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2010年1月24日 (日)

直木賞とは……文学としてどうか、面白いかどうか、なんてどーでもいいよ。初版本なら高く売れる。それに尽きる。――稲毛恍「嗤い声」「古書ハンター」「饅頭本」

100124 稲毛恍「嗤い声」「古書ハンター」「饅頭本」(平成15年/2003年2月・青弓社刊『古書ハンター』所収)

 数週前にご紹介したのは、文学賞マニアから後に殺人犯になったイカれた野郎・泉善太郎。でも、まったくそれどころじゃありませんよ。稲毛恍さんの小説集『古書ハンター』に収められたいくつかの小説を読んでいると、もうめまいがします。

 ワタクシは古書の世界にはずいぶん疎くて、直木賞関連あさりの必要にせまられた範囲でしか、なじみがありません。『古書ハンター』って本に目が行ったのも、それゆえなんですが、でも登場人物たちの古書に賭ける、突き抜けた情熱たるや。感動ものです。

 そのなかでも、より「直木賞」が物語に出てくる作品3つをピックアップしました。

 まずは「嗤い声」。主人公は国語の教師、吉永哲也です。彼は年二回やってくる芥川賞・直木賞の受賞作の初版を、書店で買い、それをマニアに売ることで小遣い銭を稼ぐあそびに、ハマっています。

 ここには、とある冬の回の、両賞が決まる前後の吉永の生態が描かれています。ちょっとした小道具や細部の一つひとつが、読み手のマニア心をくすぐるんです。

「地方紙だが、「神奈川新聞」はここ何回か、中央の大新聞よりも一日早く(引用者注:芥川賞・直木賞の)候補作品のリストを載せていた。」(「嗤い声」より)

 ネット時代の方々には伝わらないかもしれません。でも、新聞にいつ候補作が発表されるのか、毎日わくわくして紙面に集中していた世代は、ニヤっとする一文です。

 それとか、「嗤い声」に登場するこの回の直木賞候補リスト。栗木沢寛『天山山系』、鷹野修平『ある映画人の記』、山野みゆき『理想の関係』、川辺次郎『津軽海峡』、東院紀夫『喪服』、林田沓子「熱い肌」……。しかも、けっきょく受賞作なし。……現実の一つの回を、完全に連想させるようなパロり方をしていて、ギュギューっと引き込まれます。

 そもそも、両賞の初版本ってやつが、いろんな人にとって、「文学的価値」みたいな青臭いものとは別の、まるで違う価値を背負っていることが、ひしひし伝わってきます。面白いじゃないですか。

(引用者注:書店の)店売の係とある古本屋との間に話し合いができていて、候補作の初版本を全部(引用者注:店頭から)隠してしまい、受賞本が決まると古本屋にまとめ売りしている、というのだ。古書値が出るまで短くても半年や一年寝かしておくのだから、割が合うやり方かどうか、吉永にはわからなかった。が、そんな憶測でもしたくなるほど、あとで賞から外れた候補作の初版本がどっと出てくるのだ。そしてマニアたちに、新刊の受賞本が手に入らなくなっているのは確かだった。」(「嗤い声」より)

 だいたい昭和50年代後半ごろのハナシらしいですよ。

 ほんと、こんな裏取引が起こってもおかしかない妙な磁力が、「直木賞」「芥川賞」ってやつには、ひそんでますものね。

100124_2  ちなみにこの「嗤い声」は、紀田順一郎さん編集解説の『書物愛[日本篇]』(平成17年/2005年5月・晶文社刊)にも収められています。そこでは、作者・稲毛恍さんのことを、紀田さんが紹介してくれていますので、引用しておきます。

「稲毛恍は昭和元年(一九二六)横浜市に生まれ、法政大学文学部卒業、高校で教鞭をとるかたわら、同人誌中心に文芸活動を続けた。戦争と占領時代に青年期を過ごした世代の思いを凝縮させた代表作『少年の旗』(筑摩書房、一九八二)のほか、石橋一哉の主宰する愛書家豆本の発行元「胡蝶の会」より、『稲毛恍歌集』、『掌編小説集鎌倉』などを発表している。」(『書物愛[日本篇]』「解説 頭から本のことが離れない」より)

 さて、受賞作の初版本ってことで、さらにドラマを浮き立たせるのが、表題作の「古書ハンター」です。

 物語の中心は、あれです。知る人ぞ知る(ですよね?)小尾十三『雑巾先生』。第19回(昭和19年/1944年・上半期)芥川賞の「登攀」が収録されている、あの『雑巾先生』のおハナシです。

 まあ、芥川賞のことはどなたかにお任せするとして、この作品のなかにも、当然「直木賞」は出てきます。

「「林圭治という人だがね。私ら〈紙魚の会〉の仲間では孤高の人って呼んでいますがね、一種の変人でね。(引用者中略)会長さんの話だと、受賞本は芥川賞も直木賞も全部完本で持っているらしいんだがね」(引用者中略)

「受賞本の完揃えを持っているのは関東では二人だけだっていうじゃあないですか。」」(「古書ハンター」より)

 「関東では○人」っていうウワサの表現が、何ですなあ。完揃えを成し遂げた人の異常ならざる性質を、よく表しているようでもあり。

 でもじっさい、林圭治は、直木賞の一冊だけは入手できていなかったんですってよ、ってことが後半に出てきます。

「別れしなに井場が、林の持っていない直木賞の書名を聞いた。昭和二十年代半ばに芸者の世界を新派悲劇ふうに書いた作品だった。紙表紙の薄い本で、カバーも半紙のように破れやすい紙だった。井場は場末のマーケットで、毛糸を台に並べて売っている露店に二十冊ばかり置いてあった本のなかから見つけた。そのあとは一度も見ていない。」(「古書ハンター」より)

 なんだろう。藤原審爾「罪な女」(第27回 昭和27年/1952年・上半期)のことかなあ。……などと、すぐさまオタクの心に火をつけさす何気ない記述が、さすが稲毛さんだ、ここでも生きています。

 そういえば、「古書と直木賞」って言われて万人の頭にパッと浮かぶ鉄板の人物、出久根達郎さんも、どこかで小尾十三『雑巾先生』のこと書いていたな。出久根エッセイには欠かせない(そして直木賞マニアにとっても、絶対外せない)お知り合いの古書店「龍生書林」大場啓志さんの名とともに。

          ○

100124_3  そうでした。「芥川賞の値段」ってエッセイがありましたね。出久根達郎さんの『たとえばの楽しみ』(平成8年/1996年11月・講談社刊)に収められています。

「受賞者の受賞作(厳密にいうと受賞作が収録されている単行本である)が、現在、古本屋でどのくらいの値段で取引されているのか。(引用者中略)筆者は古本屋ではあるが場末の一文商人ゆえ、高額な取引に縁がない。そこで、近代文学においては第一人者の、特に受賞本にめっぽう明るい、東京大田区西蒲田の古書店「龍生書林」主、大場啓志氏に協力をあおぎ、最新の相場(売り値)を教えてもらった。」(『たとえばの楽しみ』所収「芥川賞の値段」より ―初出『文藝春秋』平成7年/1995年9月号)

 で、このエッセイが発表された当時(平成7年/1995年)では、小尾十三『雑巾先生』が、芥川賞受賞本のなかで最も古書価が高いのだそうです。大場さんの執念の追跡の結果、『雑巾先生』復刻が計画され、そのあれこれを大場さんは文章で発表するんですが、それから二度ほど、実物が市場に出回ったんだとか。

 しかして、そのお値段は。

「二冊のうち一冊は大場氏が入手、五年前に二百八十万円にて販売した。現在だったら、三百万円以上の売価になろうか。」(同「芥川賞の値段」より)

 出久根さんは、受賞本について、後段でこんな思いを述べております。

「失礼だが『雑巾先生』の著者が芥川賞受賞者でなかったら、そして本書が受賞作でなかったら、とてものこと、このような高値がつけられるとは思えない。つまり「芥川賞」という名義料が、大半含まれているのである。それは歴代の受賞作にもいえることで、その者の実力の値段ではない。考えてみると芥川賞の価値を、もっとも冷静に、いささか生臭く判断しているのは、古本屋かも知れない。大方の人は、幻想で見ているにすぎない。どのくらいの価値があるのか、計るすべを知らないからである。」(同「芥川賞の値段」より)

 うん。そしてまた、幻想であやふやな価値判断が何十年も続けられてきている背骨があるからこそ、それとは無縁の古書界の「芥川賞・直木賞初版本ワールド」が、面白く見えるんだよなあ。……と、完全なる外野からの傍観者は、感想をもちます。

 でも、です。

 傍観者であるうちはいいんですが、古書の世界は、すこし手を伸ばそうとするといきなり刃物で斬りつけられるので恐ろしい。

 同じく出久根達郎さんのエッセイより。今度は「直木賞」について語っている「作家の「最初」の原稿」(『オール讀物』平成14年/2002年8月号)です。

 それによりますと、平成5年/1993年のこと。出久根さんは第108回(平成4年/1992年・下半期)直木賞を受賞するわけですが、当然、『オール讀物』に載せるための「受賞のことば」を書かなきゃいけなくなります。

「これまでの受賞者のかたがたが、どのような挨拶を述べているか、調べることにした。

 同業の古書店主に頼んで、オール讀物の直木賞発表号を集めてもらった。芥川賞と直木賞の発表号は、文学資料として古本屋で売れるのである。選者の、選評が貴重なのだ。特に、直木賞のそれは、オール讀物でしか読めない(芥川賞の場合は、芥川賞全集に収録されている)。

 ところが雑誌の宿命で、古い号を探すとなると、めったに残っていない。古本屋にも最近の物しか無い。戦前のものは、肝心のオール讀物自体が、入手難である。」(「作家の「最初」の原稿」より)

 ほんと、そうです。直木賞の選評は『オール讀物』でしか読めない、っていう重ーい足かせ(戦前は『文藝春秋』にも同じものが載っていたり、戦後まもなくは別の版元の『文藝讀物』に載ったりしましたが)。一介の非力な直木賞オタクにゃあ、つらいかぎりですぜ。とにかくすべての選評を集めようと決意してから、時にあたたかく、時に冷たい古書界の壁に、なんど撥ね返されたことやら。

 もちろん、そんなクールな古書の世界だから、いい。ツンデレの感じがたまらなくいい。直木賞や芥川賞がおのずと醸し出す文学的評価みたいな、そんな生ぬるい泥水は一掃されていて、とにかく「賞」が付いていることで途端に胸が騒ぐぜ、っつう市場においての価値のみに徹してくれるところ。そこに、ついつい惹かれちゃいます。

 ねえ。「直木賞本」はけっこうな値で出回るのに、直木三十五の本はそんなでもない、ってところが、ほんとツンデレです。

(引用者注:「龍生書林」大場さんが語る)「このところ、直木の本を扱ったことが、あまり無いんだ。何しろ動かない。昭和六十年から平成二年あたりが時代小説が引っぱり凧だった。その頃が人気の頂点だったね。今は、振るわない。直木も、同様でね。しかし直木は、時代小説ブームの当時も、引きあいは少なかったよ」」(平成19年/2007年5月・講談社刊 出久根達郎・著『作家の値段』「12 直木三十五」より)

          ○

 最後に、もう一度、稲毛恍さんの『古書ハンター』に戻ります。

 「掌篇」のうちの一篇、「饅頭本」です。ここには全篇、ある直木賞受賞作のことが描かれています。

 第19回(昭和19年/1944年・上半期)の岡田誠三「ニューギニア山岳戦」です。

「受賞作品は雑誌「新青年」に発表されたが、戦中と戦後に別々の出版社から刊行された二種類の戦争文学集に収録されたものの、著者のどの作品集にも収められていない。つまり芥川賞・直木賞受賞作で、単行本にもされずにいるただ一つの作品なのだ。」(「饅頭本」より)

 このブログで以前取り上げたように、岡田さんの『ニューギニヤ血戦記』に収められている「山岳戦」は、受賞作とは全然別もの、ってこともきちんと書かれています。

 しかも、驚くべきことにその受賞作は、じつは昭和20年/1945年に一度だけ非売品として、著者とは全然関係のない人間が刊行していたんだよ、ってネタ。

 戦時中の受賞って事情もありましたし、そもそも岡田さん自身、『新青年』に発表されたものは、検閲のせいで、ほんとに伝えたかった最後の章がまるまる削除されたものなので、この受賞作がそのまま著者の単行本に収められることがなかったのは、うなずける、と推測されています。

「そうして芥川賞と直木賞の受賞作のなかに、集めようにも初版本がない作品が一つある、という事実は、戦争と文学との不幸な関係を証言している大事な欠落なのかもしれなかった。」(「饅頭本」より)

 たしかに。

 そして、その「初版本のない作品」が、芥川賞じゃなくて直木賞なのだ、っていうのも興味ぶかくありませんか? 「文学」ならばいざしらず、「大衆文学」ごときのレッテルを貼られたものは出版人たちの情熱的な反骨心を駆り立てもしない、不幸な(?)歴史を垣間みる気がして、少しくせつなくなったりして。

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