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2010年4月の4件の記事

2010年4月25日 (日)

直木賞とは……たとえるのが難しいなあ。プロ野球でいえば、芥川賞は巨人軍にたとえると、ちょうどいいのだけど。――尾辻克彦「元木」

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尾辻克彦「元木」(平成3年/1991年12月・講談社刊『出口』所収)

 今日もまたまた、横に少しだけズレまして、「小説に描かれた芥川賞」のことです。

 ええ。取り上げる小説「元木」そのものは、直木賞を標的にした直球じゃありません。ただまあ、作者が作者ですから。周辺には直木賞に関する王道ネタが転がっていますし

 そういうことを含めて、今日の主役は尾辻克彦さんです。

 ……にしても、この短篇「元木」。タイトルがそっけないので、見過ごしてしまいがちなんですが。読んでみれば、芥川賞をはじめとする文学賞ってヤツを、手のひらの上でゴロゴロ転がして楽しんでいるさまが伝わってくるじゃありませんか。完全なる「文学賞小説」です。

 雑誌初出時のタイトルは、「ドラフトの星」(『小説新潮』平成3年1月号)といいました。発売されたのは、前の年の暮れです。

 ちょうど世間では、プロ野球のドラフトが終わった頃。この年、元木大介が念願の巨人軍からのドラフト指名を勝ち取ったことに対して、ああだのこうだの、言われていた時期でした。

 「ドラフトの星」が掲載された『小説新潮』の同じ号から、ちょっと引いてみます。

「今年のプロ野球ドラフト会議も、悲喜こもごもの人間の姿を見ることになった。(引用者中略)8球団もの一位指名を受けながら、意中の球団以外に交渉権が渡り、現時点でプロ入りを拒否している大物投手、一年間浪人してまで、子供の頃からの夢であった巨人入りを果した者、また将来約束されているはずのエリートコースよりも、プロのマウンドに強く魅かれた東大生――他人はあれこれ勝手なことを言うだろうが、彼らの人生、ルールに反していない限り、悩み抜いた末の勇気ある決断を、暖かく見守ってあげたい。」(『小説新潮』平成3年/1991年1月号 福島敦子「福島敦子の取材手帳から(6) ドラフト制度に思うこと」より)

「元木大介(上宮高卒)が巨人入りした。私は元木が筋を通したとも、意地を貫いたとも思わない。元木はハワイでほぼ一年間トレーニングしたが、それが許される環境にあったということだろう。

 率直にいえば親に金がなかったり、財界に顔の利く後見人などがいなかったら、普通の高校生には無理だろう。」(同号 近藤唯之「野球巷談 プロってのは仕事だろ?」より)

 プロ野球に詳しくない人には、何のことだかサッパリですよね。

 つまり、元木大介という高校生が、巨人入りを熱望していた。でも、前年のドラフトでは、別の球団(ダイエーホークス)が交渉権を獲得してしまったため、それを断って一年、浪人生活を送った。翌年、晴れて巨人が交渉権を獲得してくれて、夢をかなえることができた。……ていう出来事があったわけです。

 尾辻さんの「ドラフトの星」改め「元木」は、この出来事に類する架空のハナシを、当事者の〈元木太介〉が語っている、という小説です。

 小説上の〈元木〉が憧れているのは、巨人軍ではありません。芥川賞です。

「高校の三年も終りに近づき、いよいよドラフトになった。

 優秀な作家が特定の文学賞や特定の出版社に集中しては、日本の純文学の振興がはばまれるというので、近年になって文学の世界にもドラフト制が採用されている。

 方法はプロ野球のドラフト制と同じようなものだ。高卒、大卒、社会人の若い作家志望の中から、各出版社の文学賞が指名をして、重なった場合は抽選とする。

 筆力の均衡をはかるには、たしかにこれはやむをえないことだな。

 でも一方で、作家の方からすれば、自分の力で文学をやるのに、何故自分の好きな文学賞をもらえないのか、ということになる。

 ぼくはもちろん、芥川賞にしか興味がない。

 子供のころからずうっと憧れつづけてきたのだ。

 芥川賞作家になって小説を書くのが夢だった。

 だから当然、芥川賞以外の賞はもらわないと宣言した。」(「元木」より)

 それ以降の展開は、ほぼ、実際の野球のドラフトでの流れと同じふうに描かれます。

 つまり、〈元木〉君が実際に指名されたのは、〈ダイエー文学賞〉なのでした。〈元木〉君はどうしても芥川賞が欲しいので、これを断り、「ナマイキだ」「ワガママだ」とさんざん新聞に叩かれます。

 ……この小説では、プロ野球の球団名+文学賞、というのがいくつも登場してくるんですね。ダイエー文学賞、阪神文学賞、ロッテ文学賞……。

 その中に、現実の文学賞の名前がまぜこぜになっているのが、またイイ味をかもし出しています。

「今回のドラフトでは小池さんが可哀相だった。大学文学で鳴らしたあの小池さんで、どの出版社も目をつけていた。

 小池さんも逆指名をしていた。ぼくみたいに一本ではなく、小池さんの場合は芥川賞か、三島賞か、泉鏡花賞をといっていたのだけど、結果はロッテ文学賞になってしまった。」(同「元木」より)

 ちなみに三島賞というのは、比較的新しい賞なのだそうで、何年か前、〈清原〉が指名された賞らしい。〈清原〉もまた、芥川賞をとりたがっていたが、やむなく三島賞ということになってしまった。しかし、いまでは〈清原〉は三島賞作家のスタートして、ベストセラーを連発しているという……。

 小説「元木」では、プロ野球ドラフト制度と、純文学の世界とを、交差させてパロっているわけです。ここに大衆文学の賞は登場しません。

 現実には、純文学の賞とエンタメ小説の賞なんて、境があるようでないも同然ですから、そこら辺もからめてパロってほしかったなあ。などと、パロディ作品に注文をつけるなんて無粋でしたね、すみません。

 巨人軍=芥川賞。っていう見立ては、今となっては、すでに誰かがやってそうな構図だな、と思えるぐらい、たしかにバチッとはまります。

 昭和20年代~昭和50年代ごろまでは、多くの人の目がそこに集中していて、「頂点」であり「憧れのマト」であったりしたものが、今や無惨に落ちぶれた(いや、他のものとの違いがなくなってきた)とか。マスコミは、そこにばかり群れたがる(これも近年、瓦解しつつありますが)とか。

「むかし深沢七郎さんが川端賞を断わった。深沢さんは谷崎賞をもらうために川端賞を断わったのだけど、別にワガママだとはいわれなかった。ぼくが芥川賞を逆指名してダイエー文学賞を断わったのと同じことなのに、ぼくの場合はワガママだといわれる。相手が芥川賞だからだな。

 いまの世の中にはアンチ芥川賞の人がかなりいる。何故か知識人といわれる人に多い。とくにむかし左翼だった人。」(同「元木」より)

 あるいは、両者が拠って立つ「プロ野球」と「純文学」の、人気の衰えぶり、ってことでも、重ね合わせることに不自然さを感じません。

 ただ、ここで厄介なことがあります。芥川賞には、直木賞っていう、薄気味悪い弟分が、べっちょり背中に貼りついているんですよね。

 芥川賞が巨人軍、三島賞が西武、とするなら、直木賞は何なんでしょうか。

 二軍? プロ野球解説者? あるいはサッカーのチーム? ……どれも、うまいたとえとは、言えそうにありません。

 厄介だ。ああ、厄介だ。直木賞が属するはずの世界は、芥川賞のそれとは、確実に違う、かと思わせておいて実は同じ。でも、多くのひとにとっては、そんなもの区別がつかないし、つけようとも思っていないから、芥川賞は多くの人の目にはっきり映るが、直木賞は、何となくぼんやりと、その付近にある感じ。

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2010年4月18日 (日)

直木賞とは……そんなものとったくらいで、売れてるわたしより、どうして優遇されるのよ!――西村京太郎『女流作家』『華の棺』

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西村京太郎『女流作家』(平成12年/2000年5月・朝日新聞社刊)、『華の棺』(平成18年/2006年11月・朝日新聞社刊)

(←左書影は上が『女流作家』平成14年/2002年8月・朝日新聞社/朝日文庫、下が『華の棺』平成21年/2009年4月・朝日新聞出版/朝日文庫

 ゴシップふうのネタというのは、何が真相なのか、たいていわかりません。

 たとえば、「こういうふうにエッセイに書かれていた」とか、「本人がインタビューにこう答えていた」とか、「文芸評論家の調査によると、何何であることがわかった」とかがあれば、ワタクシも信じちゃいます。でも、いかに真実っぽいことであっても、まあ、後世、あらたな資料によってひっくり返されることは、しばしばです。

 エッセイ・日記・手紙のたぐいですらそうなのですから、モデル小説など言わずもがな。

 「これは虚構ですからね」と、あえて弁明されなくても、これを本当にあったことだと妄信するのは危険です。

(引用者注:林真理子 作家に対してどこまでが本当ですか、と聞くぐらい野暮な質問はないですけど、このご本(引用者注:『女流作家』)、かなり真実に近いんですか。

西村(引用者注:西村京太郎) あくまでも小説です。」(『週刊朝日』平成12年/2000年4月21日号「マリコのここまで聞いていいのかな」より)

 でもですね。下世話なハイエナ野郎からしてみれば(いや、上品な読書人だって)、この小説を純粋に虚構のおハナシとして通読することなど、まず無理、っていうつくりになっているんですよねえ。京太郎さんご自身、「編集者はみんな知っていること」と言っているわけですから。こんなに濁して書かずに、もう少し事実っぽく書いておいてほしかったな。勝目梓『小説家』みたいに。

 まあ、「あくまで小説」ってことですから。こちらも「あくまで想像」で立ち向かいますか。

 『女流作家』と『華の棺』の主人公は、〈江本夏子〉。女流推理作家。彼女をとりまく、恋のさやあてだの、あるいはライバルであり親友、〈矢木俊太郎〉との、つかず離れずの愛情めいたものだの、そういうことは、別の方におまかせします。

 うちのブログでは、当然、文学賞まわりに関することのみ取り上げます。

 まずは、K社後援の〈ミステリー文学新人賞〉。

 〈夏子〉に好意をもって接してくる推理文壇の売れっ子、〈松木淳〉。彼が審査員を務める〈ミステリー文学新人賞〉に、〈夏子〉は「海の沈黙」という原稿を応募します。〈夏子〉の大学時代の同級生、〈多島弥生〉がすでにこの賞をとっており、彼女へのライバル心もあってのことでした。

 しかし、〈夏子〉の作品は落選しちゃいます。あれだけ「君の作品を受賞させる」と言ってくれていた〈松木淳〉が、当日、選考会に欠席。しかも、書面回答でも、〈夏子〉の作品を推していなかったらしい。

 それでも、「海の沈黙」は、このまま埋もれさせるのは惜しい、ということでK社から単行本化されることになります。

 そもそもこれが、〈江本夏子〉無冠の作家人生の、はじまりなのでした。

「本の何処にも、当然だが「ミステリー文学新人賞受賞作」の文字は無い。

 何かこの本が、あまり祝福されずに生まれてきた私生児のような気がした。

 きっと、賞に関係のない、次点作家というコンプレックスがついて廻るのではないか。

 そんな不安というか、怯えに似たものを夏子は直感していた。」(『女流作家』「第二章 不安な門出」より)

 そう。賞に対するこだわり。あるいはコンプレックス。というのは、山村美紗さんを語るうえでは、外せないことらしいです。

「彼女と、一年に一度(或いは二度)、必ずする会話があった。

「ねぇ、西村さん。私とKさんとどっちが作家として上かしら? 教えて」

「もちろん、君に決まってるじゃないか。Kは、雑誌にも殆ど書いてないし、本もここんところ出ていない。君の方は五誌に連載していて、本も去年一年で十冊は出しているだろう」

「でも、KさんはR賞を貰ってるわ。私の方は何の賞も貰ってないんだから、彼の方が上じゃない?」」(『週刊朝日』平成8年/1996年9月27日 西村京太郎「独占追悼手記 山村美紗さんはボクの女王だった」より)

 たしかに山村美紗さんは、何度も江戸川乱歩賞に挑戦して、結局とれずじまいでした。『女流作家』の〈夏子〉は、応募した一作目が最終候補に残って刊行までされた、などというある意味幸運なデビューでしたが、じっさいの美紗さんは、足かけン年、欲しくて欲しくてそれでもとれなかった、という状況だったようです。

「中学校教員を経て、主婦のかたわら推理作家を目指していた山村氏も、江戸川乱歩賞を目指すひとりとして熱心に投稿していた。よく知られているように、最終候補には三度残っている。一九七〇年の『京城の死』、一九七二年の『死の立体交差』、そして一九七三年の『ゆらぐ海溝』である。惜しいところで受賞は逃したが、『ゆらぐ海溝』のトリッキィな趣向を惜しんだのが選考委員のひとりだった松本清張氏である。氏の推薦もあって、『ゆらぐ海溝』は『マラッカの海に消えた』と改題のうえ刊行された。(引用者中略)

 しかし、山村氏の江戸川乱歩賞への挑戦は、じつはそれ以前からスタートしていたのだ。確認できたものでもっとも早いのは、一九六三年の第九回で、予選通過二十八作のなかに山村美紗氏の『冷たすぎる屍体』がある。(引用者中略)

 一九六五年の第十一回でも、予選通過三十六作のなかに山村氏の『歪んだ階段』があった。ただ、作者名が「山村美沙」となっているが、これは誤植だろう。さらに、一九六七年の第十三回には、『崩れた造成地』を投じている。」(平成14年/2002年12月・光文社/光文社文庫『京都・宇治川殺人事件』所収 山前譲「解説」より)

 じつに『マラッカの海に消えた』刊行まで、10年ごしの粘りです。

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 ご本人いわく、最初は江戸川乱歩への憧れから、だったとか。

「私が、江戸川乱歩賞に応募しようと思いたったのは、小さいときから、江戸川乱歩先生にあこがれていたからである。

 もし、当選したら、受賞パーティで、お目にかかれる、声もかけてもらえるかもしれないと思うと、考えただけで胸がわくわくした。

 しかし、私は、とうとう先生にお目にかかれずじまいだった。」(平成5年/1993年10月・光文社/光文社文庫『山村美紗の事件簿』所収「乱歩と私」より ―初出『江戸川乱歩推理文庫』昭和63年/1988年10月・講談社刊)

 第9回(昭和38年/1963年)の段階では、乱歩はまだ生きていたわけですしね。美紗の応募動機は案外、ほんとに「乱歩愛」だったのかもしれません。

 その後、乱歩の死に接して「しばらくは、原稿を書く気力を失ってしまった」そうです。それでも、やっぱり乱歩賞に挑戦し続けたのは、これもまた、美紗にいわせれば「乱歩愛」だったらしくて。

「乱歩先生にはお会い出来ないけど、江戸川乱歩賞と名がついている賞をとりたかった。

 結局、私はとることが出来なかったけど、今は、乱歩先生がきっかけで、推理小説を書くことになったことに満足している。」(同「乱歩と私」より)

 『マラッカの海に消えた』の刊行は昭和49年/1974年のこと。果たしてこのとき、美紗さんも、「○○賞受賞」でなかったことが、「祝福されずに生まれてきた」と感じてしまったのかどうか。

 賞出身作家が王道であって、それ以外は常にのけ者。というのは、もちろん美紗さん…いや〈江本夏子〉の大いなる被害妄想なわけですが、でも、そう感じる人間を生み出してしまうほど、中間小説誌や新聞広告は、もう賞・賞・賞のオンパレードだ、というのも事実でしょう。

 ほら。『オール讀物』は「直木賞」作家であることをことさら強調した誌面・広告をつくるし、『小説現代』は「乱歩賞」作家の陣営でかためてくる。

 無冠であることの阻害感。……みたいなものを〈江本夏子〉が、強烈に意識する場面が、「第四章 ハイビスカス」に出てきます。

 〈日本文芸賞作家 池田要〉の威力を、見せつけられる箇所です。

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2010年4月11日 (日)

直木賞とは……雑誌に連載をもって、いくつも賞をとって。そしてようやくとれる「文壇の頂点」。――青山剛昌『名探偵コナン』より「祭りの夜」「アリバイは完璧!?」「写真のワナ」

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青山剛昌「祭りの夜」「アリバイは完璧!?」(平成7年/1995年8月・小学館/少年サンデーコミックス『名探偵コナン 6』所収)、「写真のワナ」(平成7年/1995年12月・小学館/少年サンデーコミックス『名探偵コナン 7』所収)

(←左書影は上が『名探偵コナン 6』、下が『名探偵コナン 7』)

 そう。これは小説ではありません。ここは直木賞専門ブログなんです。専門外も甚だしい。

 「直木賞を描いた作品」を探すとき、あえて「小説」の縛りを外してしまえば、そんなもの無数にあるでしょう。マンガ、アニメ、テレビドラマ、映画、演劇……。

 ですので、この変化球は今週一回きりにとどめます。

 いや、だいたいですよ。ワタクシは、微力な直木賞オタクです。『名探偵コナン』の何が語れるっていうんですか。語れるわけないじゃないですか。ねえ。このシリーズに関するさまざまなデータを収集・アップしてくれているサイト「名探偵コナン資料館」に、感謝とエールを送りつつ、ワタクシは分をわきまえて、直木賞に関係ありそうなことだけ語ることにします。

 直木賞? もとい。『名探偵コナン』上では、直本賞、です。

 「祭りの夜」「アリバイは完璧!?」「写真のワナ」。この3つのFILEでは、作家が作家を殺す事件が描かれます。かたちとしては「倒叙ミステリー」であり、冒頭に、はっきり殺人場面が出てきます。

 犯人は笹井宣一(ささい・のりかず)。いちおう、「一般に名の知られていない」作家という役回りです。ほんとうは小説を書きたいのに、『オーストラリア紀行』とか、そういう紀行物を書いているらしいです。

 いっぽう、被害者は今竹智(いまたけ・さとる)。こちらは、かなりの有名人なんですね。笹井とは昔コンビを組んでいたことがあり、二人合作で「今井ともかず」のペンネームで小説を書いていました。

 この二人のあまりの現在の境遇の違いが、作中、三コマのセリフで表されています。

 埼玉県桶山の天下一春祭の会場にて、笹井が、江戸川コナン・毛利小五郎・毛利蘭の三人と出会う場面です。

一コマ目・蘭「「今井ともかず」なら わたし知ってます!!」「「月下のロマンス」とか 「風がきこえる」とか 中学の時たくさん 読みました!!」

二コマ目・小五郎「でもへんだなー… 「今井ともかず」というのは、 この前、直本賞を 受賞した今竹智が デビュー当時使ってた ペンネームだと…」

二コマ目・笹井「今竹智とは 古い友人なんです。 昔、二人で組んで 書いてたんですよ。」

三コマ目・蘭「え―― あの有名な 今竹智さん と――!」

三コマ目・笹井「ええ… 今日も彼と 二人でこっちに 来たんです…」「直本賞の祝いに 彼の故郷で一晩 飲み明かそうと 思いましてね。」(『名探偵コナン 6』「祭りの夜」より)

 どうです。

 そもそも、毛利小五郎とその娘・蘭が、そうとうな小説好きであることがわかりますよね。驚くほどに。デビュー当時使っていたペンネームから、すらっと作家名を連想できるなんて、よほどですよ。

 たとえば、です。平成11年/1999年8月9月ごろ、まちで出会った人が「野原野枝実」と口にするのを聞いて、「ああ、この前、直木賞をとった桐野夏生のことか……」とすぐさま返せるような人を、想像してみてください。……

 いや、ここでは、そんなことより、二人の作家の対比が重要なのでした。

 今竹智は、かように有名人。一年前、と言いますから、おそらく直本賞をとるまえから『文芸時代』という雑誌に「剣勇伝説」を連載している男。

 しかも、この「剣勇伝説」なる作品も、毛利小五郎をして、

「ああ… 一年前から始まった あの大河小説の…」(『名探偵コナン 6』「アリバイは完璧!?」より)

 とすぐに思い出されるぐらい、名の知れた作品らしいんです。

 そして、最後に笹井の犯行動機が明かされるのですが、これも、とうに開いてしまった二人の有名度の違いに根を発していました。要は笹井の嫉妬心だった、ってわけでして。

「私は一年前から 今竹を抹殺する事を 決意してたんだよ!!!」「奴に代わり 文壇の頂点に 立つためにな!!!」

「そうだ…一年前だ… 「文芸時代」のメイン連載は 私の作品でいくことが 決まってたんだ…」「だが、編集部は ギリギリになって 持ち込まれた今竹の 企画にとびついた!! 今竹の方が名が通って いたからな!!」

「私にとっちゃ あの連載は、 作家生命をかけた 最後のチャンス だったんだ!!」「なのにあいつは そんなオレを あざ笑うかのように 横取りしやがった!!」

「フン… おかげで私は 落ちぶれる ばかり…」「あいつは 数多くの賞を 受賞していると いうのに…」

「知ってたか? 刑事さん…」「今竹が この前、直本賞を 受賞した あの作品…」

「あれは昔、私と今竹が組んで 書いていた頃に 二人で考えた話 だったんだぜ…」(『名探偵コナン 7』「写真のワナ」より)

 そうですか。それはつらかったでしょうねえ。

 まあ、ほとんど被害妄想に囚われた笹井さんの言葉ですから、信用するのもヤボなんですけど。「文壇の頂点」ですと? ははあ。雑誌の連載を横取りできるほどのネームバリューがある。数多くの賞を受賞している。これを、笹井さんの目から見れば「文壇の頂点」ってことになるんでしょう。

 そして、その極めつきが「直本賞」であると。

 ……もちろん、現実の直木賞のほうは、昔も今も、頂点なんてとんでもない、出発点でしかありえないことは確かです。しかし、何だか賞の名前だけが有名になっちゃっいましたからねえ。「文壇の頂点」を表現するときに、ついその名をモジッた固有名詞をつけたくなる、そういうことなんでしょうか。

 それはそれとして。

 「直木賞」なるキーワードは、有名と無名の落差をイメージさせるのにもってこいの性質なんでしょう。それはわかります。『名探偵コナン』は、そのイメージをよく活かしていますよね。ねえ。かつて胡桃沢耕史が、司馬遼太郎やその他、昔の仲間との格差を嘆いたのは、やはり自分だけ直木賞をとっていなかったからですし。

 おっと。待ってください。『名探偵コナン』は、「昔の仲間」ってだけの設定じゃなかったんでした。昔ふたりで組んで、一つのペンネームで小説を書いていた同士だと。

 んもう。平成7年/1995年の段階で、そんな設定をもってくるなんて。そんなことしたら、おおかたの人が頭に思い描いちゃうじゃないですか。岡嶋二人のことを。

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2010年4月 4日 (日)

直木賞とは……人気作家になるためのパスポートだって? ふん、そんなこと知ったことか。――森田誠吾「「直木賞」ものがたり」

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森田誠吾「「直木賞」ものがたり」(昭和62年/1987年4月・文藝春秋刊『銀座八邦亭』所収)

(←左書影は平成4年/1992年12月・文藝春秋/文春文庫

 この作品を「小説」と呼ぶのは、さすがに無理があります。

 初出時(『小説新潮』昭和61年/1986年4月号)の誌面にだって、どこにも「小説」をうかがわせる記述はありませんし。

「第一作「曲亭馬琴遺稿」から五年、第二作受賞の日までを著者の日記から綴る!」(『小説新潮』昭和61年/1986年4月号 目次より)

 『小説新潮』での本文の文字組も、ほかの小説とは違い、完全に「エッセイ」のたたずまいです。

 そうではあるんですが、『銀座八邦亭』には、直木賞受賞第一作と銘打たれた「聖路加の見える街」も収められています。そっちを小説とするなら、こっちだって、無理こり「小説」の部類に入れられないこともないですよね。

 いや。作品がどうだのと言っている場合じゃないのです。森田誠吾さんという人物そのものが、おそろしく謎です。

 第94回(昭和60年/1985年・下半期)直木賞。世間のおおかたの目が、いっぽうの受賞者に奪われているスキに、御年60のニコニコした男が泰然と受賞してしまったという。「近ごろの芥川賞は若い女の子ばっかりとってて、面白くない」みたいな発言は、よくネット上に転がっていますが、ご安心ください。20数年前も、似たような状況だったみたいですから。

「昨今、毎回のように華やかな女性候補で話題の多い直木賞選考の間げきを縫うかのように、十六日夜登場したのは初老の紳士。」(『毎日新聞』昭和61年/1986年1月17日「ひと 「魚河岸ものがたり」で第94回直木賞 森田誠吾さん」 執筆:吉野徹直 より)

「近ごろの文学賞は女か新しもの好きの青年がもらうものと思っていたら、珍しや今回の直木賞受賞者の一人は六十歳の男。しかも広告制作会社・精美堂、社員三百五十人の会社の社長というビジネス世界の実年者だった。」(『文藝春秋』昭和61年/1986年3月号「文春ブック・クラブ 徳岡孝夫の著者と60分」より)

 あれ、最近の「若い女の子」というのは、ちょっと違いますか。「女か若者」。……これが、当時の直木賞・芥川賞に対する印象のひとつだったみたいです。

 まあ、どんな人物がとったっていいようなものですが、こと直木賞で、森田誠吾、となると妙な気配があります。だって、それまで書いた小説もわずかなら、受賞後、亡くなるまでの20数年で遺した小説も、おそらく十指に余る少なさ。

 この存在全体が、直木賞にはそぐわない異端児なのです。

 『曲亭馬琴遺稿』で第85回(昭和56年/1981年・上半期)直木賞で候補になり、森田誠吾の名前が、ちらりと知られるようになってから、次の小説刊行まで、まる5年。ほとんど作家活動していないんですから。

「昭和五十六年三月に、「馬琴」(引用者注:『曲亭馬琴遺稿』)が出版され、五月には(引用者注:正しくは七月)直木賞候補にノミネートされたが、受賞作は青島幸男氏の「人間万事塞翁が丙午」であった。(引用者中略)

 しかし私は、その直後に、五十枚ほどの短編一本を書きはしたが、以後、小説には手をつけようとしなかった。

 受賞出来なかったのでふてくされたわけではない。

 「馬琴」という小説は、新聞、雑誌の書評に取り上げられ、見た目には景気が良かったが、実際に読んでくれた読者は、きわめて少なかったのだ。(引用者中略)

 本当に読んでくれた少数の人々の賛辞も届きはしたが、七千部も刷ってもらった小説が、空しく埋もれてしまったのかと考えると、小説なぞ書く気がしなくなったのである。」(「「直木賞」ものがたり」より)

 それでも、新潮社の編集者・梅澤英樹さんから「小説書け書け」と背中をおされて、ようやく1年半かけて書いたのが『魚河岸ものがたり』。このあたりの記述を読むと、あれだなあ、先週の浅田次郎さんの言い草じゃありませんが、『魚河岸ものがたり』が直木賞を受賞したのは、まるまる梅澤さんの手柄じゃないか、と思わされます。

「発表後、ふた月たつのに、「諸君!」のほかに書評らしいものが見えなかった。「馬琴」の時とは、大ちがいである。「魚河岸」は、読んだ人々が、そろって褒めてくれたのに、書評、ことに新聞の書評は一件もない。

 電話で梅沢さんに訴えると、そういうものですよ、これは書評に出ていいと思うものが出ないで、こんなものがというのが出るんです、と慰められる。」(同「「直木賞」ものがたり」より)

 そんな梅沢さん。でも、思わずポロッとつぶやいたところを、著者に目撃されています。

「賞が受けられるかどうかは別として、候補作品には、あげてほしかった。

 というのも、本が出来上がって、梅沢さんと食事をした夜、別れ際に彼が宙を見つめて、トムライ合戦とはいわないまでも、今度は、と呟いた気持が、私の胸の中で、次第に大きくふくれ上がっていったからである。

 編集者としての彼が、狩人のように狙いをつけていたのは、直木賞に違いなかった。」(同「「直木賞」ものがたり」より)

 たった一作しか世に出していない、専業作家でも何でもない一会社社長にむかって、もっと小説を書け(たぶん、直木賞がとれるから、の含みを持たせて)と声をかけた編集者など、ほとんどいなかったそうです。

 しかし、嗅覚の肥えた文芸編集者っていうのは、いるもんなんですね。うむ、こいつは作家としてイケそうだ、とにらんだ人が、少なくとも三人いたそうです。そもそも『曲亭馬琴遺稿』を出版に踏み切った梅澤英樹さんは別格としても、あとの二人は文藝春秋の阿部達児さんと、朝日出版局の涌井昭治さんでした。

「無名の一作者にとって、おのれをみとめてくれた人は忘れ難い。」(同「「直木賞」ものがたり」より)

 と、実名をあげてこのエピソードを発表しちゃう森田誠吾さんは、さすが実社会で揉まれたビジネスマンだよなあ。

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