まことのようなウソを書くのも芸のうち。でも、あまりにも上手にウソつきすぎたのが、運のツキ。 第32回候補 石川桂郎『妻の温泉』
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- 【歴史的重要度】…



4 - 【一般的無名度】…


3 - 【極私的推奨度】…



4
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第32回(昭和29年/1954年・下半期)候補作
石川桂郎『妻の温泉』(昭和29年/1954年7月・俳句研究社刊)
8人ばかり、作家の名前を並べてみます。
鮮烈なデビューを果たした落語フリーク、宇井無愁。兵隊ものに始まり兵隊ものに尽きる、棟田博。青森が生んだ爆裂詩人、菊岡久利。喜劇一路そのじつ怒らせたら天下一品、飯沢匡。こころ優しき鬼ひとり、鬼生田貞雄。畑ちがいここに極まれり、今官一。沖縄被虐の歴史の語りべ、石野径一郎。いつのまにやら木々高ファミリー、藤井千鶴子。
そして9人め。江戸っ子床屋職人、またの名を風狂を地でゆく俳人、石川桂郎。ああ、今年こんなブログをやっていてグッド・タイミングでした。上のみなさん、今年平成21年/2009年が生誕100年、明治42年/1909年生まれの方々です。
そのなかでもワタクシお気に入りの小説は、桂郎さんの『妻の温泉』。好きです。おすすめです。
とか言って調べてみたら、なぬ、桂郎さんの小説はぜんぶ絶版なんですと? 昭和48年/1973年の読売文学賞[随筆・紀行賞]受賞作の、『俳人風狂列伝』(昭和48年/1973年10月・角川書店刊)からして、まずもって、新刊の書店ではお目にかかれないというありさまで。どういうことだ。『妻の温泉』も、それに先立つ『剃刀日記』も、古書マニアたちがその狭い世界のなかでニタニタ笑いながら取り引きするだけの、悲しい運命におちいっているとは。
生誕100年のメモリアルを機に、ここはぜひとも思い切って桂郎小説の1冊や2冊、復刊されたりしないかあ。松本清張さんの棚のスペース、桂郎さんのためにちょこっと譲ってもらってもいいんじゃないですか。太宰治さんのスペースでもいいです。
『妻の温泉』には、その題もずばり「太宰治氏のこと」って一篇も収録されていることですしね。太宰人気に便乗するようで胸糞は悪いですけど、このさい桂郎さんとか今官一さんとかの旧作が、生誕100年フェアをにぎわすためにも装いも新たに登場するなんて趣向も、きっとアリです。
桂郎さんの「太宰治氏のこと」の一節。
「太宰氏は明治四十二年六月十九日に生れ「この年に生れた人で幸福な人はひとりもない。やりきれない星である」と書いてゐる。実は私も太宰氏と同じ年の酉・一白・水星。太宰氏の予言どほり、実にやりきれない星を負はされて生きて来てゐる。酉の一白の男は、お洒落で気が弱く、だからお人好、と暦の後にちやんと出てゐるし、私はいちいちその通りで苦情はないけれども、太宰といふ人はまるで異ふ、そんな筈はない。どうしてどうして(原文踊り字)粘りのある執拗な、芯の岩乗な人だと私は思ひ、信じてゐた。遠く「晩年」のむかしから太宰治の小説を読み作品を通してさう信じてゐた。さうして佐藤春夫の小説「芥川賞」を読むに及んで、ますますその思ひを固めた。こいつは大変な大物だ、酉の一白侮るべからず。」
筆はその後、「私」がたった一度だけ太宰治と会ったときのこと、戦中に河上徹太郎宅で、「見上げる様に背の高い痩せた人」=太宰と、「もう一人肥つた人」=田中英光と一晩飲み明かしたときのことに及んでいます。
と、太宰ネタを掘り下げるのはこのくらいにします。それにしても桂郎さんの『剃刀日記』にしろ『妻の温泉』にしろ、こりゃ随筆だ、いや純然たる小説だ、と議論を引き起こしたわけですが、それはこの「太宰治氏のこと」を読んだだけでうなずけます。見た目まぎれもなくエッセイの面構え、でも何にせよ虚実の境の一定しない嘘つき桂ちゃん、どこまでホントでどこから創作かはわかりません。そもそも、随筆か小説かなんてそんなに大事か、っていうのが何も考えずに受容さえしていればいい無責任読者の本心です。
桂郎さんの散文は、果たして小説か随筆か。まず桂郎さん自身については、水原秋櫻子のこんな表現があります。
「誰も知るように、石川桂郎君は奇行で名高い人であつたが、その奇行と語りつたえられているものが、本当の話であるか、或は多分の創作が加えられていて、追究して行くと泡沫のように消えてしまうものか、そこのところがよくわからない。(引用者中略)いろいろ綜合して見ると、どうも創作の方が多くて、真相は平凡のことであつたようだ。しかし主人公が桂郎君となると、まんざら嘘でもないような気がして可笑しいのである。」(『俳句』昭和51年/1976年3月号 水原秋櫻子「朝凪の舟唄」より)
こういう人物が生み出す文章が、随筆の態をなした随筆ならざるもの、となってしまうのはよくわかります。そんな素人俳人・桂郎さんを見て、うむ、彼ならおもしろい散文が書けるに違いないと最初に見込んだのが石塚友二さんであって、その石塚さんの慧眼が見事にマトを得ていた、という評価は、清水基吉さんが指摘しているとおりでしょう。つまり石塚さんは、俳句仲間の桂郎さんをみて「普段話す話術がそのまま生きれば、ちゃんとした文章になる」と見通したというのです。
「「話術の独自さ」は虚実入り交った風狂的な仮面ともなって、こちらは石川桂郎という人物にかなりな人気と誤認とをあたえてきた。然し、その虚実交ったポーズも、「物語り的な文章作家」としての一資質だったと言えるかも知れぬ。」(『俳句研究』昭和51年/1976年3月号 清水基吉「作者・石川桂郎」より)
その慧眼の主、友二さんはやはり最後まで散文家(というより小説家)としての桂郎さんに期待を寄せていたようです。
「桂郎は、文筆業者としてよりは、一層色濃い俳人として終つた感がある。これはまた、充分に称へられて然るべき業績を残したことは衆目の視る通りとして、再び、しかし、と私は言ひたい気がするのである。『俳人風狂列伝』以外に、もつと、もつと小説を書いて欲しかつた、と。」(『俳句』昭和51年/1976年3月号 石塚友二「桂郎のこと」より)
ははあ、友二さんにとっては、『俳人風狂列伝』も小説だったと。読む人によって小説でもあり、また随筆(風)でもあり、ここらが桂郎散文の面目躍如たるところです。
もちろん『妻の温泉』もその面目が全面にみなぎった一冊です。だからこその直木賞候補作です。直木賞史上にのこる重要な候補作となった、と言ってもたぶん過言じゃないでしょう。
○
随筆の顔をした小説、って文脈で語るには絶好の作品、『妻の温泉』のなかでは表題作「妻の温泉」が挙げられます。
小田急沿線のT村(桂郎さんの家のあった鶴川村を連想させます)。ここに「私」は家族とともに住んでいます。
田舎も田舎、魚屋など一軒もなく、友人たちが訪ねてきても、振る舞うのは酒ばかり。それと「私」が自慢して客にすすめるのが風呂。東京あたりの水道の湯とはちがい、なにか効能のありそうな風呂で、「私」はT村温泉と称しています。
妻は、なんでもない風呂だといって、「私」がT村温泉と呼ぶのを嫌がるのですが、じつは妻は温泉には生涯一度も行ったことがありません。「私」は妻の若いうちに温泉に連れていってやりたいと思い、二人で温泉に行った場面を想像します。
と、その想像の場面を含めて、「私」は雑誌にそのことを発表しました。すると、それを読んだ相場さんが、酒の席で、あのハナシほんとうですかと切り出してきます。なんなら、自分の社の寮が湯河原にあるから、奥さんを連れて寄越しなさい、といった展開になり、「私」はいよいよ、妻を温泉に連れていく念願を果たすことになるのですが……。
さて、この『妻の温泉』の最後に、山本健吉が「跋」を書いているのですが、そこには、こうあります。
「この文集を読んだ読者は、氏が本当に奥さんを温泉に連れて行ったように思うであろうが、これもフィクションである。氏の筆の巧妙な幻術(ルビ:まやかし)に引っかかって、読者がここに書かれてあることを一々事実であると鵜呑みにしないように、一応言っておく次第である。」
○
小説か随筆か、のテーマをわざわざここまで引っ張ってきたのは、これこそが、『妻の温泉』に対して直木賞の選考の場で議論されたことだったからです。
これを一人推した小島政二郎の、嘆きの選評。
「『妻の温泉』『剃刀日記』の中にも、ホンモノのリズムが打っている作品がいくつもあり、「炭」「年玉稼ぎ」などには、ペーソスを持ったユーモアがあって、石川君でなければ書けないものだと云うのだが、みんな随筆だと云って、私の云うことを通してくれなかった。直木賞は、随筆だっていいと云うのだが――。石川君、一つ小説を書いて下さい。」(『オール讀物』昭和30年/1955年4月号選評「ホンモノのリズム」より)
「直木賞は随筆だっていい」は、政二郎さんの意見です。今どきこんなことを直木賞の選考会で口走ったら、最近の直木賞しか知らない選考委員たちに、頭おかしいんじゃないの、と眉をひそめられると思います。でも、直木賞って本来は、少なくともこのぐらいは自由だったんです。ワタクシは、自由さをもった直木賞が好きです。
こういった事情で直木賞をとれなかった『妻の温泉』(をはじめとする桂郎散文)を、島谷征良さんは、こう評価しています。
「つまりは直木賞の性格にあわなかつたと思われるわけだが、石川桂郎の短編は小説か随筆かというジャンル分けが極めて難しく、私小説と随筆の二面を併せもち、しかし俳文の要素が多分にある。むしろ現代俳文とでも呼ぶのがふさわしいのではないかと私は考えている。」(『俳句』昭和51年/1976年3月号 島谷征良「石川桂郎著書解題」より)
このときの選考会には、永井龍男さんも選考委員のひとりとして参加しています。あの永井さんが桂郎さんの作品をそれほど推していない、って感じからも「直木賞の性格」と桂郎作品との愛称の悪さが、うかがい知れるかもしれません。
なぜ永井さんに「あの」を付けたかと言いますと。散文家・石川桂郎が誕生するきっかけとなったのは、先に述べたように石塚友二さんのすすめが第一にあったのですが、それで『鶴』誌に載った「蝶」を読んで、『文藝春秋』誌に何か書いてほしいと依頼したのが、当時同誌を編集していた永井さんでした。
「たしかな記憶はないが「炭」と「薔薇」の二編を書き上げ、「蝶」を添えて何か胸の痛む思いで送稿した。どうやら無事永井氏の目を通過したのであろう、三編が文芸春秋の随筆欄に載つたのである(引用者注:『文藝春秋』昭和14年/1939年9月号の「剃刀歳時記」)。けれども私は、私の文章などが活字になつて「文芸春秋」に載つたことを怖しく思い周囲の友達にそのことが言えない。」(『俳句』昭和44年/1969年2月号 石川桂郎「回想の文学歴遊」より)
文筆家としての出発点から以来、永井龍男が桂郎さんに与え続けた影響は大きく、その永井さんにして、「小説としては自然過ぎ、純粋過ぎるという感じを持った」と選評に書かせてしまう直木賞。もちろんこの場合、永井さんの選考姿勢のなかに「直木賞で採り上げる小説としては」といった意識は、多少なりともあったでしょう。
でもさ、なぜ直木賞を授賞する作品は、小説でなければいけないんですか。……っていうテーマは、『妻の温泉』からこっち、たびたび選考会で議論に上がりました。山口瞳「江分利満氏の優雅な生活」(第48回)、田中穣『藤田嗣治』(第62回)、佐木隆三『復讐するは我にあり』(第74回)、色川武大『怪しい来客簿』(第77回)などなど。絶対小説でなきゃならないと強弁するもよし、範囲を広げようぜと懐の深さをみせるもよし、結論はどっちでもいいんですけど、こうやって候補作として、ときどきは「これって小説か?」みたいなスレスレのものを選ぶことで、議論することが何より大事なはずです。
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まったくの蛇足ですが。昭和51年/1976年3月に、石川桂郎さんの追悼特集を組んだ二つの雑誌『俳句』と『俳句研究』を読んでいて、むむむ、と思わされたことがあります。
あまり興味のない人から見たら、直木賞と芥川賞って、何がどう違うのかわからないし、どうでもいいことなんだな、っていうことです。
両誌には「石川桂郎略年譜」が載っていて、どちらも神蔵器・手塚美佐共編。内容はほとんど同じです。
昭和30年/1955年の項は、かなりショッキングです。
「昭和三十年(一九五五)四六歳
一月二十二日、『剃刀日記』第三十二回芥川賞候補となる。三月、『妻の温泉』第三十二回直木賞候補、梅崎春生と競り合い次席となる。(引用者後略)」
事実から説明しますと『剃刀日記』は、はじめ昭和17年/1942年11月に協栄出版社から出ました。戦後、昭和26年/1951年6月・目黒書店から、内容を一部変えて再版。昭和26年/1951年11月には創元社から創元文庫
として、さらに内容を微妙に変えて再版。昭和30年/1955年7月になって角川文庫
に入ることになりました。どう考えても第32回(昭和29年/1954年・下半期)の、芥川賞候補になどなるわけがありません。
1月22日というのは、第32回の直木賞選考会が開かれて、受賞作が決まった日です。受賞したのは、年譜に書かれているように、たしかに梅崎春生さん。あ、でもどうして同時受賞の戸川幸夫の名が略されているのでしょう。
それと「次席」なる単語。ワタクシが知っているかぎり、次席といえば受賞には及ばなかったが、それに次ぐ評価を受けたものを指すはずです(ちなみに直木賞には、正式には「次席」というものはありません)。
たとえば、第21回(昭和24年/1949年・上半期)の直木賞は、受賞は富田常雄だけど、実質的な次席が徳川夢声。これは正しいでしょう。
でも、第32回の次席が『妻の温泉』だった、なんていったい誰が言ったんですか。中村八朗『マラッカの火』だというのなら、ハナシはまだわかりますが。
ええと、ここで年譜制作者のまちがいを追及してあざ笑う気など、まったくありません。たぶんワタクシは、このブログや、親サイトのほうなどで、自分の関心のないこと、興味のわかない分野のことで、おそらく単純なまちがいを犯しているでしょうが(まさに、俳人や俳句界のことなんて全然知りませんし)、それと同じレベルで、直木賞なんてものも、俳句畑のひとたちにとっては、どうにもポカを犯さざるを得ない程度のものなんだな、と感慨ぶかいものがあります。
俳句畑のひとですらそうなんですから、もう全然文壇とか小説とかに興味のない方々が、直木賞をどう見ているか、だなんてそりゃあ、背筋が寒い状況にきまっているでしょう。そして、そういう方々の視線を前提に成り立っている(つまり商業主義一辺倒の)今の直木賞の姿、ってやつも、なかなかに、背筋が寒いわけです。
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コメント
はじめまして。いつも愛読しております。
こちらの石川桂郎の記述があまりにも面白かったものですから、随筆集(?)「残照」を読んでみたのですが、実に面白かったです。
本当に「うまく出来すぎた話」の連発で・・。
最初は「いやー、面白いなあ」と読んでいたですが、途中から「これはどこまでホントかよ」と疑いたくなってしまうのですよね。
石川桂郎、確かに私も復刊して欲しいと思いました。
投稿: 岡田K一 | 2009年5月21日 (木) 10時17分
いつもご覧いただいているとのこと、ありがとうございます。
石川桂郎のおもしろさに共感していただけて、うれしいかぎりです。
(といっても、ワタクシもまだそれほど、たくさんは読めていないのですが……)
桂郎さんの、どことなくスットボケた感じが、いいんですよね。
苦労せずに(はたまた大枚をはたくことなしに)、桂郎作品がもっと読める日がくるといいのですけど。
投稿: P.L.B. | 2009年5月22日 (金) 00時56分