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2007年5月 7日 (月)

星新一 一〇〇一話をつくった人

 ここしばらくは、直木賞について多少なりとも触れられている関連書籍を、ワタクシ自身の備忘録がわりにアップしていく予定です。

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『星新一 一〇〇一話をつくった人』最相葉月(平成19年/2007年3月・新潮社刊)

 日本のショートショート界に燦然と輝くただひとつの一等星、ミスター・ショートショート、星新一の本格的評伝としてたった今おそらく話題の書なわけです。

 SFでは直木賞をとれない、直木賞はSFを長い間評価してこなかった、ナドナド言われつづけ、小松左京だの筒井康隆だの半村良のSF作品(『黄金伝説』「不可触領域」)だの広瀬正だの田中光二だの山田正紀だの新しいところでは三崎亜記だのと、まあ見事なほどSFを落とし続けてきた直木賞ではあるのですが、ほんの一点だけ救われていることがあるとすれば、とうてい直木賞とは縁のなさそうな星新一のショートショートを、第44回(昭和35年/1960年・下半期)で、ちゃんと候補として取り上げていることじゃないでしょうか。完全黙殺のほうがよかったか、取り上げておいて落とし続けているほうがよいのか、それはそれで諸論ありそうですが。

 直木賞のことが出てくるのは「第七章 バイロン卿の夢」です。新潮社の加藤和代、『ヒッチコックマガジン』の編集をしていた小林信彦、文藝春秋で直木賞候補選考に携わった高松繁子、ミステリー作家の佐野洋へのインタビューや、当時のマスコミの動きとして、『週刊朝日』の読書欄「みすてり・こうなあ」、『東京新聞』の匿名コラム「大波小波」からの引用もあり、これはこれは、貴重な“直木賞関連文献”だなあ。

 ほんと基本的なことだけど、まずもって感激するのは、星新一の候補作のタイトルが、6篇ちゃんと記載されていることだったりするのです(「弱点」「生活維持省」「雨」「その子を殺すな!」「信用ある製品」「食事前の授業」)。数ある直木賞候補一覧のなかで、6つのタイトル(というか、そのうちのどれか一つでも)が記載されているものに、ワタクシはお目にかかったことがありません。じゃあ、それらに、星新一の候補作は、何と書いてあるか。

「星新一 ショートショート6篇」

 6作品が同時に候補になるなんて、ショートショートじゃなきゃ考えられんもんなあ。後にも先にも、こんなふうに候補作が記述されているのは、星新一君あなたしかいないのですよ。

 興味ぶかいのは、星新一が直木賞をけっこうとりたがっていたこと。

 新潮社の担当編集者・加藤和代のことば。

「(中略)お会いした当時は、直木賞候補になられて、ようやく作家になれたという気持ちをもたれたんだなということはわかりました。星さん自身は直木賞をとりたかった。賞にはこだわっていらしたと思います」

 つづいて最相による地の文。

「日本探偵作家クラブ賞がほしいと選考委員で評論家の中島河太郎に直談判したと小林信彦に話したように、新一が賞にこだわっていたのは間違いない。」

 選考会前、友人・牧野光雄(参議院議員木村四郎の秘書)と銀座で飲んだときに、星新一の語ったということば。

「一番先に落ちるのは自分だ。選考委員には理解できる人はひとりもいない。落選確実なのは自分だ」

「自分が選考委員になればぼくのように新しいことに挑戦する作家が受賞する可能性は高くなるだろうけどね。ぼくが入ったら文学界は変わるよ」

 選考結果が出たあとで、選考委員の源氏鶏太などが星新一の候補作を「人間が書けていない」と語っていたと伝え聞いて、妻の香代子(当時は婚約者)にはこう言います。

「じゃあ、源氏さんの小説が人間書けてるっていうのかなあ」

 もう一つ、興味ぶかかったのは、選考委員たちを紹介するくだりで、これは何か当時の文献をもとに書かれたのでしょうか、それとも筆者・最相による分析が入っているのでしょうか。木々高太郎について、

「木々は昭和二十年代に江戸川乱歩と文学論争を戦わせ、以後、周囲からライバル視されていたため、乱歩の息がかかった新人を選ぶとは考えにくい。自分の地位が脅かされるとでも思ったのか、過去にも自分と同じミステリや科学小説の候補作を推すことはなかった。」

 と、なんだか妙な書かれ方をしてますな。そう書かれてもおかしくないほどのことを、きっと木々も言ったりやったりしていたんでしょうが、少し木々高太郎の弁護をしますと、そもそも第44回ぐらいまでは、そんなに言うほどミステリ小説はたくさん候補になっていなかったと思いますけど。仮に候補になっていたとしても、木々ひとりが強力に授賞に反対していたわけでもなさそうですし。それに、第40回(昭和33年/1958年・下半期)で、木々が多岐川恭のミステリ『落ちる』を、城山三郎「総会屋錦城」に次いで二番目に推したことも忘れてはいけません。

「若し二作おしてよいとなれば、多岐川恭「落ちる」をと思って出て行ったら、はじめは後者が圧倒的によく、結局はこの二人を共にとることにきまった。

 これではじめて探偵小説が直木賞に入った。今までは、いくつか出たことは出たが、てんで人間がかけていないし文章がなっていないという人が多くて、委員諸君が僕の顔をみながらおとしていたのだが、今日は、僕はむしろ遠慮していたが、他の委員諸君のおすところとなったのは、さすがに僕としても感慨もあり、楽しくもあった。」(『オール讀物』昭和34年/1959年4月号 木々高太郎の選評より)

 文学論争をやったぐらいで、それで“乱歩の息がかかった新人を選ぶとは考えにくい”というふうなハナシに一気に結びつくとはとうてい思えないので、最相さんがこう書くには、その裏にもっと何か奥深い事情があったんだろうな。

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