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2010年3月の4件の記事

2010年3月28日 (日)

直木賞とは……狙って書いたものはとれない。たとえ下品でも魂こめて書いたものが、とれるのさ。読む人が読めばわかるからな。――浅田次郎『プリズンホテル 春』

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浅田次郎『プリズンホテル 春』(平成9年/1997年1月・徳間書店刊)

(←左書影は平成13年/2001年11月・集英社/集英社文庫『プリズンホテル4春』

 現代の直木賞の申し子、と言っていいでしょう。

 じっさい、この方には、個人的に直木賞オタクとして、ものすごく期待しているのです。まかり間違えば直木賞のありようをぐいっと変えてくれるのではないか、と。

 まず浅田次郎さんといえば、直木賞がほしくてしかたのない、という前半生を送ってきたことで有名です。いや、正確には「小説家になりたくてしかたのない」と言ったほうが、いいんでしょうか。

「トルーマン・カポーティや三島由紀夫の才気には羨望を禁じえなかったし、谷崎潤一郎の文学的洗練はしんそこ尊敬していたし、ジョルジュ・バタイユのデモーニッシュな空気には魅了された。ほかにも多くの作家から影響を受けたが、かくありたしと憧れる小説家のイメージは、今も昔も変わらず川端康成である。理由はただひとつ、川端は私が理想とする旅先作家の典型であった。」(平成19年/2007年10月・小学館刊『つばさよつばさ』所収「旅先作家」より)

 エッセイを読んでも、あるいは各種文学賞の選評を読んでも、どうですか、この大仰な文章のこねくり回し方。何だか、宮城谷昌光さん以上に、「文学的」な表現を嬉しがって使っている思いが、ぷんぷん伝わってきますよね。

 そんな小説家・浅田次郎の持ち味をぞんぶんに発揮した初期の名シリーズといえば、やはり『プリズンホテル』でしょう。まだまだ駆け出し作家、『蒼穹の昴』が出る以前の段階で、北上次郎さんもこんなふうに評価していました。

「浅田次郎はこれから大きく化けていく可能性を持った作家である。この作家がいったいどこに向かうのかは待望の新作がなんらかのヒントを与えてくれるだろう。だがそのこととは別に、この「プリズンホテル」シリーズは、おそらく初期の傑作として長く記憶にとどめられるだろう。」(『読売新聞』平成7年/1995年10月29日 北上次郎「現代稀な良質の人情小説 浅田次郎著「プリズンホテル冬」」より)

 同感です。

 さらに読み返してみますと、このシリーズにはすでに、直木賞オタクのワタクシを期待させるタネがじゅうぶん仕込まれていました。

 ギャグ・おなみだ・斬った張った・親子愛、などなど通俗味たっぷりのなかに、たぶん意図的に、作者が仕込んだ企み。それは、主人公のひとり、作家・木戸孝之介の造形にあらわれています。

「萎えきった下半身とはうらはらに、心はむらむらと湧き滾った。ぼくは湯の中で静かに磨き上げた真珠を胸にしまうと、「ヨオッシ!」と気合を入れて立ち上がった。

「ハッハッ、何が〈仁義の黄昏〉だ! 何がベスト・セラーだ! 極道作家なんてのは世を忍ぶ仮の姿で、俺はいずれ芸術院会員になって、勘九郎と一緒に文化勲章をもらうのだ!」

 ぼくは大声でそうひとりごちながら湯殿を飛び出すと、浴衣と丹前をきちんと着て、思いきり文化人らしく、長い髪をバサリとかき上げた。」(平成6年/1994年8月・徳間書店刊『プリズンホテル秋』「14」より ―引用は平成13年/2001年7月・集英社/集英社文庫『プリズンホテル2秋』

 つまりは、俗っけまるだし、ってところです。

 ワタクシが浅田さんに期待する根本は、その一点にあります。凝った文学的表現だの、さまざまな小説を読んできた読書家だの、人を泣かせたり笑わせたりする力があるだの、そういうこともあるんですが、ともかく何より、どれだけ「賞」ごとき俗事に執着心があるか。生っちょろい言葉を使うと、「人間くささ」がある、とでも言うんでしょうか。

 「勇気凛凛」シリーズを愛読していた方なら、そうそう、浅田次郎は人間くさい!とうなずいてくれますよね?

 吉川英治文学新人賞の候補になったときには、「今回のノミネートは神様が一生に一度だけ下さったチャンスのような気がする」と胸のうちを明かしちゃう。それで、直木賞の候補になって落ちたときは、以前ご紹介したとおり、一篇まるごとそのショック状態を書いてしまったりして。

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 そして、とったらとったで、

「幼いころから夢に見続けてきた夜が今日であるということを、いまだに信じられない。よしんばその夢が少年の思いこみであったにせよ、私は小説家になりたかった。直木賞作家と呼ばれたかった。四十五年の人生のうちの少くも三十数年を、私はその夢のためだけに生きてきた。」(平成10年/1998年2月・講談社刊『勇気凛凛ルリの色 福音について』所収「栄光について」より ―引用は平成13年/2001年1月・講談社/講談社文庫

 いいですか。「小説家になりたかった」のあとに、シレッと「直木賞作家になりたかった」と続ける、この俗物性たるや(表現が悪くてすみません。ケナしているんじゃないですよ。それが浅田さんの魅力だと言いたいのです)。

 その魅力が全篇にみなぎっているのが、シリーズ中でもトリをとる『プリズンホテル春』だと思うわけです。

「〈(引用者略)私も、単刀直入に申し上げましょう。実は、このたび先生の作品が第八十回日本文芸大賞にノミネートされました〉

「ハッハッハッ、そーか。そりゃよかったな。ハッハッ……ハァッ! なななななんだって!」

(引用者中略)

「あのな、日本文芸大賞といえば文壇の最高権威たるビッグ・タイトルだ。しかも人格識見ともに優れ、将来もっとも有望なる作家に対し――」

 言いながらぼくはスッと気が遠くなって、美加に背中を支えられた。それはデビュー以来このかた、ぼくが寝ては夢、起きてはうつつ幻に見た、偉大なる文学賞だ。もし夢まぼろしでないのなら、ぼくはついにその候補に名をつらねた!」(『プリズンホテル春』「1」より)

 この作品が書かれたのは、『週刊アサヒ芸能』平成7年/1995年11月23日号~平成8年/1996年7月4日号。『蒼穹の昴』によって、それこそ夢にまで見た直木賞の候補に選ばれる(第115回 平成8年/1996年・上半期)以前のことです。

 当たり前ですが、作中の「日本文芸大賞」とは、直木賞っぽいけど直木賞ではない、読者を楽しませるために目一杯デフォルメされた存在ではあります。ただ、どうやら浅田さんは直木賞をとることと、ようやく小説家になれたって実感とを、ほぼイコールで結び付けられる考えの持ち主のようですので、読者としても、ある意味、日本文芸大賞を直木賞ふうに読まされてしまいます。

「ぼくは車内を振り返った。選考会の結果を仲オジのホテルで待とうというぼくの提案に、十人の編集者がゾロゾロついてきた。(引用者中略)

(引用者注:本命の候補作の版元・大日本雄弁社、岡林いわく)彼らにしたって、返本の山を再出荷できるかどうかの瀬戸際なんですからね。日本文芸大賞作家と決まれば、極道作家の木戸先生も一躍文壇の寵児。再出荷どころかオビ付けかえて、大増刷まちがいなしなんですから」」(同書「9」より)

 誇張なのか、そうでないのか、よくわからなくなるぐらい、日本文芸大賞ってのは売上げに跳ね返るんだと。直木賞そのものです。

 それはそれとして。現実にはまだ直木賞とれるかとれないか、の舞台に立つ前だというのに、ほら、早くも浅田次郎さんの文学賞観が出てきてますよね。

 文学賞、ほしくてほしくてしょうがない。ということの他に。「文学賞は、担当編集者のものである」って考え方が。

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2010年3月21日 (日)

直木賞とは……本も売れるし有名にもなるし。そんな幸せ、ほかにないじゃないですか。――北森鴻「約束」

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北森鴻「約束」(平成15年/2003年4月・講談社刊『桜宵』所収)

(←左書影は平成18年/2006年4月・講談社/講談社文庫

 いくら悼む気持ちがあるとはいえ、ですよ。直木賞のことばっかひねくり回すブログが、追悼のエントリーを書くなんて、しゃらくさいわけです。

 一度でいいから、北森鴻さんには直木賞候補になってほしかった。などという、一読者としての思いも、こんな穢れたブログで書くべきではないでしょう。

 なので、作家の方の文章を引用するにとどめておきます。

「彼の作品は本当はもっともっと高く評価されるべきものだ。

 作家の中にもファンが多く、作家同士集まると、そういう話になることも多かった。「鮎川哲也賞出身の作家で、最初に直木賞を取るのは北森さんだろう」という予想を、何人もの人からわたしは聞いている。もちろんわたしも同意見だった。

 時がくれば、本来受けるべき評価を受け、もっとたくさんの読者に読まれることになる。わたしもそう信じていた。」(『問題小説』平成22年/2010年3月号「追悼 北森鴻」 近藤史恵「戦友の逝去に」より)

「ベストワンはと問われれば、躊躇なく、『蜻蛉始末』(文春文庫)を挙げる。それほど広く読まれている作品ではないが、非常に優れた時代小説で、読み終えた時、夜中にもかかわらず、すぐに電話して絶賛したのをよく覚えている。きっとこの作品で、何か大きな賞を受け、新たな階段を上るだろうと確信していたのだが、直木賞の候補にもならなかったのは、予選の担当者の怠慢だとしか考えられない。今でも残念に思っている。」(ウェブサイト「酔鴻思考」内「追悼・北森鴻」 愛川晶「北森鴻さんを偲んで」より)

 北森さんの作品には、何人かの小説家が登場します。そして、文学賞もいくつか出てきます。

 うちのブログができる精一杯のことは、それらを取り上げて、あくまで作品のうえから、北森鴻と直木賞との関係について思いを馳せるぐらいです。

 直木賞。……それっぽいものが出てくる北森作品といえば、これでしょう。「約束」。ビアバー《香菜里屋》シリーズの一篇です。

 舞台は《香菜里屋》ではなくて、花巻の小料理屋《千石》。ここで10年ぶりに再会する一組の男女がいます。その男のほう、名前は土方洋一と言いまして、デビューわずか1年ほどでマスコミにもバンバン顔が出るほどの人気作家なのだそうです。

「土方が文壇に登場したのは確か一年ほど前ではなかったか。古風とも思える文体で綴られた、これまた古風としかいいようのない恋愛小説が、ある文学賞を受賞したのである。(引用者中略)それだけではない。続くデビュー二作目の作品がこれまた評判になり、エンターテイメント小説に与えられる最高峰といわれる賞を、あっさりと受賞してしまった。その作品の映画化が決定し、日本を代表する女優が主演することになったという制作発表記事を、スポーツ新聞紙面に見たのが数ヵ月ほど前のことだ。」(『桜宵』所収「約束」より)

 なんとなく、胸にずしりと響きますよね。新人作家がわずかな間に有名になれたのは、「古風としかいいようのない恋愛小説」から出発したからなのだよ、けっしてミステリー小説でデビューしたからではないんだぜ、というところなど。

 そして、この「エンターテイメント小説に与えられる最高峰といわれる賞」は、さらに我ら直木賞マニアの胸を射てくれます。というのも、この賞が単なる物語の飾りではなくて、作品の展開に大きな関わりをもってくるからなんです。

 以下、ネタバレあり。

 物語は、一組の男女がそれぞれ、過去10年間をどのように歩んできたのかを綴ります。

 男、土方洋一は、苦労につぐ苦労の連続だった。少し生活が安定しかかるとすぐさま不運に見舞われてきた。

 いっぽう、女、香坂有希江はといえば、順調に結婚し、夫婦で個人事務所を切り盛りし、途中、小さな危機はあったものの、幸福に暮らしてきた。

 その有希江が、土方に対して殺意を抱くわけなんですが。その理由ってのがですね、「土方が不幸を背負えば背負うほど、自分には幸福が訪れるのだ」という考え方にとりつかれたから、だっつうわけです。

「東京に戻ってきた当初は、仕事も家庭も順調そのものでした。でもあの日以来、そうです、あなたが文学賞を受賞して以来、わたしの周りで少しずつ歯車が狂い始めたのです。(引用者中略)

 あなたは次の作品も大ヒットし、たびたびマスコミにも登場するようになりました。それにつれて、わたしの周囲はますますおかしくなっていったのです。」(同「約束」より)

 怖いですね。なにが怖いといって、文学賞をとったり、そのうえにある「最高峰」ふうの賞をとったりすることで、本が売れて顔がどどーっと知られることが「幸福」の表われなのだ、って価値観に縛られた人間が、そこにいるところなんです。

 いやいや、しかも、ワタクシたち読者だって彼女を笑うことなどできません。たった二作品目で「直木賞」っぽいものをとって、映画化されて、一気に表舞台におどり出た人のことを、「幸せの絶頂にいる」と、つい思ってしまいがちな自分がいるから。

「これ以上あなたを幸せにしておくことはできません。お願いだから、どうかお願いだからこれ以上幸せにならないで。けれどあなたは今や時の寵児です。わたしだって広告の世界に長く携わっている人間の一人ですもの。寵児と呼ばれる人々は時代そのものを味方につけてしまう。容易に凋落することなどあり得ないことを……」(同「約束」より)

 文学賞とか、映画化とか、時代の寵児とか、まあ、同業の小説家からすれば、嫉妬もするでしょう。羨ましいな、幸せそうだな、と思うものでしょう。

 有希江は、自分が作家ではないにしろ、広告業界にいるって設定なので、まあそういう俗事が小説家にとっての幸せでもある、と確信するのは無理ないかな、と思わされます。

 では、作家生活など知りもしないし、そんな世界にゆかりもない読者は、どうなのか。やっぱり「直木賞作家って幸せだよな、うらやましい」と思うものなのか、どうか。

 もちろん「直木賞とは、それが最も成功した証しであろうし、幸せなことに決まっていらあ」と感じる人はいるでしょうけど。北森さんは、土方洋一の最後の言葉として、こんなセリフを吐かせています。

「僕は……僕はただ君に会いたかった。君に堂々と会える人間になりたかった。本当なら二人にはもっと違う人生が待っていたはずなのにと、ちょっとだけ苦い酒を飲みたかったんだ。それなのにどうして君は」(同「約束」より)

 過去を振り返るのは「苦い」。でも、たとえ文学賞とったり本が売れたりしても、また、つらいことが待っている、とな。……ううむ。味わい深い。

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2010年3月14日 (日)

直木賞とは……そんなものを気にする人間が、俗物であることは、言うまでもない。なにせ芥川賞のことを語っただけで俗物なんだから。――富島健夫『青春の野望』

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富島健夫『青春の野望』全五部(昭和51年/1976年9月~昭和58年/1983年7月・集英社刊)

(←左書影は昭和56年/1981年4月~昭和60年/1985年9月・集英社/集英社文庫 全五部のうち『第五部 人生、進むべし』)

 そうです、またもや自伝モノです。ジュニア青春小説・官能小説の巨頭、富島健夫さんです。

 出発は純文学畑で、その後またたく間に青春モノの大流行作家になってしまいましたから、富島さん自身は、さほど直木賞に関係がありません。残念。

 というわけで、悔しさを噛み締めながら、やはり芥川賞のことから語り始めなければならないのです。直木賞ファンたちよ、ともに涙を拭きながら、進もうではありませんか。

「無名の新人が作家としてデビューするには、いくつもの道がある。

 懸賞小説に当選すること。

 同人雑誌に力作を発表して雑誌評で褒められ、芥川賞候補になること。受賞できれば文句はない。

 実力ある作家や評論家に認められ、その推挙によって文芸雑誌に発表すること。

(引用者中略)もうひとつは、有力編集者の知遇を得て、その人に認められることである。」(『青春の野望 第五部 人生、進むべし』「「新流」新企画」より)

 以上の記述は、昭和20年代後半、富島健夫ならぬ「若杉良平」が、同人誌『新作家』(実際には『文学者』)や第二次『街』(これは、そのまんま)で、小説家としての研鑽を積んでいた頃のハナシです。

 たしかに、無名の新人が同人誌に書いた小説で直木賞の候補になり(そして受賞し)……という例は、このころはまだ一般的ではなかったんでしょう。そう考えると、昭和30年代から、そんな例をポツリポツリ生み出す直木賞の姿のほうが、ちょっと本筋から外れていたのかもしれません。結局そんなことは、昭和50年代には、直木賞らしからぬ稀な事象に戻ってしまうのですから。

 ともかく。当時の、若き作家志望者たちが目指すところといえば、一に芥川賞、二以下は省略、って感じは、まさによく知られている通りで、『青春の野望』にもそんな連中がバッタバッタと出てきます。

 良平は友人たちと、同人誌『街』を出す前に、お互いに自分たちの作品を見せ合うことになります。そのときの、関本英男と飯塚宗昭の喧嘩。

「「ま、イロハから勉強してくれよ。勉強しても、才能がなきゃしょうがないけどな」

「おお、聞き捨てにならんことを言うじゃないか」

 飯塚は関本につめ寄った。

「おれに才能がないと言い切るんだな?」

「すくなくとも、これを読んだかぎりではそう言わざるを得ん。論外だよ。おれは中学のときでも、もっとマシなのを書いていたぞ」

「ようし、そのことばは一生忘れんぞ。芥川賞をもらったら吠え面かくなよ」

「芥川賞?」

 関本はせせら笑った。

「そんなものをもらおうという根性が通俗的だよ。おれは文学をやっているんだ。賞なんかは興味はないわい」」(『青春の野望 第三部 早稲田の阿呆たち』「合評会」より)

 この関本なる友人が、またクセモノなんです。主人公・良平に言わせれば、「文学に淫しすぎている」ほど、かなり危ないやつなんでして。

「関本の『街』に発表した作品は、どの同人雑誌評にも取り上げられなかった。また、周囲の読んだ人の評判もよくなかった。

「どいつもこいつも、おれの作品を理解するだけの能力がないんだ」

 関本はそう豪語している。その自信にはおどろくべきものがあった。

「おれは今、三百枚の長編に取りかかっている。これをどこかの出版社に持ち込むんだ。ま、おまえは同人雑誌評ぐらいでよろこんでいるが、あんなのどうということはない。そのうちにあっと言わせるからな」」(同第三部「会員倍増」より)

 こんな大学生、滑稽な姿だと思わないでもありません。でも、ここまで狂えれば、もう立派です。

 それから、『無』なる同人グループに属する、谷岡高志という出版社勤めの作家志望者もいます。彼のことを語る、元・恋人、村上かずえの言葉。

「口では高級で純粋なことをしゃべっているけど、あの人にかぎらず“無”のグループの連中みんな、文壇的な功名心がすごく強いの。わざとわけのわからんことを書くのも、自分があたらしいことを強調したいからで、目的は文学賞にあるのよ。そのために文芸雑誌に書きたい。その前に、権威ある大きな同人雑誌に書きたい。そんな出世欲にこりかたまっているの。」(『青春の野望 第四部 学生作家の群』「立会人」より)

 いひひひひ。なかなか鋭いご意見ですなあ。でまた、そんな人、普通にいそう。

 極めつきの登場人物は、この人でしょうね。岸本光一郎。良平の故郷・九州に住んでいる、ほんまもののイカれた芥川賞中毒者です。

 良平が昔から知っている奥野文子なる女性がいるんですが、彼女とむかし付き合っていた男として、岸本君が出てきます。浮気したのが原因で、文子に振られたそうです。なのに文子の家にやってきて、今でも彼氏きどり。良平があいだに入って、岸本君の相手をしてやります。

「「何か、同人雑誌でも出しているのか?」

「ばか野郎、岸本光一郎を知らんか! あいつは何もおまえに言っていないな? ふん、そういう女よ。あいつは、野球の選手や俳優など、知性のない低能にあこがれるミーハーなんだ」

「おれも、知らんな」

「おれはな、三年以内に芥川賞をもらって見せる。これでもおい、おまえには興味ないだろうが、九州文壇のホープなんだぞ。おまえみたいな俗物とはちがうんだ」

(引用者中略)

「岸本光一郎というのは、有名なのか?」

「おまえ、何も知っちゃいねえな。火野葦平劉寒吉岩下俊作も、おれをちゃんと認めてくれているんだぞ。おれの作品はな、もう何回も文芸雑誌の同人雑誌評で褒められているんだぞ。あと一歩だ。文子なんか、どうでもいいんだ。小説を書くために、おれはお芝居をしているんだ。女に溺れた男の役を演じているんだ。ほんとうは虚態よ。世界は重いんだ。暗い谷間を歩くのが、文学者の宿命なんだ」」(同第四部「材木置場」より)

 笑っていいのだか、どうなのだか。有名人の名前を列挙して、その人たちに自分が認められていると信じることで、どうにか折れそうになる我が心を支えようとする精神は、わからんでもありませんが。

 しかし大丈夫ですかね、岸本君。虚構世界の中の方とはいえ、心配になっちゃいますよ。その後、まっとうに人生を歩まれたんでしょうか。

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2010年3月 7日 (日)

直木賞とは……賞が欲しくない、なんて言う奴は嘘だ。東京の作家たちはみな生臭いじゃないか。自分もああやって生きてやる。――渡辺淳一『白夜 野分の章』『何処へ』

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渡辺淳一『白夜 野分の章』(昭和63年/1988年7月・中央公論社刊)『何処へ』(平成4年/1992年12月・新潮社刊)

(←左書影は『白夜 V野分の章』平成6年/1994年2月・新潮社/新潮文庫、『何処へ』平成7年/1995年11月・新潮社/新潮文庫

 いまや、直木賞のブラックなイメージをひとり背負って立つ男。といった感じですが、まあ、一方の見かたがあれば、かならず別の見かたもあるわけでして。

 毀誉褒貶、とはまさにこのことですよね。渡辺淳一さんに対しては、褒め称える一派と、けなし尽くす一派、両方が存在します。ええ、彼だけに限らず、おおかた著名な人はそうかもしれませんけども。

 さて、淳一さんの小説は、ごぞんじのとおり、読むのも鬱陶しくなるくらいたくさんあります。私小説の部類に入るものも、何篇もあるらしいです。ここでは、はじめて直木賞候補に挙がってから、なかなかとれず、といった頃を描いた二つの長篇を覗いてみたいと思います。

 まずは『白夜 野分の章』。五つの章に及ぶ『白夜』の最終章です。

 冒頭、札幌の大学で医者をしている「高村伸夫」の書いた小説が、直木賞候補に挙げられたところから、物語が始まります。

「一般的には、芥川賞は純文学の、直木賞は大衆文学の優れた新人の作品に与えられることになっているが、最近は次第に両者の垣根は取り払われつつある。しかも芥川賞は候補になった一作品について評価しているのに対して、直木賞はその作家が長くプロとしてやっていけるという将来性まで見通して授けているようである。もしそうなら自分の資質のなかに、純文学からもう少し広い範囲にまで延びる可能性があると認めてくれたのか。」(『白夜 野分の章』「一」より)

 直木賞の授賞の傾向、ってやつをどう見るかは、じっさい一人ひとり微妙に違っているはずです。現実に「その作家が長くプロとしてやっていけるという将来性」を、あまり念頭に置かなかった選考委員だって、いますし。中山義秀さんとか。阿川弘之さんとか。

 ただ、淳一さんは意外に常識的なところがあるので、たぶん彼の今の選考姿勢は「一般的な直木賞観」にひきずられているんだろうな。……ってことをうかがわせる記述です。

 おっと。ごめんなさい。「今」のことを持ち出すと、ハナシが逸れちゃいますね。今日のエントリーは、なるべく淳一さんが直木賞候補だった当時のことだけ、触れるようにします。

 で、結局、最初の候補作はすっぱりと落選しちゃいます(現実では、「霙」が第57回 昭和42年/1967年・上半期 直木賞で落選)。それでも医師、高村伸夫は、小説を書くことをあきらめきれません。そんなこんなでようやく書き上げて、K社の雑誌に発表した小説が、またまた直木賞候補になりました(現実では、「訪れ」が第58回 昭和42年/1967年・下半期の候補に)。

「はっきり受賞とも決まらぬ前に、感想をいったり、喜びの顔を撮るのは邪道も甚しい。それは一種の人権侵害でさえある。伸夫は断固、拒否するつもりでいたが、日が近づくとともにそんなこともいっていられなくなる。

「会ってくれなければ、もし受賞してもあなたの記事をのせられませんよ」

 そんなことをいわれて、やむなく伸夫は数社の記者とだけ会うことにした。」(同「三」より)

 あの、綿々と続けられている、候補者たちを襲う「選考日前の取材攻撃」。当然、淳一さんも芥川賞を含めて5度、経験しています。

 たいていの候補者は、ここで描かれた高村伸夫の心境と似たり寄ったりなのかもしれません。受賞するか落ちるかわかる前に、受賞コメントを語る、ってのを何度もやらされていれば、次第にウザくなるもんでしょう。

 高村伸夫の場合、そのウザさの影に、いつか医者を辞めて小説一本で生きたい、って思いがあるものだから、一度二度、直木賞の候補になるたびに、どんどん受賞を欲する気持ちが高まっているように、読めます。

 後から振り返れば、淳一さんの場合、直木賞が決まるから、すでに中間小説誌に進出し、週刊誌の連載小説だって依頼されて、職業作家として立てる地位にはあったんでしょう。でも、です。ここで描かれている段階では、大学の医局に勤務しながら、なかなか執筆時間がとれず、きっかけさえあれば飛び出せるのに、という気持ちを抱えています。やはり「きっかけとしての直木賞」は、魅力的だったらしいです。

「医学と文学と、二兎を追う状態を抜け出て一兎を追う形になりたい。そのきっかけは直木賞しかない。もし妻や母が、その決意をきいたら驚き呆れ、反対するに違いない。だが受賞をする保証もないのに、その先まで考えるのは考えすぎというものである。

 伸夫は次第に、一つの賭けをしているような気持になってきた。受賞してもしなくてもいい。とにかくその日がくれば、医学か文学か、どちらかに進路を決めることができる。」(同「一」より)

 ただ、直木賞をとりそこねているうちに、きっかけは、別のところからやってきました。

 札幌医科大学の和田寿郎が、日本初の心臓移植手術をしたのです。

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