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2009年2月22日 (日)

ときに名作は「いまだ直木賞に幻想を抱きつづける人の姿」をもあぶり出す。 第114回候補 服部真澄『龍の契り』

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第114回(平成7年/1995年・下半期)候補作

服部真澄『龍の契り』(平成7年/1995年7月・祥伝社刊)

 第111回第120回の5年間、つまり平成6年/1994年~平成10年/1998年は直木賞にとって「第二次苦悩の時代」とか言われます。

 第二次どころか、ひょっとして第五次・第六次ぐらいの可能性はあるんですけど、それをやり始めると直木賞全史をおさらいしなきゃならないので。こんなブログの一日分ではとても無理です。ここでは第61回第80回の10年間(昭和44年/1969年~昭和53年/1978年)を、「第一次苦悩の時代」ととらえることにします。

 第一次のことは、ほんの4週間前のエントリーで書いておきました。山田正紀さん『火神を盗め』あたりの、あの頃です。

 そのとき方向転換して、直木賞は徐々に、無難で当たりさわりのない「出版界のおまつり」の座に徹していきました。そして、ほぼその路線は成功していました。

 成功でしょう。だって第93回(昭和60年/1985年・上半期)以来、約9年間、一度もとぎれることなく受賞作を出しつづけたんですから。受賞作ナシを出さない、っていうその姿勢は、まつりとして興行として、最も大事なことです。

 それが第112回(平成6年/1994年・下半期)にいたって、ついに失敗をやらかし、あれ? と思わせたものの、一度ぐらいそんなこともあらあな、と構えていたところ、すぐまた第118回(平成9年/1997年・下半期)に再びの失策。あってはならない「受賞作ナシ」をまたまた出してしまい、苦悩の時代ととらえられることになるのでした。

 この苦悩を演出したのは中島らもであり、梁石日であり、北村薫です。

 第一次苦悩をもとにして編み出したはずのルール、つまり「大手出版社から出た」「ハードカバー」。そのなかで、多くの読者から熱狂的に迎え入れられている作家たち、選考委員たちのお墨付きをわざわざ頂かなくとも、その後も文筆で生計をたてていく未来が見通せそうな作家たち。……であるにもかかわらず、直木賞をあげられない心苦しさ。おい、直木賞っていったい何なんだ、っていう基本の部分が、ここにきてまた揺さぶられました。

 で、そんな時期の名候補作です。服部真澄さんです。『龍の契り』です。正体不明(刊行当時)の新人による、熱気たっぷり、スケールもでかけりゃストーリー性も抜群、で話題をかっさらい、褒める人が続出、売れに売れました。

 しかし当時、この作品が直木賞候補に挙がったのはいいとして、ほんとに受賞まですると信じていた人が、どれだけいたんでしょう。ひょっとするとですよ、これを候補に選んだ文藝春秋内の数名だけが、悲壮な期待で選考会のゆくえを見守っていたのかもしれません。直木賞よ、『龍の契り』に賞をさずけることで、頼む、大きく変わってくれと。

 『龍の契り』の名を見るたび、そんな(一部の)文春編集者の、苦悩のなかの叫びが聞こえてくる気がします。ワタクシの幻聴でしょうけど。

          ○

 「十年に一人の新人出現! 今年度日本小説界最高の収穫」とベタ褒めしたのは文芸評論家の関口苑生さん。この賛辞から、『龍の契り』と服部真澄さんの快進撃が始まりました。

 1997年、香港返還。その期限が近づきつつあった1982年頃、当時のイギリス首相サッチャーの側に、ほんとうに香港を中国に返還するつもりがなかったのは周知の事実です。ところがその2年後、イギリス政府の姿勢は一変して、無条件で返還することに合意したのでした。

 いったい、その背後にどんな事情があったのか。『龍の契り』では、そこに一通の隠された文書が存在していたことを明かします。この文書をめぐって英、中、米、そして日本の四カ国がひそかな争奪戦を繰り広げていた、というのです。その国際的な謀略の果てに、英政府は香港を無条件返還することになるわけです。そのあいだの、虚々実々の駆け引きと争奪の模様を、『龍の契り』は描いていきます。

 関口さんは、さらにこう褒め称えます。

「ただ単に、面白い謀略小説を書く新人作家が現われた、というだけではここまで褒めはしなかっただろう。小説作法上の技巧などという問題は、書いていくごとに上達するものだ。その点についてはまだまだ服部真澄は発展途上にある。しかし、この作者は確実に“状況”を正確に捉える眼があると確信したのである。

 これが十年に一人の超逸材と、大いなる自信を持って推薦した根拠でもあった。」(平成10年/1998年10月・祥伝社/ノン・ポシェット『龍の契り』所収「解説――“状況”を正確に捉える希有な作家」より)

 我われ読者は、関口さんほどの読書量がないので、ほんとうに「十年に一人」かどうかはわかりませんが、それでも『龍の契り』の大風呂敷とそれを支えるストーリーに、多くの読者が魅了されました。ワタクシもそのうちの一人です。

          ○

 山田正紀さんと直木賞、のところでは、それに反応をしめした2人の新聞記者をご紹介しました。今回もそれにならって、また『朝日』と『読売』からお2人の記者にご登場願いましょう。

 『朝日新聞』の代表は、由里幸子さんです。先輩の百目鬼恭三郎ほど、強烈な個性を感じさせてくれないのが、さびしいんだよな、ともっぱらの噂のあの由里さんです。

「小説にどこか変化が起き始めたのではないか。そんなことを感じさせたのは、十一日の芥川賞、直木賞の選考会だった。(引用者中略)

 候補作には、小池氏(引用者注:受賞した小池真理子の夫である藤田宜永氏の作品も並び、初の夫婦受賞か、と話題を呼んでいた。また、高橋直樹氏の「異形の寵児」を除いて、香港返還をめぐる国際謀略小説と話題を呼んだ服部真澄氏の初の小説「龍の契り」、SF的な手法の北村薫氏「スキップ」など、従来とは違う肌合いの小説がそろった。欧米の推理小説の影響を感じさせ、しかも候補になるのは全員初めてだった。」(『朝日新聞』夕刊 平成8年/1996年1月17日文化欄より)

 この記事には「小説に変化のきざし 芥川・直木賞選考会から」ってタイトルが付いています。

 もちろんこの記事は、芥川賞のことにもみっちり文量を割いています。芥川賞と直木賞のことをまとめて報告しなきゃいけない、しかもそこから何がしかの特徴をピックアップしなきゃいけない、っていう新聞記者に課せられた苦しみに覆われています。

 そもそも、なぜ直木賞に「従来とは違う肌合いの小説がそろった」からといって、「小説に変化のきざし」とまで言えるのか。そこが謎のままです。

 短いスペースですからね、由里さん、苦しいですよね。同情します。山田正紀さんの頃には、大衆文学の分野ではかなり百花繚乱が進んでいて、もはや一般的な空気として「直木賞=小説」との見立てが破綻していたんですけど、そんなハナシにまで踏み込むのは、この短い報告記事では難しいでしょう。

 ただ、高橋直樹さんの候補作を、なぜ「変化のきざし」から除いちゃったのですか。そりゃあまりに乱暴すぎますよ。由里さんにとっては、歴史・時代小説はぜんぶ一緒くたで、同じものですか。それこそ山田正紀さんの時代から、直木賞の本流が、けっして歴史・時代小説でないことは誰でも知っているはずだと思うんですけど。

 まあ、由里さんを突っ込んでも仕方ありません。新聞に目を通す大多数のひとにとって、直木賞の流れとかどーでもいいハナシなんだろうな、だから書き手もそれに合わせて書くんだろうな、と寂しい現実を改めて知らされました。

          ○

 いっぽう、『読売新聞』です。代表は石田汗太さんです。やはりこちらも視点は「今回の直木賞は従来とは違うぞ」っていう方向に向いています。見出しは「話題をまいた直木賞の選考 “らしくない”作品ズラリ」。

 それでも由里さんと違って、石田さんはその変化のなかみをかなり突っ込んで書かれています。

(引用者前略)第百十四回直木賞は、最近の同賞としては珍しいほどいろいろな意味で話題をまいた。ノミネートされた六作全部が初候補で、うち二人は夫婦、さらには史上初の江戸川乱歩賞とのダブル受賞も、という具合。

 が、最も文学関係者の間で関心を呼んだことは、ノミネートされた作品の多彩さではなかっただろうか。言葉を換えれば、従来言われてきた「直木賞らしさ」が、現代エンターテインメント小説の急激な変化・拡散の中で揺らいでいる――その点に注目が集まったといってもいい。」
(『読売新聞』夕刊 平成8年/1996年1月29日「とれんどin小説 話題をまいた直木賞の選考 “らしくない”作品ズラリ」より)

 ここで肝心なのは、従来言われてきた「直木賞らしさ」って何なのかって点ですよね。石田さんはこう書きます。

「これまで「直木賞らしい作品」といえば、今回の候補作の中で挙げればおそらく、重厚な歴史時代小説である高橋直樹氏の「異形の寵児」(別冊文芸春秋)や藤田宜永氏の「巴里からの遺言」(文芸春秋)ということになるのだろう。文学は「人間を描くもの」――人間の情感、喜怒哀楽を豊かに描くものが「直木賞的」だという考え方が下敷きにあったともいえる。」

 たしかに。そうでしょう。納得です。

 ただ、その根幹の部分は納得できるんですが、過去から現在までにいたる直木賞の流れと、現在(第114回当時)の直木賞が持っている課題の部分に筆がおよぶと、ううむ、どうにもいただけません。

「例えば、「龍の契り」は香港返還をめぐる国際謀略サスペンスだが、こういう作品が候補になっただけでも「直木賞は変わりつつある」と感じる。井上氏(引用者注:選考委員の井上ひさしは会見で「劇画の原作、映画のシナリオ的」と評したが、そのばかばかしいまでの大ぶろしき、目のくらむようなスピード感、ゲーム的展開などは、明らかに漫画世代の感覚で、以前なら「最も直木賞的でない」として一蹴(いっしゅう)されたはずである。」

 そんなことありませんよ。それこそ、約20年も前に山田正紀『火神を盗め』が候補(第78回)になったことがあるのを、石田さんご存じでしょう。景山民夫『虎口からの脱出』(第97回候補)はどうなるんです。多島斗志之の『密約幻書』(第101回候補)は? 中島らもの『ガダラの豚』(第109回候補)は? どれもこれも「漫画世代の感覚」でまとめちゃいますか? 「一蹴されたはず」だなんて、石田さん、ちょっと思い込みすぎです。

 直木賞的でない作品が、直木賞をとれないのは事実でしょう。でも、直木賞的でない作品が候補になるのは、べつに珍しい現象じゃありません。

 石田さんは平成8年/1996年の段階での、直木賞の姿をご自分の視点から切り込んでいてくれて、賛成できる部分もあります(もしかしてそれだけでも、新聞記事としては秀逸なのかも)。ただ、反論したい部分もあります。

「時代歴史小説、国際謀略もの、「スキップ」のような一見SF風味つけの青春学園小説……などを一列に論じることの難しさを一方で示したのも間違いない。ひとつの賞ですべてを包含できなくなるほど、現代日本のエンターテインメント小説が多様になってきている中で、直木賞は「良い大衆小説の基準とは何か」という難問を突きつけられているとも言える。」

 いや、直木賞の側にはきっと、そんな難問をまともに受けつける気持ちは毛頭ありません。ひとつの賞ですべてを包含できないことなど、賢い直木賞君は、とっくのとうに気づいていました。少なくとも約20年前には。

 第二次苦悩の時代が第一次とちがうのは、たぶん直木賞の側に、それほど影響を感じていないフシのあることです。さほど路線を変更しなくてもいいのだ、と何だか自信を深めているフシすらあります。このまま進んでいれば目的は達成できるのだと。「なにをさしおいても直木賞は第一に“興行”たれ」っていう目的は。

 では、『龍の契り』をはじめとする第二次苦悩の時代の候補作は、なにを直木賞に与えたのでしょう。……それは「文学関係者」やら新聞記者たちのもっている直木賞観をあぶり出したところにありそうです。え、いまだに直木賞の動きを引き合いに出して「小説」全般のことを語ろうとするんだ、いまだに直木賞が大衆小説全部を対象にしていると信じているんだ、と直木賞オタクとしては驚くばかりです。

 ワタクシもそうとう重い直木賞病ですけど、新聞界隈の方たちも、またかなり根ぶかい直木賞病なんですね。

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