2017年7月20日 (木)

第157回直木賞(平成29年/2017年上半期)決定の夜に

 今夜もいつもとかわらず、歓喜、失望、興奮の声が、全国各地で上がった……のでしょう、おそらく。

 ちょっともう、ワタクシは直木賞が好きすぎて、一般の状況がわからなくなっていますが、どんな盛り上がり具合でしょうか。手堅いといえばこれほど手堅い授賞はなく、非常に落ち着きのある直木賞となって、個人的には、今晩はおだやかな気分で眠れそうです。おだやかなのがいちばんです。

 と、完全に爺いモードに入るまえに、今回もまた、受賞しなかった4作が、目のまえにあります。決まったあとに、わざわざ受賞しなかったものなど目を向ける気がしない、という人も、いるかもしれませんけど、候補作の歴史こそが、直木賞の歴史。そのリストに名を刻んでくれた、この勇敢な(?)4作品を讃えて、ぜひ後世にまで語り継いでいきたい、という気持ちでいっぱうです。

 いったい宮内悠介さんの、今作のはじけ飛びぶりには、ハラハラドキドキさせられました。あるいは、直木賞のほうが一皮むける絶好のチャンスだったかもしれません。しかし、ああ、宮内さんどこまで飛翔してしまうんだあ……と、直木賞はぽかんと口をあけて、その背中を見送ることしかできず、いよいよ取り残されてしまいそうですけど、あと何度でもこの賞の相手をしてくれそうな、宮内さんの間口の広さに甘えさせてもらって、また次もお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

 この先が楽しみな作家ばかりだ、ということは言わずもがななんですが、佐藤巖太郎さんが、これからどう活躍の姿を見せてくれるのか。『会津執権の栄誉』を読んで、俄然、楽しみになりました。とりあえず最初の候補で、歴史モノに賞をあげることのできない直木賞のクセは、もはや治りそうもないほどの重症です。すみません。ってワタクシが謝っても仕方ないんですけど、こういう、直木賞のイヤなクセを帳消しにするぐらい、巖太郎さんが活躍してくださることを期待するしかありません。どうぞ、直木賞を助けてやってください。

 直木賞はいまキテる勢いのある作家にとってほしい……というのは、某選考委員の口グセですが、「いまキテる勢いのある作家」にあげそこねるのも、また直木賞の伝統です。そんなもの伝統にするなよ、ってツッコみたくなるのを抑えて、木下昌輝さんの候補作、今回は(も)とってもおかしくないんだけどなあ、と嘆きたくなるのも抑えつつ、さすがにそろそろ直木賞騒ぎもイヤになりはじめているかもしれませんが、やはり木下さんにとってもらいたい直木賞。ここは耐え忍んで、いつか木下さんが受賞する日を待ちたいと思います。

 柚木麻子さん。「直木賞っぽい路線」なんてクソくらえ的な、我が道を行くその剛腕ぶりに、もう感服しました。お見事です。降参です。確実に直木賞史に残る作品を書いていただき、これは少なくともワタクシ個人的には、賞の当落よりも重要なことなものですから、ありがとうございました、と御礼を述べる他ありません。直木賞っぽい路線、クソくらえ、です。

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2017年7月16日 (日)

第157回直木賞、受賞が話題になる可能性を予想する。

 毎年7月のこの季節、直木賞に関するハナシのなかで、大量に使われる単語があります。「話題」ってやつです。

 話題の受賞作、話題の作家。話題づくりのためにやっている賞、昔に比べて話題にならない。ほら話題だ、また話題だ、話題、話題。……おそらくこの季節は全国各地で、話題ノイローゼになってしまう直木賞ファンが数多く発生し、堪えきれずに目をおおったり、耳をふさぎたくなったりする症状に悩まされる人は多い、とはよく聞くところです。

 今回の第157回(平成29年/2017年・上半期)は7月19日に選考会がひらかれます。いまのところは、一般的な盛り上がりに欠けていて、このままほとんど話題になりそうもない、などと言われていますが、たしかにパッと見、この候補者・候補作のラインナップですと、受賞の(落選の)結果で盛り上がれるのは、よほどの変わり者(あるいは少数派のグループ)ぐらいで、あまり広がりは期待できそうにない気がします。

 まあ、よほどの変わり者のひとりとして言わせてもらうなら、それならそういう直木賞でいいわけですけど、しかしやはり、直木賞に「話題」は付きものだ、というのは間違いありません。

 せっかくなので、今回どの作品が受賞すれば話題が期待できそうか(逆に、期待できなそうか)予想してみたいと思います。

 

予想:100

■柚木麻子『BUTTER』(平成29年/2017年4月・新潮社刊)

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 文芸分野とは離れたところでの、いわゆる一般的な話題性で突出している候補作は、『BUTTER』をおいて他にない。というのは、衆目の一致するところだと思います。

 モデル小説というだけでもかなりの高得点が稼げるうえに、じっさいのモデルから公然とケチをつけられ、「不法行為本」だと非難されている最中でもあります。その木嶋佳苗さんは、19日の選考結果を待つ、とブログに書いているくらいですから、これが受賞したら増刷もされるし、いまとは比較にならないくらい、この小説に興味をもつ人が増えるはずで、さすがに「おめでとう」と温かく祝福するとは思えず、より踏み込んだ手を打ってくるのかどうなのか、少なくとも読み物小説誌や新聞に紹介されるぐらいで騒ぎが収束するとは、とうてい考えられません。

 そんなことをしてまで本を売りたいか直木賞……、と眉をひそめる人たちが沸いて出てくる一方で、それでも本を買う人たちの購買行為を止めることはできませんから、直木賞史上でもまれに見る大騒動に発展する可能性を秘めている。ということで、100点満点の話題性予想です。

 あ、もうひとつ100点にした理由を挙げるとすると、受賞記者会見の、柚木さんの衣裳や振る舞いがまた、注目どころだからです。これが4度目の候補、欲しいはずの直木賞がなかなかめぐってこなかったなかで、ようやく受賞したときに、どんなふうに弾け飛ぶのか。田中慎弥さんぐらいのインパクトある発言、言動は、少なくとも期待できると思います。

 

予想:50

■宮内悠介『あとは野となれ大和撫子』(平成29年/2017年4月・KADOKAWA刊)

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 なにせ今回は、話題性への期待が一作だけ突出しています。他は横並び、かもしれませんが、とりあえず「受賞したあとの解説記事の多彩さ」が期待できる、という面で『あとは野となれ~』を二番目においてみました。

 まずは何といっても、SFと直木賞のあいだに、これまで交わされてきた血なまぐさい(?)歴史があります。宮内さんが受賞したら、やっぱりこの交差・交戦のあれこれについて、解説記事が書かれるでしょうし、ワタクシも読みたいです(昔の現場の証言などと合わせて書いてくれそうな人材も、きっと豊富です)。

 あるいは、直木賞と芥川賞の、両賞の差や違い。なんていうのも、かなり歴史の深いテーマですが、おそらくここら辺の切り口から触れてくれるライターや文芸記者はたくさんいるでしょう。

 それと似たテーマですが、吉川新人賞→三島賞→直木賞、とこの三賞をたった数か月でわたり歩いて受賞したことをもとに、現代のエンタメと純文芸、みたいな視点にスポットが当たることも、容易に想像できます。これはこれで、語りたい人も多いでしょうし、面白い記事になるだろうと、期待感でソワソワしてしまいます。

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2017年7月 9日 (日)

『北方文芸』…同人誌とも商業誌ともちがう茨の道を歩んだ志、あるいは執心。

『北方文芸』

●刊行期間:昭和43年/1968年1月~平成9年/1997年3月(29年)

●直木賞との主な関わり

  • 澤田誠一(候補1回 第60回:昭和43年/1968年下半期)
  • 木野工(候補2回 第47回:昭和37年/1962年上半期~第66回:昭和46年/1971年下半期)
    ※ただし第47回は別の雑誌に発表した作品

 いったい「同人誌」って、どういう雑誌のことを指すんでしょうか。人によって定義は違うみたいです。

 「大衆文芸」にしろ「純文芸」にしろ、いや「ミステリー」「ホラー」「SF」をはじめ、その他多くの、直木賞まわりの用語は、けっきょく、どこに境目があるのかはっきり示せない類いの概念ばかりで、そういうなかで80何年もやっていれば、そりゃ、どこかムチャクチャな賞になるよなあ、と納得できないこともありません。

 いまや、主催者・日本文学振興会のサイト上での直木賞の説明が、「大衆文芸」ではなく「エンターテインメント作品」となり、また「単行本(長編小説もしくは短編集)のなかから」選ばれる、と変更されたことを見ても、まあ、定義のしづらい文学賞です。

 それで、同人誌のことですが、うちのブログは「同人誌のことを取り上げる」というより、「直木賞のなかでの同人誌を取り上げる」ことしかできません。直木賞が一時期まで担っていた、東京の文芸出版にとって新しい作家を見出して紹介する、という役割を考えたとき、ここでいう同人誌の性質も、おのずといくつかの条件に絞られていきます。

 取次を介した全国的な流通に載っていない。ということに加えて、日本文学振興会(あるいは『文學界』同人雑誌評コーナー)に定期的に寄贈を続けている。そういう雑誌です。

 前置きが長くなりました。今週の『北方文芸』は、札幌を中心とした書店で売られ、また原稿が載ればギャラもいくばくか支払われたと言い、同人以外の寄稿はお断りということもなく、要するに「地方(文芸)誌」のひとつなんですが、しかし商業誌とも言い切れないところが、大きな特徴のひとつだったようです。

「いわゆる同人雑誌とは一味違い、投稿や原稿依頼、地元同人雑誌からの再録など“開かれた同人雑誌”的性格を持っている。毎月の発行に必要な六十万円の経費は広告と販売収入、維持会員の会費などでまかない、「商業雑誌並みにはいかないが、安い原稿料と事務局のお嬢さんたちの犠牲で何とかやっている」という。」(『朝日新聞』昭和51年/1976年5月31日「百号を迎えた「北方文芸」」より)

 カネはない。しかし志はある。……というところで、約50年まえの昭和43年/1968年、小笠原克さんやその仲間たちが集まって、雑誌づくりの機運が盛り上がり、「たまには損する商売もやってみよう!!」(『北方文芸』昭和44年/1969年4月号「“汗顔”の辞」)とその刊行を引き受けたなにわ書房店主の浪花剛さんの英断で創刊されたそうですが、1年4か月、月刊で16冊出すまでのあいだに、赤字ばかりがどんどん膨れ上がり、志はあってもカネがない、という状況に陥って休刊を発表。

 すると、終わるとなったら、惜しむ声が沸き出してきて急に注目されはじめる、例の展開が待ち受けていたのは、『北方文芸』創設グループメンバーの、日頃からの人徳のたまものでしょう、即座に再建に向けていろいろと声もあがり、ほぼ1か月分のブランクを経て、巻号を継続して〈第二次〉『北方文芸』は再出発を切ることになります。

 その後は着々と、脈々と刊行をつづけ、カネがない、赤字つづきだ、とえんえんと言い続けながら30年弱。この夏には、北海道立文学館で特別展「「北方文芸」と道内文学同人誌の光芒」(会期:平成29年/2017年7月1日~8月27日)が開かれるほどに、地域でも(あるいは全国的にも)温かく愛される存在となりまして、平成9年/1997年に幕を閉じるまで、月刊の体制を維持しました。

 その紆余曲折のなかでも、この雑誌に載った作品を、早い段階で候補に選んだ文学賞が、直木賞です。芥川賞ではありません。

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2017年7月 2日 (日)

『航路』…創刊17年目でまさかの直木賞候補を送り出した大阪同人誌の雄。

『航路』

●刊行期間:昭和35年/1960年8月~平成5年/1993年12月?(33年)~

●直木賞との主な関わり

  • 松代達生(候補1回 第77回:昭和52年/1977年上半期)

 『文芸首都』という、聞いただけで震え上がりそうな、同人誌史に燦然と輝くメジャーな雑誌があります。

 まあだいたい、通俗的なものは傲然と拒絶される(かのような)融通のきかない雑誌でもあったらしく、直木賞なんて中途半端な存在は、あまりにその剣幕が怖くて近寄れもしなかった、……という感じの歴史なんですけど、なにしろ『文芸首都』は大所帯でもあり、ここで生まれる同人たちの交流も多種多彩なものがあって、そのなかから、さまざまな別の同人誌の誕生が促されます。

 『文芸首都』大阪支部で、世話人のような立場にあった兼重一さんや、大阪近辺に住む同人たちによって、毎月例会が開かれ、そのなかで創刊されることになったのが『航路』です。

 『航路』といえば、それはもう、創刊3年でひとりの芥川賞受賞者、田辺聖子さんを生み出して大賑わい、しかしそれでも解散することなく、橋本哲二さんや里見裕子さん、上田美穂さん、石上喜一さんなどの有力な書き手を擁し、30年以上刊行されつづけました。相当立派な同人誌です。

 田辺さんによれば、仲間内での批評のし合いは面白く、刺激的だったと言いますが、原稿書け書けという編集担当者からの声は、かなり厳しいものがあったそうです。

「私は(引用者注:『文芸首都』の)ほかに二つの同人雑誌に入っている。「大阪文学」と「航路」である。そのどちらも期日と編集者が峻厳だったおかげで、ほとんど私は恐喝されながらしぶるペンをみずから叱咤してやっと掲載し得たのだった。」(『文芸首都』昭和39年/1964年4月号 田辺聖子「芥川賞前後」より)

 それで第7号にようやく掲載されることになった「感傷旅行」は、同人のあいだでの評判はそれほどよくなく、けっこう自信のあった田辺さんとしては、ちょっと残念に思っていたところ、突然のようにアレがやってきて、しかも候補入りで終わりかと思っていたら、受賞までしちゃったものですから、本人もまわりもびっくりの大混乱。

 ほーら言ったじゃないの、あんたたち文学オンチの節穴には、私の作品の素晴らしさなんて、わかるわけないのよ、オーッホホホ、もういっしょになんてやってられないわ、と田辺さんが、そういうイヤな性格の持ち主ではなかったことから、『航路』の歴史はそこで途切れず、田辺さんも長く同人に名を連ねたまま、号数を積み重ねていきます。

 全国で何百と出て、新陳代謝の激しい同人誌界のなかで、直木賞や芥川賞の候補に挙がるのは、ひんぱんに起こることでもありません。このまま『航路』も、営々とそれぞれ同人の試みをつづけていって、最終的に「田辺聖子を生み出した雑誌」としてのみ記憶されることになるのか、という雰囲気が漂うなか、いや、そんな雰囲気は漂ってはいなかったでしょうけど、驚きの展開が待っていました。

 創刊から同人のひとりとして参加してきた松代達生さんが、もうほとんど同人誌の作品を候補に残すこともなくなっていた第77回(昭和52年/1977年・上半期)直木賞で、候補に選ばれてしまいます。

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2017年6月25日 (日)

『文学草紙』…気合をこめて書かれた長ーい作品を、放っておけなかった直木賞。

『文学草紙』

●刊行期間:昭和14年/1939年7月~平成20年/2008年9月?(69年)~

●直木賞との主な関わり

  • 鬼頭恭而(候補2回 第33回:昭和30年/1955年上半期~第57回:昭和42年/1967年上半期)
    ※ただし第33回は別の同人誌に発表した作品

 『文学草紙』といえば鎌原正巳、鎌原正巳といえば『文学草紙』……というのが、やはり最初に頭に浮かびます。戦前からコツコツとモノを書きつづけて戦後には芥川賞候補にも二度挙がりながら、その候補作のひとつ「土左日記」が、『芥川賞・直木賞150回全記録』(平成26年/2014年3月・文藝春秋刊)でもいまだに「土佐日記」と誤植って紹介されてしまっているという、哀しき鎌原さんのホームグラウンドが、『文学草紙』です。

(まあ、うちのサイトもずっと「土佐日記」と間違っていた表記していたので、ヒト様のことは言えません)

 同人誌のひとつの理想形、と言いましょうか、好ましい誌歴と言いましょうか。とにかく長い年月この看板を掲げつづけ、途中、自然と休刊に入り、他の同人誌と合体して出したりしたものの、まもなくソリが合わずに離反したりして、「伝統の同人誌」の地位を守りながら、同人たちの高齢化で徐々に「追悼号」ばかりを出す羽目になり、そして誰にも知られずひっそりと静かにその命を終える、まさしく同人誌の鑑のような雑誌です。

 当然、そういう空気のなかで起こるいざこざや仲たがい、なんてものはたくさんあったでしょう。現に有力同人でありながら途中で脱退した(そしてのちに復帰した)谷田達彌さんも、「純粋一途を目ざす同人雑誌の仲間のつきあいもなかなか理想的にはいかないようである。」(『新潮』昭和40年/1965年10月号「生きる」より)と書いていますが、その谷田さんによると、『文学草紙』の様子は、こんな感じだったそうです。

「いわば老舗の風格みたいなものがあって、(引用者中略)小説勉強の道場的空気は一寸見ると薄いように思われる。なにがなしトボケているような、また悠揚迫らぬといった雰囲気が漂っているのである。月例の同人会に出て顔を合せるだけでなんとなく小説を書いているような気がしてしまうから妙である。こういう同人誌に入っていると、ガツガツ毎月作品を書いて同人会で朗読するのがなんだか気がひけるような気さえするから妙である。そのかわり五年も六年も一篇も作品を提出しなくても、安心して同人仲間のつきあいができるという温かい友情的雰囲気がたっぷり漂ってもいるというわけだ。」(『新潮』昭和39年/1964年2月号 谷田達彌「忌憚ない批評の結末」より)

 ガツガツ派の谷田さんには、何か物足りない環境だったのかもしれません。

 古くからいる同人も、やはりその辺の意識は似通っていたらしく、50号記念の座談会で古谷綱武さんと富永次郎さんがこの雑誌の性格について語り合っています。

富永 それはやはり白刃の上を渡るような精神が欠けているんだよ、文学草紙には。

古谷 昔からあるね、それは。

富永 なんというか文壇に一つの旗風をなびかすということになり得ない弱点があるンだね。と同時に続くという点がある。

古谷 昔からそういう性格をもった同人雑誌だったということはあるね。

富永 とにかくいい悪いは別として、そういう性格でも無理しないでもいいんだ。」(『文学草紙』50号[昭和30年/1955年10月]「文学草紙の歩いて来た道―座談会―」より)

 出版界にすでに縁のある出版人、編集者、評論家、そして戦前に作家と認められていた人も含めて、「同人誌で勉強する・勉強し直す」というのは、敬服する姿勢ですけど、その分ガツガツ感が弱まってしまう、ということはたしかに想像できる展開でもあります。

 じゃあ何でそんなことを、飽きもせずダラダラ続けるのか。……という自分への問いは、おそらく同人誌をやる人にとっての基本的な「あるある」なんでしょう。外から見れば大半は無益に近いその営みを、しかし自分のなかで消化して、いや消化しきれないままで、えんえんとやりつづけることに、つい親近感が沸いてきてしまうゆえんです。

 さて、「これで文壇に出てやろう!」と意気込んでいたか、「文壇なんて関係ないさ」と達観していたか、そんなことは外から見ていても何もわかりゃしませんが、芥川賞ならともかくも、こういうところから直木賞が、なかば積極的に候補作を採ろうとしている姿が、やはり面白くて(……って毎週のように言っていますが、ほんとに面白いので、毎週のように言います)、芥川賞であれば心も浮き立つんでしょうが、ナ、ナ、直木賞ですからね、候補に選ばれた同人誌作家の方も、微妙に困惑したものと思います。

 当然、ほとんど直木賞とは縁もない『文学草紙』から、史上ただ一作、候補に選出されたのが、第57回(昭和42年/1967年・上半期)の鬼頭恭而さんによる「回向文」(ルビ:えこうぶみ)です。

 同じ回に並んだ候補は、たとえば、生島治郎さんの『追いつめる』、野坂昭如さんの「受胎旅行」、三好徹さんの『閃光の遺産』などなど……。いくら何でも、発表された背景も知名度も流通量も、何もかも違うこの場所に、アノ重厚といおうか、文学の外壁を文学で塗ったかのような小説が、どうして選び出されたのか。困惑の度合いは、「微妙」じゃなくて「かなり」のものがあります。

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2017年6月18日 (日)

『九州文学』…煮えたぎる情熱と時の運で直木賞(候補)への扉をこじ開ける。

『九州文学』(第二期~第五期)

●刊行期間:昭和13年/1938年9月~昭和58年/1983年12月(45年)

●直木賞との主な関わり

  • 岩下俊作(候補5回 第10回:昭和14年/1939年下半期~第17回:昭和18年/1943年上半期)
  • 原田種夫(候補3回 第18回:昭和18年/1943年下半期~第32回:昭和29年/1954年下半期)
  • 劉 寒吉(候補2回 第18回:昭和18年/1943年下半期~第33回:昭和30年/1955年上半期)
  • 我孫子 毅(候補1回 第20回:昭和19年/1944年下半期)
  • 堀 勇蔵(候補1回 第68回:昭和47年/1972年下半期)

 前週の『作家』にも似て、やはり『九州文学』の入口には、芥川賞がウロウロしています。

 福岡あたりで高まった文学熱の成果として数々の同人誌が生まれ、そして消えていくなか、たまたま久留米の同人誌『文学会議』に載った火野葦平さんの「糞尿譚」が、昭和13年/1938年2月、芥川賞を受賞してしまったものですから、うおーッ、福岡に住んでいても認められるチャンスってあるんだ!と、界隈にいた文学青年たちがこぞって興奮し……たんだと思いますが、その『文学会議』を含めた四つの雑誌が一つになって、新生『九州文学』が誕生します。

 四誌合体した同人の数は50人を超え、何だかんだ口うるさい人も多かったでしょうから、これをまとめるだけでも大変だったでしょう。しかも、ほぼ毎月出していく、というのですから、よほどの情熱であり、また狂気です。そこら辺が出発期の『九州文学』につい敬愛と興味をもってしまう所以でもあります。

 そのなかで、この雑誌の熱い(熱すぎる)思いがほとばしり、結果、成功した企画が、100枚程度の当時としてはかなりボリューミーな作品をドンと巻頭に据える編集を、昭和14年/1939年ごろから毎号のように続けたことでした。これに加わったひとり、原田種夫さんもあとで振り返って、正直あきれています。

「みんなモンペをはいて防空演習があったりして、なんとなく騒然とした時代であった。そんな時代によく百枚を越える作品が書けたものだと、いま不思議な気がする。その時は文学についての情熱の火が妖しいまでに燃えていたのであったろう。」(昭和33年/1958年3月・文画堂刊 原田種夫・著『西日本文壇史』より)

 すみません、「あきれている」は言いすぎでしたね。間違えました。

 しかし、ほとんど毎月、いかにも力作のような100枚以上の作品を載せた地方発の同人誌が、このころ目につかないはずがありません。当時、芥川賞の予選を担当していた宇野浩二さんが、候補に挙がるまえの(要するに候補選出にすら落ちた)作品のことにまで、いちいち言及する選評を書いていたおかげで、同誌のいくつかの作品も芥川賞の選評で触れられることになり、同人が束となってドッと注目を浴びるようになります。

 基本、宇野さんの選評はこきおろしですので、だいたい『九州文学』の諸作は褒められていないんですが。

「矢野朗の『肉体の秋』は、作者が小説の中で断っているように安易な書き方であるばかりでなく、通俗的である上に、肝心の人物が皆ほとんど書けていない。厳し過ぎる言葉を使うと、書かれてある事がよく現れないで、これ見よがしの大袈裟な文章の方が目に立つ。これは、「九州文学」の小説家の大部分に共通している、邪道である。(引用者中略)それから救われているのは、勝野ふじ子であるが、その勝野さえ「九州文学」の作家に共通する弊から全く遁れている訳ではない。」(『文藝春秋』昭和15年/1940年3月号 第10回芥川賞 宇野浩二選評より)

 とにかく、矢野さんや勝野さんをはじめとして、『九州文学』で注目された人が、芥川賞の候補に目されたり、またあとでは直木賞の候補にもなったりしますが、候補者ばかりがぞくぞく増えて、だれひとり受賞ができない呪われた同人誌だ……などと、口さがない人から嘲笑の声が送られてしまうほど、受賞までには距離がありました。

 だけども、受賞して賞の恩恵を受けるなんて当たり前。文学賞は、たとえ落ちても、名前が挙がるだけで役に立つものなのだ! と身をもって示してくれたのが、『九州文学』の同人たちです。

 昭和14年/1939年、第10回目に当たる『改造』懸賞創作に応募した彼ら同人のうち、原田種夫さんの「風塵」、岩下俊作さんの「富島松五郎伝」、劉寒吉さんの「魑魅跳梁」、矢野朗さんの「似而非妖婦譚」という4つが、34編選ばれた選外佳作のなかに残り、要するに当選までは行かなかった落選作ですけど、原田さんと岩下さんはそのままの題で、劉さんは「人間競争」、矢野さんは「肉体の秋」と改題して、100枚以上に手を加えて『九州文学』に発表したものが、みな芥川賞の予選委員の目に止まって、それぞれの出世作となっていく……。という経緯には、どこにも「受賞」は登場しませんが、でも文学賞がなければ成立しなかったことはたしかです。

 なかでも、やはり「富島松五郎伝」で登場した岩下さんのインパクトは、まずもって偉容です。

 この第10回から芥川賞の選考委員も直木賞の審査に加わることになった、という運のよさもたしかにありました。これが芥川賞委員の采配で、直木賞の選考に回されることになり、創設5年目にして行き詰まり中のドン詰まりにあった直木賞を救った……かどうかはともかくも、「呪われた『九州文学』」の魔性はそちらでも発揮されてしまって、受賞はしませんでしたが、戦前・戦中に原田さんや劉さん、我孫子毅さんが芥川賞ではなく直木賞のほうで候補に名がのぼった背景には、まず岩下さんの例があったからだと見ていいでしょう。

 そう考えると、『九州文学』が昭和14年/1939年に煮えたぎる思いで続けた力作連発の編集が成功したのだ、と言うほかありません。

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2017年6月11日 (日)

『作家』…芥川賞よりも直木賞に愛された、と言っていい同人誌。

『作家』

●刊行期間:昭和23年/1948年1月~平成4年/1992年1月(44年)

●直木賞との主な関わり

  • 八匠衆一(候補1回 第34回:昭和30年/1955年下半期)
  • 熊王徳平(候補1回 第36回:昭和31年/1956年下半期)
  • 桑原恭子(候補1回 第51回:昭和39年/1964年上半期)
  • 藤井重夫(受賞 第53回:昭和40年/1965年上半期)
  • 豊田穣(候補2回+受賞 第58回:昭和42年/1967年下半期~第64回:昭和45年/1970年下半期)
  • 津木林洋(候補1回 第92回:昭和59年/1984年下半期)

 もちろん、と言いましょうか、同人誌に載った作品が、そのまま直木賞を受賞したケースは、それほど多くはありません。

 そのなかで、とくに大衆文芸を標榜したりもせず、いたって正統派な文芸同人誌っぽいナリをしながら、第53回(昭和40年/1965年上半期)と第64回(昭和45年/1970年下半期)、そこに載った小説が二度も直木賞に選ばれてしまうという、そうとう稀有な道を歩んだのが、小谷剛さんたちの始めた『作家』です。

 『作家』の人たちといえば、梅崎春生との確執でおなじみ・八匠衆一さんもいるし、私の大好きな熊王徳平さんや藤井重夫さんもいる。ということで、一介の直木賞ファンとしても親近感のわく雑誌です。おそらく、まじめに文学に向き合っていた(はずの)同人や会員の人にとっては迷惑なハナシかもしれません。仕方ありません。

 しかし、ひょっとするとこの雑誌は、芥川賞よりも直木賞に愛されたんじゃないか。と思えるのも事実で、候補にあがった数々の『作家』掲載作を読んでも、どうしてこれらが芥川賞のほうじゃなく直木賞に回されたのか、皆目わからず、たとえば『作家』からはじめて直木賞の候補に残ったのが八匠さんの「未決囚」ですが、最終選考の場では、

「毛頭遊び気はないし或る一社会を確実に書いている。しかし直木賞へ持って来るものではないだろう。」(『オール讀物』昭和31年/1956年4月号 吉川英治の選評より)

 だとか、

「いくらうまい作品でも、こういう陰気な材料は直木賞のものではない」(同号 村上元三の選評より)

 などと言われています。

 たしかに、こういう感想をもつのが自然でしょう。だけども、本人や選考委員の希望や意向とは関係なく、直木賞の候補にしようと決めたヤカラが、何人かいたから候補になったわけで、直木賞の色を決めていくのは、選考委員より彼ら下読みの予選委員(編集者たち)でもあります。やがて、『作家』からひとりしか受賞者を生むことができなかった芥川賞を超えて、直木賞が二人の受賞者を擁することになるのも、八匠さんの落選例にめげず、何度も同誌から候補を拾い上げた、予選の人たちの考えやら好みのおかげです。

 ともかく、直木賞でも芥川賞でも、けっこう多くの作品が候補に選出された雑誌ですから、逸話や裏話もたくさん残っています。小谷剛さんの『『作家』・芥川賞・おんな――戦後文化史の傍証』(昭和56年/1981年11月・中日新聞本社刊)には、小谷さん自身の芥川賞受賞前後のあれこれが、かなり詳しく書かれた楽しいエッセイですけど、雑誌代表としての顔ももつ小谷さんですから、直木賞が関わりはじめたあとの、貴重な証言も書かれています。

「私の「四天王」が芥川賞候補になったから、掲載誌を何冊か送れと、文芸春秋社から通知があったのは、合同公演の立稽古がはじまったころであった。

それ以後に『作家』から芥川賞や直木賞の候補作がえらばれた例でみると、何月号を何冊送ってほしいという通知はあっても、誰のどういう作品が、何賞の候補になったとはあきらかにされない。同じ号にいくつか載っている作品のうち、たぶんこの人の作品が芥川賞の、もしくは直木賞の候補になったのだろうと見当をつけるだけであって、正式に新聞発表があるまではわからない。けれど私のときは、「四天王」とはっきり示されていた。」(『『作家』・芥川賞・おんな』「演劇と受賞」より)

 同人誌側に、正式な案内が事前に来ていたわけではなかったんですね。と、べつに誰の得にも損にもならない、こういう詳しい経緯を淡々と書き留めておいてくれるのが、同人誌の素晴らしさ(……小谷さんの場合は単行本ですけど)。たとえば藤井重夫さんも、昭和40年/1965年10月号に寄せた「『虹』始末記」で、「虹」が直木賞か芥川賞のどちらかの予選を通過した、と知らせる小谷さんからのハガキが、6月15日付消印で17日に届き、日本文学振興会からは6月19日付消印の速達で、20日に通知が来た、うんぬんと正確な事実関係を、史料がわりに残してくれました。

 まあ、そういう単なる記録で終わらせないのが、さすが藤井さんの直球の生真面目さで、

「四十九歳半になって、いまさら直木賞候補にならされ、候補だけで見送りになったとしたら、ずいぶん恥ずかしいおもいをすることだろうと、あえて「直木賞候補」を、知らぬ顔の半兵衛で通そうとするのだが、直木賞候補になったことを、おトボケしようとすることじたいが、すでにそれを意識していることであって、受賞までの一ヵ月間、考えてみると、おかしなことだらけだった。」(『作家』昭和40年/1965年10月号「『虹』始末記」より ―下線太字部は原文では傍点)

 と正直な心境を吐露しながら、おのれの自負から、一部のバカな同人にあきれ返った話など、ぐんぐんエンジンを回転させていく藤井さんの、オソロシさを堪能できる一文となっています。

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第11期のテーマは「同人誌」。どうして直木賞がこの世界に足を踏み入れたんでしょうか。不思議です。

 たいがい、うちのサイトは定見がありません。いつも無計画です。その点、直木賞の定見のなさには、まるでかなわないんですが、もう少しまじめに、将来像を描いてサイトづくりしなきゃいけないなあ、と反省しながら、楽しい直木賞エピソードを勝手放題、食い散らかすばかりで、何の達成もなく、いまに至っています。  11年目のブログは、そうするうちに、ときどき目にしておきながら、面倒くさそうなので避けてきた、しかし明...

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2017年6月 4日 (日)

第122回直木賞『長崎ぶらぶら節』~第125回『愛の領分』までの受賞作単行本部数と、全体のまとめ

第122回(平成11年/1999年・下半期)直木賞

受賞作●なかにし礼『長崎ぶらぶら節』(文藝春秋刊)
初版(受賞前)8,000部→23万

第123回(平成12年/2000年・上半期)直木賞

受賞作●金城一紀『GO』(講談社刊)
18万
受賞作●船戸与一『虹の谷の五月』(集英社刊)
13万

第124回(平成12年/2000年・下半期)直木賞

受賞作●山本文緒『プラナリア』(文藝春秋刊)
14万7,000
受賞作●重松清『ビタミンF』(新潮社刊)
11万8,000

第125回(平成13年/2001年・上半期)直木賞

受賞作●藤田宜永『愛の領分』(文藝春秋刊)
12万

 部数のテーマも一年がたったので、とりあえず最後にまとめておきます。

 直木賞受賞作の、単行本(あくまで単行本です)での歴代売上げランキングをつくるとしたら、おそらくこんな感じです。

  • 1.  155万部 浅田次郎『鉄道員』(集英社)第117回・平成9年/1997年上半期
  • 2.  117万部 青島幸男『人間万事塞翁が丙午』(新潮社)第85回・昭和56年/1981年上半期
  • 3.   66万部 東野圭吾『容疑者Xの献身』(文藝春秋)第134回・平成17年/2005年下半期
  • 4.   57万部 高村薫『マークスの山』(早川書房)第109回・平成5年/1993年上半期
  • 5.   50万3500部 桜木紫乃『ホテルローヤル』(集英社)第149回・平成25年/2013年上半期
  • 6.   50万部 恩田陸『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)第156回・平成28年/2016年下半期
  • 7.   47万部 西加奈子『サラバ!』(上・下)(小学館)第152回・平成26年/2014年下半期
  • 8.   46万2000部 向田邦子『思い出トランプ』(新潮社)第83回・昭和55年/1980年上半期
  • 9.   45万部 宮部みゆき『理由』(朝日新聞社)第120回・平成10年/1998年下半期
  • 10.  43万7000部 佐木隆三『復讐するは我にあり』(上・下)(講談社)第74回・昭和50年/1975年下半期
  • 11.  40万部 景山民夫『遠い海から来たCOO』(角川書店)第99回・昭和63年/1988年上半期
  • 12.  39万部 桐野夏生『柔らかな頬』(講談社)第121回・平成11年/1999年上半期
  • 13.  37万部 奥田英朗『空中ブランコ』(文藝春秋)第131回・平成16年/2004年上半期
  • 14.  35万部 原尞『私が殺した少女』(早川書房)第102回・平成1年/1989年下半期
  • 14.  35万部 藤原伊織『テロリストのパラソル』(講談社)第114回・平成7年/1996年下半期
  • 14.  35万部 池井戸潤『下町ロケット』(小学館)第145回・平成22年/2010年下半期
  • 17.  32万部 宮尾登美子『一絃の琴』(講談社)第80回・昭和53年/1978年下半期
  • 17.  32万部 小池真理子『恋』(早川書房)第114回・平成7年/1995年下半期
  • 17.  32万部 江國香織『号泣する準備はできていた』(新潮社)第130回・平成15年/2003年下半期
  • 20.  31万3500部 連城三紀彦『恋文』(新潮社)第91回・昭和59年/1984年上半期
  • 21.  30万部 宮城谷昌光『夏姫春秋』(上・下)(海越出版社)第105回・平成3年/1991年上半期
  • 21.  30万部 天童荒太『悼む人』(文藝春秋)第140回・平成20年/1998年下半期

 上下巻のものは両巻合計、またすべて公称部数として報道・宣伝・発表されたもので、じっさいは多少の誤差もあるでしょうけど、おおよそはこういう並びです。30万部まで行ったものが22作あり、芥川賞の受賞作で、同じように調べると、30万部以上は13作ですから、全体的に直木賞のほうが売上げ好調で、とくにこれは平成(1990年代)以降に顕著です。

 ……ふふん、そんなことは数字なんか調べなくたって知っているよ。と、モノ知り博士は笑うかもしれませんが、187冊、直木賞受賞単行本と呼ばれるすべてについて調べたかったのに、それはかないませんでした。笑われることより、そっちのほうが悲しいです。

 「よく売れた」部類だけを挙げれば、直木賞をとればそんなに売れるのか、と思いたくもなりますが、判明している分だけでも、20万部~30万部のものが21作、10万部~20万部が44作、と比率で見ればそっちのほうが断然、直木賞の中心です。さらにいうと、10万部未満もやはり40、50作はあると推測されます。芥川賞より売れることを誇っている場合ではなく、安定して10万部以上売れる賞でありながら、「最近の直木賞は、昔より売れないんだってよ」と、なぜか馬鹿にされてしまう、直木賞の体質に、私は関心があります。

 ということで、まだ取り上げていなかった第122回(平成11年/1999年・下半期)~第125回(平成13年/2001年・上半期)の6つの作品『長崎ぶらぶら節』『GO』『虹の谷の五月』『プラナリア』『ビタミンF』『愛の領分』のことですけど、伝えられている部数は、20万部以上が1作と、10万部台が5作。何ひとつ文句を言える筋合いの部数ではありません。立派そのものです。

 ところが、当時の『出版月報』『出版指標 年報』などを当たってみると、まあけっこう、ずいぶんなことを言われています。

「毎回注目度が高い両賞(引用者注:直木賞と芥川賞)だが、文芸書全般が落ち込んでいる中、こういった受賞作関連も今ひとつ振るわなかった。」(『2001出版指標 年報』平成13年/2001年4月「書籍の出版傾向―文学」より)

「直木賞や芥川賞等の受賞作品は、最近今ひとつ元気がない。文藝春秋『プラナリア』などが期待されたが、読者の反応はもうひとつ。」(『出版月報』平成13年/2001年7月号「特集 2001年上半期出版動向」より)

「直木賞、芥川賞受賞作の部数の伸びは今ひとつだった」(『出版月報』平成13年/2001年12月号「特集 2001年出版動向」より)

 直木賞をみると、どんな場面でもいつも「いまひとつ」と言いたくなる、人間本来の(?)素直な感覚が、こういうところにも現われているのかもしれません。

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2017年5月28日 (日)

第129回直木賞『4TEEN』『星々の舟』の受賞作単行本部数

第129回(平成15年/2003年・上半期)直木賞

受賞作●石田衣良『4TEEN フォーティーン』(新潮社刊)
受賞前2万9,000部→13万9,000
受賞作●村山由佳『星々の舟』(文藝春秋刊)
14万

※ちなみに……

第128回(平成14年/2002年・下半期)芥川賞

受賞作●大道珠貴「しょっぱいドライブ」収録『しょっぱいドライブ』(文藝春秋刊)
7万3,000

第129回(平成15年/2003年・上半期)芥川賞

受賞作●吉村萬壱「ハリガネムシ」収録『ハリガネムシ』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)5万部→5万5,000

 そろそろ、部数に関するテーマも終わりが見えてきました。

 まだ取り上げていない受賞作がいくつかありますが、いずれも特徴的な性格が薄く、いわゆる「そこそこの話題と、そこそこの売上げ」という、直木賞のスタンダードを体現した、平均的な作品と言っていいと思います。

 ……と前置きしてからの『4TEEN』と『星々の舟』。ということで、うわー、いかにも直木賞の平均っぽいよなー、という感がハンパありません。手がたいと言いますか、昔ながらのフォーマットと言いますか、第128回の『半落ち』騒動を受けて、また第129回の注目候補『重力ピエロ』をさしおいて、この二作に賞を与えてしまったことで、直木賞に漂う閉塞感が決定的になったとも言われる、重要な受賞作です。

 まあ、「そこそこ」な感じが好きじゃなきゃ直木賞ファンなんてやっていられません。どちらの小説も、低調でないうえに突き抜けもしない、バツグンのそこそこ感に満ちた、直木賞らしい受賞作だと思いますけど、世のなかには、こういうものより多くの人に喜ばれる小説があります。

 この年、平成15年/2003年は年初から、例の『半落ち』が好調な売れ行きをキープ。『出版月報』の記事を追ってみると、「このミス」パワーの力もあったんでしょう、1月15日現在17万5,000部、直木賞に落ちて、なんだかんだと騒がしくなるなか、2月には22万5,000部、3月27万5,000部と、ボン、ボンと大量増刷がかかり、その後も継続して売れて、年内には33万部到達、というところまで上昇します。

 第128回、直木賞はけっきょく授賞作を出せず、芥川賞のほうはどうにか1作、作品を選んだんですが、受賞したらかなりの売れ行きが見込めたはずの、最も注目された島本理生さんではなく、大道珠貴さんの「しょっぱいドライブ」だったものですから、大したお祭りにはなりません。

 『しょっぱいドライブ』は、受賞後に単行本が発売され、だいたい1~2か月で7万部程度まで行き、そのあたりで落ち着きました。

 芥川賞で7万部。というのは、多くもなければ少ないとも言えないし、ネタにしようにも注目点が見つけづらい数字ですから、ワタクシもとくに言いたいことはありません。しかし、この回は、受賞作は大したことないのに、(島本さんが候補になったおかげか)まわりだけが騒がしい、いつまでこんなことやっているんだ日本人! 的な記事が、数多く書かれた回でもあります。さすがは芥川賞、そんなことですら話題になってしまう恐ろしいヤツ。それから10数年たっても、べつに状況に変化がないところを見れば、確実に今後もこういうことが繰り返されるに違いないという、ある意味、伝統的な芥川賞スタイルだったのかもしれません。

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