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2009年3月29日 (日)

「三田派」にとっては異端で傍流だとしても、直木賞のなかでは「三田派」の正統。 第27回候補 渡辺祐一「洞窟」

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第27回(昭和27年/1952年・上半期)候補作

渡辺祐一「洞窟」(『三田文學』昭和27年/1952年1月号)

 この時代に出現した数々の名候補作のなかから、何を取り上げようかと悩みました。

 ここ何週かミステリー畑がご無沙汰ですから、氷川瓏こと渡辺祐一「洞窟」にしようかな、いや、ふしぎ小説で再評価の機運高まる三橋一夫の『天国は盃の中に』にしようかな。おっと、日本探偵作家クラブ賞を受けつつ直木賞の場では歯牙にもかけられなかったビリヤード屋のおやじ、永瀬三吾の「売国奴」もいいなあ。でもこれは第32回(昭和29年/1954年・下半期)の候補だから、順番からして今週取り上げるわけにはいかないか。

 挙句に選んだのが「洞窟」なんですけど、あれ、この三人って偶然にも共通点があるじゃないですか。そしてその共通点は、明らかにこの時代の直木賞を語る上で、忘れちゃならない重要な意味を含んでいるじゃないですか。

 それは「三田派」である、ってことです。

 もとい、三人とも『三田文学』誌に作品を発表したことがあって、「やや三田派」である、ってことです。

 永井荷風とか水上瀧太郎とかの『三田文学』を研究している人たちは、まず絶対に、直木賞にあらわれた『三田文学』のことになんぞ興味がないと思います。でも直木賞の側では、ほんの一時期、賞の新しい方向性をになうものとして、『三田文学』をターゲットにしたことがありました。直木賞と『三田文学』の関係、は十分にテーマになり得るんです。

 前回この時代を扱ったエントリーでは、松本清張の「或る『小倉日記』伝」を持ってきましたが、これなんてまさしくそうです。それから、和田芳恵が昭和39年/1964年にとうとう直木賞をとるにいたったその礎は、昭和20年代の『三田文学』にあります。礎って意味では、藤井千鶴子だってそう、一色次郎こと大屋典一だってそう。のちに純文学大嫌い人間になる柴田錬三郎だって、直木賞受賞作「イエスの裔」は『三田文学』で地味に文学修業していた頃の作品だったりします(そしてこれが同誌から生まれた唯一の直木賞受賞作)。

 この時期、なんで『三田文学』から直木賞の候補作が次々に選ばれているのか。もちろん、木々高太郎が選考委員をしていたからです。中でも渡辺祐一や藤井千鶴子は、木々が『三田文学』から離れた後も、木々のグループに属して『小説と詩と評論』に参加したりします。

「もともと純文学指向のあった著者(引用者注:氷川瓏)は、木々高太郎が編集に当っていた「三田文学」に本名で「天平商人と二匹の鬼」(五一年九月号)、「洞窟」(五二年一月号)の二篇を発表、後者は三橋一夫の長篇『天国は盃の中に』などとともに五二年度上半期の第二七回直木賞候補になっている。」

「江戸川乱歩賞の予選委員を長く務めるなど、ミステリ界とのつながりは保っていたものの、創作の分野では純文学の方向に大きくシフトし、六一年から同人誌「文学造型」を主宰。六三年からは木々高太郎が主宰した「詩と評論と小説」(原文ママ)にも参加している。」(平成15年/2003年8月・筑摩書房/ちくま文庫『怪奇探偵小説名作選9 氷川瓏集 睡蓮夫人』所収 日下三蔵「解説」より)

 たぶん渡辺さんの『小説と詩と評論』への関わり方は、だんだん参加なんてレベルを超えていきまして、中心的同人になっていきます(はじめからそうだったかもしれません)。昭和45年/1970年~昭和46年/1971年に『木々高太郎全集』全6巻が編まれたとき、第6巻に収録する随筆をえらぶにあたって、その任にあたったのは、医学の面からは須田勇、文学の面からは渡辺祐一さんでした。よほど渡辺さんが木々さんと近い存在であったかを想像させます。

 昭和20年代は、なにしろ今と違います。選考委員たちは、いずれも旧時代に育った人たちです。「旧時代」っていうのは、以前のエントリーで述べたように、「候補作は文春側・運営者側がえらぶのではなく、選考委員が決めるもの」という土壌のあった時代のことです。ですので、この時期、木々高太郎さんが自分が編集に参画していた『三田文学』から、数多く候補作をひっぱり上げてきているのは、当然の流れとも言えます。

 ただ、他の『三田文学』関係者とのあいだに、多少なりとも確執を生んだようですけど。

「昭和二十八年の暮にわたし(引用者注:松本清張のこと)は朝日新聞東京本社業務局広告部勤務となって出京した。目黒区祐天寺の木々高太郎氏の宅をしばしば訪問するようになり、木々氏はどういうつもりか、わたしを「三田文学」の編集委員にされた。ほかに和田芳恵さんが「任命」された。和田さんも慶応とは縁もゆかりもない。そのころ「三田文学」を長くみてこられた佐藤春夫氏と木々氏とのあいだが険悪であった。原因はいまもってはっきりわからないが、どうやら「三田文学」の編集方針が木々先生の独断専行の傾向にあるというのを佐藤氏が憤られたらしい。」(平成8年/1996年2月・文藝春秋刊『松本清張全集65』所収「運不運 わが小説」より)

 清張・芳恵のみならず、渡辺祐一さんも(おそらく藤井千鶴子さんも)慶應とは関係のないところから出てきていますからね。木々ナントカちゅう、医学部出の、くだらん大衆文学ばかり書いとるような奴に、なんで伝統ある『三田文学』をかき回されなきゃいかんのだ、と苦々しく思う人がいても、まあおかしくはないでしょう。

          ○

 『三田文学』に載った「洞窟」は、いまでは前掲した日下三蔵さん編集のちくま文庫・怪奇探偵小説名作選によって、かなり手軽に読めるようになりました。三蔵さんのお仕事に深く感謝しなくちゃなりません。ありがとうございます。

 ちくま文庫に入れた功績もさることながら、三蔵さんいわく「純文学志向」の高いと思われる同作を、なぜか「怪奇探偵小説」の仲間として解釈して、収録対象の一篇として選んでくれたんですもの。これが嬉しくてなりません。

 この小説、冒頭で一人の女が絞め殺されます。場所は洞窟のなか、殺ったのは「私」です。

 「私」が女を殺すにいたる経緯、それが語られていきます。

 「経済展望」なる月刊誌を出している小さな出版社に「私」は勤めています。いつの頃からか「私」は自分の人生に嫌悪感をいだいていました。それは自分が、何事に対しても喜びも悲しみも感じない、つねに平坦な感情しかもちえない人間だったからです。

 ある日、「私」は財界のホープ、松村耕輔を取材することになります。松村耕輔……じつは「私」には忘れることのできない男でした。「私」が以前心を寄せた女性、藤本美紀子、あと一歩で結ばれるはずだったその女性が、いまは松村と結婚していたからです。

 美紀子は、「私」にはじめて日本のブルジョアジーの生活をかいま見せてくれた女性でした。美紀子の父は、相模製作所の社長でした。戦後急逝してしまい、美紀子は重役だった松村と結婚。松村が社長になってから、相模製作所は大きく飛躍しました。

 かつて美紀子と交際していた当時に何度か通った豪邸に、「私」は松村への取材というかたちで、いま訪れます。そのとき、美紀子も在宅していました。しかし、目線を交わし合ったものの、「私」はとくに彼女と会話することはありませんでした。

 帰途、「私」はふらりと、海岸線にある洞窟まで足をのばします。じつはこの洞窟こそ、8年前、「私」と美紀子に、現在までの運命を決定づけることになった、いわくつきの場所だったからです。……

          ○

 三田派の文人といって、直木賞のハナシをするならば、木々高太郎以上に「問題視」しなきゃいけない方がいます。小島政二郎さんです。直木賞委員のくせして文学かぶれの強い人の代表とは? と問われて半分以上の人は、木々高太郎と小島政二郎のふたりの名を挙げることでしょう(たぶん)。

 でも、この二人、畑ちがいのところから強引に割り込んできた感のある木々さんに比べて、政二郎さんは根っからの文学派です。それこそ旧時代も旧時代の人間です。

 過去の選考状況を見返すと、木々さんと衝突することもあったらしく、さて佐藤春夫が憤った木々の『三田文学』占領作戦を、政二郎さんはどう見ていたんでしょうか。興味がわいてくるところです。

 以下、『三田文学』に載った柴田錬三郎「デスマスク」についての両者の応酬。木々さんの選評より。

「この作品(引用者注:「デスマスク」)は芥川賞にも候補になっているそうだが、怪奇的のものを強く注目すると、直木賞に入れて、賞の声価を恥かしめぬと主張したのである。(引用者中略)ところが、これに圧倒的な否定を投げたのが小島政二郎で、「デスマスクは虚構の露呈されたものだ。自分は二三度読もうとしたがとうとうしまいまで読めなかった」という。それで同氏は久米正雄の伝言も添えて、源氏鶏太を押した。」『オール讀物』昭和26年/1951年9月号選評「賞の範囲の問題」より)

 ちなみに、これに続いて久米正雄の伝言のなかみも書いてあります。つまりは、源氏鶏太だけでは物足りないので村松梢風の「近代作家伝」もいっしょに授賞にすればちょうどよい、というものだったそうです。さすがに梢風さんクラスの大家にまで賞の範囲を広げるのはどうか、ってことでハナシは立ち消えになったらしいんですが、村松梢風といえや、こちらもやっぱり三田出身。いやあ偶然にしろ、三田文人がこんなふうにも取り沙汰されていたなんて。

          ○

 時代はくだって、平成10年/1998年。昭和36年/1961年生まれの慶應義塾大学卒業生、村松博文さんが『三田文学における慶応的アカデミズム』(平成10年/1998年8月・文藝書房刊)を上梓しています。

 結論として村松さんは、慶應義塾の文学のコアとは、それは東大にもない、早稲田にもない、慶應にしかない「気品」である、と語っています。そういった観点から、村松さんの目によって三田の作家として認められ、項を割かれている直木賞受賞・候補作家は、以下のような人たちです。

 柴田錬三郎獅子文六村松友視。のちに直木賞の選考委員に就いたってことでは石坂洋次郎も、ここに加えていいかもしれません。

 また、広く三田派文人の意味、と断って慶應出身とは限らないが『三田』と関わりのある作家が一覧で紹介されています。そのなかには、大林清平田敬つかこうへい三好京三高橋昌男諸星澄子金川太郎摂津茂和、それから鈴木光司大沢在昌なんて人たちの名が挙げられています(この方たちはみな、慶應を卒業または中退しています)。

 残念ながら、冒頭で触れた渡辺祐一三橋一夫永瀬三吾のお名前は入っていません。とくにバリバリの慶應ボーイ、三橋さんの名が見えないのが寂しいかぎりです。

 でも、三橋さんを「三田派」として見なしても、さほど不思議ではありません。

「その、ユーモアと健康なエロティシズムと庶民的倫理感にみちあふれた明るい世界は、これからも残るし、日本文学史上に燦然とその光を輝かせるだろう。」

 という一文は、村松さんが師とあおぐ石坂洋次郎に対する評価です。これに対して、次に掲げるのは、三橋一夫作品に思い入れ深き東雅夫さんの文章です。ちょっと似ています。

「初期の純愛小説から不思議小説、ユーモア小説、健康書と続く、三橋一夫の文筆家としての変遷は、いっけん脈絡がないようだが、その実いたって緊密に作者の資質と結びついている。ある意味で、作者は〈明るい、優しい、健康な作品を!〉という初志を頑固に貫いてきたともいえよう。」(平成4年/1992年6月・国書刊行会刊『探偵クラブ 勇士カリガッチ博士』所収「不思議作家の不思議人生」より)

 ユーモアがあって、健康的で、庶民的な小説。なんてくくると、石坂洋次郎や三橋一夫、それから獅子文六など、慶應出身で、気品と余裕のある青年時代を送った作家たちの特徴だ、となりそうです。でも別に、そうでなくたっていろんな環境育ちの人が似たようなもの書いているじゃないか、とツッコミが入りそうですけど。

 いやまあ、少なくとも獅子文六と三橋一夫に関しては、直木賞からしてみれば、そういうのは直木賞には要らん、と拒否されました。同じユーモアものでも、お眼鏡にかなったのは、源氏鶏太みたいなもののほうでした。きっと、富裕層ゆえに滲み出るエスプリとか気品とか(要は『新青年』風ユーモア、と換言したら乱暴すぎますか)、そういうものは直木賞とはソリが合わなかったんでしょう。

 第27回当時の選考委員、小島政二郎や木々高太郎はいいとして、川口松太郎吉川英治永井龍男の低学歴三銃士にとっては、海外留学? へっ、なんだそんなもん、って感触だったのかもしれませんもんね(ちなみに、吉川さんの名誉のために言っておくと、『天国は盃の中に』を多少でも評価した選評を書いてくれたのは、吉川さんだけでした)。

 さて、では渡辺祐一の「洞窟」はどうでしょう。これは病的であってユーモアに乏しいけれど、気品があると言えば言えるでしょう。角度によっては「三田的」ととらえても許されるはずです(松本清張の「或る『小倉日記』伝」を三田的とみるならば)。

 選評上は、木々さん・吉川さん以外には黙殺されちゃいましたけど、直木賞が、もうひとつの文学賞とは違う「文学」を、すくい取って上げようとしていた痕跡って意味で、重要な候補作だと思います。

 いっけん純文学風、でも純・純文学(ヘンな言葉だな)とまでは言えないし、また大衆におもねったりもしていない小説。なにか○○文学といった枠組みのなかで語るのは憚れるような無着色な小説。木々高太郎さんが『三田文学』で画策していたこと、そして『小説と詩と評論』に託そうとしていたことは、案外、そんな小説をどんどん誕生させることだったのかなあ、と思わされます。

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コメント

渡邉祐一さんの名前をみて懐かしくなり一筆しました。
同人誌「文学造型」主宰渡邉夫人洋子さんのお世話になりました。
洋子さんもとてもすてきな文章を書く方で、ピカいちの短文のかずかずが印象に残っています。
祐一さん亡き後、同人誌を必死に維持されてましたが、解散の結果となったのはやむをえないことでした。
それはそれでも残念なことです。江戸川乱歩の逸話など貴重な文学界の裏話をいろいろご存知の方なのでこのままではもったいないと思います。なにかの機会に書いてくださることを念願しています。
                                      

投稿: 郷田 豪 | 2013年7月 6日 (土) 11時17分

郷田さん、

コメントありがとうございます。
そうなんですか、渡辺祐一さんはご夫婦で同人誌をされていたのですか。
はじめて知りました。
貴重な文学界の裏話、ぜひ洋子さんには書いてほしいと、
ワタクシも切に願います。

投稿: P.L.B. | 2013年7月10日 (水) 00時50分

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