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2007年7月29日 (日)

ちょっとまった!青島だァ

 夜遅くまで働くことになる選挙管理委員会のスタッフの方々に、ワタクシなりに感謝の気持ちをあらわすためにも、今日はひとつ、参議院ネタで行ってみます。

070729w170 『ちょっとまった!青島だァ』青島幸男(平成18年/2006年12月・岩波書店/双書 時代のカルテ)

 参議院選挙の日にどうしても取り上げなければ収まりがつかない直木賞関連の人といえば、第85回(昭和56年/1981年・上半期)受賞の青島幸男、これ王道です。

 作家であり政治家でもある、とまとめれば、石原シンさんとか田中ヤスさんとかが現在ご活躍中ですけど、彼らと青島さんの歴然たる違いは、彼らは芥川賞の受賞者または候補者、いっぽう青島さんは直木賞の受賞者であること、まあそれもあります。でも、それをいえば、かつて直木賞作家の今東光野坂昭如だって議員やってたじゃないか、はい、そうなんです。

 いやいや、やっぱりいちばんの違いは、青島さん以外は、みな作家として名が売れ顔が売れ、その後に立候補して票を集めたのに対して、青島さんただひとり、議員をやっていたときに小説を書いて、それが直木賞をとっちゃった点でしょう。芥川賞は突き詰めて調査していないので知りませんが、直木賞作家161人のうち、受賞時に国会議員だったのは、青島幸男さん、あなただけです。

 テレビの放送作家(兼タレント)→参議院議員→直木賞作家→東京都知事→ハテナ、という遍歴は、もう華々しいと言おうか激動と言おうか、投げかける言葉が見つかりません。没後半年以上もたって、ナンですけど、追悼の意も込めまして、本書を読んでみます。

 本書のまえがき「予断・診断・独断 見ろよ、青い空、白い雲」は、無署名でいったい誰の語りなのかよくわからないんだけど、こう始まります。

「これは青島幸男の自伝ではない。

 私が知る限り、青島幸男とは自分について語ることを、もっとも不得意とする男だ。

(引用者中略)

 そんな青島幸男に、あえて過去を振り返ってもらったのが、この本である。」

 こっそり意地悪くツッコんでみますと、あのう、そういう本を普通、自伝って言うんですよね?

 まあ、そんなことはどうでもよくて、青島の“過去の振り返り”によりますと、彼がはじめて小説を書いたのは大学三年生のときでした。タイトルは「一男の死」。

「奇しくも、ちょうど書き終わって、投稿しようかなって思っていたときに、石原慎太郎が『太陽の季節』っていうタイトルの小説で芥川賞を受賞したってことを知った。ショックだったねェ。」

 それから25年の時を経て、小説家になる夢を実現するべく書いたのが「人間万事塞翁が丙午」。『小説新潮』にて昭和55年/1980年3月号から5月号、9月号、11月号と4回にわたって連載され、翌年昭和56年/1981年4月に新潮社から単行本化。本書によりますと、この流れはすべて、直木賞をねらって立てられたスケジュールだったそうです。

「ガキの頃からいちおうは文学青年だったオレが、ようやく小説を書こうって決めたんだから、やっぱり「直木賞とるぞ!」ぐらいの目標を立てて、勢いをつけなくちゃ、ズベズベしちゃうからね。オレは自分にカセをはめないとダメなタイプなんだ。」

 ここで興味ぶかいのは、「芥川賞とるぞ!」という目標だって十分でっかくて、目指し甲斐があると思えるのに、なぜか目線が直木賞に突っ走っているところです。

 同い年で、大学生のとき口惜しい思いを味わわせてくれた石原慎太郎が、「芥川賞」作家だったから? それもあるかもしれません。

 だけど、おれの作風はきっと大衆文芸向きだ、おれは大衆に向けて小説を書きたいんだ、との観念が彼のからだにしみついていたんだと思いたいところです。青島幸男っていえや大衆演芸の雄ですからね。へたに芸術性なんて目指してほしくはないです。

「まずは、出版社の人にきてもらって聞いてみようってわけで、開口一番、「直木賞ってさ、一年に何回あるの、それとも何年かに一回?」。編集者は、きょとんとしてたね。何月の何日に受賞者の発表があって、その前のいつまでに審査されるのか、審査員は何人で、審査の回数は何回か、とまあいろいろな情報をまず確認した。さらに細かく綿密に調べたね。応募数はどれくらいか、下読みは誰がするのか、最終選考までにどんな過程があるのか、最終審査では何回の審査があって決定されるのか、といったことをだ。」

 これぐらいは、直木賞をねらってとろうとする者なら、調べるだろうとは思います。しかし、もっと根本的に、ここに書かれていないことを、青島さんはきちんと確認したはずです。どんな小説が、直木賞では求められているか、ということを。逆からいえば、絶対に直木賞がとれない小説とは、どんな小説であるかを。

「テーマは反戦小説だ。モチーフは、戦時下、オレのお袋や下町のごく普通の人たちがどうやって生きてきたんだろうっていうこと。それを描きたかった。日本橋で仕出し屋をやっていた親父とお袋、その周辺に生きていた人びとをモデルにした。」

 順序としては、やはり、このテーマやモチーフが先にあったと考えたほうがよさそうです。青島さんは、こんな小説が書きたいと思っていたと。よくよく調べてみれば、この内容であれば、直木賞から門前払いを喰らわされることもなさそうだと。それで、目標としての直木賞を、はっきりとイメージできたと。

「オレには妙に自信があった。自分なりに綿密な判断をした上でのヨミがあったんだ。審査とはどういうものか、オレにはわかっていた。だてにコントやテレビの台本を書いてきたわけじゃない。自分の作品に対する自分の要求水準は、絶対にこのとき審査したほかの選考委員よりも厳しいんだから、もし、これが通らなかったら、審査員の方がおかしいんだ、と思ってた。「青島は賞マニアで、どんな小さい賞でも賞がつけば何でもとりたがる。直木賞も誰かに媚び売ってもらったに違いない」なんてことを言って歩いてる奴がいたらしいよ。なんとでも言うがいいさ。いずれにしてもオレは取ったんだもん。」

 賞をねらって小説を書く、と聞くと、なんかイカガワしいものを一瞬感じるんだけど、いや、考えてみれば、青島さんの場合は「小説を書きたい」→「どうせ書くなら直木賞をねらいたい」というわけだから、別段イカガワしくも何ともないんですね。「直木賞をとりたい」→「そのために小説を書こう」、こういうのをイカガワしいって言うんでしょうね。

 『オール讀物』昭和56年/1981年10月号の「受賞のことば」にも、こう書いています。

「母親(ルビ:おふくろ)が丈夫なうちに好きだった父親(ルビ:おやじ)の想い出をまとめておいてやりたい、それがこの小説を書いた動機でした。又、初めからこれで受賞をねらっていたのも本当で、雑誌に連載中の苦しい時期にもそれがずいぶんと励みになりました。」

 こんな小説を書きたいという動機が先にありき、だったわけです。

 それから、本書のあとがきでも、こんなふうに語っています。

「言っとくけど、オレは賞が欲しくて挑戦してるわけじゃないよ。オレは賞マニアじゃないんだから。たまたま、目標を定めてるだけで、賞が欲しくて挑んでるわけじゃない。直木賞にしても、賞に値する作品が生まれれば、それでいいんじゃないの。自分が泣ける小説を書きたいと願っているっていうのはだめなのかね。」

 だめじゃないです。『人間万事塞翁が丙午』は、庶民の生活のにおいがぎゅっと詰まった、心からほのぼのする、いい人情小説だと思います。ただ一点、無責任な一読者がボヤかせてもらうとすれば、『大人の漫画』や『シャボン玉ホリデー』でテレビのコメディ史に新しい風を吹かせ、クレージーキャッツの多くの映画や楽曲で、「無責任」なる生き方に市民権を与え、国会では大物政治家にがんがん突っかかる、見ていてスカッとする議員像をつくりあげたのに、直木賞をとったのが、かならずしも、既存の大衆文学をひっくり返すような新鮮味のある小説ではなかったことが、惜しいんだよなあ。

 青島さんほど才能のある方なら、「国会議員が直木賞をとる」インパクトのさらに上を行って、作品そのものでインパクトを与えてほしかった。

 さて、選考委員の方たちも、さすがに有名国会議員の作品を受賞作とすることには、対外的な説明も含めて、なんらか言っておかずにはいられなかったようで、このときの選評には、何箇所か議員ネタが出てきます。

「作者の経歴や肩書は選考の場合、問題にはならないし、審査会場の空気もそうであった。」村上元三「群をぬく面白さ」より)

「「支那事変の始まった年の秋のこと」から書き起しながら、戦争中の世相や政治に対して、今の眼で見た批判解釈をさしはさんでゐないのもよかつた。さういふ要らざる色気は作品の味を損なふことを、既成の文士がとかく忘れ勝ちであるのに、現職議員の青島氏がきちんと守つてゐた。」阿川弘之「古典落語の素養」より)

「誰かが「小説の書ける議員がいてもいいだろう」といった。そのとおりである。これぐらいのわけ知りがいてくれる議事堂は温かい。青島さん、どしどし人間党の立場から、小説も書き庶民の代表でがんばって下さい。

(引用者中略)

ひとりの委員がいったことばがのこっている。参議院議員といえば功成った人である。テレビ界でも著名、そういう有名人に傑作が出て、臥薪嘗胆の人になかなか生れない、そういう季節なのか、というふうにきこえて考えこんだ。」水上勉「青島氏に期待」より)

「その性愚屈(直にあらず)にして幸運の星にもめぐまれず、文筆の道ただ一つに夢を托する者たちには、小説という世界はもはや遠いエスタブリッシュメントとなってしまったのだろうか。青島氏の堂々の受賞に拍手をおくりつつも、一方でそんな感慨をおさえきれず、隣席の水上勉氏に、「もう中退生や落伍者の時代じゃなくなったんですね」ともらしたら、水上委員は「つらいことやね」と微笑してうなずかれた。」五木寛之「「この一作」の場で」より)

 と水上さんや五木さんの嘆いたのは、昭和56年/1981年当時のことで、26年も前だけど、「無名の新人を顕彰し、世に送り出す」という創設以来の目的を、結局守りきれずに(まあ第1回の段階ですでに、そんな目的を守ることは無理だと、うやむやにしちゃったのが、すべての始まりかもしれないけど)、その時々で授賞の方向性を、自分たちの都合のいいように変節させてきた直木賞だからこそ、当然青島さんみたいな有名人の受賞もありえたわけで、それはそれで、いいじゃないですか。このグダグダ感が(今もなお、直木賞全体を包んでいて)、直木賞っぽさを形成しているんですもの。

 グダグダ感、正直いって、ワタクシは好きです。

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