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2010年1月 3日 (日)

直木賞とは……そんなもんに興味をもって熱を上げてるの? ほんと、キモーい。――真下五一『芥川賞の亡者たち』

100103 真下五一『芥川賞の亡者たち』(昭和46年/1971年5月・R出版刊)

 新年一発めなのに。しかも、1月前半は、うちのブログが普段より多くの目に触れる時期だっつうのに。取り上げるのはこの小説。あまりにマニアックすぎますか?

 だけども。恥を忍んで申します。ワタクシの読書経験のなかで、もっとも敬愛する登場人物が、この小説に出てくるんです。じつは。

 そもそも、タイトルだけでも強烈です。世のキワモノ愛好家のための作品なのかな、と思わされちゃいますよね。

 ところが作者は、なんと京都文学界の重鎮、あの真下五一さんだっつうんだから仰天です。そんなわけで物語の中身は、似たようにキワモノっぽい題名を持つ『高1で芥川賞!』とは違いまして、ディープで、暗くて、ちょい悲惨です。

 主人公は、浅島峰一。高校教師なんですが、組合運動の先頭に立っていたがために、校長にうとまれ、退職させられちゃいます。ううむ。70年代じゃのう。

 その浅島は『琵琶湖文学』なる同人誌の中心的存在でもありました。アマチュア作家です。いつかはおれも芥川賞を、と夢みています。『黒潮』誌の「全国同人雑誌秀作」に、ようやく自作が取り上げられたことを心の糧に、書き続けます。

 琵琶湖畔っていう、東京から離れた地域で、同人誌に属する男が、ともかく芥川賞を意識しながら生きていく。約40年も前のハナシなんですけど、浅島とその同人誌仲間たちが、直木賞や芥川賞のことをネタにして、ああでもないこうでもないと駄弁るとこなんぞ、今の時代もそう変わらんのじゃないか、と読めるところが、この小説の強みです。

 たとえば浅島と、彼と一緒に退職した小笹明子との会話。

「「芥川の事なら、先月号の芥川賞の受賞作お読みになって?」

「……」

「むろんお読みになったでしょうけれど、あたしどうも、も一つだったわ。「芥川賞」も「直木賞」も、だんだん質が低下していくみたいに思えてならないわ」

「そうでもないでしょう。やはりいいですよ。現在の相撲より昔の相撲が強かったように錯覚するようなものですよ。(引用者後略)(『芥川賞の亡者たち』「第一章 紙の指輪」より)

 いつだって、「昔の受賞作のほうがよかった。もはや芥川賞も直木賞も、くだらんものばかり選ぶようになった」と言われちまうのだなあ。

 それとか、農協の理事をしている玉松芳太郎(つまり文学に何の興味もないヒト)が、娘の芳江が文学かぶれしちゃって困っていると、浅島に愚痴をこぼすとこ。もう一度注意しときますが、最近書かれた作品じゃありません、40年前のハナシなのです、念のため。

「「(引用者前略)この頃は芥川賞とか直木賞とかいうのが、若いものの的になっているとか、まるで一夜漬けが俳優を夢みているような空気が感じられるのでね。そうじゃないんですか。どうも女だてらに文学にかぶれるなんて感心出来んことですよ」

「はァ、そうですかね」

「いや、家の娘が、まだかぶれているというのではないんですが、以前その芥川賞とかに若い娘が入選したでしょう。一躍名優みたいになって金もはいるらしいから、どうも世の若い者に僥倖心を煽り立てるように思えてね」」(同「第二章 白い道」より)

 あらあら、この痛烈な(または適切な)世評。何回か前のエントリーで、文芸社の自費出版ふうビジネスのことを書きましたけど、「ひと山当てたい」思いは、人類不変の心理ってわけですか。そして、その心理を煽り立てようとするものに、何か胡散くささを感じるのも、また不変ですか。

 そういえば、直木賞とか芥川賞って、創設このかた75年、ずっと胡散くさいままだもんなあ。

 それじゃあ、「直木賞」のことばかり10年以上調べ続けていまだに飽きない人間が、どうにも胡散くさいのは、しょうがなかったんですね。納得。

 胡散くさいワタクシが、もっとも敬愛する人物が、この小説に描かれている、とさっき言いました。『芥川賞の亡者たち』には、何人かの胡散くさげな連中が出てきますが、そのなかでも、群をぬいて真っ黒っ黒な男。それは、『琵琶湖文学』同人の泉善太郎さんです。

 端役です。ちょっとしか出てきません。泉さん。「亡者」の一人、浅島峰一ですら、彼のことを何だかキモいものを見るような目で見ちゃっています。

「ことに若い泉は一風変っていた。芥川賞亡者の域をはるかに越していて、作品のこと以上に、芥川賞そのものの研究にとらわれ、賞はじまって以来の作品を友人に頼んだり、古本屋をあさったりして、その掲載誌は全部集めており、作品の傾向、受賞時の作者の年齢、職業、その他の経歴まで表にしてノートに残しているといったあんばい。」(同「第六章 虚々実々」より)

 うわあ、キモい。「直木賞のすべて」や「芥川賞のすべて・のようなもの」みたいなサイトと同じくらいに、気持ち悪い。

          ○

 この泉善太郎さんを紹介するに当たって、作者の真下五一さんは、主人公・浅島の目を借りながらも手厳しい描写を続けます。

 泉さんのノートには、芥川賞・直木賞だけじゃなくて、世の文学賞という文学賞のことが図表にして書き込まれています。これを本文では「狂気じみたノート」と表現しています。

 もちろん、そこには、菊池寛が芥川賞を始めたころのエピソードや、戦後復活の第21回のときに、新旧の選考委員のあいだに摩擦が起きたこと、松本清張の芥川賞横すべり事件、石原慎太郎の「太陽の季節」ショックのことなどなども、事細かにメモられているそうで。

「いずれ自分もその「芥川賞」への備えのつもりで残してきた記録だろうけれども、それにしても本末を転倒した、この度外れた狂気には、さすがの浅島も舌を巻く思いであった。」(同「第六章 虚々実々」より)

 気持ち悪さ高じて、「狂気」呼ばわりです。

 ワタクシなぞの生まれる前から、資料あさりに費やす労力だって現在とは比べものにならないくらい大変な時代に、狂気じみた情熱でもって、芥川賞をはじめとした各種文学賞のありようを調べていた、泉善太郎さんに、ワタクシは畏敬の念を覚えずにはいられません。まわりから気持ち悪がられても、それでも折れない強い気持ち。こういう先人がいてくれて、ワタクシはちょっぴり勇気をもらいました。……って、あ、これは虚構のおハナシなんですか。しゅん。

 いや、ただ、真下五一さんのまわりに、似たような例がきっとあったはずです。京都の地に拘泥し続け、京都文学界の発展に心血そそいだ真下さんは、若手作家たちの面倒をよく見たことで有名だそうで、京都市文化団体懇話会の初代会長でもあります。

 しかも真下さん自身、「芥川賞? そんなもん、どうだっていいわい」と片意地を張るところがあったかのように見せかけて、それでも「芥川賞」の名の威光を無視できるほど、枯れ切った人ではなかったみたいで。

100103_2  真下さんの著作『復刻版 京ことば事典』は、『京ことば集』(昭和47年/1972年2月・芸術生活社刊)が最近になって再編集されたもので、京都にまつわる方言から風物を綿々と紹介してくれる本です。こんなものの中に、まさか芥川賞のことなど出てくるわきゃないと思っていたら、京の家の仏壇のハナシをするところで、なぜかこんな文章が差し挟まっています。

「拙作に『仏間会議』というのがあって、それが第十回だったかの芥川賞候補にも上ったことがあったが、その通り仏間という特別の部屋がドンと旧家らしい格を構えてきたものだった。」(平成18年/2006年12月・アートダイジェスト刊『復刻版 京ことば事典』「第二十一 京おんなの匂い」より)

 前後の文脈からは完全に浮いちゃっている「芥川賞候補」の文字。もし、ここが編集者の意向だったとしたら、真下さん「チッ」と舌打ちでもしたところでしょう。

          ○

 真下さんが京都市文化団体懇話会を立ち上げたのが、正式に何年何月なのか、ご存じの方がいたら教えてほしいのですけど、『ねごと随筆』(昭和31年/1956年4月・高風館刊)には「京都文芸懇話会」なる団体のことが出てきていて、おそらく昭和30年代、真下さんのまわりにいろんな同人誌がうごめき合っていたことでしょう。

 そして、きっと真下さんの目に余る芥川賞の亡者たちが、その同人誌かいわいに発生していたことでしょう。泉善太郎さんみたいな。

 昭和30年代前半といえば、京都の文学界にちょっとした新人ブームがやってきた頃らしいですしね。この新人ブームは、ざっくり言うと、やっぱり芥川賞とそれに連なる新人文学賞が引き連れてきたもののようです。

「京都は長い間「文学不毛の地」といわれて来た。ところが、この二、三年、京都はちょっとした、新人のブームに見舞われている。今年だけでも文学界新人賞の小島辰彦、上半期の芥川賞候補、中村英良、文学界新人賞佳作の井上京三、さらに推理小説を加えるなら江戸川乱歩賞の新章文子がいる。(引用者中略)「魔法瓶」で一昨年の芥川賞候補となった相見とし子「涼み台」で昨年の同候補、川端康夫、ベストセラー「かんころめし」の町田とし子(原文ママ)、文学界十月号に新人賞佳作「奇妙な月」を書いた井上京三なども一人でやっている。」(昭和35年/1960年1月・京都市文化団体懇話会刊『年刊文芸京都1960年版』「最近の文学活動」より)

 こういう紹介文で、芥川賞の文字はいくらでも誇らしげに出てくるのに、直木賞が一切無視されているのは、お決まりのパターンなので、ことさらツッコむ気は起きません。

 ただ、『芥川賞の亡者たち』では、時の同人誌作家・浅島が、芥川賞に執着しつつも、では直木賞に無関心かというとそうでもなく、ひと山当てられりゃどっちでもいい、というふうな同人誌作家の微妙な心理が、類似作にないくらいくわしく描かれていて、貴重です。

 そのうち、最後のほうの一節だけ、少し引用しておきます。

(引用者注:浅島が『文章界』に応募して落選した作品が)あの時受賞作となった女流の小説と比べて何処に見劣りがあるとも自分では考えられないのだった。ただ僅かに『文章界』の編集長が、「特異な佳作と思うが、その特異さにやや溺れている作者の態度が気になる」「むしろ直木賞向きだろう」等という意味の事を親切にかいてきてくれていた点だけでは、なるほど態度の方を、そこまで見通されるものかなと以来心に結ばされたものであった。(引用者中略)

 それにしても「芥川賞」と「直木賞」との違いは、よくこなしているようでも、この究極の場でもやはり見あやまりが残っていることを、つくずく知らされたものであった。これなら自分はいっそのこと「直木賞」向きに走るべきかなと、一時は真剣に疑問すら覚えた程であった。」(『芥川賞の亡者たち』「第九章 鰓(えら)」より)

 ふうむ。「走る」って言葉のウラに、どうしても「そっちのほうに逃げる」「易きほうへ流れる」みたいな意を含んでいるんじゃないか、と読めてしまうのは、直木賞側に立つ人間のヒガみですか。

 本作に、真下五一自身をほうふつとさせる「真中五平」なる人物が出てくるんですが、彼にまつわる説明の箇所でも、「走る」って表現が出てきます。こんなふうに。

「今を時めく流行作家の瀬多川美子も、曽ては新聞紙上での小説選で彼(引用者注:真中五平)の審査に、もまれてきた一人だということだし、『文華』誌上で売出している国立昇も、推理小説に走った古川章子もみな彼の門下だったとか聞いている。」(同「第三章 湖をわたる風」より)

 推理小説に走った……。ああ、先に引用した『年刊文芸京都』の文章には、たしかに真下さんのもとに集結した若手作家のなかに、「走った」人の名がまじって書かれていました。

「戦前の芥川賞候補の真下五一の提唱によって今回、京都の不毛の文学からこれから新人作家が起上って「有毛会」が結成されたことは、意気深い。メンバアは、樋口茂子、町田トシコ、中村英良、小島辰彦、川端康夫相見とし子新章文子、井上京三、中川裕朗。」(前掲『年刊文芸京都1960年版』「最近の文学活動」より)

 乱歩賞作家にして直木賞候補、新章文子さんが、このメンツのなかに入っていることこそ、意気深い。

          ○

 さて。最後に、ふたたび、われらが敬愛すべき先達、泉善太郎さんにご登場願いましょう。

 農家の息子にして、都会風の長髪をなびかせながら、文学賞マニアのキモい奴、善太郎さん。この小説を読み進めて、端役の彼に胸をキュンキュンさせるなんて、ワタクシ一人ぐらいかもしれないですけど、そんなワタクシに強烈な展開が待っていました。

 浅島は、なぜか警察から呼び出しを受けます。

「「いったい、どうしたんですか。僕、今、泉の事で呼出し受けたんですが」

「泉が殺しをやったんです」」

 ええっ。ぜ、ぜ、善太郎さん……。

「「そらね、切れる刀物でと違って、鍬でめった打ちした跡のようですからな。顔のあたりもまるで雑巾のようにボロボロになっていましたわ。ひどい事をしたもんですな。はじめはとても玉松のお嬢さんだなんて……、後で聞いて知るまで解りませんでしたな……」」(『芥川賞の亡者たち』「第八章 鏡」より)

 げ。殺人犯ですか。被害者は、同人仲間の玉松芳江さんだって。

 「文学狂青年の惨劇」とかの見出しで新聞記事になって、それを浅島が読んでみたところ、手をくだした直接の引き金は、善太郎さんの文学賞狂っぷりにあったらしいとわかって、あたしゃ声も出ません。

(引用者注:新聞記事によると)泉がやはり芳江に思いを寄せていたこと、それはもう数年も前からのことであった点、たまたま泉が畑打ちをしているところを芳江が通りかかり、それで二人で畔に腰かけて文学の話をやりはじめ、話の次第で芳江が泉を的外れの芥川賞狂としてけなしたこと、その上泉のこの前書いた作品が同人誌の中でいちばん幼稚であったこと、それなのに、既に芥川賞を獲得したみたいに大口たたくこと等が好めないと、どうやら率直に余りにはっきり言ったらしいこと、(引用者後略)(同「第八章 鏡」より)

 筒井康隆『大いなる助走』の市谷京二にしろ、松本清張『渡された場面』の下坂一夫にしろ、大岡昇平「盗作の証明」の青井浩にしろ、直木賞やら芥川賞やらに魂を売った同人誌の人間は、みな悲劇を演ずる役まわりなんですか。

 にしても真下五一さんったら、ほんと、容赦ないですね。「キモい奴だからね、片思いを拒否られて殺人を犯すんだよね、怖いよね」とかいう展開を用意するなんて。

 文学賞狂の同志のみなさま。善太郎先輩の末路はあくまでも珍しい例にすぎないはずで、どうかみなさまは、末永く幸せでありますように。……ってワタクシだけには言われたくないでしょうね、ハイ。

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コメント

芥川賞の亡者(?。?石原共同代表さまの事かと勘違い(^^ゞ

投稿: 半死体 | 2014年1月23日 (木) 15時28分

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