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2007年9月30日 (日)

小林久三展―社会派推理作家の軌跡―

 直木賞候補になった一人の作家がいたとします。その作家のことを直木賞史のなかに置いてみると、結構さまざまな切り口が思いつくものですが、この方もまた、きっと多方面から検証可能な人なのです。

070930w170 『小林久三展―社会派推理作家の軌跡―』(平成14年/2002年10月・古河文学館刊)

 平成14年/2002年10月19日~11月24日に茨城県古河市の古河文学館で、小林久三の特別展が開かれました。本書はその際につくられた同館の刊行物です。当時まだご本人は存命中でしたが、年譜の末尾に、

「また、犯罪研究家としても、ロス疑惑事件、オウム事件等にも精力的に取り組む。この間、心筋梗塞と二度の脳梗塞を乗り越え、現在、次作に向け英気を養っている。」

 とあり、昨年平成18年/2006年にあの世に旅立たれてしまいました。

 たとえば久三さんを直木賞史のなかで見るのであれば、こんな軸が思い浮かびます。

 いやあ、興味ぶかいテーマの数々だなあ。だけど、よおし、これでバシバシ語ってやろうじゃないか、などと無謀な宣言をする勇気は、今のワタクシにはありません。いつか準備万端整う時期がくることがあれば、ぜひとも考察してみたいよな。

 ところで小林久三って誰だっけ? だなんて、んもう、水を差さないでくださいよ。

 とは言いつつも、案外その疑問は、重要な視点かもしれませんぞ。久三さんを貶める意図などまったくない立ち位置で申し上げるのですけど、小林久三という存在は、掛け値なしに、地味です。

 直木賞史のなかでも、やっぱり地味です。久三さんが『暗黒告知』と「傾いた橋」で2度、候補になっていた事実は、一見してエポックメイキングな事柄でもないので、ことさら言及する人もいません。

 本書でも「直木賞」の文字が登場するのは、巻末の「小林久三略年譜」だけです。

「一九七四年(昭49) 「暗黒告知」で、第20回江戸川乱歩賞受賞。同時に第72回直木賞候補となる。」

「一九八四年(昭59) 『雨の日の動物園』でキネマ旬報読者賞受賞。「野性時代」に発表した「傾いた橋」が第91回直木賞候補となる。」

 あとのほうの「傾いた橋」が、またシビれるほど地味なんです。書籍化されたのは昭和59年/1984年にカドカワノベルズの一度しかなく、『錆びた炎』とか『皇帝のいない八月』とか『父と子の炎』みたいに、久三さんの代表作と扱われることもないわけで、ひっそり埋もれています。

 無理もないですか。「傾いた橋」は謎解きミステリーというより、東北の地方都市で起きた冤罪事件を物語の中核に置いていて、視点を一人の女性にのみ据えた犯罪サスペンスといってよく、地味さが一層際立つ(変な表現だな)ストーリーと構造になっているのです。

 いっぽうの『暗黒告知』は、なにせ乱歩賞受賞作ですから、本書に収められたエッセイ・評論などでも多くの人によって語られています。

 特別展の監修も務められたという権田萬治さんが、講談社文庫の解説文に書いたところでは、たとえばこんな感じです。

「足尾銅山鉱毒事件で有名な公害反対運動の父田中正造を登場させ、本格的な謎解きに強烈な社会性を加味することによって、氏の推理作家としての活動に新しい可能性を切り開いた記念碑的な歴史推理小説の秀作である。」

「「暗黒告知」のように、社会性の濃い日本の公害反対運動の原点ともいうべき谷中村滅亡史の一時期を大胆に真正面から描き、しかもそこにパズル的興味の濃い密室殺人を盛り込んだ歴史ものは日本推理小説史上、前例がないといえよう。」

 しかし、平成12年/2000年9月に講談社文庫から出た「江戸川乱歩賞全集9」では、1回前に小峰元が受賞した『アルキメデスは手を汚さない』と合本のかたちになっているんですけど、そこに香山二三郎さんが書いている解説を読むと、『アルキメデス~』の華やかな受け取られ方と比較して、やっぱり、どうにも地味な扱いだったりします。

 まず解説の前半部分では、『アルキメデス~』の乱歩賞史に占める堂々たる位置が、関口苑生著『江戸川乱歩賞と日本のミステリー』(平成12年/2000年5月・マガジンハウス刊)の一節を引用するかたちで、説明されています。

「「事実、本作品は平成七年度(一九九五)の受賞作、藤原伊織の『テロリストのパラソル』に抜かれるまで、単行本部門では歴代乱歩賞のセールス・ランキングのトップに君臨していたのであった。その数およそ三十四万部。文庫部門のほうはこれはいまだにトップで、六十五万部のセールスを記録しているという」とのことで、本書もまた、その破格の売れ行きゆえに乱歩賞のひとつの節目となったのだった。」

(引用者注:作者の小峰元は)一九九四年五月、惜しくも世を去ったが、第二十四回の栗本薫『ぼくらの時代』(七八年)や第三十一回の東野圭吾『放課後』(八五年)等、乱歩賞にも青春推理の後継作品が続々と生まれ、今ではひとつのジャンルを成すに至っている。その売れ行きもさることながら、小峰元の名前は青春推理のパイオニアのひとりとしていつまでも後世に語り継がれることだろう。」

 と、これにて前半終了。お次はお待ちかね我らが『暗黒告知』です。

「さて。大ヒット作の後を受けた翌一九七四年、第二十回江戸川乱歩賞の受賞作は小林久三『暗黒告知』だった。「向こう見ずで、滑稽で、反体制的」な七〇年代の高校生群像を鮮やかにとらえた『アルキメデスは手を汚さない』に比べると、本書は明治末期の公害事件に端を発する農民闘争を背景に重厚なタッチで描かれた歴史ミステリーに仕上がっている。前回同様、若者向きの軽タッチな作品を望まれた人には期待外れだったかもしれないが、(引用者後略)

 なんとまあ、両作の対比のクッキリとして鮮やかなことよ。

 作品内容のみならず、二つの作品の明暗を象徴的に示しているのは、なんといっても題名でしょう。カタカナ六文字から始まって動詞+助動詞で終わる軽やかさ・親しみやすさに比べて、こちとら、ガッツリと潔く漢字四文字。「暗黒」でドスンとくる。「告知」でさらに深淵に突き落とす。地味の極みにまでのぼりつめた題名が、なんとも久三さんらしくて惚れ惚れします。

 直木賞の選考では、半村良「雨やどり」、井出孫六『アトラス伝説』、難波利三「イルティッシュ号の来た日」、栗山良八郎「短剣」などが議論の中心となって、『暗黒告知』はほとんど顧みられることもなかった模様です。乱歩賞の選考委員でもあった松本清張が、直木賞ではどんなふうに評しているのか、そこだけ抜き書きしてみますと、

「小林久三氏「暗黒告知」は残念ながら支持者が少かった。乱歩賞との距離がここにあるが、将来、両賞との質的接近が推理作家に(木々高太郎のごとく)一つの課題であろう。」『オール讀物』昭和50年/1975年4月号選評「対照の妙」より)

 いくら優秀な推理小説でも、直木賞とは基準が違うのだ、ということでしょうか。

 そうかと思うと、村上元三などは、

「小林久三氏の「暗黒告知」は、田中正造が登場するだけに、そのほうの興味で読んだ。推理小説としても、出来のいいほうではない。」『オール讀物』昭和50年/1975年4月号選評「文句はつけないが」より)

 とか書いていて、なんであなたがこの場で、推理小説としての良し悪しを語るんですか、と不思議な気がするわけです。仮に“推理小説”と“直木賞の求める小説”とで別のモノサシがあるのなら、直木賞の基準でどうなのかを説明してくれればいいのに。相変わらず村上さんは、推理小説とかSFに対して、乱暴な選評書いているよなあ。

 さて、今回は本書のなかの文章をほとんど引用することがありませんでしたが、最後に一発、本書の表紙に注目しておきましょう。ただでさえ重たい(物理的にも、見た目も)乱歩賞受賞者に贈られるシャーロック・ホームズ像が、暗黒のただなかに消え入るか消え入らんかスレスレの光量で配されている構図。久三さんの印象を見事に表現していると思うのですが、どうでしょうか。

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