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2009年3月 1日 (日)

危険を避けて安全を求めるのが世の流れ。そんな生存本能からハミ出した“異候補”。 第125回候補 田口ランディ『モザイク』

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第125回(平成13年/2001年・上半期)候補作

田口ランディ『モザイク』(平成13年/2001年4月・幻冬舎刊)

 そのとおり。この作品を取り上げると決めた瞬間から、どうしたって今日のエントリーはブラックな話題にならざるを得ないんです。でも、そうであればあるほど、ワタクシには俄然、反発心が芽生えてきます。今日は、できるだけ黒グロしいハナシにならないように、努力してみます。

 『モザイク』のなかに、片山洋次郎さんの『気ウォッチング』(平成6年/1994年3月・日本エディタースクール出版部刊)の一部を無断で使用したところがある、そして田口ランディさんもそれを認めて謝罪した、ってことが平成14年/2002年2月に新聞やらテレビやらで報道されたぐらいなら、『モザイク』を覆うブラックなイメージもまだ可愛いものでした。これを真っ黒い印象で塗りたくって人びとの脳裏に焼きつけるにいたったのは、何と言っても大月隆寛さんが音頭をとった『田口ランディ その「盗作=万引き」の研究』(平成14年/2002年11月・鹿砦社刊)なる、A5判、ソフトカバー、全382ページの追及本が、かなりのひんしゅくとともに刊行されたことにあります。

 彼らが追及するうえでの物的証拠その1、『モザイク』はたまたま(?)直木賞候補作でした。なもんですから、坊主憎けりゃ何とやら、と言いますか、いや、そもそも昨今の文芸出版なるものはほんとに胡散くさいなあ、という前提がこの本のベースには横たわっていて、ランディさんだけでなく直木賞のことも、ちょこっとネタにされています。

「田口ランディは「パクリ」をやった。「パクリ」まくって直木賞候補になった。「無断引用」とかなんとかきれいごとぬかしてやがるが、ごまかしてんじゃねえ、こりゃ正しく「パクリ」だ。」(同書所収 大月隆寛「ようこそジャングルへ――田口ランディ「万引き」問題について」より)

「田口の作品自体にしても然りで、内容が希薄な上に元ネタは盗作。作者に親近感が沸かないワケがありません。また薄っぺらい内容に「直木賞候補」や「映画化」といった錦の御旗をワンサと与えたせいで、薄っぺらい人間がワンサカ寄ってきたのも当然の帰結と言えるでしょう。」(同書所収 廉大烈「哀しいかな、平凡――田口読者は自分史自慢の核融合炉」より)

 あらあら、このまま引用していくと、やっぱり当エントリーもブラックに染まっていく気がするぞ。二つで止めておきます。

 と言いつつ、あとひとつだけ。槙村達史さんの「田口とインパク、その顛末記――「インターネットの女王」がもっとダメにしたインパク」なる記事があります。ここではすべての小見出しを、直木賞の受賞作・候補作名のパロディで統一する、という念の入れよう。直木賞ファンとしてはちょっと嬉しくなっちゃったので、槙村さんの付けた小見出しを紹介させてもらいます。

 ……「インパクのごたく」(“ごとく”の誤植?)「選ぶのに、安全でも適切でもありません」「企画の谷の五月」「編集長ごっこ」「止まった更新曲」「田口ランディの因果な性格」「野狐禅の言葉」「カンボジアぶらぶら節」「複製するは我にあり」「任期の谷間」「秋・田口の再来」「丸投げのステラ」「編集長期間に間に合えば」「それぞれの終楽章」(お、これだけそのまんまだ)「ベトナム観光、公費?」「追い詰められる」「インパクすんで日がくれて」……。

 ランディさんが、どれほど“パクッた”かは、ワタクシは詳しくないので何も言いません。当時はたしかに、『コンセント』から『アンテナ』、そして『モザイク』とつづく短期間での書き下ろし出版、やたらと「インターネット出身」を売り文句にする販売宣伝手法などがあって、ううむ、出版界のやんちゃ坊主「幻冬舎」っぽいな、とは思わされましたけど。

 作家・田口ランディの生みの親、編集者の芝田暁さんが、平成16年/2004年に幻冬舎を辞められて、“三部作”の版元も、おっとびっくり幻冬舎から新潮社に鞍替え。この三つの作品が新潮文庫に入るにあたって、ランディさんが三つとも新たに「あとがき」を書かれています。あのブラックな攻撃をうけた頃のことも何か書いてくれるかな、と期待したんですが、いや、ランディさんはそういうかたちの読者サービスはお好みでないようで。

 たとえば『モザイク』では、参考文献の次のページ、文庫編集部が書いた(と思われる)次の一文にのみ、ブラックな頃の痕跡をとどめています。

「この作品は二〇〇一年四月幻冬舎より刊行され、改稿後、二〇〇三年四月幻冬舎文庫に収録された。」(太字・下線引用者)

 で、この騒ぎは“騒いでいるやつだけが騒いでいる”(当たり前か)っていう現象のまま、ずるずると日は流れました。この一件には、あの、ページをめくるたびにワクワクする栗原裕一郎さんの名著『〈盗作〉の文学史――市場・メディア・著作権』(平成20年/2008年6月・新曜社刊)によれば、それまでのあまたの騒ぎとは違う特徴があるそうです。活字媒体はほとんど関心を示さず、ネット上でのみ加熱した騒ぎだったんですね。

「活字媒体での扱いは皆無にちかかったにもかかわらず、しかし、田口の事件にかんする資料は、おそらく盗作事件史上もっとも充実している。というのも、田口の盗作疑惑が取り沙汰されはじめたのがネット、具体的にはゴシップ系メール・マガジン「サイバッチ!」および「2ちゃんねる」でのことであり、二〇〇一年五月に疑惑が浮上して以来、執拗に追及されつづけ、わずかな情報でも片っ端から「検証サイト」にストックされていったからだ。」

「活字媒体がほとんど取り上げなかったので、文芸関係者や文化人知識人からの見解や議論も皆無にちかい。」

 活字媒体の一部である直木賞の側も、当然、無風でした。この騒ぎからじきに訪れる直撃弾「半落ち事件」のときですら、直木賞は無言を決め込んだくらいですから、いちいち、一候補作のそんな騒動でピクリとも動くはずがありません。大人だねえ。冷静だねえ。

 と、そこで終わってしまっては面白くありません。たとえ無風であろうとも、そこに何がしかの風を求め、むりやりにでも直木賞を見つめてこそのオタクです。

 はて。田口ランディさんが直木賞にもたらしたものとは。何でしょう。……考察のスタート地点は、まずはやっぱりあれかなあ。「幻冬舎」かなあ。

          ○

 『モザイク』の前に、まずは同じく直木賞候補となった『コンセント』(第124回 平成12年/2000年下半期)のほうから行きます。

 ワタクシの手元にある『コンセント』は、第14刷です。第1刷が平成12年/2000年6月10日、第14刷が平成12年/2000年12月25日。じゅうぶん話題になっちゃった後の大増刷段階のものなので、オビもまた、それらしいものになっているんでしょうが、その様子をうかがうためにオビの文を引用してみます。

「兄はなぜ引きこもり、生きることをやめたのか?

書評家各氏絶賛、TBS系列「王様のブランチ」松田哲夫の「気になる一冊」上半期ベスト2!

すごい新人が出てきたものだと感服の一語。――北上次郎(北海道新聞7/15夕刊より)

僕がこの10年で読んだ中で最も上質で面白かった小説のひとつだ。――村上龍

幻冬舎創立六周年記念特別作品 書き下ろし」

 ここで覚えておいておきたいキーワードは二つ。「新人」そして「書き下ろし」です。

 その初版からわずか4か月後の平成12年/2000年10月に二作目の『アンテナ』が出て、年が明けて1月には『コンセント』が第124回(平成12年/2000年・下半期)の候補作となり、息をつかせずに4月には三作目の『モザイク』が刊行されます。

 そのときのオビは、こんな感じでした。

「まもなく渋谷の底が抜ける。

澁谷は完全に

電子レンジ化する。

精神病院への移送途中、逃亡した14歳の少年は、霧雨に濡れるすり鉢の底の街に何を感じたのか?

知覚と妄想の狭間に潜む鮮烈な世界を描く最高傑作!

書き下ろし」

 また出てきましたね。キーワード「書き下ろし」が。

 売れるとなったら、熱の冷めないうちにあわてて二作、三作と送り込んでいるところなぞが、まったく幻冬舎の商売人気質フル回転なところです。そして、その要求に応えちゃったランディさんもランディさんで、そのスピード感がまた、とやかく言われるもとになっちゃうんでしょうからに。

          ○

 ランディさんも当時のことは、日記に書いていましたね。

「三月十一日(日)(引用者中略)

 ゲラが夕方上がるとのこと。もう来月二十三日には『モザイク』が配本されているらしい。すごいスピードだなあ。なんだかあまりにもスピードが早くて怖いほどだ。」『くねくね日記』平成14年/2002年5月・筑摩書房刊)

 このころのランディさんは、徐々に名が売れてきていて、仕事も抱えきれないぐらい入ってきて、それで幻冬舎の書き下ろしを連続して書いていた頃で、担当編集者・芝田さんとの二人三脚です。

 直木賞は、作家のものでありながら、そうとうな部分は出版社や編集者のものである、とはこのあいだ新人物往来社を取り上げたエントリーで書きました。で、幻冬舎ぐらいになりますと、せっかく文芸書も売っているのだから、景気づけに直木賞のひとつやふたつとりたいものだ、みたいに考えてもおかしくありません。そして幻冬舎らしく、「話題作、かつ受賞作」という、あまり直木賞的でない路線にずりずり入り込んできていて、梁石日『血と骨』(第119回 平成10年/1998年上半期 候補)、天童荒太『永遠の仔』(第121回 平成11年/1999年上半期 候補)と、いずれも下馬評の高い話題作・ヒット作が候補に挙がっていました。

 田口ランディ『コンセント』『モザイク』も、その路線の延長にある候補作です。

 ランディさんも2度の候補(そして落選)を経験して、そんな編集者たちの熱をひしひしと感じ取っていたようです。以下『くねくね日記』から、TBSラジオで鴻上尚史の番組にゲストで出たときの話題から。

「直木賞は欲しいか?

 欲しくない。去年デビューしたばかりで、あんまり賞に対する実感がないからなのかもしれない。そもそも自分が作家だという自覚が私にはまだないのだ。どうにもリアリティがない。別の世界の事のようだ。

「欲しくはないけど、勝手に候補にされて勝手に落とされるのはなんだかすごく腹が立つ」と答えた。正直な気持ちだ。

 幻冬舎の芝田さんは、私が直木賞をとったら嬉しいんだろうなあと思う。みんな「田口さんならそのうち必ずとりますよ」ってなことを言ってくれるのだ。だけど、私にはよくわからない。

 私はおもしろく書きたいだけなんだけどな……。それで、おもしろいことを伝えたいだけなんだけどな。

 この話題が出るだけで、窮屈で、自分の気持ちをうまく伝えられなくて辛い。」(「八月十日(日)自分と/世界が/かい離している」より)

 まあ、ランディさんの思いはさることながら、芝田さんらの強い期待を読み取らずにはいられない一節です。とりたいんだろうな(いや、とらせたいんだろうな)、幻冬舎。

 直木賞には「売れている小説ほど、とりづらい」っていうまことしやかなジンクスがあるんですが、これに幻冬舎はどっぷりハマっちゃいました。それでも次の回で、じみーな乙川優三郎『かずら野』(第126回 平成13年/2001年下半期 候補)を候補に挙げてもらって、その溝から無事に脱出。よかったよかった。

          ○

 ハナシを戻します。「新人」の「書き下ろし」作品のことです。

 これは出版社にとっては、そうとうリスクの伴う商品です。いったいどういうふうに読者たちに受け入れられるか(つまり売り上げに結びつくか)わからないって意味で。でも逆に言えば、文芸編集者たちのやり甲斐が、それだけ大きい商品でもあるでしょう。おのれで発掘した新人作家が、多くの読者を獲得する。成功すればきっと快感です。

 直木賞が「新人発掘機能」ってものを持っているかぎりは、この編集者たちがぞくぞくするリスクと快感は、直木賞にも当てはまります。ほら、選考委員の方々が、本音か建て前かは知りませんけど、「おいらたちが、こんな仕事を引き受けたのは、力のある新人の出現に立ち会えるからだ」といったことを語るのは、つまりそういうことです。

 リスク、と言いました。ええ、ある種、あのランディさんのまわりで勃発した騒ぎもリスクです。なぬ、直木賞ほどの賞が、人の作品を盗作したことも見抜けずに、アホみたいな顔して賞賛して受賞までさせちゃったの? みたいな展開が今後おこらないとも限らないわけで、これは立派なリスクです。

 そして、やはり「新人」の「書き下ろし」ほど、このリスクは高いと言えます。何作も書いて、文芸編集者と付き合いが長くなり、取材のしかたや文献参照のやりかたもわかってきて、かりに他の本を参考にしてもどこまで書いたら問題化するか、学んできた作家であれば、リスクは縮小するだろうと想定できます(決してゼロにはなりませんが)。

 直木賞の対象は、ずぶの新人作家から次第に中堅作家までも視野に入れてシフトしてきている、っていう流れがあります。この流れは、ランディさんが巻き込まれた(引き起こした?)騒ぎに類するリスク回避、って部分もふくめて、けっきょくのところリスクを避けようとする動きでしょう。もちろん、直木賞にとっての最大のリスクとは、「授賞した作家が、その後、まったく作品を発表しない」とか「まるで愚にもつかぬ作品ばっかり発表する」とか、そういうことでしょうけども。

 もうひとついえば、「いろいろ学んできた作家」と言う場合、その学んできた場所にもうっかり落とし穴がある場合がありそうだぞ、って視点も出てくるでしょう。つまり、幻冬舎の文芸と、文藝春秋の文芸、どっちの畑で育ってきた作家のほうが「リスク」が少ないか、って問題です。文芸編集者の目を通っただけの小説処女作と、たとえば公募の文学賞を受賞した小説処女作とでも、比較はできるかもしれません。

 客観的にみて、はて、アノ「サントリーミステリー大賞」とか「文學界新人賞」とかの文藝春秋のほうが、安心できるのか!? と思う人たちがいても、ワタクシは反論しませんが、こと直木賞にとっては、どうか。そりゃあ、直木賞にとってリスクの少ないのは、自分たちの仕事でしょう。

 安全志向。というのは、なにもスーパーに現れる主婦たちの専売特許じゃありません。直木賞もまた、そうです。その流れの中で、ほんの6~7年前に田口ランディさんという「これからの」作家を、勇気をもって候補に入れた冒険心。そうさ、直木賞もまだまだチャレンジする心を忘れてほしくないものです。

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