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2008年10月の4件の記事

2008年10月26日 (日)

人情味たっぷりの鎌倉アカデミアは、のちの“庶民派作家”を生んだりもしました。 第96回候補 小松重男「鰈の縁側」

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第96回(昭和61年/1986年・下半期)候補作

小松重男「鰈の縁側」(『小説新潮』昭和61年/1986年12月号)

 西村望さんに『虫の記』があるように、小松重男さんにはエッセイ『猫の蚤とり日記』(平成4年/1992年1月・新潮社刊)があります。

 もちろん、猫の蚤とりのことを経済的でかつ健康にもよい狩猟スポーツの一種、と主張する小松さんの意を汲んで、惜しげもなく披露される毎日の蚤の収穫数を追っていくのが正しい読み方でしょう。でもほら、それを省いた部分、一般的なエッセイ部(って言う方も妙ですか)からも、じゅうじゅう小松さんの人となりが知れるのが、ありがたい本です。

 「普通の人みたいな」名前で時代小説を書き続ける小松重男さんは、第96回(昭和61年/1986年・下半期)の「鰈の縁側」で直木賞候補、それから1年半、今度はがらりと趣を変えて昭和初期を舞台にした「シベリヤ」で再び第99回(昭和63年/1988年・上半期)の候補となり、しかもどちらも『小説新潮』掲載の中・短篇、ってところから直木賞に注目する読者たちを驚かせました。

 そして実は、このなりゆきを影で操っていた真犯人が『猫の蚤とり日記』で明らかにされているのです。そう、それは、小松家の庭に住みついていた野良猫のフウちゃん。彼女はその少し前、深夜暴走族のクルマにはねられて他界してしまうのですが、自分の子孫を大切に育ててくれている小松家にあの世から恩返しを施してくれた、らしいです。

昭和六十二年

 去年の六月四日から書いて某誌の十二月号に発表した短篇が初めて直木賞候補になったが、おおかたの予想どおり落選した。それでも家人はよろこんで、どうもフウちゃんの子や孫を内猫にしてから我が家に運が向いてきたようだ、きっと“あの世”のフウちゃんが阿弥陀様に頼んでくれたに違いない、などと唯物弁証法に依る創造を標榜している劇団の古手女優とも思えぬ台詞まで口走る始末。」(「3 獲物はカードに貼り付けて」より)

 『猫の蚤とり日記』を読んでいると、“家人”こと小松さんの奥さんのことが、ちらちら出てきます。この掃除大好きな奥さん、昭和32年/1957年にさる劇団の若手メンバー同士でご結婚されたという奥さん、テレビドラマの仕事で高知へロケに出かけられたりする奥さんのことも、何だかもっと知りたくなりますけど、まあそれは置いといて、それ以外に思わず興味をそそられた部分があります。

 それは「9 讃 鎌倉アカデミア」なる章です。

 ん? 鎌倉アカデミア? その名を聞くとつい条件反射で沼田陽一、と口走りそうになる身としては、ああ、小松さんも鎌大出身だったのかあ、とその記述に目がとまります。そして、その文章から伝わってくるものに、直木賞候補作「鰈の縁側」の世界がバチーンと重なってくるのでした。常に年長者を敬う小松さんの生き方、思想です。

「私は(引用者注:鎌倉大学、のちの鎌倉アカデミアの)二期生だが、一期生にはもうすでに他の大学を出たような年長者もおおぜいいたし、同期生にもいた。ここで十六歳の私が生意気だったら、まもなくピークに達した戦後インフレーションの荒波に打ち砕かれて、しょんぼりと新潟へ逃げ帰らざるを得なかったであろう。

 しかし、私は年長者の同期生や一期生を心から尊敬して接したから、その人たちが面倒を見てくれた。」(「9 讃 鎌倉アカデミア」より)

 そうだよなあ。小松重男といえば、英雄豪傑の類いじゃなくて市井に生きる、どこにでもいるような人間ばかりを書き続ける作家ですけど、そのなかでも「鰈の縁側」に登場する松平外記の人物像は、まさに、小松さんのこんなエッセイに重なり合うんだよなあ。

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2008年10月19日 (日)

現実の事件をモデルにしながら、いや、作家の想像力が駆使された犯罪小説だもの。一粒で二度おいしい。 第84回候補 西村望『薄化粧』

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第84回(昭和55年/1980年・下半期)候補作

西村望『薄化粧』(昭和55年/1980年8月・立風書房刊)

 ああ、緒形拳さんご逝去。ご冥福をお祈りしつつも、うちのブログでは映画「薄化粧」のことなど、まったく取り上げる気が起こりません。すみません。

 でも、小説『薄化粧』ならばハナシは別。もう断然、直木賞の名候補作のひとつとして、勢い込んで光を当てたいところです。

 まずは作者をご紹介します。

 正真正銘、血を分け合った兄弟が、二人そろって作家になり、二人そろってたびたび直木賞の候補に挙げられ、その回数も仲良く三度ずつで、そして二人そろって“受賞ならず”の報ばかり聞き続けた、そんな兄弟は今のところ、西村望さんとその弟しかいません。ワタクシの知るかぎり。

 ただし、直木賞の舞台に引きずり出されたのは、弟さんのほうが先です。そういえば直木賞ではなぜか、弟が先、のルールがありまして、と言っても他にはたった一組ですけど、東光日出海の今さん兄弟も受賞は弟のほうが先です。あ、変則なところでは、赤瀬川隼さんも、自身が直木賞候補になる前にすでに、弟さんが芥川賞とられてましたなあ。年を重ねて輝きだすアニキたち。頼もしいぜ。

 そんなアニキたちの中でも、よりダークな作風をひっさげて現れたのが西村望さん、またたくまに犯罪小説界において重要な一角を占めるに至りました。著書は昭和40年代にすでに、四国・瀬戸内海あたりの紀行ものや観光案内ものが数冊あるらしいんですが、最初の犯罪小説は、昭和53年/1978年の『鬼畜』ってことになります。それからダダダダッと立て続けに数作品を発表。それら作家・西村望の出発は、立風書房でした。

 ですので、直木賞マニアにとって立風書房とは、みつはしちかこ「小さな恋のものがたり」じゃなくて、断然、西村望の初期作品によって、知られています。

 その望さん初期作品、……おそらく立風の『鬼畜』(昭和53年/1978年5月刊)にはじまり『水の縄』(昭和53年/1978年10月刊)、『蜃気楼』(昭和54年/1979年5月刊)、『火の蛾』(昭和55年/1980年3月刊)を含めて選評で言及したのは、時代小説の御大、村上元三翁です。言及はわずかなんですけどね、それでも「村上選評」の特徴の一端が、隠し切れずに現れちゃっていますよ。

「この作者が書いている一連の犯罪物の中では出来のいいほうだが、読み終って黒いしこり(原文傍点)のようなものしか残らない。」『オール讀物』昭和56年/1981年4月号選評「中味の濃い選考会」より)

 「村上選評」の特徴とは何か。……それは彼が推理小説やSFを評するときにとくに顕著に出るんですけど、選評の行間に「私は小説に貼られたレッテルや外見だけで酷評しているのではない。日頃からよく、そこら辺のジャンルの小説を読みこなしているからこそ、アラが見えるのだ」って感じを滲ませる戦略のことです。あれですかね、外野から「時代小説で生きてきた奴なんぞに、推理小説やSFがわかってたまるか」と野次が飛ぶことがわかっていて、それを未然に防ぎたい思いが、ついつい出ちゃっているんでしょうか。

 でね。望さんの小説に対しても、ほら、誰も聞いていないのに、「この作者が書いている一連の犯罪物」なぞと書くことで、『薄化粧』以外の諸作品も踏まえた上で選考してるんだぜ、と胸を張っていらっしゃいますぞ。うん、それはそれで、えらい。候補者の過去の作品なんか全然読まないどころか、候補作すら読まないで選考会に出てくる人だって、いるとかいないとか、言われている中では。

 それから後、望さんの候補作は、『丑三つの村』(第86回 昭和56年/1981年・下半期)や『刃差しの街』(第99回 昭和63年/1988年・上半期)が挙げられました。『刃差しの街』だけはちょっと作品の毛色が違いますけど、それでも、とことん村上元三さんは、望作品を認めようとはしなかったようです。

 認めなさぶりにも容赦がありません。『薄化粧』に対しては「なんの目的もなく、平気で妻や子や女を殺して逃げまわる殺人者を描いた作品を、直木賞の対象にはしたくない。」と言い、『丑三つの村』に対しては「人を殺して廻る小説では、賞の対象にはならない。」とバッサリ。

 そうです。これほど一部の読者に根本から拒否反応を起こさせたことが、じつは望作品の栄光でもあったのでした。

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2008年10月12日 (日)

自意識過剰な劇作家のたまご。細川ガラシャに救われて、謙虚なおばあさんになりました。 第79回候補 若城希伊子『ガラシャにつづく人々』

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第79回(昭和53年/1978年・上半期)候補作

若城希伊子『ガラシャにつづく人々』(昭和53年/1978年5月・女子パウロ会刊)

 選考委員と候補者が、すでに顔見知りだったり、仲がよかったり、はてまた、べったりと師弟関係だったり、そんな組み合わせはもちろん今でもあります。かつてエントリーで挙げましたけど、最近では北方謙三×東野圭吾、なんて例もありました。そう、顔見知り同士が選考し選考される、って構図は、直木賞の十八番芸のひとつなんです。第1回受賞の川口松太郎のときからすでに。

 そんな観点にふさわしい人選なのだろうか、と疑いつつ、今日の主人公に選んだのは、若城希伊子さんです。お相手は川口松太郎さん。まさに真の直木賞受賞者らしく、生前に一時代を築き、没後急速に忘れ去られるという王道を堂々と驀進しています。

 松太郎さんといえば、ああ、その長い選考委員在任中に、いろいろなことがありました。

 第42回(昭和34年/1959年・下半期)。同じ久保田万太郎門下生で顔なじみだった戸板康二の作品を候補として批評せざるをえなくなって、あえて厳しい目で向かったあの日……。

 第40回台~第50回台ごろ。夏目千代大屋典一来水明子江夏美子草川俊と、強く推した作品がことごとく選考会で受け入れられず、佐藤得二のとき(第49回 昭和38年/1963年・上半期)にようやく全会一致で自分の推薦が認められて、喜んだあの日……。

 第70回台後半。「大して作品を読みもしないくせに偉そうな選評を書く選考委員」の一人として、筒井康隆の『大いなる助走』のモデルにされたあの日……。

 そして同じ頃。最長老となって、もはや自分は長く選考委員を続けるべきじゃない、と語り自ら退いたあの日……。

 辞める一年前、第79回(昭和53年/1978年・上半期)、78歳のときの選考会でした。松太郎さんは若城さんの作品を選考することになります。もしかしたら、松太郎さんがこの『ガラシャにつづく人々』を候補に推挙したのかもしれませんが、確証はありません。

 若城さんはそりゃ多才な方です。古典研究、劇作、創作などそれぞれの分野で、決して多くはないけど着実に作品を遺されています。そのそれぞれに、師と呼ぶ人をお持ちでした。慶應のまなびやでは折口信夫、新劇を志してのちは岡田八千代、そして昭和40年代以降、川口松太郎と来ます。

 ってことで、若城さんには『空よりの声―私の川口松太郎』(昭和63年/1988年11月・文藝春秋刊)なる著作があるわけです。とにかく松太郎の激動の人生を賞賛する本です。何やかにやと悪名のあったらしい松太郎のことを、そうか、弟子と自負する方はここまで良く描くものなのか、と知れて、それはそれで興味ぶかい内容となっています。

 いやいや、弟子とか師匠とか言う前に、そもそも、何事も刺激的にしない、おだやかでやさしげで謙虚で、「人はみな善なり」っぽいこのテイスト。まったく若城希伊子作品そのものなんですよねえ。

 告白しますと、ほんとはそういう世界、ワタクシ苦手なんです。たとえば『空よりの声』だけでなく、それとへその緒でつながっている『ガラシャにつづく人々』も、そうとう苦手な部類の小説です。

 だって、あなた、版元が女子パウロ会ですよ。昔使われていた書籍コードでは0093-786188-6100で、出版社番号は日本キリスト教書販売のものらしいですよ。もうそれだけで食わず嫌いを催させるパワー十分、じゃないですか。

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2008年10月 5日 (日)

ホラー小説の隠れた名篇。どだい、込められた怨念の深さが違います。 第70回候補 安達征一郎「怨の儀式」

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第70回(昭和48年/1973年・下半期)候補作

安達征一郎「怨の儀式」(『文学者』昭和48年/1973年8月号)

 2週つづけて同人誌のハナシは、さすがにクドい。

 たしかに。タイミングからすれば、第61回(昭和44年/1969年・上半期)~第70回(昭和48年/1973年・下半期)期はSF小説大成長、なんて視点でとらえて、広瀬正さんの諸作品でも取り上げるのが筋だと思います。でも、ほら、広瀬さんのことは他にいろんな方が紹介されてますから。いまさらうちがしゃしゃり出る勇気はありません。

 そんな、まさに“時の人”広瀬正を差し置いて、今日の話題は安達征一郎さん、ひとり占めで行きます。

 でも、同人誌『文学者』の話は、以前のエントリーでご紹介しましたしねえ。今日は同人誌ネタは封印ってことで。また別の角度から攻めていきます。

 たとえば、南洋の諸島から生まれ出た直木賞候補作家といえば、古いところでは大屋典一さんがいます。のち一色次郎の筆名を使い、そのふるさとについて数多く作品を残してくれました。ただし、大屋さんの2つの直木賞候補「冬の旅」と『孤雁』は、南洋とは全然関係ありません。残念ながら。

 石野径一郎さんなんて方もいました。その候補作は『沖縄の民』って、もうこの書名が表わすとおり、全篇、沖縄人のたどらされた苦い運命が綴られています。と、こう来れば、あまたある沖縄文学の轍を踏んで、石野さんの作品も、芥川賞の候補になってよさそうなもんですが、そうはさせじと、こっそり直木賞が手を出しました。ふふ、さすが直木賞だ。よっ、“何でも喰い”の大風呂敷。

 その系統を継いで、“本土とは別の文化圏をもつ南洋諸島を描いた作品”って観点で見るならば、『沖縄の民』の次にくるのは『シュロン耕地』でしょう。斎藤芳樹さんが放ったシブーい一作です。斎藤さんは、昭和58年/1983年に胡桃沢耕史までもがついに直木賞をとるにいたって、『近代説話』同人として最後まで置いてけぼりを食らわされたかたちになった、恵まれない作家のひとりですが、そうかあ、『シュロン耕地』の放っていた土着性むんむんのあの熱気。たしかに読む人を選びそうな独自臭だったもんなあ。

 と、このハナシの流れで一気に安達征一郎さんを語りたいところではあります。直木賞候補の系譜を正しく語るのであれば、それが最良の手順でしょう。

 だって、『日出づる海 日沈む海』(第80回 昭和53年/1978年・下半期 候補)なんて、もう正面から見ても裏返しても360度、南洋小説ここにあり、の構えですもんね。今回取り上げる「怨の儀式」にしたって、そうです。作品の毛色は違えど、本土から虐げられ、そしてそれに対して牙を剥く南洋民族のすがた、ってふうにとらえられなくもありません。

 ええ、そうなんですけど、ワタクシが「怨の儀式」に惚れた理由は、別のところにあります。これって、伝奇小説の系統、ホラー小説の一員として置いてみても、案外しっくり来るからなんです。同時代の半村良『黄金伝説』や藤本泉『呪いの聖域』ほど強烈ではないにしても。

 アンソロジストのみなさん。伝奇、ホラー、はてまた孤島小説の傑作選なんかを編む際は、ぜひ「怨の儀式」も忘れずに。収録候補に加えてもらえますと嬉しいです。

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