おもしろすぎて直木賞を降参させた伝説のエンターテインメント小説。 第78回候補 山田正紀『火神を盗め』
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- 【歴史的重要度】…



4 - 【一般的無名度】…
1 - 【極私的推奨度】…



4
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第78回(昭和52年/1977年・下半期)候補作
山田正紀『火神を盗め』(昭和52年/1977年9月・祥伝社/ノン・ノベル、小学館発売)
第61回~第80回の10年間、つまり昭和44年/1969年~昭和53年/1978年は直木賞にとって「苦悩の時代」とか言われます。
表面的にいいますと、この20回のうち、受賞作を出せたのが11回だけ。受賞作がなく何とも盛り上がらない結果となったのが9回。ほぼ半分において直木賞はその役目を果たせませんでした。
どうしてそんなことが起こったか。「直木賞は、その当時のエンタメ小説全般が持っていたクオリティを示すバロメーター」なんていう考えかたを、ワタクシは採りません。いや、この賞が「直木賞はそうありたいな」との姿勢を奥底に漂わせていたとは思います。それよりちょっと前までは。でも「苦悩の時代」をくぐりぬけて、直木賞は思い切ってその「志」を脱ぎ捨てました。
「あきらめた」と言っていいかもしれません。直木賞はあえて、時代(もしくは出版界の流れ)についてゆくことを、やめました。
厳しい言い方をするならば、直木賞は自分の枠組みでもって大衆文学を代表するものを選ぶのが、いかに無謀かを悟ったってことです。無理だとわかりました。降参しました。
あきらめさせたのは、たとえば西村寿行であり、谷恒生であり、そしてこの山田正紀さんでした。
『火神を盗め』が候補となったのは第78回(昭和52年/1977年・下半期)。やはり受賞作を出せなかった回です。選考後、記者会見の場に出てきた選考委員は、司馬遼太郎さんでした。司馬さんの性格もあるんでしょうけど、このときの会見内容は直木賞が突きつけられた「あきらめ」を、よく表しています。
「選考経過の説明に出てきた委員の一人、司馬遼太郎氏は個人的な感想として、こうもらした。
「全般に小説が変貌してきているので選考しにくくなっている。いろいろな議論が出たが、結局は文学的にどうかが決め手になった。対応しにくいほど多様な作品が出ているので、直木賞にならずとも不名誉ではない」。」(『読売新聞』昭和53年/1978年1月30日「読書」欄より)
そしてこれ以後、直木賞は大きな変革をほどこすことになります。ざっと挙げると「同人誌からは候補にしない」「大手出版社以外の作品は候補にしない」「雑誌掲載の段階では候補にしない」「ノベルス(新書版)は候補にしない」などなど、たいていそのテリトリーを狭める動きばかりです。まあ、同人誌については、「もはや同人誌の役割は終わった」うんぬんの議論を持ち出せば、この動きの説明は事足りるでしょうけど、じゃあ「どうして直木賞は単行本しか候補に挙げないのですか(ノベルスは無視するのですか)」。これに対する答えの原点は、第78回ごろにあります。
多種多様な小説すべてに対応することをやめた、ってことです。
で、山田正紀ファンにとっては、司馬さんに言われずともわかっています。直木賞をとれなかったからって不名誉でも何でもないことを。いや、それどころか、吉川英治文学新人賞もとれない、山本周五郎賞もとれない、と初めて「逆三冠」を達成して、よけいに山田正紀さんの輝きが増しました。
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