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2007年8月12日 (日)

人間 檀一雄

 超のつくほどの有名人ですから、この方に関する評伝・評論・回顧本のたぐいもそこらじゅうに氾濫し、おそらく日本国中で専門家を名乗る人が何十人もいそうなので、怪我しない程度に、静かにご紹介します。

070812w170 『人間 檀一雄』野原一夫(昭和61年/1986年1月・新潮社刊)

 この本とて、檀一雄研究者のあいだでは主要文献のひとつなのかもしれないんですけど、あくまで直木賞の角度からちょっとだけ、檀一雄に近しい方にとっての檀一雄(なんか複雑な表現だな)を、垣間見ようって試みですから、檀一雄をまじめに研究されている方々、“おれたちの穢れなき聖域に、うすよごれた大衆文芸マニアもどきが、ずかずか入り込んでくるない”なんて怒らないでください。さっさとズラかりますので。

 さらに、ほんと素人ですみません、萱原宏一は知っていても野原一夫って誰なのか全然知らないもので、ちょっとおさらいさせてください。なになに大正11年/1922年のお生まれ、昭和18年/1943年に東京帝国大学独文科をご卒業、戦後は新潮社、角川書店、月曜書房、筑摩書房にお勤めになり、昭和53年/1978年筑摩の倒産以降はフリーとなって、平成11年/1999年に他界された名編集者でいらっしゃったと。

 それで、本書は単に、有名作家と親交の深かった元編集者が、その思い出を書きつづったなんていう軽々しいものじゃなくて、伝説と化した檀一雄の生きざまを、関係者への取材を挟みながら丹念に追っていて、どっしりと重たい作品になっているわけです。ご本人いわく、

「檀一雄の人間像を、その生誕から死に至るまでの全人生のなかで見詰めたいという思いが、私のなかでふくらんできた。そう思い直させるに十分な魅力を、たとえば幼少の日の、あるいは青春の時代の檀一雄の生き方のなかに、私はあらためて感じた。構想を変え、その結果が、このような回想を織り込んだ評伝ふうの文章となった。」

 檀一雄といえば、太宰治が第1回芥川賞に選ばれずに落ち込んでいたとき、「直木賞を貰えよ、直木賞を」となぐさめたあの友情厚き男、という逸話ぐらいしか知らない人間にとっては、うわあ、やっぱり重いかな。

 ハイライトは、「六 坂口安吾への敬愛」の章。第24回直木賞(昭和25年/1950年・下半期)の受賞の報せが、文藝春秋新社から電話で入りました。

「その電話を檀が受けたとき、ヨソ子はたまたま用事があって外出していた。部屋に戻ったヨソ子に、直木賞を貰ったらしいと、まるで他人事のように檀は言い、「受賞の言葉」を、書いては破り、書いては破りしていた。

「嬉しそうでしたか?」

 先日、ヨソ子夫人に私はお訊きした。

「それが、あんまり……。なにか、とまどっているような感じでした。意外だったんじゃないでしょうか。」

 たぶん、そうだったのだろうな、と私も思った。」

 これは昭和26年/1951年2月のおハナシ、ここから数ページに渡って語られる檀さんの言動も、野原さんの感想も、純文学側の人びとが大衆文芸をどう見ていたか、正直な思いが表れているのでしょう。

「直木賞受賞のお祝いを、とにかく私は言った。檀さんは、苦笑とも微笑ともつかぬ曖昧な笑いをうかべて、

「不思議だねえ。太宰がきいたら、それはきみ、なにかのまちがいにちがいない、きっとそう言うねえ。」

「太宰さんが第一回の芥川賞に落ちたとき、芥川賞なんか貰わないほうがいい、直木賞を貰えよ、直木賞のほうがどれだけいいか、そう太宰さんに言ったと、受賞の言葉のなかにありましたが……。あれはほんとうの話ですか。」

「太宰の悄気かたがあんまりひどかったんでね。どう慰めていいか分らないんで、口から出まかせにそう言ったんです。まさか、本気でねえ……。」

「太宰さんは?」

「ますます機嫌が悪くなった。」」

 で、檀さん本人も「直木賞の受賞を話題にすることに気が乗らないふうだった」とか、「直木賞受賞を檀一雄は決して喜んではいなかったと思うのだが」とか、書いてあります。さようですか。よっぽど直木賞も毛嫌いされたものです。

 いやだったんですかねえ、大衆文芸を書くのは。

「授賞作の一つとなった「真説石川五右衛門」は『新大阪新聞』に連載の途中であり、私は一行も読んでいなかったのだが、その依頼を新聞社から受けたときのことが「熱風」(『新潮』二十五年十一月号)という小説に書かれていた。「誰だって、泣きだしたいほどの、時はある。そのSという夕刊新聞から、「石川五右衛門」を書けと言われた時には、私も、やっぱり、あやうく、嗚咽の衝動に誘われかけた。身から出た錆――堕落小説と自嘲しながら、この日頃、俗悪の文章を流布したが、まさか、石川五右衛門まで堕ちてゆくとは、自分ながら知らなかった」とそこには書かれていた。」

 泣きだしたい、嗚咽、堕落、俗悪、堕ちてゆく……。ワタクシは今回の最初のほうで「うすよごれた大衆文芸」うんぬんと、筆がすべって自虐ぎみに書いてしまいましたけど、これって、まったく大げさな表現でも何でもなかったわけですか。

 「太宰治の師であり、自分(引用者注:檀のこと)でもその文業を尊重している井伏鱒二」にしても、檀一雄にしても、梅崎春生にしても、立原正秋にしても、結局のところ大衆文芸としてなんか認められたくなかったんだろうな。ある意味、迷惑千万ですらあったのかもしれないな。どっちかっていうと彼らの場合は、直木賞のほうが彼らの文名を借りることで、賞の権威と地位を向上させようとした色合いの強い授賞だったからな。

 檀の一回前、第23回で受賞した小山いと子なんかも、きっと芥川賞のほうを欲しかったんでしょう。

 振り返ってみても、芥川賞の側から手を出してくることは、ほとんどないのに(松本清張なんかは受賞当時は微妙な立場で小説書いていたし、大衆文芸畑からの受賞者って、せいぜい第119回の花村萬月ぐらいでしょうか)、直木賞のほうからしばしばちょっかいを出して、たびたび純文学作家の気分を害させてしまっているのは、ほんと、出来の悪い子で申し訳ございません。

 この章の題にもなっている坂口安吾は、この時期、檀がただならぬ敬愛の念を抱いていた作家だったそうですけど、「真説石川五右衛門」なる作品がきちんとこの世に生まれたのは、坂口安吾がいてくれたからこそでした。

「テーマを決められるのは、まあいいとしても、五右衛門とはねえ……。引き受けるかどうか、迷いに迷ってね、安吾さんに相談したんです。そりゃ、書くにきまってるさ――。すぐに答えがはねかえってきたね。先様の言い分は、なにを聞いてやったって、ちゃんと君のものになる、ならなくっちゃ、どだい、作家じゃありませんや――。よしと奮い立ってね、覚悟を決めた。」

 安吾さんが、日本ミステリー史に残る「不連続殺人事件」とか「安吾捕物帖」とかを書くようになったいきさつは、ワタクシは何も存じませんけど、たとえどんな気持ちで書かれたにしても、作品そのものの評価が揺らぐことはないでしょう。檀さんにしたって同じこと。『リツ子・その愛』『リツ子・その死』やら「佐久の夕映え」やら『火宅の人』やらが、いくら檀さん本人が心魂を打ち込んだ愛着のある作品群で、「熊山の女妖」やら「真説石川五右衛門」「長恨歌」やらが、生活費を稼ぐために、心ならずも手に染めた“堕落の極み”だったとしても、それがどうしたというんです。

 どうにも、大衆文芸が持っていた負のオーラは、当時をリアルタイムで生きた野原さんみたいな人にとっては、ごく自然に受け入れられる感覚なんでしょうけど、遅く生まれてしまったワタクシには、なかなか肌では理解しがたいのが、歯がゆいばかりです。

「「真説石川五右衛門」「夕日と拳銃」などの大衆小説で流行作家になってはいたが、その時期(引用者注:昭和34年/1959年ごろ)の檀一雄は、いわゆる純文学作品をほとんど書いていなくて、大衆作家としてのイメージが強かった。いきおい、純文学作家としての評価は低下していた。」

「どの文学全集においても、檀一雄は、アンソロジーのなかに名を連ねる作家でしかなかった。」

「文芸ジャーナリズムからのこのような評価のされ方は、なにしろその時期めぼしい純文学作品をほとんど書いていなかったのだから、当然といえば当然であった。内心には不満も苛立ちもあったのだろうが、檀さん自身も、仕方がないと思っていたのではなかろうか。」

 文芸ジャーナリズムって、またややこしい用語がとびだしてきたな。ここら辺の概念というか定義というかを、ストンと理解できるようにならなきゃ、直木賞の長い歴史を的確につかめるようにはならないんだろうなあ。もっと勉強しなきゃ。

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コメント

「人間 檀一雄」は、檀の「招集解除(除隊)-渡満」を「昭和15年12月」と
していますが、 事実は「昭和14年12月」です。
些細な誤りと見るか、大きな虚飾と見るかは読者次第ですが、
檀関連の主要刊行物は「昭和15年」で一致しているので、
これに気付いている人は少ないでしょう。
ちなみに、野原一夫編集の「新潮日本文学アルバム 檀一雄」掲載の
この時期の写真キャプションも???です。
今年は、檀一雄生誕100年。話題の一つになってもいいように思います。

投稿: | 2012年6月30日 (土) 17時12分

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