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2010年1月の6件の記事

2010年1月31日 (日)

直木賞とは……競馬レースに見立てて予想やて? ったく候補者の気持ちも知らんと……。――阿部牧郎『大阪迷走記』

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阿部牧郎『大阪迷走記』(昭和63年/1988年3月・新潮社刊)

 四の五の言わずに、まずは、この方の発言に目を向けてみましょう。語り手は、島根の人なのに「難波」の名をもつ直木賞作家@大阪、です。

「直木賞、芥川賞という二つの賞について気づいたことは、大阪・関西では圧倒的に直木賞作家が多く、芥川賞は本当に少ないということです。賞ができた昭和一〇年から六三年が過ぎましたが、不肖私も入れて関西出身の直木賞作家は一三~一四人です。これに対し芥川賞は私が知る限りでは三人です。」(平成13年/2001年1月・創元社刊『未来都市を語る―生活・文化・環境と経済社会』所収「第一章 文学から見た大阪、大阪人」難波利三 より)

 えーと。難波さん、さすがに「3人」ってのは言いすぎじゃないですか。櫻田常久由起しげ子五味康祐庄野潤三開高健河野多恵子田辺聖子阪田寛夫三田誠広米谷ふみ子と、大阪生まれで10人(高橋三千綱は東京っ子と見なして外しました)。関西圏と言ったら、辻亮一とか宮本輝とかも入れたいところですしね。この全員が「関西出身」とまで言えないにしろ、そこまで直木賞と芥川賞に偏りがあるとは言えないでしょうよ……。

 っていう、まともなツッコみはさておきまして。

 いいのです。直木賞は大阪。大阪といえば直木賞。直木三十五がただ一人そこで育っただけで、もうこの公式は成立するのです。

 東に野坂昭如『文壇』があれば、西に阿部牧郎『大阪迷走記』がある、って名言があります(?)。『大阪迷走記』は、昭和40年代、直木賞が絶好調だった時代を中心とした貴重な文献です。いや、大阪近辺での直木賞ネタがふんだんに盛り込まれているだけに、より貴重さを増している私小説なわけです。

「大村記者(引用者注:講談社の編集者・大村彦次郎)がどこかへ電話をかけにいった。席にもどって報告した。

「文春では阿部さんは黒三角らしいです。新潮社では無印。うちでも黒三角。まあダークホースというところですかな」

 出版各社の編集者が、両賞(引用者注:直木賞と芥川賞)の候補者を馬に見立てて賭けをしているらしい。

 酷薄なものだな、と私は思った。候補作家にとって、賞の行方は死活問題である。作家としてやっていけるかどうか、選考結果で大きく左右される。私は尻ごみしているが、蒼白になって発表を待つ人もいるはずだった。それが賭けの対象になる。」(『大阪迷走記』「新しい街」より)

 文春だけでなく、まわりの出版社もせっせと賭けを楽しんでいるのが、よけいに酷薄感を増します。

 ちなみに、これは阿部さんが初めて直木賞候補になったときのこと。第59回(昭和43年/1968年・上半期)の、ある風景です。

 とにかくこの自伝風小説は、正直さがいちばんの取り柄と言ってもいいでしょう。ねえ。たとえば、妙に残る場面がいくつかあるんですが、そのうちの一つは安岡章太郎をとらえたこんな記述だったりします。

 安岡さんは、阿部さんがデビュー前に文學界新人賞に応募したとき、その選考委員をやっていました。

「「葡萄屋」で飲みながら、ふっとうしろをみた。安岡章太郎氏がきていた。両手でホステスの胸にさわっている。新人賞で黙殺された直後でもあり、私は興味津々でながめた。わるい印象ではなかった。小説の名手の、人間味にふれた心地がした。」(『大阪迷走記』「旅立ち」より)

 思いっきし両手で行っちゃうのね安岡さん。……とか、あるいは、毎日新聞に載った平野謙の文芸時評に主人公・阿部青年がムカッとするところとか。

「「倉橋(引用者注:倉橋由美子には文学的エネルギーが感じられる。阿部のほうは中間小説の才能であろう」

 平野謙はそう書いていた。

 私は大いに不本意だった。けなされたと思った。こっちだって純文学、本格小説のつもりで書いている。中間小説の才能だなどと安直にきめつけてもらいたくない。だいたい文学的エネルギーとはなんのことだ。石油や石炭じゃあるまいし、文章に熱量の差があってたまるもんか。

 倉橋由美子の作品を読んでみた。おもしろくない。最後まで読みとおすのが苦痛だった。第一よくわからない。文学的エネルギーとは、難解な文章を書く能力のことかもしれない。」(『大阪迷走記』「五分の魂」より)

 ははは。「最後まで読みとおすのが苦痛」ですか。正直なことです。

 はてまた、直木賞の関係でいいますと、時の選考委員・海音寺潮五郎の鑑賞眼を、ためらいなく軽蔑するところとか。

「海音寺潮五郎が選評で私のことを、「だんだん下手になっている」と書いた。功成り名とげた人にしては心ない評をするものだと思った。逆に海音寺の鑑賞眼を軽蔑するようになった。

(引用者中略)技術はあきらかに向上していた。だが、自分の体験を材料にしたので、できばえは地味だった。老人の選者の目をひく素材をとりあげなかったというだけのことだ。向上の実感は、じゅうぶんにあった。だんだん下手になるどころではなかった。笑わせるな、と私は思った。心ない選評によって、かえって体にエネルギーがみちあふれた。」(『大阪迷走記』「新しい街」より)

 おお。若手作家が大御所に対して抱く、健全なる怨念の誕生が、こんなところにもありましたか。

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2010年1月24日 (日)

直木賞とは……文学としてどうか、面白いかどうか、なんてどーでもいいよ。初版本なら高く売れる。それに尽きる。――稲毛恍「嗤い声」「古書ハンター」「饅頭本」

100124 稲毛恍「嗤い声」「古書ハンター」「饅頭本」(平成15年/2003年2月・青弓社刊『古書ハンター』所収)

 数週前にご紹介したのは、文学賞マニアから後に殺人犯になったイカれた野郎・泉善太郎。でも、まったくそれどころじゃありませんよ。稲毛恍さんの小説集『古書ハンター』に収められたいくつかの小説を読んでいると、もうめまいがします。

 ワタクシは古書の世界にはずいぶん疎くて、直木賞関連あさりの必要にせまられた範囲でしか、なじみがありません。『古書ハンター』って本に目が行ったのも、それゆえなんですが、でも登場人物たちの古書に賭ける、突き抜けた情熱たるや。感動ものです。

 そのなかでも、より「直木賞」が物語に出てくる作品3つをピックアップしました。

 まずは「嗤い声」。主人公は国語の教師、吉永哲也です。彼は年二回やってくる芥川賞・直木賞の受賞作の初版を、書店で買い、それをマニアに売ることで小遣い銭を稼ぐあそびに、ハマっています。

 ここには、とある冬の回の、両賞が決まる前後の吉永の生態が描かれています。ちょっとした小道具や細部の一つひとつが、読み手のマニア心をくすぐるんです。

「地方紙だが、「神奈川新聞」はここ何回か、中央の大新聞よりも一日早く(引用者注:芥川賞・直木賞の)候補作品のリストを載せていた。」(「嗤い声」より)

 ネット時代の方々には伝わらないかもしれません。でも、新聞にいつ候補作が発表されるのか、毎日わくわくして紙面に集中していた世代は、ニヤっとする一文です。

 それとか、「嗤い声」に登場するこの回の直木賞候補リスト。栗木沢寛『天山山系』、鷹野修平『ある映画人の記』、山野みゆき『理想の関係』、川辺次郎『津軽海峡』、東院紀夫『喪服』、林田沓子「熱い肌」……。しかも、けっきょく受賞作なし。……現実の一つの回を、完全に連想させるようなパロり方をしていて、ギュギューっと引き込まれます。

 そもそも、両賞の初版本ってやつが、いろんな人にとって、「文学的価値」みたいな青臭いものとは別の、まるで違う価値を背負っていることが、ひしひし伝わってきます。面白いじゃないですか。

(引用者注:書店の)店売の係とある古本屋との間に話し合いができていて、候補作の初版本を全部(引用者注:店頭から)隠してしまい、受賞本が決まると古本屋にまとめ売りしている、というのだ。古書値が出るまで短くても半年や一年寝かしておくのだから、割が合うやり方かどうか、吉永にはわからなかった。が、そんな憶測でもしたくなるほど、あとで賞から外れた候補作の初版本がどっと出てくるのだ。そしてマニアたちに、新刊の受賞本が手に入らなくなっているのは確かだった。」(「嗤い声」より)

 だいたい昭和50年代後半ごろのハナシらしいですよ。

 ほんと、こんな裏取引が起こってもおかしかない妙な磁力が、「直木賞」「芥川賞」ってやつには、ひそんでますものね。

100124_2  ちなみにこの「嗤い声」は、紀田順一郎さん編集解説の『書物愛[日本篇]』(平成17年/2005年5月・晶文社刊)にも収められています。そこでは、作者・稲毛恍さんのことを、紀田さんが紹介してくれていますので、引用しておきます。

「稲毛恍は昭和元年(一九二六)横浜市に生まれ、法政大学文学部卒業、高校で教鞭をとるかたわら、同人誌中心に文芸活動を続けた。戦争と占領時代に青年期を過ごした世代の思いを凝縮させた代表作『少年の旗』(筑摩書房、一九八二)のほか、石橋一哉の主宰する愛書家豆本の発行元「胡蝶の会」より、『稲毛恍歌集』、『掌編小説集鎌倉』などを発表している。」(『書物愛[日本篇]』「解説 頭から本のことが離れない」より)

 さて、受賞作の初版本ってことで、さらにドラマを浮き立たせるのが、表題作の「古書ハンター」です。

 物語の中心は、あれです。知る人ぞ知る(ですよね?)小尾十三『雑巾先生』。第19回(昭和19年/1944年・上半期)芥川賞の「登攀」が収録されている、あの『雑巾先生』のおハナシです。

 まあ、芥川賞のことはどなたかにお任せするとして、この作品のなかにも、当然「直木賞」は出てきます。

「「林圭治という人だがね。私ら〈紙魚の会〉の仲間では孤高の人って呼んでいますがね、一種の変人でね。(引用者中略)会長さんの話だと、受賞本は芥川賞も直木賞も全部完本で持っているらしいんだがね」(引用者中略)

「受賞本の完揃えを持っているのは関東では二人だけだっていうじゃあないですか。」」(「古書ハンター」より)

 「関東では○人」っていうウワサの表現が、何ですなあ。完揃えを成し遂げた人の異常ならざる性質を、よく表しているようでもあり。

 でもじっさい、林圭治は、直木賞の一冊だけは入手できていなかったんですってよ、ってことが後半に出てきます。

「別れしなに井場が、林の持っていない直木賞の書名を聞いた。昭和二十年代半ばに芸者の世界を新派悲劇ふうに書いた作品だった。紙表紙の薄い本で、カバーも半紙のように破れやすい紙だった。井場は場末のマーケットで、毛糸を台に並べて売っている露店に二十冊ばかり置いてあった本のなかから見つけた。そのあとは一度も見ていない。」(「古書ハンター」より)

 なんだろう。藤原審爾「罪な女」(第27回 昭和27年/1952年・上半期)のことかなあ。……などと、すぐさまオタクの心に火をつけさす何気ない記述が、さすが稲毛さんだ、ここでも生きています。

 そういえば、「古書と直木賞」って言われて万人の頭にパッと浮かぶ鉄板の人物、出久根達郎さんも、どこかで小尾十三『雑巾先生』のこと書いていたな。出久根エッセイには欠かせない(そして直木賞マニアにとっても、絶対外せない)お知り合いの古書店「龍生書林」大場啓志さんの名とともに。

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2010年1月17日 (日)

直木賞とは……一人前の作家と認められる証だ。受賞すりゃ好きな女と一緒に寝られるし。――川口松太郎「文学賞」

100117197010 川口松太郎「文学賞」(『オール讀物』昭和45年/1970年10月号)

 せっかくの直木賞ウィーク明けです。「ところで直木賞って始まったときはどんなだったんだ?」ってことを、ちょいと考えてみるのも乙なものかと。

 川口松太郎さんは、生前は「ミスター・直木賞」クラスな人でしたので、直木賞を語ったエッセイ・対談の類いは、きっと無数にあります。直木賞を描いた小説も、もしかしたら数多くあるに違いないのですが。ワタクシは、たぶんみなさんと同じく、川口作品をほとんど読んだことがありません。

 そのなかで今回取り上げるのは、『オール讀物』創刊450号記念号(昭和45年/1970年10月号)に載った、この小説です。「文学賞」。川口さんがバンバン書いていた「信吉もの」の一つです。

 信吉ものとは。過去の自分自身を「信吉」なる人物に見立てて、自伝っぽいエピソードに一ひねり二ふねり加えた短篇のことです。小説「文学賞」では、「信吉」が、とある文学賞をとる前後のことが描かれます。

 ハナシの筋そのものは、文学賞のあれこれではなくて、「青年が世に作家として認められるまでの苦渋」がメインです。永井荷風とのエピソードが綿々と綴られます。

 「信吉」は大阪の雑誌編集者だったころ、何度か偏奇館に永井荷風の原稿をとりに行ったことがあって、そこでは相当好意的に面会できた。後年、仲間の無名作家たちといっしょにいるとき、銀座の喫茶店で偶然、荷風の姿を見かける。そこで、ちょっと得意げに荷風に声をかけたら、「どなたでしたか」と完全に忘れられていた。カッとなって荷風に手をかけた。うんぬん。

 それで、当時「信吉」が狙っていた洋食屋の女主人・早苗に「荷風を超えるような作家になればいい」とか何とか励まされる。よおし、小説をまじめに勉強しちゃろうと決意して、小説を書く。そのうちの一篇が、先輩作家の目に止まり、大衆文学賞の候補になった、ってストーリーです。

「候補作に上げられたと判ると、今度は急に落着かなくなった。文学賞を与えられることは流行作家になれる意味を持ち、賞を得て四、五年経てば一流の大家扱いされる。作家の運命を決定するような大きな賞だ。候補作になった事が、一般にも知れ渡るといよいよ落着けず、部屋にじっとしている事が出来ずに銀座へ出て青い鳥(引用者注:早苗の洋食屋)へ行った。」(「文学賞」より)

 ただし、「信吉」にとって賞が欲しい理由のひとつは、以前、早苗と「一人前の作家として売り出す日が来たら一緒に寝る」という約束がしてあったから、なのだそうで。

「「もしも賞に入ったら約束があるぞ、まさか忘れないだろうな」

 早苗はうなずいた。忘れるものかといいたそうに

「何とか賞を貰いたいね」

「その上で早苗を抱いて寝たいな」

「馬鹿ね、そんなことは末の末よ」

「いや俺には大問題だ。作家になれた上に長年の恋が叶うのだ」」(同「文学賞」より)

 さすが、当時の選評で、作品評だけじゃなく生活態度まで議論のネタにされた川口さんのことだけはある。……小説「文学賞」は、事実どおりじゃないんでしょうけど。

 あと、念のため注意すべき点を挙げておきます。

 川口さんが実際に直木賞をとったのは、まだ直木賞が海のものとも山のものとも知れぬ、第1回(昭和10年/1935年・上半期)のこと。候補作が事前に新聞に出る、なんて、もちろんない時代です。芥川賞なら、ひょっとしてどこかのゴシップ欄に、有力候補のことが出てたかもしれませんが。

 要は、小説「文学賞」の受賞前後のくだりは、70歳になった大衆文壇の大家・川口さんが、むかしの自分自身の体験を、昭和45年/1970年ごろの「直木賞」の枠組みにハメ込んでいるわけです。

 昭和45年/1970年といえば、直木賞は第63回あたり。結城昌治渡辺淳一の両氏が受賞したころです。

 そのころと現代とで、「直木賞」の様相が全然ちがうのは、わかります。「作家の運命を決定する」、そんな側面もあったのかもな、と想像できなくありません。でも、「賞を得て四、五年経てば一流の大家扱い」ですと? 「直木賞」ごときに、そこまで威力のあった時代が、あったんですか。ワタクシは寡聞にして知りませんけど。

 おっと、1970年代のことに目を奪われている場合じゃないのでした。今日は、もっともっと昔……、川口さんがじっさいに受賞した昭和10年/1935年にフォーカスしたいのです。

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2010年1月14日 (木)

第142回直木賞(平成21年/2009年下半期)決定の夜に

 なんということだ、山本周五郎賞。そのうち、ここを通過した者でないと、直木賞をとることは許されぬ、って関門になるんじゃないでしょうね? え? もうなっていますか。

 と、今夜の第142回直木賞(平成21年/2009年・下半期)の受賞について、ああだこうだ言う前に、なによりワタクシは、次の4人の作家の方々に、お礼が言いたいのです。たぶん伝わらないとは思いますが、ワタクシにとっては忘れられない作家さんばかりですので。

 辻村深月さんの小説は、これまで、オジサンなんかが読んで面白いわきゃない、と素通りしてきてしまいました。うかつでした。「メフィスト賞作家」という、ほかの新人賞とは別の次元の十字架を背負ってしまって(?)期待されるものが多く、また広範囲にわたることと思いますが、どうかミステリーの心を忘れずに書き続けてほしいな、と勝手なお願いです。

 葉室麟さんが繰り出す、凝縮とスピード感のものがたりには、いつも心地よく酔わされます。ページをめくるたびに、何人も何十人もの登場人物が湯水のごとく湧き出てくる、葉室さん独特の世界は、どうやら文学賞の選考会では評判がよくないみたいですけど、でも。でもですよ。それが好きで葉室作品を読むのだ、っていうワタクシみたいな読者がいることは、忘れないでほしいなあ。「賞をとりにいく小説」なんてものを、仮に書いてしまって、あの作品世界が薄まっちゃうところだけは、見たくないもんなあ。

 池井戸潤さん、たぶんですけど、『空飛ぶタイヤ』と『鉄の骨』で、池井戸LOVE な読者が急増しましたよね。そのうちの一人として、仲間が増えたこと(増え続けること)が、ワタクシは何とも嬉しい! 自分の生きてる社会が、生きづらいモンになるのか、何かスカッとしたモンになるのか、全然わかりませんけど、池井戸さんの小説を読んで、新しいところに踏み出す楽しさと爽快感を、擬似体験させてもらっています。

 「直木賞」だあ? そんなモノの価値に比べりゃ、池井戸作品を読んで得られるこの楽しさのほうが、断然ワタクシには大切です。

 そういうわけで、道尾秀介さん。今回もまた、カラ騒ぎでした。いつもいつも、こんなむなしい馬鹿さわぎに付き合っていただいて、馬鹿さわいでる一人としては、申し訳ないやら、恥ずかしいやら。あ、でも「直木賞」のこと、見捨てないでくださいまし。「読者の心をぐっとつかむ若手作家は、みんな直木賞を拒絶して、ぐんぐん前に進む」なんて未来は、せつなすぎます。それはそれで面白い展開かもしれないけど。どうか、もうしばらく、哀れな直木賞のためにも、馬鹿さわぎの渦中にいてくださいまし。

          ○

 いま思い出しました。5年前、『消えた直木賞 男たちの足音編』(平成17年/2005年7月・メディアファクトリー刊)っていう受賞作アンソロジーに携わったとき、ワタクシ、こんなコラムを書きました。「なさそであった! 身内同士のW受賞」。

 小池真理子×藤田宜永ペアとか、邦光史郎×田中阿里子今日出海×今東光、などなどお馴染みの組み合わせに触れたあと、つい、親子ペアについても筆を暴走させちゃったのでした。

 そう、当時は、親子ともども直木賞落選の憂き目をみたのは、ただ一組のみ。山手樹一郎×井口朝生だけでした。そして、ついに、ですか。白石一文さん。

 すみません、今夜の受賞会見でも真っ先にそのことを聞かれたみたいで、たぶん白石さん、ヘキエキでしょうね。ここらでやめときます。

 『ほかならぬ人へ』は、「恋愛小説と一言でいったって、ピンからキリまであるのさ、『恋空』あたりと同類と思って読むと、ゲロ吐くぜ」っていう構えが、んもう、白石さんらしくて素晴らしい。イヤなレースからこれで解放されたのです。濃厚で高密度でヒトの頭をガツンと殴る、自由な白石作品を生み出していってください。

 そして、もうお一人。往年の山本周五郎受賞者。何年前ですか。え、20年以上も前?

 なぜに、佐々木譲さんが平成22年/2010年にもなって直木賞の騒ぎの場に借り出されているのか、古い直木賞ばかりを追いかけているワタクシの頭はショートぎみです。時代は常に進んでいる、ってことでしょうか。

 また今回も、北村薫さんのときに引き続き、直木賞の側が、佐々木譲さんの「権威」をお借りしてしまいました。直木賞も、両ベテラン作家に負けぬよう、もっと精進してくださいね。

 これで、佐々木譲さんの旧作を含めて大売れするのならば、万々歳。万一そうでなかったとしても、ワタクシのなかでは、佐々木さんは永遠に「山周賞作家」です。あるいは「冒険小説大賞作家」です(語呂わるすぎですけど)。

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2010年1月10日 (日)

第142回直木賞(平成21年/2009年下半期)候補のことをもっと知るために、色で占う。

 ふむふむ。野村順一さんの声に耳を傾けてみますと。

「色は言語を超えたサインである。カラー・コミュニケーション(color communication)とは、個々の色のシグナルやメッセージを伝え、人間心理に固有の感情を引きおこす作用のことだ。色が人間の感覚器官にはたらきかける光の振動として考えるとき、それはとても感覚的である。」(平成6年/1994年7月・ネスコ刊、文藝春秋発売 野村順一・著『増補 色の秘密 最新色彩学入門』「増補の序」より)

 なある。なんだかんだと文学論を持ち出してきたり、過去の選考会の様子から傾向を見出してウンヌン、と難しいことを考えたりする前に、見るべきものがあるだろう、と。

 たしかに。「色」が及ぼす影響、ちゅうものも重要そうですね。

 第142回(平成21年/2009年・下半期)の直木賞は、今週木曜日の1月14日に、選考会が開かれます。それに先立ち、すでに6つの候補作が選ばれています。

 みな単行本です。そして、それぞれ「色」を持っています。

 以前、候補作を「重量」をもとに並べたことがありました。今回もそのときと同じで行きます。全候補作のカバーを剥いで、選考委員の方々が手にとる姿――裸の本体部分に注目することにします。

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 これらの色をじーっと見ていると、それぞれの色の特性から、受け取る人間の印象がなんとなく分類できてきて、多くの票を獲得しそうなものと、そうでないものとが、おのずと判明してきますよね。

 よね?

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2010年1月 3日 (日)

直木賞とは……そんなもんに興味をもって熱を上げてるの? ほんと、キモーい。――真下五一『芥川賞の亡者たち』

100103 真下五一『芥川賞の亡者たち』(昭和46年/1971年5月・R出版刊)

 新年一発めなのに。しかも、1月前半は、うちのブログが普段より多くの目に触れる時期だっつうのに。取り上げるのはこの小説。あまりにマニアックすぎますか?

 だけども。恥を忍んで申します。ワタクシの読書経験のなかで、もっとも敬愛する登場人物が、この小説に出てくるんです。じつは。

 そもそも、タイトルだけでも強烈です。世のキワモノ愛好家のための作品なのかな、と思わされちゃいますよね。

 ところが作者は、なんと京都文学界の重鎮、あの真下五一さんだっつうんだから仰天です。そんなわけで物語の中身は、似たようにキワモノっぽい題名を持つ『高1で芥川賞!』とは違いまして、ディープで、暗くて、ちょい悲惨です。

 主人公は、浅島峰一。高校教師なんですが、組合運動の先頭に立っていたがために、校長にうとまれ、退職させられちゃいます。ううむ。70年代じゃのう。

 その浅島は『琵琶湖文学』なる同人誌の中心的存在でもありました。アマチュア作家です。いつかはおれも芥川賞を、と夢みています。『黒潮』誌の「全国同人雑誌秀作」に、ようやく自作が取り上げられたことを心の糧に、書き続けます。

 琵琶湖畔っていう、東京から離れた地域で、同人誌に属する男が、ともかく芥川賞を意識しながら生きていく。約40年も前のハナシなんですけど、浅島とその同人誌仲間たちが、直木賞や芥川賞のことをネタにして、ああでもないこうでもないと駄弁るとこなんぞ、今の時代もそう変わらんのじゃないか、と読めるところが、この小説の強みです。

 たとえば浅島と、彼と一緒に退職した小笹明子との会話。

「「芥川の事なら、先月号の芥川賞の受賞作お読みになって?」

「……」

「むろんお読みになったでしょうけれど、あたしどうも、も一つだったわ。「芥川賞」も「直木賞」も、だんだん質が低下していくみたいに思えてならないわ」

「そうでもないでしょう。やはりいいですよ。現在の相撲より昔の相撲が強かったように錯覚するようなものですよ。(引用者後略)(『芥川賞の亡者たち』「第一章 紙の指輪」より)

 いつだって、「昔の受賞作のほうがよかった。もはや芥川賞も直木賞も、くだらんものばかり選ぶようになった」と言われちまうのだなあ。

 それとか、農協の理事をしている玉松芳太郎(つまり文学に何の興味もないヒト)が、娘の芳江が文学かぶれしちゃって困っていると、浅島に愚痴をこぼすとこ。もう一度注意しときますが、最近書かれた作品じゃありません、40年前のハナシなのです、念のため。

「「(引用者前略)この頃は芥川賞とか直木賞とかいうのが、若いものの的になっているとか、まるで一夜漬けが俳優を夢みているような空気が感じられるのでね。そうじゃないんですか。どうも女だてらに文学にかぶれるなんて感心出来んことですよ」

「はァ、そうですかね」

「いや、家の娘が、まだかぶれているというのではないんですが、以前その芥川賞とかに若い娘が入選したでしょう。一躍名優みたいになって金もはいるらしいから、どうも世の若い者に僥倖心を煽り立てるように思えてね」」(同「第二章 白い道」より)

 あらあら、この痛烈な(または適切な)世評。何回か前のエントリーで、文芸社の自費出版ふうビジネスのことを書きましたけど、「ひと山当てたい」思いは、人類不変の心理ってわけですか。そして、その心理を煽り立てようとするものに、何か胡散くささを感じるのも、また不変ですか。

 そういえば、直木賞とか芥川賞って、創設このかた75年、ずっと胡散くさいままだもんなあ。

 それじゃあ、「直木賞」のことばかり10年以上調べ続けていまだに飽きない人間が、どうにも胡散くさいのは、しょうがなかったんですね。納得。

 胡散くさいワタクシが、もっとも敬愛する人物が、この小説に描かれている、とさっき言いました。『芥川賞の亡者たち』には、何人かの胡散くさげな連中が出てきますが、そのなかでも、群をぬいて真っ黒っ黒な男。それは、『琵琶湖文学』同人の泉善太郎さんです。

 端役です。ちょっとしか出てきません。泉さん。「亡者」の一人、浅島峰一ですら、彼のことを何だかキモいものを見るような目で見ちゃっています。

「ことに若い泉は一風変っていた。芥川賞亡者の域をはるかに越していて、作品のこと以上に、芥川賞そのものの研究にとらわれ、賞はじまって以来の作品を友人に頼んだり、古本屋をあさったりして、その掲載誌は全部集めており、作品の傾向、受賞時の作者の年齢、職業、その他の経歴まで表にしてノートに残しているといったあんばい。」(同「第六章 虚々実々」より)

 うわあ、キモい。「直木賞のすべて」や「芥川賞のすべて・のようなもの」みたいなサイトと同じくらいに、気持ち悪い。

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