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2009年3月の5件の記事

2009年3月29日 (日)

「三田派」にとっては異端で傍流だとしても、直木賞のなかでは「三田派」の正統。 第27回候補 渡辺祐一「洞窟」

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第27回(昭和27年/1952年・上半期)候補作

渡辺祐一「洞窟」(『三田文學』昭和27年/1952年1月号)

 この時代に出現した数々の名候補作のなかから、何を取り上げようかと悩みました。

 ここ何週かミステリー畑がご無沙汰ですから、氷川瓏こと渡辺祐一「洞窟」にしようかな、いや、ふしぎ小説で再評価の機運高まる三橋一夫の『天国は盃の中に』にしようかな。おっと、日本探偵作家クラブ賞を受けつつ直木賞の場では歯牙にもかけられなかったビリヤード屋のおやじ、永瀬三吾の「売国奴」もいいなあ。でもこれは第32回(昭和29年/1954年・下半期)の候補だから、順番からして今週取り上げるわけにはいかないか。

 挙句に選んだのが「洞窟」なんですけど、あれ、この三人って偶然にも共通点があるじゃないですか。そしてその共通点は、明らかにこの時代の直木賞を語る上で、忘れちゃならない重要な意味を含んでいるじゃないですか。

 それは「三田派」である、ってことです。

 もとい、三人とも『三田文学』誌に作品を発表したことがあって、「やや三田派」である、ってことです。

 永井荷風とか水上瀧太郎とかの『三田文学』を研究している人たちは、まず絶対に、直木賞にあらわれた『三田文学』のことになんぞ興味がないと思います。でも直木賞の側では、ほんの一時期、賞の新しい方向性をになうものとして、『三田文学』をターゲットにしたことがありました。直木賞と『三田文学』の関係、は十分にテーマになり得るんです。

 前回この時代を扱ったエントリーでは、松本清張の「或る『小倉日記』伝」を持ってきましたが、これなんてまさしくそうです。それから、和田芳恵が昭和39年/1964年にとうとう直木賞をとるにいたったその礎は、昭和20年代の『三田文学』にあります。礎って意味では、藤井千鶴子だってそう、一色次郎こと大屋典一だってそう。のちに純文学大嫌い人間になる柴田錬三郎だって、直木賞受賞作「イエスの裔」は『三田文学』で地味に文学修業していた頃の作品だったりします(そしてこれが同誌から生まれた唯一の直木賞受賞作)。

 この時期、なんで『三田文学』から直木賞の候補作が次々に選ばれているのか。もちろん、木々高太郎が選考委員をしていたからです。中でも渡辺祐一や藤井千鶴子は、木々が『三田文学』から離れた後も、木々のグループに属して『小説と詩と評論』に参加したりします。

「もともと純文学指向のあった著者(引用者注:氷川瓏)は、木々高太郎が編集に当っていた「三田文学」に本名で「天平商人と二匹の鬼」(五一年九月号)、「洞窟」(五二年一月号)の二篇を発表、後者は三橋一夫の長篇『天国は盃の中に』などとともに五二年度上半期の第二七回直木賞候補になっている。」

「江戸川乱歩賞の予選委員を長く務めるなど、ミステリ界とのつながりは保っていたものの、創作の分野では純文学の方向に大きくシフトし、六一年から同人誌「文学造型」を主宰。六三年からは木々高太郎が主宰した「詩と評論と小説」(原文ママ)にも参加している。」(平成15年/2003年8月・筑摩書房/ちくま文庫『怪奇探偵小説名作選9 氷川瓏集 睡蓮夫人』所収 日下三蔵「解説」より)

 たぶん渡辺さんの『小説と詩と評論』への関わり方は、だんだん参加なんてレベルを超えていきまして、中心的同人になっていきます(はじめからそうだったかもしれません)。昭和45年/1970年~昭和46年/1971年に『木々高太郎全集』全6巻が編まれたとき、第6巻に収録する随筆をえらぶにあたって、その任にあたったのは、医学の面からは須田勇、文学の面からは渡辺祐一さんでした。よほど渡辺さんが木々さんと近い存在であったかを想像させます。

 昭和20年代は、なにしろ今と違います。選考委員たちは、いずれも旧時代に育った人たちです。「旧時代」っていうのは、以前のエントリーで述べたように、「候補作は文春側・運営者側がえらぶのではなく、選考委員が決めるもの」という土壌のあった時代のことです。ですので、この時期、木々高太郎さんが自分が編集に参画していた『三田文学』から、数多く候補作をひっぱり上げてきているのは、当然の流れとも言えます。

 ただ、他の『三田文学』関係者とのあいだに、多少なりとも確執を生んだようですけど。

「昭和二十八年の暮にわたし(引用者注:松本清張のこと)は朝日新聞東京本社業務局広告部勤務となって出京した。目黒区祐天寺の木々高太郎氏の宅をしばしば訪問するようになり、木々氏はどういうつもりか、わたしを「三田文学」の編集委員にされた。ほかに和田芳恵さんが「任命」された。和田さんも慶応とは縁もゆかりもない。そのころ「三田文学」を長くみてこられた佐藤春夫氏と木々氏とのあいだが険悪であった。原因はいまもってはっきりわからないが、どうやら「三田文学」の編集方針が木々先生の独断専行の傾向にあるというのを佐藤氏が憤られたらしい。」(平成8年/1996年2月・文藝春秋刊『松本清張全集65』所収「運不運 わが小説」より)

 清張・芳恵のみならず、渡辺祐一さんも(おそらく藤井千鶴子さんも)慶應とは関係のないところから出てきていますからね。木々ナントカちゅう、医学部出の、くだらん大衆文学ばかり書いとるような奴に、なんで伝統ある『三田文学』をかき回されなきゃいかんのだ、と苦々しく思う人がいても、まあおかしくはないでしょう。

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2009年3月22日 (日)

西なら福岡、東は岩手。そんな「文学」のメッカにもいました、文学の小鬼が。 第20回候補 佐藤善一「とりつばさ」

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第20回(昭和19年/1944年・下半期)候補作

佐藤善一「とりつばさ」(『早稲田文學』昭和19年/1944年8月号)

 直木賞もずいぶん年をとりました。いろいろな社会の波に揉まれて白髪も生えたしシワも増えて、今じゃ誕生の頃の原型は、ほとんど残っていません。

 残っているのは賞名と、半年に1回授賞を決めること。それから、「大衆作家を見定めるには、一作だけじゃなくて、ある程度それまでの実績も見なければわからない」とかいう、大して根拠のない考えが、なぜか血のなか骨のなかに受け継がれていること、ぐらいです。

 あ、それともうひとつ、今まで一貫して直木賞が堅持してきたもの。受賞作は「文学」でなければならない、っていう基準がありましたね。

 でも、どうして、直木賞なんぞに「文学」が必要なんでしょう。それじゃあ芥川賞の対象とどこが違うんですか。今もって不明のままです。それでも「この作は文学ではない」が、候補作を落選させる理由として、今でも立派に罷り通っています。

 そんな直木賞の「文学」癖をたどりたどりますと。やっぱり根っこは戦前に行き着きます。昭和10年代です。

 井伏鱒二がその格調高い文章を評価されて受賞したのが、第6回(昭和12年/1937年・下半期)。ここで直木賞の舳先がグイと「文学性」のほうに曲げられます。そして、この方向の行く先で直木賞関係者の生み出した手法が、同人誌からも候補作を見つけてくる、ってことでした。

 と、ここまでは岩下俊作「富島松五郎伝」のエントリーで触れました。

 そこから戦況の悪化で第20回にて中断するまで5年間。直木賞が候補にしていった同人誌作家を挙げますとこうなります。古澤元(『麦』誌)、劉寒吉原田種夫我孫子毅(『九州文学』誌)、中井正文(『日本文学者』誌)。それと、今回の主役、佐藤善一さんです。

 劉さんは、候補になったのは『文藝讀物』に寄せた小説ですけど、九州在住だし、ホームグラウンドは何つったって『九州文学』ですからね、このリストに入れさせてもらいました。

 いやあ、奇妙だな、不思議だなと思わせる顔ぶれじゃありませんか。

 中井正文さんの戦前の文学行動にはあまり詳しくないんですけど、他の人たちは、ほら。岩下俊作さんを含めた『九州文学』の愉快な仲間たち、は言わずもがな、古澤さんと善一さんは武田麟太郎門下のお仲間で同郷人。そういやこの時期、岩手からは天才詩人・森荘已池さんも直木賞の畑に駆り出されていたっけ。直木賞が「文学性」を求めてさまよい始めたときに、『文學界』とか『文藝首都』とかの東京の同人誌じゃなくて、西なら福岡、東なら岩手、と両極端の方角に目を向けた、っていうのが、なんか意味ありげだなあ。

 文学に情熱を燃やしていた福岡の人たちも、まじめに文学に打ち込んでいた岩手の人たちも、きっと、格下感たっぷりの直木賞なんかに目をつけられちゃって、正直、迷惑だったでしょうが。

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2009年3月15日 (日)

自由で軽いものは、楽しくて魅力的。だけど、組織のなかでは恵まれない。 第2回候補 獅子文六『遊覧列車』

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第2回(昭和10年/1935年・下半期)候補作

獅子文六『遊覧列車』(昭和11年/1936年1月・改造社刊)

 説明不要です。あまりに有名、あまりに大家すぎます。だからでしょうか、この人はあまり直木賞とからめて語られる機会が薄いんですけど、「直木賞候補作家」の基本スタイルの祖といえば、断然、文六さんです。

 獅子文六ほどの人が、なぜ直木賞を受賞できなかったのか。きっぱり言っちゃえば、作風が軽すぎたんでしょう。とうてい文学的だとは受け取られなかったんでしょう。でも、たくさんの読者に大ウケしました。佐々木邦さんらとともに、ユーモア路線を広く普及させました。直木賞に認められなくても、十分職業作家としてやっていけるし、受賞作家と同程度には後世に名を残せることを、みごとに実証した作家第一号です。

 それで創設当時の直木賞の特徴で、文六さんにははっきりとした候補作品があまりありません。選考対象は「業績全般」、長篇でいえば「金色青春譜」バツグンのインパクト、「楽天公子」手堅い、「悦ちゃん」もうすでにベテラン売れっ子作家の匂いぷんぷん。といった中で、ここで名候補作リストに入れさせてもらうのは『遊覧列車』です。まだ文六さんが新聞とかに小説を書いて世間から喝采を受けられる人材なのか、誰もわからなかった時代に、きらめく才能で颯爽と登場した単行本です。

 なにせ、この本は、出だし迷走の直木賞の候補になるにふさわしい内容でした。いくつもの作品が収められているんですが、「短篇集」だとズバッと命名することを許しません。半読み物・半随筆・半短篇集……ってあいまいでゴチャまぜな感じ。おお、これこそ「ユーモア文学」、いや「諧謔文学」「滑稽文学」「明朗文学」の正統的なたたずまいじゃないですか。どんなものに賞を授けたらいいのかウロウロして目移りの激しかった直木賞君の好みにピッタリ適っています。そして結局、直木賞は重たーい玄人ウケしそうな小説を受賞圏内と定めることになっちゃって、軽いものは落とされる、の道をつくった意味でも、重要な候補作です。

 もうひとつ言えば、文六さんは文壇づきあい嫌いで鳴らした人ですが、そのことに由来するのか帰結するのか、まるで文学賞みたいなものに対して淡白な風合いが、どうにも「候補作家の基本スタイル」を思わせます。直木賞の場合は、自分で応募する公募の賞と違って、勝手に候補に挙げられるわけで、候補者のみんながみんな「直木賞とりたい!」って願っている連中ばかりじゃありません。おそらく歴代候補作家のうち、7:3か8:2ぐらいで「淡白派」のほうが多いんじゃないでしょうか。

 直木賞? ふーん、そういうのあんまし興味ないんだよね。っていうのは、別に時代が今に近づくにつれて日本人がクールになったから起こったわけじゃなさそうです。そのことを文六さんは教えてくれます。

 そんな基本スタイルを身につけた文六さんですから、自身の直木賞候補のことについて、ほとんど発言していません。なので代わりに、この時期、文六さんが書いたユーモア文学まわりのエッセイから、少々引用してお茶を濁すことにします。

(引用者注:夏目漱石の)「坊っちゃん」と「猫」とは、われわれの一番親しむべき古典である。漱石が純文学に転じないで、一生ユーモア文学を書いてくれたら、斯道の発達は目覚しき限りだっただろうと、残念でならない。「坊っちゃん」の方は小説らしい構成だけれど、われわれの勉強になるのは「猫」のデテールにありと思う。(引用者中略)漱石の眼と腕とハアトは、如何(ルビ:どう)考えても、過云の日本ユーモリストの最大なそれらである。漱石の仕事を凌駕することで、初めて今日のユーモア作家の面目ありだ。」(昭和44年/1969年8月・朝日新聞社刊『獅子文六全集 第十三巻』所収「ユーモア文学管見」 初出『新青年』昭和10年/1935年7月号 より)

「実際日本の小説家は、皆よく似てる一面をもってる。例えば、ファンテエジイに対する態度なぞはどうか。ファンテエジイというものは、どこの国の文学にも、必ずどれかの作家を流れているし、現代文学にも前代文学にも古典文学にも、必ず見出される要素だが、文壇のどこを見渡しも、片影すらないとすると、これに対する日本文士の態度は、期せずして似ていることになる。(引用者中略)

 日本でも、昔は村井弦斎の料理小説とか、浪六のビンパツ小説とか、春浪の武侠小説とか、いろいろ看板が豊富だったのに、自然派以後は小説に対する考えがマジメになって、文壇の習慣が窮屈になった。しかし要するに習慣であるから、いつ改めてもいいようなものである。」(前掲書所収「文学のいろいろ」より)

 勃興したての大衆文学陣営=直木賞委員会を、文壇の一部だとか見なすと、眉をひそめる人たちが、そこかしこにいたことでしょう。本来、直木賞はそういう一派のかもしだす窮屈な感じから自由でいられる存在だったはずで、そんな観点から獅子文六の肩の力のぬけた軽い小説群に賞をやってもいいんじゃないの、っていう空気が出てきたわけです。

 でも残念、時の直木賞の選んだのは、窮屈な方向の道でした。なにも好きこのんで、そんな困難なほうに行かなくてもよかったのに。自由で広々とした場所には、獅子文六にしろ徳川夢声にしろ、恰好の救世主たちが現れていたのに。……直木賞委員会の方々も、やはりマジメすぎたんでしょうか。

 そう考えると、昭和10年代の窮屈さ代表=『オール讀物』、自由さ代表=『新青年』だったと見ることができるかもしれません。ううむ、やはり水谷準は偉大だ。

「小説という面倒臭い、原稿紙に一杯字を書かねばならぬ仕事は、毛頭やる気はなかったのだが、ふとしたハズミで書いてしまった。雑誌「新青年」で、杉山平助氏ともう一人誰だったか、平常(ルビ:ふだん)小説を書かぬ人に小説を書かせる企画で、僕もその選に入れられた。(引用者中略)「八幸会異変」という題のそれが、つまり、処女作というものだが、まことに処女を破るという事情は、つねに慌しきものである。

 すると翌月、同誌のJ・M氏は、今度は、連載小説を書けといってきた。」(前掲書所収「ユーモア小説懺悔」より)

 これが、「いったいこの妙ちくりんなペンネームの正体は誰だ」とちょっと話題を起こした処女長篇「金色青春譜」誕生のくだり。『『新青年』読本全一巻 昭和グラフィティ』(昭和63年/1988年2月・作品社刊)の「獅子文六」の人物紹介によると、「これは、大衆文学論の盛んになった状況に対して新しい大衆小説をめざした編集部の肝煎りもあり、」と表現されています。

 まあ、そのうち『新青年』もいろいろと窮屈になっていっていっちゃうわけですけど、同誌の生んだ(?)二大ユーモア作家、文六と夢声はともども、直木賞についてはカスった程度で終わってしまいます。木々高太郎さんあたりが、直木賞にとってギリギリ背伸びの限度だったのかもしれません。

 モダーンな香りただよう『新青年』出身作家の名に恥じず、『遊覧列車』は、パリ帰りの岩田豊雄こと獅子文六の西洋ネタが満載です。「久里岬土産」とか「巷に歌あらん」とかの日本物もワタクシは好きなんですけど、ここではやっぱり、パリ物のなかから「血と泥濘の事件」を紹介させてもらいます。

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2009年3月 8日 (日)

いちじるしく低俗なバカ騒ぎに、よくぞ5度もお付き合いいただきました。 第133回候補 絲山秋子『逃亡くそたわけ』

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第133回(平成17年/2005年・上半期)候補作

絲山秋子『逃亡くそたわけ』(平成17年/2005年2月・中央公論新社刊)

 このあいだこっそり開催しました「最近10年間の直木賞候補作、重量ランキング」では、みごと最軽量の栄冠に輝きました。

 いや、そんなの小さなことです。それ以外に絲山ねえさんは直木賞の場にくっきりと鍬の跡を残していってくれました。およそ30年も前、昭和49年/1974年下半期に阪田寛夫がなしとげて以来、だれも実現することのできなかった「直木賞候補の経験のある人が、芥川賞を受賞する」わざを、久しぶりに決めてくれたことです。

 へ。芥川賞だって直木賞だって、大して違いなんかないじゃん。絲山さんが直木賞じゃなくて芥川賞の側で表彰されたのも、たまたまでしょ。角田光代車谷長吉山田詠美が直木賞をとったのがたまたまだったように。……っていう一般的な感覚には、ワタクシも心の底から同意します。同意しますが、それで終わったんじゃ面白くありません。昔はよくあったのに、最近じゃあグンと数の減ってきた「直木賞と芥川賞と、一人の作家がまたがって候補になる」現象が、せっかく平成17年/2005年に起きたんですもん。もう少し考えを押し進めさせてください。

 まずひとつ、こんな考え方があります。芥川賞は大手商業純文学誌(『文學界』『新潮』『群像』『すばる』『文藝』)にのった短篇のなかから選ばれる、直木賞は大手出版社から出された単行本のなかから選ばれる、それ以外に明確な違いはない。とくに作品のジャンルや質など、どっちがどっちと規定できるものは、なくなったと見ていい。

 と、こんなことを言うと、直木賞畑の面々がやった座談会にたいして「不勉強だ」とブチ切れた笙野頼子さん辺りは憮然とするでしょう。でもたしかに、文学がどうだとか触れずに、このくらいわかりやすい枠組みをつくったほうが、賞の運営側からすれば、よけいな波風を起こさずにスムーズに事が運びます。運営効率の面でみれば、「この小説は大衆文学の一種だ」「いや、なにぬかす、こりゃ断然、純文学だ」と不毛な議論で時間を浪費するより、媒体によって振り分けちゃったほうが、ハナシは早いはずです。

 いまじゃ、直木賞と芥川賞では、下読み担当グループもはっきりと分離しているそうですし。直木賞のほうで候補にしようと思っていたものが、芥川賞のほうでも同じこと考えていて、なんて事態が発生したら、どっちの候補にするか、いちいち会議しなきゃいけません。そんなの非効率です。それをなくすために、最初から子供でもわかる枠組みを決めておく。なるほど。納得です。

 そこまではわかります。ああ、そうか、だから『逃亡くそたわけ』は直木賞の戦場に送り込まれたのか、と推察はできます。じゃあ同じような例――純文学誌を活動の場としている作家が単行本を出して、それが直木賞ではかられた例が、過去にはどんなものがあったのかな、とさかのぼっていきますと、こんな感じになるでしょうか。

 お、同人誌からの刺客が登場しましたので、ここらで止めときましょう。

 なにい、内田春菊って純文学系かあ? ってツッコミもあるかと思いますが、まあコラえてください。

 それにしても少ないなあ。これしかないんですか。「純文学と大衆文学に垣根はなくなった」と威勢のいい文句が、事あるごとに鬼の首をとったかのように繰り返し言われている割りには。

 補足の資料として、ここに山本周五郎賞の候補作を差し挟んでみるのも面白いかもしれません。あちらは賞の発足から単行本オンリー、直木賞みたく紆余曲折の末にいまのような枠組みを手に入れたわけじゃありませんけど。島本理生『ナラタージュ』(平成16年/2004年度)、吉田修一 『パレード』(平成13年/2001年度)。それ以前はずっと間隔があいて、中村隆資『地蔵記』(平成3年/1991年度)、吉本ばなな『TUGUMIつぐみ』(昭和63年/1988年度)、久間十義『聖マリア・らぷそでぃ』(同)、干刈あがた『黄色い髪』(昭和62年/1987年度)。

 おお、山周賞は第5回(平成3年/1991年度)までは同時期の直木賞にくらべて案外、純文学系にも目を向けていたんだな、でもそっから先は、より「直木賞風」の候補ラインナップになっていったんだな。などと、直木賞―山周賞の比較論に発展していけそうです。でも長くなりそうなので、今はやめときます。

 それはそうと、ですね。山周賞も直木賞も「単行本のなかから候補をえらぶ」ルールには則っているんですけど、なんか咽喉の奥に魚の骨がひっかかったような感覚に襲われませんか。奥歯にモノが……っていう比喩でもいいです。大衆文学の賞で、純文学誌をにぎわす作家を取り上げるときの、どうにもモヤモヤした感じ。何なんでしょうね、これは。

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2009年3月 1日 (日)

危険を避けて安全を求めるのが世の流れ。そんな生存本能からハミ出した“異候補”。 第125回候補 田口ランディ『モザイク』

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第125回(平成13年/2001年・上半期)候補作

田口ランディ『モザイク』(平成13年/2001年4月・幻冬舎刊)

 そのとおり。この作品を取り上げると決めた瞬間から、どうしたって今日のエントリーはブラックな話題にならざるを得ないんです。でも、そうであればあるほど、ワタクシには俄然、反発心が芽生えてきます。今日は、できるだけ黒グロしいハナシにならないように、努力してみます。

 『モザイク』のなかに、片山洋次郎さんの『気ウォッチング』(平成6年/1994年3月・日本エディタースクール出版部刊)の一部を無断で使用したところがある、そして田口ランディさんもそれを認めて謝罪した、ってことが平成14年/2002年2月に新聞やらテレビやらで報道されたぐらいなら、『モザイク』を覆うブラックなイメージもまだ可愛いものでした。これを真っ黒い印象で塗りたくって人びとの脳裏に焼きつけるにいたったのは、何と言っても大月隆寛さんが音頭をとった『田口ランディ その「盗作=万引き」の研究』(平成14年/2002年11月・鹿砦社刊)なる、A5判、ソフトカバー、全382ページの追及本が、かなりのひんしゅくとともに刊行されたことにあります。

 彼らが追及するうえでの物的証拠その1、『モザイク』はたまたま(?)直木賞候補作でした。なもんですから、坊主憎けりゃ何とやら、と言いますか、いや、そもそも昨今の文芸出版なるものはほんとに胡散くさいなあ、という前提がこの本のベースには横たわっていて、ランディさんだけでなく直木賞のことも、ちょこっとネタにされています。

「田口ランディは「パクリ」をやった。「パクリ」まくって直木賞候補になった。「無断引用」とかなんとかきれいごとぬかしてやがるが、ごまかしてんじゃねえ、こりゃ正しく「パクリ」だ。」(同書所収 大月隆寛「ようこそジャングルへ――田口ランディ「万引き」問題について」より)

「田口の作品自体にしても然りで、内容が希薄な上に元ネタは盗作。作者に親近感が沸かないワケがありません。また薄っぺらい内容に「直木賞候補」や「映画化」といった錦の御旗をワンサと与えたせいで、薄っぺらい人間がワンサカ寄ってきたのも当然の帰結と言えるでしょう。」(同書所収 廉大烈「哀しいかな、平凡――田口読者は自分史自慢の核融合炉」より)

 あらあら、このまま引用していくと、やっぱり当エントリーもブラックに染まっていく気がするぞ。二つで止めておきます。

 と言いつつ、あとひとつだけ。槙村達史さんの「田口とインパク、その顛末記――「インターネットの女王」がもっとダメにしたインパク」なる記事があります。ここではすべての小見出しを、直木賞の受賞作・候補作名のパロディで統一する、という念の入れよう。直木賞ファンとしてはちょっと嬉しくなっちゃったので、槙村さんの付けた小見出しを紹介させてもらいます。

 ……「インパクのごたく」(“ごとく”の誤植?)「選ぶのに、安全でも適切でもありません」「企画の谷の五月」「編集長ごっこ」「止まった更新曲」「田口ランディの因果な性格」「野狐禅の言葉」「カンボジアぶらぶら節」「複製するは我にあり」「任期の谷間」「秋・田口の再来」「丸投げのステラ」「編集長期間に間に合えば」「それぞれの終楽章」(お、これだけそのまんまだ)「ベトナム観光、公費?」「追い詰められる」「インパクすんで日がくれて」……。

 ランディさんが、どれほど“パクッた”かは、ワタクシは詳しくないので何も言いません。当時はたしかに、『コンセント』から『アンテナ』、そして『モザイク』とつづく短期間での書き下ろし出版、やたらと「インターネット出身」を売り文句にする販売宣伝手法などがあって、ううむ、出版界のやんちゃ坊主「幻冬舎」っぽいな、とは思わされましたけど。

 作家・田口ランディの生みの親、編集者の芝田暁さんが、平成16年/2004年に幻冬舎を辞められて、“三部作”の版元も、おっとびっくり幻冬舎から新潮社に鞍替え。この三つの作品が新潮文庫に入るにあたって、ランディさんが三つとも新たに「あとがき」を書かれています。あのブラックな攻撃をうけた頃のことも何か書いてくれるかな、と期待したんですが、いや、ランディさんはそういうかたちの読者サービスはお好みでないようで。

 たとえば『モザイク』では、参考文献の次のページ、文庫編集部が書いた(と思われる)次の一文にのみ、ブラックな頃の痕跡をとどめています。

「この作品は二〇〇一年四月幻冬舎より刊行され、改稿後、二〇〇三年四月幻冬舎文庫に収録された。」(太字・下線引用者)

 で、この騒ぎは“騒いでいるやつだけが騒いでいる”(当たり前か)っていう現象のまま、ずるずると日は流れました。この一件には、あの、ページをめくるたびにワクワクする栗原裕一郎さんの名著『〈盗作〉の文学史――市場・メディア・著作権』(平成20年/2008年6月・新曜社刊)によれば、それまでのあまたの騒ぎとは違う特徴があるそうです。活字媒体はほとんど関心を示さず、ネット上でのみ加熱した騒ぎだったんですね。

「活字媒体での扱いは皆無にちかかったにもかかわらず、しかし、田口の事件にかんする資料は、おそらく盗作事件史上もっとも充実している。というのも、田口の盗作疑惑が取り沙汰されはじめたのがネット、具体的にはゴシップ系メール・マガジン「サイバッチ!」および「2ちゃんねる」でのことであり、二〇〇一年五月に疑惑が浮上して以来、執拗に追及されつづけ、わずかな情報でも片っ端から「検証サイト」にストックされていったからだ。」

「活字媒体がほとんど取り上げなかったので、文芸関係者や文化人知識人からの見解や議論も皆無にちかい。」

 活字媒体の一部である直木賞の側も、当然、無風でした。この騒ぎからじきに訪れる直撃弾「半落ち事件」のときですら、直木賞は無言を決め込んだくらいですから、いちいち、一候補作のそんな騒動でピクリとも動くはずがありません。大人だねえ。冷静だねえ。

 と、そこで終わってしまっては面白くありません。たとえ無風であろうとも、そこに何がしかの風を求め、むりやりにでも直木賞を見つめてこそのオタクです。

 はて。田口ランディさんが直木賞にもたらしたものとは。何でしょう。……考察のスタート地点は、まずはやっぱりあれかなあ。「幻冬舎」かなあ。

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