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2010年6月 6日 (日)

直木賞とは……有名人が候補になると、みんな、ギャーギャー文句言うけどね。いい作品を書けば、酒場のマダムだろうと人殺しだろうと、いいんじゃないの。――山口洋子「階段」

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山口洋子「階段」(平成9年/1997年9月・文藝春秋刊『背のびして見る海峡を――』所収)

 1980年代……昭和50年台後半から平成が始まるまで。この時期の直木賞は、「女性と芸能の時代」などと言われています。

 っていうのはウソなんですけど、いや、そう言っておかしくないぐらいの波が、直木賞のかたちを形成していた頃が、うん、たしかにありました。

 むろん、それ以前の直木賞史にも、女性や芸能は登場しています。でもです。潮流って観点からいえば、やっぱり第81回(昭和54年/1979年・上半期)に、中山千夏さんが登場したあたりに、波の原点があったように考えられるんですよね。

 しかも、その候補作「子役の時間」の素材が、芸能界だったわけですし。

 小林信彦『悪魔の下回り』のエントリーで触れましたが、かの悪名たかきNHKの人権蹂躪番組(?)「ルポルタージュにっぽん 直木賞の決まる日」が放映されたのは、ちょうどそのころ、昭和55年/1980年1月でした。

 候補にさせられた作家には、そりゃあ責任はないかもしれません。「どんな人物であろうが、書かれた作品が水準以上であれば、賞を与える。それが直木賞の公平性ってもんだ」という正論も、当然わかります。

 ただ、やはりあの時代は、ですね。なんと言うんでしょう、テレビを中心とする「イメージ増幅・偏重・曲解」の、暴力的ともいえる流れを、直木賞もかぶらざるを得なかった、と見立てたくなるわけです。

 ええ。注目の人・中山千夏さんの三度にわたる連続候補。ドラマ脚本家、向田邦子さんの華やかなる登場と、悲劇的な退場。お茶の間の人気モノ、テレビとともに歩んできた青島幸男さんの受賞……。

 っていう伏線がありつつの、このかた。山口洋子さんです。

 受賞したとき(昭和60年/1985年)の新聞紙面には、見出しに「よこはま、たそがれ」って曲名といっしょに紹介された、作詞家・山口洋子さんです。

 それより2年前、「貢ぐ女」ではじめて直木賞候補になり落選したときの、週刊誌の記事より。

「山口洋子さんといえば、銀座のクラブ『姫』経営のかたわら、作詞家として、あるいは女性には珍しい野球記者として、また、二十年前には、東映のニューフェースで女優を目指したこともあるという、“マルチ型タレント”として、つとに知られたお方。」(『週刊サンケイ』昭和58年/1983年8月4日号「山口洋子さんが正式に「作家宣言」 惜しくも直木賞を逸した才女の決意」より)

 つとに知られていたかどうかは、すみません、よく知らないのですが、まあ初候補の段階でこの言われ様ですから。女性と芸能のことにはいち早く食いつく週刊誌にとっちゃあ、いいネタ発生源がまた一つできたぜ、えへへへへ、って感じだったのかもしれません。

 時にこの頃、直木賞は「三才女」を、候補陣にひっぱり込んで、注目されていたのですね。一に山口洋子、二に落合恵子、三に林真理子

 それについては、また後で、ちょっと触れますが、山口さんはこの中でやや異質な存在でもありました。異質、というとおかしいですけど。つまり、従来からあった文壇の定石に半分かなった経歴と言いますか。

 「異業種から突然、小説界に殴り込み!」……みたいな人ではない、ってハナシです。

 だって山口さんといえば、それこそクラブ経営の職業柄、作家たちとも顔なじみであって、小説の師として近藤啓太郎さんを仰いでいました。お客さんだった梶山季之川上宗薫吉行淳之介などの売れっ子たちから、温かく作家としての道筋を教えられ、一歩一歩と、作家修業をしてきた人だったんですね。

 けっきょく直木賞なんていうのは、そういう“半文壇人”が受賞するほうが普通なのだ、って側面もあります。先週ご紹介しましたが川口松太郎さんは選考委員の家の隣に住み、「私に直木賞をください」とお願いに行けるほどの立場でしたし。

「亡くなられた作家で何といっても思い出深いのは、梶山季之先生である。

(引用者中略)

 婦人むけの大手の雑誌社や女性週刊誌などに私を紹介して、表舞台への登場に一役も二役も買って下さった。『姫』にとって梶山先生はいいお客様より、こよない相談相手だったのだ。」(「階段」より)

 いみじくも斎藤美奈子さんが林真理子さんの文壇登場を語るときに使ったセリフのごとく、山口洋子さんも、それから落合恵子さんも、別に公募の新人賞をとって作家デビューしたわけじゃないのです。まあ言ってみれば、かなり伝統的な「階段ののぼり方」と言いますか。

 とくに山口洋子さんの、伝統踏襲ぶりは際立っています。すでに、選考委員のなかに、個人的に顔を見知った応援団(?)がいたんですもの。直木賞委員じゃなくて芥川賞のほうでしたが。

「直木賞は二回候補になって落ち、三度めの念願達成だった。某大御所が、「あーあ、バーのママが直木賞候補だと、俺はもう選考委員なんかやってられない」といって、それをきかれた吉行(引用者注:淳之介)先生が、「なに、いい作品を書けば、酒場のマダムだろうと人殺しだろうと、いいんじゃないのか」と色をなしていって下さったとか。そんな裏話を近藤(引用者注:啓太郎)先生から伺って、眼尻がじわりとするほど感激した。「吉行がな、あれは筋がいい、上等な味がする」といってくれたんだよと、恩師は我がことのごとく喜んで下さった。先生がたのお引きたてと励ましがなければ、私など泥中の蓮の根っこのれんこんで、穴だらけのまま永久に陽の目など見ることも適わなかった。」(「階段」より)

 またまた、ご謙遜を。

 ただ、吉行淳之介さんみたいに、「その人の職業がどうだとかは、関係ないんだぞ」と言ってくれる先輩(ベテラン)作家が身近にいる、というのは、たしかに心強かったでしょう。なにせ、当時の山口洋子さんに振りかかる周囲からのバッシングや偏見は、相当なもんだったでしょうから。

          ○

 当時、どころか直木賞とって20年ぐらいたってもまだ、山口さんはこう書いています。

「「銀座で酒場もやっている作詞家」への道ははるかに鎖されていて、それは小説を書くようになった現在も連綿と続いている。ときおり私は「小説を書くもと酒場のマダム」であり、「銀座で酒場をやっていた作家」ではない。ある種の人々の言動の端々に、あれこんなところにまだ『姫』がいるのだと気づくことがある。

 いったん色がついてしまった布地の色はかくも抜き難く、男の弱味を商売(ルビ:かて)にした身はかほど罪深いのか。そのコンプレックスをバネにしましたというのも実は嘘で、そんなマイナーなものなど、バネにも意地にもしようがない。」(平成9年/1997年・双葉社刊 山口洋子・著『ザ・ラスト・ワルツ―「姫」という酒場』より ―引用は平成12年/2000年11月・文藝春秋/文春文庫

 とくに山口さんは、直木賞候補になった作品の扱う世界が、世界だったものですから。酒場のマダムごときが……とか、週刊誌ネタをそのまま読物にしただけ……とか、いろいろ言われちゃいました。

 第91回(昭和59年/1984年・上半期)に「弥次郎兵衛」が、直木賞候補になって落ちた直後。『週刊新潮』昭和59年/1984年8月2日号に5ページにわたって掲載された記事が、題して、「巨人「柳田選手」のスキャンダルを書いて 直木賞落選した「姫」のママ」

「「昔の小説家は、血ヘドを吐くような思いで創作に打ち込んだものだ。それが二足のわらじ、いや三足のわらじを履いて、片手間で小説を書くなんて文学をナメてるんじゃないの」

 なんて批判の声も上ったのだが、(引用者後略)(『週刊新潮』記事より)

 誰が批判の声を上げたのかが書いてないので、この記事を書いた人が思っているだけじゃないの? とも読めるんですが、まあ、それはおいといて。

「企業情報小説というより、暴露小説という感じがしないでもないが、その点を痛烈に批判する人もいる。ある高名な作家は、

「週刊誌のスキャンダル記事をふくらましただけの小説だよ。だいたい、こんな作品が直木賞の候補作として上ってくること自体おかしい。作家としての目、新しい解釈があればともかく、程度の低い作品だね。書き流しているという評が多かったようだが、そのこと自体は裏を返せばうまくなったといえるのかもしれない。しかし、大事な何かが欠けている。文学に対する姿勢が低いよ」

 とコテンパンなのだ。」(同『週刊新潮』記事より)

 ここら辺の、誰が発言の主かわからない山口洋子バッシングは、さらにエスカレートしていきます。

「某文芸評論家など、彼女が聞いたら卒倒しかねないようなことを平気でいうのだ。

「読む気すら起りませんな。だいたい、あの人の作詞を見れば小説だってわかります。山口さんの詞は、いい加減な文句を並べただけですからね。猫がパソコンを叩いているようなもんですね。ま、ああいう小説は読みたい人が読めばいいんだけど、どうせ読むなら、もう少し深い楽しみを与えてくれるものを読んだほうがいい」

 そして、返す刀で直木賞そのものも斬って捨てる。

「直木賞も最近では程度が低くなり、有名人に書かせた小説に賞をやって売ろうという魂胆が見えている。小説全体が低迷しているから、その中で何とかヒットを出そうとする戦略みたいなもんですな」」(同『週刊新潮』記事より)

 辛辣なことを言っているようでいて、実は「最近は程度が低くなり」だの「小説全体が低迷している」だの、いつどこで言っても通用するようなことしか言えていない、安全路線バリバリな感じが、ああ、いかにも、だなあと思わされますよね。

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 ちなみに、「弥次郎兵衛」が起こした波紋を受けての、山口さん本人の反応はこちら。

「締め切りに追われるあい間、梨など噛りながらボヤーッとTVをみていると、突如私の名前が出てくる。え、これは何だぁという感じで眼をサラにしていると、元巨人軍の柳田選手が出てきて、私の小説「弥治郎兵衛」(原文ママ)のおかげで離婚しちゃったということ。

 へっ離婚、まさか。作家としていうなれば本当に柳田氏が「弥治郎兵衛」になってしまうとは思いもよらなかった。妻に配慮が欲しかったとの恨み節だが、私とて一度も柳田氏夫人に面識があるわけじゃなし、知らないものは配慮のしようもないのだが――知らぬからこその配慮が必要だったのか。」(昭和62年/1987年3月・講談社刊 山口洋子・著『東京望遠鏡』「鳥居で神社を、入口でアレを語るなかれ」より)

 強いっすねえ、山口さん。

 そこでふと、同書のなかに出てくる、恩師・近藤啓太郎さんが放った言葉と、それを書きとめる弟子・山口さんの姿が、じんわり光ってきます。

「――おまえもモノを書くなら本当のこととかきたいことだけを書け。それで通用しなかったら他人(ルビ:ひと)に迷惑をかけるから、すぐやめっちまえ、と最初にいわれたのが座右の銘。

 考えてみれば女流作家になる条件にはいくつかあって、まず寒気だつような美人じゃないこと、あまり男運がよくないこと、胃腸が丈夫なこと、シャイで図々しいこと、ないものねだりの欲求が激しいこと、最高の恩師に恵まれること。

 大体この諸条件満たされている御同業が多いとお見うけするが、最後の項目だけは私の僥倖ではないのかつくづく。」(同『東京望遠鏡』「美人じゃない、男運がない、図々しい……」より)

 書きたいことを書く、ひるまず書く、どれほど雑音が耳に入ってこようと書く。このあたりの肚の決まり方が山口さん流。これを野坂昭如さんに言わせれば「生れついての小説家」って表現になるのかもしれません。

          ○

 世間からの物見高い視線(むろん、そのなかにワタクシの視線も入っていることを自覚しつつ)、ってことで「三才女」のおハナシ。

 第91回(昭和59年/1984年・上半期)の直木賞は、連城三紀彦さんと難波利三さんが受賞しました。どちらも、何度も何度も直木賞にもてあそばれて、このまま万年候補で終わってしまう可能性もあったのに、首尾よく受賞できて、ほんとめでたいことでした。

 ただ、たぶん、物見高い群集は、この結果にいくぶんガッカリしたのかもしれません。

 小説の内容がどうだ、ってことは二の次であって、多くの人は、見た目であったり印象の派手さだったりに興味を持ちますからね。

 ということで、『週刊読売』のグラビア記事は、受賞者のことではなくて、落ちた三人のことを取り上げました。

山口洋子さんは焼酎、落合恵子さんはコーヒー、林真理子さんはビールをグイ!

 残念でした! 直木賞おあずけ女史3人のその瞬間

 銀座の高級クラブ「姫」のママで売れっ子作詞家でもある山口洋子さん(四七)、元DJの落合恵子さん(三九)、そしてコピーライターの林真理子さん(三〇)。この三人の“熱い女の戦い”と話題を呼んだ第91回直木賞。

 七月十六日午後六時から築地の新喜楽で開かれた選考委員会の結果は、連城三紀彦、難波利三の両氏と決まったが、では、話題の才女たちは“その瞬間”どうだったのだろうか? よけいなお世話とは承知の上で張り込んでみたのである。」(『週刊読売』昭和59年/1984年8月5日号より)

 文学賞のゆくえを見つめる人たちのうち、当事者以外の人間のやることは、たいてい、よけいなお世話なんですよね。たとえば「直木賞のすべて」とか。そのブログとか。

 ……それにしても、ですよ。その1年後、山口洋子さん受賞のときともなれば、平常の直木賞時期にはお決まりの、週刊誌記事がいくつか載りました。そのなかでも、『週刊文春』昭和60年/1985年8月1日号に掲載された3頁にわたる本文ページを見て、ワタクシは思わず笑ってしまったのです。

 文章を読んで笑ったんじゃありません。記事の頭につけられた、「授賞の知らせを受ける山口さん」なる写真を見て、です。

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←こんな感じの写真です。

 昔ながらのダイヤル式電話。ややうつむき気味、歯をくいしばって受話器を握り、耳に当てている山口さん。と、その口元に向けられた、正体不明の3本のマイク……。

 マイク。

 テレビ局のものじゃないのかもしれません。ラジオや新聞や、他の報道機関のものかもしれません。しかしそれにしても、受賞の報を聞く人間に、マイクを向けるこの異常な文学賞の姿たるや。

 山口さん受賞のころから、直木賞とテレビとの蜜月ぶりは、さらに加速していきます。候補者に、芸能関係者がねじ込まれる、なんてかたちも、だんだんおなじみ化していき、そして第103回(平成2年/1990年・上半期)にいたって、ついに、ここまで両者は接近したかと思わせる事態が訪れます。

 選考会の開始時刻が、それまで長らく18時だったのに、一時間早まって17時に変更されたのです。

「以前選考会は六時からでしたが、そうしますと揉めるときには八時四十分過ぎても決まりませんでした。すぐ発表を流したいと新聞記者はそこに来て待っていますし、NHKは九時のニュースで流したい、文藝春秋社としても早く流してもらいたいわけです。こちらとしてはそんなテレビのことに心奪われて焦るつもりはないけれども、人間ですから心理的に早く決着を……という気持ちになって万一充分選考できないということがあっては、と五時からになったのです。」(平成16年/2004年3月・編集工房ノア刊『小説の生まれる場所――大阪文学学校講演集』所収 河野多恵子「創造ということ」より)

 な、なんちゅう理由だ。

 ところが、テレビが世の中すべてを牛耳れる時代は、その後、また変貌を遂げていくことになります。果たして、直木賞とテレビはどのように付き合いを深め、いや付き合いを変えていくことになったのでしょうか。物語は来週につづく……

 いや、つづけません。

 平成期の直木賞とテレビ、直木賞と芸能界については、また機会があったら、考えてみたいと思います。

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