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2010年4月18日 (日)

直木賞とは……そんなものとったくらいで、売れてるわたしより、どうして優遇されるのよ!――西村京太郎『女流作家』『華の棺』

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西村京太郎『女流作家』(平成12年/2000年5月・朝日新聞社刊)、『華の棺』(平成18年/2006年11月・朝日新聞社刊)

(←左書影は上が『女流作家』平成14年/2002年8月・朝日新聞社/朝日文庫、下が『華の棺』平成21年/2009年4月・朝日新聞出版/朝日文庫

 ゴシップふうのネタというのは、何が真相なのか、たいていわかりません。

 たとえば、「こういうふうにエッセイに書かれていた」とか、「本人がインタビューにこう答えていた」とか、「文芸評論家の調査によると、何何であることがわかった」とかがあれば、ワタクシも信じちゃいます。でも、いかに真実っぽいことであっても、まあ、後世、あらたな資料によってひっくり返されることは、しばしばです。

 エッセイ・日記・手紙のたぐいですらそうなのですから、モデル小説など言わずもがな。

 「これは虚構ですからね」と、あえて弁明されなくても、これを本当にあったことだと妄信するのは危険です。

(引用者注:林真理子 作家に対してどこまでが本当ですか、と聞くぐらい野暮な質問はないですけど、このご本(引用者注:『女流作家』)、かなり真実に近いんですか。

西村(引用者注:西村京太郎) あくまでも小説です。」(『週刊朝日』平成12年/2000年4月21日号「マリコのここまで聞いていいのかな」より)

 でもですね。下世話なハイエナ野郎からしてみれば(いや、上品な読書人だって)、この小説を純粋に虚構のおハナシとして通読することなど、まず無理、っていうつくりになっているんですよねえ。京太郎さんご自身、「編集者はみんな知っていること」と言っているわけですから。こんなに濁して書かずに、もう少し事実っぽく書いておいてほしかったな。勝目梓『小説家』みたいに。

 まあ、「あくまで小説」ってことですから。こちらも「あくまで想像」で立ち向かいますか。

 『女流作家』と『華の棺』の主人公は、〈江本夏子〉。女流推理作家。彼女をとりまく、恋のさやあてだの、あるいはライバルであり親友、〈矢木俊太郎〉との、つかず離れずの愛情めいたものだの、そういうことは、別の方におまかせします。

 うちのブログでは、当然、文学賞まわりに関することのみ取り上げます。

 まずは、K社後援の〈ミステリー文学新人賞〉。

 〈夏子〉に好意をもって接してくる推理文壇の売れっ子、〈松木淳〉。彼が審査員を務める〈ミステリー文学新人賞〉に、〈夏子〉は「海の沈黙」という原稿を応募します。〈夏子〉の大学時代の同級生、〈多島弥生〉がすでにこの賞をとっており、彼女へのライバル心もあってのことでした。

 しかし、〈夏子〉の作品は落選しちゃいます。あれだけ「君の作品を受賞させる」と言ってくれていた〈松木淳〉が、当日、選考会に欠席。しかも、書面回答でも、〈夏子〉の作品を推していなかったらしい。

 それでも、「海の沈黙」は、このまま埋もれさせるのは惜しい、ということでK社から単行本化されることになります。

 そもそもこれが、〈江本夏子〉無冠の作家人生の、はじまりなのでした。

「本の何処にも、当然だが「ミステリー文学新人賞受賞作」の文字は無い。

 何かこの本が、あまり祝福されずに生まれてきた私生児のような気がした。

 きっと、賞に関係のない、次点作家というコンプレックスがついて廻るのではないか。

 そんな不安というか、怯えに似たものを夏子は直感していた。」(『女流作家』「第二章 不安な門出」より)

 そう。賞に対するこだわり。あるいはコンプレックス。というのは、山村美紗さんを語るうえでは、外せないことらしいです。

「彼女と、一年に一度(或いは二度)、必ずする会話があった。

「ねぇ、西村さん。私とKさんとどっちが作家として上かしら? 教えて」

「もちろん、君に決まってるじゃないか。Kは、雑誌にも殆ど書いてないし、本もここんところ出ていない。君の方は五誌に連載していて、本も去年一年で十冊は出しているだろう」

「でも、KさんはR賞を貰ってるわ。私の方は何の賞も貰ってないんだから、彼の方が上じゃない?」」(『週刊朝日』平成8年/1996年9月27日 西村京太郎「独占追悼手記 山村美紗さんはボクの女王だった」より)

 たしかに山村美紗さんは、何度も江戸川乱歩賞に挑戦して、結局とれずじまいでした。『女流作家』の〈夏子〉は、応募した一作目が最終候補に残って刊行までされた、などというある意味幸運なデビューでしたが、じっさいの美紗さんは、足かけン年、欲しくて欲しくてそれでもとれなかった、という状況だったようです。

「中学校教員を経て、主婦のかたわら推理作家を目指していた山村氏も、江戸川乱歩賞を目指すひとりとして熱心に投稿していた。よく知られているように、最終候補には三度残っている。一九七〇年の『京城の死』、一九七二年の『死の立体交差』、そして一九七三年の『ゆらぐ海溝』である。惜しいところで受賞は逃したが、『ゆらぐ海溝』のトリッキィな趣向を惜しんだのが選考委員のひとりだった松本清張氏である。氏の推薦もあって、『ゆらぐ海溝』は『マラッカの海に消えた』と改題のうえ刊行された。(引用者中略)

 しかし、山村氏の江戸川乱歩賞への挑戦は、じつはそれ以前からスタートしていたのだ。確認できたものでもっとも早いのは、一九六三年の第九回で、予選通過二十八作のなかに山村美紗氏の『冷たすぎる屍体』がある。(引用者中略)

 一九六五年の第十一回でも、予選通過三十六作のなかに山村氏の『歪んだ階段』があった。ただ、作者名が「山村美沙」となっているが、これは誤植だろう。さらに、一九六七年の第十三回には、『崩れた造成地』を投じている。」(平成14年/2002年12月・光文社/光文社文庫『京都・宇治川殺人事件』所収 山前譲「解説」より)

 じつに『マラッカの海に消えた』刊行まで、10年ごしの粘りです。

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 ご本人いわく、最初は江戸川乱歩への憧れから、だったとか。

「私が、江戸川乱歩賞に応募しようと思いたったのは、小さいときから、江戸川乱歩先生にあこがれていたからである。

 もし、当選したら、受賞パーティで、お目にかかれる、声もかけてもらえるかもしれないと思うと、考えただけで胸がわくわくした。

 しかし、私は、とうとう先生にお目にかかれずじまいだった。」(平成5年/1993年10月・光文社/光文社文庫『山村美紗の事件簿』所収「乱歩と私」より ―初出『江戸川乱歩推理文庫』昭和63年/1988年10月・講談社刊)

 第9回(昭和38年/1963年)の段階では、乱歩はまだ生きていたわけですしね。美紗の応募動機は案外、ほんとに「乱歩愛」だったのかもしれません。

 その後、乱歩の死に接して「しばらくは、原稿を書く気力を失ってしまった」そうです。それでも、やっぱり乱歩賞に挑戦し続けたのは、これもまた、美紗にいわせれば「乱歩愛」だったらしくて。

「乱歩先生にはお会い出来ないけど、江戸川乱歩賞と名がついている賞をとりたかった。

 結局、私はとることが出来なかったけど、今は、乱歩先生がきっかけで、推理小説を書くことになったことに満足している。」(同「乱歩と私」より)

 『マラッカの海に消えた』の刊行は昭和49年/1974年のこと。果たしてこのとき、美紗さんも、「○○賞受賞」でなかったことが、「祝福されずに生まれてきた」と感じてしまったのかどうか。

 賞出身作家が王道であって、それ以外は常にのけ者。というのは、もちろん美紗さん…いや〈江本夏子〉の大いなる被害妄想なわけですが、でも、そう感じる人間を生み出してしまうほど、中間小説誌や新聞広告は、もう賞・賞・賞のオンパレードだ、というのも事実でしょう。

 ほら。『オール讀物』は「直木賞」作家であることをことさら強調した誌面・広告をつくるし、『小説現代』は「乱歩賞」作家の陣営でかためてくる。

 無冠であることの阻害感。……みたいなものを〈江本夏子〉が、強烈に意識する場面が、「第四章 ハイビスカス」に出てきます。

 〈日本文芸賞作家 池田要〉の威力を、見せつけられる箇所です。

          ○

「「それから、十月号の表紙には江本さん一人の名前だけを出すことにしました。江本さんの四百枚が十月号の柱ですからね。他に短篇を何本かのせますが、いってみれば、江本夏子特別号みたいなもんです」

「それじゃあ、短篇の方に申しわけないわ」

「いいんですよ。この世界は力のあるものが勝つんです」

 と、名取はさらりといった。」(『女流作家』「第四章 ハイビスカス」より)

 〈名取〉というのは、〈C文芸〉の新任編集長。〈C文芸〉とは、他の出版社とはちょっと格の違うところらしく、

「以前、多島弥生がC文芸に作品を書いた時、

「とうとう、C文芸にのったのよ」

 と、自慢そうにいっていたからである。C文芸に作品がのれば、大衆作家として一人前と認められたことになるということだった。」(同「第三章 ベストセラー」より)

 だそうです。

 ところが、実際にふたを開けてみると、〈C文芸〉10月号の表紙には、どこにも〈江本夏子〉の文字はない。

「夏子は、その表紙を見つめていたが、すっと血の気が引いていくのがわかった。表紙の何処にも夏子の名前がのっていないのだ。その代わりに、

〈日本文芸賞作家 池田要 三年ぶりの新作発表「祭りの後」〉

 その文字だけが躍っているのだ。

(引用者中略)

「名取さんは、江本夏子特集にするとおっしゃったわ。それなのに、池田要特集じゃないですか」

「あれですけどね。池田先生の原稿が思いもかけずに入ったんですよ。池田要先生、ご存じでしょう?」

「知らないわ」

「日本文芸賞の池田要ですよ」

「知ってるけど、私にしてみれば、もう過去の人だわ」

「池田先生は国民的な作家なんです。その先生が、再起第一作としてC文芸に書いてくれたんですよ。全国民待望の作品です」」(同「第四章 ハイビスカス」より)

 この一件は、そうとう〈夏子〉にはこたえた、と書かれています。「あの件では、賞を取っていないことの口惜しさを、嫌というほど味わわされた。あの口惜しさは今でも忘れられない。」などという文章が、あとにも出てくるくらい、強調されています。

 まったく、〈江本夏子〉も〈名取〉も、どっちもどっちだよな。と感じなくもないんですが、〈日本文芸賞作家〉だからといって何が偉いのか。

「今だって、顔を合わせることがあれば、名取はこわばった顔で、「池田要さんは何といっても日本文芸賞の――」というに違いない。

(バカ――)

 と思う。」(同「第五章 献辞」より)

 この〈池田要〉にもモデルがいるんでしょうが、どなたかご存知の方がいたら教えてください。「国民的な作家」らしいです。山村美紗さんの長篇一挙掲載をおしのけて、表紙をかざった可能性があります。ここまで〈C文芸〉の〈名取〉が、その賞の名前に酔わされちゃっていることからして、直木賞受賞者なんでしょう。……いや、ひょっとして芥川賞をとった人かもわかりません。

 まあ、山村美紗が直木賞を受賞する、というのは現実的じゃありません。ただ、乱歩賞ならば、もしかしたらとれたかも、と思わせるものがあります。仮に乱歩賞をとれていたら、多少は彼女の、賞に対する傷・恨みも、変わっていたんでしょうかねえ。

「結局、新人賞が取れなかった。もう絶対本命といわれていたのに取れなかった。絶対間違いないっていわれていながら何回も落ちてるんです。「当選したらどうしよう」といっていると、落選の電話がかかってくる。大賞を逃してるんです、新人賞の。そのときは「あ、別に構わないわ」って、みんなにはいってたけど、陰で泣いてるところを何度も見ました。後々まで悔しかったようです。」(『月刊THEMIS』平成12年/2000年7月号「山村紅葉 初めて語る 西村京太郎先生と母・山村美紗の「愛の形」」より)

 乱歩賞でも、あるいは『花の棺』あたりで日本推理作家協会賞(第29回 長篇部門)でも、とっていればなあ。たび重なる落選の経験は、ほかの作家に対するライバル心を駆り立てるときの、かっこうの材料になったんだろうな。

「私なども推理小説を書くようになって、ファンからよく手紙がきたり、電話がかかったりする。折角、私の作品を誉めてくれても、ついでに「誰々先生、誰々先生のも大好きです」と、ほかの作家の名前を書いて誉めてあると、途端に白けてしまう。作家というのものは一匹狼だから、自分のものだけ誉めてほしいのだ。」(昭和60年/1985年7月・講談社刊『美紗の恋愛推理学』「I 「恋愛・結婚推理学のすすめ 第一章 恋愛作法」より)

 今、ミステリーブームで、若い実力のある女性たちが出てきてますけど、当時、山村さんのライバルというと……。

西村 夏樹(静子)さんだけだったんじゃないですか。編集者もずいぶん気を使ってましたよ。夏樹さんと同じ号に載せないように。一回、「夏樹さんの本が本屋に出てた」と言ったら、それだけで怒られちゃって、その日、一日じゅう機嫌悪かったです。(笑い)」(前掲「マリコのここまで聞いていいのかな」より)

 ううむ。美紗さんの正直なライバル心むき出しっぷりは、賞のことなど絡まなくたって、じゅうぶん伝説化されていたかも、ですね。

          ○

 さて、『女流作家』の続編『花の棺』です。こちらでも、やっぱり「文学賞」が、ドラマを発展させる重要な役割を果たしています。

「「江本先生は、菊川賞というのを、ご存じでしょう?」

「ええ、もちろん、知っているわ。菊川宏一郎を、記念して設けられた、文学賞でしょう」

「ええ、その通りです。どうですか、江本先生。菊川賞を、獲ろうとは、思いませんか?」

「ええ、それは獲れれば嬉しいことは嬉しいけど、私が書くような、娯楽小説じゃ、あの賞は、獲れないんじゃないの? 歴代の受賞者を見ると、かなり、純文学に近い人たちが獲っているから」

「それは、そうですがね。それで、江本先生に相談なんですが、先生は以前から、自分には、一つも、賞という勲章がない。それが、唯一悔しい。そういわれて、いたじゃありませんか? だから、ぜひ、菊川賞を、狙って欲しいんですよ」

(引用者中略)

「菊川賞ですが、あの賞は、優れた、伝記小説にも、与えられることに、なっているんです。それで、江本先生に、伝記小説を書いてもらいたいんですよ。伝記です。先生がよく知っている人の、伝記を書いていただきたいんです」

「私の知っている人の伝記?」

「私は、知らなかったんですが、先生の母方に、十年前に亡くなった、有名な映画俳優の永井健太郎さんがいる。」」(『華の棺』「第四章 小説の中の小説」より)

 『華の棺』では、このあと、〈夏子〉は「永井健太郎伝」を書き上げ、K出版の運動のおかげで、めでたく〈菊川賞〉の候補になります。しかし、けっきょくのところ落選。

 どういういきさつで落ちてしまったのかは具体的に書かれていませんが、その前に、〈菊川賞〉の選考委員たちと〈夏子〉が対面する場面が描かれています。そこでは、委員のなかの唯一の女性作家(純文学系)と、悪印象をのこすようなやりとりをしたことが触れられているんですよね。

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 現実に、山村美紗の著した『小説長谷川一夫』(昭和60年/1985年8月・読売新聞社刊 上・下巻、のち平成1年/1989年7月・文藝春秋/文春文庫)が、なにかの文学賞の候補になった、という記録は、表立っては公表されていません。

 「あくまで想像」をしてみます。……読売新聞社の本であること、伝記部門も表彰されること、女性委員がひとり交じっていること、などから読売文学賞がモデルなのかな? と思うのですがどうなのでしょう。

 ちなみに昭和60年/1985年度の第37回読売文学賞は、評論・伝記賞には授賞作なし。唯一の女性委員は、河野多恵子さんです。

 かように、文学賞に振られ振られた山村美紗さん、〈夏子〉のいう「勲章」を手にすることは、ついにできませんでした。彼女をモデルにした『女流作家』『華の棺』を書くにあたって、そりゃあ、文学賞にまつわるあれこれを無視しないわけにはいかなかったでしょう。で、何と言っても、その作者である西村京太郎さんのほうは、デビュー前の受賞歴も立派、作家になってからも、日本推理作家協会賞を受けたりなどして、「賞」の面では報われている方だ、というのが、また面白いわけです。

 もちろん、京太郎さんも美紗さんと同じように、作家を目指してから実際にその地点に到達するまでに、十数年の苦労をしています。ほいほいと売れっ子にのぼりつめたわけじゃありません。でもねえ。美紗さんの涙の落選の連続に比べれば、輝かしい入選歴じゃないですか。

 「オール讀物推理小説新人賞」、「江戸川乱歩賞」、「総理府「二十一世紀の日本」創作募集一等入選」。

 ただ、賞などいくつとっても、ほとんど売れないし、『D機関情報』は初版3,000部が売れ残る始末だし、『小説現代』の大村彦次郎さんにはボツをくらい続けるし、まあ、大変です。

 美紗さんに比べて、「賞」モノには強い京太郎さん。売れない時代に、もし新鷹会での活動がもうちょっと違う方向に進んでいたら、ひょっとして直木賞まで射止めちゃったかもしれないぞ。と、そんなことまで想像させてくれます。

「――この年(引用者注:昭和40年/1965年)、長谷川伸の新鷹会に入会されていますが、時代小説を書いてみようと思われたんですか。

西村 そうじゃないんです。昔、博文館にいた花田さんという人から勉強するつもりならと誘われたんです。資格試験があって、二十枚ほどの原稿を書いていって、それを読まされました。

――で、勉強になりましたか。

西村 あまりならなかった。みんな長谷川伸の友達だから、年配の人が多いんです。戸川幸夫さん、棟田博さんなんかもいて雰囲気はいいし、昔話を聞いている分には楽しいんだけど、小説のことになると話が合わない。江戸時代の史料を貸してもらったりもしたんですが、時代物は史料集めが大変なんですね。」(平成10年/1998年12月・KSS出版刊『西村京太郎読本』所収 聞き手・監修:郷原宏「西村京太郎インタビュー」より)

 一発、トラベルミステリーで当たったあとは、京太郎さんは編集者の求めるままに、ずるずるとその路線を突っ走りました。平成17年/2005年に日本ミステリー文学大賞が授けられるまでは、ひたすらの「賞とは無縁街道」です。でも、もともとは、賞を狙って獲る、その技量に長けていた一面もあるんですよね。

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 たとえば、総理府の「二十一世紀の日本」創作募集なんか、まさにそう。受賞できたいきさつを、こんなふうに述べています。

西村 あのときは絶対に賞を取ろうと思って、取りに行きましたよね。

津田 本当に受賞されたんですから、それはすごいことですね。実際、何か秘策とかは……。

西村 それはね、選考委員の顔ぶれを見たんです。石原慎太郎さんと宮本百合子さん、三人目はフランス文学の権威でしたね。それぞれの委員がどんなものを好むか研究したんです。

津田 それはいいアイデアですね。

西村 石原さんは、日本文化はすばらしいということを言えばおそらく気に入ってもらえる。宮本さんは共産党の宮本顕治さんの奥さんだから、日本の問題点を書けばいい。フランス文学の人は、日本文化と西洋文化の融合を説いていたから、その要素も取り入れる。そういうことを研究して構想を練りました。

(引用者中略)

賞はもらえたけど、作家の本音としてはちょっといやなんです。自分を殺してますから。書きたくないものを書いてるから。」(平成17年/2005年4月・文芸社刊 西村京太郎・著、聞き手:津田令子『西村京太郎の麗しき日本、愛しき風景』「第3章 旅と作家 苦闘時代の一人旅」より)

 書きたくないものも書けなきゃね。何十年も売れっ子作家で驀進できなかったでしょう。この妥協性が、ある意味、西村京太郎さんの特質かもしれません。

 文学賞、の観点からみれば、みごとに明暗が分かれていた、山村美紗&西村京太郎。欲しがって書き続けても、まったく取れず、かといって狙って書いて取れる人もいれば、取れたところで生活が楽になるわけじゃない……。文学賞。しかも、取ろうが取るまいが、売れる小説はケタ違いに売れる、という。

 まったく、賞ってやつは、馬鹿バカしいけど、面白いもんです。

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