« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2009年2月の4件の記事

2009年2月22日 (日)

ときに名作は「いまだ直木賞に幻想を抱きつづける人の姿」をもあぶり出す。 第114回候補 服部真澄『龍の契り』

===================================

  • 【歴史的重要度】…flairflairflair 3
  • 【一般的無名度】…flairflair 2
  • 【極私的推奨度】…flairflairflairflair 4

===================================

第114回(平成7年/1995年・下半期)候補作

服部真澄『龍の契り』(平成7年/1995年7月・祥伝社刊)

 第111回第120回の5年間、つまり平成6年/1994年~平成10年/1998年は直木賞にとって「第二次苦悩の時代」とか言われます。

 第二次どころか、ひょっとして第五次・第六次ぐらいの可能性はあるんですけど、それをやり始めると直木賞全史をおさらいしなきゃならないので。こんなブログの一日分ではとても無理です。ここでは第61回第80回の10年間(昭和44年/1969年~昭和53年/1978年)を、「第一次苦悩の時代」ととらえることにします。

 第一次のことは、ほんの4週間前のエントリーで書いておきました。山田正紀さん『火神を盗め』あたりの、あの頃です。

 そのとき方向転換して、直木賞は徐々に、無難で当たりさわりのない「出版界のおまつり」の座に徹していきました。そして、ほぼその路線は成功していました。

 成功でしょう。だって第93回(昭和60年/1985年・上半期)以来、約9年間、一度もとぎれることなく受賞作を出しつづけたんですから。受賞作ナシを出さない、っていうその姿勢は、まつりとして興行として、最も大事なことです。

 それが第112回(平成6年/1994年・下半期)にいたって、ついに失敗をやらかし、あれ? と思わせたものの、一度ぐらいそんなこともあらあな、と構えていたところ、すぐまた第118回(平成9年/1997年・下半期)に再びの失策。あってはならない「受賞作ナシ」をまたまた出してしまい、苦悩の時代ととらえられることになるのでした。

 この苦悩を演出したのは中島らもであり、梁石日であり、北村薫です。

 第一次苦悩をもとにして編み出したはずのルール、つまり「大手出版社から出た」「ハードカバー」。そのなかで、多くの読者から熱狂的に迎え入れられている作家たち、選考委員たちのお墨付きをわざわざ頂かなくとも、その後も文筆で生計をたてていく未来が見通せそうな作家たち。……であるにもかかわらず、直木賞をあげられない心苦しさ。おい、直木賞っていったい何なんだ、っていう基本の部分が、ここにきてまた揺さぶられました。

 で、そんな時期の名候補作です。服部真澄さんです。『龍の契り』です。正体不明(刊行当時)の新人による、熱気たっぷり、スケールもでかけりゃストーリー性も抜群、で話題をかっさらい、褒める人が続出、売れに売れました。

 しかし当時、この作品が直木賞候補に挙がったのはいいとして、ほんとに受賞まですると信じていた人が、どれだけいたんでしょう。ひょっとするとですよ、これを候補に選んだ文藝春秋内の数名だけが、悲壮な期待で選考会のゆくえを見守っていたのかもしれません。直木賞よ、『龍の契り』に賞をさずけることで、頼む、大きく変わってくれと。

 『龍の契り』の名を見るたび、そんな(一部の)文春編集者の、苦悩のなかの叫びが聞こえてくる気がします。ワタクシの幻聴でしょうけど。

続きを読む "ときに名作は「いまだ直木賞に幻想を抱きつづける人の姿」をもあぶり出す。 第114回候補 服部真澄『龍の契り』"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月15日 (日)

ああ、禅僧も出版界も、この世は小事煩悩がうずまいているなあ。 第104回候補 堀和久『死にとうない』新人物往来社刊

===================================

  • 【歴史的重要度】…flairflair 2
  • 【一般的無名度】…flairflairflairflair 4
  • 【極私的推奨度】…flairflairflair 3

===================================

第104回(平成2年/1990年・下半期)候補作

堀和久『死にとうない』(平成2年/1990年9月・新人物往来社刊)

 『死にとうない』は、ワタクシの好きな歴史小説です。でも、今回の主役はこの作品じゃありません。書いた堀和久さんでもありません。

 直木賞の候補に挙がると、その作家の多くは、選考会の当日、賑やかななかで過ごします。その様子は時にテレビカメラが映したり、週刊誌が取り上げたり、あるいは作家本人がエッセイなどに書きのこしたりもします。そういうものから垣間見えるかぎりでは、候補者は案外と冷静だったり、賞のゆくえに無関心だったりするんですよね。じゃあ、浮かれ騒いでいるのはいったい誰か。……その作家と付き合いのある編集者とか、出版社の人たちだった、なんてことが、しばしばあります。

 たとえば、候補作を出した出版社は、候補に挙げられた段階で、「直木賞受賞」の字の入ったオビを刷って当日を迎えるらしいです。受賞するとも決まっていないのに。

 こうなってくると直木賞を「作家個人のための賞」と言うのは単なる建て前であって、内実は違うものになっているんだな、とわかります。直木賞の大部分は出版社のための賞でもある、というのが正確なとらえ方です。

 なので今日の「これぞ名候補作」の主役は、出版社です。正賞の時計も、賞金の100万円ももらえないのに、けなげに候補作誕生のために力を尽くす出版社に目を向けます。『死にとうない』の生みの親、新人物往来社です。

 で、まずは、同社が直木賞史に送り出してきたすべての候補作をご紹介しましょう。第89回(昭和58年/1983年・上半期)で初登場、第107回(平成4年/1992年・上半期)までの9年間で、5つの作品が候補になりました。

Photo 『写楽まぼろし』

(昭和58年/1983年5月10日、杉本章子

装丁・原田維夫

発行者・菅英志

『歴史読本』の連載をまとめた長篇。

第89回直木賞候補。



Photo_2 『常夜燈』

(昭和60年/1985年11月25日、篠田達明

装丁・熊田正男

発行者・菅英志

『歴史読本』の連載をまとめた長篇。

第94回直木賞候補。



Photo_3 『東京新大橋雨中図』

(昭和63年/1988年11月25日、杉本章子

装幀・森田誠吾 レタリング・徳留正昭

発行者・菅英志

『別冊歴史読本』に掲載した作品に加筆した長篇。

第100回直木賞受賞。



Photo_4 『死にとうない』

(平成2年/1990年9月30日、堀和久

装幀・安彦勝博

発行者・菅英志

『別冊歴史読本』に掲載した作品に加筆した長篇。

第104回直木賞候補。



Photo_5 『五左衛門坂の敵討』

(平成4年/1992年4月30日、中村彰彦

装幀・大木眠魚 装画・関根雲停

発行者・菅英志

『時代小説』に掲載した4作品をまとめた短篇集。

第107回直木賞候補。



 ううむ、おそるべし『歴史読本』ファミリー怒濤の攻撃。

 昭和50年/1975年に創設した歴史文学賞を、陽があたらない頃から地道につづけて、そうやって蒔いた種がひとつ、またひとつと咲きはじめた軌跡、それが5つの直木賞候補作として表れたんでしょう。となると、それを育て上げた『歴史読本』編集長(上記の各書で「あとがき」のあるものには、決まって名前が登場します)田中満儀さんは、やはり直木賞の歩みを支えた文芸編集者リストの一員に加わってもらわなければなりません。

 それにしても新人物往来社、平成4年/1992年を最後に、すっかり直木賞の場に登場することがなくなり、はや10数年。いかがお過ごしでしょうか、と思っていたら去年の秋、突然(?)出版界の話題の表舞台にお出ましになったので、いやあ驚いたものです。

続きを読む "ああ、禅僧も出版界も、この世は小事煩悩がうずまいているなあ。 第104回候補 堀和久『死にとうない』新人物往来社刊"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月 8日 (日)

人間が描けていない? 描けている? それを超えたところにある独自の魅力。 第96回候補 山崎光夫「ジェンナーの遺言」

===================================

  • 【歴史的重要度】…flairflairflair 3
  • 【一般的無名度】…flairflair 2
  • 【極私的推奨度】…flairflairflairflair 4

===================================

第96回(昭和61年/1986年・下半期)候補作

山崎光夫「ジェンナーの遺言」(昭和61年/1986年11月・文藝春秋刊『ジェンナーの遺言』より)

 直木賞史のなかには、絶対とりあげなきゃならないんだけど、不思議にとりあげづらい作家がかなりたくさんいます。

 とりあげづらさには、たぶん、いろいろな要因があります。文芸誌の評論欄で定期的に触れられるわけでもなし、あるいは、ミステリーやSFのように「ジャンル愛」に満ち満ちた読者群・研究者群がいるわけでもなし。いちおう大衆文芸(とか中間小説)などと大ざっぱにくくられながら、着実に作品をものにしていて、それでも強烈なスポットライトを浴びることのない作家たち。……とりあげづらいんですけどね、ワタクシには、とても放っておけません。

 ワタクシの手元には、いつかみっちりと評価の光を当ててみたい作家リスト、ってものがあります。林青梧中村光至斎藤芳樹黒部亨栗山良八郎丸元淑生篠田達明、ほか多数。そのおひとり、とか言うとご本人に怒られるかもしれないので、こっそり告白しますと、山崎光夫さんも「とりあげづらい直木賞候補作家グループ」に名を連ねているんじゃないか、とワタクシは踏んでいます。

 山崎さんの作品に、特徴がないわけじゃありません。いや、逆です。誰もが認めるはっきりとした特徴があります。「医」です。

 貝原益軒とか北里柴三郎といった有名人のこと、「健康大国」日本を陰でつくりあげてきた人々のこと、芥川龍之介の死の謎、戦国武将の養生訓、薬のこと、病気のこと、医師のこと……。

 いまも「医」の作家として堂々と第一線を張っているこの方が、作家として登場したのは、昭和60年/1985年でした。これから海のものになるか山のものになるか、まるでわからないその時期に、彼をたてつづけに3度、第94回、第95回、第96回と候補に挙げたのが直木賞です。もちろん3作品とも「医」もの。しかも同じく「医」を扱いながら、その据え方は三作三様、メインありサイドあり……いやあ、ここらが山崎さんのその後の幅広さをほうふつとさせますよねえ。

 直木賞は時として、思い出したかのように、こういう抜群の「新人発掘」機能を発揮してくれます。みごとです。

 あ、でも、山崎作品の特徴が「医」ものである、と言い切るのは正確じゃありませんよね。言い直します。医者が小説を書く(書き続ける)例はたくさんありますけど、山崎さんは医者ではありません。あえて医療の専門家でない人間が、外から「医」を追求していくその立場こそが、山崎さんの「医」ものの特徴であり礎でしょう。そして、それがまた、強み(あるいは弱み)を生み出しているとも言えそうです。

 そういや、20年前、『日本アレルギー倶楽部』(昭和63年・講談社刊)を上梓したとき、山崎さんご本人もおっしゃっていましたっけ。

「著者の山崎光夫氏は、現役の医者でもなければ、医学部出身者でもない。かつて「週刊現代」の記者だったころ、「日本の名医」「日本の専門病院」という連載コラムを担当した経験が、ベースになっているという。(引用者中略)

「前々から、いずれは小説を書きたいと思っていたんです。医学ものを取材していると、小説のヒントになる話がいっぱいある。医者出身の作家は、何人もいらっしゃる。ぼくは専門の医者ではないけれども、ぼくみたいな医学ジャーナリストが書くのも、意味があるんじゃないか、ちがった視点から書けるんじゃないか、と思ったんです」」(『宝石』昭和63年/1988年7月号「宝石図書館 著者インタビュー 書かれざるもう一章」より)

 そして山崎さんは直木賞の舞台に「名候補作」を繰り出します。その名は「ジェンナーの遺言」。「医」ものに果敢に取り組み、深刻なテーマを取り扱っていたはずが、物語作家としての筆が思わず伸びに伸びちゃって、ストーリーは急展開、導入部分の謎も大きけりゃ後半に明かされる真相もかなりの大ゴトすぎて、ひんしゅくを買った(?)というあの作品です。

続きを読む "人間が描けていない? 描けている? それを超えたところにある独自の魅力。 第96回候補 山崎光夫「ジェンナーの遺言」"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月 1日 (日)

ミステリー小説なのはわかるけど、そんな「謎」を読者に提供するなんて……。 第82回候補 高柳芳夫『プラハからの道化たち』

===================================

  • 【歴史的重要度】…flairflair 2
  • 【一般的無名度】…flairflairflairflair 4
  • 【極私的推奨度】…flairflairflair 3

===================================

第82回(昭和54年/1979年・下半期)候補作

高柳芳夫『プラハからの道化たち』(昭和54年/1979年9月・講談社刊)

 このブログには直木賞にまつわることしか書きたくない、と思っています。『プラハからの道化たち』は、立派な直木賞候補作です。直木賞の文脈のなかで、いろいろ語りたいな、っていうのが本心です。……なんですけど、やっぱりこの作品の場合は乱歩賞のテリトリーのほうに、ずずずりっと引きずられてしまいます。

 それは、ほんの7年ほど前、「江戸川乱歩賞全集」に収録されなかった、という事件(?)をもって、われら読者たちを仰天、かつ悲嘆させたからでもあります。

 拙ブログにわざわざお越しの方なら、直木賞にかぎらず乱歩賞にもお詳しいでしょうから、説明は不要でしょう。でも簡単に書いておきます。

 平成10年/1998年から、過去の乱歩賞受賞作を、文庫版で再刊する企てがありました。「江戸川乱歩賞全集」と銘打たれ、日本推理作家協会・編、公募でなかった頃の受賞作、第1回(昭和30年/1955年)の中島河太郎『探偵小説辞典』に始まって、公募になってからの時代のものは1冊につき受賞作2作品ずつが収められました。こんなふうな刊行ペースで。

  • 平成10年/1998年 第1回~第8回(全4巻)
  • 平成11年/1999年(3月)第9回~第12回(全2巻)
  • 同年(9月)第13回~第18回(全2巻)
  • 平成12年/2000年 第19回~第22回(全2巻)
  • 平成13年/2001年 第23回~第26回(全2巻)
  • 平成14年/2002年 第27回~第29回(全2巻)
  • 平成15年/2003年 第30回~第33回(全2巻)
  • 平成16年/2004年 第34回~第35回(全1巻)
  • 平成17年/2005年 第36回(全1巻)

 むろん直木賞ファンが喜んだのは言うまでもありません。お、新章文子『危険な関係』(第42回直木賞候補)が新刊で読めるんだ! 陳舜臣『枯草の根』(同第46回候補)はもちろん、小林久三『暗黒告知』(同第72回候補)までも……。よくやってくれた講談社。こりゃ当然、『プラハからの道化たち』も読めるようになるんだあ、と期待しますよね。

 しかし、この作品が収められるはずの第12巻には、なんともツレない文言が。喜び浮かれる読者の頬をひっぱたいたのでした。

「おことわり

 第二十五回(昭和五十四年度)江戸川乱歩賞は、高柳芳夫氏「プラハからの道化たち」が受賞しましたが、同作品の本全集への収録に関し、平成十三年八月現在、著者よりの許諾を得られておりません。(引用者後略)(平成13年/2001年9月・講談社/講談社文庫『江戸川乱歩賞全集12 ぼくらの時代/猿丸幻視行』より)

 かくして、直木賞候補作『プラハからの道化たち』が21世紀の世に復活するチャンスも、今までのところ失われてしまったのでした。

 はっきり申しまして、ワタクシはなぜ高柳さんが許諾を与えなかったのか、理由は全然知りません。講談社側の証言か、または高柳さんの説明がどこかに発表されているのでしたら、ぜひ教えてほしいのです。

 本書の解説を書かれた日下三蔵さんは「高柳さんは講談社と大喧嘩をしたらしい」といったことを、当時、某掲示板に書かれました。おそらく日下さんにとっても伝聞情報なのでしょう。まあ、もめごとの理由を知ろうだなんて、下衆の心理以外のなにものでもなく、単なる一読者が知ったところでどうなるのだ、と思わないでもありません。

 いやいや、でも「直木賞」なんてものを研究しよう、ってぐらいですからね。ひるまずに、あえて下衆の道を突き進まなきゃ「直木賞研究家」の名が折れます。

 それにですよ。直木賞を愛する者として、心の準備もしておかなきゃなりません。いずれ将来、直木賞全集が刊行された折りに、受賞者の誰かが収録を拒絶したとき、一読者として感じるであろう悲しみと好奇の感情のためにも。

続きを読む "ミステリー小説なのはわかるけど、そんな「謎」を読者に提供するなんて……。 第82回候補 高柳芳夫『プラハからの道化たち』"

| | コメント (3) | トラックバック (0)

« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »