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2008年8月 3日 (日)

迷宮の本領発揮。ミステリーかと思わせて、別の魅力でもって選考委員たちを惑わせる。 第120回候補 服部まゆみ『この闇と光』

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  • 【歴史的重要度】…flairflair 2
  • 【一般的無名度】…flairflair 2
  • 【極私的推奨度】…flairflairflairflair 4

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第120回(平成10年/1998年・下半期)候補作

服部まゆみ『この闇と光』(平成10年/1998年11月・角川書店刊)

 この小説の結末は、決して誰にも話さないでください。

 って、まったく“余計なお世話”なんですけど、この依頼文はワタクシのオリジナルではありません。この単行本のオビに堂々と刷られています。あのねえ、ちょい昔の映画の宣伝文句じゃないんだから。……あ、角川書店の本ですか。だったら納得。

 ええと、さらりと「この単行本のオビに……」とか書きましたけど、装丁が少し凝っていまして、裸本状態では真っ白、そこに黄色地のカバーがかかり、さらにその上に黒ベースのオビが覆っています。ただ、このオビが、通常の本のカバーみたくほぼ全面を占めているために、「「真の贅沢、真の愉楽。薔薇の香油のような。」......皆川博子とか、「幽閉された盲目の姫君。長い髪、シルクのドレス。季節ごとの花々、優しい父王、そして姫を虐待する侍女。一度踏み込んだら抜け出せない、物語の迷宮へようこそ。」とか、惹句がいたるところに躍っていて、装丁家・鈴木一誌の仕事、全開なわけです。

 おっと、装丁のハナシなんぞして、林哲夫さんのブログの真似なぞしてみても、すぐに馬脚を表わすのは必至ですから、さっさと直木賞のことに行きます。横溝正史賞(現・横溝正史ミステリ大賞)作家は、乱歩賞と比べると格段に「直木賞率」が悪いんですけど、過去に挙がったたった2人の横溝賞→直木賞候補、阿久悠さんも、そして服部まゆみさんも、直木賞委員からはダメ出しを食らいました。

 そんなまゆみさんの『この闇と光』に、ここにご登場願ったのは、第一にワタクシお気に入りの候補作だからです。当の直木賞の選考でも、マスコミ的な知名度バツグンの宮部みゆき『理由』、久世光彦『逃げ水半次無用帖』の2人に肩を並べて最終決選まで残り、よくぞ健闘したと思います。

 そして『この闇と光』は、文学賞の(とくに直木賞の)候補作として、文句ないほど典型的な要素を備えていたものですから、ぜひとも「名候補作」の称号を授けたいのです。どう典型的なのか。……つまり、候補作は選考委員に評されるふりをしながらも、逆に選考委員たちの姿を暴き出す立場にあるのだ、っていう忘れがちなことをこの作品はまざまざと、ワタクシたちに見せてくれたからです。

 そう、その重要項目のひとつは、確実にこの作品の構造に由来しています。ええと、結末は誰にも話しちゃいけないんでしたっけね。以下、気をつけてあらすじを書きます。

          ○

 「私」は別荘に住んでいます。名前は「レイア」、幼いころに目が見えなくなってしまいました。

 時々、部屋を訪ねてくる父は、とても優しいのですが、国の王であり、彼が不在のときに「私」の世話をしてくれるのは、ダフネと呼ばれる女性です。ダフネは「私」にとって怖い存在です。「私」を叱ったり叩いたり、また「殺した方がいいのよ。こんな娘」などと非情な言葉を平気で口にします。

 別荘という閉ざされた世界の中で、父が用意してくれたお話のテープを聴きながら「私」は次第に成長していきます。

 13歳のとき、そんな「私」の生活に終わりが訪れます。国に暴動が起きた、と言われてダフネに無理やり手をひかれ、家の外に連れ出されます。車に乗せられ、まるで知らない外の世界にたった一人で置き去りにされてしまいました。

 しばらく時が経って、「私」の耳に大勢の人が近づいてくる音が聞こえてきます。彼らは「れいちゃん!」と叫びながら、「私」を捕まえに来た様子です。

          ○

 この作品をミステリーと位置づけるかどうかは難しいところですけど、選考委員の反応は、ミステリー作品に対するそれの常道を行っています。

「後半にいたって、突如、謎解きに堕して魅力を失ってしまう。」渡辺淳一

「語り手もろとも物語の枠組みを根こそぎ引っくり返してしまう中段でのどんでん返しのあざやかさには感心した。」井上ひさし

 上は、ミステリー大嫌いな人の言葉。下は、ミステリーも認めるときは認める立場の人の言葉。

「不思議な作品だ。どう読むべきか、判断がむつかしい。」阿刀田高

 ちなみにこれは、どう読めばいいかわからないものに対しては、わからないと正直に述べる誠実さを持ち、結局、そういったものを授賞に推さない慎重さをも持ち合わせている人の言葉。

 この作品が持つ構造――前半5分の3の「『レイア 一』」と「囚われの身」の二章と、次の「病院」の章以下の部分の、視点と世界の大転換が、あたかもミステリーチックな「謎の提示」と「その謎解き」という構造に似ているために、選考委員たちの判断に混乱をもたらしたのでしょう。阿刀田さんは正直に「判断がむつかしい」と洩らしましたが、たとえば上で引用した2人の委員の結論は、

「今回の候補作のなかではこの作品だけが、文学的な感興に満ちていて、小説を読む楽しみを味わった。」(渡辺淳一)

「原口の純文学っぽい見得の切り方が、そこまで古典的といっていいぐらい端正につくられていた世界に濁りを入れてしまったように見えた。」(井上ひさし)

 と、まるで真逆なところに落ち着いちゃっていたりして。なんだ、この裏返しっぷりは。『この闇と光』の小説内容みたいだぞ。

 印象的には「ミステリー」に対する脊髄反射を催させながら、最後まで読み通すと、それ以外の観点で評さざるを得ない、という実に選考委員泣かせの作品だったわけです。

 もちろん、それは『この闇と光』がそれほどの力を持った作品だったからに他なりません。

          ○

 版画家と小説家の二つの顔。きらびやかな創造世界。といった側面とはまるで相反して(?)、まゆみさんには、ほんわかしたエピソードが数多く残っています。

 たとえば横溝賞受賞のときの、「ほんわか」バナシ。

「受賞後、あの『フォーカス』のカメラマンが、「絢爛たる女流新星」のデビューをねらって取材に訪れた。取材はこわくてみんな断わってきたが、『フォーカス』のタイミングよい取材申し込みに思わずOKしてしまった。しかし、困ったのは『フォーカス』のカメラマンのほうだった。三日間ねばって服部さんを取材したが、結局“ネタ”にならなかった。誌上に出た写真と記事は、「すごく好意的に書いてくれていてありがたかった」と服部さんのほうが感謝する始末。」(『Voice』昭和62年/1987年9月号「ブック WHO'S WHO」より)

 で、直木賞の候補に挙がったときのことも、山口雅也さんがちょろっと披露してくれているんですが、ううむ、やっぱり「ほんわか」なんだなあ。

「ある年、拙作が推理作家協会賞の候補になったものの落選してしまった時、それを憐れんだ服部ご夫妻が、「それなら服部賞を差し上げましょう」と言ってくれた。」

 次の年に山口さんが受賞したとき、切子細工のワイン・グラスに、創元推理文庫の「本格おじさんマーク」と《服部賞》の文字が刻まれた特注品が、送られてきたそうです。

「数年後に恩に報いる日が来た。まゆみさんの『この闇と光』が直木賞の候補に挙がったのだ。私は、この機を逃さじとばかりに、本格おじさんの代わりに、サスペンスを象徴する黒猫マークを刻んだ《山口賞》を彼女に押し付けた。それを受け取る時のまゆみさんのはにかんだような、困ったような笑顔が忘れられない。」(『ミステリーズ!』25号[平成19年/2007年10月]山口雅也「服部まゆみさんの死を悼む/言葉もない中で――」より)

 「直木三十五」の名の付いたものより、「山口雅也」の名を冠した賞のほうを欲しがる人のほうが、今では多そうだなあ。などと想像するとニヤリとしてしまいますが、直木賞の重みよりも、このとき与えられた山口賞のほうが、はるかに重いものなのは確かでしょう。

 作品内容のみならず、選考過程においても、存分に「迷宮」ぶりを発揮してくれた『この闇と光』。ああいう作品が、まゆみさんの新作として、もう出ることもないかと思うと、寂しい限りです。

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コメント

一瞬「象印賞」が頭に浮かびました(笑)

探偵小説マニアの漫画家喜国雅彦が「喜国雅彦探偵小説大賞」を二階堂黎人「人狼城の恐怖」に授賞したときの賞品は、「講談社ノベルス版『人狼城の恐怖』全巻がピッタリと収まる、特製の函」だったそうです。
こういった私的な賞が発展すると日本冒険小説協会大賞みたいになるのかな、などと思ってみたりして。

ちなみに私も「一年間に読んだ中で最も面白かった本」をジャンルごとに決定し、大賞の名を冠してブログで発表したりしています。
今年の「シリーズ作品部門」にはP.L.B.さんの直木賞受賞作アンソロジーが選ばれる予定ですが、残念ながら賞品は出ません。悪しからずm(_ _)m

投稿: 毒太 | 2008年8月 3日 (日) 22時11分

賞品なしですか。それは残念。

だなんて、もちろん冗談ですが、そのお心づかいだけで(いや、お心づかいこそが)
大変ありがたく思います。

毒太さんのような方に楽しく読んでいただき、
小説と作家の解説文めいたものを書くなんていう慣れないことを
苦労してやった甲斐があったというものです。

投稿: P.L.B. | 2008年8月 4日 (月) 23時18分

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