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2008年10月12日 (日)

自意識過剰な劇作家のたまご。細川ガラシャに救われて、謙虚なおばあさんになりました。 第79回候補 若城希伊子『ガラシャにつづく人々』

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第79回(昭和53年/1978年・上半期)候補作

若城希伊子『ガラシャにつづく人々』(昭和53年/1978年5月・女子パウロ会刊)

 選考委員と候補者が、すでに顔見知りだったり、仲がよかったり、はてまた、べったりと師弟関係だったり、そんな組み合わせはもちろん今でもあります。かつてエントリーで挙げましたけど、最近では北方謙三×東野圭吾、なんて例もありました。そう、顔見知り同士が選考し選考される、って構図は、直木賞の十八番芸のひとつなんです。第1回受賞の川口松太郎のときからすでに。

 そんな観点にふさわしい人選なのだろうか、と疑いつつ、今日の主人公に選んだのは、若城希伊子さんです。お相手は川口松太郎さん。まさに真の直木賞受賞者らしく、生前に一時代を築き、没後急速に忘れ去られるという王道を堂々と驀進しています。

 松太郎さんといえば、ああ、その長い選考委員在任中に、いろいろなことがありました。

 第42回(昭和34年/1959年・下半期)。同じ久保田万太郎門下生で顔なじみだった戸板康二の作品を候補として批評せざるをえなくなって、あえて厳しい目で向かったあの日……。

 第40回台~第50回台ごろ。夏目千代大屋典一来水明子江夏美子草川俊と、強く推した作品がことごとく選考会で受け入れられず、佐藤得二のとき(第49回 昭和38年/1963年・上半期)にようやく全会一致で自分の推薦が認められて、喜んだあの日……。

 第70回台後半。「大して作品を読みもしないくせに偉そうな選評を書く選考委員」の一人として、筒井康隆の『大いなる助走』のモデルにされたあの日……。

 そして同じ頃。最長老となって、もはや自分は長く選考委員を続けるべきじゃない、と語り自ら退いたあの日……。

 辞める一年前、第79回(昭和53年/1978年・上半期)、78歳のときの選考会でした。松太郎さんは若城さんの作品を選考することになります。もしかしたら、松太郎さんがこの『ガラシャにつづく人々』を候補に推挙したのかもしれませんが、確証はありません。

 若城さんはそりゃ多才な方です。古典研究、劇作、創作などそれぞれの分野で、決して多くはないけど着実に作品を遺されています。そのそれぞれに、師と呼ぶ人をお持ちでした。慶應のまなびやでは折口信夫、新劇を志してのちは岡田八千代、そして昭和40年代以降、川口松太郎と来ます。

 ってことで、若城さんには『空よりの声―私の川口松太郎』(昭和63年/1988年11月・文藝春秋刊)なる著作があるわけです。とにかく松太郎の激動の人生を賞賛する本です。何やかにやと悪名のあったらしい松太郎のことを、そうか、弟子と自負する方はここまで良く描くものなのか、と知れて、それはそれで興味ぶかい内容となっています。

 いやいや、弟子とか師匠とか言う前に、そもそも、何事も刺激的にしない、おだやかでやさしげで謙虚で、「人はみな善なり」っぽいこのテイスト。まったく若城希伊子作品そのものなんですよねえ。

 告白しますと、ほんとはそういう世界、ワタクシ苦手なんです。たとえば『空よりの声』だけでなく、それとへその緒でつながっている『ガラシャにつづく人々』も、そうとう苦手な部類の小説です。

 だって、あなた、版元が女子パウロ会ですよ。昔使われていた書籍コードでは0093-786188-6100で、出版社番号は日本キリスト教書販売のものらしいですよ。もうそれだけで食わず嫌いを催させるパワー十分、じゃないですか。

          ○

 この小説は題名のとおりガラシャ=細川ガラシャのことから稿が起こされます。しかし、次第に彼女の姿は脇へと、回想へと、ぼんやりとした幻へと薄れていき、視点はガラシャに関係した周辺人物の動向に移っていきます。

 つまり、第二章以下、細川幽斎、清原マリア、細川興元・興秋、小笠原玄也、細川忠興、高山右近の各人です。

 物語の核となるのは、日本に伝えられたばかりのキリスト教です。それを信仰の拠り所としたために、彼らにもたらされた苦悩と運命とはいかなるものであったのか。

 本書の「あとがき」は直木賞の選評で「唐突な気がする」と言われたものですが、そこに若城さんの執筆動機が、少々書かれています。

「どちらが先だったか、これもしかとは覚えていないが、あの頃(引用者注:わたしがものを書き始めたばかりの頃)、わたしは若い娘の誰もがそうであるように、自意識過剰の病にとり憑かれた。その暗い穴の中から手を取って助け出してくれたのがガラシャなのだと思っている。

 そう思い始めた頃から、わたしの中のガラシャはもはや光秀の娘であるよりも、忠興の妻として生き始めた。夫と妻というよりは男と女だと感じた。そこからガラシャにこと寄せてものを見たり考えたりするようになった。」

「ガラシャその人だけではなく、「ガラシャにつづく人々」を書きたいと思ったのは、四百年前の細川ガラシャという人の存在によって今のわたしも生きているのではないか、と感じたからだ。」

 で、『あけぼの』(聖パウロ女子修道会発行)に一年間連載し、それを思いきって改稿したんだそうです。

 いやあ、戦国の世に生きたガラシャさんから、今にわたしが生きているところまで結びつけるとは、唐突と言いますか、異常なまでに旺盛な想像力と言いますか。凡なるワタクシには、とうてい付いてゆかれませんぞ。

          ○

 さて、若城さんの関心事のひとつが、福祉であり、それを形作る「人は誰か他の人のために生き、他の人のおかげで生かされている」の精神であったのは、他の著書のはしばしからもうかがえます。

 まあ、そんなことを直木賞専門ブログが取り上げるのは筋違いでしょう。また若城さんが小説の創作よりも、だんだんと源氏物語の紹介に熱を込めていった選択を、どうこう突っ込むつもりもありません。だいたい、直木賞が「これからも精力的に大衆小説を書いていかれる人を探してくる」とか言って候補作に挙げること自体、余計なお世話ですもんね。若城さんみたいに小説をほとんど書かなかった人の、マニアックな小説をひとつ取り上げて、それが直木賞に落選したとかどうとか、30年以上もたって掘り起こすほうが、どうかしています。

 そうなんですけど、それを言ったら、このブログは終わってしまいます。ええと、もうちょっと書かせてください。

 若城さんが川口松太郎とはじめて直接会ったのは、『ガラシャにつづく人々』にさかのぼること10年前。『空よりの声』の記述によれば、昭和43年/1968年11月のことでした。

「その年、私の書いた戯曲「想い川」が、新派で上演されることになった。とり上げられたのは、川口松太郎の目に止まったため、と聞いて挨拶にきたのである。」

 それまでの若城さんは学生時代から芝居を書きたいとの意欲が強く、放送業界で仕事をしつつも、新劇の戯曲をぽつりぽつりと雑誌に書いていました。きっとその若かりし頃、みずから言うところの「自意識過剰の病」に取りつかれていたのでしょう。

 松太郎と出会ってからまもなく、昭和45年/1970年のときです。若城さんは、松太郎の「古都憂愁」をテレビドラマに脚色する、という話をNHKに持ちかけます。

 じつは松太郎にとって「古都憂愁」は大切にしておきたい作品だったらしいんですが、若城さんが脚色するというので、あっさりドラマ化をOKした、と記述が続きます。両者の信頼関係がそうとう深まっていたことの証しです。

「昭和四十六年、NHK銀河ドラマで十回にわたって「古都憂愁」が放映された。全部の放送がすんだ夜、電話のベルが鳴った。

「ああ、川口だよ。テレビを観た。大変よかったよ。さっきね、親しい友人の小林勇っていう鎌倉に住んでるのから電話があってね、涙を催おしたと言ってくれた。僕もちょっとね……。大変面目を施したわけだ。ご苦労さんでした……」

 何よりも嬉しかった。」

 『空よりの声』は、松太郎の戦前までの評伝をベースにしながらも、じっさいには若城―松太郎の交流を、随所随所に差し挟んだ作品です。とすれば、どう考えても、昭和53年/1978年、すでに確固たる師弟関係にあったときに、候補者と選考委員という立場で迎えた第79回直木賞のハナシも欠かせないと思われるのに、そのときのことはまったく出てきません。

 どうしたんだ希伊子。書けなかったのですか、書かなかったのですか、それとも若城さん自身、直木賞のことは煩わしくてとても書く気もしない事件だったのですか。あるべきものがそこにない、そこから妙な邪推ばかりが沸いてきます。

 松太郎自身が直木賞をとったエピソードに続いて、こんなことを書いているのに。

「私が逢ったころの松太郎は、後に出てくる若い作家や編集者、役者たちの面倒をよくみることで有名だった。人知れぬところで、そっと困っている人を救うということは、金銭面だけではなく、数限りなくあったろう。この時(引用者注:松太郎の「鶴八鶴次郎」を菊池寛が「話の屑籠」で褒めたとき)の、菊池寛からいただいた心が、川口松太郎に受け継がれたのだ。文学する心にいそしむ人たちが、こうして松太郎から多く励まされて世に出たことは間違いない。直木賞委員として、その言葉や態度によって、どんなに多くの作家たちが影響を受けたろう。」

 そこまで言いながら、若城さん、ご自分のことには触れてくれないのね。

 でもまあ、極力、自分の素顔っていうか姿っていうか、そういうものを持ち込まないところが慎ましやかで、いかにも若城希伊子だなあ、と思わされるゆえんでもあります。ところが、そのなかで、むむ、と目を引く記述がありました。

「ある年の軽井沢。たしか、昭和四十五年頃である。(引用者中略)夜、私は川口家でご馳走になり、賑やかな町へ松太郎夫妻に連れられて散歩に出た。(引用者中略)

「いいかい、ここに大きな石があるよ。ここがでこぼこしているから気をつけなさい。お前さん、目が悪いんだから、急がないほうがいい」

 私の目は見えない、という目ではない。若い時から潜在性斜視で、焦点がはっきりしない。疲れてくると酔っぱらいと同じようによたよたよろよろするのである。字も長い間、自分で書くことはできない。無理をして書くと、偏と旁が離れすぎたり重なったりする。」

「時折、目が悪いというので、いつも持っていたマイクロカセットに臆面もなく、入れさせていただいた(引用者注:川口松太郎から聞いた)お話が、私のこころに、懐かしいあの時、この時を甦らせる。」

 え。若城さんって、目がお悪かったのですか。そうなんだ。ひょっとして、彼女が劇作に思いを寄せながら、やがて宗教や福祉のこころにテーマを見つけてお仕事をされていったのは、ガラシャとの出逢いって以外にも、ご自身の潜在性斜視からくるご苦労が、なにがしか関係していたんでしょうか。

          ○

 ああだこうだ引用してきましたけど、『空よりの声』を読んで最も心に残るものは何か。そりゃあ直木賞オタクとしましては、やはり、作中にあたかもリフレインのごとく登場する、川口松太郎さんのこんな言葉に尽きます。

「「面白くて、楽しくなければ、駄目だよ。みんなに読んでもらわなくっちゃ……」

 そう言い続けた人であった。そして、自分の書くものは時が経てば消えてしまってよい、とも言い遺していた。黒い足跡が真っ白い雪によって消されてしまうように、自分の名などはあとに残らなくていい、とも言っていた……。」

 自分の書くものは時が経てば消えていく。……そうだろうなあ。大衆小説に限ったことでなく、およそ小説のほとんどは、時が経てば消えていくんだもんなあ。大衆小説は、経つ前と経った後の落差が大きい分、“消えた感”が余計身にしみるだけだろうからなあ。

 そして例に漏れず、若城さんの作品だって、師匠・川口松太郎の作品と同様に、時が経つうちに消えていく運命を追っていまして、ある意味ご本人にとっては本望なことでしょう。ただね、世の中ってやつは変なもので、後世ときどき、“いや、あなたたちの作品も、消さずに残しておいておきたい”と願って、ホームページまでつくる酔狂な野郎が出てきちゃうんですよねえ。

 あれれ。ガラシャと自分とを結びつけた若城さんのことを、付いてゆけないとかほざきましたけど、いまどき川口松太郎と若城希伊子を直木賞の枠のなかで語ろうとする行為も、十分異常だったりして。うん、たしかに。

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