2009年7月 5日 (日)

第141回直木賞(平成21年/2009年上半期)候補のことをもっと知るために、本人たちの声に耳を傾ける。

 今度、第141回(平成21年/2009年・上半期)には6人の方々が候補に挙がりました。その名前をみて、「なあんだ。また、みんな知ってる人ばかりだ。つまんないの」と、最近の直木賞の“有名作家主義”にげんなりした方もいるでしょう。そんな方には、すみません、今日のエントリーはお役に立てません。

 「がーん。ほとんど読んだことのない作家ばかりだ」とか、「だ~れも知りません」とか、つぶやいている方。さあ、顔をあげてください。あなたのような人のために、直木賞はあるのですから。

 かくいうワタクシも、こんなブログや、親サイトをやっていますけどね、新しい作品・新しい作家にはトンとうといわけでして、新しい候補作家たちについて知っていることなど、ほとんどありません。選考会の7月15日(水)までまだあと2週間弱あります。その日を楽しく迎えられるように、ちょっとずつ知識を深めていきたいところです。

 それで今日は、候補作家ご本人たちの声に耳を傾けたいと思います。

 だって選考会の日がくれば、先輩作家たちが、ああだこうだと、6つの候補作を丁寧に切り刻んで、それぞれ独自の評価をくだしちゃいます。たぶん、ワタクシのように、その作品を直木賞を通して知った人間にとっては、いやがおうにも、それらの選考委員の言葉に振り回されてしまいます。が、待ってください。それじゃあまりにも不公平です。一方的すぎます。

 「でもさ。作者本人の声を聞こうだなんて邪道だよ。作品は、発表された瞬間に作者の手を離れるんだから、あとは読み手が判断すればいい」。ってこれ、まっとうな考え方です。

 でもね、直木賞(とか文学賞)を、まっとうな尺度ではかってどうするんですか。まさかあなたは直木賞をまっとうなものだと信じているのですか。この世に読者は何十万人も何百万人もいるのに、そのなかのたった数人が、たった数時間の会議でくだす判断を、特別に価値あるものとして囃し立てて、その結果にワーワーと騒ぐ。ね。全然まっとうじゃないですよね。くだらないですよね。馬鹿馬鹿しいですよね。……ワタクシはこの、くだらない感じが大好きです。むちゃくちゃ楽しいと感じます。

 やばい。ハナシがズレてきた。

 要は、構図として候補作家は自分の作品を選考委員にどう切り刻まれようと耐えるしかありません。なので今のうちに、候補の方々の言い分も聞いておきたいな、ってことです。この6人の作家たちは、今回の作品をどんな思いで、どんな気持ちをこめて書いたのかを知っておこう、ってことです。

『鷺と雪』……北村薫さんいわく

「とにかく平和があり、明日の命を心配する生活ではない、という点では日本は世界でも恵まれた状況でしょう。この現状と、格差社会どころか信じられないような貧富の差があった昭和初期において、富裕階級という安定した社会に居る主人公たちとが重なるのではないかと」(『別冊文藝春秋』平成21年/2009年5月号「book Trek」より)

『きのうの神さま』……西川美和さんいわく

「死にたがっている長寿の人の話を聞くと、ざわざわするんです。毎日が退屈で『(生きることに)もう飽きちゃった』とあっけらかんと言ったり。そのタフさや俗っぽさも含めて、人間は面白い。生と死のグロテスクさ、えぐみを書きたかったのかなと思います」(『静岡新聞』平成21年/2009年6月29日「映画監督・西川美和さん―生と死のえぐみ書きたい」より)

『乱反射』……貫井徳郎さんいわく

「大事なのは、自分の些細な行動が他人に大きな影響を与えているかもしれないという想像力。この本を多くの人に読んでもらって、頭の片隅で『もしかしたら』と考えてほしいんです。小説が世の中に対して影響をもつなんて考えはおこがましいですが、可能性がゼロじゃないなら書く意味があると信じて、祈るような気持ちで原稿に向かっていました」(『オール讀物』平成21年/2009年5月号「ブックトーク」より)

『秋月記』……葉室麟さんいわく

「勝てないとわかっていても、戦わねばならない時があります。秋月藩の男たちも負けを覚悟して戦い、最後は敗れます。しかし、負けて終わりなのではなく、その先に何かがあった。負けてもなお心が折れない男たちを書くには、架空の小説より、史実に基づくほうがリアリティーが出ると考えました」(『毎日新聞』平成21年/2009年2月22日「今週の本棚・本と人」より)

『プリンセス・トヨトミ』……万城目学さんいわく

「『鹿男あをによし』(幻冬舎)の中で鹿に「人間は文字で書かないとなんでもかんでも忘れてしまう」ということを言わせていますが、鹿は人間が文字に残さないがため忘れてしまったことを代々伝える生き物として登場させているんです。今度の作品では逆に、人間自身が文字にするのを自ら禁止して、人と人の間で口承で伝え続けていたらどうだろうと思いました。」(『本の話』平成21年/2009年3月号「著者インタビュー もう一つの大阪が明らかに」より)

『鬼の跫音』……道尾秀介さんいわく

「昔、都筑(引用者注:都筑道夫)さんの『怪奇小説という題名の怪奇小説』を読んだときに『ここに混沌がいた!』と思ったんですね。エッセイだか小説だかわからない、SFでもないし、何だかわけがわからないけど一生忘れない、すごくインパクトのある本で、こういう混沌的なというか、目鼻をつけたら死んでしまうような話を書くのが夢だったんです。今回の短編集で、少しはそれが出来たかなという気がしています」(『ダ・ヴィンチ』平成21年/2009年3月号「こんげつのブックマークEX」より)

 この6人のうち5人の方は、すでに直木賞候補を経験ずみです。選考委員から何だかんだと難癖つけられたことがあります。直木賞オタクとしては、やはりそういった過去の「一方的通告」と対比させながら、候補の方々の発言を読んで(深読みして)、どうにも胸がわくわくしてきちゃいます。

 ほら、こんなふうに。

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2009年6月28日 (日)

「芸術としての文学」とは正反対にある、俗悪な散文すべて。――中村光夫「『わが性の白書』」

090628 中村光夫「『わが性の白書』」(昭和38年/1963年11月・講談社刊)

 このカテゴリーテーマはまだ2週目です。それなのに、早くも本題から外れた小説を取り上げてしまうのは、心の痛いかぎりです。

 40数年前……と言いますから、直木賞でいえばちょうど第50回(昭和38年/1963年・下半期)を迎えたころのこと。話題作「『わが性の白書』」が世に登場しました。

 しかし正直いって、ここには直木賞も、それを連想させる文学賞も登場しません。

 当たり前だ、中村光夫が直木賞のことなんか触れるわきゃないだろ。と鼻で笑う気持ちもわからんでもないのです。ないんですが、直木賞オタクともなると、当時の芥川賞選考委員・中村光夫さんが、芥川賞をパロった「新人賞」を描いたり、大衆雑誌とか婦人雑誌とかのことを皮肉ったりしている小説を書いて、それでも直木賞ふうの賞のことは完全に埒外に置いたその不在の感じに、逆に直木賞の亡霊が見えてきたりするんですから、いや、手に負えません。

 内容紹介の前に、簡単な書誌を挙げておきます。

 この作品がいきなり講談社から書き下ろしで発表されたのだったら、杉戸一彦の『わが性の白書』と同じことになって、もっと面白かったんですけどね、現実はそれほどうまくはいかないもののようです。

 で、杉戸一彦っていうのは、中村さんの「『わが性の白書』」に出てくる(といっても、物語は彼の葬式から始まるんですが)流行らない小説家です。死後、彼の遺した「わが性の白書――墓の彼方より」っていう350枚の原稿が見つかります。

 これは杉戸の性生活の告白で、相手の名前とかも実名で書かれていて、杉戸の昔からの文学仲間、大学助教授で文芸評論家の永田了介のことが出てくるばかりでなく、了介の妻いつ子との不倫関係も描かれている代物。この評判になること請け合いの原稿を発見したのは出版社の現代社。担当者は吉井昭次といって、赤字つづきの文芸誌『現代文学』の編集長です。

 現代社は大々的な広告をうって、また映画化の話も取りつけてきたりして、杉戸の遺作を売り込みにかかります。そして、モデル……しかも性生活や不倫といった話題のモデルとなった永田了介と妻いつ子の周辺も、もちろん穏やかなままではいきません。

 といった筋で話は運びます。まあ、中村さんの「『わが性の白書』」のもつ文学性とか価値とかは、どうぞまじめに文学研究されている方々に預けるとして、ここでは直木賞のことにだけ視点を合わせます。いや、芥川賞のことですか。

 永田いつ子は、杉戸の遺作が出た後に、『現代文学』に初めての小説「夜よ、ふたたび」を発表。これが好評で、いろんな雑誌から注文がくるようになります。次第に、今度の「新人賞」の有力な候補としていつ子の名前が取り沙汰されるようになるんですが、その頃の了介といつ子の会話。

「「(引用者前略)それより新人賞なんかもらわない方がいいよ。人に怨まれて損するだけだ。あんまり早くもらうと。」

 了介は、本気で云った。

「うらむなんてわずかでしょう。もらおうと思ってた人だけですもの。」

「そうじゃないさ、誰もがみとめる時期があるんだ。賞をとるにはね。」

「作品がすぐれていればいいわけじゃないの。」

「理窟としてはそうだよ。だけど、作品の水準なんて似たりよったりなんだ、新人賞の場合は。委員によって評価が違うしね。だから、経歴がどうしても参考になる。」

「おかしいわね、そんな。新人賞でなくて旧人賞じゃないの。」」

 おかしいですよね、いつ子さん。ワタクシもそう思います。

 でも、これを何らおかしいと感じなくなって、はじめて「現代」人なのかも。ああ、ただ純粋に候補作品だけをもって選考しようとして、その果てに選考委員の椅子を蹴った城山三郎さんの純心さがなつかしい。

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2009年6月21日 (日)

受賞すれば名前が一躍メジャーになり、親戚連中を見返せる。――東野圭吾「もうひとつの助走」

090621東野圭吾「もうひとつの助走」(平成17年/2005年4月・集英社刊『黒笑小説』所収)

 「直木賞を描いた小説」、新たな定番といえば、これでしょう。「もうひとつの助走」です。

 パロディものです。こういう類の作品を、知ったかぶりして講釈たれるのは、心底はずかしい。要はパロディものなんて、元ネタになっているモデルや本家を知っている人だけが楽しめればいいわけであって、わざわざ解説するなんざ愚の骨頂。ほんと、そう思います。

 思いつつも、あえて愚をおかします。愚かな行為がお好みでない方は、ぜひこんなブログ無視して、東野圭吾さんの『黒笑小説』を読んでお楽しみください。

 ええと、「もうひとつの助走」を紹介するにあたって、絶対に忘れちゃいけないこと。それはこの作品がワタクシたちの前に現れたタイミングが、3度あるってことでしょう。

 一回目。『小説すばる』平成11年/1999年7月号。

 二回目。単行本『黒笑小説』(平成17年/2005年4月・集英社刊)に収録されて出版。

 三回目。文庫本『黒笑小説』(平成20年/2008年4月・集英社刊)に収録されて出版。

 3度とも作品の内容はまったく変わっていません。そのかわり、東野圭吾さんと直木賞を取り巻く状況は、3度とも変わりました。劇的に。

 それゆえにこの作品は「奇跡の小説」とかいう称号とともに、誰が言い出したということなしに、呼ばれることになるのです。

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第3期は、「直木賞」を描いた小説たち。……ちょっとネタ切れが心配ですけど

 絶対に直木賞のこと以外は書きません、ってだけが取り柄の本ブログは、現在3年目を進行中です。

 先週までと同じく、これからもしばらくは、いろんな小説を取り上げていきたいんですが、視点をチョコっと変えてみます。「直木賞」は、じっさいどういうふうに見られ、どう思われてきたのか、それを知るために、「直木賞」のことを描いている小説に目を向けてみよう、って寸法です。

 そうは言っても、ワタクシも、そんなにネタを持っているわけじゃありません。世に有名なアレとか、コレとか。そのくらいです。

 過去、このブログでは第1期(関連の書籍)、第2期(これぞ名候補作)とも、同じテーマで1年ぐらい続けました。今期は、1年(50週ぐらい)ももつかなあ。だめなら途中で変えます。すいません。

 それと、できればなるべく昔の、しかも受賞もしていないし、候補になったこともない人の書いた作品を取り上げたいのです。もしそんな小説をご存じの方がいたら、ぜひ教えてください。今期はいつも以上にヒト頼みです。

 ただ、1週間なんてすぐに過ぎてしまいます。しかたなく、「受賞作家が描いた、小説なのかエッセイなのか日記なのか、ほとんど判別のつかない作品」(これはけっこうありそうです)をご紹介するときもあると思います。ご容赦ください。

 さあて、始めます。最初は、あなたも知っている、ワタクシも知っている、定番中の定番作品から行きます。

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2009年6月14日 (日)

新しさや斬新さが何もないのだとしても、それが小説として劣っていることにはなりません。 第140回候補 北重人『汐のなごり』

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第140回(平成20年/2008年・下半期)候補作

北重人『汐のなごり』(平成20年/2008年9月・徳間書店刊)

 「これぞ名候補作」のエントリーは、これで56本目、ほぼ1年間書いてきたことになります。とりあえずの一区切りです。

 最後ぐらいは「今」につながる最新の候補作を取り上げたいなと思って、第140回(平成20年/2008年・下半期)の候補作のなかから選びました。受賞しなかった4つの候補のうちの一つです。

 こないだの直木賞――半年前の第140回は、いろいろな注目点があったと思います。いつもと同様に。そのなかで一部のマスコミの取り上げた視点がありました。「50代以降の作家が3人(も?)候補になった。そのうち2人は50歳をすぎてからの割りと遅いデビューだった」っていうものです。

 おっと、もうこれだけで、団塊のアレがどうしたこうした、と続くお決まりのハナシを想像させて、ややうんざり。と、眉をひそめる40代以下の小説愛好者が続出したとかしないとか。さらに言えば、オーバー50歳のお三方とも、その候補作は時代小説なんだとさ、ふん、じじいは時代小説ばっかだな、とせせら笑うミステリー愛好者がわんさかいたとかいないとか。

 50歳というラインに、なんか意味があるとは思えません。また、時代小説がおじさん・おじいさんたちだけのものではない、と固く信じます。けれど、「時代小説がいま若い女性に人気」とか、ことさら書き立てる文章に出会うと、ふむ、世の中には時代小説はじじいのものと信じている一派があるんだなと勉強になります。

 関川夏央さんに、その題もずばり『おじさんはなぜ時代小説が好きか』(平成18年/2006年2月・岩波書店刊)っていう著書があります。最後のほうにこんな一節があります。

「これまで時代小説というものがあることは知っていたけれども、なんの興味もなかった。自分には関係ないと思っていた人が多いでしょう。では時代小説は誰に関係があるかというと、おじさんに関係があると思っていたわけですね。で、おじさんというのは得体の知れない暗黒大陸の住人のようなもので、彼らがなにを好んでなにを読もうと関係ない、それが素直な気持だったと思います。」(『おじさんはなぜ時代小説が好きか』より)

 ほう、そうですか。時代小説=おじさん、っていう構図はそんなに一般的ですか。

 それと関川さんは、こんなことも指摘しています。

「おじさんと時代小説の相性のよさは、たしかに「保守化」と関係があるでしょう。」

 いいでしょう。受け入れましょう。時代小説は、保守的な世界を味わわせてくれるものだと。いつもそこに、そのかたちであることの安心感。なごみ。しみじみ。地道。そして地味。

 ……と、ここまで書いて、ワタクシはこう続けたいわけです。『汐のなごり』や『いのちなりけり』がいかに、『きのうの世界』や『カラスの親指』に比べて、地味であるか。人の目をひかないか。注目度が低かったか。と。

 でもね、そんな暴論はとても吐けません。6人の候補作家のなかでは恩田陸さんだけズバ抜けて著作数も多いし固定読者も多いと思いますけどね、あの人は別格です。

 ちなみに、うちのちっぽけな親サイトのアクセス数を見てみますか。第140回の候補が発表された平成21年/2009年1月5日から、選考日前日の1月14日までの総数で、各作家のページのアクセス比率は、以下のとおりでした(恩田陸さんを100として計算しました)。

  1. 恩田陸………100
  2. 天童荒太……65
  3. 北重人………58
  4. 山本兼一……55
  5. 道尾秀介……45
  6. 葉室麟………39

 って、うちのサイト程度のデータじゃ何の参考にもなりませんか。そうですよね。どうもすみません。

 ワタクシもおそらく、おやじの一人にカウントされても、とくに文句の持って行き場のない人間です。仮に、おじさんの好きな小説、ってことだけで興味を失うような愚かな読者がいるとは思えませんので、堂々と胸をはって言いましょう。

 ワタクシは『汐のなごり』が好きです。時代小説として好き、っていうより、単純に小説として好きです。それだけです。

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2009年6月 7日 (日)

とある組織をあたふたさせた、一人の女の余計な発言と、一人の男の怒り。 第128回候補 横山秀夫『半落ち』

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第128回(平成14年/2002年・下半期)候補作

横山秀夫『半落ち』(平成14年/2002年9月・講談社刊)

 第128回(平成14年/2002年・下半期)は、ほんとは直木賞史のなかでも、のちのち語り継がれるほどの特異な回であるはずでした。ワタクシ、直木賞オタクなものですから、正直いってそのテーマで一本エントリーを書き尽くしたかったのです。

 でも、たぶんよほどの直木賞オタクでないと、その特異さは理解していただけないし面白がってもらえないと推測します。なので、やっぱり今日は、多数の方が興味をもたれるハナシを書くことにします。

 うちの親サイトは、一年のうち2か月を除いて、平常はさしてアクセス数の多くないサイトです。そんな低アクセスの時期でも、けっこう見に来てくれる人の多いページがあります。「横山秀夫氏の「直木賞決別宣言」について」です。

 ほんと、あなたも他人の揉めゴトがお好きですのう。えへへ。ワタクシもそうです。人気作家が直木賞候補になって、落とされて、どうやらその選考の経過に不満を抱いて、もう金輪際おれの作品を候補にするのはやめてくれと、堂々、宣言したと。

 うちの親サイトのページを書いたのが平成15年/2003年6月末。それから先、大して調査を深めることもせず、放ったらかしにしてしまいました。当該ページでは、事実関係について6年ぶりに加筆したんですが、そいつをもとに余聞と余分な事項を、ここに書かせてもらいます。

 まず、横山秀夫さんの直木賞決別宣言にまつわる事柄を、時系列でまとめてみます。

  • 平成14年/2002年9月 講談社より『半落ち』刊行(初出は『小説現代』平成13年/2001年3月号~平成14年/2002年4月号)

  • 同年12月 『このミステリーがすごい!2003年版』(宝島社刊)の国内編で『半落ち』が第一位となる。

  • 同年12月 『週刊文春』(文藝春秋刊)の「ミステリーベスト10」国内部門で『半落ち』が第一位となる。

  • 平成15年/2003年1月 第128回直木賞候補となる。

  • 同年1月16日 選考会が開かれ落選。この回は受賞作なし。

  • 同年同日 選考後に、選考経過を林真理子委員が記者会見。

    「林さんは『半落ち』について、ミステリーとしてでき過ぎではないか、アルツハイマーの奥さんを殺す設定は安易じゃないか、あまりにも善意の人に満ちていて最後が弱く、小説としても決定打に欠けるという意見が大勢を占めた、と選考経過を紹介した。

     さらに(1)北方謙三さんから、受刑者はドナーとして提供できないという指摘があった(2)渡辺淳一さんから、そういう欠陥があるのに誰もわからなかったのか、今のミステリー業界はちょっとよくないんじゃないか、という発言があった――とも明らかにした。」
    (『毎日新聞』夕刊 平成15年/2003年5月28日「小説と現実の間で 広がった不幸な溝」より 執筆:重里徹也)

  • 同年1月23日 『毎日新聞』夕刊が、直木賞選考会が『半落ち』にはミスがあると指摘したことを重点的に取り上げる。

    (引用者注:選考会で)北方謙三さんが、物語のポイントについて「基本的な事実関係の解釈に間違った点がある」と指摘した。(引用者中略)落選したのは、この理由ばかりではないが、出版界では北方さんの指摘が話題になっている。(引用者中略)

     横山さんはこれらの事態について「この問題は承知していた。そのうえで、警部にどんな行動をさせたらふさわしいかを考えた。彼の内面を重視した物語にしたかったので現行の形で書いたのです」と語る。講談社も「致命的な思い違いがあるわけではない」として、書き直しの検討などは考えていない。」
    (『毎日新聞』夕刊 平成15年/2003年1月23日「直木賞候補『半落ち』で評価真っ二つ ミステリーの現実性めぐり議論」より 執筆:内藤麻里子)

  • 同年その頃 講談社がホームページ上で、選考経過への反論を掲載。

    「これに対し、出版元の講談社はすぐに文芸局長名の反論をホームページに掲載。「充分(じゅうぶん)な調査を重ねた上で、このケースは妥当な設定であると判断……問題の核心に迫る先見性を備えている」と、欠陥説を一蹴(いっしゅう)した。」(『朝日新聞』平成15年/2003年3月19日「小説「半落ち」は欠陥作か傑作か 主人公の行動可能?…異例の論争」より)

  • 同年その頃 横山氏自身、「欠陥」と指摘された箇所について、あらためて再取材を行う。その結果、作品のなかに事実誤認はなかったと確信、主催者の日本文学振興会に、事実の再検証をするように申し入れる。

  • 同年2月20日頃 『オール讀物』3月号発売。直木賞の選評が掲載される。ここでも記者会見の内容と同様の、「この作品には事実誤認がある」「それを見抜けなかったミステリー界にも問題がある」「それにもかかわらずこの本はいまだに売れ続けている」といった文章があった。

  • 同年3月 横山氏、おおやけに選考会での指摘に対する反論を行う決意を固める。

  • 同年3月19日 『朝日新聞』が文化欄に「小説「半落ち」は欠陥作か傑作か 主人公の行動可能?…異例の論争」を掲載。横山氏からの反論を載せる。ここで横山氏は(直木賞に)今後、作品をゆだねる気には到底ならない」とコメント。

  • 同年3月31日 上記のコメントを受けて、『上毛新聞』が横山氏へのインタビュー記事「人間の矜持保ち次の一歩進める 直木賞への決別宣言 「半落ち」の横山秀夫さん」を掲載。

 と、ここまでが、いわゆる「直木賞決別宣言」までのおおまかな流れです。

 3月19日の朝日新聞の記事は、『半落ち』に関して論争がまきおこってますよ、と伝える主旨のものでした。たとえば佐野洋さんとか北上次郎さんとかのコメントを載せつつ、北方謙三さんが選考会で行った「欠陥に対する指摘」は正しかったのかを検証しています。そのなかで作者本人が、作品内容の重要なことを明かしてまで反論するに至ったことを記事にしたものです。

「『半落ち』は選考会後も3度の増刷がかかり、現在27万部。「欠陥」説に反論するためには、結末を明かさざるを得ず、作者・出版社にとって、正面から受けて立ちにくい状況だった。

 しかし、「オール読物」3月号の選評に「落ちに欠陥がある……しかし、それほど問題にもならず、未(いま)だに本は売れ続けている。一般読者と実作者とは、こだわるポイントが違うのだろうか」(林さん
(引用者注:林真理子))と書かれていたため、横山さんは「読者までも侮辱された」と感じ、作者として反論する意思を固めた。

 横山さんは「ミスではないと思っている。たとえミスがあったとしても、作品個々の良しあしを論ずるべき選考会の講評で、ミステリーという特定のジャンル批判に及ぶなど言語道断。その後もあらぬ批判が繰り返され、直木賞という権威を笠に着たおごりとしか思えない。今後、作品をゆだねる気には到底ならない」と怒りを隠さない。」
(前掲『朝日新聞』記事より)

 事実上、このコメントをもって、横山秀夫さんの直木賞決別宣言が行われた、ととることができます。

 ただ、これだけではまだ、売り言葉に買い言葉ふうで、怒った勢いで語ってしまったコメントとも読めます。いや、横山さんは本気で、今後いっさい直木賞の候補になるのを拒否するんだな、とワタクシたちに知らされたのが、『上毛新聞』のインタビューでした。

「―「事実誤認はない」のだから、直木賞の主催者、日本文学振興会に疑義を呈した。

「できないと断ずる根拠を示してほしいと申し入れたが、明確な回答がないまま2カ月以上も店晒(たなざら)しにされた。その間、主催者や選考会が再検証を行ったという話も聞かない。要するに、権威ある直木賞選考会の決定は絶対であり、ノミネート作品が傷つこうが死のうが、知ったことではないということだ。それがために、ミスがあったという誤った事実が一人歩きを続け、揚げ句は、ミステリー界や読者を誹謗(ひぼう)する論外な発言までをも誘発した」

―「今後、直木賞に作品を委ねる気はない」と発言しているが。

「もちろん欲しい賞だった。『黙して次のチャンスを待つ』というさもしい考えが頭にちらついたことも確かだが、読者との暗黙の約束もある。これまで、窮地に追い込まれても次の一歩を踏み出す人間の矜持(きょうじ)を描いてきた。作者と作品は無縁ではあり得ない。今回のことを看過してしまっては、作家として一歩も前に進めない。一行たりとも書くことができない」」
(前掲『上毛新聞』記事より)

 それ以後、「決別宣言」に関する記事はいくつかの新聞・雑誌に載りますが、そこで横山さんが語る決別の真意は、ほぼこの記事どおりのものです。

 まあ、横山さんの怒りを沸騰させたのは、主催者の日本文学振興会が、横山さんからの訴えを無視した、っていう姿勢にありそうです。でもさかのぼれば、そもそも騒動に火をつけた真犯人が、林真理子さんであったことは自明の理。

 作品の論評だけしてりゃよかったものをねえ。わざわざ、ミスを見抜けなかったミステリー界がどうだだの、欠陥作品を感動作とか言って買ってる読者のなんとまあ多いことよだの、作品評とは関係ないことを、ぬけぬけ語っちゃう真理子さん。そうか、彼女が一介のコピーライターからここまで人気を博してやってこれたのも、歯に衣きせぬ発言っていいますか、けっこう多くの人が不快に思うにちがいないことをあえて口に出してきたからだもんなあ。それで、支持を得たり、はてまた面白がられたりして、それが真理子さんの魅力、そして嫌われるポイントだろうからなあ。

 その真理子マジックに、まんまとヤられたのが『半落ち』であり、横山さん。それと横山さんの直木賞受賞を心待ちにしていた担当編集者や、多くのファン。プラス、悪者に仕立てあげられることになった日本文学振興会。もっとも心を痛めたのはきっと、文藝春秋で横山さんを担当していた編集者だったかも。

 おお。真理子マジックよ。周囲に迷惑をかけることで、その存在意義を輝かせる負のパワーたるや。さすがです。惚れ惚れします。

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2009年5月31日 (日)

史上唯一の70代候補。年下の連中から酷評されて、受賞の望みも断たれて、ややムッとする。 第112回候補 池宮彰一郎『高杉晋作』

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第112回(平成6年/1994年・下半期)候補作

池宮彰一郎『高杉晋作』(上)(下)(平成6年/1994年11月・講談社刊)

 前クール(平成21年/2009年3月1日付)のエントリー田口ランディさんの『モザイク』を取上げました。ならば当然、この方を無視しちゃいかんぞな、さあ池宮彰一郎さんに壇上に姿をさらしていただこう。ってわけじゃありません。盗作ファンのみなさま、申し訳ございません。

 そうは言っても、池宮さんを語るにあたって、『遁げろ家康』や『島津奔る』の一件(いや、二件)を省いて進めるほど、ワタクシも紳士じゃないもので。まずは、そこから触れます。

 『遁げろ家康』は、平成9年/1997年1月3日・10日号~12月26日号に『週刊朝日』に連載。その後、単行本化、文庫化と順調に版をかさねたものの、平成14年/2002年の9月にいたって版元の朝日新聞社に、読者から指摘が寄せられる。いわく、司馬遼太郎の『覇王の家』と、よく似た表現・記述が多いのではないか、と。それで平成14年/2002年12月25日付で絶版、および自主回収。

 『島津奔る』は、平成8年/1996年7月18日号~平成9年/1997年10月23日号に『週刊新潮』に連載。その後、単行本化(第12回柴田錬三郎賞も受賞)、文庫化と、かなりの売上げを稼いだものの、平成14年/2002年の12月にいたって版元の新潮社に、読者からまたも指摘が突きつけられる。いわく、司馬遼太郎の『関ケ原』と、まるで引き写しに近い表現・記述が多いんじゃないかコノヤロ、と。それで平成15年/2003年4月1日付で絶版、および自主回収。

 池宮さんご本人の、類似表現をまねいてしまった原因の説明やお詫びについては、他のサイトをご覧ください。人の作品から表現を盗むなんざ、ひでえ奴だ、それで作家を名乗るとは言語道断、ってご意見が出るのもごもっとも、そんな切れ味鋭いコメントの類も、どうぞ他のサイトをご覧ください。

 ここでは、これら二件で、ああ、池宮さん残念だよ、しょぼーんとなってしまった、池宮さんに近しい方々の思いを、ちょこっと引用しておきます。

 まずは、栗原裕一郎『〈盗作〉の文学史――市場・メディア・著作権』(平成20年/2008年6月・新曜社刊)でも触れられた『朝日新聞』の記事、「「類似表現で絶版」慎重に 池宮彰一郎「島津奔る」問題で識者指摘」より。お二方のコメントです。

「「類似即絶版」という流れが定着することへの、懸念の声も上がっている。歴史作家の安部龍太郎氏(47)は「同じ史料や軍記などを参考に事件を描けば、似た描写や表現になることはある程度やむをえない。先行作品と似ているから絶版という措置を取られると、歴史小説の自由な表現をそがれる恐れがある」とする。

 文芸評論家の縄田一男氏(45)も「原史料との厳密な照合が必要で、表面上の類似だけの即断はさけるべきだ」と話す。」
(『朝日新聞』夕刊 平成15年/2003年4月9日より)

 プラス、この記事を書いた佐藤憲一記者の感想も。

「作家にそれなりの事情があったとしても、連載、単行本化、文庫化まで三度の編集作業を経た出版社側がなぜ長年、類似を発見し改善できなかったのか。両作とも十万部以上のベストセラーで、柴田錬三郎賞を受賞した『島津―』が、近年の歴史小説の名作と評価されていることを考えれば、残念でならない。」

 さらに池宮さんが亡くなったときの、『朝日新聞』と『読売新聞』の記事があります。これらもやっぱり「池宮作品=盗作のイメージが残っちゃって、いやあ残念だ」の路線を継承しています。

 『朝日新聞』の編集委員、白石明彦さんは「作家・池宮彰一郎さん 歴史小説に斬新な人物像」のなかで、こう嘆きました。

「「司馬史観を超えなければ新しい歴史小説は生まれない」と熱く語る言葉が今も耳に残る私は、あの独創的な発想の持ち主がなぜ、という思いが消えない。」(『朝日新聞』夕刊 平成19年/2007年6月1日「惜別」より)

 いっぽう、拙ブログ二度目のご登場となるのが、『読売新聞』文化部記者、石田汗太さん。「作家・池宮彰一郎さん 無頼が描く「美しい生」」なる記事を書きました。

「同年生まれの司馬遼太郎氏を敬愛し、「常にその背中を追いかけていた」(司さん(引用者注:息子で作家の池上司))。それだけに、柴田錬三郎賞を受賞した「島津奔(はし)る」など2作が「司馬作品との類似表現多数」との指摘を受け絶版・回収になったのは、皮肉としか言いようがない。「島津奔る」は、司馬氏が「定見なし」と切り捨てた薩摩の島津義弘を正反対の視点から英雄的に描いた代表作で、作家にとっても、小説界にとっても、計り知れない傷を残した。

 この件について、作家に直接尋ねる機会は、ついに訪れなかった。最後の連載担当を務めた角川書店常務の新名新さん(53)によれば、一時「筆を折る」とまで漏らしたという。いかなる葛藤(かっとう)が胸の内にあったのか、もう知るすべはない。」
(『読売新聞』夕刊 平成19年/2007年6月5日「追悼抄」より)

 ほんとほんと、「もう知るすべはない」んですけど、少しだけ想像しますとね。版元から「司馬さんの作品と、似てる表現があるみたいですよ」と知らされたときに、池宮さん自身がどれだけショックを受けたことか。……このショック、たぶん年齢を重ねた者のみが体験することを許されたものだったりして。ねえ、池宮さん。

「人間の老化は、十八歳ごろから始まるという。

 その自覚症状は、四十歳台からである。頭髪に白髪がまじり、薄くなる。観た映画の俳優の名を忘れる。読んだ小説の作中の人物が思い出せない。(引用者中略)

 六十歳になると、ど忘れが頻発する。いま手許にあった物が突然亡失する。ひょいと置いた眼鏡や煙草がどうしても見当らない。

 七十歳近くになると、老人惚けが顕著になる。思いついた事があって茶の間に行く途中、妻が台所で首を傾げて立っている。聞けば用向きを忘れたという。惚けを笑って、さてわが身となると、こちらも用件を失念して、どうしても思い出せない。

 そういう身で、時代小説を書く事自体無理である。史料を漁り史実を確めるのは、壮齢の人間の想像を越えた手間暇がかかる。せめて時間の余裕があれば、と思うが、原稿依頼には必ず期限が附せられる。締切間近となる辛さは筆舌に尽し難い。無理して書くには体力が続かない。」(平成9年/1997年2月・新潮社刊『義、我を美しく』所収「時計の音」より ―初出『歴史ピープル』平成7年/1995年春号)

 若いころから段違いに記憶力がよくて、それでまわりの人から褒められている人ほど、たぶん「自分がいつの間にか忘れてしまっている」ことに気づいたときのショックは大きいんじゃないかなあと。……あくまで想像です。

「池宮さんと親しかった新潮社の元編集者宮澤徹甫さんは語る。「酒席で人の脚本をそらんじたことがあり、後でその映画を見て一字一句一致しているのに驚いた。司馬さんの小説を読み込み、類似表現が無意識のうちに出たのだろう」

 長男で作家の池上司さんも父の異常な記憶力について触れ、「暗唱できるほど記憶の中に刷り込まれていた司馬さんの文章が、創作の最中に自分の文章と判別できなくなったのではないか」という。」
(前掲『朝日新聞』夕刊「惜別」より)

 ワタクシだって老いる身ですし、いや、そろそろ物忘れ攻撃を食らいはじめてもいて、あんまり当時の池宮さんを老人老人とあげつらいたくはないんですけど。いちおう今日のエントリーで書こうとすることも、年齢のことでして。

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2009年5月24日 (日)

迷惑と心配をかけた家族のために、お父さんは40歳をすぎてから書き始めました。 第110回候補 小嵐九八郎『おらホの選挙』

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第110回(平成5年/1993年・下半期)候補作

小嵐九八郎『おらホの選挙』(平成5年/1993年10月・講談社刊)

 山口洋子女史が阪神タイガースの大ファンで有名だとするならば、この方だって相当なもんです。

 本名、工藤永人さんはペンネームをつけるときに、タイガースの応援歌「六甲おろし」からの連想で、「小嵐」としたのだとか。しかも、小説デビューとなった作品は題名が「嗚呼、虎が吼えずば」。作品中に昭和60年/1985年の阪神快進撃と優勝のことが織り込まれていて、さすが虎キチ、念が入っています。

 もっとも、「嗚呼、虎が吼えずば」辺りのハナシは、それほど小嵐さんのプロフィールに書かれることがなくて、あれ、あんまり言っちゃいけなかったんですか? ううむ、たとえば胡桃沢耕史ぐらいになるともはや、「性豪」とか言われて伝説にまでなるんでしょうけど、有名になる前にポルノチックなもの(あるいはポルノそのもの)を書いていたって履歴は、ふつうは筆歴にかぞえないんだろうなあ。姫野カオルコさんを例に出すまでもなく。

 小嵐さんの前歴といえや、そりゃあ、新左翼、社青同解放派の活動家だったことが知られています。そこから離れて、金を稼ぐために物書きになった、その入り口がポルノ分野だった、とはご自身の弁。たとえばこんなインタビュー記事があります。

「作家になったのは金のためと言う。

「刑務所から出てきたら、組織が割れてた。組織の専従者って、労働者のカンパで食ってるんだけど、労働者はみんな右のほうにいっちゃってた。でも、ぼくは左が好きだから」

 しょうがないからポルノを書いて売り込みに行った。(引用者中略)

 もっとも、小嵐九八郎のポルノを探しても無駄である。すべて別のペンネームで書かれている。(引用者中略)

 ポルノの原稿は安い。これではたまらないと、書いた小説が『小説クラブ』で佳作になった。そこで小嵐九八郎の誕生となる。」(『噂の真相』平成8年/1996年1月号「メディア異人列伝」 インタビュー・構成/永江朗 より)

 いやいや、桃園書房の『小説CLUB』だってバリバリのポルノ系小説誌じゃないの? とかいうツッコミは、そうですよね、大人げないですよね。

 それで昭和61年/1986年の第9回小説CLUB新人賞の佳作に入ったのが「嗚呼、虎が吼えずば」(掲載は同年7月号)でした。ちなみにこのときの受賞は、千代延紫さんの「ピンキードリーム」。とかいって、小説CLUB新人賞については、ワタクシもよく知らないんですが、同賞受賞作家でもある冴島学さんが、ご自分のホームページでまとめられています。

 小説の原稿料のことは詳しくありませんけど、そうですか、ポルノは安いんですか。だとすると、『小説CLUB』に「小嵐九八郎」名義で発表するようになってからも、そんなに稼げるようになったわけじゃないのかもしれません。まもなく小嵐さんはちがう分野に進出していきます。

「十三年ほど前か、ある小説誌の佳作に入選した時に、編集者が我が家に遊びに来た。

 編集者は、居間に大きなびくがあり、釣り用のどでかいマグロ鉤も視野に入れ、竿があるのも見て、

「君は魚を釣るのかね」

 と尋ねた。

「まあ、想像に任せますよ」

「どんなもの釣るの」

「まあ、あのびくを見ればわかるでしょう」

 おれはいい加減に答えておいた。

 が、後日、その編集者は勝手に、「君は釣り名人だ。小説家としての売りのコピーが決まった」といいだし、おれの処女長編『巨魚伝説』(祥伝社刊)を出したのであった。」(平成12年/2000年4月・青樹社刊 小嵐九八郎・工藤紘子・著『川崎山王町 小嵐家の台所 都会でできる田舎暮らし』より)

 それでも小嵐さんは「釣り作家」として一家を成すような道には進みませんでした。編集者の狙いは失敗したわけですが、頼もしいことに小嵐さんは別の方向で、しっかりとおのれの小説世界を切りひらいていきます。元・新左翼の活動家、大学生の頃から40歳ごろまでずっと「現役」で、その間に刑務所ぐらしも経験、といったところから、特異な小説を次々と生んでいくことになるのでした。

 特異、と言っていいんでしょうねえ。それまで主にノベルスや文庫を出しつづけてきた小嵐さんが、自身の遍歴を想像させる、左翼運動にのめり込んでいく青年とその家族のことを小説にしてハードカバーで刊行、そしたら、版元が実業之日本社だっつうのに、いきなり直木賞の候補に挙げられて、小嵐九八郎ここにあり、の姿を見せてくれたんですもの。

 ……と、ここまで来て、今週とりあげる名候補作は、まさにその『鉄塔の泣く街』(第106回 平成3年/1991年・下半期 候補)です、あらすじは……と続けたいところなんですが、ストップ。

 ご紹介するのは、第110回候補の『おらホの選挙』です。なぜか。『鉄塔の泣く街』より、『清十郎』(第108回 平成4年/1992年・下半期 候補)より、「風が呼んでる」(第112回 平成6年/1994年・下半期 候補)より、ワタクシが好きな小説だからです。ただそれだけです。

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2009年5月17日 (日)

「くるくる」に凝縮された、地方の作家志望者がかかえるモヤモヤと、あきらめきれない夢。 第98回候補 長尾宇迦「幽霊記」

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第98回(昭和62年/1987年・下半期)候補作

長尾宇迦「幽霊記」(『別冊文藝春秋』180号[昭和62年/1987年7月])

 世間の潮流にまどわされず、あえて自分の信じる道を進もうとする姿は、いつの時代も美しいもんです。文学を志すぞ、よし、俺もいつかは芥川賞を、とか言っている連中とは一線を画して、昭和30年代にわざわざ「大衆文学同人誌」と銘打ったものを、なけなしの費用をはたいて出す、っていうのは、偉いもんだよなあ。

 以下は、当時『文學界』の「同人雑誌評」で、林富士馬さんが語った一節。

「チェーホフも、先ず何より短く書く練習といったことを、文学的才能のために、説いていたと思う。ショート・ショートの流行というのは、はじめから、読物としての技術の話であって、文学とは又別な噺である。又尤も、人生は何も文学万能の筈もなく、文学であろうが無かろうが、そんなことには拘りなく、自分には娯楽読物だけが必要だという人だっているし、現に、大衆娯楽専門の同人雑誌だって、幾つか存在している。「東北文脉」(盛岡市、二集)などもその一例。」(『文學界』昭和37年/1962年7月号「同人雑誌評」より)

 頼もしいじゃないですか、『東北文脈』。これの編集兼発行人こそが、若かりし頃(つっても30代なかば)の長尾宇迦さん。同誌は顧問に先輩作家の鈴木彦次郎さんと、岩手放送社長の太田俊穂さんを担ぎ上げているものの、同人はキッパリ三人きりです。発行所の名前も「三人の会」。

「第一号では、多くの人たちから好意をいただいた。改めて感謝しておく。

 また、会に加わりたいという方もあったがまづ、当分は、我儘を許してもらいたいと思う。(引用者中略)

 文字(原文ママ)の道は、きびしいものとは、心得ているつもりだが、ふと無駄なことをしているような、さみしさにおそわれることもある。

 ただ、出来ることなら、偉大なる無駄にしたいものである。」(『東北文脈』2号[昭和37年/1962年4月] 長尾宇迦「編集後記」より)

 高校教員として勤めながら、長尾さんは『北の文学』誌などに投稿、地元ではちょっと名の知れた作家になって、この『東北文脈』を経て、昭和39年/1964年には第2回の小説現代新人賞を受賞します。

 しばらく「小説現代専門作家」みたいな道を歩んだのち、昭和46年/1971年にいたって、つまり45歳ごろにとうとう教員を辞め、作家一本でいくことを決めたのだそうです。

「かつて岩手にあった「北の文学」の流れをくむ「文芸岩手」(水沢市)が今年(引用者注:昭和46年/1971年)八月、丸二年ぶりに第八号を発行、注目を集めた。創刊以来陰の力となってきた長尾宇迦氏が、教員と作家の二足わらじに別れを告げ、この春一本立ちの作家として東京に移住したことに刺激されての発行だった。」(昭和47年/1972年3月・五月書房刊『同人誌年鑑 一九七二年度版』所収 岩手日報学芸部・及川和哉「概観 岩手」より)

 そこからさらに、長尾さんの情熱と執念の生活が(おそらく)深まっていったことでしょう。10数年たって長尾さんはエッセイ「妻への詫び状」にて、

「最初に私は、決して入婿の身の上ではないことを断っておきたい。が、ツマの前では、ともすると、「申しわけネ」といってしまうのだ。私の住んでいる岩手あたりでは、(申しわけない)とは、感謝、ありがたい、という意味がつよく、とくに「ネ」の発音に、いわくいいがたい微妙な加減がある。(引用者中略)

 とかくするうち、教員稼業にもやや情熱を失ないかけて、チョンにした。「申しわけネ」と、ツマにいったが、相手は福々しく笑っていた。」(『小説現代』昭和58年/1983年2月号「妻への詫び状 ヒョーショージョもの」より)

 上京したはずの長尾さんが、どうやらまた故郷に舞い戻ったらしいのを見て、事情は存じませんけど、作家稼業の大変さがにじんでいるようでもあり。

 50代を超して還暦をすぎ、やあ、よくぞ大衆文学の道を投げ出すことなく、邁進していただきました。昭和62年/1987年、『別冊文藝春秋』にご登場。よっ、待ってました。

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2009年5月10日 (日)

この無冠の士の前を、直木賞もやっぱり素通り。そのかわり半年で700万円を落としていきました。 第87回候補 飯尾憲士「自決」

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第87回(昭和57年/1982年・上半期)候補作

飯尾憲士「自決」(『すばる』昭和57年/1982年6月号)

 2週前第62回(昭和44年/1969年・下半期)候補、田中穣『藤田嗣治』をとりあげました。このあと、直木賞ではプチブームが起こります。伝記もの(とくに近現代に生きた著名人の伝記)がさかんに候補に挙げられたのです。

 福岡徹さんの『軍神』(第63回)と『華燭』(第66回)、梅本育子さんの『時雨のあと』(第64回)、藤本義一さんの「生きいそぎの記」(第65回)などなど。ただ、推理小説やSFがそうであったように、伝記ものもやはり、直木賞の本流とはなりませんでした。

 もうひとつ、『藤田嗣治』からこっち、直木賞のなかを吹き荒れた風があります。ノンフィクションです。

 今の直木賞は、小説小説したものしか眼中に入らなくなってしまったようで、よほど予選選考している文春社員が気張らないと、ノンフィクションなど候補に挙がらないでしょう。でも、平成の声を聞くまでの十数年間、確実にノンフィクションが直木賞の骨格をささえていた時代がありました。

 その代表選手といって思い浮かぶのは、これでしょう。飯尾憲士さんの「自決」。副題は「森近衛師団長斬殺事件」。

 初出は『すばる』誌の昭和57年/1982年6月号です。どどっと520枚一挙掲載。これの単行本化を待たずして、昭和57年/1982年の上半期の候補としてすくい上げた、当時の日本文学振興会の目配りの広さに、ワタクシは拍手を送りたい。

 この作品は、田中穣『藤田嗣治』とちがって、はじめっから自分がノンフィクションであることを宣言していました。

 『すばる』誌の表紙と目次に、編集者がこう書いています。

「日本終戦史の謎に挑む長篇ノンフィクション」

 ははあ。ノンフィクション。あの飯尾憲士さんがねえ。熊本の同人誌『詩と真実』にのっけた「炎」に始まり、中央文壇に足がかりを得たのちの「ソウルの位牌」「隻眼の人」と3度も芥川賞候補になったことのある、あの飯尾さんが。520枚のノンフィクション。

 さすがにこの作品を、芥川賞候補にはできないもんなあ。長さといい、体裁といい。ほとんど枠組みをもたない直木賞なんてものがあったおかげで、ほんと幸いでした。作品の性質上、もしかして直木賞の候補になどならずとも、単行本『自決』は売上げを伸ばしたとは思いますが、直木賞候補作の名は多少なりとも後押ししたことでしょう。それで、筆一本で生きていた飯尾さんの懐がちょっとでも潤ったのなら、ほんとよかった。

「この七、八年間で、いっぺんだけ大いに収入があった。『自決』という本が集英社から出版されたとき、アレヨアレヨで、半年間で七〇〇万円以上ザクザクと手にした。友人と一〇〇万円程飲んで、あとは全部細君にやった。私は、背広一着も作らなかった。一つだけ買った。下駄である。いい下駄であった。」(平成5年/1993年11月・蝸牛社刊『怨望―日本人の忘れもの』所収「ユダよ、あなたの誠実を謳う」より)

 おせっかい焼きの直木賞も、時には、人助けをすることもあるみたいです。

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