2017年3月26日 (日)

第76回直木賞『子育てごっこ』の受賞作単行本部数

第76回(昭和51年/1976年・下半期)直木賞

受賞作●三好京三『子育てごっこ』(文藝春秋刊)
初版5,000部→5万(受賞直後)25万5,000(受賞約1年半で)→?

※ちなみに……

第75回(昭和51年/1976年・上半期)芥川賞

受賞作●村上龍『限りなく透明に近いブルー』(講談社刊)
初版2万(初回配本5万部)30万(受賞約3週間で)100万(受賞約4か月で)130万(受賞約半年で)131万6,000

第77回(昭和52年/1977年・上半期)芥川賞

受賞作●三田誠広『僕って何』(河出書房新社刊)
33万
受賞作●池田満寿夫「エーゲ海に捧ぐ」収録『エーゲ海に捧ぐ』(角川書店刊)
初版7,000部→20万(受賞前まで)47万5,000

 けっきょく、売上部数のテーマでも、その転換点は昭和51年/1976年にたどりつくっぽいです。

 第74回(昭和50年/1975年・下半期)の『復讐するは我にあり』が、それまでの直木賞史上、話題性も売上でも、まず体験したことのないほどにスパークして、昭和51年/1976年に入って10万部を軽く突破、おそらく20万部にせまるほどに売れてしまった。

 ……というのが、直木賞のほうで起きた大ニュースだったんですが、世間一般の人びとがゆさぶられるのは、直木賞によってではなく、いつも芥川賞です。この場面でも、当然その格言は生きていて、昭和51年/1976年に「直木賞・芥川賞は売れるものだ!」のインパクトを、世に広めたのは、直木賞ではなく、あきらかに芥川賞のほうでした。

「近頃の芥川賞の狂騒ぶりは、「文藝春秋」としては一億円の宣伝にも該当する。その時の作品の内容によるが、受賞作品は十万部以上五、六十万部までは売れ、村上龍氏の「限りなく透明に近いブルー」の如きは、百数万部売りつくした。」(『季刊藝術』昭和54年/1979年冬号 丸山泰司「昭和の作家3 ―編集者からの素描として―」より)

 と、高城修三『榧の木祭り』やら高橋揆一郎『伸予』がほんとに10万部以上売れたのか? という疑問など蹴散らされてしまう、「芥川賞=売れる」という風聞が見事、誕生します。

 それまでの直木賞・芥川賞に、けっして売れないイメージがあったわけじゃないと思うんですが、なにしろ『限りなく~』の登場は、両賞の売上にたいする見方を大きく変えたのは、たしかです。

「特色として言えることは ここ2~3ヵ月のベストセラー等の動きの良いものは小説の分野に戻って来ていることです。それと各種の文学賞受賞作品が全部活況を呈していることです。今迄受賞作品は余り振わなかったと言われて来ましたが 最近の受賞作品は5万10万20万部と伸び 時には百万部を越えるように 受賞ものが強気になって来ています。」(『出版月報』昭和51年/1976年11月号付録「出版月報11月号Q&A」より ―太字下線は引用者によるもの)

(引用者注:今年の特徴として)従来販売力としては強くなかった文学賞受賞作品群の売れ行き増加が目立ちました。」(『出版月報』昭和51年/1976年12月号付録「出版月報12月号Q&A」より ―太字下線は引用者によるもの)

 まあ、ミリオンセラーですからね。人の意識を変えるこのくらいの影響力は、あって当然かもしれません。

 芥川賞は第75回の『限りなく~』以降、たしかにその注目度が本の売り上げに結びつく例がつづきました。第77回は『エーゲ海に捧ぐ』『僕って何』ともに、正真正銘のベストセラーに(『エーゲ海~』は受賞前からずいぶん売れていた、とも言われますけど)。第78回は『螢川』、第79回は『九月の空』と、いずれも20万部超を達成します。

 その後、「芥川賞だっていうのに、たいして売れなくなった」と発言する人たちの比較対象は、ほぼその数年の芥川賞好調期にある、と見てもあながち間違っていないと思います。あるいは、「芥川賞といえば軒並み売れていた時代があった」みたいな、みずからの脳内でつくりだした幻想をもとにしているかの、どちらかです。

 しかし、受賞作が飛ぶように売れる先鞭をつけたのは、昭和51年/1976年前半に、大衆文芸の砦・直木賞だっつうのに〈ノンフィクション〉ノベルが受賞したんだってさ、文芸の世界もいろいろ煮詰まってきちゃって大変だよね、という素晴らしい反応を生み出した『復讐するは我にあり』でした。……とか言うと、どうせ直木賞のほうが好きだからそっちの肩をもっているだけだろ、とスカされるので、やめときます。

 ともかく、まれにみる受賞作好調時代だったんですけど、直木賞のほうは、第75回該当なし、第77回と第78回も連続該当なし。煮詰まりのドン詰まりぶりは相当なもんでした。

 そのなかで、絞り出すがごとくに生まれた受賞作が、第76回(昭和51年/1976年・下半期)三好京三さんの『子育てごっこ』です。

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2017年3月19日 (日)

第78回芥川賞「螢川」「榧の木祭り」、第79回「九月の空」の受賞作単行本部数

第78回(昭和52年/1977年・下半期)芥川賞

受賞作●宮本輝「螢川」収録『螢川』(筑摩書房刊)
初版(受賞後)10万部→23万4,500
受賞作●高城修三「榧の木祭り」収録『榧の木祭り』(新潮社刊)
6万(受賞1か月で)8万

第79回(昭和53年/1978年・上半期)芥川賞

受賞作●高橋三千綱「九月の空」収録『九月の空』(河出書房新社刊)
24万

 昭和50年代と今とで、おそらく文芸出版もいろいろ変わりました。変わらないことがあるとしたら、文芸書に対する悲観論が、わんさか書かれている、ってことかもしれません。

 直木賞(と芥川賞)と出版概況、みたいな文章ばかり見ていると、とにかくまず「最近の文芸は不振だ!」という認識(思い込み?)が前提になっています。うんざりします。

 ということで、不振だ不振だ言われていた昭和50年代ですけど、前週からのつづきで、時間を巻き戻していきます。第80回(昭和53年/1978年・下半期)、直木賞は2作の受賞作が出ましたが、芥川賞はなし、です。

 そのうち、宮尾登美子さん『一絃の琴』が最終的に32万部と、それまでの直木賞の水準から考えれば大ベストセラーとなったことは、以前に取り上げました。同時に受賞した有明夏夫さんの『大浪花諸人往来』のほうは、角川書店のイメージに似合わず(?)衝撃度のうすい小説だったので、売り上げ面では、ほぼ話題にならず。部数はよくわかりません。

 では、ほかの文芸書を含めて、この頃の一般的な部数水準はどのくらいと見られていたのか。ということだけでも確認しておこうと、『朝日新聞』学芸部のじゃじゃ馬こと、百目鬼恭三郎さんの見解を引いておきたいと思います。

「普通でしたら、本というのは三万部も出れば上出来だというのが以前までの常識です。十万以上となれば、みんなが読んでいるからとか、評判だからという要素がほとんどではないでしょうか。」(『日販通信』昭和53年/1978年1月号 昭和52年/1977年出版回顧の座談会より)

 それと、それよりちょっとあとの文献ですが、『週刊読書人』の植田康夫さんによる概説も、ついでに。

(引用者注:ノンフィクションの)刺激剤として大きな役割を果たしたのは、昭和四十五年に設定された大宅壮一ノンフィクション賞である。この賞は、芥川・直木賞が以前と比べて、本の売れ行きという点では力を弱めているのに対し、大きな力を持ってきている。」(昭和57年/1982年9月・東京書店刊 植田康夫・著『出版界コンフィデンシャルPARTI』「第II章 現代出版の諸相 [1]ベストセラー&ロングセラー」より)

 これが昭和55年/1980年(第82回~第83回ごろ)に書かれた文章です。「芥川・直木賞が以前と比べて、本の売れ行きという点では力を弱めている」という、もう現在のわれわれにとってはおなじみの、とにかく感覚値オンリーによる直木賞・芥川賞観が、すでに堂々と開陳されていて、つい微笑みを誘います。

 「以前」というのがいつの時代を指しているのかを明確にしない、……っつうところも、またおなじみのアレすぎてアレなんですけど、ほんとうに両賞(とくに直木賞)が、売れ行きの点で力を弱めていたとは、とうてい考えられません。

 全史を見渡したとき、昭和55年/1980年より「以前」に、これらの賞の受賞作の売り上げが、おしなべて好調だったピークは、どう見たって、昭和51年/1976年~昭和53年/1978年にありました。

 さすがに、それから1~2年しかたっていない段階で、「以前と比べて力を弱めている」と言うのは、大げさ以外の何モノでもありません。また、じっさい、その後に受賞作の部数が落ち込んだかというと、そんな気配もないんですよね。直&芥が大っキライで、これらを馬鹿にしたい人たちにとっては、残念な事実でしょうが。

 要するに、昭和40年代まで、微妙に上下しながら、徐々に部数が増えてきていたのが(もちろんこれは、両賞の受賞作に特有のことではなく、文芸出版全体の動きに乗ったもの)、昭和50年代に入って、いきなりドーンと力を増して以降、そのラインがいまのいままで、ずーっと続いてきている。と見るのが、もっとも適切なんだと思います。

 昭和56年/1981年には『人間万事塞翁が丙午』『思い出トランプ』(ともに直木賞)『小さな貴婦人』(芥川賞)が大当たり、昭和55年/1980年は一年飛ばして、昭和54年/1979年は『一絃の琴』(直木賞)のヒット。そして昭和53年/1978年は、第78回と第79回、計6つある受賞作のうち、2つが「よく売れる文学賞」の波を引き継ぎました。

 それらが直木賞でないのは、つらいところなんですけど、「売れ線」の牙城を守った2つ、芥川賞の『螢川』(第78回)と『九月の空』(第79回)です。

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2017年3月12日 (日)

第81回直木賞『ナポレオン狂』の受賞作単行本部数

第81回(昭和54年/1979年・上半期)直木賞

受賞作●阿刀田高『ナポレオン狂』(講談社刊)
10万9,000

※ちなみに……

第81回(昭和54年/1979年・上半期)芥川賞

受賞作●重兼芳子「やまあいの煙」収録『やまあいの煙』(文藝春秋刊)
約5万部→?
受賞作●青野聰「愚者の夜」収録『愚者の夜』(文藝春秋刊)
約5万部→?

 直木賞とか芥川賞に「売れ筋のベストセラー!」っていうイメージが染みついたのは、いったいいつからなんでしょう。少なくとも、これは最近のことではなく、昭和50年代にはすでに一般的な認識だった、と伝えられています。

 そして、直木賞・芥川賞といえば、「まわりの期待はいつも過剰。実態は、そうでもない」っていう、あるあるがあります。これも当時から健在だったようで、じっさいのところは、一般に思われているほどベストセラーが連発していたわけじゃありません。

 ここでいつもどおり、当時の人の発言に耳を傾けてみます。第81回(昭和54年/1979年・上半期)の直後に、芥川賞受賞作を二冊、抱えることになった文藝春秋の営業部長が、さらりと言いのけたコメントです。

「「(引用者注:受賞作の『やまあいの煙』『愚者の夜』の動きは)両方とも地味なもんですよ。第一、芥川賞受賞作だからといって爆発的な売れ方をすると思ったら大間違い。今は各点約五万部発行」と言うのは文芸春秋住営業部長。同氏は続けて、「(引用者中略)芥川賞といっても、もう文学的内容よりも話題性など商品的な力で売れるのだから、そこをシビアにみた売り方をしていかなければならない。その意味では、普通の文芸書の販売方法と大差ないのではないか」と冷静な受けとめ方。」(『新文化』昭和54年/1979年9月13日号「芥川受賞の二作品 店頭の“戦略商品”にも 理想と現実のギャップ」より)

 そりゃそうだろうな、と言うしかありません。

 記事のタイトルに「理想と現実のギャップ」とあります。「理想」って何なのか、だれにとって何を根拠にした「理想」のことを想定しているのか、よくわかりませんが、文意から解釈すれば、「芥川賞の販売力に関して、おおかたの人が持っているイメージ」と、現実とにギャップがある、っていうことです。

 先の『しんせかい』の部数も、とりあえずは5万部余。と考えれば、芥川賞作品のなかでも、地味に動く部類の発行ボリュームは、そんなに変わっていないんだなあ、と思うんですが、38年前だっていまだって、地味な文芸書が5万部も出たなら大したもんであることに違いはなく、そこにとくに文句はありません。

 文句があるとすれば、やはりこの『新文化』の記事が、芥川賞のことしか取材していないところです。

 直木賞はどうなのか、賞の名で売る「戦略商品」じゃなかったのか、まるでわからず、ほんとに困ってしまいます。都合のいいときだけ直木賞を、芥川賞の仲間に含めるくせに、こういうときにはガン無視しやがって、ブツブツ……。

 この年は、田中小実昌という、直木賞を受賞してわずか2か月足らずで今度は谷崎潤一郎賞を受賞してしまう、前代未聞、空前絶後の離れ業をやってのけた人物が登場。谷崎賞の『ポロポロ』はこの年の、文芸界の収穫に挙げるような人も続出し、文芸書としてはけっこう売れた、とも言われます。

 たとえば、中島梓さんなどは、昭和50年代前半の、十代・二十代作家たちによるベストセラーのリストを挙げた段で、小実昌さんのことにも触れながら、こう解説していたりします。

「ともかく、このリストの異常さは、そんなわけで、この人びとの「若さ」や「ベストセラー」の部数にある、というよりは、むしろ、たとえこれが××賞、××新人賞、というかたちであるていどプロデュースされたものであるにせよ、それを真正直につぎつぎミリオンセラーの軌道にのせたわれわれ読者の「意識」にあるのだ、と云えるであろう。この間にも、むろん、もっと年長の芥川賞受賞者、直木賞、賞とはかかわりのないミリオンセラー(たとえば「天中殺入門」や「かもめのジョナサン」や、「にんにく健康法」(!)といったような)が次々とたゆみなく生まれてはいるのだが、それは、じっさい、この「現象」とはあまりかかわりのないところで出版状況の一方に存在しているかにみえる。(引用者中略)五十代の受賞者田中小実昌の「ポロポロ」が三万部売ったという事実もある。」(昭和58年/1983年12月・講談社刊 中島梓・著『ベストセラーの構造』「第五章 下部構造の成立」より)

 どうですか。芥川賞だ直木賞だ、と賞の名前を挙げながら、その受賞者の田中小実昌さんの、売れた本が紹介されるときに、『香具師の旅』ではなく『ポロポロ』が選択されている、この不自然さ。よっぽど『香具師~』のほうは売れなかったのかもしれない、と想像させます。

 泰流社で『香具師~』を担当したのが高橋徹さんです。いわく、自身の編集経験については「たかだか二千から五千部ぐらいの初版部数の本がほとんどで、文芸出版も地味なものしか扱ったことがない」(『早稲田文学』昭和57年/1982年10月号「文芸出版というコンセプトの揚葉」)と表現していて、むろん、これだけじゃ小実昌さんの受賞作がどれほどの部数に行ったかはわかりません。

 ただ、『香具師~』は当時もほとんど、ベストセラーリストに顔を出しませんでした。初版数千から、多少の増刷があって、『ポロポロ』の3万部と同程度ないし5万部前後、ぐらいではなかったか、と推測できます。

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2017年3月 5日 (日)

第83回直木賞『思い出トランプ』『黄色い牙』の受賞作単行本部数

第83回(昭和55年/1980年・上半期)直木賞

受賞作●向田邦子「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」収録『思い出トランプ』(新潮社刊)
40万部弱(受賞約1年・発売8か月で)46万2,000
受賞作●志茂田景樹『黄色い牙』(講談社刊)
初版7,000部→受賞後+5万部→?

※ちなみに……

第82回(昭和54年/1979年・下半期)芥川賞

受賞作●森禮子「モッキングバードのいる町」収録『モッキングバードのいる町』(新潮社刊)
初版(受賞後)3万部→?

 第85回(昭和56年/1981年・上半期)の直木賞授賞式に足をはこんだ向田邦子さんは、「私の一周忌だから、見にいってみた」云々と言ったそうですが、第85回で青島幸男さんが登場するまえ、とにかく直木賞史上でも類のないほど売れたのが、一年前の第83回に受賞した、向田邦子さんの『思い出トランプ』です。

 混迷ふかまる世界情勢、そのまっただなかに生きる近未来の、世界各国の政治家、企業家、セレブたちが、21世紀のはじめにアメリカの大統領になった一人の男のことを回想する、というグローバルな視点のSF小説……とかじゃありません。市井の人々の営みのなかから、心の傷み、不穏、翳の部分を、なにげなくすくい取る、「これぞ短篇小説だ」みたいなものが、毎月『小説新潮』に発表されたところ、そのうちの3編が受賞。13編で、とりあえず区切りがついたところで刊行されたのが、『思い出トランプ』です。

 なにしろ直後に、青島さんのが売れすぎました。その点、売れ行きでは多少、霞んだかたちになりましたけど、しかし第83回と第85回、わずかな短期間で、ドン、ドーンとベストセラーが二発も出たことは、それまで爆発的に売れるような文学賞ではなかった直木賞の、販促面でのイメージを大きく変えた、というのは確実です。

 向田さんの没後すぐに、山口瞳さんが書いているところでは、こんな感じでした。

「向田邦子は、極めて短い期間に、頂上まで天辺まで登りつめてしまった。

濃のある短篇小説を発表し続けた。相当な手足れでも、いまの中間小説雑誌に読切短篇の連載を書ける作家は稀だろう。それが良い作品であるばかりではなく、大いに売れたのである。『思い出トランプ』は四十万部に迫ったと聞いているが、短篇小説集の発行部数としては空前絶後ではあるまいか。」(『週刊新潮』昭和56年/1981年8月29日号 山口瞳「男性自身 木槿の花(八)」より ―引用原文『山口瞳大全 第十巻』平成5年/1993年8月・新潮社刊)

 『思い出トランプ』は、受賞したころにはまだ本になっておらず、受賞して半年弱も経った昭和55年/1980年12月に刊行。いわゆる「受賞さわぎ」の恩恵をあまり受けていない、珍しい受賞本なんですが、それから8か月ほどで30数万部まで行ったわけですから、さすがといいますか、まあ、直木賞の枠を超えています。

 昭和56年/1981年度の文芸書全体では、『人間万事塞翁が丙午』がトップをぶっちぎり、『思い出トランプ』はトップ10入り、ぐらいのところ。夏ごろまでに、30万部超えだったものが、またも「時のひと」となってしまったことから、部数を伸ばしたようで、約5年で46万2千部を記録しました(『新潮社一〇〇年』平成17年/2005年11月、昭和60年/1985年11月までの部数)。

 ただ、単行本よりも、あとに出た文庫のほうが大量に売れている。ということでいえば、「直木賞」の売れ行き面では、『思い出~』は『人間万事~』よりも明らかに、エポックメイキングな受賞作です。文庫は昭和58年/1983年5月の発刊から、平成23年/2011年7月の段階で、累計145万部(『朝日新聞』大阪版夕刊 平成23年/2013年7月11日「向田邦子の伝言3」)も出ているといいます。

 新潮社だけでなく、競って向田さんに小説・エッセイを書いてもらっていた文藝春秋も、出す本出す本が売れる、という好景気(?)。直木賞をおくっておかなければ、そこまで売れたとは思えず、直木賞大成功の例として、いまも語り継がれています。いや、だれかが語り継いでいってくれると思います。

 それと同時に受賞したのが、もう一作あって、そちらは成功だったのか失敗だったのか、もはやよくわからないんですけど、すくなくとも志茂田景樹さんの『黄色い牙』は、まず「よく売れた本」の話題に上がることはありません。

「直木賞の「黄色い牙」は今一つ動きが鈍いですね。」(『出版月報』昭和55年/1980年8月号付録「出版傾向Q&A」より)

 それで、部数がどうだったのかといえば、志茂田さんが小説現代新人賞をとり、はじめて書下ろしで祥伝社から出した『異端のファイル』(NON・NOVEL)は、初版が2万5000部だったというのですが、『黄色い牙』のほうは、じっさいよくわかりません。

 わかりませんけど、志茂田さんのことは作家デビューの前から知っていた、という恐ろしい人脈の持ち主、山本容朗さんが、とりあえず、こんなふうに明かしてくれています。

「『黄色い牙』は、初版七千部で、直木賞受賞が決まると、五万部増刷したそうである。」(昭和55年/1980年11月・潮出版社刊、山本容朗・著『新宿交遊学』所収「芥川賞・直木賞受賞作家点描」より ―初出『週刊小説』昭和55年/1980年9月5日号)

 その後、この単行本が刷数を増やしたとは、とうてい考えられず、およそ6~7万部の受賞作だった、と見るのが妥当でしょう。

 ベストセラーとなった受賞作の大山脈のかげに隠れて、そっと咲く花、って感じでしょうか。

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2017年2月26日 (日)

第84回直木賞『元首の謀叛』の受賞作単行本部数

第84回(昭和55年/1980年・下半期)直木賞

受賞作●中村正䡄『元首の謀叛』(文藝春秋刊)
受賞後9万部→15万部前後?

 第85回(昭和56年/1981年・上半期)、青島幸男さんの例が、芸能人・タレントによる文学賞受賞の象徴的事件だった、っていうのは疑いないと思います。

 当然、これは突然起きたことじゃなくて、前ふりというか、前史があるわけですけど、大きな流れをひとつ言うなら、「文学専門じゃない人たちが、文学の世界に入り込んできた!」みたいな、いかにもマスコミ人種の好みそうな解釈が、1970年代には、流行っていました。「芸能人による文学賞受賞」もその一種、と見ていいんでしょう。

 第84回(昭和55年/1980年・下半期)は、直木賞と芥川賞で受賞者がひとりずつ。ともに、作家専業でもなければ、ずっと文学をやってきた人でもありません。

 ……ってことで、「文学賞をとるのは、そこに人生を賭けて生きてきたような、怨念まみれの暗いブンガク青年」といった、その当時ですら「いったい何十年前のイメージだよ!」とわんさかツッコみが入っていたであろうステレオタイプな感覚が、まだ生きていて、

(引用者注:授賞パーティーでは)「作家いちずに刻苦勉励の時代はもう終わった」との声も会場には流れていた。」(『読売新聞』昭和56年/1981年2月16日夕刊「第八十四回芥川、直木賞 家族連れ、にぎやかな贈呈式」より)

 という微笑ましい(?)記事が、堂々と発表されていた、そんな時代です。

 直木賞のほうは、日本航空調達部長の中村正䡄さん。文学的経歴は大学時代の同人誌活動ぐらいまでしかなく、以降はそれとは無縁の社会生活を送り、ほんのひまつぶしに書いた長篇小説が、運よくコネをたどって文春から刊行されると、無名の新人の小説としては、かなり評判がよくて増刷をかさね、直木賞を受賞するまでに、すでに5刷か6刷か、そのあたりまで行っていたらしいです。

 具体的な部数については、言及している文献があんまりないんですが、『出版月報』昭和56年/1981年2月号に、こうありました。

「直木賞の「元首の謀叛」も受賞後9万部発行され この賞では最近にない良い売れ行きです。」(『出版月報』昭和56年/1981年2月号「出版傾向Q&A」より)

 「良い売れ行き」だったことで知られている宮尾登美子『一絃の琴』が第80回、ちょうど2年前です。第83回の向田邦子さんの『思い出トランプ』は、受賞時に単行本になってなかったので除くとして、この間の受賞作が、そこまで良い売れ行きでなかったことがわかります。

 それはそれとしても、『元首の謀叛』は、昭和56年/1981年年間ベストセラーのフィクション部門で、東販調べ15位、日販調べ17位。とけっこうな健闘をみせました。

 決してベストセラー作家、売れっ子作家にならず、それどころか職業作家にもなり切らなかった中村さんの、おそらく唯一のベストセラー、という大変正統派な直木賞受賞作となったわけですが、最終的に年間売れ行きランキングでは、吉行理恵『小さな貴婦人』の後塵を拝しているところから見て、部数は12、13万部~15万部ぐらいだっただろうと、推測します。

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2017年2月19日 (日)

第85回直木賞『人間万事塞翁が丙午』の受賞作単行本部数

第85回(昭和56年/1981年・上半期)直木賞

受賞作●青島幸男『人間万事塞翁が丙午』(新潮社刊)
受賞前1万7,000部→103万2,000(受賞約半年で)117万

※ちなみに……

第85回(昭和56年/1981年・上半期)芥川賞

受賞作●吉行理恵「小さな貴婦人」収録『小さな貴婦人』(新潮社刊)
22万2,000

 テレビから映画から歌の作詞から、活躍のフィールドは幅広く、とにかくあまりに有名人すぎて、軽く国会議員にまでなってしまった、いわば平成27年/2015年夏当時の又吉直樹とは比べもんにならないぐらいの人気を誇っていた芸能人が、はじめて小説を発表、それがいきなり直木賞受賞だぜ! ……というのに、けっきょく100万部程度しか売れなかった、悲しき受賞作、『人間万事塞翁が丙午』です。

 と、こういうことを言うと、またオカシなことほざいてやがる、と引かれるんでしょうが、でも、あれほど知名度のある人が、これほど知名度のある直木賞をとった、と考えれば、あと2倍は売れていても不思議じゃありません。

 今週もどうせ言いたくなるはずなので、先に言っておきます。やはりここは、直木賞というものが持つ悲しさに、胸が痛くなります。

 100万部を突破すれば、そりゃあ、まわりが盛り上がるのは道理でしょう。これが芥川賞なら、確実に「時代を画した」「賞の歴史を動かした」と絶叫する人が現われ、歴代の売上げでは何位だの、何年ぶりに記録を更新しただの、芥川賞と聞くだけで目をランランとさせる、そのくせ自分が芥川賞偏愛者であることに無自覚な人びとが、懲りもせず、熱ーく後世まで語り継いでいきます。

 それに比べて直木賞は……、と愚痴しか出てきませんから、ここらでやめておきますけど、とにかく直木賞の受賞作が単行本で100万部を超える、なんて前代未聞の大事件。その後、浅田次郎さんの『鉄道員』に抜かれるまで、ただ一作のミリオン達成作品、だったんですが、いったい『人間万事~』が直木賞の歴史を変えるような受賞だと伝承されているか、といえば疑問です。

 青島幸男さんのことは、何度かうちのブログでも取り上げてしまったので、新しいハナシをするつもりもありません。やはり、「芸能人が小説を書き、それに文学賞を与えて、たくさん本が売れる」、それが成功した事例、として知られています。

 ワタクシも、青島さんへの授賞が直木賞の歴史とか日本の小説界を変えた! とはまったく思いませんけど、しかし、ここには明らかに、当時の直木賞らしさが見えています。うん、これこそが直木賞だよね、と思わせるものが、この特異なはずの授賞にも、はっきり現われています。

 たとえば芸能人の小説、のなかには、〈芸能人の小説〉ということが読者の購買意欲をそそる類いのものがあります。以前、「芸能人と直木賞」のテーマで取り上げた何人かの作品は、それ系統と言っていいでしょうし、そこに「その人の露出度の高さ」とか「内容が刺激的」とか「読者の評判」とかが加わって、何万部、何十万部の売り上げにつながり、ベストセラーリストに登場するものが、(全部ではなく)一部にある。これはよくわかります。

 青島さんの『人間万事~』は、歴然たる芸能人の小説です。だけど残念ながら、それだけでベストセラーになるほどの評判作ではありませんでした。

 部数の推移を追ってみます。「四月単行本として刊行されたが、今一歩売れ行きが伸びず、直木賞決定時の七月までに再版分合わせて一万七千部だったという」(『創』昭和57年/1982年11月号 真下利夫「ベストセラー商法の道具と化した文学賞」)。しかしここから、直木賞でドカーンと売れ行きが伸び、ひと月足らずで10万部突破(『出版月報』8月号)、翌月には40万部(同9月号)、さらに翌月には倍増の80万部(同10月号)と、ベストセラー街道の波に乗ります。

 昭和56年/1981年、上半期の文芸書で圧倒的に売れた田中康夫『なんとなく、クリスタル』100万部を、年内のうちに抜いて103万2,000部(『新文化』昭和56年/1981年12月31日号)。

 翌昭和57年/1982年、まだまだ売れ行きの足がつづき、その年だけの部数でいっても19万3,000部。と、新潮社の単行本ベスト5にランクインし(『創』昭和62年/1987年10月号「新潮社VS文藝春秋 出版社の比較研究」)、受賞から約1年、その効果も落ち着いた昭和57年/1982年9月までに117万部、という記録を残しました(『新潮社一〇〇年』平成17年/2005年11月)。

 受賞前には1万部~2万部程度。何もなければそれで終わっていたような小説です(ちなみに最近でいえば、『蜜蜂と遠雷』の受賞前は7万部だったといいます)。こういうものを、賞の力で、もっと大勢の人の目の届くところに押し出してあげる。……っていうのが、だいたい直木賞が果たしてきた役割のひとつです。

 その意味では、芸能人の小説だったとしても、他の回とあまり変わるところはありませんでした。

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2017年2月12日 (日)

第86回直木賞『蒲田行進曲』『機雷』の受賞作単行本部数

第86回(昭和56年/1981年・下半期)直木賞

受賞作●つかこうへい『蒲田行進曲』(角川書店刊)
29万(受賞約1年で)→?
受賞作●光岡明『機雷』(講談社刊)
10万

 昭和57年/1982年は、1月も7月も芥川賞が該当なし。まる1年間、直木賞だけが活性化した年でした。

 いや、活性化した、と言っちゃいましたが、この年は「出版不振だ」「低迷の時代だ」と悲観の論調が跋扈していた時期にあたり、テレビに出ている人の本か、映画・テレビなどとのミックス戦略がないと売れやしない、ともさんざん言われていた時代。残念ながらその潮流に歯止めをかけたり、あるいは追い風に乗って躍進するような存在に、直木賞がなったわけではありません。

 まず、7月に決まった第87回(昭和57年/1982年・上半期)の受賞作は、深田祐介さんのぶ厚くて長い『炎熱商人』と、さらっと上品で、盛り上がりに欠ける村松友視さんの中篇「時代屋の女房」の二作品です。

 深田さんと村松さん、ともに「ベストセラー」と呼ばれる著作をお持ちの方で、もちろん受賞作そのものも、売れ行きはそこそこ行った雰囲気はあります。しかし、具体的な数字が、いまいちわかりません。

 深田祐介さんの最初の「ベストセラー」、『新西洋事情』(昭和50年/1975年)は北洋社という、なかなかのマイナーどころから出たものが、10万部は軽く超えたらしく、『新西洋~』もさることながら、大宅賞の販促パワーってすごいんだね、などとも言われました。

 その後、直木賞を経て、次にベストセラーと呼ばれることになった『スチュワーデス物語』(昭和58年/1983年)は、こちらは完全にテレビドラマのおかげ(というか、相乗効果?)で、海音寺潮五郎さんあたりがあきれ果てそうな展開ではあったんですが、やっぱり10万部超えを伝える記事があります。

「番組をヒットさせるには出版社新聞社などと提携し、相乗作用を狙えばさらに効果的なことは明らか。単行本の場合、テレビの原作となると、売れゆきが十倍単位で違ってくるから、出版社もかねてから積極的にテレビ化を働きかけたりしてはいたのだが、最近は特にそれが目立つ――。(引用者中略)典型的な成功例は「スチュワーデス物語」(TBS、59年3月終了)。(引用者中略)結果は、テレビドラマは平均20%の視聴率を稼ぎ、原作「スチュワーデス物語」(新潮社)は13万部を売った。」(『読売新聞』昭和59年/1984年8月10日夕刊「テレビToday(16) 出版とのドッキング」より ―署名:山田史生記者)

 『新西洋~』と『スチュワーデス~』に挟まれた『炎熱商人』については、まだ部数の記録を目にできていません。『文藝春秋七十年史』の「単行本の年間ベスト5」では、昭和57年/1982年ベスト5の筆頭に書かれているので、10万部以上は行ったものと思います。ただ、いわば「そこそこ」でもあります。

 村松さんのベストセラー歴のほうは、「時代屋の女房」のまえに『私、プロレスの味方です』(昭和55年/1980年)があり、あとに『アブサン物語』(平成7年/1995年)があるっていう構図です。『アブサン~』が話題のときには、

(引用者注:『アブサン物語』は)発売後およそ二か月で十万部に達し、同氏の直木賞受賞作「時代屋の女房」(八二年)以来の大ヒット作になりつつある。」(『読売新聞』平成8年/1996年2月24日夕刊「「アブサン物語」松村友視著」より)

 とも書かれました。村松さん自身が、自分は「売れない作家」だと自嘲して書いているのを信じれば、たしかに、ほかにそれほど売れた本はなさそうです。

 『時代屋の女房』は、すぐに映画化されたし、角川だし、ずいぶんと売れたものとは思います。だけど、たとえば年間ベストセラーリストなどには姿を見せません。少なくとも単行本の段階での売れ行きは、10万部から15万部に届いていればいいところ、といった様子で、立派なベストセラーではありますが、直木賞史のなかでも、当時の売れ行き良好な文芸書のなかでも、飛び抜けてどうということはない埋ずもれたベストセラーです。

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2017年2月 5日 (日)

第89回直木賞『黒パン俘虜記』の受賞作単行本部数

第89回(昭和58年/1983年・上半期)直木賞

受賞作●胡桃沢耕史『黒パン俘虜記』(文藝春秋刊)
13万9,000

※ちなみに……

第88回(昭和57年/1982年・下半期)芥川賞

受賞作●唐十郎『佐川君からの手紙』(河出書房新社刊)
23万(受賞半月で)37万
受賞作●加藤幸子「夢の壁」収録『夢の壁』(新潮社刊)
8万(受賞1か月で)→?

 もちろん直木賞は、昭和50年代も、さまざまに注目されるマトでした。

 また何週かにわたって、売上げ部数を中心にしながら、この年代の直木賞のことを追ってみます。

 とりあえずこの年代、いまと何がいちばん違っていたか。……といって、直木賞も芥川賞も、どちらも「受賞なし」の結論を出すことにさほど抵抗感が見られず、平気な顔して当たり前のように、受賞作のない回を頻発させていた、ということでしょう。

 直木賞と芥川賞は、扱う対象候補や、ベースとなるメディア領域が違いますから、「受賞なし」の連発を、一概に同じ現象として語るのはおかしいんですが、このころは、どちらの賞も「無理してまで、受賞作を出さなくていいじゃん」という認識下にあったのは、間違いありません。

 第88回(昭和57年/1982年・下半期)は、直木賞は「なし」で、芥川賞だけ受賞作が出ました。

 直木賞のほうは、新人からベテランまで候補者7人。顔ぶれから見れば、誰がとってもよさそうなメンツで、いまなら、誰かには賞をあげていそうなものです。けっきょくその後、4人には直木賞を贈ることになり、残り3人には、直木賞をあげることができませんでしたが、その3人(落合恵子さん、岩川隆さん、森瑤子さん)とも、賞とは関係なく作家の仕事をつづけていって、かなりの業績をのこしました。いわゆる「一発屋」的に候補になった人は、ひとりもいません。

 いっぽうの芥川賞は、あんまり興味がないので無視し……したいところですけど、いまは部数のことをメインに書いているので、少し我慢。いちおう触れておきます。

 何といっても唐十郎さんの『佐川君からの手紙』は、売上げ関連で、芥川賞史に名をのこすことになった一作です。唐さんの有名人性もさることながら、辛気くさい文芸モノには食指が動かない人たちにも関心を抱かせてしまう、その作品内容が注目を浴びまして、ハイスピードで版を重ねます。

 芥川賞受賞作の基準は7万部だとか言われていたところ、ほんの一ト月ぐらいで、20万部を突破。これは第85回(昭和56年/1981年・上半期)の吉行理恵『小さな貴婦人』以来、1年半ぶりのことです(……いや、芥川賞の受賞作そのものが、『小さな貴婦人』以来出ていなかったので、この表現はちょっとアレですけど)。そのあとも順調に伸ばし、最終的には37万部まで行った、と言われています(『AERA』平成8年/1996年1月1日・8日合併号「芥川賞がつまらない」より)。

 そのかげに隠れたのが、加藤幸子さん『夢の壁』です。ワタクシにはこっちのほうが面白い小説だと思うんですが、まず「ベストセラー」として取り上げられることはありません。『新文化』昭和58年/1983年2月17日号によれば、贈呈式が開かれた2月14日までの約1か月で、四刷8万部。おそらく、そこら辺で落ち着いたものと思われます。

 じっさい、芥川賞としても『夢の壁』のほうが標準的な売上げで、そりゃあ、おおむね受賞作はそのくらいのもんでしょう。むしろ、『佐川君~』みたいに、インパクトが当たって20万・30万もいってしまう受賞作のほうが稀です。これまで生まれた全164冊ある「芥川賞受賞作」の単行本のうち、30万部を超えたのは、13冊しかないんですから。売れる売れる、といってもその程度です。

 よくよく見れば、「芥川賞の歴史のなかで、受賞作の発行部数が最も好調だったのが、たぶん昭和50年代ではないか」と推測できるその時代にあっても、やはり売れなかった受賞作は、いまと同じくらい売れませんでした。そして芥川賞ってものは、まず「この賞はスゲエ存在だ」と仮定して、そのスゴくなさを、なるべく激しい罵声で攻撃・批判したほうが明らかに面白いんですが、まあそもそも、ワタクシにはそんな熱意はありません。

 30年くらいまえの、昭和50年代後半の芥川賞でも、10万部に遠く届かない受賞作は、ふつうにあったんだな。と当たり前のことだけ言って、さっさと次に行きたいと思います。

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2017年1月29日 (日)

第131回直木賞『空中ブランコ』『邂逅の森』、第132回『対岸の彼女』、第133回『花まんま』の受賞作単行本部数

第131回(平成16年/2004年・上半期)直木賞

受賞作●奥田英朗『空中ブランコ』(文藝春秋刊)
37万
受賞作●熊谷達也『邂逅の森』(文藝春秋刊)
8万

第132回(平成16年/2004年・下半期)直木賞

受賞作●角田光代『対岸の彼女』(文藝春秋刊)
24万

第133回(平成17年/2005年・上半期)直木賞

受賞作●朱川湊人『花まんま』(文藝春秋刊)
10万

※ちなみに……

第131回(平成16年/2004年・上半期)芥川賞

受賞作●モブ・ノリオ「介護入門」収録『介護入門』(文藝春秋刊)
8万

第132回(平成16年/2004年・下半期)芥川賞

受賞作●阿部和重「グランド・フィナーレ」収録『グランド・フィナーレ』(講談社刊)
8万

第133回(平成17年/2005年・上半期)芥川賞

受賞作●中村文則「土の中の子供」収録『土の中の子供』(新潮社刊)
8万

 前週のつづきです。

 東野圭吾さんが直木賞を受賞した第134回(平成17年/2005年・下半期)は、だいたい10年まえの出来事です。まだ、多くの人の記憶にしっかりと残っています。

 10年まえの直木賞が、どんな状況にさらされていたか。といえば、言うまでもなく、「文学賞なんだからもっと販促効果を上げてくれよ!」と、まわりの人たちから期待(や失望)を受けている頃でした。

 本(小説)が売れなくて元気のない書店員たちが、もっと楽しく働けるような一種の仕掛けとして、本屋大賞の始まったのが平成16年/2004年度(4月発表)。これがいきなり1回目から直木賞をしのぐ売り上げを記録したことで注目を浴びた、……ということからもわかるように、要するに「文学賞は、受賞作が売れてナンボ」程度の切り口で、文学賞のことを語っても、だれも不快に思わない風潮が、すでに日本には広まっていたわけです。

 平成17年/2005年7月、第133回(平成17年/2005年・上半期)が決まったあとに、『週刊金曜日』(平成17年/2005年7月29日号)に広中彬さんの「芥川賞直木賞のつくられ方」が載りました。この記事が、当時の直木賞と芥川賞のことを、出版関係者たちがどう見ていたのか、うまく伝えてくれています。

 この二つの賞はこれまで、「文壇政治」ってやつで権威を維持しながら70年間やってきた、しかし、出版不況が長引く状況下、そんな悠長なことは言っていられなくなった。最近ではとにかく、受賞作を売る=受賞者の話題性、を主催者は狙っている。その象徴が、第130回の綿矢・金原の芥川賞ダブル受賞だった……と、おなじみな見解すぎて、つい眠たくなってしまう、匿名の文芸編集者によるご講義がつづいたあと、こんなハナシが展開されます。退屈だからといって眠らないで、聞いてみてください。

「綿矢・金原など話題作以外、最近の受賞作の部数もおおむね減少傾向にあるのも事実。前出文芸編集者もこう語る。

「綿矢・金原旋風に湧いた前年には現役女子高生の島本理生のノミネートが話題になりましたが結局は落選。選考委員の権威主義が未だ生きていたのか、と批判に晒された。その教訓としての綿矢・金原の受賞という意味合いもあったが、翌第一三一回の直木賞を受賞した熊谷達也の『邂逅の森』などは七万五〇〇〇部しか売れなかった。直木賞受賞作が一〇万部に達しないなんて賞=商売の意味がない」」(『週刊金曜日』平成17年/2005年7月29日号 広中彬「芥川賞直木賞のつくられ方」より)

 ここで発言している「文芸編集者」という人は、頭がおかしいのでしょうか。

 いや、おかしいはずはありません。おそらく本気で、直木賞は10万部に達しなければ意味がない、と考えていた、出版不況を憂う(そして文学賞に対して、どんなことでもケチをつけておきたい)標準的・常識的な人なんだろうと想像します。

 「直木賞も芥川賞もね、べつにこのままでいいんだよ」とか言うより、「これらの賞には問題がある! 権威は崩壊した! 話題性ばかり追ってる! 売れない!」と叫ぶほうが、発言として派手です。「何か言っている」感は、確実に醸し出すことができます。おそらくまわりからの共感も得られやすいんでしょう。

 でも、重要なのは、この時期ほんとに「おおむね減少傾向にあるのが事実」だったのか、だと思います。

 まずは、いつもどおり、直木賞のほうから。以下、単行本の部数は、このころの受賞作の部数を一覧で紹介した『朝日新聞』平成18年/2006年7月15日「芥川賞・直木賞、なぜ注目? 受賞作からミリオンセラーも」を中心として、『出版年鑑』の記述なども参考にしました。

 とりあえず、『週刊金曜日』の「文芸編集者」みたいに、綿矢・金原旋風の売り上げの話題を持ってきといて、いきなり熊谷達也さんの『邂逅の森』を指摘するのは、どう考えても卑怯(っつうかマト外れ)だと思うんですけど、第131回は、『邂逅の森』が8万部、奥田英朗『空中ブランコ』は37万部だった、と言われています。

 37万部というのは直木賞のなかでも、「かなり売れた」部類です。毎回・毎作、受賞作がこのくらい売れていれば、直木賞もスゴいものですが、こういうのは、たまにしかありません。

 第132回の角田光代『対岸の彼女』が24万部。第133回朱川湊人『花まんま』が10万部。そして、前週のエントリーで取り上げた、第134回『容疑者Xの献身』66万部、第135回『まほろ駅前多田便利軒』12万部、『風に舞いあがるビニールシート』11万部……とつづいていきます。

 この流れを見て「減少傾向にある」と解釈するのは、やっぱり、こじつけでしかありません。

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2017年1月22日 (日)

第134回直木賞『容疑者Xの献身』以降、第144回『漂砂のうたう』『月と蟹』までの受賞作単行本部数

第156回(平成28年/2016年・下半期)

直木賞●恩田陸『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎刊)
初版1万5,000部→受賞前7万部→受賞後27万部→?
芥川賞●山下澄人「しんせかい」収録『しんせかい』(新潮社刊)
受賞前3,500部→受賞後5万3,500部→?

第134回(平成17年/2005年・下半期)

直木賞●東野圭吾『容疑者Xの献身』(文藝春秋刊)
50万(受賞半年で)66万
芥川賞●絲山秋子「沖で待つ」収録『沖で待つ』(文藝春秋刊)
7万(受賞半年で)→?

第135回(平成18年/2006年・上半期)

直木賞●三浦しをん『まほろ駅前多田便利軒』(文藝春秋刊)
12万
直木賞●森絵都『風に舞いあがるビニールシート』(文藝春秋刊)
11万
芥川賞●伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」収録『八月の路上に捨てる』(文藝春秋刊)

第136回(平成18年/2006年・下半期)

芥川賞●青山七恵「ひとり日和」収録『ひとり日和』(河出書房新社刊)
初版(受賞後)4万部→受賞後21万

第137回(平成19年/2007年・上半期)

直木賞●松井今朝子『吉原手引草』(幻冬舎刊)
初版8,000部→受賞後12万1,000
芥川賞●諏訪哲史『アサッテの人』(講談社刊)
初版(受賞後)4万5,000部→5万8,000

第138回(平成19年/2007年・下半期)

直木賞●桜庭一樹『私の男』(文藝春秋刊)
22万
芥川賞●川上未映子「乳と卵」収録『乳と卵』(文藝春秋刊)
11万

第139回(平成20年/2008年・上半期)

直木賞●井上荒野『切羽へ』(新潮社刊)
9万
芥川賞●楊逸『時が滲む朝』(文藝春秋刊)
初版(受賞前)8,000部→受賞後9万

第140回(平成20年/2008年・下半期)

直木賞●天童荒太『悼む人』(文藝春秋刊)
初版10万部→受賞後30万
直木賞●山本兼一『利休にたずねよ』(PHP研究所刊)
25万
芥川賞●津村記久子「ポトスライムの舟」収録『ポトスライムの舟』(講談社刊)
6万7,000

第141回(平成21年/2009年・上半期)

直木賞●北村薫『鷺と雪』(文藝春秋刊)
10万
芥川賞●磯崎憲一郎「終の住処」収録『終の住処』(新潮社刊)
16万1,000

第142回(平成21年/2009年・下半期)

直木賞●佐々木譲『廃墟に乞う』(文藝春秋刊)
初版2万部→受賞後11万
直木賞●白石一文『ほかならぬ人へ』(祥伝社刊)
初版2万部→受賞後15万

第143回(平成22年/2010年・上半期)

直木賞●中島京子『小さいおうち』(文藝春秋刊)
11万1,000
芥川賞●赤染晶子「乙女の密告」収録『乙女の密告』(新潮社刊)
5万8,000

第144回(平成22年/2010年・下半期)

直木賞●木内昇『漂砂のうたう』(集英社刊)
8万5,000部→?
直木賞●道尾秀介『月と蟹』(文藝春秋刊)
10万5,000部→?
芥川賞●朝吹真理子『きことわ』(新潮社刊)
初版(受賞後)5万部→14万
芥川賞●西村賢太「苦役列車」収録『苦役列車』(新潮社刊)
初版(受賞後)5万部→19万

(以上すべて受賞作)

 先週1月19日に第156回の結果発表がありましたが、直木賞はこれからが本番(?)。授賞式があり、選評が発表され、また増刷分の単行本が全国の書店に流通することになって、さてどれほどの売り上げを叩き出すか……というお楽しみが待っています。

 さっそく芥川賞のほうは、読売新聞調査研究本部の渡辺覚さんが、大手出版社の文芸編集者の、「10万部超えは確実」だという予想を紹介しています(「祝・芥川賞 山下澄人「しんせかい」を読み解く」より)

 受賞が決まったばっかりなのに、どれぐらい売れるかという下世話な話題でオチをつける、かなり末期的な芥川賞脳を披露してくれていて心強いです。ぜひ、『蜜蜂と遠雷』も読み解いていただければと願っています。

 とまあ、『蜜蜂~』ですが、こちらこそ10万部は固いところ。いや、この圧倒的な評判のよさから、20万部は超えるのが自然かもしれず、4月の本屋大賞次第では、『ホテルローヤル』以来の50万部突破も夢じゃない。さらに映画化とかの話題が続けば、『鉄道員』を抜いて、直木賞史上トップ1に立てるかも!?

 (とりあえず、受賞後一発目の重版で、27万部だそうです。

 下世話な夢は広がるばかりですね。

 それで、うちのブログでは「だいたい直木賞受賞作はどのくらい売れるのか」というハナシを半年以上続けているんですが、前回155回の直後には、145回~155回の分を調べてみました。今週は、そのまえのだいたい5年分について取り上げて、「最近10年の受賞作部数の動向リスト」を完成させておきたいと思います。

170122

 各部数の典拠は、

  • 『東京新聞』平成23年/2011年2月22日夕刊…木内昇『漂砂のうたう』、道尾秀介『月と蟹』
  • 『2011出版指標 年報』平成23年/2011年4月…佐々木譲『廃墟に乞う』、白石一文『ほかならぬ人へ』、中島京子『小さいおうち』
  • 『2010出版指標 年報』平成22年/2010年4月…天童荒太『悼む人』、山本兼一『利休にたずねよ』、北村薫『鷺と雪』
  • 『朝日新聞』平成22年/2010年11月24日…井上荒野『切羽へ』、森絵都『風に舞いあがるビニールシート』、三浦しをん『まほろ駅前多田便利軒』、東野圭吾『容疑者Xの献身』
  • 『2009出版指標 年報』平成21年/2009年4月…桜庭一樹『私の男』
  • 『2008出版指標 年報』平成20年/2008年4月…松井今朝子『吉原手引草』

 といったところをベースにしています。

 また、『悼む人』の初版部数については、このブログのコメント欄で教えていただいた『創』のバックナンバーに当たり、当時、文春の第一出版局長だった庄野音比古さんの談話、

(引用者注:平成20年/2008年の)後半は東野(引用者注:圭吾)さんの本もそうですが、天童荒太さんの『悼む人』も初版10万部というスタートだし、1月には村山由佳さんの『ダブるファンタジー』、小川洋子さんの長編も出ます」(『創』平成21年/2009年2月号 篠田博之「出版社の徹底研究 東野圭吾旋風で文藝春秋書籍部門の勢い」より)

 を採りました。

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