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2008年3月 2日 (日)

大鼎談(Dai-Tei-Dan) W大学文芸科創作教室番外篇

 「芸術は短く貧乏は長し」は先週の小ネタです。と思っていたら次の週に、おっと、この受賞作家にお出まし願うとは、偶然といいますか、確信犯的暴挙といいますか。

080302w170 『大鼎談(Dai-Tei-Dan) W大学文芸科創作教室番外篇』三田誠広・笹倉明・岳真也(平成10年/1998年5月・朝日ソノラマ刊)

 大学生の頃より30年以上、長らく友人でありつづける作家お三方が、日ごろの生活から文学についてまでを語り合う鼎談本。白眉は第一章とも言うべき「番外その1」の章、「作家生活! その悲哀と根性のすべて」(平成6年/1994年9月 吉祥寺にて収録)である、とは直木賞マニアたちの間でささやかれるもっぱらの評価です(おそらく)。

 この章のしょっぱなの小見出しが「直木賞ではメシが食えない!?」なのですから、内容は推して知るべし。

 とりあえず、第101回(平成1年/1989年・上半期)受賞の笹倉明さんの体験からいきましょう。

「卑近な例だけれど、直木賞や芥川賞をもらったというと、お金もざくざく入って左うちわだろうと世間は見る。(笑)これは本当だよ。傑作な体験談があれこれある……最近では「笹倉さん、ちょっと二千万円くらい用立ててくれないか」と言われてガク然とした。直木賞作家というと、もうざっくざっくお金が入ってくるものと世間は思ってる。最近はこっちの懐ぐあいも知らないで、やれマンション投資だ、先物取引だとうるさい電話に傷ついてます。(笑)」

 なんで、直木賞作家はイコール高額所得者の仲間入りだ、と思う人たちが、そんなにいるんでしょうね。直木賞決定の段階でのマスコミの取り上げ方が、やたら実態とのバランスを欠くぐらい異常な熱の入れようであることも、関係しているのだろうな。直木賞はエンタメ作家の世間へのお披露目イベントのひとつ、その後の活動を温かく見守ってあげようぜ、のテイストは失ってほしくないものです。

 じゃあ、まずは隗より始めよ、お前のあのサイトを閉じてみりゃいいじゃんか。だなんてキツいことをおっしゃいますか。……うーん、変人のやってる狂気の沙汰だと思って、どうか見逃してくださいまし。

 笹倉明さんが語る、世間での“直木賞コモンセンス”、まだまだ続きます。

笹倉 実際、三田(引用者注:三田誠広 第77回 昭和52年/1987年・上半期芥川賞受賞)が芥川賞を取ったときに、やっぱりおれも芥川賞がほしいと思った。(笑)

(引用者中略)

 いや、つぎはというか、僕も芥川賞がほしいと思ってた。それで、今さっき三田が言ったように、やっぱり直木賞より芥川賞のほうが何か格が上だみたいに思っているような世間というのはあるわけ。というのは、僕が直木賞をもらったでしょう。その後いろんな人から「つぎは芥川賞ですね」と言われたものです。(笑)」

 格が上かどうかは知らないけど、“序列”意識が、芥川賞と直木賞の間に内在している(少なくとも創設の頃には)のは周知の事実でして、直木賞が“大衆文学は通俗に堕してはダメだ。もっと文学的なものを目指さなきゃ”とか言っている時点で、もろに序列っていうか格っていうか、そういうものが賞の性格に組み込まれていることがわかります。芥川賞がガチガチの鎧で固めている以上、ああ、直木賞はもっと自由でいてほしかった。ないものねだりではありますけど。

 次は、刷り部数についての証言から。

笹倉 純文学の世界では、さっき言ったように、本来は売れないものである、それが、たまたま芥川賞といった賞に入ったとき、その作品だけは売れるから、その作家は勘違いするんだね。

 すばる文学賞のとき、僕も勘違いした。勘違いも甚だしくて、あのころバブルが出来かけるころで、日本経済は調子がよかったわけだ。だから、あんな佳作でも本にしてくれて、何と初版の刷部数が一万八千部です。いまの惨状からは信じられない。

 直木賞作家の新聞連載の本が、七千部なのに。(笑)

笹倉 あの当時(八一年)、さらに増刷までしたんだから。それで勘違いしてしまったわけだ。」

「僕のエッセイ集は一つしかないから、第二エッセイ集を出そうと思ってたんだけれども、それがボツになった。なぜか。売れないとわかっているからだよ。

 直木賞を取った後で?

笹倉 そう。要するに売れないんだよ。せいぜい五千刷って三千売れればオンの字で、半分売れるか売れないか。だから、結局、やってもやらなくてもトントンのような仕事であれば、これはやらないほうがいいんじゃないかと……苦労して本作りする必要はない。」

 昭和55年/1980年のすばる文学賞佳作が、18,000部、しかも増刷がかかったと。時が経って平成6年/1994年ごろになりますと、直木賞作家のエッセイ集で、5,000部と。苦しいねえ、涙だねえ。全国の図書館の数が、今3,000程度だっていうから、それを差っ引きますと、実際に己の財布に手をつっこんで本を買う人たちが、どれだけ少ないマイノリティなのかと茫然としますぜ、ご同輩よ。どうも、人生歩んできて、本が好きだという人になかなかめぐり逢わないと思った。

 さて、笹倉さんと語り合っている三田誠広さんも岳真也さんも、なかなか興味深いことをおっしゃっています。

三田 直木賞は取れなかったけれども、中島らもの『今夜、すべてのバーで』という、自分のアル中体験の話だけど、こんなものはもう私は文学だと、すごい文学だと思うし、芥川賞と直木賞のいわゆる境界というのは、まあ、ないんだよね。

笹倉 いわば優れた文学は、そういう意味ではすべからくエンターテイメントともいえるだろう。

三田 だから、そのなかで割とプロフェッショナルなものが直木賞で、素人っぽいのが芥川賞だろうと考えればいいと思う。」

 “純文学と大衆文学(通俗小説)の境界”ではなくて、“芥川賞と直木賞の境界”に関するおハナシであることに、注意が必要なのでしょう。この二つの賞が規定するそれぞれの分野の“文学”とは、その場その場の、たかだか10人前後の選考委員の感覚ひとつ、いや、もっと下れば日本にあまたある出版社のうちのたった一つの出版社の編集者たちのサジ加減ひとつで、コロコロ転がっているに過ぎないわけですから。

 昨日も酒を飲んでて、店のバーテンに「直木賞と芥川賞とどう違うんですか」とか、素朴な質問を受けたもの。笹倉が以前に、雑誌の同じ目次に載るのは嫌だと言ってた作家がいるよね。テレビで唄ったり踊ったり……半裸になったりしてる人。実は彼も直木賞を取っている。それで、そのタレント作家がテレビなんかでやたらに言うだろ、自分は直木賞作家だってね。

(引用者中略)

 なにもボカして言うことないか。志茂田景樹だよね。飲み屋の話題では、志茂田景樹シンドロームみたいのがけっこうすごい。つまり、文学とか小説の話をすると、村上春樹の話と同じくらいに志茂田さんの話が出てくる。あの人はすごく宣伝してくれたね、直木賞のこと。」

 ああ、第34回(昭和30年/1955年・下半期)受賞の邱永漢さんが、その後、金儲けの面で有名になったときに、文芸評論家が銀座のバーで“あいつの受賞を取り消せ”と騒いだっていうエピソードを、ついつい思い出してしまいましたよ。異端児は常に毛嫌いされるもののようで。文学の世界も大変ですな。

 本書では、章ごとの鼎談のあとに、お三方それぞれのエッセイがくっついています。笹倉明さんが寄せているのは「「十年」きざみの軌跡」。第101回で同時受賞されたねじめ正一さんとの奇縁を、教えてくれています。

「サントリーの作品(引用者注:サントリーミステリー大賞の『漂流裁判』、第100回直木賞候補)でも候補になってましたから、二年連続二度目の挑戦で取ってしまった、これはえらいことになったゾと思っていると、もう一人の受賞者がねじめ正一で、これは初候補だというので、よかった、叩かれるのはねじめだと胸をなでおろしたものです。案の定、ねじめは大変な目にあった。同業者からは、ズルイとか、サギみたいなやつだとか、それはもう穴があったら入りたいくらいの袋だたきだったそうです。」

 つまり詩人のねじめさんが、自分の子ども時代の思い出話とかを、ちょっと散文にして発表したら、いきなり賞をとっちゃったんで、やっかみの集中攻撃を浴びたってことでしょうか。いやいや、文学の世界も大変ですな。

「おかげさまで僕はパパラッチされることもなく、さっさと東南アジアへ出かけたりしたのですが、これがよかったのか悪かったのか。僕が異国のスラム街を歩いていたその年の暮、ねじめ正一は紅白歌合戦の審査員となって輝かしい姿を日本国民の前にさらしていました。シマッタ、と思ったのは後の祭り。これが有名度に差が出た決定的な瞬間であることは、コマーシャルの最前線にいた僕にはよくわかる。一時は歌手まで志した人間が紅白を忘れていたとは一体何という不覚か。なんとしてもねじめを押しのけてオレが審査員になるべきだった!」

 むろんシャレが混ざっているんだと思います。ただ、それこそコマーシャルの世界から言えば、たしかに「紅白歌合戦の審査員」枠は、顔が売れているかどうかの試金石に違いありません。で、いよいよ奇縁のおハナシ。

「とはいえ、ねじめとは妙なる縁があって、僕が阿佐ヶ谷の三畳間で売れない小説を書いていたころ、ちょうど裏手の商店街にねじめ民芸店があったのです。阿佐ヶ谷組と称し、石和鷹を頭領として三人でよく飲み騒いだものです。」

 過去に直木賞の二人同時受賞は52回あります。たいていは“選考委員たちのバランス感覚”のなせるワザか、まるで傾向の違う二作が受賞となるケースが目立つわけです。縁といえば、同じ同人誌『近代説話』に属する二作家(第44回 寺内大吉黒岩重吾)とか、同じ東北在住で同姓の作家(第106回 高橋義夫高橋克彦)とか、まあ、もちろんもっと探ればいろいろ出てきそうですけど、同じ昭和23年/1948年生まれ、阿佐ヶ谷で飲み歩いたなかの二人が、直木賞の舞台でふたたび出逢うとは、はたから見てもちょっと感動。

 有名度に差はあれど、笹倉さんが本書の出た平成10年/1998年以後も着実に、一年に一作ずつぐらい新作を刊行してくれていて、おお、大いに頼もしい。

「純文学の分野で芥川賞をもらいたいと思ったんだけれども、どうももらえそうにない。(笑)それで、生活もやっていけない。成り立っていかない。でも、僕のなかには三つ子の魂というか、やっぱり物を書いて生きていきたいという気持ちが根強くある。どんなに食えない状況になっても、この筆一本で飯を食いたいという、何かしら渇望があったんだ。」

 笹倉さんの本、ほとんど読んでいなくて、ほんとすみません。この先、笹倉さんの本を買うことがあるときには、なるたけ新刊書店を利用しようと心に決めたのでした。

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