は、イコール、賞金と言っても過言ではないでしょう。

 かの有名な、菊池寛さんが直木賞・芥川賞構想を吐露した「話の屑籠」の文章からも、それはうかがい知れるってもんです。

「池谷、佐々木、直木など、親しい連中が、相次いで死んだ。身辺うたゝ荒涼たる思いである。直木を記念するために、社で直木賞金と云うようなものを制定し、大衆文芸の新進作家に贈ろうかと思っている。それと同時に芥川賞金と云うものを制定し、純文芸の新進作家に贈ろうかと思っている。」(『文藝春秋』昭和9年/1934年4月号「話の屑籠」より)

 直木賞、じゃないんですよ。直木賞金、なんですよ。

 ここら辺が、いま感じる文学賞のイメージと、相当なギャップのあるところじゃないかと思うんです。川端康成なんかも、昭和7年/1932年の文芸時評のなかで「ノオベル賞金」なる単語を使っているし。また、小林秀雄は、世間は文芸賞というとすぐ賞金がどうのと文句を言うがチャンチャラおかしい、他の文明国を見たまえ、どれだけ賞金つきの文芸賞があることか、日本はまだまだ真の文明国ではない、みたいな文章を書いているし。

 文学賞って、文運隆盛をはかるって名目だけど、それよりも本音の第一目的は、「いい作品を発表しているのに貧乏、そんな作家にお金をあげよう」、ってハナシだったんですよね。そもそもは。

「作家の生活を潤すといふ意味で、文藝賞のあるのは勿論結構である。(引用者中略)尤、雑誌や新聞の懸賞募集の選にしてもそうだが、さうした賞を出す場合その作品の詮衡といふのは随分困難のことである。加之、これは一つ間違ふと、対世間的にではあるが、その価値判断を誤らしむるやうな傾向を生じ、芸術の真の価値が没却される怖れがないこともない。だからこんなことも考へると、文藝賞の設定は軽卒には振舞へないと私は思ひ返した。併、我国にも最近幾つかの文藝賞の設定を見、文藝懇話会も仕事の一つとして昨年度から賞金を出し始めた。私は懇話会のメムバーの一人だが前述の意味から、作家が物質的の保護を受けるのはどうかと考へていた。」(『文藝懇話会』昭和11年/1936年7月号「第二回文藝懇話会賞決定発表」 徳田秋声「所感」より)

 「賞金」とか「物質的の保護」とか。これこそが、懇話会賞をはじめとする、当時の文学賞の役割であり、また世間的なイメージだったんでしょう。

 それゆえに、懇話会は、設立以来、マスコミや反対派勢力から、こんなふうにギャンギャン言われちゃいます。「おい、その運営費用は、だれが出しているんだ」と。

 だれも何も、もちろん松本学さん以外にはいません。『松本学日記』(平成7年/1995年2月・山川出版社/近代日本史料選書 編者:伊藤隆、広瀬順晧)の、異様に読みごたえのある「解題」に、松本さんが昭和8年/1933年に結成した日本文化聯盟の資金源が紹介されています。

「資金について松本は後に「郷誠之助さんがわたくしの考え方に全面的に賛成されまして、三井の有賀長文、三菱の木村久寿弥太、住友の小倉正恒の三人の方々と相談されて、三社が各二十五万円、合計七十五万円を出して、使途については一切条件をつけないで、私の自由にまかせるということになった」、そして十二年までの四年間に、その内の六十万円を使い、(引用者中略)とも述べている((引用者中略)『芸能』昭和三十六年十月号)。」(『松本学日記』「解題」より)

 そんなフトコロから捻出された、文藝懇話会賞の賞金は一人1,000円、一年につき二人授賞で2,000円。

 ちなみに、会社組織であった文藝春秋社も、この当時につくった文学賞に託した賞金は、奇しくも同じく、一年2,000円でした。

芥川・直木賞制定

弐千円を新人に提供す!

「同じ金額を負担するにしても一度に二千円出した方が何となく派手であるが、一人に千円贈るよりは五百円ずつ四人に贈った方が、「文運隆昌」に余計資し得るように考えられたから、発表されたが如く決定された訳である。本当に精進する気の人なら五百円あれば、相当期間兎に角食って書いて居られると思うし、そして書けたら文藝春秋なり、オール讀物なりに掲載して、これに軽少ながら稿料を呈すから、これで又暫く勉強が出来る筈だ。」(『文藝春秋』昭和10年/1935年1月号 佐佐木茂索「委員として」より)

 「相当期間兎に角食って書いて居られる」の文言がミソです。

 川端康成さんは、第3回文藝懇話会賞の受賞者ですが、川端香男里さん編の年譜によれば、このときの賞金1,000円で、軽井沢に別荘を購入したのだとか。

 まあ、直木賞にしろ芥川賞にしろ、昭和10年/1935年創設から幾星霜、もはや「賞金」のイメージは彼方に消えうせた感があります。それに代わって、また違った「いかがわしさ」が醸成されてしまった、と見ることもできますが、そのハナシは別の機会にでも。

 あ。それと、文藝懇話会が結成される過程では、菊池寛さんが、重要な位置を占めていたのに、徐々に、上司小剣や広津和郎などが進出してきて、だんだん菊池さんの影が薄くなっていったこと。そして自分は文春のほうで、あたかも懇話会に対抗するがごとく、二つの新賞をつくり、「文藝懇話会賞のことは載せるくせに、芥川・直木賞のことに一行も触れない新聞がある」などと、ぷんぷん怒ってみせたハナシ。……などなど、懇話会賞 vs. 直木賞(芥川賞)についても、くわしく書きたかったのですけど、長くなったのでやめときます。

 それにしてもなあ。直木三十五さんは、文藝懇話会賞にしろ直木賞にしろ、たとえ生きていたとしても欲しがらなかったとは思いますが、いや、「その賞金はおれにくれ」、ぐらいのことは言うかもなあ。

 「芸術は短く 貧乏は長し」の三十五さんだもの。その遺業の果てに賞金ができ、また、彼の名前を使った賞金まで、できてしまって。皮肉といいますか、直木三十五さんらしい展開だなといいますか。

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コメント

補遺。

 菊池寛さんは『文藝春秋』の「話の屑籠」などで文藝懇話会のことについて、いろいろ自分の考えを書き残しています。そして、上記エントリーで触れた、第1回島木問題についても。
 そこに、直木三十五の名前が登場します。こんな感じに。

「文芸懇話会の授賞態度について、是非の論が頗るウルサイ。かう云ふ時には、直木が生きてゐて、応酬すべきであつたのである。一体、文芸懇話会は直木の肝煎で出来たのであつて、最初から色彩があつた方がよかつたと思ふ。あまりに、公正を期して、純文学者を会員に入れすぎたのである。とにかく、「国家組織を否定する文学は排斥」と云ふスローガンは、最初から標榜して置くべきであつたと思ふ。(引用者中略)尤も、今まで只で金を貰つたことのない文壇は、貰ひつけない金を前に、必要以上に、疑心暗鬼を生じてゐるのである。」(『文藝春秋』昭和10年/1935年10月号「話の屑籠」より ―引用文は平成7年/1995年8月・高松市菊池寛記念館刊『菊池寛全集第二十四巻』)

 文学賞とはつまりお金のことだとか、文藝懇話会賞はある意味「直木三十五の賞」だとかは、こんな菊池さんの文章からもうかがい知ることができます。

投稿: P.L.B. | 2010年7月13日 (火) 00時25分

う~んさすがP.L.B.さんと思わず声が出ました。
植村さんの「直木三十五伝」に確かにそんな記述はありましたが、私はぼんやりしていてまったくスルーしていました。
いやはやお恥ずかしい限りであります。勉強になりました。

投稿: 直木三十五記念館事務局長 | 2010年7月14日 (水) 09時56分

そんな。
直木三十五記念館事務局長さんから、そんなコメントいただいて恐縮です。

「直木三十五」ではなく「直木賞」に興味をもってしまった身ですので、
たぶん、トンチンカンなことを書くことがあると思います。
またご教示ください。

投稿: P.L.B. | 2010年7月14日 (水) 23時56分

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