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2008年10月19日 (日)

現実の事件をモデルにしながら、いや、作家の想像力が駆使された犯罪小説だもの。一粒で二度おいしい。 第84回候補 西村望『薄化粧』

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第84回(昭和55年/1980年・下半期)候補作

西村望『薄化粧』(昭和55年/1980年8月・立風書房刊)

 ああ、緒形拳さんご逝去。ご冥福をお祈りしつつも、うちのブログでは映画「薄化粧」のことなど、まったく取り上げる気が起こりません。すみません。

 でも、小説『薄化粧』ならばハナシは別。もう断然、直木賞の名候補作のひとつとして、勢い込んで光を当てたいところです。

 まずは作者をご紹介します。

 正真正銘、血を分け合った兄弟が、二人そろって作家になり、二人そろってたびたび直木賞の候補に挙げられ、その回数も仲良く三度ずつで、そして二人そろって“受賞ならず”の報ばかり聞き続けた、そんな兄弟は今のところ、西村望さんとその弟しかいません。ワタクシの知るかぎり。

 ただし、直木賞の舞台に引きずり出されたのは、弟さんのほうが先です。そういえば直木賞ではなぜか、弟が先、のルールがありまして、と言っても他にはたった一組ですけど、東光日出海の今さん兄弟も受賞は弟のほうが先です。あ、変則なところでは、赤瀬川隼さんも、自身が直木賞候補になる前にすでに、弟さんが芥川賞とられてましたなあ。年を重ねて輝きだすアニキたち。頼もしいぜ。

 そんなアニキたちの中でも、よりダークな作風をひっさげて現れたのが西村望さん、またたくまに犯罪小説界において重要な一角を占めるに至りました。著書は昭和40年代にすでに、四国・瀬戸内海あたりの紀行ものや観光案内ものが数冊あるらしいんですが、最初の犯罪小説は、昭和53年/1978年の『鬼畜』ってことになります。それからダダダダッと立て続けに数作品を発表。それら作家・西村望の出発は、立風書房でした。

 ですので、直木賞マニアにとって立風書房とは、みつはしちかこ「小さな恋のものがたり」じゃなくて、断然、西村望の初期作品によって、知られています。

 その望さん初期作品、……おそらく立風の『鬼畜』(昭和53年/1978年5月刊)にはじまり『水の縄』(昭和53年/1978年10月刊)、『蜃気楼』(昭和54年/1979年5月刊)、『火の蛾』(昭和55年/1980年3月刊)を含めて選評で言及したのは、時代小説の御大、村上元三翁です。言及はわずかなんですけどね、それでも「村上選評」の特徴の一端が、隠し切れずに現れちゃっていますよ。

「この作者が書いている一連の犯罪物の中では出来のいいほうだが、読み終って黒いしこり(原文傍点)のようなものしか残らない。」『オール讀物』昭和56年/1981年4月号選評「中味の濃い選考会」より)

 「村上選評」の特徴とは何か。……それは彼が推理小説やSFを評するときにとくに顕著に出るんですけど、選評の行間に「私は小説に貼られたレッテルや外見だけで酷評しているのではない。日頃からよく、そこら辺のジャンルの小説を読みこなしているからこそ、アラが見えるのだ」って感じを滲ませる戦略のことです。あれですかね、外野から「時代小説で生きてきた奴なんぞに、推理小説やSFがわかってたまるか」と野次が飛ぶことがわかっていて、それを未然に防ぎたい思いが、ついつい出ちゃっているんでしょうか。

 でね。望さんの小説に対しても、ほら、誰も聞いていないのに、「この作者が書いている一連の犯罪物」なぞと書くことで、『薄化粧』以外の諸作品も踏まえた上で選考してるんだぜ、と胸を張っていらっしゃいますぞ。うん、それはそれで、えらい。候補者の過去の作品なんか全然読まないどころか、候補作すら読まないで選考会に出てくる人だって、いるとかいないとか、言われている中では。

 それから後、望さんの候補作は、『丑三つの村』(第86回 昭和56年/1981年・下半期)や『刃差しの街』(第99回 昭和63年/1988年・上半期)が挙げられました。『刃差しの街』だけはちょっと作品の毛色が違いますけど、それでも、とことん村上元三さんは、望作品を認めようとはしなかったようです。

 認めなさぶりにも容赦がありません。『薄化粧』に対しては「なんの目的もなく、平気で妻や子や女を殺して逃げまわる殺人者を描いた作品を、直木賞の対象にはしたくない。」と言い、『丑三つの村』に対しては「人を殺して廻る小説では、賞の対象にはならない。」とバッサリ。

 そうです。これほど一部の読者に根本から拒否反応を起こさせたことが、じつは望作品の栄光でもあったのでした。

          ○

 昭和27年10月、ひとりの囚人が愛媛県の西条刑務支所から脱獄しました。坂根藤吉44歳。元、別子鉱業所の坑夫です。

 坂根は、妻と子供2人を殺害し、自宅の床下に埋め、さらにそこをダイナマイトで爆発させた、ということで捕らえられ、係争中でした。坂根本人は、罪状を完全に否認していました。

 愛媛県警の松井捨蔵は、この脱獄囚を追うことになります。立ち廻りそうな先を探り出し、たしかに逃げた形跡をそこかしこで捕らえることに成功します。しかし、あと一歩、坂根本人に手が届きません。

 いっぽう坂根は逃げに逃げ、四国を出て、脱獄から7年後には長野県にいました。その間、常に手馴れた仕事……大規模工事の作業員をつづけながら各地を転々としていました。逃走中の山梨では、ちえという女と知り合い、付かず離れずの関係を続けたりします。

 追っ手から完全に逃れ得たと思われる日々。しかしそんな坂根は、いやな夢を見るようになります。それは、我が手で殺した女房のふくみや、2人の子供の夢でした……。

          ○

 この『薄化粧』の成立過程については、徳間文庫版の「解説」で、植村修介さんが手際よくまとめてくれています。それを読めば事足りそうなものですが、もう少しだけ突っ込んでみましょう。

 この「解説」の典拠となっている望さんのエッセイ集『虫の記』(昭和60年/1985年8月・立風書房刊)を、あらためて読んでみます。

「私は『薄化粧』の資料を、まったく偶然なことから入手した。

 たしか、昭和五十三年の秋頃ではなかったかと思うのだが、私は所用があって愛媛新聞社に、同社の報道部長客野澄博(ルビ:きゃくのすみひろ)氏を訪ねたことがある。

(引用者中略)

 新聞社の一室で美貌の婦人記者(原文傍点)(かどうかははっきりしない。あるいは普通の事務員さんであったのかもしれない)が入れてくれたお茶をすすっているとき、ふいに氏が、

「山の町の小さな居酒屋に、翳りを秘めたような女がいて、その女をめあてに、日が暮れたらかならずやってくる男がいた」

 というようなマクラを振ってはなし出されたのが、この『薄化粧』の主人公坂根藤吉と、その犯罪に関する物語であった。」(「取材者の眼」より)

 ここから取材を始めるわけですが、もちろん望さんの想像力でもって登場人物たちに肉付けがなされて、『薄化粧』は出来上がります。この小説を読んで、坂根藤吉のことを「なんの目的もなく、平気で妻や子や女を殺して逃げまわる殺人者」と理解してしまった村上元三さんって方は、よほど急いで斜め読みしたんとちゃうんかな、と疑いたくなるわけですが、どう読むかは読者それぞれの自由ですから、まあいいとしましょう。

 ただ『薄化粧』を読むにあたって、エッセイ集『虫の記』の存在は、じつにありがたい。

 なぜって、望さんは『虫の記』において、純粋な小説世界であるはずの『薄化粧』に、もう一枚も二枚も、読者に対して楽しみ(?)と言いますか興味・関心の眼を加えてくれているからです。つまり、『薄化粧』にはモデルとなった実在の事件と実在の人物たちがいて、その人たちの後日談を教えてくれているのです。『薄化粧』を一篇の小説として読む楽しみ以外に、さらに現実とダブらせることで、『薄化粧』から現実世界への視点を派生させてくれます。

 まったくもって、『薄化粧』と『虫の記』の組み合わせで、読書の楽しみは倍増。いやいや4倍増、8倍増。

 その実在人物とは。ひとり目は、追う側の松井捨蔵刑事。『虫の記』では「Mさん」としてあります。

「本が出て、相当たってから愛媛新聞社の知り合いから電話がはいり、

「Mさんが、おれのことを書いている本があるそうだが、できたらその本と、そして書いた人のサインをもらってくれといって来た」

 そんなことをいう。」

 すぐさま望さん、愛媛新聞社にサイン入りの本を託します。しかし一年ほどたっても、Mさん本人が取りにこないので渡せないでいる、と知ります。

「よく聞いてみると、Mさんはとっくに警察を退職している。しかし、なぜか警察をよく思っていないらしく、毎年開かれる警察のOB会には一度も出たことがないし、そういう人達とのつきあいもいっさい拒んでいる。家は松山市内にあり、それには電話も引かれているが、ご本人はこの家に住まず、どこかへ隠れ住んでいる。」

「捜査のカミサマ。古いタイプの刑事。警察に対する反感。そして立派な自宅がありながら住所不定の日々。いったい、なにがあって一県警のカミサマとはいえ、カミサマとまでいわれた人がそういう屈折の日々をおくるのか。

 そこまで思うと、急にぼくはMさんにあってみたくなった。」

 その後、一度だけ電話での会話に成功したものの、やはり実際に会うまでには至っていない。ってところで、このエッセイ「退職刑事」は終わっています。

 そんな、かつての「追う側」の行く末と、まるで対比するかのように、「追われる側」のその後も、このエッセイには書かれているのでした。

「「ところで、あなたがお書きになった『薄化粧』のあの人はいまどうしているか、ご存じですか」

 と、(引用者注:取材先の刑務所関係の人が)いい出した。

 あの人とはもちろん坂根のことである。

「知りませんが、刑務所にいるのと違いますか」

 ぼくは答えた。

 坂根の罪はたしか十二、三年であったかと、覚えていたのだ。

「いや、刑を終えて出所していますよ」

 先方さんはいう。

「そうですか」

 ぼくはうなずいた。出所をしても彼はすでに老人。どこでどんな暮らしをおくっているのであろうかと、ふと、思った。」

 刑務所関係の人の言によれば、「坂根」さんは出所後、落ち着いた暮らしをしているとのこと。そりゃ、そういう行く末で結構なことです。ただ、小説世界に描かれたほうの、殺人をおかし長年の逃亡生活を送った罪人、の印象が強烈なだけに、どうも不思議な感覚に襲われます。

 きっとこういう気を起こさせるのも、望さんの思う壺、なのかもしれません。

 ワタクシの読んだ『虫の記』は立風書房(!)の単行本版ですけど、これは平成3年/1991年2月に徳間文庫に増訂して収められているようでして。増訂された箇所もなにやら面白そうなので、ぜひいずれ読んでみたいと思います。

          ○

 そして『虫の記』には、『薄化粧』が直木賞候補になって落ちた件についても、書かれています。そうだそうだ、これを忘れちゃいけませんよね。

 原文は、こんな感じです。

「これ(引用者注:『薄化粧』)が発表した年の直木賞の候補にはいり、ひょっとしたらと思ったが、結局は二位で入賞はできなかった。が、それはあくまでも形だけのもので、ぼくはいまでもあの作品で疑いもなく賞をもらっているものと信じこんでいる。」(「いずれかの地で」より)

 これを、徳間文庫版「解説」の植村修介さんは、こう解釈しています。

「よほど愛着が深い作品なのだろう。」

 まあ、そうなんでしょう。ただ、さらにワタクシは、自分なりに勝手にこんなふうに読みました。

 ――望さんの犯罪小説は、ある選考委員からは、根底から毛嫌いされました。ってことは、裏を返せば、逆に根底から虜になって西村望の大ファンになるだろう読者が、潜在的に存在する、とも受け取れます。そう、まさに。入賞せずとも、勝負には勝ったと言いますか。その“勝利感”というか、読者の胸にぐっさり深いところまで刺さるような小説が書けた確信というか、そんなものが、先に引用した望さんの文章にはひそんでいる、と読みたいのです。

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