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2008年5月11日 (日)

SF古典期に生きた化学者のほろ苦い思い出 第17回候補 立川賢「幻の翼」

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  • 【歴史的重要度】…flairflairflairflair 4
  • 【一般的無名度】…flairflairflair 3
  • 【極私的推奨度】…flairflair 2

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第17回(昭和18年/1943年・上半期)候補作

立川賢「幻の翼」(『新青年』昭和18年/1943年2月号)

 「一般的無名度」をいくつにしようかと、迷った末に「3」にしました。思い切って「5」にしてもよかったのです。しかし、平成15年/2003年に、メジャーな文庫である中公文庫に、マニアックなアンソロジー『明治・大正・昭和 日米架空戦記集成』を加えてくれた編者の長山靖生さんに、感謝と敬意の意を含んで、「無名度」を「3」まで落としました。

 そのアンソロジーには、立川賢さん昭和19年/1944年発表の作「桑港けし飛ぶ」が収められています。これによって、彼には一躍「原爆ケンちゃん」の異名が授けられました。おめでとうございます(……ん?)。

 でも、おそらく、日本全国に3~4人ぐらいいる根っからの立川賢ファンにとって、この文庫の解説や執筆者紹介は、ある意味ショックだったに違いありません。なぜなら生年も没年も、生まれも経歴も、ほぼ何も書かれていないからです。

 海野十三に20行、横溝正史に23行、大阪圭吉に18行、それぞれ解説文のスペースを割いているのに、立川賢にはたったの5行。これじゃあ、いったい何者なのか、まるでわかりません。

 まあ、おそらく収録作の内容が内容だけに、立川さんのご遺族やご関係者の心持ちに配慮して、あえてバッサリ経歴を割愛したのでしょう。いや、ひょっとしてご本人ご存命で、プロフィールの掲載を拒否したのかも。ただ、それでもワタクシは口惜しい。彼が戦前の直木賞において候補に上がったことや、日本SF古典期においてほぼ唯一人、直木賞の最終選考会でその作品が論議された歴史的人物であることぐらいは、触れておいてほしかったなあ。

 え? 肝心なのは、その候補作の中身ですって? そうですよね、インターネットのどこを見ても、この作品を紹介しているとこはないみたいなので、ざっと内容をおさらいしといたほうがよさそうです。

          ○

 「幻の翼」は、副題「敵中日本人の手記」。日本にいる松原博士なる人物に宛てられた手紙のかたちをとっています。

 書き手は、日米戦争下のロスに住む日本人、加瀬喜久郎。加瀬氏は日本で生を享けますが、若くして両親と死に別れ、中国に渡ります。そこで友人となった中国人青年がプリンストン大学に入学するというので、彼のボーイとして渡米。生来の化学好きだったもので、なんとかそちら方面の仕事に就きたいと、染料工場の試験室に職を得ます。

 そこで同僚だったロシヤ生まれのナターシャと結婚、一児をもうけ、ますます順調に研究生活を続けました。そんなときに加瀬氏、あるものを見て衝撃を受けます。博覧会に出品されていた、松原博士が発明した「白昼映画幕」でした。

 白昼映画幕……要は、映画ってやつは薄暗い中で幕に光をあてて、はじめて映画たりえるわけですが、そうじゃなくて、真っ昼間のギンギン明るい中でも、光の映像をあててそこに「映画」が映し出せるというシロモノ。大発明品です。

 妻のナターシャは長年、その研究をしてきたものの、なかなか実現できずに、ほぼ挫折していました。そこで加瀬氏は、出品中の白昼映画幕のはしっこを、こっそり切り取って家に持ち帰ります。これがいったいどんなふうにつくられたものなのか、夫婦ともども調べていくうちに、この素材には、白昼映画幕とする以外にも、驚くべき性質があることに気づいてしまうのです。――

          ○

 まあ、この素材の性質こそが、題名の「幻の翼」につながっていきますので、この後は伏せときます。「桑港けし飛ぶ」を読まれた方なら(そうでなくとも)、だいたい想像がつきますかね。そうです、原爆ケンちゃん、お得意のあのパターンです。

 おっと。こんなこと書くと、立川賢って、要はアメリカ憎し、でもほら我ら日本には、高い科学的技術力があるじゃないか、それを使ってやっつけてしまえ、というふうな作品しか残さなかった国策作家と思われちゃうでしょう。しかし、断然違います。

 「クレモナの秘密」を読んでみてください。「恐るべき苔」を探し出してみてください。どちらも、「幻の翼」と同時代に『新青年』にのっかった小説です。とくに「恐るべき苔」には、国策に従って技能をフル発揮する科学者の、反省というか反抗というか、自戒の思いが匂っています。その前の月に「桑港けし飛ぶ」で、思わず想像力を暴走させたことについて、何かご自身、思うところがあったのでしょうか。

 いずれにせよ、「恐るべき苔」を最後に、立川賢さんは『新青年』誌から姿を消してしまいました。

          ○

 いやいや、立川賢研究を志すならば、戦後、“戦争色”のすっかり抜けたケンちゃんにも、目を当てなきゃならないんでしょう。たとえば『雄鶏通信』昭和24年/1949年3月号に載った「デニコヘミン発見記」とか。これを書いた立川賢が、原爆ケンちゃんと同一人物かどうかは不明なんですが、作品内容が、もうおなかいっぱいなほど化学ネタ満載のところから見て、多分同じ人です。さすがに、昭和24年/1949年に『宝石』誌に「独立祭の夜の殺人」を書いた“立川賢”や、同じ頃いくつかのカストリ系の雑誌に作品を発表している“立川賢”が、みんな同じ人かどうかは、確証も自信もありませんけど。

 それと、30年の沈黙をやぶってケンちゃんが上梓した2冊の本も、忘れちゃなりますまい。陽光出版社から出た『癌は私が治す』(昭和54年/1979年3月)と、『人体還元術』(昭和54年/1979年7月)です。

 ちなみに、うちの親サイトの「立川賢 候補作家の群像」の略歴は、ほぼこの2冊に書かれた内容に拠っています。

 そうだ、このうちの『癌は私が治す』には、直木賞マニア垂涎の一文が載っているんでした。科学小説(あえてこう呼ぶ)ではじめて直木賞の最終候補になり、のちにSF小説直木賞落選の歴史、として死屍累々築かれていく、その嚆矢となった立川賢が、直木賞について語っている貴重な一文が。

「私は昭和十七年に『幻の翼』というSF小説で直木賞の最終選考候補に上がったが、二対一で山本周五郎氏に敗れた。その時の一票を投じて下さったのが井伏鱒二先生であり、私の文章に独特のリズムのあることを指摘された。そのことを知った時の感激と共に(引用者注:『新青年』に掲載された自分の推論が正しかったことを知ったことは)私の人生に於ける二つの忘れ難い大感激となっている。」(「八兵衛瀬の浅蜊は何故毒を噴いたか?」の註より)

 さて、昭和20年代をもって、立川さんは筆を折りました。その後は、ご本人いわく「実践の世界において発明発見に没入して来た」と言います。ハテ、実践の世界、というその具体的な実態が、じつは甚だはっきりしません。どこかの企業なり研究所なりに勤めておられたのかというと、どうもそうではないようです。

「昭和五年に現在の横浜国大工学部の前身である横浜高等工業学校応用化学科を出て以来、今日迄の私の人生の大半は浮き草稼業であった。一定の収入源に吸い附いて、そこから栄養を採るショーペンハウエルの所謂『いそぎんちゃく』的化学者にはなれなかった代りに、茫洋たる化学の世界を魚のように漁り廻った。自分ながらよくぞと言う自由人生であった。」(『癌は私が治す』「自序―ある自由化学者の遺産―」より)

 どうやって収入源を得ていたんでしょうか。自由人を志す後輩としては、非常に興味が沸いてきます。松戸の片隅で、誰からも干渉されず、また誰にも被害を加えず、黙々と化学的発明・発見にむかって研究をつづける、孤独なおじいさんの姿が、どうにも頭に浮かんできて離れません。

 いまじゃ海野十三が再評価されて、いろいろとその旧作が再版されてきているんですもの。立川賢だって、改めてその歩みに光を当てられる日が来ても、いいじゃないですか。原爆とか、そういうセンセーショナルな面以外のところでも。ですよねえ。ひとりの(おそらく)勤勉な青年が、化学に魅了されて、科学的視野と物語との融合を果敢にこころみた、幾年かのユニークな創作活動として。

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