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2008年3月 9日 (日)

危うし!?文藝春秋 「文春ジャーナリズム」全批判

 お行儀のいい直木賞サイトなら、きっと見て見ぬふりして通りすぎる本でも、なにしろ雑食、ゲテモノ喰い、落ちているお菓子を拾って食べては、よく叱られた人間の目から見りゃ、これも立派な“直木賞関連書籍”です。

080309w170 『危うし!?文藝春秋 「文春ジャーナリズム」全批判』斎藤道一・高崎隆治・柳田邦夫(昭和57年/1982年2月・第三文明社刊)

 月刊誌『文藝春秋』を中心として、それを発行している文藝春秋(ややこしいので、以下“文藝春秋社”と呼びます)の姿勢について、これでもかこれでもかと追及し尽くす本なんですが、要は、権力(主に国家権力)におもねり、大衆を見下し、お山の大将を気取ってエラそうなこと言っては日本人をミスリードしてきた文春よ許さじ、とかなり詳細に研究しています。

 ええと、直木賞の論述に行く前にですね、結構興味深かったのは、柳田邦夫さんが書いている「まえがき風に――」。ここに、昭和57年/1982年、というから20年以上も前の、若者が抱いていた『文藝春秋』観が紹介されています。

 柳田さんが、身近にいる若者に『文藝春秋』を読んでいるか、と聞くと、

「「いや、『文春』は、“オジン雑誌”だからさ。ボクたちとは、あんまりカンケイない感じですよ。」

 という答えが返ってくる。今のところは、これが最大公約数的な答えだと思っていい。

(引用者中略)

「でも、六〇万部も出てるっていうよ」

「だからサ、学校のセンセイとかさ、重役とか部課長とか。――要するにエリート・オジンの雑誌でしょ」」

 20年たった今、中年一歩手前のワタクシは、やっぱり疑問に思ってしまうのです。ほんと、あの活字ぎっしりで分厚い雑誌を、毎月毎月、いったい誰が必死になって読んでいるんだろうと。20年前のオジンが、初老となってそのまま部数を支えているだけなのか、それとも“オジン雑誌でしょ”とそっぽを向いていた連中が、年齢を重ねて心境に変化をきたし、ついつい読むようになったのか。創刊80年を経て今なお命脈を保っているとは、『文藝春秋』もよくよく不思議な雑誌だよなあ。

 さあさ、いまだかつて『文藝春秋』のどの号も一冊まるごと読破できたことのないワタクシなんぞは、早々と退散して、直木賞についての箇所に行きましょ。早く早く。

 本書で芥川賞・直木賞を論じているのは、斎藤道一さん。「第一章 危うし!?文藝春秋」の最後に、補遺として15ページを割いています。

 両賞を受賞していない作家たちのなかには以後活躍している人がたくさんいる、受賞者が全員、彼らと肩を並べるぐらいの業績を上げているなら別だが、そうでないのは、これいかに。優れた作家に賞をあげて、それより劣っているから賞をあげなかったはずが、何年もたって答え合わせしてみりゃ、このありさま。どういうことだ、といったような流れで論稿はつづき、

「すなわち、ここで問われているのは「本質」なのである。芥川賞・直木賞の本質、その主宰者文春の本質、両賞をご大層に担ぎまわる日本の文壇やジャーナリズムの本質、そして、この田舎芝居に阿呆面して眺め入り、喝采さえ送っている日本人とその社会の本質。その本質の現象の仕方が、最近は一段と末期的な症状を呈するようになった。」

 阿呆面で悪うございましたね。田舎芝居だろうが京芝居だろうが、ぶつくさ文句を垂れながらも小屋に足を運ぶ人こそ、真の芝居好きだと思いますよ、ワタクシは。

「内実が衰弱するほどお祭り騒ぎが派手になるというのも、亡び行く者に共通の生理であって、ここには独り戦後文学だけでなく、一つの社会体制とその文化総体の衰滅と終焉が予示されているように思えて、「今ぞ日は近し」の感が深い。」

 そうです、たしかに芥川賞・直木賞の、常軌を逸したお祭り騒ぎは、すでにそこに何の内実もありゃしないことを、はっきりと物語っていると思います。ただ、両賞=戦後文学だった時期が、あったかなかったかは知りませんが、少なくとも日本の小説をめぐる状況の総体と、両賞の行き方は、もうまるで別物だというのがワタクシの見方でして、たとえば“受賞作ナシ”の回の前後に時々見かける“受賞作が出なかったから、今は小説の停滞期だ”みたいな、両者を混同した論調には賛同しかねるわけです。あのね、芥川賞も直木賞も、そんな大層なものじゃないですよ。

 まあ、そんなことは斎藤さんもおわかりのはずです。一語一句にツッコまれるのは心外でしょう。で、ワタクシが、ははあ、これはマトを得た指摘だなあと思ったのは、両賞が内に持っている性質、文春的体質についての説明部分。

「要するには両賞は、文春的文学観によって良しとされた、文春的新人作家の作品に与えられる文春的文学賞ということであるが、その「文春的なもの」とはそも何ぞやとお訊ねなら、お手数ながら前掲の拙文を参照していただきたい。一口で言えばそれは、日本的文士による文壇文学世界の中のかなり俗物的な一角ということになる。つまりは、『文藝春秋』の誌面のような心象風景ということである。

(引用者中略)

基本的には、現象変化にのみ敏感で本質に肉迫する力に乏しいこと、既成の権威や価値体系に対する根源的な懐疑精神が虚弱なこと、趣味的技巧的なママゴトに自足したがること、小市民のケチ臭い世界しか見えないこと、卑俗で浅薄な人間観・社会観等の特性に要約できるように思う。それゆえに総じて、壮大なもの、強烈なもの、異常なもの、突飛なもの、錯乱させるもの、破壊的なもの、革命的なものなどには、理解力も受容力もないだけでなく、すぐそれらに怯えたり嫌悪したり反発したりすることになる。」

 はは。スルドい。

 逆にいえば、馴れ合いの、ぬるま湯のような小説世界を嫌悪する御仁は、あえて受賞作でなく落選した候補作を追ってみると、何らか得られるものがあるでしょう。もっと言えば、候補作にすら挙がらない小説のなかにこそ、壮大・強烈・異常・突飛・錯乱・破壊的・革命的なタネがひそんでいるのだぞ、というのは、うわあ、納得させられちゃうなあ。

 本来、“そうだよね、直木賞なんて文春の宣伝道具にしか過ぎないんだからね”との基本さえ忘れずにいれば、半年に一度やってくる派手なお祭り騒ぎも、ある種の恥ずかしさを感じつつ、阿呆面して眺めていられます。ところが斎藤さんは、そこに日本文学・日本文化に対する弊害がある、と主張されるのですから、おだやかではありません。いわく、芥川賞・直木賞の弊害が顕在化してきたのは、戦後、昭和24年/1949年に両賞が復活した頃からだそうです。

「それでも戦前は、候補作の選定・当選作の決定に当たって、作家・文芸評論家の選考委員の裁量幅が現在よりずっと大きく、文春側の恣意が押しつけられることも少なかった上に、両賞ともまだ戦後のような虚妄の権威になり上がってもてはやされることもなかったから、弊害を流すことは少なかった。戦後の池島文春時代になると、両賞はむしろ日本文学・日本文化の阻害者・歪曲者として立ち現われ、その害毒は最近ますます露骨になってきた。その最初の著しい現われは、戦後の両賞復活の当初にすでに見られる。」

「この回(引用者注:第21回)から、芥川賞選考委員会の席上、進行係を務める文春社員の干渉や牽制が急に目立つようになり、戦前からの選考委員である宇野浩二佐藤春夫までが、苦情や抗議を申し立てている。」

 戦後になっていきなり、日本文学振興会、つまるところ文藝春秋社が選考委員会に口を出し始めたのは、宇野さん佐藤さんなどの選評を見ると、どうやら確かなようです。文春が、芥川賞のことをカネを生み出してくれる広告塔としてはっきり規定し、意識的にこれを利用しようとし始めたってことでしょう。

 おっと、ここで注意点が一つ。戦後の“文春”は、社名が文藝春秋新社。戦前の文藝春秋社とは、一応、別ものです。ここら辺が、戦後の芥川賞の変節を見るカギになるんでしょう、おそらく。

 それと、直木賞はですね、戦後の復活のときは、文藝春秋新社はあまり関わっていなかったはずです。直木賞の運営を日本文学振興会から委託されたのは、雑誌『文藝讀物』を出していた昭和書房、のち昭和23年/1948年11月号から日比谷出版社と社名変更した組織なんです。第21回(昭和24年/1949年・上半期)、第22回(昭和24年/1949年・下半期)は、この出版社が直木賞を運営しました。この2回の候補作を見てみて、『オール讀物』(文藝春秋新社の雑誌)掲載の作品がほとんどなく、やたら『文藝讀物』の作品が多いのは、そんな理由によります。

 徳川夢声「九字を切る」その他、菊岡久利「怖るべき子供たち」、山田克郎「海の廃園」、小泉譲「死の盛粧」、と『文藝讀物』から4つ。今日出海の『山中放浪』なんて、思いっきり自分トコで出した単行本だったりするし。

 ほら、第23回(昭和25年/1950年・上半期)で、委託先が文藝春秋新社に変わったとたんに急に、『オール讀物』の作品が、今日出海「天皇の帽子」、檀一雄「熊山の女妖」、源氏鶏太「随行さん」、玉川一郎「川田二等少尉」と、4つも候補作に選ばれてるでしょ。ふふふ、ザッツ・露骨。

 なので、以下の斎藤さんのご指摘は、芥川賞については当たっている部分もあると思いますけど、直木賞はやや事情が異なります。

「戦後躍り出ためざましい新人群をまとめて切り捨てた結果が、復活第一回四九年上半期の芥川賞は、該当作なしということに決まりかけ、いくら何でもそれではという文春側の懇請で、委員一同ブーブー言いながら由起しげ子「本の話」、小谷剛「確証」の二点に抱き合わせ授賞するていたらくとなる。つづく四九年下半期が井上靖「闘牛」。直木賞は、四九年上半期が富田常雄「面」「刺青」、下半期が山田克郎「海の廃園」。どれをとっても、新しい時代を切り拓く文学にふさわしい清新さも、破壊力も衝迫力も、かけらもない。意図的だったか否かはさておくとしても、戦後の芥川賞・直木賞が、日本文学の新しい可能性に背を向け、結果としてその阻害者・歪曲者として復活した実情は、否定すべくもないだろう。」

 そんなこと言っても、芥川賞はいざしらず、直木賞のことが、文学うんぬんの論点で語られたことなど、戦前にさかのぼってみても、ほとんどないからなあ(いわば、アカデミズム的には、ほとんど無視)。田舎芝居の幕間に演じられる余興、程度の扱いしか受けていなかったわけでして。哀れなるよのう。

 20年前の昭和57年/1982年ですでに“末期症状”と言われた芥川賞・直木賞が、その後も着々と運営され続けてきて、はて、今の状況は何と申せばいいのでしょうか。末期を通り過ぎて、ようやく“両賞が文学に与える影響はいかに”とかそんな妙な呪縛から解き放たれて、独立したショー、舞台、ある意味でのギャグ、として見られるシロモノになったんでしょう。いいことです。

 亡びゆくもの、腐りゆくものの中にも、じっと見つめてみれば、多様な面白さが見つかるわけでして。この腐った感じがたまらんよなあ、などと思ったりするワタクシって、そうですか、ゲテモノ喰いですか。

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私の本業はコンサルティングで、特に評価制度の構築は多数手掛けたことがある。評価制度は経営管理の上で重要極まりなく、これを整えることは会社として必須なのだが、されど、「評価制度」で会社が変わる、とか、誰もが納得する「評価制度」を構築する、というのはなかなか困難で... [続きを読む]

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