2016年8月21日 (日)

第11回直木賞「小指」の単行本部数

第11回(昭和15年/1940年・上半期)直木賞

受賞作●堤千代「小指」収録『小指』(新潮社刊)
5万4,000

 ほんとは、直木賞が始まって10年ぐらいの、要するに戦前の作品の部数を、もっと調べたいんです。だけど、予想どおり(……いや、予想するまでもなく)なかなかの難問で、いまいちよくわかりません。

 いま見ても、戦前の受賞作のなかに、これは売れただろうなあ、と思えるようなものは見当たりません。売れなきゃ記録に残らず、スルーされるのが、本の部数については定石のようですから、軽くあきらめつつも、前に進みたいと思います。

 戦前の受賞作について、「賞」モノ古書の世界で有名な龍生書林の大場啓志さんが、このように解説してくれています。10年ほど前の文章です。

「古書界で蒐集家の多いのは、どちらかと言うと芥川賞よりも直木賞のように見える。特に近年この傾向が顕著の様な気がするが、読んで面白いから、というのがもっぱら蒐集家の弁だが、それ以上に初版元帯付での集め難さから、手にした時より大きな喜びを得ることが出来るからであろう。

(引用者中略)

しかし、戦前の受賞本は、帯云々よりも初版本そのものが少なく、まして美本となると捜すにもかなりの努力を要する。」(『ユリイカ』平成16年/2004年8月号 大場啓志「「賞物」古書談義」より)

 おおむね、賞モノ蒐集では、初版かどうかとか、帯の有無とかが中心テーマになるらしく、直木賞をとりまく世界のなかでも、まあ、次元がちがいすぎます。ここを追いかけても、いま以上に人生が破綻するだけなので、足を踏み出すのに躊躇しますが、大場さんのこのエッセイを読むと、「当時売れたっぽい」作品がどれだったのか、何となく垣間見えます。

 全六巻で完結した鷲尾雨工さんの『吉野朝太平記』、受賞は第二巻が出た段階でしたけど、第四巻刊行のときには「普及版」が出て、また六巻完結のときには、改めて再版されました。全体として、そこそこは売れた部類に入るんでしょう。

 井伏鱒二さんは、昭和14年/1939年刊行の『多甚古村』がとにかくよく売れたらしいんですが、これと同じ版元の河出書房から出していた『ジョン万次郎漂流記』も、重版がかかっていたようです。しかし、特筆するほどに売れた、という話は見かけません。

 橘外男さんの『ナリン殿下への回想』は、昭和13年/1938年8月2日に受賞が決まり、当時の新聞広告によると、8月19日に単行本が発売。そして「發賣忽三刷! 只今四刷再版中!」(『朝日新聞』昭和13年/1938年8月25日 春秋社広告)……ということなんですが、大場さんの文には「翌一四年四刷まで刊行。」とあります。だいたい全部で1万~2万部程度、と考えるのが妥当なんじゃないでしょうか。

 ただ、版を重ねた、と資料にあっても、鵜呑みにしていいとは限らない、と教えてくれるのも、大場さんの文章です。たとえば、村上元三さんの『上総風土記』は、ずいぶんと版を重ねたそうですが、

「戦前の直木賞受賞の稀覯本に、第一二回、村上元三『上総風土記』(昭和一六年、新小説社)がある。平成一二年、市場に八版の帯付が出て驚いた。この本は雑誌『大衆文学』(引用者注:『大衆文芸』のこと?)に一三版出来の広告文が出ているものの、重版すら滅多に見る事のない、まして初版本は過去に一度扱う事が出来ただけの珍本である。」(同「「賞物」古書談義」より)

 部数は相当に少なかったと推測されます。

 なんだかんだと言いましても、重版数や世評、その他の資料を加味して、戦前の直木賞受賞作のなかで、当時いちばん売れたのは何か。を指すとすれば、これは、堤千代さんが新潮社から出した『小指』で、ほぼ間違いないと思います。

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2016年8月14日 (日)

第91回直木賞『恋文』『てんのじ村』、第93回直木賞『演歌の虫』と第94回直木賞『魚河岸ものがたり』『最終便に間に合えば』の単行本部数

第91回(昭和59年/1984年・上半期)直木賞

受賞作●連城三紀彦『恋文』(新潮社刊)
24万(受賞約半年で)30万4,000(受賞約1年半で)
受賞作●難波利三『てんのじ村』(実業之日本社刊)
10万部前後(受賞約半年で)

第93回(昭和60年/1985年・上半期)直木賞

受賞作●山口洋子「演歌の虫」「老梅」収録『演歌の虫』(文藝春秋刊)
40万部超(受賞約半年で)

第94回(昭和60年/1985年・下半期)直木賞

受賞作●森田誠吾『魚河岸ものがたり』(新潮社刊)
初版7,000部→受賞後重版+5万部→12万(受賞約1年で)
受賞作●林真理子「最終便に間に合えば」「京都まで」収録『最終便に間に合えば』(文藝春秋刊)
24万部前後(受賞約1年で)

※ちなみに……

第92回(昭和59年/1984年・下半期)芥川賞

受賞作●木崎さと子「青桐」収録『青桐』(文藝春秋刊)
14万5,000

第94回(昭和60年/1985年・下半期)芥川賞

受賞作●米谷ふみ子「過越しの祭」収録『過越しの祭』(新潮社刊)
12万~13万

 直木賞の受賞作は、だいたい受賞後10万部、というのが売れ行きのひとつの目安になる、と言われているらしいです。たとえば、本屋大賞あたりだと、ノミネートの段階で、10万部近く(いや、それ以上に)売れている小説がずらずらと、だらだらと何作も並んだりしますけど、その意味でも、本屋大賞の売れ行きは、直木賞をかるがると抜いているわけですね。かるがるすぎて、比べるのも失礼なくらいです。

 それで直木賞ですが、「10万部」ラインというのは、べつにここ数年で言われはじめた水準じゃなく、ずいぶん前から固定化している。というのがナゾなところで、本屋大賞があろうがなかろうが、「出版不況」と言われようが言われまいが、10万部を大きく超えれば「売れた」ことになり、10万部を下回れば「伸び悩み」「大して売れなかった」ことになる、というだいたい同じ攻防を、30~40年、つづけています。

 さすが、まわりの状況の変化に動じない、といいますか。結局、社会を変えるほどのパワーがない賞、といいますか。……でも、受賞作を売ることを第一目的としてやっているわけじゃないので、それはそれでいいと思います。

 で、今週もまた、『出版月報』のハナシです。昭和60年/1985年ごろ、つまり約30年前の同誌に、当時、直木賞・芥川賞受賞作ってどれくらい売れると思われていたかが記録されています。

 この時代は、直木賞でいうと、「芸能旋風」が吹き荒れて、直木賞が芥川賞の売り上げを安定して上まわるようになってから、数年がたったころ。芥川賞でいうと、純文芸全体が売り上げで苦戦しはじめたのに加え、受賞作なしが断続して、いよいよ勢いが止まったかと心配・不安視されるようになったころです。

 昭和60年/1985年1月、直木賞は受賞作がなく、芥川賞では一作、木崎さと子さんの「青桐」というシブーいやつが選ばれました。その直後に書かれた記事です。

「最近の(引用者注:直木賞・芥川賞の)受賞作品が売れる相場は、直木賞で10万部、芥川賞で7万部くらいと言われているが、果たして今回はどこまで?」(『出版月報』昭和60年/1985年1月号「クリップclip 木崎さと子」より)

 だいたい直木賞10万部、芥川賞7万部。……ははあ、いまとほとんど変わりませんよね。

 ちなみに結果はどうだったかというと、直木賞受賞作がなかった、という面も大きかったと思いますけど、『青桐』は「相場」の約2倍、14万5,000部まで行きました。芥川賞のことは、大して興味もないので、どうだっていいんですが、まあ、そんなものか。としか言いようがない、じゅうぶんに立派な部数でしょう。

 この前後、直木賞を見てみますと、こちらも「相場」の2倍、20万部超えを果たす作品が続出しています。第91回の連城三紀彦『恋文』、第93回の山口洋子『演歌の虫』、第94回の林真理子『最終便に間に合えば』です。

 なかでも、最もわかりやすいのが、山口さんの例だと思います。大ヒット曲をもつ作詞家、あるいはプロ野球界になじみが深く、スポーツ紙にもたびたび登場していた人です。カンペキなまでに「芸能」分野の人扱いをされ、「なんだよ、あいかわらず直木賞は、芸能=テレビ・スポーツ紙・週刊誌界隈からの盛り上がりで本を売るのかよ」というパターンにハマり、よく売れました。いちおう、年内に公称40万部を超え、当時でも直木賞作品としては近年にないほどの売れ行きだった、と言われています。

 他の2作も、「直木賞」の力だけで売れたわけじゃなさそうです。『恋文』は、表題作が昭和59年/1984年9月にいちはやくテレビドラマ化され、7月の受賞から数か月、好調を維持できた、部数が伸びたのはそのおかげだ。と言われていますし、『最終便に間に合えば』は、これは言うまでもなく、林真理子さんの、みんなから弄ばれる例の愛すべきパーソナリティ。すでに受賞前から有名人だったのが、そのまま売り上げに反映されたかっこうです。

 いずれにせよ、直木賞が売れるには、テレビとか芸能人とか、それ系の助けが不可欠ですよね。という、凡庸なところに落ち着くんですが、それでも世間を驚かすほど一挙に売れたりしません。そこが、「どこかいつも、いま一歩感」に包まれた直木賞っぽくて、カワユいです。

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2016年8月 7日 (日)

第99回直木賞『凍れる瞳』『遠い海から来たCOO』と第100回直木賞『熟れてゆく夏』『東京新大橋雨中図』の単行本部数

第99回(昭和63年/1988年・上半期)直木賞

受賞作●西木正明「凍れる瞳」「端島の女」収録『凍れる瞳』(文藝春秋刊)
受賞後重版+5万部程度→13万(受賞1か月半で)
受賞作●景山民夫『遠い海から来たCOO』(角川書店刊)
受賞後重版+5万部程度→22万(受賞2か月半で)→?

第100回(昭和63年/1988年・下半期)直木賞

受賞作●藤堂志津子「熟れてゆく夏」収録『熟れてゆく夏』(文藝春秋刊)
受賞後重版+5万部→21万8,000(受賞1か月半で)→?
受賞作●杉本章子『東京新大橋雨中図』(新人物往来社刊)
受賞後重版+4万部→10万5,000(受賞1か月半で)→?

※ちなみに……

第99回(昭和63年/1988年・上半期)芥川賞

受賞作●新井満「尋ね人の時間」収録『尋ね人の時間』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)10万部程度→15万

第100回(昭和63年/1988年・下半期)芥川賞

受賞作●南木佳士「ダイヤモンドダスト」収録『ダイヤモンドダスト』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)7万部→20万
受賞作●李良枝「由熙」収録『由熙』(講談社刊)
初版(受賞後)5万部→13万7,000

 直木賞と芥川賞は、出版業界のお祭り、なんだそうです。半年に1度の、通常の回でさえ、そうなんですから、キリのいい記念回となれば、よけいにお祭り感が高まるのが自然です。

 第100回は、1989年1月に決まりました。このころ、世間一般的には、お祭りムードなんてとんでもないよ、という感じでバタバタしていたというのに、1月5日、昭和64年に候補作が発表され、1月12日、平成元年に受賞が決まる。という、世間の動きとはちょっとズレたところで、粛々と事業をこなす、空気読めない両賞の性格が、遺憾なく発揮されてしまいます。さすがです。

 27年前ではありますけど、もうだいたいこのころには、いまと同じような風景、いまと同じような難クセがつけられていました。

「年2回、両賞の選考のとき、会場の東京・築地の料亭の報道用の控室は、新聞・テレビ・週刊誌の取材陣で、あふれかえる。タレントや他の分野の人気者が候補になっていると、テレビ・カメラの数がふえ、にぎやかさはいや増す。

(引用者中略)

しかし、それが文学の本質とは別の現象になっていることへの批判もでてきた。受賞者の人気がタレントなみになって、文芸界全体に芸能化といった印象がでてきたこと、受賞作の水準が低下してきたことだ。(『朝日新聞』平成1年/1989年1月11日「100回迎える芥川・直木賞 華やかさの裏、質懸念の声も」より ―署名:由里幸子記者)

 引用したこの記事には、「芥川・直木賞」とタイトルがついています。しかし、ほぼ、芥川賞の変遷・変質しか語っていない、たいへん胸の痛くなる内容に仕上がっていまして、この点は、いまとはちがうところかもしれません(そう信じたいです)。

 ともかく、第100回の記念回です。別名「長くやってきたことしか能がない文学賞」です。ひとつ前の第99回(昭和63年/1988年・上半期)では直木賞・芥川賞あわせて受賞者が3人、第100回では4人も受賞させての大盤ぶるまい。となりながら、本の売り上げという点では、残念ながら、話題の主役にはなれませんでした。

 昭和63年/1988年から平成1年/1989年にかけて、「売れる本」ニュースの主役の座には、村上春樹さんと吉本ばななさんの二人が君臨していたからです。

 そりゃ、50万、60万部は当たり前、次々に100万部に到達! とかいうハナシがわきにあったら、直木賞や芥川賞の売り上げなんて霞むに決まっているじゃないですか。

 部数の水準でいいますと、そのころ出た井狩春男さんの『ベストセラーの方程式』(平成2年/1990年9月・ブロンズ新社刊)の「芥川賞・直木賞を受賞すると、どのくらい売れるのか?」というページでは、こう紹介されています。

「数ある賞の中で、確実性が極めて高い、というか安定して売れるのが、芥川賞と直木賞である。

(引用者中略)

芥川賞か直木賞を受賞すると――

最低 20万部~30万部売れる!」(井狩春男『ベストセラーの方程式』より)

 いやいや。これは、出版界で生活する人が、出版界の活性化を期待するなかで、大げさに煽ってみせた文章でしかなく、事実に即してはいません。「最低20万部~30万部」とか、大ウソです。

 昭和末期から平成初期、直木賞・芥川賞は20万部いけば、まず成功といってよく、10万部でもまずまずの線。それを下回ることも、ざらにありました。当時の出版界の状況は、いまとずいぶんちがうのに、その点はなぜか、大して変わっていません。

 当時は、村上さんと吉本さんのおかげもあって、文芸書は好調に売れている、という観測があったらしく、『出版月報』(全国出版協会 出版科学研究所)でも、平成1年/1989年5月号で「文芸書好調は本物か」という特集が組まれています。ここに、直近20数年で20万部以上いった文芸書がリストアップされているんですが(直木賞・芥川賞でいえば、第75回芥川賞の村上龍『限りなく透明に近いブルー』以降)、その間、20万部以上といわれる直木賞受賞作が、どれだけあったでしょうか。

 『一絃の琴』『思い出トランプ』『人間万事塞翁が丙午』『蒲田行進曲』『恋文』『演歌の虫』『最終便に間に合えば』『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』『遠い海から来たCOO』、そして『熟れてゆく夏』。

 この間、受賞作は33作品ありました。そのうち10作。……というのは、高確率にはちがいないですけど、あとの23作は、20万部に達していななかったことになります。そういう状況を「最低20万部売れる」と表現したら、ふつうは、ウソつき呼ばわりされても、しかたないです。

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2016年7月31日 (日)

第126回直木賞『あかね空』『肩ごしの恋人』と第127回直木賞『生きる』の単行本部数

第126回(平成13年/2001年・下半期)直木賞

受賞作●山本一力『あかね空』(文藝春秋刊)
受賞前9,000部→受賞後6万9,000部→21万
受賞作●唯川恵『肩ごしの恋人』(マガジンハウス刊)
受賞後12万1,000部→25万

第127回(平成14年/2002年・上半期)直木賞

受賞作●乙川優三郎『生きる』(文藝春秋刊)
受賞後10万6,000部→?

※ちなみに……

第126回(平成13年/2001年・下半期)芥川賞

受賞作●長嶋有「猛スピードで母は」収録『猛スピードで母は』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)4万1,000部→12万

第127回(平成14年/2002年・上半期)芥川賞

受賞作●吉田修一「パーク・ライフ」収録『パーク・ライフ』(文藝春秋刊)
12万部→?

 直木賞と本の売り上げ。というと、よく見かけるマクラ言葉があります。

 だいたい最近では「出版不況の続くなか、~」みたいなのが、定番だと思います。昭和の終盤から平成に入って10年ぐらい、80年代~2000年代ごろだと、「文芸書不振と言われるなか、~」という定型句が使われていました。これさえ冒頭において解説すれば、直木賞や芥川賞のことをうまく語っているように見えてしまうという、大変便利な言葉です。

 平成14年/2002年。この年は、横山秀夫さんの『半落ち』が落選して(第128回 平成14年/2002年・下半期)……というか、直木賞「受賞作なし」の結果になったことで、「なんだよ、受賞作家が生まれなきゃ売り場が盛り上がらないじゃないか!」などという、完全に「文学賞」の仕組みに飼い慣らされた、一部の小売業者たちの暴論が、勢いをもちはじめる平成15年/2003年。その前年にあたります。

 直木賞は、受賞してから後の活躍こそがメイン。だったはずなのに、受賞して数ヵ月単位の短期的な売り上げのことを、ああだこうだ言われるようになって、直木賞も大変ですよね、という21世紀。第126回(平成13年/2001年・下半期)は、選ばれた二つの受賞作が、ともに好調に売り上げを伸ばすという、稀にみる回だったおかげで、それが話題に取り上げられたりしました。受賞作なし、からの本屋大賞立ち上げ、にいたる布石と言っていいのかもしれません。

(引用者注:直木賞は)メディアの注目度は高く、大手書店でも「受賞後は数百冊単位で注文をかけ、手書きのポップをつけて目立つ棚に多面で平積みします」(紀伊国屋書店新宿本店)と特別扱いだ。特に直木賞はセールス的にも成功する可能性は高く、ここ2~3年の受賞作の実売部数は平均10万部ほどで、これは“売れない”文芸書の中では、非常に高い数字だ。」(『日経エンタテインメント!』平成14年/2002年5月号「ベストセラー研究 唯川恵VS山本一力 直木賞受賞作はなぜベストセラーになるのか?」より ―文:田中敏恵)

 ということで、この記事では、唯川恵『肩ごしの恋人』が22万部、山本一力『あかね空』が21万部を記録していることを伝えています。

 全国出版協会・出版科学研究所の『出版月報』を見ますと、『あかね空』は、なにしろ単行本デビューしてからまだ2冊目の、新人のおじさん時代小説ですから、初版は1万部未満で、受賞前の段階で9,000部。ところが受賞したあとは、親しみやすい下町暮らしのおじさん、という山本さんの一面が、テレビを中心に世に流されて、1月中に6万部を増刷。2月には14万9千部の増刷、と増えて、「8刷・21万部」という線で宣伝が展開されました。

 いっぽうの『肩ごしの恋人』の作者は、山本さんとは比べものにならないぐらいのベテラン、唯川さんということもあって、部数でも『あかね空』を先行します。受賞発表月の1月には、早くも10万部超えを記録。2月になっても、勢い衰えずに7万5,000部を増刷して19万6,000部。それから『日経エンタ』5月号の記事を経て、年末の「ことしのベストセラー回顧」的な記事で紹介された折りには、「25万部」だと発表されました。

 まあ、でも20万部突破ぐらいで、わーわー言っていていいんでしょうか。その後にやってくる本屋大賞まわりの、受賞作売り上げ急増ニュースに慣れてしまった人たちから見れば、おそらく鼻で笑われてしまう牧歌的な数字です。

 これで、よく「受賞作は売れる!」とか胸を張っていたな、という感じなんですが、文芸書全体が不振になればなるほど、ピンポイントで万の部数を稼げる直木賞あたりが、この種のニュースの標的になるのは仕方のないことです。黙って、やり過ごしましょう。

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2016年7月24日 (日)

第145回直木賞『下町ロケット』以降、第155回直木賞『海の見える理髪店』までの受賞作単行本部数

第155回(平成28年/2016年・上半期)

直木賞●荻原浩『海の見える理髪店』(集英社刊)
初版1万部→受賞前1万1,500部→13万部→?
芥川賞●村田沙耶香『コンビニ人間』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)6万部→35万部→?

第154回(平成27年/2015年・下半期)

直木賞●青山文平『つまをめとらば』(文藝春秋刊)
受賞後8万6,500部→?
芥川賞●滝口悠生『死んでいない者』(文藝春秋刊)
芥川賞●本谷有希子『異類婚姻譚』(講談社刊)
初版8,000部→受賞後重版+5万部→13万5,000部→?

第153回(平成27年/2015年・上半期)

直木賞●東山彰良『流』(講談社刊)
受賞後8万5,000部→24万部→?
芥川賞●羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)5万部→21万部→?
芥川賞●又吉直樹『火花』(文藝春秋刊)
初版15万部→受賞前64万部→約250万部→?

第152回(平成26年/2014年・下半期)

直木賞●西加奈子『サラバ!』(小学館刊)上・下巻
受賞後重版+各10万部→計35万部→計47万
芥川賞●小野正嗣『九年前の祈り』(講談社刊)
受賞後重版+5万部→6万6,000

第151回(平成26年/2014年・上半期)

直木賞●黒川博行『破門』(KADOKAWA刊)
受賞後10万
芥川賞●柴崎友香『春の庭』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)5万部→6万

第150回(平成25年/2013年・下半期)

直木賞●朝井まかて『恋歌』(講談社刊)
受賞後8万
直木賞●姫野カオルコ『昭和の犬』(幻冬舎刊)
初版6,000部→受賞前8,000部→受賞後10万8,000
芥川賞●小山田浩子『穴』(新潮社刊)
初版(受賞後)5万部→8万7,000

第149回(平成25年/2013年・上半期)

直木賞●桜木紫乃『ホテルローヤル』(集英社刊)
受賞前約1万3,500部→受賞後重版+10万部→50万3,500
芥川賞●藤野可織『爪と目』(新潮社刊)
初版(受賞後)5万部→12万5,000

第148回(平成24年/2012年・下半期)

直木賞●朝井リョウ『何者』(新潮社刊)
受賞後13万8,000部→?
直木賞●安部龍太郎『等伯』(日本経済新聞出版社刊)上・下巻
23万
芥川賞●黒田夏子『abさんご』(文藝春秋刊)
初版8,000部→14万

第147回(平成24年/2012年・上半期)

直木賞●辻村深月『鍵のない夢を見る』(文藝春秋刊)
10万~15万部?
芥川賞●鹿島田真希『冥土めぐり』(河出書房新社刊)
13万

第146回(平成23年/2011年・下半期)

直木賞●葉室麟『蜩ノ記』(祥伝社刊)
受賞後18万部→20万部以上
芥川賞●円城塔『道化師の蝶』(講談社刊)
初版(受賞後)3万5,000部→重版→?
芥川賞●田中慎弥『共喰い』(集英社刊)
初版(受賞後)3万5,000部→25万5,000

第145回(平成23年/2011年・上半期)

直木賞●池井戸潤『下町ロケット』(小学館刊)
初版1万8,000部→受賞後重版+15万部→35万部→?

(以上すべて受賞作)

 決まっちゃいましたね。今期の直木賞。

 あとは8月下旬に選評が出れば、12月下旬までの4か月間、昔の直木賞のあれこれを楽しみながら生活する、という静かな日常が戻ってきます。ブログもまた、これまでと変わらず、昔の直木賞のことばかり書いていきたいです。

 でも、直近の直木賞だって、全体に占める比率はごくわずかですけど、いちおう、直木賞は直木賞です。まだ関心が残っているうちに触れておかないと、今後、取り上げる気分になりそうもありません。なので今週は、直近の(だいたい10回分=5年分)ぐらいの、受賞作の部数を、まとめておきたいと思います。

 過去5年ぐらいであれば、さすがにネットから、いろいろと情報が拾えるので、うちのブログで書いておく必要はないかもしれません。とくに、受賞決定後、いち早くその増刷情報・増刷部数などを報じてくれる出版業界紙「新文化」、という大変頼もしい存在がありまして、今回の第155回(平成28年/2016年・上半期)についても、「集英社、直木賞『海の見える理髪店』を9万部重版」「芥川賞『コンビニ人間』、発売前に4万部重版」と、教えてくれています。

 とりあえず今回は、直木賞・芥川賞とも、なんだか、いまいち盛り上がらないな、静かな受賞風景だったよね。という印象の割りには、ともに刷り部数10万部の大台に乗せました。「直木賞って昔ほどは売れないんだぜ、売れなくなったんだぜ、ざまあだぜ」と、威勢のいいアンチ直木賞野郎どもが声を枯らして叫びつづけているというのに、アノ地味な『海の見える理髪店』が10万部も刷られちゃうんですよ。……相変らず、直木賞ってのは、狂った世界を保っています。

 受賞作の部数を明らかにしてくれる、って意味で、もうひとつ頼もしい媒体が『朝日新聞』です。昔から読書欄に「ベストセラー診断」「売れてる秘密」「ベストセラー快読」と題して、書評+その段階までの発行部数をセットで掲載してきた新聞なんですが、いまは「売れてる本」というコーナー名でやっています。

 直木賞の受賞作が、ここで取り上げられることも、たまにあります。書評のほうは、まあどうでもいいんですけど、部数を明確に示してくれていることに、高い存在価値がある素晴らしいコーナーです。前回、今年1月に決まった第154回(平成27年/2015年・下半期)では、平成28年/2016年1月31日付で青山文平『つまをめとらば』が取り上げられまして、「3刷8万6500部」と記録されています。

 その前の第153回(平成27年/2015年・上半期)。これはもう、芥川賞のほうが「何部売れたか、っていうことだけで賞史に一ページを刻む」、芥川賞が何度も繰り返してきた、おなじみ感満載の回でした。

 当然(といいましょうか)、直木賞も含めて他の2つの受賞作もまた、『火花』の部数の話題があったおかげで、どのくらいの部数になったか、自然と触れられるレールが敷かれた。と見るのは、うがちすぎかもしれませんが、

(引用者注:東山彰良『流』について)「選考会後の会見に登場した北方謙三委員がまず口にしたのは、「芥川賞は話題の人が受賞して大変な騒ぎのようだが」という一言だった。直木賞の委員が芥川賞に言及するのは珍しい。というのも、この回の芥川賞受賞者は、羽田圭介さんと又吉直樹さん。人気芸人の又吉さんの『火花』は受賞前から話題だっただけに、“又吉騒動”の裏で、『流』が埋没してしまうことを危惧したのだった。

その後に北方さんが続けた言葉が力強い。「直木賞も捨てたものじゃない。それどころか20年に1度の傑作」。後日、版元が新聞1ページを使って出した広告でも、東野圭吾さんや宮部みゆきさんら選考委員5氏が熱い推薦文を寄せ、同書は現在、9刷24万部。」(『読売新聞』平成27年/2015年12月8日「回顧2015 エンターテインメント ベストセラー 言葉が後押し」より ―署名:文化部 村田雅幸)

 こういう年間回顧の記事で、直木賞受賞作のことに触れられるのはいつもどおりです。でも、あえて部数にまで言及されているのは、珍しいことです。

 ちなみに、上記の『読売』では、この年の1月に決まった第152回(平成26年/2014年・下半期)西加奈子さんの『サラバ!』(上・下)について、もちろん紹介はされているんですけど、部数は書いてありません。

 『サラバ!』は何といっても、上・下巻の2巻本です。2冊合計の部数を、1巻で勝負している(?)他の受賞作と並べて比較するのがフェアなのかどうか、よくわからない。という問題を抱えていますが、とりあえず、版元の小学館の発表では、直木賞受賞(平成27年/2015年1月)でそれぞれの巻を各10万部ずつ増刷、同年3月、2巻計で30万部を超え、4月に本屋大賞2位となって35万部突破。オリコンの11月22日までの集計では、推定売上が上巻24万部弱、下巻17万部強、といったところまで行ったらしく、直木賞のなかでは、かなり優秀な売上だったと言っていいと思います。

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2016年7月20日 (水)

第155回直木賞(平成28年/2016年上半期)決定の夜に

 「どうですか直木賞。思い返して、直木賞が(芥川賞とは別に)盛り上がったことなど、いったいいつまでさかのぼらなきゃいけないんだ。って感じの、順当で、誰もが予想しそうな、当然感あふれる、サラーッとした受賞風景。」

(以上、平成28年/2016年1月20日付 前回第154回決定の夜に書いた、当ブログからの再掲)

 そうなんですよね。紙予想の津田淳子さんは別格としまして、書評家の大矢博子さんも本命予想で当てられたそうですし、先日おこなわれたうちのサイトのイベントでも、参加者に予想をうかがったとき、いちばん得票数の多かったのが『海の見える理髪店』でした(まあ、ワタクシ自身の予想は聞かないでください)。候補回数が多ければ有利、の都市伝説復活、ってところですか。

 しかしです。個人的にはどれにしたって甲乙つけがたく、とった作品だろうが、とらなかった作品だろうが、あんまり印象に差はありません。「すばらしき精鋭の士そろいぶみ」の回に名を連ねてくれた、候補者にはぜひお礼を申し上げたいです。(……毎回、変わり映えもせずに、感謝を述べているだけで芸がないんですけど、これがワタクシの正直な気持ちなので、しかたありません)

 『家康、江戸を建てる』の、まったく本の分厚さを感じさせない爽やかな読み心地。戦国・江戸時代と、現代の感覚を自由自在に行き来する軽やかさ。門井慶喜さんには、これからも、暗くて地味ーな時代・歴史小説、のイメージをどんどんぶっ壊していただきまして、門井さんだけにしか到達できない境地へと、邁進していってほしいです。そうすりゃ、きっと直木賞のほうから、ごめんなさい、と折れるときがくるでしょう。

 米澤穂信さん、いよいよ、「常連候補」のゾーンに入った感がありますよね。次の候補作が、いったいどういうミステリーになるのか、いまからワクワクしています。直木賞なんて、きっと煩わしい行事なんだと思いますが、ぜひまたお付き合いください。

 ひたひたと不気味に懐に刀を忍ばせている感じの、今回の候補作ラインナップのなかにあって、『暗幕のゲルニカ』の、メッセージ性の熱さに、圧倒されちゃいました。いよいよ原田マハさんの美術系統の小説が候補のなかに入っていないと、満足できないからだになってしまいそうです。また、「熱いけど、それでも下品にならない」原田節の小説、よろしくお願いいたします。

 確実に直木賞を超えて売れちゃう作家の代表格なのに、湊かなえさんのような方に、直木賞みたいなシケた行事にお出ましいただけて、うれしいです。ありがとうございました。湊さんの小説が直木賞と相性が合わないのか、選考委員の人たちのやることなんで、よくわかりませんけど、たぶん悪気はありません。今後、直木賞が歩み寄る機会があったら、快く、迎え入れてやってください。

 それで、ここで泣いていいですか。吠えていいですか。何で、どうして伊東潤さんに、あげないんだよおー。だからこれまで、何度かチャンスがあったときに、すんなり賞を送っていれば、こんなことにはならなかった、と言っているのに。バンバンバン。……と机を叩きながら過去を嘆いても仕方ないです。いつだってチャレンジャーで、決してひるまない伊東潤、グレードアップした6度目の候補がやってくる日を、祈りながら眠りにつきたいと思います。

          ○

 荻原浩さんの、アノ作風どおりの人柄がにじみ出ている、って感じの受賞記者会見。(先鋭的でも、強烈でもないけど)いつも穏やかに流れていく直木賞にぴったり、というしかないじゃないですか。そうか、「しっくり」という言葉は、この日の荻原さんと直木賞のためにあったのか。ベテランの書いた、なにげない(なにげなさすぎる)作品集を見て、これは直木賞向きではない、と文句を垂れる人の気が知れません(って、そんな人はいないか)。

 長篇、長篇、長篇、長篇、と候補に挙げてから、5年半もあいてポロッと飛び出た短篇集に、なにごともなかったような顔してコソッと授賞。とか、直木賞、カワイすぎますよ! この愛嬌こそが直木賞の本領。話題にとぼしい、サラーッとした受賞だったとしても、いえいえ、これで満足っす。

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2016年7月17日 (日)

第155回(平成28年/2016年上半期)の話はやめて、昔の直木賞の話だけにします。

 7月19日まであと2日になりました。今週は、第155回(平成28年/2016年上半期)の予想や展望、でも書こうかなと思ったんですけど、好きで小説を読んでいるだけのド素人が、語れるようなことは、とくにないです。

 まあ、ふつうに考えたら今回は、これぞ!という強力な作品の見当たらない、凪の戦い。と言いますか、おおむね(一般的な)盛り上がりに欠ける、要するに直木賞にとってはいつもどおりの、低温度な回だと思います。これで選考前から騒げるのは、よほどの変わり者にちがいありません。……って、変わり者で悪かったな。ほっといてください。

 こんなときには、無理に盛り上がろうとする必要、ないと思います。夕涼みがてら縁側にすわって、昔ばなしでもしながら、静かにお茶でも飲む。という楽しみ方ができるのが直木賞のよさで、さすが、だてに「ジジババたちの文学賞」と言われているわけじゃありません。自分がこれまで実際に見聞きしてきた回が増えれば増えるほど、賞の面白みが増していく。ということを年々実感しているワタクシは、もう完全なジジイです。

 どうせ何もしなくたって、新しい回は、じきに結果が出ます。ここは淡々と、昔を思い返しながら、当時の直木賞に思いを馳せる。直木賞って、それだけで十分に楽しいんですよね。予想とか展望とか、そういうの、正直、疲れるでしょ? 今日はジジイの茶飲みバナシです。

第134回(平成17年/2005年・下半期)平成18年/2006年1月発表

すでに人気者だった東野圭吾VS.伊坂幸太郎、直木賞の場で3度目の対決。しかも、どちらも文春の本ということで(何かよくわかんないけど)有利そうだぞ。と思われていたところ、渡辺淳一さんの反対票むなしく、東野さんがようやく受賞した回です。

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※会見で経緯説明をした選考委員:阿刀田高

受賞した候補:東野圭吾『容疑者Xの献身』

決選投票に残った候補:伊坂幸太郎『死神の精度』

比較的評価の高かった候補:恒川光太郎『夜市』

最初の投票で落ちた候補:恩田陸『蒲公英草紙』、姫野カオルコ『ハルカ・エイティ』、荻原浩『あの日にドライブ』

第136回(平成18年/2006年・下半期)平成19年/2007年1月発表

果たして、平成18年/2006年のベストセラー『一瞬の風になれ』が、熱い世間の声を反映して直木賞もとるだろうか。などと注目されましたが、決選にすら進めず。直木賞ってさ、何か世間とズレているよね、ということを、まざまざと露呈してしまいました。ちなみにこれがいまのところ、最後の「受賞なし」の回。9年半前のことです。

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※会見で経緯説明をした選考委員:阿刀田高

受賞した候補:なし

決選投票に残った候補:池井戸潤『空飛ぶタイヤ』、北村薫『ひとがた流し』、三崎亜記『失われた町』

最初の投票で落ちた候補:佐藤多佳子『一瞬の風になれ』、白石一文『どれくらいの愛情』、荻原浩『四度目の氷河期』

第139回(平成20年/2008年・上半期)平成20年/2008年7月発表

何よりも、候補作が発表されたあとに、「なんで伊坂幸太郎の『ゴールデンスランバー』が候補に入っていないんだ!?」と、そこにいない人のことがいちばんの話題になったという、何とも悲しい回だったんですけど、「売れない小説を選ぶ」直木賞の伝統は、健在でした。

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※会見で経緯説明をした選考委員:平岩弓枝

受賞した候補:井上荒野『切羽へ』

決選投票に残った候補:山本兼一『千両花嫁』、和田竜『のぼうの城』

最初の投票で落ちた候補:新野剛志『あぽやん』、三崎亜記『鼓笛隊の襲来』、荻原浩『愛しの座敷わらし』

第144回(平成22年/2010年・下半期)平成23年/2011年1月発表

道尾秀介さん5期連続の候補から、いよいよ受賞! ということで、大きなスポットライトが当たる……かと期待されたんですが、だいたい話題は芥川賞にかっさわられまして、直木賞にしみついた生来の「地味さ」に、ワタクシは涙しました。

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※会見で経緯説明をした選考委員:宮部みゆき

受賞した候補:木内昇『漂砂のうたう』、道尾秀介『月と蟹』

決選投票に残った候補:(上記、受賞2作)

最初の投票で落ちた候補:犬飼六岐『蛻』、貴志祐介『悪の教典』、荻原浩『砂の王国』

第146回(平成23年/2011年・下半期)平成24年/2012年1月発表

いうまでもなく、この回も、受賞後の一般の関心は、芥川賞のほうが圧倒的に上。「受賞会見で何かやらかさないと本なんか売れないんだよね」とテキトーな感想をのべる人たちを尻目に、着実に(大量に)新作を発表しつづけている葉室麟さんのエラさが光ります。

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※会見で経緯説明をした選考委員:浅田次郎

受賞した候補:葉室麟『蜩ノ記』

決選投票に残った候補:桜木紫乃『ラブレス』

議論のすえ決選投票に残らなかった候補:伊東潤『城を噛ませた男』

最初の投票で落ちた候補:歌野晶午『春から夏、やがて冬』、恩田陸『夢違』、真山仁『コラプティオ』

第147回(平成24年/2012年・上半期)平成24年/2012年7月発表

新人のSFが直木賞候補に! なんてことで興奮したのは、おそらく一部の特殊人種、通称「SFファン」ぐらいなものだと思うのでスルーしますが(……いや、冗談ですよ)、この年の5月、山本周五郎賞で2作同時受賞まで検討された原田マハさん、辻村深月さんの両者が、ここでも接戦を演じました。

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※会見で経緯説明をした選考委員:桐野夏生

受賞した候補:辻村深月『鍵のない夢を見る』

決選投票に残った候補:原田マハ『楽園のカンヴァス』

最初の投票で落ちた候補:朝井リョウ『もういちど生まれる』、貫井徳郎『新月譚』、宮内悠介『盤上の夜』

第148回(平成24年/2012年・下半期)平成25年/2013年1月発表

戦後最年少の23歳受賞者が誕生し、これはさすがに、直木賞が話題を独占するでしょ。という臆測はもろくも打ち砕かれ、「芥川賞最高齢受賞」と合わせてセット、になってしまう展開に。……もはや直木賞は、そういう星の下に生まれた、としか言いようがありません。

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※会見で経緯説明をした選考委員:北方謙三

受賞した候補:朝井リョウ『何者』、安部龍太郎『等伯』

決選投票に残った候補:西加奈子『ふくわらい』

最初の投票で落ちた候補:有川浩『空飛ぶ広報室』、志川節子『春はそこまで』、伊東潤『国を蹴った男』

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2016年7月10日 (日)

第69回直木賞「津軽世去れ節」「津軽じょんから節」と第105回直木賞『夏姫春秋』の単行本部数

第69回(昭和48年/1973年・上半期)直木賞

受賞作●長部日出雄「津軽世去れ節」「津軽じょんから節」収録『津軽世去れ節』(津軽書房刊)
初版2,000部→2版1万5,000部→3版5,000部→?

第105回(平成3年/1991年・上半期)直木賞

受賞作●宮城谷昌光『夏姫春秋』上・下巻(海越出版社刊)
受賞前1万部10万部以上

 刹那的・瞬間的に一般ニュースでネタにされるのは、たいてい芥川賞のこと。直木賞は、それに従属しているものとして扱われてしまう。……というのは、別段ワタクシの思いつきじゃなくて、過去いろんな人が言ってきたことなので、だいたい合っていると思います。

 今度、7月19日に選考会がおこなわれる第155回(平成28年/2016年上半期)も、そうです。とくに読書好きじゃない(つまり大多数の)人たちに対して、直木賞が単独で、提供できそうな話題が何かあるか。といわれたら、口ごもるしかありません。

 その点、芥川賞のほうは相変わらず絶好調ですよね。九州の出版社が創刊した文芸ムックから、候補作が選ばれたぞ、すげえ快挙だ! などと、作品の内容とは何の関係もないことでキャーキャー騒がれてしまうという、いつもどおりのキモち悪さ……あ、いや、正直うらやましいです。

 芥川賞のことはどうでもいいです。直木賞のハナシをします。

 直木賞の候補作には、東京以外で発行された同人誌(『冬濤』『秋田文学』『状況』『九州文学』『詩と真実』など)、あるいは商業誌・紙(『オール関西』『新大阪』)から選ばれたこともあったんですが、書籍に限りますと、いわゆる地方出版社から刊行されたものが候補になったのって、ほんと数えるほどしかありません。

 京都時代の三一書房から『廓』(西口克己)。名古屋の作家社(同人誌『作家』の発行元)から『長良川』(豊田穣)。同じく名古屋の海越出版社から『天空の舟』と『夏姫春秋』(ともに宮城谷昌光)。青森県弘前の津軽書房から『津軽世去れ節』(長部日出雄)。このぐらいでしょうか。で、そのうち、受賞してしまったのが3つもある、というのは、なかなかの高打率です。

 まずは、豊田さんの『長良川』。部数はよくわかりません。作家社から刊行されたのは昭和45年/1970年6月、なんですが、おそらく最初は内々に行き渡るぐらいしか刷らなかった、と想像されます。

(↑追記します。自費を投じて作家社から出版した『長良川』は、800部刷ったんだそうです)

 これが5月のうちには出来上がって、5月24日に名古屋で出版記念会、5月27日に中日新聞の読書欄に大きく書評が掲載されますと、6月27日、今度は東京中野で再び出版記念会。作家社から「普及版」(7月20日発行)が刊行され、読売、産経、図書新聞、週刊読書人などなどに書評が出たりして、売り上げもまあまあ伸びた、とのことです。

 昭和46年/1971年1月に第64回直木賞に選ばれます。しかし、ここで人びとの購買意欲をそそったのは、芥川賞の古井由吉さんの受賞作のほうでした。古井さんの『杳子・妻隠』(河出書房新社刊)は、『出版ニュース』によれば、2月期(1月21日~2月20日)のベストセラーリストに顔を出したあと、その後も順調に売れて、最終的に年間では15位の売れ行きに落ち着きます。

 対して、豊田さんの『長良川』は、受賞から少したった3月に文藝春秋から再刊されたんですけど、出版ニュース社の調査書店のなかでは、岐阜(豊田さんの地元です)の大衆書房で、4月期(3月21日~4月20日)のベストセラートップ5に入ったぐらい。売れかたでは、芥川賞に大きく水をあけられるかっこうでした。

 やっぱり直木賞の話題性って、何かいつも、そこそこ、ですよね。と思うんですが、地方出版の受賞作として、直木賞史上、最初に騒がれたのは、それから3年後。第69回、長部さんの『津軽世去れ節』だった、と言っていいんでしょう。

 発行元の津軽書房は、そりゃもう、大騒ぎだったらしいです。

「「あのときには、あわてましたねえ」。あのとき、というのは「世去れ節」(引用者注:『津軽世去れ節』)がことしの七月、直木賞を受けたときのことだ。「銀行へとんで行きました」。経営者の高橋彰一さん(四五)の話だが、話の具合では預金をおろしに行ったのではなく、カネを借りに行ったらしい。重版、受賞祝い……、カネがなくては動けない。いかにも地方出版社らしい話だった。」(『読売新聞』昭和48年/1973年10月31日「地方出版社というもの 津軽書房の場合」より)

 このとき、部数はどのくらい伸びたのか。高橋さん、べつのところで回想してくれています。

「直木賞が決まった途端、全国的に爆発的に売れた。

「初版二千部を刷り、受賞決定の時は七百部あったのが、たった一日でなくなりました」――津軽書房代表の高橋彰一さんは、こう回想する。直ちに二版目を一万五千、さらに三版を五千部刷って間に合わせた。この本は今でも、一年半に千部のペースで売れており、既に五刷目になっている。」(昭和55年/1980年10月・地方・小出版流通センター刊『地方出版の源流 東北の現状と問題点』「第二章 出版物を生み出す人々」より)

 津軽書房にとっては大ベストセラー。おめでたい話です。

 だけど、当然といいましょうか、直木賞やら芥川賞やらの世界でベストセラーだと騒がれる水準とは、ケタがちがいます。これで「売れた」と表現したら、たぶん、「いまの直木賞って受賞しても売れないよね、ケッケッケッ」と嘲笑している人たちの面目がつぶれてしまうはずですから、あまり大きな声で言わないようにしましょう。ああいう人たちは、機嫌をそこねると怖いですからね。

 それはさておき、同時に受賞した藤沢周平さんの「暗殺の年輪」(を表題作とした作品集)は、受賞後、文藝春秋から発売されました。だけど、よく売れた、という話は聞きません。少なくとも、『津軽世去れ節』ほどは、「ベストセラー」に関連する記事に出てきません。そんなに売れなかったんじゃないか、と推測できます。

 そもそも圧倒的に売れなきゃ、直木賞(+もうひとつの賞)の売れ行きは、言及されることが少ないです。そして、直木賞の受賞作が売れなくたって、日本人の生活に別に影響はありません。「売れた」ことばかりがニュースになって、「売れなかった」ことは、多くの人の印象に残らない。それが、「直木賞=売れる本」という偏向した話ばかりが、じんわり定着していってしまう原因になるんだと思います。

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2016年7月 3日 (日)

第52回直木賞『炎環』と同候補『帝国軍隊に於ける学習・序』の単行本部数

第52回(昭和39年/1964年・下半期)直木賞

受賞作●永井路子『炎環』(光風社刊)
2万5,000

※ちなみに……

第52回(昭和39年/1964年・下半期)直木賞

候補作●富士正晴『帝国軍隊に於ける学習・序』(未来社刊)
2,000部~3,000

第50回(昭和38年/1963年・下半期)直木賞

受賞作●和田芳恵『塵の中』(光風社刊)
2万5,000

 今日も出だしは、景気のよくない話からいきます。

 いや。よくない、っていうか、そんなの普通だよ、みたいなハナシかもしれません。

 未來社、というシブくて堅い出版社があります。なにしろ、シブくて堅いので、直木賞ファンであるワタクシは、そんなに馴染みがありません。そこで30年ほど編集者をやっていた松本昌次さんに『わたしの戦後出版史』(平成20年/2008年8月・トランスビュー刊)という本があって、聞き手の上野明雄さん、鷲尾賢也さんを相手に、未來社時代に関わった数々の、シブくて堅い(……堅そうな)著者たち、あるいはその本のことなどが、てんこもりに語られています。やたら面白い本です。

 ええ、直木賞と未來社に、たいした縁はないと思うんですけど、未來社から出た本が、一回だけ、直木賞候補になったことがあります。まったく、直木賞の雑食ぶりには、あきれ返るしかないんですが、第52回(昭和39年/1964年・下半期)、なぜか富士正晴さんの、なぜか『帝国軍隊に於ける学習・序』が、直木賞の予選を通過しています。

 その『帝国軍隊に於ける学習・序』の出来上がるまでが、つくった松本昌次さん自身の口から語られている。もうそれだけで、『わたしの戦後出版史』って本はキュートです。

「――未来社から出た富士さんの本は、最初は小説でしたよね。未来社では、めずらしかったんじゃないですか。

松本 最初に手がけたのは短篇集の『帝国軍隊に於ける学習・序』(一九六四・九)です。富士さんがそれまでに書いた戦場小説を七篇集めて、西谷能雄(引用者注:当時の未来社社長)さんに企画を出したら、「なに! あの富士君が小説を書いているの?」と驚かれましてね(笑)。というのは、戦争中の四二年から翌年にかけて一年ほど、弘文堂の京都店に、富士さんは編集者として勤めたことがあるんです。弘文堂は東京と京都に店があって、西谷さんは三七年の入社以来、両方を行き来していましたからよく知っていたわけです。」(『わたしの戦後出版史』「13 竹林の隠者、富士正晴」より)

 まともにやっても、富士さんの短編集など、売れるとは思えませんよね。しかし、これはどうしても出したいんだと、企画を通した松本さんの偉さが光るところです。

 そして話は、売れゆきの件へと及んでいます。

「――富士さんの最初の本の反響はいかがでしたか。

松本 『帝国軍隊……』は直木賞の候補にもなったんですが、せいぜい二千か三千部ぐらいしか売れなかったんじゃないですか。(引用者中略)六四年十二月に、戦場ではなく戦後を題材にした短篇七篇を集めた『あなたはわたし』も未来社から出したんですが、これがまた前の本に輪をかけたようにさっぱり売れない(笑)。」(同)

 うーん、万が一、富士さんが直木賞をとっていたら、どうなっていたでしょう。……「こんな純文学の人が直木賞なんて、おかしいぞっ、キーッ!」とか目くじら立ててわめき立てる、文学亡者たちが、どうせまた、直木賞をバンバン攻撃しまくったに決まっていて、そんな連中に攻撃材料を与えずに済んだだけでも、正直、ワタクシはホッとします。まじでウッサいですからねー、「直木賞」をネタにするときの、文学亡者たちのワンパターンな攻撃は。

 大川公一さんの『竹林の隠者 富士正晴の生涯』(平成11年/1999年6月・影書房刊)によれば、富士さん自身も、直木賞の候補に挙げられたことには、閉口、または困惑していたらしいです。そういう感情を相手にもよおさせちゃうところが、直木賞の不徳のいたすところ。というか、ただそこにあるだけなのに敬遠される、直木賞の可哀そうなところ、だと思います。かなしいです。

 と、つい(往年の)直木賞の姿を見て涙ぐんでしまう直木賞オタクの反応も、またワンパターンなので人のことは言えません。とりあえず、人を攻撃することで溜飲をさげるような文学亡者のいるところから、少し離れたいと思います。

 直木賞候補、に選ばれたって、そんなに売れゆきが伸びたわけじゃない、っていうのは、まったく普通かもしれません。じゃあ、これと同じく第52回、運よく受賞した本は、どのくらい売れたんでしょう。

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2016年6月26日 (日)

第32回直木賞「高安犬物語」と第31回芥川賞「驟雨」の単行本部数

第32回(昭和29年/1954年・下半期)直木賞

受賞作●戸川幸夫「高安犬物語」収録『高安犬物語』(新潮社刊)
初版3万部(?)

※ちなみに……

第31回(昭和29年/1954年・上半期)芥川賞

受賞作●吉行淳之介「驟雨」収録『驟雨』(新潮社刊)
初版5,000(重版はナシ)

第40回(昭和33年/1958年・下半期)、第41回(昭和34年/1959年・上半期)芥川賞

候補作●吉村昭「鉄橋」「貝殻」収録『少女架刑』(南北社刊)
初版3,000部→4,500

 昭和20年代後半から昭和30年代、新人の文芸書は初版が2,000部、3,000部。だいたいいまと同水準ぐらい、と言っていいんでしょうか。

 それが直木賞や芥川賞をとると、増刷がかかる。順調にいけば10倍の2~3万部までは行く。さらに付加価値がついて「よく売れた」部類になれば、5万部、10万部ぐらいは増やすことができる。……というのが、およそ標準的な直木賞・芥川賞の部数動向だったんじゃないか、と思います。

 なにしろ、ほかに、いくらでも売れた本は数多くあったはずです。なので、この両賞は、べつにベストセラーをわんさか生み出す賞、などではなく、ちょっとバネのついた跳び板、ぐらいに呼んでおくのが無難なんでしょう(たぶんこれは、いまでもそうです)。

 それで、昭和30年代の芥川賞というと、名候補者のひとりに吉村昭さんがいます。

 のちに、作家として食える領域にまで到達し、当時の動静を綴った『私の文学漂流』を書き残してくれた人ですが、これは雑誌の原稿料がいくらだったとか、単行本を出すとき何部刷ったとか、そういうディテールまできちんと抑えている、その面でも貴重な半生記です。

 昭和33年/1958年、吉村さんが、石川利光さんのすすめもあって、はじめて出した作品集が『青い壺』。これは自費出版で、山田静郎さんのやっていた小壺天書房の発行、というのは名義だけ貸してもらったものらしいんですが、1,000部を刷ったそうです。吉村さんは、「短篇集『青い骨』の反響は何一つとしてなく、印刷所への月々の支払いが残っただけであった。」と淡々と書いています。

 その後、『文学者』に載せた「鉄橋」ではじめて芥川賞(第40回 昭和33年/1958年・下半期)の候補となり、あっさり落ちたりするなか、妻の津村節子さんも、処女出版となる『華燭』(次元社刊)を刊行。こちらのきっかけもやっぱり、石川利光さんで、石川さんは次元社の顧問をしていて、だれか有望な新人の原稿をと物色していたときに、津村さんに白羽の矢を立てたということで、映画化決定の余波もあったのか、三刷まで行ったそうです。

 この『華燭』は、第41回直木賞(昭和34年/1959年・上半期)で津村さんが候補になったときに「参考作品」として選考委員たちにも読まれたことが、選評などにも見えます。どうしてこちらが候補作でなかったのか、もはや誰にもわかりません。

 吉村さんのほうに話を戻すと、「夫婦で直木賞・芥川賞にまたがる同時候補」とかいう、当時少しは話題になったはずのプチ事件を経て、南北社から創作集を出しませんかと依頼を受けて大感激。自選というかたちで選んだ収録作に、芥川賞候補になった「鉄橋」と「貝殻」二作も入れました。

 芥川賞の候補になった程度の、新人の創作集がそんなに売れるわきゃないことは、昔も今も変わらない。とは思うんですけど、吉村さんの『少女架刑』は、いくつもの紙誌で書評に好意的に取り上げられたのだそうで、

「このように多くの書評の対象になったためか、初版三千部であった創作集『少女架刑』は五百部ずつ三度増刷し、私としては、大竹氏(引用者注:南北社の大竹延)に迷惑はかけなかったらしいことに深い安堵を感じた。」(『私の文学漂流』より)

 と、妻の「処女出版いきなり三刷」に引け目を感じることなく、売れました。

 ただ「賞」という点では、津村さんは昭和39年/1964年に同人雑誌賞もとり、昭和40年/1965年1月には第53回芥川賞にも選ばれるという僥倖に恵まれます。吉村さん、一気に引き離された感がありましたが、すぐさま反撃に転じ、昭和41年/1966年に「星への旅」で太宰治賞を受賞。ちなみに同年8月に筑摩書房から出た創作集『星への旅』は初版5,000部、だったとのことです。

 しかし、吉村昭に賞のきらびやかさは似合わないぞ。……と誰が決めたのか知りませんけど、吉村さんが注目を浴びたのは「賞」の力によってではなく、この年、『新潮』9月号に、420枚一挙掲載された「戦艦武蔵」パワーでした。コイツが、それまでの「冴えない芥川賞候補卒業組」の汚名(?)をひっくり返すほどに大爆発、

「単行本の初版は、驚いたことに二万部で、私は身のすくむのを感じたが、翌日には三万部に訂正され、九月八日に出版されると、九日に一万部、十五日にさらに一万部が増刷され、十月中旬には十一万六千部にも達していた。」(同)

 その後、20万部を超えたという記録も残されて、「ベストセラー(を出したことのある)作家」の称号をつかみ取ってしまいます。

 仮に「芥川賞受賞作」の看板があったって、20万部なんか、そうやすやすとは売れません。その意味では、芥川賞をとれなかったグループの人が、売り上げの面で芥川賞を凌駕した! という爽快な展開ではありました。

 ……いや、むしろ、芥川賞を見るときに、売れゆき売れゆき、とそればっかり言い募る愚かさを反省したほうがいいのかもしれません。そりゃ、芥川賞より売れる本なんて、たくさんあって、ことさら特筆するようなことじゃないわけですから。

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