« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »

2008年6月の5件の記事

2008年6月29日 (日)

田んぼはゴミ捨て場でもトイレでもありません。仮にそう見えたとしても。 第85回候補 山下惣一「減反神社」

===================================

  • 【歴史的重要度】…flairflairflair 3
  • 【一般的無名度】…flair 1
  • 【極私的推奨度】…flairflairflairflair 4

===================================

第85回(昭和56年/1981年・上半期)候補作

山下惣一「減反神社」(昭和56年/1981年1月・家の光協会刊『減反神社』より)

 もったいないですよ。この小説に「農業小説」と冠をかぶせてしまっては。

 それでエンタメ小説が大好きな読者たちに、ああ、それなら僕らの範疇じゃないんだな、と判断されたかもしれないもんな。そのために数多くの潜在的読者を失ってしまっているとしたら、ほんともったいない。

 あえて同志たちに告げます。農業の問題とか、都市と田舎の問題とか、そういうことに全然関心ありませんよね? だいじょうぶ。それでも、この小説は別の次元で十分におもしろく読めます。

 と、山下惣一さんの圧倒的に独自路線をいくご活躍を前提にハナシをすすめちゃう前に。山下さんのことを少しご紹介します。

 機関士の世界に清水寥人向坂唯雄あり、職人の世界に小関智弘あり、では農業の世界とくれば? せーの、山下惣一あり、とみんなが声を合わせてハモれる存在です。

 ご自身、中学卒業から農業に従事しつづけ、小説のみならずルポ、エッセイ、提言文など数多くこなし、講演やパネルディスカッションにかり出されること数知れず、しかもそれを継続すること30年以上。ミスター現代農民。現場に生きる農業従事者たちのスポークスマン。

 その山下さんの処女短篇集が『減反神社』なわけですが、序文「山下惣一作品集に寄せて」を野坂昭如さんが書いていて、もちろん大絶賛の名調子です。

「この作品集に収められた中の、「減反神社」は、地上文学賞を受けている。山下の持ち味であるユーモラスな感覚が見事に生きていて、モーパッサン、チェーホフ、ゴーゴリに匹敵する傑作、当節、硬化し貧しくなりまさる日本文学が、稀有に産み出した、賜ものであろう。」

 そして「あとがき」によれば、地上文学賞では選者のひとり新田次郎さんもやはり、強力に推奨したんだそうな。

 同時に直木賞の候補になった「父の寧日」も、ワタクシの好きな作品ではあります。しかし「減反神社」のほうには、懸命に生きる一小市民にふりかかる災難を、とことん笑い飛ばすパワーが、さらにあふれているって意味で、小説好きのあなたにもぜひ読んでもらいたい一作なわけです。

続きを読む "田んぼはゴミ捨て場でもトイレでもありません。仮にそう見えたとしても。 第85回候補 山下惣一「減反神社」"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月22日 (日)

30代後半の主婦に襲いかかる、プライバシー侵害の魔の手 第72回候補 素九鬼子『大地の子守歌』

===================================

  • 【歴史的重要度】…flairflairflairflair 4
  • 【一般的無名度】…flairflair 2
  • 【極私的推奨度】…flairflairflair 3

===================================

第72回(昭和49年/1974年・下半期)候補作

素九鬼子『大地の子守歌』(昭和49年/1974年11月・筑摩書房刊)

 “この方の業績をたたえる本格的サイトが、そのうち開設されてもおかしくない”ランキングの、上位10番以内に入りそうな作家です。それだけ、この方の作品はいまだに多くの(一部の?)読者を惹きつけ続けています。たぶん。

 直木賞にたてつづけで3回連続、候補になりました。しかし、それがなくても、デビュー作『旅の重さ』ただ一つがあっただけで、きっと九鬼子さんの魅力は現在まで語り継がれていたとは思います。なので本来、直木賞オタクの出る幕じゃなかろうに。コソコソ。むしろ、こんな無神経な人目にさらされる暴力的文学賞の舞台に立たされなかったほうが、案外その後も着実に、創作活動を続けられていたかもしれんぞ、などと考えると、ふうむ、どうにもやり切れません。

 とか殊勝なふりをしながら、堂々と取り上げるなんて、P.L.B.め、お前は何とまあ、非道なハイエナ野郎。

 素九鬼子(もと・くきこ)さん。ご紹介します。彼女が何によって有名かと言えば、イザヤ・ベンダサンとか沼正三とかが、その正体の不明な点で騒がれていた昭和47年/1972年のタイミングで、また一人、正体不明の作家としてデビュー作が刊行されたところにあります。時系列でまとめると、こんな感じです。

  • 昭和44年/1969年12月30日 作家の由起しげ子死去。その遺品を整理していた八木岡英治が、「旅の重さ」と題された大型ノート5冊を発見する。署名は「素九鬼子」、作品の末尾には「一九六四・九」と書かれていた。八木岡は、作者を探そうと試みるが果たせず、しかし作品内容に感銘を受け、筑摩書房に相談する。

  • 昭和47年/1972年3月頃まで 筑摩書房ではこの作品を刊行することに決め、作者に名乗り出てもらうよう広告などを使って呼びかける。しかし作者は現れずに、不明のまま刊行に踏み切ることにする(4月に発売)。

  • 同年3月14日 『朝日新聞』「点描」欄で、このことが取り上げられる。

  • 同年4月14日 『毎日新聞』社会面で、このことが取り上げられる。

  • 同年4月24日頃まで 新聞記事を見た人のなかに、以前、作者本人からこの作品を見せてもらったことのある人がいた。その人が、作者本人に新聞記事のことを告げる。本人が筑摩書房に名乗り出る。筆跡などの検証の結果、「素九鬼子」本人であることが確認される。

  • 同年4月27日 『毎日新聞』社会面で、本人が判明した旨が伝えられる。しかし本名や経歴の多くは伏せたままだった。

  • このころ 『旅の重さ』松竹にて映画化決定。同年10月、監督・斎藤耕一、主演・高橋洋子で劇場公開。

  • 昭和48年/1973年4月20日 作者の本名・略歴等が公開される。

 とりあえずこのなかで、昭和47年/1972年4月27日『毎日新聞』の記事だけ、ちょっとご紹介しておきます。

「ヘンなペンネームについては「鬼」はこわい半面、素朴でかわいいところから、「九」はキューという語感が好きだからだが「昔のことで、また、いろいろなペンネームを使っていましたので、新聞をみたとき、自分のことだとは思いつかなかったくらいです」。」

 一発屋で終わらなかったのが幸か不幸かわかりませんけど、昭和49年/1974年に入って、2作目『パーマネントブルー』、3作目『大地の子守歌』と長篇を発表、2作ともドドンと直木賞候補になります。きっとそのことが縁となって文藝春秋の『文學界』からもお呼びがかかり、そこに発表した「ひまやきりしたん」もまた、ひきつづいて候補になります。

 以上3つの候補作のうち、どれをピックアップしてもいいんですけど、今日は、川口松太郎が褒め、水上勉が九鬼子ブシをまったりと堪能し、松本清張が酷評した2番目の候補『大地の子守歌』を、とりあえず持ってきました。

続きを読む "30代後半の主婦に襲いかかる、プライバシー侵害の魔の手 第72回候補 素九鬼子『大地の子守歌』"

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2008年6月15日 (日)

山岳ミステリー作家、プロ魂を発揮して、現実の苦悩を小説に託す 第63回候補 加藤薫「遭難」

===================================

  • 【歴史的重要度】…flairflair 2
  • 【一般的無名度】…flairflairflair 3
  • 【極私的推奨度】…flairflairflair 3

===================================

第63回(昭和45年/1970年・上半期)候補作

加藤薫「遭難」(『オール讀物』昭和45年/1970年1月号)

 泣ける。……この作品を読んで、つい泣けてしまう理由は、作品内容に輪をかけて、その背後にある事情が強烈だからです。加藤薫さんがこの作品を書こうと筆をとった勇気、それを『オール讀物』なんちゅう中間小説誌にポツンと発表した勇気、その一世一代とも思える思い切りに、心が揺さぶられます。

 今回はけっこう重いハナシです。ガラにもなく。

 加藤薫さんは今では筆を折られているようですけど、オール讀物推理小説新人賞(昭和44年/1969年)の「アルプスに死す」で登場して以来、山岳ミステリーの書き手として数年間、活躍しました。ご自身も山登りの経験があり、大学時代は山岳部に所属されていたとか。

 と、その程度の知識しかなかったワタクシは、この「遭難」が載っている『オール讀物』昭和45年/1970年1月号の目次を目にしたとき、思わずビクリとしてしまいました。

「14年前の悲劇の記憶を生存者が描く衝撃の問題作

遭難 110枚 加藤薫

昭和31年の正月厳冬の北ア鹿島槍の雪嶺に消えた学習院大山岳部の今はなき仲間に捧げる悲痛慟哭の鎮魂賦」

 作品本文からは、一切、鹿島槍だの学習院だの、そんな固有名詞は省かれているのに、そうですか、『オール讀物』編集部はこんなにハッキリ書いちゃうんだなあ。目次って恐ろしい。

 ひょっとして、この直木賞候補作って、加藤さんの実体験をもとにしているの? そもそも加藤さんが、遭難で仲間を失った経験をお持ちだったって事実を知っただけでも、ぐっと来るのに。

 当時の基準で14年前、現在から見ればはるか52年前にさかのぼる、学習院大山岳部の実際の遭難のことを思い起こす前に、まずは加藤薫さんが苦悩を乗り越えて書き下ろした「遭難」のスジを追ってみます。

続きを読む "山岳ミステリー作家、プロ魂を発揮して、現実の苦悩を小説に託す 第63回候補 加藤薫「遭難」"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 8日 (日)

関西の地から等身大の女性を描く新人、登場です。 第55回候補 田中ひな子「善意通訳」

===================================

  • 【歴史的重要度】…flairflair 2
  • 【一般的無名度】…flairflairflair 3
  • 【極私的推奨度】…flairflairflairflair 4

===================================

第55回(昭和41年/1966年・上半期)候補作

田中ひな子「善意通訳」(『新文学』16号[昭和41年/1966年4月])

 直木賞や、それを実際に運営している日本文学振興会=文藝春秋が、心の底からは自覚していないにしても、ある時代まで、たしかにこの賞には“新人発掘”の性格もありました。昭和40年代、まだまだその匂いが根強かったころの、代表的な候補作です。そう、あえて“代表的な”と言わせてもらいます。

 田中さん……って言うより、この方の場合、ひな子さんと呼んだほうがしっくり来ますよね。ひな子さんは、いまでも関西方面では名の知れた作家に違いありません。たぶん。

 で、彼女は神戸の長寿同人誌『VIKING』の同人でもあるんですが、その物書きの道への出発点は、おそらく、この候補作「善意通訳」付近にあるらしいです。

 時は昭和40年/1965年ごろ、直木賞では同人誌花盛りの時代です。もう少し突っ込んで解釈しますと、昭和34年/1959年(第41回)あたりからの10年は、文藝春秋色の比較的弱い、かたよりの少ない候補作の選出がちゃんと実現できていた時期でもありました。

 だって、ほら、候補作に一つも文春系の作品が選ばれない回、ってのも普通にありましてね。おそらく今の文藝春秋社員の方々には、とうてい真似できないと思いますけど。たとえば、第41回(昭和34年/1959年・上半期)、第42回(昭和34年/1959年・下半期)、第44回(昭和35年/1960年・下半期)、第46回(昭和36年/1961年・下半期)、第51回(昭和39年/1964年・上半期)、第53回(昭和40年/1965年・上半期)……。

 “直木賞の同人誌離れ”の引き金になったと言われる第54回(昭和40年/1965年・下半期)は、同人誌作家2人(新橋遊吉千葉治平)VS.有名プロ作家2人(立原正秋青山光二)の伝説的な大接戦があった回です。しかし、それから後もしばらくは、同人誌から候補作を見つけ出す流れは絶えなかったし、文藝春秋の出版物を特別扱いしない路線は、続きました。

 さて、そんな頃に登場したひな子さん、「善意通訳」の初出は『新文学』っていう同人誌です。

 “新人発掘”のテーマで語るときに、この同人誌。ううむ、ぴったりだなあ。

 『新文学』は、今も運営されている大阪文学学校がかつて出していた雑誌です。これがのちに『文学学校』となり『樹林』となります。大阪文学学校は、一般人に広く門戸をひらいて、文学への情熱を“スクール”のかたちで実体化させた団体で、もはやその存在自体が戦後文学史の一角をになうものでしょう。その出発期の卒業生といえば、ははあ、やっぱり一番の有名人は田辺聖子さんでしょうねえ。

 でも彼女がとったのは芥川賞じゃんか、それも受賞作は『航路』掲載のものだろ、おまえが語るべきハナシじゃねえぞ……そ、そうなんです。ですのでワタクシは、大阪文学学校の純正同人誌『新文学』によって注目されて、直木賞の歴史に一杭コツンと打った最初の人、ひな子さんを取り上げさせてもらいます。

続きを読む "関西の地から等身大の女性を描く新人、登場です。 第55回候補 田中ひな子「善意通訳」"

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2008年6月 1日 (日)

読みづらい、って決して欠点じゃありません。一人の女流作家の生きざまです。 第46回候補 来水明子『背教者』

===================================

  • 【歴史的重要度】…flair 1
  • 【一般的無名度】…flairflairflair 3
  • 【極私的推奨度】…flairflairflair 3

===================================

第46回(昭和36年/1961年・下半期)候補作

来水明子『背教者』(昭和36年/1961年7月・東都書房刊)

 長い長い直木賞の歴史のなかで、読み通すのに最も骨が折れる候補作はどれか。もちろん“骨が折れる”なんてのは途轍もなく感覚値であって、読み手それぞれで基準は違うでしょう。ある方は古川日出男『ベルカ、吠えないのか?』を読みづらいと言いました。今官一の受賞作『壁の花』も相当なもんです。斎藤芳樹の『シュロン耕地』だって負けちゃおりますまい。

 私見ですけど、そんなコンテストがあったら必ず上位に挙げられるはずの作家が、二人います。一人は、坂本龍馬に魂を奪われたコテコテの土佐人・宮地佐一郎さん。彼の三つの候補作『闘鶏絵図』『宮地家三代日記』『菊酒』とも、かなりイッちゃってます。

 もうお一人がこの方。来水明子さんです。

 来水さんが「佐藤明子」の筆名でオール讀物新人賞を受賞した「寵臣」(第37回 昭和32年/1957年・上半期 候補)は、まあ短篇ですからいいとして、筆名一転、来水姓になってからの『背教者』、『涼月記』(第47回 昭和37年/1962年・上半期 候補)、『短夜物語』(第49回 昭和38年/1963年・上半期 候補)の、怒濤の長篇攻撃には、たじろぐしかありません。

 根っからの時代小説好きならば、単に材が戦国時代にとられている、ってだけで最後まで読み通す意欲が衰えることはないかもしれません。そんな方に、ぜひ来水ワールドをおすすめしておきます。

 ただ、ページのところどころにイラストがないと駄目な方、ひんぱんな改行によってリズミカルに読書するのが好きな方、おしゃれな装幀からしか作品世界にのめり込めない方……来水さんの長篇に手を出すと怪我をしますよ。ご注意ください。って言っても、まず書店で来水さんの小説にお目にかかる機会はないでしょうから、ご安心ください(ん?)。

続きを読む "読みづらい、って決して欠点じゃありません。一人の女流作家の生きざまです。 第46回候補 来水明子『背教者』"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »