2016年9月25日 (日)

第105回直木賞『青春デンデケデケデケ』、第106回直木賞「狼奉行」『緋い記憶』の単行本部数

第105回(平成3年/1991年・上半期)直木賞

受賞作●芦原すなお『青春デンデケデケデケ』(河出書房新社刊)
18万(受賞1か月半で)23万(受賞半年で)

第106回(平成3年/1991年・下半期)直木賞

受賞作●高橋義夫「狼奉行」収録『狼奉行』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)6万部→7万
受賞作●高橋克彦『緋い記憶』(文藝春秋刊)
受賞前2万部→11万

※ちなみに……

第105回(平成3年/1991年・上半期)芥川賞

受賞作●辺見庸「自動起床装置」収録『自動起床装置』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)5万部→7万
受賞作●荻野アンナ「背負い水」収録『背負い水』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)8万部→18万

第106回(平成3年/1991年・下半期)芥川賞

受賞作●松村栄子「至高聖所」収録『至高聖所』(福武書店刊)
初版(受賞後)7万

 平成3年/1991年、『妊娠カレンダー』が意外にヒットしたことで、「文学賞は売れ行きをもとに語れ!」という風潮に火がついたことは、否定できません。いや、否定できるかもしれません。ともかくも、そこから先しばらくは、「あれれ、今度の芥川賞も売れないなあ」と、10万部以下受賞が何度も繰り返されるうちに、昔からおなじみの「どうにかして芥川賞を批判したいぜ」欲求の新形態として、純文学といえども売れなきゃ駄目だ、みたいなことがギャンギャン言われるようになり、やがて笙野頼子さんブチ切れる……という展開をみせる1990年代です。

 売れない、と言ったって受賞作は5万も7万も刷られます。芥川賞やらが文句を言われる筋合いはありません。その面で直木賞のほうは、まあ、基本的にコイツをネタにしても盛り上がらないと知れ渡っていたらしく、売り上げが好調だとか低調だとか、特別に指摘されることは多くありませんでしたが、およそ芥川賞の2倍から3倍の売れ行き、というところで推移します。

 そのなかで、第105回(平成3年/1991年・上半期)は、芥川賞が「自動起床装置」「背負い水」の文春2作に対して、直木賞『夏姫春秋』『青春デンデケデケデケ』と、直木賞では珍しい版元の作品に賞が与えられました。『夏姫春秋』のほうはすでにちょっと触れましたが、『青春デンデケ~』もかなりの結果を残します。

 そもそもが、「文藝賞」の受賞作でもあり、この賞は以前からときどきベストセラー入りすることがある稀有な文学賞のひとつでもあって、直木賞までに10万部近く(!)は行っていたらしいんですが、受賞から1か月で18万部、2か月で20万部を超え、発売約1年で23万部。……と『出版月報』&『出版指標年報』の記録から読み取れます。

 受賞翌年には映画も公開され、それが本の宣伝の役割も果たしたので、もう少し部数は伸びたはずですが、それがなかったにしても、これは、1年後にやってくる伊集院静『受け月』と同じくらいの売れ行きです。芸能ニュースの底力のおかげで一定期間ベストセラーの座をキープしたといわれる、アノ『受け月』に匹敵するわけですから、十分すぎる結果でしょう。

 20万部超えがコンスタントに出るようになった、というのは、昭和のおわりごろから発生した直木賞の特徴です。それが転じて「売れない芥川賞は駄目だ」とまず言われだし、そのうちに「売れない直木賞なんてクソだ」とオチョくられるようになる、トンデモ文学賞観が跋扈する土壌を築くことになりました。

 受賞作が順調に売れるのも痛しかゆし、といったところですが、まあ直木賞と芥川賞の場合、「受賞作の売れ行き」は、後追いで生まれたネタなので、そこがどう叩かれようが、痛手はあんまりありません。

 『青春デンデケ~』の、三島賞落ち&直木賞受賞後には、

「地方ではふるさと創生の旗印の下に、中央では文芸出版の生き残りのために、「石を投げれば賞に当たる」といわれる文学賞インフレ時代。それは新しい才能を生み出す土壌なのか、“文芸バブル時代”の象徴なのか。いずれにしても、出版社でも、作家でも、選考委員でもなく、読者が主体性をもって作品を選択する時代となってきたことだけは、確かなようだ。」(『読売新聞』平成3年/1991年8月9日夕刊「評価二分の直木賞「青春デンデケデケデケ」 現代文学の多様性反映」より ―署名:(鵜))

 という、何のコッチャよくわからない記事も書かれましたが、こういうことが言われるのも当然、文学賞があればこそです。「芥川賞が売れない、直木賞はちょっと売れる、だけどもっと売れる(読者に支持される)小説最強だ」みたいな、文学賞のほんの一側面だけを利用した、「何のコッチャ」なおもしろ記事が、次々に出てくることになります。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月18日 (日)

第103回直木賞『蔭桔梗』、第104回直木賞『漂泊者のアリア』の単行本部数

第103回(平成2年/1990年・上半期)直木賞

受賞作●泡坂妻夫『蔭桔梗』(新潮社刊)
受賞後+5万部→7万(受賞半年で)

第104回(平成2年/1990年・下半期)直木賞

受賞作●古川薫『漂泊者のアリア』(文藝春秋刊)
受賞後+5万部→9万(受賞1年で)

※ちなみに……

第103回(平成2年/1990年・上半期)芥川賞

受賞作●辻原登「村の名前」収録『村の名前』(文藝春秋刊)
7万(受賞半年で)

第104回(平成2年/1990年・下半期)芥川賞

受賞作●小川洋子「妊娠カレンダー」収録『妊娠カレンダー』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)5万部→31万

 たとえば、直木賞・芥川賞が決まるたびに、その受賞作が、洩れなく30万部も40万部も売れる。……なんていうのは、多くの日本人の気が狂わないかぎり実現しない数字なので、まともな人なら、そんな状況、絶対に望まないと思います。ワタクシも望みません。

 先週触れた平成1年/1989年、平成2年/1990年ごろというのは、気の狂いはじめた人が増えたのか、だんだんと「直木賞・芥川賞は以前に比べて売れない(とくに芥川賞)」といった指摘が、何かに対する警告のように唱えられだした時代です。今週は、さらにその続きの回の、本の売れ行きについて、見てみたいと思います。

 第102回直木賞の原尞『私が殺した少女』は、直木賞の歴史のなかでも、かなり上位の売れ行きだったなんですが、出版科学研究所の林正則さんにすれば、ちょっと物足りなかったようです。

「出版科学研究所の林正則さんは、「文芸書の売れ方が低調だった要因の一つは、文学賞の受賞作品が弱かったこと。芥川・直木賞では、『私が殺した少女』『ネコババのいる町で』はそこそこ部数を伸ばしたが、大岡玲の『表層生活』などは全く動きが悪い。山本周五郎賞や三島由紀夫賞に至っては惨敗」という。」(『産経新聞』平成2年/1990年7月27日夕刊「今年上半期のベストセラー 目立った話題先行型」より ―署名:大澤洋一)

 この記事を書いた産経新聞の大澤さんは、翌年8月、同じく年間の上半期ベストセラーを総括する記事で、こんな表現を使用するに至っています。

「文芸書の分野では、たとえ芥川賞や直木賞を受賞しても、それだけではベストセラー入りできない傾向が今やはっきりしてきた。」(『産経新聞』平成3年/1991年8月2日夕刊「今年上半期ベストセラー 条件は女性に受けること!? 恋愛ものが部数伸ばす」より ―署名:大沢洋一)

 いや、そんなこと言っていないで、どうか、お願いします。「芥川賞や直木賞を受賞すれば、それだけでベストセラー入りできる傾向にあった時代」とは、いったいいつなのか。本気で教えてもらいたいんです。そうであった時代にたどりつきたくて、いろいろ探しているんですけど、いまのところ、見つかっていません。

 それで、この2つの記事が書かれた期間中、直木賞は、平成2年/1990年7月決定の第103回と、平成3年/1991年1月決定の第104回の分がありました。受賞作は、泡坂妻夫さんの『蔭桔梗』と、古川薫さんの『漂泊者のアリア』です。

 前者の第103回では、芥川賞のほうが辻原登さんの「村の名前」。ということで、どうですか。いやー、地味なオジさんコンビだし、作品の内容も、何だかパッとした華やかさがない。タイトルからしてもう、好事家しか買わないことが目に見えている。駄目だね、こりゃ……と、だれでも予想すると思います。そして、やっぱり予想どおりの売れ足だったらしく、どちらも10万部ラインまで達しなかったらしいです。

 とはいえ、べつにこの2作が、受賞決定後の8月や9月に、まったく振るわなかった、というわけじゃありません。それぞれ売れた本屋では売れて、ベストセラーリストに顔を覗かせています。

 1回1回の受賞と、その時代背景や他の本の動きを加味して、読んでいる人たちに「なるほどーっ!」と思わせるような、何か分析めいたことを言わなきゃいけない記者や専門家の方々って、ほんと大変だろうなと、重々お察ししますが、はっきり言って、以前と比べて何がどう変わったということのない、相変らずの直木賞・芥川賞の動き、だったとしか思えません。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月11日 (日)

第101回直木賞『高円寺純情商店街』『遠い国からの殺人者』、第102回直木賞『私が殺した少女』の単行本部数

第101回(平成1年/1989年・上半期)直木賞

受賞作●ねじめ正一『高円寺純情商店街』(新潮社刊)
受賞後+3万部→20万(受賞9か月で)→?
受賞作●笹倉明『遠い国からの殺人者』(文藝春秋刊)
受賞後+5万部→7万

第102回(平成1年/1989年・下半期)直木賞

受賞作●原尞『私が殺した少女』(早川書房刊)
受賞前4万部?→35万

※ちなみに……

第102回(平成1年/1989年・下半期)芥川賞

受賞作●瀧澤美恵子「ネコババのいる町で」収録『ネコババのいる町で』(文藝春秋刊)
15万

 ここ2~3か月、意識して「直木賞の売れ行き」に関する文章を探すようにしているんですけど、よく目につくよなあ、っていう表現があります。「最近の直木賞のなかでは好調で~」うんぬん、というやつです。

 とくに、これが頻出しはじめるのが、前週ふれた宮尾登美子『一絃の琴』(第80回 昭和53年/1978年・下半期)より後になってから、1980年代以降のことです。80年代は、とにかく「文芸書が売れなくなった!」と叫びたがる病気が蔓延し、あっちこっちで、小説売れない、小説売れない、とイイ年した大人たちが、カネにまつわる話でやたら興奮していた時期ですので、直木賞についても、(ようやく)売れた・売れないの話題が、大っぴらに語られるようになります。

 それはいいんですけど、どうもクセモノなのが、「最近の」っていう部分なんすよね。

 直木賞(や芥川賞)に対する発言といって、「最近の受賞作は~」とか「昔のほうが~」とか、そういう語り口をよく目にします。目にするどころか、定番中の定番というか、もうそういう感想には飽きたよというか、じつに(とくに芥川賞などは)戦前から繰り広げられつづけている、何の学習能力も感じられない文学賞批評なんですけど、売れ行きに関しても、やっぱりこれは王道の表現のようです。

 何なんでしょう。人は、直木賞を目の前にすると、時間感覚がおかしくなるんでしょうか。1980年代以降の、たった30余年のあいだに、「最近の直木賞としては好調で~」みたいな表現が、何度も何度も登場する、おかしな現象を生んでいて、どうも4~5年ぐらい前のことは、もう「最近」ではなくなるらしいです。完全に感覚が狂っています。だいじょうぶでしょうか。

 このあいだ、第100回(昭和63年/1988年・下半期)前後のことを取り上げました。景山民夫『遠い海から来たCOO』(第99回 昭和63年/1988年・上半期)が受賞2か月半で22万部、だいたい受賞1年ぐらいたった平成1年/1989年7月12日現在で40万部、と報告されています(『日経トレンディ』平成1年/1989年9月号「文学のもうひとつの基準 賞と売れ行きとの微妙な関係」)。第100回受賞の藤堂志津子『熟れてゆく夏』も、だいたい受賞2か月足らずで、21万8千部、同じく『日経トレンディ』の記事では26万部、と伸ばしており、だれがどうみても、「売れた直木賞受賞作」の部類です。

 それからわずか1年。第102回(平成1年/1989年・下半期)は、星川清司「小伝抄」と原尞『私が殺した少女』の2作が、受賞と決まります。星川さんのほうは、受賞が決まって以降の3月に、受賞作が単行本として発売される、というタイミングはもとより、ご想像のとおり、まず「売れた直木賞」のニュースには顔を出さない、地味ーな売れ行きだったらしいんですけど、問題は原さんのほうです。

 よく売れました。

「『私が殺した少女』(早川書房)は26万部まで来たが、直木賞作としては久々に相当のヒットが見込めそうだ。」(『出版月報』平成2年/1990年2月号「出版傾向 書籍」より)

「(引用者注:『私が殺した少女』は)31万部、直木賞作品としても久々のヒットだ。」(『出版月報』平成2年/1990年3月号「出版傾向 書籍」より)

 この年の早い段階で、公称35万部まで行った、といわれています。

 しかし、ほんの1、2年前に、(おそらく)40万部近くの『遠い海から来たCOO』とか、(おそらく)20万部なかばの『熟れてゆく夏』とか、そういう受賞作があるのに、ここで「久々のヒット」という表現を選択する神経がもうアレです。何というか、直木賞を前にすると人は時間間隔がおかしくなるんだろう、と考えるしかないじゃないですか。

 ちなみに売れ行きについて、原尞さんは、こんなことを語っています。

「白石(引用者注:白石一郎) 今度、原さんの作品が三十五万部も売れたことは素晴らしいことです。

原 いやあ、あれは公称ですよ。(笑い)

(引用者中略)

今回は、芥川、直木賞受賞作のうち、単行本があったのはぼくだけで、運もよかった。受賞前の部数が正確な数字ではないかな。

高樹(引用者注:高樹のぶ子) いえ、作品そのものも面白く、ミステリー以外の読者を引きつける魅力がありましたよ。

原 ミステリーの売れ行きも限界があって、ベストセラーになるには別のジャンルでないとだめでしょう。最近はミステリーはダサイという世代もありますし……。」(『西日本新聞』平成2年/1990年4月13日「九州の文学を語る・芥川賞、直木賞作家座談会 9 地域性」より)

 テレというか、軽くいなす感じが、まったく原作品のファンを裏切りません。「受賞前の部数」はどのくらいだったかといえば、4万部とか、あるいは8万部とか、そういう文献が見受けられます。

 その後、「書かない受賞者」の道を突き進み、平成12年/2000年に受けたインタビューでは、

(引用者注:『私が殺した少女』は)四十万部以上売れ、文庫本にもなった。

「それまで、一、二年に一作、そこそこ面白いものを書けばやっていけるかな、という矢先にボーナスみたいなカネが転がり込んできた」

裕福になり、小説を書く気力と動機を失う。「本来ぼくは怠け者。(売れるから)受賞直後に書け、と勧められても、小説を書かなければならない理由がない」」(『佐賀新聞』平成12年/2000年9月25日「さが100年の物語20世紀の群像」より)

 などと答えたりして、ほんとに食えない人です。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月 4日 (日)

第71回直木賞「鬼の詩」、第80回直木賞『一絃の琴』の単行本部数

第71回(昭和49年/1974年・上半期)直木賞

受賞作●藤本義一「鬼の詩」収録『鬼の詩』(講談社刊)
初版5,000部→3万部超(受賞1か月で)→さらに増刷

第80回(昭和53年/1978年・下半期)直木賞

受賞作●宮尾登美子『一絃の琴』(講談社刊)
初版1万5,000部→32万

※ちなみに……

第76回(昭和51年/1976年・下半期)直木賞

候補作●宮尾登美子『陽暉楼』(筑摩書房刊)
初版8,000部→?

 先週『復讐するは我にあり』を取り上げたので、その流れで、『鬼の詩』と『一絃の琴』にも手を伸ばしてみます。

 『復讐するは~』が受賞したのが、第74回(昭和50年/1975年下半期)。ちょうどその前後に、同じ講談社から受賞本になったのが、第71回(昭和49年/1974年上半期)の藤本義一「鬼の詩」(収録の同題書)と、第80回(昭和53年/1978年・下半期)の宮尾登美子『一絃の琴』です。5年以内で重なっていて、だいたい同じころ、と見ていいでしょう。

 まずは藤本さんです。直木賞を受賞する前からすでに、雑誌の連載やら、注文原稿やらをどっさり抱える人気作家だった、と言われています。というか、ご自身で言っています。

 基本、エンターテイメント小説の世界で「人気作家」と言った場合、雑誌や新聞にどれだけ大量の原稿を書いているか、が一番のバロメーター。著書の売れ行きなどは、二の次でした。校條剛さんが『ザ・流行作家――笹沢左保 川上宗薫』(平成25年/2013年1月・講談社刊)で、雑誌には月産ン百枚で書いている人気作家、でも出す本はさほど売れたわけじゃない、みたいなことを書いているのは、まさにそういうことなんだと思います。

 「売れっ子」の部類に入るはずの黒岩重吾さんなども、本はあまり売れない作家、と言われていたそうです。

「角川文庫は黒岩氏の「文庫フェア」をやって成功したらしい。とにかく、黒岩氏の作品が売れだしたという。どちらかと言えば、雑誌の売れっ子作家でも、本の売れ行きはもう一つといった評価が黒岩氏にあった。(昭和57年/1982年9月・文化出版局刊 山本容朗・著『作家の人名簿』「黒岩重吾」より)

 と、黒岩さんのハナシをしている場合じゃありません。藤本さんもまた、月産ン百枚、次々から次へと原稿の締め切りに追われる人気の作家、しかもテレビに出ている有名人。だったのに、直木賞をとるまで、そんなに本は売れちゃいなかったらしいです。

 受賞して、講談社の『鬼の詩』が3万部を突破した、と証言しています。

「受賞後一カ月あまりが経過しようとしている。(引用者中略)そして、これはまったく奇妙なことだが、受賞作から目を逸らしたい気持になっている。今まで、三万部以上売れたことがなかったので、三万部売れたと聞くと、ただもうそれだけで空恐しく、書いたものが自分の手になったものであっても、それはもう他人の手に渡ったものとしか眺められない。だから五十万部、百万部突破という超ベストセラーを書いた人は、一体どんな精神の持主であったかと考えてみる。強靭というよりも異常ではなかったかとも思う。」(『文藝春秋』昭和49年/1974年10月号 藤本義一「直木賞のためのタキシード」より)

 3万部でもう動揺しているじゃないですか。何と、かわいい感覚でしょう! ……このときまでにすでに50万部以上の超ベストセラーを出したことのある芥川賞じゃなく、受賞作でも数万のレベル、という水準だった直木賞の世界ならでは、と言ってもいいと思います。

 このあとも、『鬼の詩』は増刷を重ねていきまして、少なくとも翌年までかけて、10刷以上には伸びました。初版が5,000部、1か月で3万部、しかし昭和49年/1974年の年間ベストセラーリストには入らず。といったところで、さすがに10万部の声は聞けなかった、と推測しますが、「売れっ子」藤本義一さん史上、経験したことのない売れ行きを見せたのは、(当時の)微力な直木賞にしては、よく効果を発揮したほうです。

 本が売れる、ってことでは、まだ昭和40年代は、直木賞は全然、芥川賞に歯がたたなくて、昭和49年/1974年でいうと、森敦さんの『月山』という、地味な文学を煮詰めました、みたいな作品に、売れ行きでまったく及びませんでした。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月28日 (日)

第74回直木賞『復讐するは我にあり』の単行本部数

第74回(昭和50年/1975年・下半期)直木賞

受賞作●佐木隆三『復讐するは我にあり』(講談社刊)上・下巻
43万7,000

※ちなみに……

第58回(昭和42年/1967年・下半期)芥川賞、第59回(昭和43年/1968年・上半期)直木賞

候補作●佐木隆三「奇蹟の市」「大将とわたし」収録『大将とわたし』(講談社刊)
初版3,000(重版はナシ)

第68回(昭和47年/1972年・下半期)芥川賞

受賞作●山本道子 「ベティさんの庭」収録『ベティさんの庭』(新潮社刊)
12万3,500

第70回(昭和48年/1973年・下半期)芥川賞

受賞作●森敦「月山」収録『月山』(河出書房新社刊)
31万

 直木賞(の受賞作)の売り上げエピソードには、芥川賞では絶対にあり得ない大きな問題が、ひとつ存在します。

 と、そこまで大げさなことでもないんですが、直木賞だけに発生し得る(困った)現象……。上巻と下巻2冊まとめてひとつの作品、みたいな例がたまに発生することです。多くは「上下巻合わせて××部」などと言及されたりします。

 いわゆる「複数巻」の、直木賞の歴史は、戦前に第2回(昭和10年/1935年・下半期)の鷲尾雨工『吉野朝太平記』の一例があったんですが、40年のブランクが空き、第74回(昭和50年/1975年・下半期)に佐木隆三『復讐するは我にあり』が出現。これもまた受賞しちゃったもんですから、おや、巻を分けると直木賞では有利なのか!?……などと、まことしやかに囁かれたそうで、その後を含めて見ても、これまで「複数巻」全18作が候補に挙がったうちで、受賞したのは5作品。たしかに、一冊本に比べたら確率は高いかもしれません。

 それで今日は、「複数巻」直木賞のなかで、よく売れた部類に入る佐木さんのおハナシです。

 佐木さんは受賞の前、一度、直木賞の候補になったことがありました。第59回(昭和43年/1968年・上半期)の「大将とわたし」です。掲載されたのは『群像』。ってことで芥川賞に回ってもよさそうな流れでしたが、この期、『群像』では新人賞を受賞して大評判だった大庭みな子さんの「三匹の蟹」があり、事前から芥川賞の大本命とも言われて、それに比べたら佐木作品はやっぱ直木賞向きだよねえ、ということで直木賞候補に挙げられた……とかいう、真偽不明な逸話も残っています。

 ともかく、当時の佐木さんは、中間小説誌から、書きませんかと誘いは来るけど、どうも自分はそっちの人間じゃないと思って断っていた、という「純文芸作家」時代。基本、出す本も売れやしなかったそうです。

「処女出版の『ジャンケンポン協定』(一九六五年・晶文社刊)の初版から二千五百部で、その後に出す本も三千部から四千部どまり、十数冊のうち増刷になったのは、一冊もなかった。」(『潮』昭和54年/1979年8月号 佐木隆三「原作者」より)

 その「増刷にならなかった」なかに、第58回芥川賞候補「奇蹟の市」も収録した、直木賞候補「大将とわたし」を表題とする短篇集があります。

(引用者注:昭和43年/1968年)七月末には講談社から『大将とわたし』が初版三千部の箱入りで刊行され、(引用者中略)

この本は初版止まりで、あまり書評に取り上げられなかった。いわゆる純文学で、三千部は上出来だと編集者にいわれ、「好きなことを好きなように書く」との思い込みを、改める気にはならない。」(『図書』平成11年/1999年3月号 佐木隆三「もう一つの青春(二十四)」より)

 同じく候補になった阿部牧郎さんや筒井康隆さんといっしょに、キャアキャア遊んで盛り上がったりして、しかしその後も「永久初版作家」な物書き人生を送って約8年。綿密な取材に時間をかけ、取材費や生活費に困ると、初版の印税分を講談社から前借りし、その金額100万円に達したといいます。しかし、じっさいその半分は、当時の文芸第一出版部長の杉山博さんと、佐木さん担当の出版部・渡辺勝夫さんがポケットマネーで捻出したものだった、とあとで聞かされたそうです。

 こうして完成までこぎつけた書き下ろしの『復讐するは我にあり』は、だいたい800枚程度の量となり、上下巻の2巻で出ます。定価は1冊790円、ということなので、印税を10%とすると100万円返すには、上下巻合わせて1万3000部弱は刊行しなければならない計算です。それまでの「3000~4000部作家」にとっては、かなり高いハードルだったはずですが、昭和50年/1975年11月刊行の段階では、なぜかすでに編集者界隈では話題となるくらい注目されていて、まさかの(……?)売れ行き好調。

 昭和51年/1976年1月に直木賞が決まると、売れ行きが加速しまして、文芸書のみならず出版全体のくくりでも「ベストセラー」の一冊(いや、二冊)として認知されることになりました。はっきり言って、当時の直木賞作品としては、かなり珍しいことでした。

 それで佐木さん、一挙に貧乏生活から脱出して、ほっと胸をなでおろした……というのはいいとして、じっさいの部数なんですが、講談社の社史『物語 講談社の100年』によると、

「佐木隆三の書き下ろし『復讐するは我にあり 上・下』は、実際の連続殺人事件を材にとった作品で、直木賞を受賞、二冊で四三万七〇〇〇部を発行した。」(平成22年/2010年1月・講談社刊『物語 講談社の100年 第四巻 拡大(昭和30年~40年代)』より)

 とのことです。

 その後に講談社文庫に(これも上下の二巻本として)入り、映画化でもう一度話題となったりして、おそらく文庫の上下巻だけでミリオン(100万部)は突破した模様です。これが「複数巻」部数のマジックといいますか、現実は、上下巻いっしょに買った人の比重がいちばん大きいはずなので、実質はその半分ちょっと……単行本で20万~25万程度、文庫本で55万~60万程度、と考えるのが適切でしょうけど、それにしたって、直木賞受賞作のなかでも、相当な実績です。とくに昭和50年までの直木賞を見たとき、トップクラスに値する売れ行きでした。

 「複数巻」直木賞にかぎって言えば、単行本の発行部数では、第152回(平成26年/2014年・下半期)の西加奈子『サラバ!』が登場するまで、おそらく第1位の座をキープしていた、と見て間違いないでしょう。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月21日 (日)

第11回直木賞「小指」の単行本部数

第11回(昭和15年/1940年・上半期)直木賞

受賞作●堤千代「小指」収録『小指』(新潮社刊)
5万4,000

 ほんとは、直木賞が始まって10年ぐらいの、要するに戦前の作品の部数を、もっと調べたいんです。だけど、予想どおり(……いや、予想するまでもなく)なかなかの難問で、いまいちよくわかりません。

 いま見ても、戦前の受賞作のなかに、これは売れただろうなあ、と思えるようなものは見当たりません。売れなきゃ記録に残らず、スルーされるのが、本の部数については定石のようですから、軽くあきらめつつも、前に進みたいと思います。

 戦前の受賞作について、「賞」モノ古書の世界で有名な龍生書林の大場啓志さんが、このように解説してくれています。10年ほど前の文章です。

「古書界で蒐集家の多いのは、どちらかと言うと芥川賞よりも直木賞のように見える。特に近年この傾向が顕著の様な気がするが、読んで面白いから、というのがもっぱら蒐集家の弁だが、それ以上に初版元帯付での集め難さから、手にした時より大きな喜びを得ることが出来るからであろう。

(引用者中略)

しかし、戦前の受賞本は、帯云々よりも初版本そのものが少なく、まして美本となると捜すにもかなりの努力を要する。」(『ユリイカ』平成16年/2004年8月号 大場啓志「「賞物」古書談義」より)

 おおむね、賞モノ蒐集では、初版かどうかとか、帯の有無とかが中心テーマになるらしく、直木賞をとりまく世界のなかでも、まあ、次元がちがいすぎます。ここを追いかけても、いま以上に人生が破綻するだけなので、足を踏み出すのに躊躇しますが、大場さんのこのエッセイを読むと、「当時売れたっぽい」作品がどれだったのか、何となく垣間見えます。

 全六巻で完結した鷲尾雨工さんの『吉野朝太平記』、受賞は第二巻が出た段階でしたけど、第四巻刊行のときには「普及版」が出て、また六巻完結のときには、改めて再版されました。全体として、そこそこは売れた部類に入るんでしょう。

 井伏鱒二さんは、昭和14年/1939年刊行の『多甚古村』がとにかくよく売れたらしいんですが、これと同じ版元の河出書房から出していた『ジョン万次郎漂流記』も、重版がかかっていたようです。しかし、特筆するほどに売れた、という話は見かけません。

 橘外男さんの『ナリン殿下への回想』は、昭和13年/1938年8月2日に受賞が決まり、当時の新聞広告によると、8月19日に単行本が発売。そして「發賣忽三刷! 只今四刷再版中!」(『朝日新聞』昭和13年/1938年8月25日 春秋社広告)……ということなんですが、大場さんの文には「翌一四年四刷まで刊行。」とあります。だいたい全部で1万~2万部程度、と考えるのが妥当なんじゃないでしょうか。

 ただ、版を重ねた、と資料にあっても、鵜呑みにしていいとは限らない、と教えてくれるのも、大場さんの文章です。たとえば、村上元三さんの『上総風土記』は、ずいぶんと版を重ねたそうですが、

「戦前の直木賞受賞の稀覯本に、第一二回、村上元三『上総風土記』(昭和一六年、新小説社)がある。平成一二年、市場に八版の帯付が出て驚いた。この本は雑誌『大衆文学』(引用者注:『大衆文芸』のこと?)に一三版出来の広告文が出ているものの、重版すら滅多に見る事のない、まして初版本は過去に一度扱う事が出来ただけの珍本である。」(同「「賞物」古書談義」より)

 部数は相当に少なかったと推測されます。

 なんだかんだと言いましても、重版数や世評、その他の資料を加味して、戦前の直木賞受賞作のなかで、当時いちばん売れたのは何か。を指すとすれば、これは、堤千代さんが新潮社から出した『小指』で、ほぼ間違いないと思います。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月14日 (日)

第91回直木賞『恋文』『てんのじ村』、第93回直木賞『演歌の虫』と第94回直木賞『魚河岸ものがたり』『最終便に間に合えば』の単行本部数

第91回(昭和59年/1984年・上半期)直木賞

受賞作●連城三紀彦『恋文』(新潮社刊)
24万(受賞約半年で)30万4,000(受賞約1年半で)
受賞作●難波利三『てんのじ村』(実業之日本社刊)
10万部前後(受賞約半年で)

第93回(昭和60年/1985年・上半期)直木賞

受賞作●山口洋子「演歌の虫」「老梅」収録『演歌の虫』(文藝春秋刊)
40万部超(受賞約半年で)

第94回(昭和60年/1985年・下半期)直木賞

受賞作●森田誠吾『魚河岸ものがたり』(新潮社刊)
初版7,000部→受賞後重版+5万部→12万(受賞約1年で)
受賞作●林真理子「最終便に間に合えば」「京都まで」収録『最終便に間に合えば』(文藝春秋刊)
24万部前後(受賞約1年で)

※ちなみに……

第92回(昭和59年/1984年・下半期)芥川賞

受賞作●木崎さと子「青桐」収録『青桐』(文藝春秋刊)
14万5,000

第94回(昭和60年/1985年・下半期)芥川賞

受賞作●米谷ふみ子「過越しの祭」収録『過越しの祭』(新潮社刊)
12万~13万

 直木賞の受賞作は、だいたい受賞後10万部、というのが売れ行きのひとつの目安になる、と言われているらしいです。たとえば、本屋大賞あたりだと、ノミネートの段階で、10万部近く(いや、それ以上に)売れている小説がずらずらと、だらだらと何作も並んだりしますけど、その意味でも、本屋大賞の売れ行きは、直木賞をかるがると抜いているわけですね。かるがるすぎて、比べるのも失礼なくらいです。

 それで直木賞ですが、「10万部」ラインというのは、べつにここ数年で言われはじめた水準じゃなく、ずいぶん前から固定化している。というのがナゾなところで、本屋大賞があろうがなかろうが、「出版不況」と言われようが言われまいが、10万部を大きく超えれば「売れた」ことになり、10万部を下回れば「伸び悩み」「大して売れなかった」ことになる、というだいたい同じ攻防を、30~40年、つづけています。

 さすが、まわりの状況の変化に動じない、といいますか。結局、社会を変えるほどのパワーがない賞、といいますか。……でも、受賞作を売ることを第一目的としてやっているわけじゃないので、それはそれでいいと思います。

 で、今週もまた、『出版月報』のハナシです。昭和60年/1985年ごろ、つまり約30年前の同誌に、当時、直木賞・芥川賞受賞作ってどれくらい売れると思われていたかが記録されています。

 この時代は、直木賞でいうと、「芸能旋風」が吹き荒れて、直木賞が芥川賞の売り上げを安定して上まわるようになってから、数年がたったころ。芥川賞でいうと、純文芸全体が売り上げで苦戦しはじめたのに加え、受賞作なしが断続して、いよいよ勢いが止まったかと心配・不安視されるようになったころです。

 昭和60年/1985年1月、直木賞は受賞作がなく、芥川賞では一作、木崎さと子さんの「青桐」というシブーいやつが選ばれました。その直後に書かれた記事です。

「最近の(引用者注:直木賞・芥川賞の)受賞作品が売れる相場は、直木賞で10万部、芥川賞で7万部くらいと言われているが、果たして今回はどこまで?」(『出版月報』昭和60年/1985年1月号「クリップclip 木崎さと子」より)

 だいたい直木賞10万部、芥川賞7万部。……ははあ、いまとほとんど変わりませんよね。

 ちなみに結果はどうだったかというと、直木賞受賞作がなかった、という面も大きかったと思いますけど、『青桐』は「相場」の約2倍、14万5,000部まで行きました。芥川賞のことは、大して興味もないので、どうだっていいんですが、まあ、そんなものか。としか言いようがない、じゅうぶんに立派な部数でしょう。

 この前後、直木賞を見てみますと、こちらも「相場」の2倍、20万部超えを果たす作品が続出しています。第91回の連城三紀彦『恋文』、第93回の山口洋子『演歌の虫』、第94回の林真理子『最終便に間に合えば』です。

 なかでも、最もわかりやすいのが、山口さんの例だと思います。大ヒット曲をもつ作詞家、あるいはプロ野球界になじみが深く、スポーツ紙にもたびたび登場していた人です。カンペキなまでに「芸能」分野の人扱いをされ、「なんだよ、あいかわらず直木賞は、芸能=テレビ・スポーツ紙・週刊誌界隈からの盛り上がりで本を売るのかよ」というパターンにハマり、よく売れました。いちおう、年内に公称40万部を超え、当時でも直木賞作品としては近年にないほどの売れ行きだった、と言われています。

 他の2作も、「直木賞」の力だけで売れたわけじゃなさそうです。『恋文』は、表題作が昭和59年/1984年9月にいちはやくテレビドラマ化され、7月の受賞から数か月、好調を維持できた、部数が伸びたのはそのおかげだ。と言われていますし、『最終便に間に合えば』は、これは言うまでもなく、林真理子さんの、みんなから弄ばれる例の愛すべきパーソナリティ。すでに受賞前から有名人だったのが、そのまま売り上げに反映されたかっこうです。

 いずれにせよ、直木賞が売れるには、テレビとか芸能人とか、それ系の助けが不可欠ですよね。という、凡庸なところに落ち着くんですが、それでも世間を驚かすほど一挙に売れたりしません。そこが、「どこかいつも、いま一歩感」に包まれた直木賞っぽくて、カワユいです。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月 7日 (日)

第99回直木賞『凍れる瞳』『遠い海から来たCOO』と第100回直木賞『熟れてゆく夏』『東京新大橋雨中図』の単行本部数

第99回(昭和63年/1988年・上半期)直木賞

受賞作●西木正明「凍れる瞳」「端島の女」収録『凍れる瞳』(文藝春秋刊)
受賞後重版+5万部程度→8万(受賞半年で)
受賞作●景山民夫『遠い海から来たCOO』(角川書店刊)
受賞後重版+5万部程度→24万(受賞半年で)40万(受賞1年で)→?

第100回(昭和63年/1988年・下半期)直木賞

受賞作●藤堂志津子「熟れてゆく夏」収録『熟れてゆく夏』(文藝春秋刊)
初版8,000部→受賞後重版+5万部→24万(受賞1年で)
受賞作●杉本章子『東京新大橋雨中図』(新人物往来社刊)
受賞後重版+4万部→10万5,000(受賞1年で)

※ちなみに……

第99回(昭和63年/1988年・上半期)芥川賞

受賞作●新井満「尋ね人の時間」収録『尋ね人の時間』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)10万部程度→15万

第100回(昭和63年/1988年・下半期)芥川賞

受賞作●南木佳士「ダイヤモンドダスト」収録『ダイヤモンドダスト』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)7万部→20万
受賞作●李良枝「由熙」収録『由熙』(講談社刊)
初版(受賞後)5万部→13万7,000

 直木賞と芥川賞は、出版業界のお祭り、なんだそうです。半年に1度の、通常の回でさえ、そうなんですから、キリのいい記念回となれば、よけいにお祭り感が高まるのが自然です。

 第100回は、1989年1月に決まりました。このころ、世間一般的には、お祭りムードなんてとんでもないよ、という感じでバタバタしていたというのに、1月5日、昭和64年に候補作が発表され、1月12日、平成元年に受賞が決まる。という、世間の動きとはちょっとズレたところで、粛々と事業をこなす、空気読めない両賞の性格が、遺憾なく発揮されてしまいます。さすがです。

 27年前ではありますけど、もうだいたいこのころには、いまと同じような風景、いまと同じような難クセがつけられていました。

「年2回、両賞の選考のとき、会場の東京・築地の料亭の報道用の控室は、新聞・テレビ・週刊誌の取材陣で、あふれかえる。タレントや他の分野の人気者が候補になっていると、テレビ・カメラの数がふえ、にぎやかさはいや増す。

(引用者中略)

しかし、それが文学の本質とは別の現象になっていることへの批判もでてきた。受賞者の人気がタレントなみになって、文芸界全体に芸能化といった印象がでてきたこと、受賞作の水準が低下してきたことだ。(『朝日新聞』平成1年/1989年1月11日「100回迎える芥川・直木賞 華やかさの裏、質懸念の声も」より ―署名:由里幸子記者)

 引用したこの記事には、「芥川・直木賞」とタイトルがついています。しかし、ほぼ、芥川賞の変遷・変質しか語っていない、たいへん胸の痛くなる内容に仕上がっていまして、この点は、いまとはちがうところかもしれません(そう信じたいです)。

 ともかく、第100回の記念回です。別名「長くやってきたことしか能がない文学賞」です。ひとつ前の第99回(昭和63年/1988年・上半期)では直木賞・芥川賞あわせて受賞者が3人、第100回では4人も受賞させての大盤ぶるまい。となりながら、本の売り上げという点では、残念ながら、話題の主役にはなれませんでした。

 昭和63年/1988年から平成1年/1989年にかけて、「売れる本」ニュースの主役の座には、村上春樹さんと吉本ばななさんの二人が君臨していたからです。

 そりゃ、50万、60万部は当たり前、次々に100万部に到達! とかいうハナシがわきにあったら、直木賞や芥川賞の売り上げなんて霞むに決まっているじゃないですか。

 部数の水準でいいますと、そのころ出た井狩春男さんの『ベストセラーの方程式』(平成2年/1990年9月・ブロンズ新社刊)の「芥川賞・直木賞を受賞すると、どのくらい売れるのか?」というページでは、こう紹介されています。

「数ある賞の中で、確実性が極めて高い、というか安定して売れるのが、芥川賞と直木賞である。

(引用者中略)

芥川賞か直木賞を受賞すると――

最低 20万部~30万部売れる!」(井狩春男『ベストセラーの方程式』より)

 いやいや。これは、出版界で生活する人が、出版界の活性化を期待するなかで、大げさに煽ってみせた文章でしかなく、事実に即してはいません。「最低20万部~30万部」とか、大ウソです。

 昭和末期から平成初期、直木賞・芥川賞は20万部いけば、まず成功といってよく、10万部でもまずまずの線。それを下回ることも、ざらにありました。当時の出版界の状況は、いまとずいぶんちがうのに、その点はなぜか、大して変わっていません。

 当時は、村上さんと吉本さんのおかげもあって、文芸書は好調に売れている、という観測があったらしく、『出版月報』(全国出版協会 出版科学研究所)でも、平成1年/1989年5月号で「文芸書好調は本物か」という特集が組まれています。ここに、直近20数年で20万部以上いった文芸書がリストアップされているんですが(直木賞・芥川賞でいえば、第75回芥川賞の村上龍『限りなく透明に近いブルー』以降)、その間、20万部以上といわれる直木賞受賞作が、どれだけあったでしょうか。

 『一絃の琴』『思い出トランプ』『人間万事塞翁が丙午』『蒲田行進曲』『恋文』『演歌の虫』『最終便に間に合えば』『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』『遠い海から来たCOO』、そして『熟れてゆく夏』。

 この間、受賞作は33作品ありました。そのうち10作。……というのは、高確率にはちがいないですけど、あとの23作は、20万部に達していななかったことになります。そういう状況を「最低20万部売れる」と表現したら、ふつうは、ウソつき呼ばわりされても、しかたないです。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月31日 (日)

第126回直木賞『あかね空』『肩ごしの恋人』と第127回直木賞『生きる』の単行本部数

第126回(平成13年/2001年・下半期)直木賞

受賞作●山本一力『あかね空』(文藝春秋刊)
受賞前9,000部→受賞後6万9,000部→21万
受賞作●唯川恵『肩ごしの恋人』(マガジンハウス刊)
受賞後12万1,000部→25万

第127回(平成14年/2002年・上半期)直木賞

受賞作●乙川優三郎『生きる』(文藝春秋刊)
受賞後10万6,000部→?

※ちなみに……

第126回(平成13年/2001年・下半期)芥川賞

受賞作●長嶋有「猛スピードで母は」収録『猛スピードで母は』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)4万1,000部→12万

第127回(平成14年/2002年・上半期)芥川賞

受賞作●吉田修一「パーク・ライフ」収録『パーク・ライフ』(文藝春秋刊)
12万部→?

 直木賞と本の売り上げ。というと、よく見かけるマクラ言葉があります。

 だいたい最近では「出版不況の続くなか、~」みたいなのが、定番だと思います。昭和の終盤から平成に入って10年ぐらい、80年代~2000年代ごろだと、「文芸書不振と言われるなか、~」という定型句が使われていました。これさえ冒頭において解説すれば、直木賞や芥川賞のことをうまく語っているように見えてしまうという、大変便利な言葉です。

 平成14年/2002年。この年は、横山秀夫さんの『半落ち』が落選して(第128回 平成14年/2002年・下半期)……というか、直木賞「受賞作なし」の結果になったことで、「なんだよ、受賞作家が生まれなきゃ売り場が盛り上がらないじゃないか!」などという、完全に「文学賞」の仕組みに飼い慣らされた、一部の小売業者たちの暴論が、勢いをもちはじめる平成15年/2003年。その前年にあたります。

 直木賞は、受賞してから後の活躍こそがメイン。だったはずなのに、受賞して数ヵ月単位の短期的な売り上げのことを、ああだこうだ言われるようになって、直木賞も大変ですよね、という21世紀。第126回(平成13年/2001年・下半期)は、選ばれた二つの受賞作が、ともに好調に売り上げを伸ばすという、稀にみる回だったおかげで、それが話題に取り上げられたりしました。受賞作なし、からの本屋大賞立ち上げ、にいたる布石と言っていいのかもしれません。

(引用者注:直木賞は)メディアの注目度は高く、大手書店でも「受賞後は数百冊単位で注文をかけ、手書きのポップをつけて目立つ棚に多面で平積みします」(紀伊国屋書店新宿本店)と特別扱いだ。特に直木賞はセールス的にも成功する可能性は高く、ここ2~3年の受賞作の実売部数は平均10万部ほどで、これは“売れない”文芸書の中では、非常に高い数字だ。」(『日経エンタテインメント!』平成14年/2002年5月号「ベストセラー研究 唯川恵VS山本一力 直木賞受賞作はなぜベストセラーになるのか?」より ―文:田中敏恵)

 ということで、この記事では、唯川恵『肩ごしの恋人』が22万部、山本一力『あかね空』が21万部を記録していることを伝えています。

 全国出版協会・出版科学研究所の『出版月報』を見ますと、『あかね空』は、なにしろ単行本デビューしてからまだ2冊目の、新人のおじさん時代小説ですから、初版は1万部未満で、受賞前の段階で9,000部。ところが受賞したあとは、親しみやすい下町暮らしのおじさん、という山本さんの一面が、テレビを中心に世に流されて、1月中に6万部を増刷。2月には14万9千部の増刷、と増えて、「8刷・21万部」という線で宣伝が展開されました。

 いっぽうの『肩ごしの恋人』の作者は、山本さんとは比べものにならないぐらいのベテラン、唯川さんということもあって、部数でも『あかね空』を先行します。受賞発表月の1月には、早くも10万部超えを記録。2月になっても、勢い衰えずに7万5,000部を増刷して19万6,000部。それから『日経エンタ』5月号の記事を経て、年末の「ことしのベストセラー回顧」的な記事で紹介された折りには、「25万部」だと発表されました。

 まあ、でも20万部突破ぐらいで、わーわー言っていていいんでしょうか。その後にやってくる本屋大賞まわりの、受賞作売り上げ急増ニュースに慣れてしまった人たちから見れば、おそらく鼻で笑われてしまう牧歌的な数字です。

 これで、よく「受賞作は売れる!」とか胸を張っていたな、という感じなんですが、文芸書全体が不振になればなるほど、ピンポイントで万の部数を稼げる直木賞あたりが、この種のニュースの標的になるのは仕方のないことです。黙って、やり過ごしましょう。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月24日 (日)

第145回直木賞『下町ロケット』以降、第155回直木賞『海の見える理髪店』までの受賞作単行本部数

第155回(平成28年/2016年・上半期)

直木賞●荻原浩『海の見える理髪店』(集英社刊)
初版1万部→受賞前1万1,500部→16万1,500部→?
芥川賞●村田沙耶香『コンビニ人間』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)6万部→35万部→?

第154回(平成27年/2015年・下半期)

直木賞●青山文平『つまをめとらば』(文藝春秋刊)
受賞後8万6,500部→?
芥川賞●滝口悠生『死んでいない者』(文藝春秋刊)
芥川賞●本谷有希子『異類婚姻譚』(講談社刊)
初版8,000部→受賞後重版+5万部→13万5,000部→?

第153回(平成27年/2015年・上半期)

直木賞●東山彰良『流』(講談社刊)
受賞後8万5,000部→24万部→?
芥川賞●羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)5万部→21万部→?
芥川賞●又吉直樹『火花』(文藝春秋刊)
初版15万部→受賞前64万部→約250万部→?

第152回(平成26年/2014年・下半期)

直木賞●西加奈子『サラバ!』(小学館刊)上・下巻
受賞後重版+各10万部→計35万部→計47万
芥川賞●小野正嗣『九年前の祈り』(講談社刊)
受賞後重版+5万部→6万6,000

第151回(平成26年/2014年・上半期)

直木賞●黒川博行『破門』(KADOKAWA刊)
受賞後10万
芥川賞●柴崎友香『春の庭』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)5万部→6万

第150回(平成25年/2013年・下半期)

直木賞●朝井まかて『恋歌』(講談社刊)
受賞後8万
直木賞●姫野カオルコ『昭和の犬』(幻冬舎刊)
初版6,000部→受賞前8,000部→受賞後10万8,000
芥川賞●小山田浩子『穴』(新潮社刊)
初版(受賞後)5万部→8万7,000

第149回(平成25年/2013年・上半期)

直木賞●桜木紫乃『ホテルローヤル』(集英社刊)
受賞前約1万3,500部→受賞後重版+10万部→50万3,500
芥川賞●藤野可織『爪と目』(新潮社刊)
初版(受賞後)5万部→12万5,000

第148回(平成24年/2012年・下半期)

直木賞●朝井リョウ『何者』(新潮社刊)
受賞後13万8,000部→?
直木賞●安部龍太郎『等伯』(日本経済新聞出版社刊)上・下巻
23万
芥川賞●黒田夏子『abさんご』(文藝春秋刊)
初版8,000部→14万

第147回(平成24年/2012年・上半期)

直木賞●辻村深月『鍵のない夢を見る』(文藝春秋刊)
10万~15万部?
芥川賞●鹿島田真希『冥土めぐり』(河出書房新社刊)
13万

第146回(平成23年/2011年・下半期)

直木賞●葉室麟『蜩ノ記』(祥伝社刊)
受賞後18万部→20万部以上
芥川賞●円城塔『道化師の蝶』(講談社刊)
初版(受賞後)3万5,000部→重版→?
芥川賞●田中慎弥『共喰い』(集英社刊)
初版(受賞後)3万5,000部→25万5,000

第145回(平成23年/2011年・上半期)

直木賞●池井戸潤『下町ロケット』(小学館刊)
初版1万8,000部→受賞後重版+15万部→35万部→?

(以上すべて受賞作)

 決まっちゃいましたね。今期の直木賞。

 あとは8月下旬に選評が出れば、12月下旬までの4か月間、昔の直木賞のあれこれを楽しみながら生活する、という静かな日常が戻ってきます。ブログもまた、これまでと変わらず、昔の直木賞のことばかり書いていきたいです。

 でも、直近の直木賞だって、全体に占める比率はごくわずかですけど、いちおう、直木賞は直木賞です。まだ関心が残っているうちに触れておかないと、今後、取り上げる気分になりそうもありません。なので今週は、直近の(だいたい10回分=5年分)ぐらいの、受賞作の部数を、まとめておきたいと思います。

 過去5年ぐらいであれば、さすがにネットから、いろいろと情報が拾えるので、うちのブログで書いておく必要はないかもしれません。とくに、受賞決定後、いち早くその増刷情報・増刷部数などを報じてくれる出版業界紙「新文化」、という大変頼もしい存在がありまして、今回の第155回(平成28年/2016年・上半期)についても、「集英社、直木賞『海の見える理髪店』を9万部重版」「芥川賞『コンビニ人間』、発売前に4万部重版」と、教えてくれています。

 とりあえず今回は、直木賞・芥川賞とも、なんだか、いまいち盛り上がらないな、静かな受賞風景だったよね。という印象の割りには、ともに刷り部数10万部の大台に乗せました。「直木賞って昔ほどは売れないんだぜ、売れなくなったんだぜ、ざまあだぜ」と、威勢のいいアンチ直木賞野郎どもが声を枯らして叫びつづけているというのに、アノ地味な『海の見える理髪店』が10万部も刷られちゃうんですよ。……相変らず、直木賞ってのは、狂った世界を保っています。

 受賞作の部数を明らかにしてくれる、って意味で、もうひとつ頼もしい媒体が『朝日新聞』です。昔から読書欄に「ベストセラー診断」「売れてる秘密」「ベストセラー快読」と題して、書評+その段階までの発行部数をセットで掲載してきた新聞なんですが、いまは「売れてる本」というコーナー名でやっています。

 直木賞の受賞作が、ここで取り上げられることも、たまにあります。書評のほうは、まあどうでもいいんですけど、部数を明確に示してくれていることに、高い存在価値がある素晴らしいコーナーです。前回、今年1月に決まった第154回(平成27年/2015年・下半期)では、平成28年/2016年1月31日付で青山文平『つまをめとらば』が取り上げられまして、「3刷8万6500部」と記録されています。

 その前の第153回(平成27年/2015年・上半期)。これはもう、芥川賞のほうが「何部売れたか、っていうことだけで賞史に一ページを刻む」、芥川賞が何度も繰り返してきた、おなじみ感満載の回でした。

 当然(といいましょうか)、直木賞も含めて他の2つの受賞作もまた、『火花』の部数の話題があったおかげで、どのくらいの部数になったか、自然と触れられるレールが敷かれた。と見るのは、うがちすぎかもしれませんが、

(引用者注:東山彰良『流』について)「選考会後の会見に登場した北方謙三委員がまず口にしたのは、「芥川賞は話題の人が受賞して大変な騒ぎのようだが」という一言だった。直木賞の委員が芥川賞に言及するのは珍しい。というのも、この回の芥川賞受賞者は、羽田圭介さんと又吉直樹さん。人気芸人の又吉さんの『火花』は受賞前から話題だっただけに、“又吉騒動”の裏で、『流』が埋没してしまうことを危惧したのだった。

その後に北方さんが続けた言葉が力強い。「直木賞も捨てたものじゃない。それどころか20年に1度の傑作」。後日、版元が新聞1ページを使って出した広告でも、東野圭吾さんや宮部みゆきさんら選考委員5氏が熱い推薦文を寄せ、同書は現在、9刷24万部。」(『読売新聞』平成27年/2015年12月8日「回顧2015 エンターテインメント ベストセラー 言葉が後押し」より ―署名:文化部 村田雅幸)

 こういう年間回顧の記事で、直木賞受賞作のことに触れられるのはいつもどおりです。でも、あえて部数にまで言及されているのは、珍しいことです。

 ちなみに、上記の『読売』では、この年の1月に決まった第152回(平成26年/2014年・下半期)西加奈子さんの『サラバ!』(上・下)について、もちろん紹介はされているんですけど、部数は書いてありません。

 『サラバ!』は何といっても、上・下巻の2巻本です。2冊合計の部数を、1巻で勝負している(?)他の受賞作と並べて比較するのがフェアなのかどうか、よくわからない。という問題を抱えていますが、とりあえず、版元の小学館の発表では、直木賞受賞(平成27年/2015年1月)でそれぞれの巻を各10万部ずつ増刷、同年3月、2巻計で30万部を超え、4月に本屋大賞2位となって35万部突破。オリコンの11月22日までの集計では、推定売上が上巻24万部弱、下巻17万部強、といったところまで行ったらしく、直木賞のなかでは、かなり優秀な売上だったと言っていいと思います。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«第155回直木賞(平成28年/2016年上半期)決定の夜に