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2008年12月21日 (日)

一度どん底まで落ちて。彼に小説を書く道がのこされていて、ほんとよかった。 第34回候補 八匠衆一「未決囚」

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第34回(昭和30年/1955年・下半期)候補作

八匠衆一「未決囚」(『作家』昭和30年/1955年7月号)

 八匠(はっしょう)さんは本名、松尾一光。直木賞はとらなかったし、たった一度の候補作「未決囚」は選考会でそれほど評判にもなりませんでした。でも、直木賞の候補になったことで、きっと彼の人生は大きく変わったにちがいありません。

 人生だなんて、こらこら、おまえ八匠衆一の人生の何を知ってると言うのだ。自分の人生すら、ろくに顧みないくせに。はい、そうなんですけど、とくに八匠さんのように、万人が経験するわけでない、ちょっと特別な経験をお持ちの方と出逢うと、どうしても「人生」だとか青臭い用語を持ち出したくなるのです。

 八匠さんの特別な経験というのは、アレです。候補作「未決囚」で描かれる状況に、深く関わっているアレです。

 彼がのちに書いた「風花の道」(昭和59年/1984年9月・作品社刊『風花の道』所収)では、こんなふうに語られています。

「その晩、松井田は新宿へ出てカストリを飲んだ。(引用者中略)彼が金を払いその店を出たのは十二時近くである。(引用者中略)太い楡の樹が枝を伸ばしている柿ノ木坂の坂道を、彼は上半身を折るようにして登って行った。都立大学横の崖下の墓地の上には赤い月が懸っていた。

 背後から草履の音がして、ひとりの中年の婦が彼を追い越して行った。(引用者中略)酸っぱい胃液が彼の腹のなかで渦を巻いていた。彼が足をはやめるとその婦も足をはやめ、彼が歩度をゆるめると、その婦も歩度をゆるめるように思えた。その後姿を追っていると、彼は吐気といっしょに鋭い憤りに似たものを覚えてきた。

 坂を登りきり追い越そうとした瞬間、婦の背に急に困惑と狼狽の形が走った。彼はかっとなり婦の背後に近づいて行った。婦は手に持っていたハンドバッグを投げ捨て、鋭い悲鳴をあげた。(引用者中略)声をあげさせないために、彼は婦の肩に手をかけなにか言ったような気がした。(引用者中略)

 翌朝、彼は碑文谷警察の留置所のなかで眼をさました。」

 事件は戦後まもなく、昭和22年/1947年か昭和23年/1948年頃のことです。罪名は「強姦未遂」。執行猶予がついたものの、〈松井田〉はその罪名に恥辱を感じ、勤め先もやめてしまいます。しかし〈松井田〉はまもなく、ふたたび同じような行為をしてしまい、今度こそ未決監に収容されてしまったのでした。

 強姦(未遂)の単語は、たしかに痛いよなあ。で、〈松井田〉がそうであったように、現実の松尾一光さんも作家志望で、そのころ、どうにかボチボチ小説を発表し出していて、これからって時だったのに。

 本エントリーでは深くは触れませんが、松尾さんの逮捕やその後のことを知るにつけ、ワタクシはもう一人、直木賞候補作家のその後のゆくえが気になってくるのです。

 その候補作家っていうのは、罪名は違うんですけど、やはり「女性にまつわる」事件で起訴されちゃいました。結婚の約束をいっぽう的に破棄されたと言って怒り、相手の女性やその家族に連絡をとりつづけ、あげくに脅迫罪の容疑で逮捕。そして、それ以来、表舞台から姿を消してしまいました。

 その方がどうなったのか、今でも小説を書き続けているのかは、ちょっとわかりません。しかし、松尾一光さんは恥辱にまみれながら、服役をまっとうし、出所後にみごとな復活を果たしました。その復活を復活たらしめた一つの要素が、きっと「直木賞候補に挙げられたこと」にあったはずなんです。

 これが「芥川賞候補に挙げられたこと」でなかったのが、もしかして松尾=八匠さんには不服だったかもしれないですけど。まあまあ、どっちでもいいじゃないですか。ねえ。だってほら、梅崎春生だって、一度も芥川賞候補に名を挙げられることなく、それでも本人迷いながらも、直木賞を受けたんですから。……って、何の慰めにもなってないですけど。

 そうそう、梅崎春生です。八匠さんの復活作「未決囚」は、あるときは自殺未遂まではかった松尾一光の、恥辱の昭和23年/1948年当時を、数年たって自身でふりかえることで出来上がりました。ただしそれより前、彼と付き合いのあった人が二人ほど、松尾さんの収監をネタにして、すでに小説を書いています。その一人が伊藤整、もう一人が梅崎春生です。

          ○

 八匠さんの「未決囚」は、こんな話です。

 松井田治は、碑文谷署の留置所から小菅刑務所に移されてきました。松井田が入れられた小監房には、すでに先住者がふたりいました。

 そのうちの一人、韓楽鎮はかなりの古参者の様子。新参の松井田に、監房でのさまざまなルールを教えます。

 韓は裁判のことや判事や検事のことにもくわしいらしく、監房にいながらにして、裁判のゆくえを算段してみせたりします。同房の花田は窃盗犯、花田が出ていったあとに入ってきた加瀬は掏摸の容疑でしたが、前にもここにいたことがあるらしく、韓とは顔なじみです。韓と加瀬はことあるごとに、ののしり合い、いがみ合いますが、懲罰に付されるのを恐れて、互いに憤りを抑えあっていました。

 一ヶ月ほど経ち、いよいよ松井田の公判日がやってきます。たまたま韓の二審判と同じ日です。韓は何年かぶりに娑婆に出られるというので喜んで、ひげを剃ったり薄化粧さえ施したりしますが、松井田はとてもそんな気分にはなれません。明るい陽にさらされて法廷に立つことを思うと、とても辛くて落ち着きません。

 公判日。法廷は小じんまりとした十三号室。傍聴人も何人か入っているようです。松井田はチラリとそちらを見て、血が逆流するのを覚えました。なぜならそこに、つい最近まで松井田と競い合い敵視さえし合っていた新進作家の竹田春男と、松井田の大学時代の教師である著名な文芸評論家、得能五郎の姿があったからです。

          ○

 おお、そりゃあなた、〈得能五郎〉ですよ。『得能五郎の生活と意見』の、〈得能五郎〉ですよ。

 はい、〈得能五郎〉こと伊藤整さんは、かつて日本大学芸術科で教壇に立っておりまして、松尾一光さんを教えておりました。

 そして伊藤整さんには、昭和23年/1948年に「灯をめぐる虫」(『群像』昭和23年/1948年12月号)という小説があります。これは、有名な作家にして評論家〈高出徳太郎〉がある学校の教師となって、文学を志す教え子たちと関わる話です。その教え子のなかでも、焦点を当てられているのが、〈安田武彦〉なる男。

 〈安田〉は同級生たちと仲がいいのか悪いのか、戦争をはさんでみなそれぞれの道を歩み始めてからも、くっついたり喧嘩したり。ただ、少なくとも〈高出〉にとっては、なにか気になる男でした。その〈安田〉が、やらかしてしまいます。

「安田が犯罪をしたのだ、夜の暗い街で通りがかりの女を襲い、金を奪ったところを、警官につかまった。「新進小説家女を襲う」という見出しである。」

 この事態に、昔の同級生たちが集まり、今後のことを相談する場面があります。そこで、〈高出〉の教え子であり、工業学校の校長でもある〈藤田六郎〉が、ぐさりと一言。

「「それにしても、駄目でしょうなあ。著述家、文化人としては、もう社会的に葬られるでしょうなあ」と藤田が嘆息した。「こんなことを、する訳がないんだ。折角新進作家として売り出してもらって、あとは、ただ書き続けさえすればよかったんだ。」」

 ううむ、松尾さんが捕まったときも、仲間の誰かがこんなこと言ったのかなあ。「社会的に葬られる」だなんて。辛辣。

 でも主人公の〈高出〉先生は、そんな〈藤田〉の考えには同調しません。〈安田〉のしでかしたことが、ひとごとに思えなかったからです。とくに気にかかっていたのは、〈安田〉の仲間、〈竹間〉から届いた手紙です。そこにこんな一節が書いてありました。

「安田は時代と文学との被害者です。」

 これを読んだ〈高出〉先生、あ、こいつは意図してこんな書き方をしたな、と思うのでした。

「読み終えて私は、ああ、と口を開いたまま、茫然とした。その私の中を何か電光のようなものが貫いた。それは竹間が明かに、間違えたか遠慮したかして、文章を誤っているという理解だった。彼は「安田は先生の、いや君の被害者です」と書く筈だったのだ。文章の構成は明かにそうなっているのだ。」

 松尾一光さんが檻のなかに入れられて間もない、昭和23年/1948年後半の作品です。

 ちなみに、松尾=八匠衆一さんは復活してから、先に引用した「風花の道」でこんなふうに書いています。出所後、梅崎春生さんといっしょにはじめて伊藤整さんの家を訪ねていったときの風景です。

「久我山の伊藤宅へ着き、応接間に通されてふたりで待っていると、すぐに伊藤整氏は和服姿で出てきたが、やはり彼はなんと言って挨拶していいのかわからなかった。事件当時の話とか、刑務所内の話などわざとらしくてできなかった。氏の眼もいくらか用心深そうに光っていた。(引用者中略)

死んだと思った人間がまたぞろ顔を出したみたいだし、伊藤氏は一度でも彼を材料に小説を書いたことを気にしている様子もあった。」

 まあ、気にしておかしくないでしょうねえ。

          ○

 整さんの「灯をめぐる虫」から約半年後、今度は梅崎春生さんが「黄色い日日」(『新潮』昭和24年/1949年5月号)を発表しました。

 なにせ、さっきからちょいちょい引用している「風花の道」は、雑誌掲載のときの題名が「梅崎春生―虐の関係」(『別冊文藝春秋』96号[昭和41年/1966年6月])でした。内容は戦前からの友人でありライバル、八匠衆一の眼から見た梅崎春生という人物を、〈竹田春男〉って名づけた人物に託して描いたものです。

 そのくらい両名はそうとう近い関係にありました。時間軸でいうと、松尾一光さんが刑に服して文壇から離れている間に、梅崎さんはぐんぐんと有力作家にのし上がった頃で、昭和29年/1954年下半期には第32回の直木賞なんてものまで受賞してしまいます。

 その梅崎さんの「黄色い日日」です。

「昔からの友達の三元が、どうした心境からか強盗をはたらき、とうとう碑文谷署につかまった。ほっておく訳にも行かないので、その善後策を相談するためにあの夜中山と会ったのだが、とにかく酒でも飲もうということになり、ふたりで神田のマーケットに行った。」

 この小説では、整さんが「灯をめぐる虫」で〈竹間〉なる人物に語らせたのと同じようなことを、〈中山〉なる人物に言わせています。

 つまり、〈中山〉は「黄色い日日」の主人公〈彼〉に、こう言うわけです。

「三元があんなことをやったのも、もともと君の影響だよ」

 今いる家を追い出されそうになって〈彼〉は〈中山〉の家に寄せてもらうことを手紙で頼むんですが、それに対する返信は、もっとはっきりしています。

「三元が君と同居して、あんなことになったことを思えば、僕は君と一緒に暮すよりは、死人と同居する方を希望する」

 いやはや。〈高出〉先生は教え子が犯罪をおかしたのは自分のせいなのじゃないかと悩むし、友人の〈彼〉は、強盗をおかしたのは君の影響だと言って責められる。

 で、当の松尾……じゃなかった「風花の道」の〈松井田〉はどう思ったか。〈松井田〉は作中、〈竹田〉の書いた「黄色い日日」を読んで、一種の感慨を催します。そして、こんなふうに思いを至らせます。

「あの頃は竹田も危険だったのだ。その危険を避けるために彼は自分から離れてゆかねばならなかったのだ。(引用者中略)しかし、もう一つ松井田には釈然としないものが残っていた。仮りにそうであっても、そういう状況をつくり出したのは竹田だといえないこともなかった。が、竹田が意識してそんな状況をつくり出したわけでもなかったし、彼は自分の至らなさを責めるより他に仕方がなかった。」

 そりゃあ松尾一光さんが罪人となったことで、伊藤整さんも悩んだり思い煩ったりしたことでしょう。梅崎春生さんも考え込んだり苦しんだことでしょう。いやいや、なにより、松尾さんご本人の留置所から刑務所ですごした数年間の心境、いかばかりか。

 それでも出所してから、よくぞ小説の道を忘れずにふたたびペンを取ったものだと思います。昭和20年代後半から昭和30年代といえば、すでに伊藤整はチャタレイ裁判やらベストセラー『女性に関する十二章』でますます著名度が増していて、梅崎春生は直木賞もとって発表の場も広がり、文壇の中堅どころの位置をがっちり確保。そんなさなか松尾さんは、「風花の道」でいうところには「試みみたいに小説を書きながら、彼の毎日の生活は、人間が堪え得る限界などとっくに通り越していると思える日日だけがつづいていた」らしいです。

 その後、一切の肉親との関係を絶って札幌に出て、すべての事情を知っている女性と結婚。そうは言っても定職もなく、どんな明日が待っているとも知れない暗い状況のもと、昭和31年/1956年を迎えます。

 「風花の道」では、そんな具体的な時期はまったく出てきません。でも前後を読むと、だいたいそのくらいのタイミングです。

「恰度その頃、前に書いて置いた小説がある「小説賞」の対象に上った。受賞はしなかったが、彼はそれを機会に結婚したばかりの女と相談して上京することにした。そうする以外道はないようにも思えていたのである。」

 87歳まで生きてつい4年前、平成16年/2004年に亡くなるまで、八匠衆一さんは数冊の著作をのこし、またきっとそれ以上の数の小説を商業誌や同人誌に書き続けました。やはりその小説家としての復活のレバーを押したのは、このとき、「直木賞候補に挙がったこと」にちがいありません。

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