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2008年6月22日 (日)

30代後半の主婦に襲いかかる、プライバシー侵害の魔の手 第72回候補 素九鬼子『大地の子守歌』

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  • 【歴史的重要度】…flairflairflairflair 4
  • 【一般的無名度】…flairflair 2
  • 【極私的推奨度】…flairflairflair 3

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第72回(昭和49年/1974年・下半期)候補作

素九鬼子『大地の子守歌』(昭和49年/1974年11月・筑摩書房刊)

 “この方の業績をたたえる本格的サイトが、そのうち開設されてもおかしくない”ランキングの、上位10番以内に入りそうな作家です。それだけ、この方の作品はいまだに多くの(一部の?)読者を惹きつけ続けています。たぶん。

 直木賞にたてつづけで3回連続、候補になりました。しかし、それがなくても、デビュー作『旅の重さ』ただ一つがあっただけで、きっと九鬼子さんの魅力は現在まで語り継がれていたとは思います。なので本来、直木賞オタクの出る幕じゃなかろうに。コソコソ。むしろ、こんな無神経な人目にさらされる暴力的文学賞の舞台に立たされなかったほうが、案外その後も着実に、創作活動を続けられていたかもしれんぞ、などと考えると、ふうむ、どうにもやり切れません。

 とか殊勝なふりをしながら、堂々と取り上げるなんて、P.L.B.め、お前は何とまあ、非道なハイエナ野郎。

 素九鬼子(もと・くきこ)さん。ご紹介します。彼女が何によって有名かと言えば、イザヤ・ベンダサンとか沼正三とかが、その正体の不明な点で騒がれていた昭和47年/1972年のタイミングで、また一人、正体不明の作家としてデビュー作が刊行されたところにあります。時系列でまとめると、こんな感じです。

  • 昭和44年/1969年12月30日 作家の由起しげ子死去。その遺品を整理していた八木岡英治が、「旅の重さ」と題された大型ノート5冊を発見する。署名は「素九鬼子」、作品の末尾には「一九六四・九」と書かれていた。八木岡は、作者を探そうと試みるが果たせず、しかし作品内容に感銘を受け、筑摩書房に相談する。

  • 昭和47年/1972年3月頃まで 筑摩書房ではこの作品を刊行することに決め、作者に名乗り出てもらうよう広告などを使って呼びかける。しかし作者は現れずに、不明のまま刊行に踏み切ることにする(4月に発売)。

  • 同年3月14日 『朝日新聞』「点描」欄で、このことが取り上げられる。

  • 同年4月14日 『毎日新聞』社会面で、このことが取り上げられる。

  • 同年4月24日頃まで 新聞記事を見た人のなかに、以前、作者本人からこの作品を見せてもらったことのある人がいた。その人が、作者本人に新聞記事のことを告げる。本人が筑摩書房に名乗り出る。筆跡などの検証の結果、「素九鬼子」本人であることが確認される。

  • 同年4月27日 『毎日新聞』社会面で、本人が判明した旨が伝えられる。しかし本名や経歴の多くは伏せたままだった。

  • このころ 『旅の重さ』松竹にて映画化決定。同年10月、監督・斎藤耕一、主演・高橋洋子で劇場公開。

  • 昭和48年/1973年4月20日 作者の本名・略歴等が公開される。

 とりあえずこのなかで、昭和47年/1972年4月27日『毎日新聞』の記事だけ、ちょっとご紹介しておきます。

「ヘンなペンネームについては「鬼」はこわい半面、素朴でかわいいところから、「九」はキューという語感が好きだからだが「昔のことで、また、いろいろなペンネームを使っていましたので、新聞をみたとき、自分のことだとは思いつかなかったくらいです」。」

 一発屋で終わらなかったのが幸か不幸かわかりませんけど、昭和49年/1974年に入って、2作目『パーマネントブルー』、3作目『大地の子守歌』と長篇を発表、2作ともドドンと直木賞候補になります。きっとそのことが縁となって文藝春秋の『文學界』からもお呼びがかかり、そこに発表した「ひまやきりしたん」もまた、ひきつづいて候補になります。

 以上3つの候補作のうち、どれをピックアップしてもいいんですけど、今日は、川口松太郎が褒め、水上勉が九鬼子ブシをまったりと堪能し、松本清張が酷評した2番目の候補『大地の子守歌』を、とりあえず持ってきました。

          ○

 物語の舞台は、九鬼子おなじみの伊予・愛媛。しかし時代は、前二作とは違って、昭和はじめ頃の設定となります。

 奥山で、ばばと二人で暮らしていた少女おりん。そのばばが死に、おりんがたった一人になるところからハナシは始まります。

 はてさて、おりんは天涯孤独の身、これからどうやって生きていくのかと、部落の者も心配げに見つめるなか、おりんの家に佐吉という男が訪ねてきます。

 佐吉は、部落内でも有名人でした。というのも、近隣の貧乏な家の娘を、島の女郎屋に世話をして金をかせぐ男だったからです。

 十五のおりんは、佐吉の誘いに乗り、山を下りることを決意します。行く先は、島の女郎屋。そこで山育ちのおりんの、新たな人生が始まることになるのでした……。

          ○

 さて、昭和52年/1977年5月に至って、『さよならのサーカス』(筑摩書房)と『烏女』(角川書店)の単行本が出ます。同月、おそらく『烏女』の“抱き合わせ”で『旅の重さ』が角川文庫化されます。順調に創作生活を歩んでいたように見えたのですが、それ以降、素九鬼子の著作は、絶えて出なくなってしまいます。

 愛媛文学界の重鎮にして生き字引、図子英雄さんの言葉を借りれば、

「遠くの水底から不意に現われて、また水底の奥処に姿を隠した妖精のようにも思われる。」(平成13年/2001年3月・愛媛県文化振興財団刊『愛媛の文学』より)

 って感じのわずか5年の活動でした。

 なぜ書かなくなったのか。理由は不明です。そして、角川文庫『旅の重さ』の解説文で、文芸評論家の小松伸六さんは、まったくの正論を述べています。

「私たちは作品がすべてであり、作者についてそれ以上、〈知る権利〉もないのだから、作者の私生活に立ち入る必要もない。」(昭和52年/1977年5月・角川書店/角川文庫『旅の重さ』「解説」より)

 うん、正論だ。そして正論すぎる。

 えてして正論ってやつは、わくわく感や楽しさに欠けるもんです。素九鬼子ってどんな人なんだろう、どうして突然書かなくなったんだろう、と知ろうとする気持ちには、はしたないマナー違反の反面、楽しさがあります。よね?

 たとえば、知る権利がないにしても、仮説を立てたり想像したりする権利ぐらいはあるでしょう。昭和52年/1977年4月、九鬼子さんは「文庫版のための作者あとがき」を書いています。そのころ、すでに「静かな生活の安らぎ」と「その生ぬるい幸せ」を知ってしまっていた彼女は、ある決断をせまられたはずです。その年の5月、旦那さんがドイツ・ボーフムのルール大学客員研究員として渡独するからです。さて彼女は、いったいどうしたか。35歳で授かったお子さん(当時5歳ぐらい)と一緒に、旦那さんに付いてドイツに渡ったかもしれません。翌昭和53年/1978年3月、旦那のサブちゃんがその職を終えたときには、共に日本に帰ってきたかもしれません。

 帰ってきた矢先の昭和53年/1978年、縁もゆかりも深かったアノ筑摩書房は、業績不振で会社更生法を申請、その出版方針を変えざるをえない状況に陥りましたから、筑摩としては、素九鬼子の次作に手をつける余裕が失われてしまったのかもしれません。かたや、九鬼子さんとつながりのあったもう一つの出版社、角川書店は、こちらも春樹体制の始動期でしたから、九鬼子さんの創作姿勢とは折りが合わなかったのかもしれません。

 当然、九鬼子さん本人の心境にも、変化があったでしょう。そもそも、作者として名乗り出てから1年間、彼女はなるべく自分の情報を隠しつづけています。その公式の理由としては、「持病のゼンソクがあって、その年の10月に初の出産を控えているため、大事をとりたい。また、大学教授の旦那さんにも配慮した」といったことが伝えられています。

 それから5年を経るうち、ますます家庭生活を大事にしたくなった、マスコミにあれやこれや突っ付かれるのに嫌気が差した、書き続けていく気力を失った、といった気持ちが積もったのかもしれません。

          ○

 10代にして小説家を志して上京した過去があるとはいえ、さすがに九鬼子さんも、筑摩が仕掛けた(?)覆面作家さわぎには、相当びびってしまったでしょう。たとえば、文壇ゴシップを必要以上に大きく取り上げる新聞としておなじみ、『毎日新聞』は、彼女が個人情報を公開したときに、「「旅の重さ」の覆面作家――素九鬼子は教授夫人!」と題して(なぜ、!マークを付けているのか、ようわからんのですけど)、昭和48年/1973年4月21日社会面に、顔写真入りで3段の記事を載せましたが、そこには九鬼子さんが素顔をさらすにいたった理由が書かれています。

「“覆面”をつづけていたころは、反響があまりにも大きく「びっくりしつづけで、ゼンソクもなおってしまった」そうだが、いつまでもベールをかぶっていると「作品を発表できないし、第一よほどの大物でないとできませんから……」とサッパリした表情。」

 で、この素顔公開をふりかえってみて驚かされるのは、『文藝年鑑1974』(昭和49年/1974年6月・新潮社刊)の「日誌一九七三年」に、こんな記述があることです。

「昭和四四年死去した作家由起しげ子の遺品の中から発見され、筑摩書房から出版され評判になった「旅の重さ」の作者素九鬼子が東京赤坂のホテル・オークラで記者会見し、本名その他を明らかにした。」

 ホテル・オークラで記者会見? なんとまあ、むちゃくちゃ大ゴトに仕立てちゃったんだなあ。やったのは誰だ。筑摩か。松竹か。

 事情は全然知りませんよ。知りませんけど、いわば唐突にあらわれ唐突に姿を消した「素九鬼子」なる存在は、マスコミ、出版業界、映画業界、そういった世界でのみ製造され得た、ものすごく非個人的な、……虚像、バーチャルアイドル風の匂いをまとっています。どうしようもないくらいに。そして、その存在がこれまた、権威権威と紙を貼っているうちにいつしか、はりぼての虎みたいになっていく直木賞と、昭和40年代後半に交差・接触していたっていうのは、偶然ちゅうのかなあ、あるいは時代の必然ちゅうのかなあ。

 そんな意味で、素九鬼子さんの候補作には、【歴史的重要度】4をつけさせてもらいました。

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コメント

ちなみに九鬼子さんは、
昭和53年/1978年の創作活動として、
「島の少年」を『子どもの館』誌に発表しているらしいです。

http://hico.jp/nihonnjidou/kodomonoyakata/61-70.htm

投稿: P.L.B. | 2008年6月23日 (月) 00時30分

ちょうどこのエントリを読む直前に読み終わったのが、「中学生のとき、ほとんど気まぐれに小説を書き、気軽に新人賞に応募したのだが、それが受賞したばかりか大ベストセラーになり社会問題になり、周囲の騒動に本人はノイローゼになって引きこもった挙句、二度と小説は書かないと決意した」という過去を持つ高校生が主人公の小説だったので、なにやら奇妙なシンクロ、と思いつつ、興味深く拝読いたしました。

文芸だけにとどまらず、創作活動に対するメディアの関わりというのは本当に功罪相半ばだと思います。
(主観ですが)あまり実力があるとも思えない歌手がテレビ等でもてはやされているのを見たりすると、「功罪半ばなんてもんじゃない、罪に大きく秤は傾いている!」と思いたくなったりもします。


・・・ただ、そう批判してみたりしても、「○○賞受賞作!」と聞くと「どれどれ」と身を乗り出してしまったり、“殊勝なふりをし”たP.L.B.さんの文章も楽しく読んでしまったりするのは、どうもやめれそうにない私なのです(笑)

ふと、直木賞と縁の浅からぬ作家の、短編にあったひとひらの科白を思い浮かべてしまいました。


「人間、好奇心とヤジ馬根性なくしたら死んだも同然でっせ」
(黒川博行「てとろどときしん」より)


「死んでるみたいに生きたくない」(伊坂幸太郎「グラスホッパー」文庫版帯より)、ということで、これからも野次馬根性をあまり悔いることなく生きようと思います(笑)

投稿: 毒太 | 2008年6月23日 (月) 00時58分

毒太さん

はい、どうかやめないでください……。読んでくださる方がいるからこそ、どうにか毎週、よれよれになりながらも書き続けていられるものですから。

さすが黒川さんだ、いいセリフを叩き出してますねえ。
うっとり。

投稿: P.L.B. | 2008年6月23日 (月) 22時25分

素九鬼子を検索してたどり着きました。コメントの一つは「文学少女」シリーズですねぇ。
僕は中学生のころ、「九鬼子」という文字におどろおどろしいものを感じ、背伸びをして単行本を買って、いっぱしの文学少年になったような気になっていました。「文学」といっても、何が文学で何が文学でないかわかっていなかったのだと思います。
パーマネントブルーにしても、大地の子守唄にしても、詩のような文体に美しさを感じ、これが文学なんだなぁ…なんて思っていました。

投稿: 銀河旋風児 | 2010年7月10日 (土) 22時01分

銀河旋風児さん

ワタクシはイイ年こいて、いまだに、何が「文学」なのかまったくわかりません……。
こんなワタクシにも、いまだに切れ目なく読みたいと欲求を起こさせる、小説(あえて「文学」とは言いませんが)全般。
まったく人間はエラいものを発明したものだ、と思います。

投稿: P.L.B. | 2010年7月12日 (月) 01時34分

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