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2008年4月13日 (日)

展 第三号 特集「大池唯雄・濱田隼雄 郷土に生きる」

 東北楽天ゴールデンイーグルス、祝・本拠地8連勝。まあ仮に、本拠地を西においていたとして、この球団の性格が今とちがったものになっていたかは、ちょっと疑問ですが。でも、たとえば仙台にあるというそれだけのことで強烈に支持したくなる気持ちがわいてくるのも事実です。郷土性ってやつは不思議なもんです。

080413w170 『展 第三号 特集「大池唯雄・濱田隼雄 郷土に生きる」』(昭和57年/1982年10月・明窓社刊)

 世の中にはきっと、伊坂幸太郎と仙台、ってテーマだけで俺は三日三晩語れるぞ、と豪語するツワモノがおられることでしょう。熊谷達也と仙台、ってテーマでも、何人かはいそうです。さらに歴史をたどりたどって、昭和10年代にはじめて東北人で直木賞をとったのも仙台の人、でもワタクシは大池唯雄と仙台、ってテーマで何時間も語れるほどのネタは持っていません。

 そこで、仙台市で出ていた同人誌『展』のお力を借りまして、今日は、生粋の仙台人・大池唯雄さんのおハナシと行きましょう。

「大池唯雄には地方に住んでいる作家という特色があった。彼の力量を評価した大佛次郎山本周五郎は再三、中央へ出るようすすめたが、土着の作家で終った。それだけに中央と地方の問題が念頭にあり、もし彼に劣等感のようなものがあったとすれば、純文学と大衆文学、中央と地方といった問題で、それが均等の相対関係でなく、その二つの落差の中に存在していたことだろう。」(工藤幸一「大池唯雄と歴史小説」より)

 まさに。そして、逆からの視点、要は戦前の“東京文壇の大衆小説陣営”から見てみれば、大池さんの書くような、ずっぽり地方色で染まったガチガチの歴史小説を、果たして直木賞として引っ張り上げるべきかどうか、っていうなかなか難しい問題が浮き上がってくるわけです。

 このヤヤこしい話を考えていくときに、おっと、ぼくらの身近に、比較するのにふさわしい対照的な作家とその現象があるじゃないですか。“伊坂幸太郎”という、恰好のネタが。

 ちなみにワタクシ自身は、伊坂幸太郎さんの作品は好きで、それに対して何ら含むところはありません。念のため。今日は申し訳ないですけど、郷土の大先輩・大池唯雄さんに光を当てるために、あくまで一個の記号として、のちほど登場してもらいます。

 さあて、そもそも、地味の上に地味を重ねたような作風の大池さんが、何ゆえ直木賞の舞台にのぼらされたのか。それは、“何でもアリ”の権化、大佛次郎さんの批評眼によります。

 大池さんは以前のエントリーでも触れた『サンデー毎日』大衆文芸募集の入選者で、これが昭和12年/1937年第20回のことです(入選作は「おらんだ楽兵」)。ただ、実はそれより前、地元の『河北新報』夕刊に、歴史小説を発表していて、しかもその題名が「戊辰聞書秋田口の兄弟」――そう、のちに直木賞をとる「秋田口の兄弟」の原型となった作品だった、ということを、ワタクシこの『展』ではじめて知りました。

「彼が歴史小説に手を染めたのは昭和十一年八月、河北新報の夕刊に三回続きで「戊辰聞書秋田口の兄弟」を発表したのがはじまりで、それが処女作といえる。(引用者中略)直木賞を受賞したのは「新青年」に発表した「秋田口の兄弟」であるが、一年半前に新聞に掲載されたものを改作した短篇である。雑誌に改めて発表するとき、原稿の長さを少しふやしたので、あとの方が丁寧に書かれている。しかし新聞にのった方が文章と構成が綿密で、処女作らしい初々しさがある。」(工藤幸一「大池唯雄と歴史小説」より)

 昭和12年/1937年、サンデー毎日作家の仲間入りを果たして、『サンデー毎日』増刊に発表の場を与えられた大池さん、それをたまたま大佛次郎が目にします。

 ちょうどその頃、『新青年』誌では従来の“新青年色”から脱皮するがごとく、幅広い作風の新人を紹介しようとしてか、昭和13年/1938年、著名な作家による推薦作家、というかたちの企画を催しました。その著名な作家とは、片岡鐵兵、大佛次郎、佐々木邦、菊池寛、長谷川伸、長谷川時雨です。さて大佛さん、誰を推薦するかと思えば、大池唯雄その人でした。

「大池君の作品を初めて読んだのは、去年のサンデー毎日増刊誌上であった。

(引用者中略)

 その後大池君と文通の機会を得て、氏が経済学徒であり、大衆文芸を経済学的な角度から掘りさげて行こうという野心を抱いていることを知り、その野望を逞しく思い、是非恰好の舞台を見つけてあげたいものと考えていた。」(『新青年』昭和13年/1938年3月臨時増刊 新版大衆小説傑作集「大池君のこと」より)

 ふうむ、大池さんに「大衆文芸を経済学的な角度から掘りさげて行こうという野心」があったとは、はじめて知りましたが、大佛さんのおかげで「三奇人の邂逅」なる作によって、『新青年』に初登場。それから一年も経たないうちにバババっと「秋田口の兄弟」「兜首」「吉原堤の仇討」と発表していきます。

 で、いっぽうの直木賞のほうですが、こちらは第1回以来、「大衆文学の世界では、ある程度、作品を発表してからでないと、賞に値するかどうか決めるのは難しい」みたいな変な空気が選考委員たちの共通認識みたいになっていて、川口松太郎海音寺潮五郎木々高太郎井伏鱒二も、受賞当時はすでにある程度の“有名人”だったんですが(第2回鷲尾雨工のみ例外)、この方向性には、直木賞自身、なにかモヤモヤしたものから抜け切れない感じがありました。

 一緒にやっている芥川賞は、毎度毎度、文壇内でも評判に上がって、ああだこうだと議論が巻き起こるのに、それに比べて直木賞は、どうにも冴えない雰囲気だったわけです。もちろん、その主なる原因は、“大衆小説”に対する差別意識にあったとはいえ、それを打破しようと始めたはずの直木賞が、ちっとも“文壇的な話題”に近づけないのは、どうにも歯がゆいぞ。と、そんな状況になっていたんじゃないかとワタクシは見ます。

 かなりの“新人”“新風”だった第7回(昭和13年/1938年・上半期)の橘外男も、元をただせば『文藝春秋』出の人。なにしろ受賞作とした「ナリン殿下への回想」が、その年の『文藝春秋』本誌に載った作品だったんですからね。“ほおら、ぼくらが新しい人を見つけてきましたよ”と胸張って言えるまでには、ほど遠い始末です。

 大池唯雄の受賞(第8回 昭和13年/1938年・下半期)が、こんな流れのなかに起こった出来事であることは、直木賞史のなかでも重要な視点だと思います。

 あとあとになって、“せっかく受賞したのに、ばりばり商業誌に発表するわけでもなし、人気作家街道をひた走るわけでもなし、頑固に地方にとどまって歴史に忠実な地味な作品ばかり書きつづけた、そんな作家に賞を贈ったのは、はてはて、直木賞にとっては失敗だったんだな”なぞと言われても、確かにそんな面はありますが、それは直木賞のわがままってもんです。大池さんに何の罪も責任もありません。

「昭和十四年二月、彼は周知のとおり、直木賞を受けた。三十歳の若さであった。

 賞が内定した時、まだその資格はない。とかたくなに拒みつづけ、ついに辞退の電報をうっている。」(菊地庄一「一本のシャンペン」より)

 そうですよ、一度は辞退(おそらく固辞)までした人に、強引に賞を押しつけたのは直木賞の勝手であって、それでのちのちの、その人の歩みをとやかく言うのはお門違いでしょう。

 大池さんの固辞の姿勢を、“謙虚”とかから一歩すすめて、こんなふうに見る方もいます。

「「史談 セント・ヘレナの日本人」のあとがきに「(引用者中略)その当時病床にあった私は、ただむやみにはずかしいばかりで、出版を申し出られたかたもあったが、おことわりした次第であった。私にはとうてい印刷する価値があるものとは思われなかった」とある。(引用者中略)この辺りを宮崎泰二郎氏は「芸術家特有のはにかみからだとか、謙虚さといえばよいが自信のなさからか、などと推察する読者がいたら、彼の心意は永久に『シヤイ』の悲喜劇に終ることになる。ブリーダーである彼のいっていることは、菊池寛ならびにジャーナリズムの軽薄さに対する心底からの文学者的抗議であったのだ」(「大池唯雄追悼詞華」昭和四十五年十一月刊)と解説している。」(牛島富美二「戦乱の系譜―「兜首」「秋田口の兄弟」を読む―」より)

 さあ、きましたよ、刺激的なキーワードが。「ジャーナリズムの軽薄さ」……まさに、大池唯雄という存在は、それとは対極にあったんだろうな、と思います。あなたは、大池さんの作品、読んだことがありますか? その作品を手軽に読める環境にない現実そのものからも、すでにその対極さがわかりますけど、なんとか努力して探し出してきて読んでみれば、大池作品のもつ学究的な重厚さが、身にしみてわかることでしょう。

 ワタクシは重厚さも好きです。しかしながら、軽薄さも好きです(直木賞に関心を持っていることからおわかりのとおり)。そもそも、大衆向けの小説から「ジャーナリズムの軽薄さ」をまったく剥ぎ取り、なお大衆向けでありつづけることは、相当厳しいです。ほとんど無謀な要求です。

 たとえば、伊坂幸太郎と、大池唯雄を読み比べて、どちらも面白く読める作品なんですが、じゃあ、本屋さんにつとめる若いニイちゃんネエちゃんたちが、こぞって大池唯雄をすすめるかというと、そんな異様な状況、想像もできません。

 で、大池唯雄さんを「ジャーナリズムの軽薄さ」と対置して見ざるをえない痛々しさを感じるのと同じように、伊坂幸太郎さんのほうにも、「ジャーナリズムの軽薄さ」を組み込んで見ざるをえない痛々しさが、伴っています。ええと、要はですね、実際に多くの読者に支持されて本が売れているだけで十分報いられているのに、そこから先、何々賞をとった、何々賞がとれない、などと煽ってまでもさらに売り上げを伸ばしたいぜ、もっと売れろ売れろ、と絶叫する経済市場の姿が、見ていて何とも痛々しくないですか。

     ○

 今回の『展 第三号』は、拙サイトをご覧いただいて知り合った方から、「こんな本もあるんですよ」と教えていただき、ぜひ手元に置いておきたく譲っていただいたものです。ありがとうございました。

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コメント

はじめまして、青木モランと申します。

両親と話していて大池唯雄氏の事を知り
検索してこちらのブログにたどりつきまして、
興味深く読ませていただきました。
大池唯雄氏について非常に詳細に記事を書かれていて
解りやすくたいへん面白かったです。
大池唯雄氏を紹介するのに、こちらの記事にTBするのをお許しください。

これからも訪問させていただきますので
何卒よろしくお願いします。

投稿: モラン | 2008年11月18日 (火) 10時06分

青木モラン 様

はじめまして。ご訪問いただきありがとうございます。
そうですか、ご両親との会話のなかに「大池唯雄」さんのお名前が出てくるとは……。
うちの両親は、はたして大池唯雄を知っているのだろうか、などと
ついつい考え込んでしまいました。

それはともかく。今後ともいろいろと教えてください。
こちらこそよろしくお願いいたします。

投稿: P.L.B. | 2008年11月18日 (火) 21時58分

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